●リプレイ本文
●ホスピス地階 午前11時
分厚い扉と壁で密閉された冷凍室は、グリーンランドの外気より低い温度を保っていた。
「お連れしました」
医療棟第三研究室付の科学者、藤野 隆臣は同行する麻宮 光(
ga9696)の横にストレッチャーを停める。
銀色の台には、遺体収容袋がふたつ。
「‥‥」
袋上部のジッパーを開いた光が息を呑む傍ら、科学者は黙して待った。
(激情して襲いかかったりはしないでほしいな)
他人事のように考えながら。
光は泣かなかった。
怒りをぶちまけもしなかった。
ただ、愛おしげに少女の冷たい頬に触れて
「フィディとセカンドを」
藤野に、問うた。
「元に戻せる可能性は、あるのか?」
縋るように問うた。
「俺は素人だからわからんが、フィディエル+セカンド=ウィルカが今回の結果だし、その逆も理論上可能じゃないのか?」
藤野はしばし瞑目し
「失礼ですが、ご自身の言葉の意味を理解されていますか? 元に戻すことに要する『コスト』を考えて仰っていますか?」
視線を少女に注ぐ光の横顔に、問い返した。
「あなたはこの少女が好きなんですね。僕は鈍い方だけど、それぐらいはわかります。先程『少女と少年』を元に戻せる可能性があるのかと仰ったけれど。真に救いたいのは彼女でしょう」
能力者は強い目で、科学者を睨みつける。
「仮に『彼女』を助けられるとしましょう。あなたは『コスト』を支払えますか」
「俺の身体を『部品』として使うのか? 俺が傷つくことで救えるのなら──!」
「違います。人間は強化人間の『部品』にはなれない。僕の言う『コスト』は」
多分それは、自らの身を切るよりも辛くて重いこと。
「自身の望みの為に他者を犠牲にする覚悟。そして選択の結果を背負い続ける覚悟が在るか否かです。あなたが望んでいることを『コスト』を明確にして表すならば。──『この施設のセカンド全員を屠っても、ファーストの少年を切り刻んでも彼女を助けてくれ』という事になるんです」
択ぶっていうのは、他方を棄てるってことです。光の問いに藤野は答えた。
「『二人』を元に戻せる可能性でしたね。『いずれか1体』なら実際の成功率はともかく『チューレの技術を以てば理論上は』可能です。回復途上のファーストを筆頭にセカンド‥‥いくつ屍が並ぶかは考えたくもないが」
刺をむき出しにしたままで。
●ホスピス医療棟応接室のひとつ 午前11時
テーブルを挟んで対面するソファ。
手前には医療棟第三研究室所属の医官二人と宮本 遙(gz0305)、奥には3人の能力者が腰掛けていた。
「ようこそおいで下さいました。おや、先日は貴重なご意見をありがとうございます」
医官のひとりが綿貫 衛司(
ga0056)と雨ヶ瀬 クレア(
gc8201)に気がつき慇懃に笑う。
「さて、先だっての実験に関するご質問があるとか?」
「ああ」
玄埜(
gc6715)が頷き、テーブルの上にボイスレコーダを置いた。親指が赤いボタンを押しこむ。録音開始。
「これは?」
「セカンドへの対応や説明に必要があれば使うだけだ。依頼終了後は消すから心配するな」
「成程、ご苦労な事です」
医官は余裕を崩さない。
「では早速。死亡したセカンドへどの様な説明が為されたか、どの様に合意を取り付けたか等教えていただけますか」
口火を切ったのは衛司。
「セカンドに説明したのは私よ。『型』に近い順に選ばれた10人をウィルカのところに連れていって『お兄ちゃんに体の一部を分けてあげてほしい』って頼んだわ」
答えたのは遙。
「なるほど、それでセカンドは、生命の危険があることについて理解していました?」
「していなかったと思う。漠然とした恐怖はあっただろうけど。子供たちは高揚していたの。使命感と自己犠牲感に」
「‥‥そこを上手く使ったんですね」
クレアが笑んだ。
「――ね。今、どんな気持ちですか?」
遙の顔色が変わった。
「どんな気持ちか、ですって」
がたん、と立ち上がって身を乗り出す。
周りが止める間もなく、乾いた音が室内に響いた。
「あんた『達』が誑かしさえしなければ、あの子は死なずにすんだ!」
反射的に右頬を押さえるクレアに、ヒステリックな声が被さる。
しかし、掌の痛みが頭を冷やしたのか。
「ごめん、なさい」
遙は泣きながらもクレアに非礼を詫びた。
「天ヶ瀬が悪いんじゃないの、私が選べばよかったの。人を殺したファーストなんかの為にセカンドを、私の教え子を巻き込むなって答えればよかったの。自分の立場や何かを考えて、保身を選んだ結果がこれなの」
「‥‥」
未だ熱を孕む頬に触れたまま、クレアは俯く。内心と裏腹であることは、周囲の誰にもわからない。
そう、彼女が「思惑と異なる結果に直面した人間の姿を見て愉しむ」者であるなど。
「宮本先生」
落ち着いたのを見計らって、衛司が声をかけた。
「汚れ役は本来、大人の仕事です。ホスピス内のセカンド達に、ウィルカ君のセカンド人格と合致する人物乃至彼をよく知る人物は居るのか教えて頂けますか」
遥は頷く。
「あの子の児童票が残っているから取ってきます。ここに居る皆、あの子のことはよく知っているわ」
遥を見送った衛司が、医官達に向き直る。
「二方に、医学者としての見解を伺いたいのですが、宜しいか」
医療人でも医者でもなく、医学者。
「どうぞ」
皮肉をこめた言い回しだったが、二人は気にする様子もない。
「二方とも、実際の臨床や戦地医療の経験はお持ちで?」
「臨床は若いころに多少。軍属してからは情報、諜報を扱う部署におりますから、所謂『医療』経験はあまりないですな」
「諜報?」
「親バグア派や寝返った強化人間等から情報を引き出したり、その後の処遇に関わる業務を行う部署です」
「とはいえ子どもの姿をした者を扱うのは久々で。いささか後味が悪かった」
顔を見合わせ二人の医官が笑いあう。衛司は眉間を抑えて俯くしかなかった。
科学的興味本位から物事を進めるのは、研究室に籠る人間が陥り易い病の様なものではないか? 全うな倫理観が通用する相手ではないようだ。
「まずはおめでとうございます。『実験』は、大成功ですね! でも」
クレアが微笑みながら口を開いた。
「このデータはいつか公開する事になるんでしょうけど‥‥この実験、倫理的には‥‥ドナーの同意も含め‥‥破綻していますよね?」
「ふむ」
「バグアだから良しとされる者もいつか『人になる』。大衆が受け入れられる実態からは遠く、批判は免れないでしょう。‥‥でも公開しないわけにも行きませんよ、私たちが、あの実験を知っていますから」
医官たちは再び顔を見合わせ肩を竦めた。
「人になる? 君は本気でそう思っている? 能力者以外の一般大衆が、そう思うと信じている?」
「ならば伺いましょう。何故強化人間の保護施設がこんな僻地にあるとお思いで? ああ、軍のお偉いさんは理屈をつけるでしょうね。だが実態は簡単、気候のいい土地に大勢お住まいの市民様が受け入れて下さらないから。それだけの話です」
「ホスピスは産業廃棄物処分場だとでも言うのか」
玄埜が気色ばむが、医官は口を閉ざさない。
「勿論宮本先生のように、慈悲のお心をお持ちの方も大勢勤めておられますよ? むしろ異端は我々だろう」
「だが自分たちの出した産業廃棄物処理場の建設すら、市民が嫌がるのも事実。おっと疎まれるのは能力者だって同じかも知れませんよ」
「宇宙での作戦が甲を奏し、バグアを駆逐できたら。市民は能力者をいつまで英雄として扱うでしょうね‥‥と、話がそれた」
そして再び視線をクレアに移す。
「公表したければご自由に。市民は確かに善良だ。だがそれ以上に冷徹で気儘だと知ることになるでしょう」
クレアは笑み返した。
(実験が公に‥‥問題になる前に、どう釣り合いをとるのか楽しみにしてたけど。この人達は、思ったよりも真っ黒)
●ウィルカの病室 昼下がり
「ヒカル、来てくれたのね! まぁ、私の大好きなお菓子!」
「‥‥フィディ」
光と一緒に強化人間の病室を訪れたアレックス(
gb3735)は、部屋の主に面食らっていた。
(これは、フィディエル本人なのか‥‥?)
何しろ彼はベッドに内股で腰掛け、光が持参した駄菓子に目を輝かせているのだ。
「あら、あなたは?」
「アレックス、ノアとAgのトモダチだ」
「まあ! 猫たちは元気ですの?」
「元気だよ‥‥フィディエル」
「なあに?」
笑む仕草も、小首を傾げる様も。アレックスが知るウィルカとは別人だった。
「アンタは『ウィルカを助ける事を択んだ』んだな」
「ええ。バカ犬は不満があるようですけれど」
「少女」は膝に目を落とし、膝上に乗せた何か──おそらくはウィルカの頭──を優しく撫でる。
魂とか人格とか、専門的な事は分からない。けれど。
(‥‥彼女は、彼女本人だ)
言い草で、視線で。アレックスは確信する。
「もしも、俺が同じ状況にあったなら、きっとそうする。アイツはアンタを守りたかったんだろうけど」
「みたいですわね。でも私に異を唱えるなんて生意気ですわ」
「フィディエル、そのことなんだが」
そこに光が真剣な面持ちで、割って入った。
「このままでいいのか。それとも元の姿で生きる事ができれば生きたいのか。自分からドナーに志願したのは聞いたけど、思ってる本音を話してほしい」
助けたいという想いが、こぼれそうな問い。
「少女」は笑みを引っ込め、言葉を選ぶ。
「今の状態に満足しているといえば嘘になるわ」
その返答に光は、目を輝かせた。
「元に、戻りたいのか」
光の答えに「少女」も目を輝かせた。
「戻れるの? ウィルカも私も?」
──いくつ屍が並ぶかは考えたくもないが。
藤野の言葉が、光の脳裏に蘇る。
「‥‥そう」
一瞬の間に何かを察したのか
「それじゃ、意味がな──」
強化人間は目を伏せ
「戻せるのか!」
唐突に口調を変えた。
否、変わった。
「フィディを! どんな手段を使っても戻してくれ! 頼む!」
少女らしさのなくなった身のこなしで強化人間がベッドから跳び降り
「アレックス!」
赤毛の少年の肩を掴んだ。
「ウィル、カ?」
「お願いだ、僕はフィディを護るために先に生まれてきたのに。こんな、僕は、僕が」
「ウィルカ、なんだな」
強化人間とはいえ病み上がり、アレックスは振り払う非情を持たない。
「ウィルカ、オマエが罪悪感を抱く必要はない」
「無理だよ! だって僕は」
「それは俺達が引き受けるから、だから」
代わりに背中を、ただ抱いた。
「悲観せずに生きて欲しい」
「生きなきゃダメなのか!?」
「ああ」
──皆が願ったカタチではないけれど。俺達も、共に在ろう。想いを込めて。
強化人間は、能力者から身を離す。
「バカ犬に伝えます‥‥ありがとう」
●ウィルカの病室 夕暮れ
「そこから入らないで!」
二人の来客を、くまのぬいぐるみを抱いた強化人間が暗い目で制する。
「『ウィルカ』の見舞いか? だったらザンネンだけど、あいつになんか会わせてやらない」
「ウィルカ? 私は『貴様』と話をしに来ただけのこと。何をするにも息抜き、気分転換というものが肝要よ。しばし付き合え」
「初めまして。私の名は音桐 奏(
gc6293)。『貴方』が憎む能力者の一人です」
口調は無駄に偉そうだがどこか親身な玄埜と、自ら能力者だと名乗った奏。
二人が「自分」に会いに来た。
そう理解した「少年」は少しだけ態度を和らげた。
「‥‥入っていいよ」
それでも警戒はしているのだろう、ぬいぐるみを抱く腕にぎゅっと力がこもった。
「ありがとう」
「ところで何だ、その熊は貴様の友か」
玄埜がぬいぐるみを指差し、問う。
「モイちゃん。‥‥今はこんなに小さくなったけど、前はもっと大きかったんだ」
「少年」はぬいぐるみの頭に顔を埋めた。
「前、というのは?」
「こうなっちゃう前。モイちゃんは小さくなって僕は大きくなって、髪も目も肌も声も全部僕じゃなくなっちゃったの‥‥!」
目の淵に涙が盛り上がったのを、玄埜は見逃さなかった。だから不思議そうな顔を作って見せる。
「面妖な事をいうな? 今私と話している『貴様』は『フィディエル』でも『ウィルカ』でもなかろう。私は『貴様』と話しているつもりだが?」
「でもぼくの体は、凍らせて地下にあるって、センセイが言ったもん」
(ああ、この子は。頭では「死」を理解している)
奏はそっと、ベッドに座る「少年」の頭に触れた。嫌がらないのを確かめてから、優しく撫でる。
「とても辛い現実と、向き合おうとしているのですね。立派ですよ」
奏が与えたのは、穏やかな承認。
それを機に、堰き止められていた「少年」の感情が溢れ出す。
「ぼくが立派? ウィルカが謝ってくれるたびに、謝るなら消えちゃえって言っちゃうのに? センセイたちが『仕方なかった』って言ってもナットクできない悪い子なのに? ほんとは居ちゃいけないのに? 消えなきゃいけないのはぼくなのに?」
「私は『貴様』が悪とは思わんがな」
「あなたは優しい子ですよ。‥‥私の故郷には輪廻転生という概念がありましてね」
「リンネ?」
「肉体を失くした魂は、一時の休息を経て新たな生を得るというものです。‥‥だからあなたは、消えたりしない、なくならない」
「そ、か」
「少年」は片手で奏の手を取り、袖口に顔を押し付けた。涙を拭くように。隠すように。
「私は『貴様』を忘れんぞ。私が死ぬまで覚えておいてやる、その名とともにな」
「ぼくの名前、知ってるの?」
「この学校には生徒の記録がある。貴様が生きた証を私は確りと見た。名もそこで識った。だが」
玄埜の言葉を、奏が引き継ぐ。
「貴方のお名前を聞かせていただけませんか。貴方という存在を忘れない為に」
ややあって、少年は泣き濡れた顔を挙げた。
「ぼくは──」
短い音の連なりに、二人は頷く。
「良い名前だ」
●ホスピス医療棟第三研究室 能力者が訪れた日の夜遅く
「ほう、セカンド人格の消失が確認されましたか。統合というべきかな」
「希死念慮があったのは『あれ』でしたから扱いやすくなるだろう」
「レシピエントの肉体回復もめざましい。これなら早晩『巻き戻し』の実験も可能だ」
「そのことだが。能力者の一人が『個体を元に戻す』ことに拘っているようだ。面白い発想だ‥‥ねえドクター藤野」
「倫理的に問題があることと、成功率の低さは伝えました」
「倫理とは何を今更。医学の進歩には犠牲はつきものです」
「実験の方向としては『巻き戻し』より前衛的かもしれませんぞ」
「あなた方に『研究』の為に権限と裁量が与えられているとしてもだ。ここは医療施設で、処分場でも実験場でもない!」
「そう熱くならずに。またとない機会だ、有益な方向性を模索しましょう」
笑う医官と憤る同僚を眺めながら、遥は決意していた。
──止めないと。今度こそ。これ以上は。
暖房で曇った窓の外は宵闇。そこを小さな星がひとつ、横切って消えた。