●リプレイ本文
●黒い村へ
「ここがあんた達の村、か」
「何も無い所だがねぇ」
ジーザリオを止め、村の低い屋並を見回した須佐 武流(
ga1461)へと、視線を向けた男はどこか嬉しそうだった。
(こう、上手くいくとはな。警戒心が無いとは思えんが‥‥)
小さな村落1つで生活が完結するとは思えず、どこかで周辺と交流があるはずだ、と踏んだ武流。その予想通り、『村』からは生活用品を買いに来る者が時折訪れていた。待つこと数日。自分の身分を三流の記者だと告げ、案内を請う彼を男は疑いもせずに引き受け、今に至る。
「後ろの車も、ちゃんとついて来てるかな?」
武流のジーザリオの後方、稲葉 徹二(
ga0163)の車を確認した男が、ほっとしたように頷いた。人里近い森だが、危険な生き物もいるのだそうだ。武流からの情報を得た一行は、それぞれの立ち場に応じて潜入経路を若干変更している。患者として乗り込むリュス・リクス・リニク(
ga6209)やカッシングの思想に傾倒した信奉者を演じるフォビア(
ga6553)らが乗り込んだ徹二も、現地までそのまま乗り入れていた。
「道‥‥、無いって言ってた、けど」
片目を包帯で塞いだリニクが、不思議そうに呟く。ここまでの道は舗装こそされていないが、走行に支障は無かった。リニクに先立って降りたフォビアの正面に武流が立つ。
「あんたら、俺と一緒らしいぜ。まぁ、よろしくな」
示し合わせたとおりに他人の振りをする青年に、少女は無言で頷いた。一緒、といったのは宿泊の場所の事だ。古めかしい洋館から、やはり古めかしい外見の執事風の老人が姿を現す。
「ようこそ、外来のお客人」
一礼する姿に会釈を返しつつ、徹二は緊張が高まるのを感じていた。この場にいる4人は、全員カッシングと直接対峙した事がある。多少の変装はするように言ってはあるが、どこまで通用するだろうか。
一方、森の中。先行した4人を、ロジー・ビィ(
ga1031)の車は少し離れて追っていた。
「‥‥でたらめですわね」
お陰で、何故道が消え去ったのかを目の当たりにする。樹が勝手に動くなどと誰が想像しただろうか。抜いたナイフで切りつけてみれば、幾度も見たことがある赤い輝きがそれを阻んだ。
「常識の向こう側に、真実があるものよね」
年不相応な老成した仕草で、鬼非鬼 ふー(
gb3760)が肩を竦める。念のため、ロジーは車をキメラ樹から少し離れた場所に止めた。2人の担当は、村そのものではなく周辺の探索だ。村の発見が早かったため、時間は充分にある。
「ここは地図で言うと、この辺り? なら、まずは東に行けばいいのでしょうか」
「まずはぐるっと回って水の手を確認しましょうか。できれば北の山にも行きたいわ」
慣れない様子のロジーを、やる気満々のふーが先導した。キャンプ用の準備も万端だ。
●黒い村の夕餉
そして、最後の3名。迷い人として村に現れたCerberus(
ga8178)とカララク(
gb1394)に、リア・フローレンス(
gb4312)は、警戒されることもなくやはり洋館へと案内される。
「‥‥なるほど、山を目指されていたのですか? ハイキングには良い季節ですからね」
老執事に連れられた先では、仲間達が夕食を振舞われていた。カララクが、義妹のリニクの無事な様子に内心でホッと息をつく。
「‥‥じゃあ、噂は本当‥‥?」
「左様、この村はあの方に救われたのですよ。もう30年は前になります」
フォビアと穏やかに歓談する上座の老人が屋敷の主人なのだろう。Cerberusは、昨秋にこの男と言葉を交わしている。一瞬、見破られるかもしれないという恐れが過ぎった。
「また来客ですぞ、主様」
「はじめまして。1日に3組もの客とは、珍しい」
微笑と共に吐かれた言葉が、青年の僅かな緊張を解く。
「幸い、部屋には余裕があるのです。ゆっくり寛いでください」
自分が生まれる前は、この村も大勢の客で賑わった事があるのだ、と主人は目尻の皺を深くした。
「ゆっくりして良いんですか? こういう村の生活って、滅多に見れないから嬉しいですね」
観光目当てで田舎に訪れた若者、という役どころのリアが邪気の無い笑いを浮かべる。Cerberusは若者のお目付け役、といった所だろうか。構いません、と頷く老人に会釈をしてから、彼はリアへ頷いた。
「迷惑にならんようにな。‥‥ご老人、立ち寄ってはお邪魔になるような場所はあるか?」
村にとっての禁忌を確認する意図である。が、会話の流れで自然な感じに出た質問を、2人の老人が疑う様子は無かった。
「そうですな。北西の沼は底無しな所があるらしいので、近づかない方がいいでしょう。それと、村の中央の診療所は立ち入らないで頂きたい」
「それが、カッシング卿の?」
フォビアの言葉に、徹二のフォークが止まった。
「そう。30年前、流行り病に苦しむ我らを、あの方が診て下さった建物です。今も、時折来て下さるのですがね」
例えば、彼の救いを求めて来た者がいた時、と包帯を巻いたリニクを見る。
「昨年からお忙しくなられたのでしょうな。とんと、いらっしゃいませんが」
ワインを注ぎながら、執事が悲しげに呟いた。言及されているのが人類の敵で、忙しい理由が人類と戦っているが故だと知らなければ、微笑ましい会話に聞こえる。
「奇跡‥‥というのがあるならば現場は見てみたいのだがな」
武流の言葉に、フォビアもこくりと頷いた。しかし、主はゆるゆると首を振る。
「あの方の門を叩くには、覚悟が必要です」
それは2人にというよりは、リニクに向けての言葉のようだった。
●村の外の夕餉
――鴉。カッシングの目となるキメラについては、ロジーら野外班のみならず、村に向かった面々も充分に警戒していた。
「‥‥妙、ですわ」
村を通っているのだろう小さな川の上流。夕食に使う分と、水質検査の為に採取していたふーが、顔を上げた。彼女が水に落ち込まないよう、腰の辺りを支えている年上の女性へ首を傾げる。
「何が?」
「先ほどから、あの大鴉を幾度も見かけていますけれど‥‥」
身を隠してはいるが、隠しきれる物でもない。この一日で、南側から始めて北西の沼地に阻まれるまで、村を迂回するように半周した。おそらく、鴉の視界に入ってはいるはずなのだ。にも拘らず、ちょっかいを出してこない。
「別に、面倒にならないのならばいいんじゃないの」
そう。その考え方はおそらく正しい。だが、ロジーの心中には嫌な空気が立ち込めていた。
「さて、これでおしまい。今晩はカレーにしましょうか。たまには人間の食事もいいものね」
持参したレーションの袋を片手で叩いてみせるふー。ロジーに夕食の準備を任せないという決断は、彼女自身にとって実に幸運な事だった。
●黒い村の風景
翌朝。リア達と一緒に出かけたカララクは、10歳位の少女に捕まっていた。外来者が珍しいらしい。そんな子供でも、カッシングの名前に対しては背筋を伸ばす。
「カッシング様‥‥か」
よほど教育されているのだろうか。そう思った所に、少女の母親らしき人が駆け寄ってきた。外来の人間に娘が近づいていたと言うのに、警戒する素振りはない。平和な村、なのか。カララクの外見が無害そうだったのもあるのやもしれないが。
「あの方は、ご自分で診た患者は絶対忘れないそうですよ。この子は、肺炎をこじらせた事がありましてね」
たまたま、戻っていたカッシングに助けられたのだと言う。以来、彼が村を訪れる時には必ず挨拶に行くのだとか。
「私も、助けて頂いた事があるんですが、主人は無病息災なもので、そういう機会がありませんで」
道行くカッシングに家族で会うと、1人だけ覚えられていないので悔しがっている、と彼女は楽しそうに笑った。
「遠くからでも『こんにちは』って言うと、私の名前を呼んで手をあげてくれるのよ」
嬉しそうに言う少女の様子からは、カッシングが慕われている事しか伝わってこない。
「邪魔になるから、用事も無いのに声を掛けちゃ駄目と言っているんですけれどね」
ちなみに、それも患者限定だそうで、主人はいつまで経っても覚えてもらえないのだとか。
「ほれ、少しどうだい。うまいぞ?」
「山羊の乳、ですか」
リアは執事に頼んで村の生活を見学に出ていた。少しの畑と、山裾に放された山羊がこの村の主な生業のようだ。
「私が子供の頃は、猟師なども居たそうですが」
「しかし、昔からこの村がこうだった訳ではないのだろう」
隣を歩いていたCerberusが周りを見回す。今は、周囲との関わりが在るといっても最小限。しかし、よく見れば電柱の跡などが見つかった。いつかを境に、孤立の道を歩んだのだろう。それは決して古い話ではない。
「‥‥カッシング様が3度目に戻ってこられた時、でしたかな」
1度目は30年前。中央の学会を追われた時に。2度目は10年と少し前。そして3度目は、4〜5年ほど前の事だと老執事は懐かしげに言った。
「何方かが、亡くなられたそうです。存命を信じておられたようですが」
誰の事かは聞いていない、と彼は言う。その時を境に、この村は変わったのだ、と続ける老人の口調は、あくまでも静かだった。
「‥‥診療所に入るのは駄目だろうが、せめて外から見てみたいな。駄目か?」
いつの間にか戻ってきたカララクの言葉に、執事はゆっくりと頷く。観光客らしくあちこちにカメラを向けるリアの影で、カララクは目立たぬように立ち回りながら要所の写真を撮影していった。
●黒い村の午後
日のあたる庭で、老人が午後の紅茶を楽しんでいた。そこに、少年少女達が訪れる。
「彼にとって、この村は何なんです?」
そんな徹二の言葉に、館の主は少し考え込んだ。寝ているのか、と少年が思い出した頃に老人は再び口を開く。
「辛いことがおありの時に、戻ってくる場所、ですかな。ありていに言えば、故郷‥‥でしょうか」
もともと、カッシングはここで育ったのだと言う。正確には、この村を眼下に収める山の城で、だが。歳は似たようなものだが、子供時代に会話した事などは無い、と老人は笑った。
「元々、あのお方は中世から続く御領主の家柄でしてね。革命で体制が変わった折にも、ここは以前と変わらぬように尽力しておられた」
彼が医学の道へ進んだのは、おそらくこの地を数十年周期で襲ってくる病の存在と無関係では無いだろう、と老人は付け足す。
「‥‥尊敬、しているんですな」
徹二の言葉に、老人はただ微笑で答えた。やはり、グラナダや他の場所でカッシング個人へ向けられていた極端な忠誠は、洗脳では無いかもしれない。それは、カッシングがまだ『医者』であるが故の信頼だろうと、少年は思っていた。
「‥‥昨日言ってた。治療の、覚悟って何?」
リニクの声に、老人が身を起こす。
「今までの自分を捨てて、それでも助かりたいかどうか。友達も、家族も、捨てなければならないかもしれない。もちろん、そうならない場合もあるでしょう。ですが、興味本位で足を踏み出しては後悔しますよ」
少女に対しても、丁寧な口調は崩さない老人。片方の目が見えるならば、それで充分という考え方もある。もしもカッシングの手に自らを委ねれば、彼はあらゆる手を尽くすはずだと、老人は言った。文字通り、あらゆる手を。治療という目的ではあるのだろう。しかし、その手段は歪だった。フォビアとリニクは、その実例を知っている。
(理屈はわかりますがね。‥‥認められねェよ)
徹二の心中の呟きは、2人の少女の胸中にも響いていた。
村を1人でぶらついていた武流に、昨日の男が声をかけてきた。見たいものがあるなら、案内するという。
「俺は、奇跡って奴を見に来たんだがな」
「奇跡? なら、あんたがいま見てるぜ」
怪訝そうな顔をする武流に、男は自分の左胸を軽く叩いてみせる。数年前まで、心臓を患って余命いくばくもないと言われていたのだ、と。
「俺だけじゃない。そこのマールは交通事故で半身不随だった。あっちで山羊を追ってる奴は、車椅子から起き上がれなくってな」
手を振り返すのは、元々の住人ではなくカッシングの『治療』の噂を聞いて尋ねてきた面々らしい。今では、妻子とともに村に住み着いている、と男は歯を見せるように笑った。
「‥‥俺が助かったってことは、子供も嫁さんも命拾いしたってことさ。稼ぎ手がいなくなっちゃあ、一家揃って首を括るしかないんだからな」
だから、カッシングには恩がある。そう男は言う。言う間だけ、刺す様に鋭い目つきになった。
「わかってる。そのカッシング卿に悪い記事は書かないさ」
もっとも、記事などそもそも書かないのだが。武流が手元に書き付けているのは、いずれ報告書となるはずの覚書だった。
●黒い村を後に
その日の夕刻、一行は村を平和裏に後にした。最後まで3組の別集団の振りをしていたのだが、村人にとっては部外者と言うくくりで一纏まりだったようだ。出て行ってもらうならば一度にすませたいと言う事だろう。ロジーたちしか知らぬ事だが、木々がもぞもぞと動き道をあけるまで僅かに10分ほど。忽然と現れた道を、車列が進んでいった。Cerberus達も、一緒のようだ。
「あの人たち、後から車を取りに来ないといけないわね」
ふーが苦笑する。徒歩で村を訪れた、というストーリーであれば送ってもらうのを無碍に断るのもおかしいだろう。
「戻ってくるまで、車を見ていてあげま‥‥、ん。どうかした?」
「あの時は、どうして塞がなかったのか、と思いまして」
ふーの怪訝そうな視線に、ロジーが呟く。この仕組みで道を塞げば、カノンともども逃げ切れなかったはずだ。とすれば、逃がしたかったのだろうか。
「どこまでがカッシングの手の平の上なのでしょう‥‥」
自身の事ではなく心惹かれる黒髪の少年の事を想って、ロジーは心配げに眉を寄せる。傍らで見上げる少女のふーには、まだその心境はわからない事だった。