●リプレイ本文
「遥を、頼むよ」
細面の科学者は傭兵たちに力なく笑い、装置のコンソールに指をかけた。
頷いた傭兵たちの、視界が歪む。
研究室の白い天井、蛍光灯、ブラインドを下ろした窓ごしの陽射しが白く黒く霞み──
彼らの意識は「跳んだ」。
●
「無事に入り込めたようだな」
露を含んだ草木の匂いと、膝下に触れる草、靴底に触れる柔らかい土の感触。
それらと予備知識で己が「宮本 遥(gz0305)の夢である、夜の森」に居ることを悟ったアレックス(
gb3735)は、装着したAU−KV「パイドロス」のヘッドライトを点灯させた。
視界の先に、同じく人型形態のバハムートが浮かび上がる。愛梨(
gb5765)だ。
「藤野と先生は頼んだ! 俺は須藤機の墜落地点に急行する!」
いうが早いか、木々をかき分け走り始めるパイドロス。
「待ちなさい、単独行動は危険よ! あんたじゃなく依頼人が!」
愛梨の制止をトランシーバで聞いたNico(
gc4739)もアレックスの行動に異を唱えた。
「まァ待てッて。勝手に戦闘して、音が響いてセンセーのヒスが深まったらメンドーだろーがよ」
「アレックス! 聞いてるの!?」
ハイドラグーンの背中に愛梨が叫ぶ。
「戦闘は避ける! 突出しても急がなきゃいけないんだ!」
アレックスは一瞬振り返ると、ヘッドギアを開き愛梨に怒鳴り返した。
「まったく‥‥!」
止めようにも、2機のAU−KV間にはもはや相当な距離があり、叶わない。何しろこの間にもパイドロスは全力疾走しているのだ。
さらにアレックスの行動に、弓亜 石榴(
ga0468)も追随した。
「よし、じゃあ私も行く!」
グラップラーの髪が、赤く燃える。
石榴の側に「降りて」いた嘉雅土(
gb2174)が、パイドロスの中でため息をついた。
彼は「救出班で合流してから捜索に向かいたい立場」であったが、既に2人が行動に移っている。
機動力のあるアレックスはともかく、石榴が移動に時間を要するのは、目の前で草をにかきわけている様を見れば明らかだった。
「んしょ、んしょっと」
「あーわかった、行こう!」
作戦変更、やむなし。
嘉雅土は決断し、石榴の傍まで駆けた。バイクにチェンジを試みるも、木々の間隔や地面、傾斜を確かめ断念。
「掴まって」
「オッケー」
石榴を肩に抱えあげ、人型形態のまま地を蹴った。森の地形と墜落位置は、現実世界で確認済みだ。
「美紅、何処に居る? 事情が変わった、このまま須藤機に向かう」
リヴァル・クロウ(
gb2337)のトランシーバ越しに名を呼ばれた美紅・ラング(
gb9880)は、キメラ殲滅班に返事をした。
「美紅はまず、先生方と合流するである!」
これまた打ち合わせとは異なる返答に、焦ったリヴァルであったが顔には出さなかった。
傭兵としての経験も年齢も美紅、嘉雅土よりは上の身、ふたりを動揺させるわけにはいかない。
「大丈夫だ。こうなった以上、そちらは迅速に須藤機を目指されたし。宮本氏と藤野氏は、こちらで最善を尽くす」
「了解」
嘉雅土の返事を確かめたリヴァルと美紅の耳を、甲高い女の声が刺す。
「救援要請を出したですって? どうして、まだハルが‥‥!」
それは二人の後方、せいぜい数十メートルの藪の中で。
「目標捕捉である」
携帯灯が闇の中で、心もとない光を放っているのも見えた。
「ああ、行こう」
●
「世界の主」に最初に接触したのは、獅月 きら(
gc1055)だった。
「不時着機のパイロットさん、ですか?」
この森に「跳んで」来る前に見た写真の女は、彼女のよく知る教師の面影を残してはいたが、もはや別人で
「え、救援隊? さっき呼んだばかりなのに‥‥助かったよ!」
「もう来たの!? 駄目よ、ハルを助けだすまで私は撤退しないわ!」
現在と印象の変わらない藤野とは対照的に、涙ながらに喚き散らしたのだ。
(‥‥先生)
16歳の少女は、歳若い彼女の心痛を我事のように感じ唇を噛む。
しかしすぐさま任務を思い出し、トランシーバで仲間たちに情報と状況を流した。
「救援ではない。通りすがりの同業者だ」
数分後、合流一番。口を開いたのはリヴァル。
「だと思った。正規軍にしては小さい子が混ざってるもんな。まぁいいや、助かったよ」
「小さい言うなである」
二番目に到着するや否や、藤野に頭をなでられた美紅は心外を露にする。
それらのやり取りで、訪れた者たちの身分を曲がりなりにも把握したのだろう。
「あんた達傭兵なのね! なら私が雇うわ! これでハルを助けて!」
遥は、美紅の手をがっしと掴んだ。言うが早いか、腰のポケットからウォレットを取り出し、札で膨らんだそれを押し付ける。
「お、落ち着くである」
美紅の困惑を否定と受け取ったのか、
「足りないならLHに帰ってから払うから! 一生のお願いよ、どうか‥‥!」
次の語は絶叫に近かった。ばたりとウォレットが地面に落ちる。
「何よ守銭奴!! もういい、私一人でハルを‥‥」
涙を血のついた袖で拭い、その場から立ち去ろうとする遥。
──拙い。
判断したリヴァルがきらに目配せした。頷いたハーモナーはごめんなさいと呟いた後、子守唄を口ずさむ。
「助けるんだ‥‥か」
ら。
言い終わる間もなく眠り込んだ遥に、藤野がただならぬ興味を示した。
「凄いなそのスキルだ。どこに売ってるんだい? 遊戯場の景品?」
「俺達は極秘の特殊部隊なんだ、察してくれ」
現実と変わらず飄々としているのは性格ゆえか、それとも。
「ヤレヤレ、女のヒステリーは、恐ェな」
ちょうど合流したNicoの物言いから察するに、男性ゆえなのか。
「あんたって男は全然、変わってないのね」
最後に駆けつけた愛梨は、非常時でありながら仲間の装備やスキルが気になって仕方がない藤野に、呆れたと言わんばかりだ。
「君は僕を知っているのかい? ‥‥というか、君も凄い装備だね、ちょっと見せてよ」
──あんたバカじゃないの?
その一言は飲み込み、ご褒美は先に置く。
「狼退治が、無事終わったらね」
●
5人を「狼討伐に来た極秘の特殊部隊」と認識した藤野ではあったが、同行と僚機の救出には難色を示した。
「僕だってハルは助けたいさ‥‥だけどそれは非現実的だ」
サイエンティストは非常時でも、いや非常時だからこそ「現実的な最善を尽くす」を体現するかの如く。
「まずハルがどこに落ちたのか、そして現状もわからない。探して歩こうにも夜の森だ。視界も悪いしこの森の生態系も不明ときた。そして僕は遥と自分の怪我を塞ぐのに練力の殆どを使ってしまったし、遥は‥‥精神衰弱もいいところだ」
青年はそこで言葉を切った。悪気はないのだろうが冷徹とも取れる言葉に、遥を肩に担いだきらが俯く。
紫煙をくゆらせながらNicoが混ぜっ返した。
「いいねェ、頭脳明晰、冷静沈着。と、見せかけてセンセーが一番ときた」
「そんなんじゃない、二人は親友だ」
「隠しなさんな‥‥って全く‥‥どこが良いンだ‥‥って、若ェ身体か‥‥痛ッ!?」
愛梨がブーツの踵で、Nicoの爪先を踏みつけ藤野に先を促す。
「続けて」
中年男の物言いを少女の潔癖さは、許せなかったようだ。
「ここで救援を待てば少なくとも遥は助かる。救援隊に現在地の座標は連絡済だし、君達とて僕達を見つけた以上、見殺しにはしない。一方ハルを救出に向かえば、全員で帰還出来る可能性よりも、全滅のリスクが上がる。ならば動かないのが、最善だ」
「成程‥‥正論だ。だが」
黙って聞いていたリヴァルが、口を挟んだ。
「藤野氏が言うのは、生きるための理屈だ。俺にもそれは理解できる。‥‥対して宮本氏が大事にしているのは、感情だ。そしてそれも、俺にはわかる気がする」
「感情は戦場では、役に立たないよ」
「かといってなくすこともできないでしょう? 遥もハルも大切な『親友』なんでしょう?」
愛梨が藤野の耳元に口を寄せた。
「あんたが好きな人にとって、何が幸せかを考えることね」
「‥‥!」
役に立たない筈の「感情」を揺さぶられ、藤野の顔色が変わる。
「‥‥今は辛くても生きていれば‥‥僕が遥を」
「恋人を見捨てて生き延びることが、どんな傷になるか想像もできないの? それに、あんたも後悔することになるわ」
「大切なものを失う‥‥さしてめずらしくもない事象だが、その傷跡は大きく深いものになる」
「‥‥僕が? 君達は一体」
僕達の未来を知っているのか?
そう言いたげな目に、愛梨とリヴァルは黙って頷いた。
「遥もハルも両方助ける、それが最良よ。あたしたちなら、それができる」
「‥‥」
できる。できるなら、助けたい。でも、本当に? 本当に助けられる?
逡巡する藤野の背中を押したのはきら。
「既に私たちの仲間が、墜落したKVの方に向かっています。‥‥藤野さんも、行きましょう。先生を、起こして下さいな」
彼はようやく心を決め、「子守唄」で眠る遥の肩に手をかけた。
「‥‥遥、行こう。ハルが待ってる」
ためらいながら揺する様を見て、Nicoが呟く。
「イヤハヤ。苦い、苦いねェ」
咥え煙草が携帯灰皿で、じゅっと音を立てた。
●
「藤野と先生と合流できたのである。至急そちらに向かうのである」
トランシーバ越しの美紅の声に、石榴は安堵の色を浮かべた。
「須藤さんは生きてるよ! なるべく早く来てね! 場所は突入前に確かめた地図の座標と変わらないからっ」
『ハルは無事なの、話をさせて!』
機械の向こうから喚く声を無視して、赤毛の少女はすぐ側にいる仲間に叫ぶ。
「アレックスさん、嘉雅土さんっ! 皆がもうすぐ来る!」
遥の望みを叶えなかったのは、石榴の本意ではなかった。
「‥‥だから須藤さんも頑張るんだよっ」
軍用歩兵外套に包まれたハルに、その力がなかったからだ。
嘉雅土と石榴が現場にたどり着いた時、彼はアレックスに保護されていたものの、既に瀕死の状態だった。
真っ先に現場についたアレックスが孤軍奮闘したのはおそらく数分だろう。
しかし飢えた狼は、身を挺したハイドラグーンごと獲物に牙と爪を奮っていたのだ。
「了解!」
アレックスがガトリングガンをリロードし、狼共に向けてばらまいた。威力は低いが、獣相手の足止めには十分だ。
それでも、本能は時として予想を超える。
「!?」
弾幕をかいくぐり、なおも横たわる「獲物」を狙うキメラが、跳んだ!
「夢ってのは、明日を進む為にあると思う、俺は!」
すんでのところで嘉雅土のAU−KVに火花が走る。
剣が抜けた狼を薙いだ瞬間、ギャンと鳴声が上がった。竜がハルを護る為に、吼えたのだ。
彼女のトランシーバの電源はオンのまま。
『ハル! 返事をして! ハル』
『‥‥先生も喚いてないで雑魚退治を手伝うである。手を動かすである』
仲間の声を、雑音と一緒に拾い続けている。
『これはKVの‥‥尾翼か? 弓亜、そちらの周辺に残骸はあるか?』
『そっちの状況はどーなって』
場所を特定しようとするリヴァルと、焦りと苛ちを装ったNicoの声に石榴が機械を手に取った。
だが
「やがる、説明しろ!」
肉声と足音が、いち早く耳に届く。
「きたぁ!」
果たして4人の後方、焼け焦げたの尾翼の影から7人が現われたのだ。
「遅ェよ!」
どう贔屓目に見ても無傷とは言い難いアレックスがヘッドギアを跳ね上げ、破顔した。
「煩いわよ、考えなし」
悪態で返した愛梨が呼笛を吹き、照明弾を闇夜に向けて放つ。
真っ暗な空で光球が弾けて、周囲を白く染め上げた。
獣の知能でも、増援に気がついたのだろう。キメラたちが、狼狽えるように吠声をあげた。あるものは尻尾を巻くように、またあるものは身の程知らずにも威嚇するように。
「──ハル!」
一方、恋人を見つけた遥が、周囲も状況も顧みずに飛び出しかける。
「先生、ここは愛梨さんに任せましょう!」
その身体を抱きとめたきらの脇を、愛梨がすり抜けた。
装着したバハムートで狼を文字通り弾き飛ばし、駆け寄ったハルをエマージェンシー・キットの毛布で包み腕に抱える。
「確保完了!」
「殿は俺達が持つ、行ってくれ!」
天狗の団扇で狼の残党を吹き飛ばしながら、嘉雅土が叫んだ。
「頼む」
短く頷き、撤収を示すリヴァル。ハルを抱えた愛梨と、遥を護るきらを挟み
「最後まで近寄らせないよっ」
「というか、おまえらは夢の中の存在でしかないのでさっさと死ねである」
「若いセンセーも悪くネェが‥‥余裕がねェのは詰まんねェな」
石榴、美紅、Nicoが続く。
イェーガーふたりの制圧射撃で足を竦ませた狼たちの相手をするのは、竜装騎兵ふたり。
「さあて、もう少し付き合って貰うぜ!」
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遥は、夢を見ていた。
彼女自身、それが夢であることを自覚していた。
何故なら4年前に死に別れた恋人が、そこにいたからだ。
『ハル‥‥』
夢の中の遥は、泣いていた。
何とか救いだしたハル。
通りすがりの傭兵にに骨を折らせて、辛い判断を下した藤野の思いを覆してまで取り戻したハルは、僅かな時間しか持っていなかったのだ。
『いかないでハル、おいていかないで」
まぼろしの身体にすがりつきながらも遥は、それが叶わぬ願いであると知っていた。
過去は変えられない。それは「コトワリ」。
だからハルは、一言残したのだろう。
暗い森へ還る前、遥と藤野と傭兵たちに。
──俺のために泣いてくれて。
──約束を守って、遥を助けようとしてくれて。
──遥を、この森から助けだしてくれて。
ありがとう。
●
「システム、オールグリーン。ドナーとの安全な分離に成功しました」
覚醒した遥が最初に見たものは、心配そうに覗き込んでいる顔だった。
「先生‥‥!」
緑青の瞳から大粒の涙が溢れて、遥の頬を濡らす。
ごめんなさい、見てしまってごめんなさいと繰り返す教え子の頭を彼女はそっと撫でた。
「獅月、ありがとう、ずっと傍にいてくれて」
そして側にいるのは、きらだけではなく。
「先生、おはよう」
夢の中で、ハルを護り続けてくれたハイドラグーンがきまり悪そうに片手を上げている。
「宮本氏‥‥向きあうことは難しい。だが少しずつでも良い。過去と向き合ってみるべきだ」
ハルの元に藤野と己を導いてくれたガーディアンが、ゆっくりと言葉をかけてくれる。
「少しはスッキリした?」
遥が起き上がるのを待って、口を開いたのは嘉雅土。
「でさ、ハルのいない今と、3人一緒に死んでたかもしれない昔、どっちがイイ?」
「‥‥」
問うたものの返事は求めず、ドラグーンは話題を変え踵を返す。
「あ、ノアとAgの時は助力ありがとう。俺、これ言いたかったからこの仕事したんだ。んじゃ、また」
「‥‥またね」
(どちらが良かったんだろう?)
遥は手元に視線を落とし考える。
「今」とは即答できない。だけど分かったこともあった。
己は傭兵たちに導かれて、ここに帰って来たのだと。
ならば。
(ハル‥‥)
前に進む。
それもアリなんじゃないかと、自然に思えた。