●リプレイ本文
●深夜の客人
傭兵達の準備の賜物か、あるいはそれ以外の理由による物か。ここに至るまでの道行きに、波乱は無かった。
「再びここに来ることになったか‥‥」
暗がりに浮かぶ診療所と、周囲の建物を見回して感慨深げに言うCerberus(
ga8178)。
「パパママごめんなさい‥‥娘は泥棒になりそうです」
とか言いつつもどこか楽しそうな夢姫(
gb5094)と、いつも楽しそうな神森 静(
ga5165)、そしていつも通り感情の動きを余り見せないフォビア(
ga6553)の3人が、荷物からテープやらドライバーやら針金やらを取り出した。
「準備は完了しましたけれど‥‥、鍵はかかっているのかしらね?」
静が大扉の脇にある通用口を見やる。そこに向かったロジー・ビィ(
ga1031)が、右手の親指と人差し指で丸を作るのが見えた。
「‥‥鍵はかかっていないか」
ほっとしたように、黒川丈一朗(
ga0776)が囁く。
元は礼拝堂だったと言うが、その面影があったのは正面の大扉だけだった。入ってすぐに目に付くのは、二列ほどの椅子。建物自体に比べれば格段に新しいが、それでも数十年は経ているだろう低い壁が部屋を区切っているようだ。
「何もないな」
正面を見た杠葉 凛生(
gb6638)が呟く。本来ならばキリストの十字架か、それを模した何かがあるべき場所には何もなかった。
(やはり、カッシングに信仰は無い、か。いや‥‥)
この村に、信仰は無いと言う事かもしれない。それが意味する事にしばし凛生が考えをめぐらせる間に、仲間達は全員内部へ入った。
「それでは、後は手筈通り手分けだな。時間は日の出前までだ」
Cerberusの言葉に頷いた国谷 真彼(
ga2331)の表情は、堅い。その目だけが、明かりの届かぬ室内の闇を見据えていた。
●調査の始まり
1F奥の部屋に入ったのは、静とCerberus、丈一朗の3人だった。
「普通の診療所のようですね? これでは」
ロッカーに白衣。机の引き出しには聴診器と消毒液。戸棚には、『近所のお医者さん』で見たような道具が綺麗に整頓されていた。その奥が、診療記録の置き場のようだ。
「これはありがたい、と言うべきか。探しやすいな」
丈一朗は棚を眺めてから、そう呟く。日付の古いものから新しい側へと並ぶ診療記録は予想通りに膨大だったが、記された年月の割には少ない。
「全部持っていくのはとても無理ね? 必要な物を選り分ける必要があると思うわ」
静の言葉に、Cerberusも頷く。
「確かに。まずは、これ以外から先に片付けよう」
机の上の、細々したものや戸棚の裏、引き出しの裏までを仲間が手早く探していく間、Cerberusは屋外に動きが無いかを監視していた。
2階に上がったロジーは、手早くカーテンの様子を確認していく。古い建物らしく、狭い窓に大きく分厚いカーテンの組み合わせは侵入者達にとっては好ましい。
「‥‥明かり、持っておきますね」
夢姫は、カルテを引っ張り出すロジーのやや後ろから、布を巻いた懐中電灯を向ける役だった。
「‥‥穴が開いた様子はありませんわ。少々の明かりなら‥‥って、夢姫?」
振り返ったロジーの耳に、少女の押し殺した声が聞こえる。
「そこの奥‥‥、屋根裏がありませんか?」
行き止まりかと思った所が、梯子を引き下ろせるようになっていたらしい。
「‥‥そこは、最後に取っておきましょう」
少し迷ってから、ロジーはそう言った。素直に頷いて、夢姫は手前から1つづつ扉を開けていく。
残る3名は、地下へと向かっていた。フォビアを先頭に下る階段は、古い建物の割に深く、幅も広い。
「翁の研究室ですか‥‥」
自身もサイエンティストである真彼は、研究室の様子からカッシングの人となりが掴めると考えていた。その後ろから、『探査の眼』を使った凛生が続く。階段は、暫く下ってから行き止まりになった。
「扉か。罠は無さそうだな。鍵は‥‥」
掛かってはいない。軋む音も立てず、滑らかにドアは開いた。中は、思ったよりも広い空間に繋がっている。
「‥‥あそこにコンピュータがあるな。しかし‥‥」
持ち運べるようなポータブルな物では無かっだ。凛生は大股にそちらへと向かう。電源はついたままだったようで、少し触るとすぐに画面が息を吹き返した。暗がりに慣れた眼に、ディスプレイの淡いバックライトが眩しい。
「通信記録は‥‥ないか。いや」
それ以前の問題だ。このコンピュータは独立した存在だった。となれば、後は専門外の彼にしてみれば、ファイル名であたりをつけるくらいしか出来ない。幸い、カッシングはここでも整理整頓をしているようだった。
「脳手術‥‥? 催眠による精神操作‥‥?」
グラナダの労働者達も、その研究の派生なのかもしれない。
「‥‥いや、更新履歴が4月だ。グラナダ以後も研究を続ける必要があったのか」
幸い、手もとの機材との互換性はある。
「ちょっとこれを見てくれないか。持ち帰る為の優先順位をつけたい」
「判りました」
声を掛けた真彼は、すぐに部屋の奥から戻ってきた。
「何か、あったか?」
その質問には、無言で首を振る。古いものから、新しいものまで多様な実験器具が並んでいたが、彼の想像していたような人類の規格外の物は、この場には無かった。
「‥‥おそらく、持ち去ったのでしょう。隅には、何かを動かした跡がありましたから」
それはキメラ、あるいはレンズに関わる物だったのかもしれない。残念だな、と凛生は口にはしたが、真彼も凛生もこの場に求めていたのは異星の知識ではなかった。カッシングが何故歪んだのかをこそ、知りたかったのだ。
2人の男が機械に向く間、フォビアは別の机に乱雑に詰まれた書類を手に取っていた。
「メモ‥‥?」
調べていたのか、調べさせていたのか。能力者たちの膨大な個人資料のようだ。タグのようについているのが、イニシャルらしい。
(もしかしたら、私が『私』になる前の‥‥)
フォビアは思わず自身の記録を検索しかけ‥‥、すぐに諦めた。時間が惜しいのも、無論ある。が、もしもここに資料があったとしても、自分の名前が判らない彼女には調べようが無いのだ。
「‥‥」
未練を振り切るように首を振ってから、フォビアは持参のカメラを向ける。室内の様子と共に、少女はそれらの書類も大急ぎで撮影していった。
●高き所に秘された物
カッシングは研究と生活の区別が曖昧な人種のようで、居室であるはずの2階には殆ど生活臭がない。
「本当に、何もありませんね‥‥」
ベッドの下や書棚の裏などを覗き込んでいた夢姫がため息をつく。時折誰かが掃除をしてはいるようで、埃やゴミは少なかった。
「カッシングはここに住んでいた訳ではないのかもしれませんわね」
使用人の部屋でもあれば、ともロジーは思ったのだが、見た限りではどの部屋も利用された様子がない。
「それじゃあ、さっきの屋根裏を見てみませんか?」
2人で慎重に上った梯子の上に、それは置いてあった。まるで汚れるのを怖れたように、男性物の白のハンカチで包まれて。
「‥‥日記かな?」
そうなのかもしれないが、どちらかといえば覚書きのようにも見える。
「カッシングの‥‥、ですの?」
一番古そうなボロボロの手帳を開いてみれば、カッシングの大学時代の物だった。この場の誰もが生まれる以前の物だ。
「気になる事があった時に、書き記していたのでしょうか」
若きカッシングは、人並みに友人を持ち、青春を謳歌していたようだ。今の一種超然とした怪人からは想像もつかぬ内容に、夢姫はほんの少しだけ居心地が悪そうに手帳を閉じる。次に開いたのは、一番新しい一冊だった。
『初めて、彼と会話をする機会を得た。彼は天才だ。私は自分の非才を恥じる』
少女は、その記述を指でなぞる。指に凹凸を感じるほどに、力強く癖の有る筆致。
『まずは知る事を始めねばなるまい。今すぐに』
その後に『彼』についての書き込みが続く。そのほとんどは閃きを見せる同業者への賛辞であったが、所々では批判めいた内容もあった。
『私は信じない。彼はまだ死んで良い人間では無い筈だ』
穴が開くほど強く文が刻まれているページを見て、ロジーが目を閉じる。
「真彼も言っていましたけれど。彼、というのはブライトン博士‥‥ですわね。この頃に、行方不明になったのかしら」
その後の日付は、いきなり数年飛んでいた。
『あれは別物だ。彼は確かに死んでいた。もはや越える事が出来ない壁だけを残して』
やはり強い文字だ。しかし、そこに込められた感情は、1ページ前とは大きな違いだった。
(‥‥失踪して、変わったのは。知っていた人が亡くなったから?)
何かに思いを馳せつつも、夢姫の手はページをめくる。
『彼を越えるには? 越えるには?』
彼の遺業である技術。あるいは、その成果。いくつも書かれた単語にはことごとく朱線が引かれていた。死者との競争は、自分との競争の投影に過ぎない。自分の中の虚像を相手に、カッシングが煩悶を続けていた様子が、そのノートからは見て取れる。
『私は悪魔に魂を売った。そのような物が私にあったのならば、だが』
その記述を最後に、手帳は白いページが続いていた。めくっても、めくっても。これで終わりか、と閉じかけた頃に、不意に文字の列が現れた。
『バグアは寄生生物である。ブライトンの知識と肉体を斯様に隷属させた様子からも、明らかだ』
初めの頃のような、力強く癖の有る文字。
『バグアが人をヨリシロとした時、彼らは人の脳という形質に縛られるのであろうか』
それが、最後の書き込みだった。
●医師として
「奴の根っこは、やはり医者なんだな‥‥」
書棚の隅、カルテの体を為していない古い記録を見て、丈一朗はそう呟いた。それは、30年ほど前にカッシングが村に戻ってきたばかりの時の、医療記録だった。もともと学者であって医者ではなかった彼が、必要に迫られて医者として振舞い始めた遠い日。幾つかの死と、そして救えた命についてが、書かれている。
「流行病、か」
この地方に特有の遺伝病である、とカッシングは簡潔に纏めていた。ウィルスへの免疫欠如との走り書きがある。現代においては、対症療法を早期に行えば死に至る物ではないようだが、原因を取り除くとなると困難であるらしい。若きカッシングはそれを、自分が乗り越えるべき壁だと書いていた。最初とは違う、力強い筆致で。
「残るはあのカルテだけのようね? 私が見張っているから、分別はよろしく頼むわね」
そう言って、静は外の様子を見張るべく窓際へ向かった。個人的にも、調べたい理由のある人間に譲ったのだろう。丈一朗とCerberusは小さく頭を下げてから、カルテの群れに手を伸ばす。
「リサ・ロッシュ。‥‥これか」
それは、すぐに見つかった。日付けも判っているのだから、当然だ。キメラに関わる物ゆえ、持ち帰る側へと回すべく横に除ける。ざっと眼を通した彼の手が、僅かに震えた。
「‥‥」
あの場では、そんな事を確かめる余裕は無かった。仕方がなかった。誰に聞いても、そう答えるだろう。
『右眼球は損傷大。本人承諾の元、検証中のLをKと共に使用。左目は通常処置にて回復の見込』
記録にはそう記されていた。それを目にした丈一朗が最初に感じたのは、奇妙な事だが安堵だった。この業を背負うのが自分であって良かった、という。
「カノンも、奴にとっては患者だったのか」
Cerberusが見つけたそれは、しかし普通のカルテとは幾分異なっていた。黒髪の少年を、老人の眼で観察しただけのメモに見える。
『この少年には覇気が無い。依存症か? 意志の無い生に価値は無い』
そう記した次のページに、大きく『Choice』と書かれていた。
『生か死か、こちらかあちらか、己の意志で決めさせねばならぬ。我が類縁だというこの少年がいずれの道を選ぼうと、私はそれを祝福しよう』
「これがあの男の、価値観か」
Cerberusの眼が険しさを増してから、すっと閉じられた。カッシングの気まぐれに追い詰められ、やせ細っていた少年の姿と、明るさを増した今の姿が思い浮かぶ。
(‥‥護ってみせる)
少年の選択も、彼の現在も。呟いてから、青年はファイルを閉じて次を手にした。
●地下からの伝言
一通りデータを分類してしまえば、後は転送の時間まちだ。地下室を歩き出した凛生が2人を呼んだのは、すぐ後のことだった。
「これは、扉‥‥ですね」
真彼が眼を向ける。窪みに有る扉は、凛生がその気で探せばすぐに見つけることが出来た。金属質な雰囲気がそれまでの物とは幾分違う。
「‥‥む」
凛生が固いドアノブに力を込めた途端、指先へちくりと痛みが走った。彼の『眼』をもってしても気づかなかった隠された仕掛けか。
「血‥‥? 毒‥‥?」
息を呑むフォビアを逆手で制して、首を振る。身体にも精神にも違和感はない。
「いや、引っかいただけかもしれない」
そう言った瞬間、扉からかちゃりと音がした。真彼が直接手を触れないようにネクタイをノブに巻き、引く。
「‥‥回りますね」
さっきの固さが嘘のように、扉はやすやすと開いた。小さな部屋には椅子も無く、ぽつんと机が1つ。そしてその上に。
「‥‥記憶装置、か?」
携帯端末へ読み込めるような小さなメモリが1つ。
『親愛なる能力者諸君へ。時至るまで、君たちに託そう』
癖のある字体で書かれたメモが、添えてある。末尾には、Cが2つ重ねてあった。
「‥‥今年の、2月‥‥ですか」
署名の脇にある日付を見て、真彼が呟く。グラナダ戦役以後のことだ。
「やはり、僕達がここに来る事も想定していた‥‥」
ならば、屋敷を出た所で接触があるやもしれない、と真彼は踏む。あれが、カッシングの監視機構であるだけではなく、双方向の端末であるゆえに。
「‥‥ならば、私は伝えたい。貴方は間違っている、と‥‥」
フォビアが掠れた声でそう言った。――しかし。
●事後報告
「ご苦労様。任務は完璧だ。しかし、本当にあの老人からの接触は――」
「無かったよ。帰り道、幾度か大烏が飛んでいるのは見かけたんだがな」
美沙へと丈一朗が告げる。払暁の光の中、妨害を恐れつつ森を走った彼らを遮る者は無く。追っ手の影もなかった。
「‥‥奇妙、だな」
誘き寄せ、目論見どおりに手土産まで持たせた客には、得意げに声をかける。それがあの老人のやり口だと美沙も思っていたようだ。
「あの記憶装置のデータはどんなものでしたか?」
「パスワードを入れろという画面が出てくるのだがな‥‥」
思い当たる単語に反応は無い。少し時間が掛かりそうだと彼女は言った。
「だが、それはそれだ。お前達には感謝する。これで、奴が今何をしているのかが判るかもしれん」
美沙は、彼らが持ち帰った書類とデータの山に、そっと手を置く。
「これはお前達の協力あってのものだ。私はそれを忘れない」
珍しく微笑を浮かべて、彼女はそう告げた。