タイトル:【共鳴】こころの壁マスター:クダモノネコ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/11/25 08:53

●オープニング本文


 ●
 2010年5月。
 グリーンランドの人類側拠点ゴッドホープで、バグア軍捕虜の脱走騒ぎが起きた。
 逃亡を図ったのは、2月のホワイトバレイ防衛戦で捕獲されたハーモニウム構成員「ノア」。未だ全容が解明されていないバグア軍の元パイロットであり、情緒と知能を持つレアケースの人型キメラである。
 とはいえ逃亡は、人類への敵意に基づく自発的なものではなく。
 どちらかといえば「戦略的価値のない(と判断された)捕虜を合法的に処分」するための、一部の人間による誘導であり、画策であったのだ。
 ことの真相は、携わった傭兵により明らかにされた。
 独断専行に走った一部の軍人とセクションはしかるべき処分を受け、無傷で保護されたノアの身柄はゴットホープからカンパネラ学園へと移されることとなった。
「バグアという組織は敵だが、個々とは分かり合えるのではないか? 命をつなぐことはできないか?」
 ノアを「トモダチ」とみなした傭兵達の、切なる望みを叶える形で。


 ●
 2010年8月。
 グリーンランド北部で、スクールバスが乗っ取られ、子どもと乗員が人質にされる事件が起きた。
 犯人はバグアの強化人間集団「ハーモニウム」。目的は「ノア」の解放。
 バグアが人類に捕獲された「仲間」に執着するという例は過去に殆どみられず、「ハーモニウム」という組織の異質さが、際立って見えた案件である。
 すなわち「戦力」ではなく「仲間」を重要視する、極めて人間臭いメンタリティだ。
 そして事件は5月の時と同様、傭兵の手によって解決された。
 人質は無事に奪還、ハーモニウムをさらに1人、だまし討ちで確保する形で。
 このとき確保されたハーモニウムの固体名は「Ag」。
 「ノア」と同様、情緒と知能を持つレアケースの人型キメラである。


 ●
 そして、2010年11月、夕方──。
「もう! なんかいもあやまってるじゃないか! ノアだっていっしょうけんめい考えたんだぞ!」
「ごめんで済んだらイェスペリ先生はいらねーんだよ! おまえは自分が何をしたか、これっぽっちもわかっちゃいない!」
 カンパネラ学園本校舎エリア研究棟地下層の「特別監視域」に、ノアとAgの怒声が響き渡った。
 太陽を模した照明が人工植物に降り注ぎ、木漏れ日そっくりの光を床に落とす平和な箱庭には、酷く似つかわしくない。
 否、怒声だけではなく。
 人工土を敷き詰めた「地面」の上で、2匹は掴みかからんばかりの勢いでにらみ合っていた。
 黒猫も鯖虎猫も、尻尾がコップ洗いブラシのように膨らんで逆立っている。
「だって、だって! ノアはAgやみんなが殺されるの、やだったんだ! だましたのは悪かったけど、ああしなきゃQかフィーが、ニンゲンの子どもを殺してたじゃないか! そしたら、そしたら‥‥!」
「だからってQやフィーやウィルカを裏切っていい理由にはならないだろ! ノアのせいで俺まで裏切者じゃねーか!」
 それでも喧嘩が勃発しないのは、Agの方がノアよりふた回りは身体が大きいことと
「ウラギリモノ? ちがう! ノア、ハーモニウムのみんなのこと好き! だからニンゲンのトモダチとキョーリョクして、みんなが死なないように、がんばったんだ! とりけせよっ」
「人間の友達? まだそんなこと言ってんのか? あいつらはお前をこっちに返すフリをしながら罠に嵌めたんだぞ、俺やウィルカやQをな」
「うるさい! とりけせ!」
「取り消さない。お前がわかるまでいってやる」
 Agの方がノアより頭の回転が良く、先に落ち着きを取り戻す故だ。
「ノアは人間に騙されてんの、バ・カ・だ・か・ら」
「バカっていうなバカって!」
 頭に血が昇ったノアが、わかりやすく地団太を踏んだ。ここで暮らし始めてから2匹の喧嘩はいつも、このパターンで終わる。
 そう、頭が足りない方が顔を真っ赤にして
「わからずやのAgなんてだいっ嫌いだバカッ!!」
 涙声で叫んで、踵を返して走り去る幕切れで。

 数時間後。
 太陽を模した照明は照度が落とされ、月明かりにも似た光で監視域を包んでいた。
 箱庭の片隅、木片で組んだ寝床のなかで寝息を立てるノアの頬も、白く照らされている。
 と、そこへ。
「‥‥よーやく寝たか」
 夕方さんざん言い争ったAgが、足音を忍ばせて戻ってきた。
 捨て台詞を叩きつけられてから、口を利いていない黒猫の横に座り、髪をそーっと撫でる。
「わかってんだよ。別にお前が悪いわけじゃないってことは」
 うにゃうにゃと寝言を呟くノアに、視線を落とし
「人間だってきっと、先生たちが言うほど悪くはないんだろうよ。俺らを殺さないんだし‥‥わかってんだ」
 考え込むように、尻尾をぱたんぱたん振る。
「Qやフィやウィルカだって、話せばわかってくれるような気はしてんのよ俺も」
 Agは言葉を切り、天井の照明を見上げた。
「ちっくしょー」
 黒い空にぽっかりうかぶ乳白色の丸いそれは、本物の月のようだ。
「そもそも俺が人間に騙されなきゃ、ノアを連れて帰れたんだよ‥‥!」」


 ●
 所変わって、特別監視域のバックヤード。
「おかしいわね」
 カンパネラ学園教師、宮本 遙(gz0305)は、Agとノアのバイタルデータを眺めて首を傾げていた。
「どうかしたんですか、センセ?」
 当番として訪れていた生徒会事務部雑用係の遠藤 春香(gz0342)が、女教師の手元を覗き込む。
「ノアの食事の量が減っているのよ。魚肉ソーセージは好物の筈なのに、ほとんど手をつけていないわ」
「あ、ほんとだ‥‥どこか具合でも悪いのかな」
「行動パターンは普段と変わらない風なんだけどねえ。メンタルの問題かしら‥‥って、そりゃ箱庭にいればストレスも溜まるわよね」
 遙は教え子に向けて、ため息をついせた。
「メンタルかぁ。もいっぴきのでっかい猫さんともよくケンカしてるみたいだし、何とかならないかなぁ」

●参加者一覧

綿貫 衛司(ga0056
30歳・♂・AA
西村・千佳(ga4714
22歳・♀・HA
小野塚・美鈴(ga9125
12歳・♀・DG
嘉雅土(gb2174
21歳・♂・HD
プリセラ・ヴァステル(gb3835
12歳・♀・HD
春夏秋冬 立花(gc3009
16歳・♀・ER

●リプレイ本文

 カンパネラ学園地下、特別監視域に通じる通路。
 セキュリティの施された区画を、6人の能力者が歩く。
「ノアくんやAgくんと会うの久しぶりだにゃ〜♪ ノアくんの元気がないのが心配だけど‥‥」
 両手に大きな紙袋を抱えているのは西村・千佳(ga4714)。
 中身は猫じゃらしにボール、お菓子にジュースのボトルなどだ。
 首には愛用のヘッドセットマイク、ドレスのポケットからは銀色のハーモニカが覗いている。
「あんなに食べる事が大好きだったノア君が食べないなんて、これは由々しき事態なの!」
 千佳の友人、プリセラ・ヴァステル(gb3835)が、可愛らしい眉をしかめて頷いた。
「っていうかプリセラちゃん‥‥その格好は‥‥」
 千佳同様、両手にお菓子の差し入れを持った小野塚・美鈴(ga9125)が、仲良しの少女に問いかける。
 兎が好きなのは知っているけれど、何故今日は着ぐるみなのか。
 動きづらそうに歩くさまに、思わず手を差し伸べながら。
「うにゅ、ストレスがたまっているノア君に、ハイパーもふもふタイムをプレゼントするの」
「着いてから着替えてもよかった気がするのだ‥‥」
「そうしたかったんだけど、鞄がいっぱいだったの‥‥AU−KVと変わらないかと思ったら、そんなことはなかったの〜」
「あう〜、大変なのだ」
 巨大な頭を抱えたまま、ゆっくり歩く兎少女。頑張れ、超頑張れ。
「‥‥愚痴を吐かすだけなら酒も有効なんですが。若年者というかバグアに、過度の肉体言語や飲酒を勧める訳にはいきませんしねぇ、年長者としては」
 そんな3人から1mほど後ろを歩くのは、綿貫 衛司(ga0056)。
 ノアがゴット・ホープの独房から脱走した際その身柄を無傷で確保し、黒幕を暴いた立役者でもある。
 その彼が両手に抱えるのは、木で出来たみかん箱。中には可愛らしい女の子の絵がついたジュース、ゼリーが大量に入っていた。
「せめて年の功で、何とかなるといいのですが」
「頼りにしてる」
 バスジャック事件の際、だまし討ちでAgを確保した嘉雅土(gb2174)が口の端を上げる。
「俺は多分‥‥バリ嫌われてると思う‥‥だが気にシナイ! 偏見差別は慣れてんだ」
 生まれつき赤い眼に、一瞬宿ったのは暗い色。
「無視だけは勘弁してほしいがなー」
「大丈夫。意思の疎通が出来る相手とは、わかりあえるもの。たとえ相手がバグアでも。私はそう信じてる」
 列の最後尾を歩く春夏秋冬 立花(gc3009)は、「ハーモニウム」と関るのは初めてだった。
 これから会う2体の【仲間」の1人が既に死んでいること、何人かは捕獲されていること。
 傭兵として知りえた情報を如何するかは、もう既に決めている。
「来たわね」
 廊下の突き当たり、取っ手のない自動ドアの手前。
 佇んでいた宮本 遙(gz0305)が、口を開いた。
「春夏秋冬以外はお馴染みの顔ね。もう細かいことは言わないわ。あんた達の手腕に期待します」
 門外漢が聞けば、丸投げともとれる発言。だがそれは、傭兵たちを信頼してのものに他ならない。
 にこりと微笑み、千佳に内線通話端末を手渡したあと
「じゃ、よろしく。何かあったら呼んで頂戴」
 カードキーを操作して、扉を開けた。


 天井に嵌めこまれた、太陽に似せた灯り。
 それはツクリモノの木に降り注いで、ツクリモノの木漏れ陽をつくっていた。
 足元には、土によく似た黒っぽい何か。
 その上には草を真似て作った、緑色の柔らかい素材が植わっている。
 そして──。
「だれ?」
 部屋の主である小さな影は、突然の来客に怪訝な顔を向けた。
「やっほ〜ノア君〜なんか元気がないって聞いたから心配したよ〜!」
「ノアくんと会うの久しぶりだにゃ〜♪」
 まず踏み出したのは、千佳、美鈴。
「ちか? みすず?」
 顔なじみの2人に、ノアはぱあっと顔を輝かせた。
 すこし遅れて着ぐるみ──頭は未だ未装着状態──のプリセラも、再会を喜ぶ輪に加わる。
「うにゅにゅ〜ノア君、久し振りなのよ〜♪」
「プリセラもきてくれたんだ! ‥‥でもどうして今日はカラダだけフカフカなんだ? それが今のふぁっしょんのハヤリなのか?」
「うにゅにゅ〜♪ ノアくんをもふもふするためなの〜♪」
 言うが早いか、ふっかふかの両腕とおなかにノアを挟み込み、ハイパーもふもふタイムを敢行!
「にゃ、ノア、子どもじゃないぞっ‥‥にゃにゃ‥‥!」
 くすぐったいのか照れくさいのか、抱えられたノアはしばらく着ぐるみの腕の中で暴れた。
 と、肩越しに。
「カガト!」
 もうひとりの、近しい友人の顔を見つける。
「よぉ」
 呼ばれた嘉雅土は、プリセラに抱えられたノアの傍まで歩みより、頭をわしわしと撫でた。
「Agはどした?」
「‥‥ん、Agのお気に入りの場所はあの木の上だから、多分そこだと思う」
「思う?」
 箱庭の隅に植わったな人工樹を指差すノアに、訊き返す。
「Ag、こないだケンカしてから、ノアが寝るまでねぐらに帰ってこないし、朝は起きる前にいなくなるから‥‥」
 離れた場所から見守っていた衛司が、首傾し考える素振りを見せた。
「中々に拗れているようで」
 嘉雅土も暫し黙っていたが、ややあってぽつり漏らす。
「そっか。ゴメンな」
「何でカガトが謝るの?」
 ノアが不思議そうに問う。
「‥‥夏のバス事件、人質が助かったのはノアのおかげだ。Agが大怪我しなかったのも。感謝している」
「カンシャ?」
「ありがとう、ってことだ。でもその為にお前が苦しい、だからゴメン」
「‥‥カガトが悪いんじゃない。ありがとうもいらない。ノアはは」
 ノアは兎の着ぐるみの肩に顔を埋めた。肩と声が小さく震える。
「Agと、前みたいに仲良くしたいだけ‥‥」
 しゃくり上げる背中を、プリセラの手が撫でる。
「うにゅ、大丈夫なのよ」
「Agくんもきっとわかってくれるにゃ。だから元気出してにゃ」
「今日はね〜ノア君が元気出るようにケーキとかチョコとか持って来たんだよ〜?」
 千佳と美鈴もそれぞれ、優しくなぐさめた。
「ではノア君は西村さん達にお任せして、我々はAg君との会話を試みます」
 衛司がみかん箱を抱えなおし、千佳に視線を送った。
「任せてにゃ」
 嘉雅土も荷物の一部を美鈴に手渡し、ノアに声をかける。
「俺からの差し入れも預けといた。皆で仲良く食って遊んで待ってな」
「トリュフチョコにキャンディーに牛乳なのだ。鮭とばとマタタビの粉はノアくんとAgくん専用だね♪」
「ありがと」
 ノアはプリセラの肩から顔をあげ、赤くなった目を千佳と美鈴に向けた。
「いこ。ノアのとっておきの場所、教えてやる」
 そしてすぐ傍のプリセラの顔を見つめ、
「これは重そうだからノアが持つ、プリセラはメスだから」
 脇においてあった兎の頭を抱えるべく身を離す。
「うにゅ♪ ありがとなの」
 思わず笑みをこぼすプリセラと、顔を見合わせる千佳と美鈴。
「じゃあ、ノアくんの『とっておきの場所』で、トランプやるのだ〜」
「賛成にゃ〜。皆ですると面白いにゃよ?」
 かくして3人と1匹は、箱庭の奥の方へと歩いていった。


 一方、ノアが指差した人工樹の下。
「おーい」
 衛司、嘉雅土、立花の3人が樹上を見上げていた。呼びかけている相手はもちろん
「‥‥何しにきた、人間」
 ひときわ大ぶりの枝に座ったAgだ。
「Agちゃんだね?お友達にならない?」
「何だおまえ。初めて見る顔だな」
 垂れ下がった尻尾はぱたぱたとせわしなく動いており、不機嫌な様子が見て取れる。
「バグア側のみんなって、みんなそう言うね。‥‥この怪我も、バグアにお友達になろうって言って怪我したんだ」
 めげる様子もなく、言葉を続ける『人間の少女』にも
「だから何だ?」
 特に感情を動かされることはないようだ。
 だが
「よーう、久しぶり」
 嘉雅土が声をかけた途端、顔色を変えた。しかも
「何しにきたてめえ! 哂いに来たのか!? ノアを誑かして俺を捕まえて、さぞ満足だろうよ!?」
 尻尾をぴ上向け、膨らませるオマケ付で。
「てめーはご挨拶じゃね? 俺は嘉雅土。謝りたいと思ってきた、虎ニャンに」
「ぶっ」
 真面目に呼ばれた「ヘンな名前」に衛司が噴出すが、嘉雅土はさらに続ける。
「ノアがゴットホープから逃げようとした時、ノアを事実で縛り付けたのは俺だから、ご免」
「‥‥」
 膨らんでいたAgの尻尾が、すーっと元に戻った。
「バスの時は、虎ニャンが信じてくれたから、どっちにも死者無く済んだ。変な話、助かった有難う」
「‥‥俺はただノアを」
 Agは尻尾を揺らすのをやめ、考え込むように口ごもる。
「ゴットホープでノアを逃してたら、すべての可能性は潰れてたんだ。もちろんノアも、他のハーモニウムも、本気で殺さなきゃいけなくなってた」
「他の‥‥ハーモニウム」
 迷うAgに、衛司と立花が畳み掛ける。
「そのへんは詳しく、降りてきて話をしませんかね。Agくんがノア君と喧嘩するのは、互いに譲れない部分が有るからでしょう。吐き出すモンとことん吐き出せば、また変わると思いますがね」
「Agちゃん、ノアちゃんと考え方が違うのは当たり前。でも、それと仲良くなれないは違うことだよ」
 暫しの沈黙の後。
「‥‥わかった」
 木枝をがさがさと揺らし、Agは地面に降り立った。
「だが嘉雅土。虎ニャンは止めてもらえないか」


 人工樹の下に、衛司が持ち込んだみかん箱。
「屋内にいると、ビタミンCが不足しがちですからね」
 言いながら元自衛官は、箱の上にゼリーとジュースを手際よく並べてゆく。
「びたみんC‥‥」
 オレンジ色のゼリーをつつくAgを他所に、3人はむしゃむしゃと食べ始めた。
「‥‥おまえ、他のハーモニウムとさっき言っていたが、何か知っているのか?」
「衛司、です。発音と綴りはちがいますけど同じ『えーじ(ー)』ってので、あなたには妙な親近感と言うか興味と言うかですね」
「‥‥Qやフィーやウィルカのことを知ってるのかって聞いている」
 苛立ちを露にするAg、一瞬緊張する3人。
「フィディエル嬢は元気ですよ。先日罠に嵌められかけて、死ぬかと思いました。たいしたお嬢さんだ。‥‥今はあなたと同様、人類側の施設に居るはずです」
「無事なのか!? 傷つけたり苛めたりしてないだろうな!」
 Agは身を乗り出し、衛司に掴みかからんばかりの勢いで迫る。だが彼は、全く動じない。
「‥‥それはあなたとノア君に対する人類側の姿勢で、察して貰えますかね。騙し騙され騙し返す、狼少年同士ならどちらが狼に食べられるのやら」
「ウィルカやQ、シアやヘラやディアナは?」
 立花と嘉雅土は顔を見合わせた。
 視線でお互いの決め事を確かめた後、立花が口を開く。
「そのことで、大切な話があるの」
 真剣な面持ちのまま、周囲を見回し
 ノア達の姿が見えないことを確かめてから、ひとりの少年の名を告げる。
「‥‥Qさんは、亡くなったわ」
「──!?」
 Agの驚愕と共に、空気が凍った。
 静寂の狭間をプリセラと美鈴、ノアの歓声が埋める。
 千佳の軽快なハーモニカの音色が、薄い膜を隔てた世界からのように響く。
 ぐらり、とAgの身体が揺れた。
「‥‥ころした、のか」
 Agは声を、搾り出した。そこには抑揚も感情もなかった。
 だが。
「結果的には、ね」
「おまえが──殺したのか!!!!」
 立花の二言目が、彼を爆発させた。
 「‥‥よくも!」
 吼えながら木箱を蹴り飛ばし、己よりずっと小柄な少女に掴みかかる。
「卑怯な言い方するけど‥‥貴方だって、私が貴方の仲間を殺そうとしたら、私を殺してでも止めるでしょう?」
 臆することなく、Agを見つめ返す立花。
「‥‥ごめんね」
「──っ!」
 怒りの矛先が見当外れだったことを悟ったAgは、立花から手を乱暴に離した。、
「‥‥ノアがしたことは、無駄だったのか‥‥? 俺はノアに‥‥なんて伝えればいいんだ‥‥!」
 そのまま俯き、拳を握り締める。
 「ノアにはまだ‥‥言わないでほしい」
 嘉雅土が小刻みに震えるAgの肩に、そっと手を置いた。
「Agから告げたら、Agが悪者みたいになっちまう。それに」
「‥‥?」
「関って無くても‥‥これは『俺達』が負うべき咎だ」
「──咎、か」
 再び沈黙が訪れる。
 太陽に似せた照明は、オレンジを帯びた灯りを放っていた。

 時が止まったように静かで穏やかな箱庭の空気を
「た、大変なのだー!」
 駆けつけてきた美鈴の声が破った。
「ノアくんが、ノアくんが、倒れたのだ〜!」


 十数分後。
 箱庭から運び出されたノアは、処置室のベッドで眠りについていた。
 細い体から何本かコードが伸び、枕元の機械に繋がっている。
 小さな画面の中の緑色の線は、規則正しい波形を描いて停まる様子はない。
「あんた達が居たときで助かったわ。‥‥とりあえずすぐに死んだりはしないでしょうけれど、この子の身体のことは、正直よくわからないのよね」
 遙が千佳、プリセラ、美鈴の3人に鷹揚に礼を述べる。
 もっとも3人はうわの空で
「ノアくん、大丈夫かにゃ‥‥」
 つい先刻まで元気だった、ノアから離れなかった。
 ノアは耳と尻尾を時折小さく動かすが、目を開く気配はない。
「あんた達能力者が、エミタを定期的にメンテしなきゃいけないように‥‥この子も、今は元気な大きい方も、多分ここでは長くは生きられないんでしょうね」
 遠くない終焉の予言。
「‥‥如何して、全部が全部上手くいってはいくれないのかなぁ」 
 着ぐるみを脱いだプリセラが、がっくりと肩を落とす。
「皆、今日は帰りなさい。何かあったらまた連絡するわ」



 天井に嵌めこまれた光は、青白い月の色で監視域を照らしていた。
 箱庭の片隅、木片で組んだ寝床の持ち主は帰らないまま。代わりに「トモダチ」がくれた沢山のお菓子が置いてある。
「‥‥どうして、俺が先じゃなかったんだ」
 いつもしているように、Agは寝床の隣に座った。ノアが倒れた原因に心当たりはあった。
 おそらくは己にもいずれ来るはずの、合成獣としての寿命。
「俺の方が、たくさんキセツを数えているのに」
 早く生まれた方が、早く寿命を全うする。
 それは原則。原則には必ず、例外がある。わかってはいた。わかってはいたけれど。
『で、お前はこれから此処で何を為す? ノアはノアのやり方で仲間を守る事を選んだ‥‥Agはどうする?』
 去り際に嘉雅土が残した言葉が、Agの頭の中を巡る。
「俺は‥‥どうしたらいい?」
 答えるもののない声が、箱庭の中に消える。
「Qなら‥‥どうしただろう」
 戻らない仲間の名が、薄闇の中に溶ける。
「‥‥Q」
 そこで彼は、弾かれたように立ち上がった。
「そうだ!」
 嘉雅土に貰ったケーキと、衛司のゼリーとジュースを寝床に置き「外界」へ通じる扉まで走り
「開けてくれ! 聞くだけでもいい! 頼みがある!!」
 メトロニウムの板を、握り拳で思い切り叩いた。


 地下中に警報が響き渡る中。
 ノアは依然、眠り続けていた。