●リプレイ本文
・現着
地平に沈んでいく太陽が、見渡す限りを橙に染め上げた。新条 拓那(
ga1294)は脱出用にと持ち込んだインデースから出ると、大きく伸びをした。
「なんとか明るいうちに着けたな」
「視界があるのもあと数分ですね」
照明を一切機能させていない気象観測所を見据え、石動 小夜子(
ga0121)が零した。
「時間がありません。キメラの注意をこちらに引き付けましょう」
霞澄 セラフィエル(
ga0495)が言うと、拓那が懐から呼笛を取り出して口にくわえる。大きく息を吸い込んだ瞬間、甲高い笛の音とは似ても似つかない轟音が鳴り響いた。
「銃声‥‥!?」
木々から鳥達が飛び立つより早く、事態を察した各能力者は弾けるように走り出していた。
「ショットガンだと思うけど。そんなの使うってことは生存者ピンチじゃない?」
風花 澪(
gb1573)が言う。
「キメラに遭遇したと考えるのが妥当でしょう」
「考えたくありませんが、自害の可能性もありますよ」
ルーシー・クリムゾン(
gb1439)にトリストラム(
gb0815)が応える。
能力者達は駐車場を越え、中庭に入る。全員が神経を張り、どの方位からの襲撃にも対応できる状態だったが、中庭の惨状には一瞬意識を奪われた。
襲われたときの阿鼻叫喚が、容易に想像できるその地獄。陽に晒された臓物と血が吐き気を催すほどの悪臭となって立ちこめ、ばらばらに引き裂かれた死体は、最早判別可能とは思えなかった。
「後処理が大変だねー」
澪は動じた風も無いが、中には歯を強く噛み締める者もいる。
「必ず後で‥‥。でも今は!」
野良 希雪(
ga4401)が睨んだ先、窓ガラスが粉微塵に砕かれた部屋が一つある。二階二号室。資料が正しければ、救援要請をした所員が立て篭もっている部屋だ。
「捜索の必要は無さそうですが‥‥あ」
小夜子は言いながら、ふと何かの気配を感じて振り返る。
「こっちにもお出ましみたいだね。三匹、いや四匹?」
聖・真琴(
ga1622)が足を止め、殺意を露にする。それに澪、霞澄、トリストラムが続く。
「私達は二階へ」
小夜子が叫んだ。
・戦陣
小夜子、拓那、ルーシー、希雪の四名が覚醒し、二階の部屋目掛けて跳躍するのを横目に、残った四名も覚醒し、各々得物を手に構えた。
「かわいい狐きたー?」
澪が目を爛々と輝かせるが、トリストラムは小さく嘆息した。
「この惨状を見るに、とてもかわいい相手とは思えませんが」
「同意見ですね」
霞澄が同調する。
「来るよッ!」
真琴の言葉を合図に、四人が散開する。直後、四人がいた場所には巨大かつ黒い、異臭を放つ獣がいた。傍目にもそれは可愛い代物ではなく、澪は目を真ん丸くしたあと大きく肩を落とした。
「かわいくな‥‥い」
大きく跳躍したトリストラムと霞澄とは対称的に、小さな動きで回避した真琴と澪は、既に攻撃態勢にあった。
瞬天速でキメラの側面に回った真琴は、鋭い下段後ろ回し蹴りを放つ。キメラが体勢を崩した瞬間、澪のハンドガンが乾いた音をあげる。心臓と脳天に一撃ずつ打ち込まれた弾丸は、キメラを即死させた。
「ナイス澪ちゃん」
「かわいくないから手加減なし」
「手加減されても困りますが」
膨れっ面の澪に声をかける真琴は、残るキメラが飛びかかろうと機を窺っているような気配を感じていた。キメラは四人の周囲を取り囲むように位置取り、ぐるぐると回っているようだった。
「攻めあぐねているようですね」
トリストラムが呟くと、
「貰います」
霞澄が矢を放った。
施設と施設の間、僅かな隙間に姿を見せたキメラの胴体に、風穴があく。霞澄は澄ました表情だが、とうてい人のものとは思えぬ所業だった。
「このキメラ、たいした事はありませんね」
一撃で絶命させた霞澄の言葉に、真琴と澪が肯く。
「この分だと自分の出番は──」
自棄になったのか、キメラが一体トリストラム目掛けて飛び掛かる。微笑を浮かべていたトリストラムは、凍て付くような目付きでソレを睨み付けた。
「ありましたね」
三連発された銃弾が、一発も外れることなくキメラを直撃し、片を付けた。
一方、真琴は瞬天速で最後の一体に肉薄していた。咄嗟に逃げ出そうとするキメラの背中を思い切り蹴り付け、地面に叩き付けると、心底愉快そうに口角を吊り上げた。
「地獄でゆっくりおやすみ♪」
真琴が戻ると、三人は肉辺と血の海の真ん中に立って何かを思案している様子だった。
「どうかした?」
「これ、なんだと思います?」
トリストラムが尋ねる。
「血まみれのプレゼント」
真琴に代わりに、キメラのあまりの醜悪さに機嫌を悪くしている澪が答えた。確かにそれは、元は綺麗にラッピングされていたと思われる箱状のものだ。ただ、今は血に塗れどす黒く変色してしまっている。
「この中のどなたかの誕生日を祝う予定だったのでしょうか」
「生存者のどちらかを祝うためのものだとしたら‥‥」
霞澄の言葉にトリストラムが居た堪れない表情で応え、
「やるせないね」
真琴が代弁した。
・突入
背後で戦闘が行われる直前、二階に突入すべく加速した四人は、僅かに緊張を孕んでいた。間に合うか。窓ガラスは割れているが、破片は外側にはほとんど落ちていない。考えるまでもなく、キメラが飛び込んだときに割れたということになる。
銃声からまだ数秒。しかし、その数秒でキメラは人間など軽く殺してしまえるだろう。今見てきた、犠牲者達のように。
「私が跳んで牽制します」
ルーシーは言うが早いか、走り高跳びの要領で跳躍した。
「練成強化いきます」
希雪は咄嗟に練成強化を施す。
地上三メートルほどまで悠々と到達したルーシーは、上下逆さの不安定な体勢ながら、構えた弓に力を篭めた。目を凝らし、室内の状況把握に努める。
「敵二匹。救援対象が危険です」
それを聞いて、小夜子、拓那の切り込み隊がいっそう加速する。
「小夜子!」
「わかってます」
部屋の中では、今まさにキメラが人に襲い掛かろうとしているところだった。目を見開き、完全に取り乱しているが、恐怖から声も出せないらしい女性と、ショットガンに弾を込めようとした体勢で動けなくなっている男性。
男性と目が合った瞬間、ルーシーは弦を離した。一直線に飛んだ矢が、一匹の背中に深々と突き刺さる。不安定な姿勢から放ったがために、致命傷には至らなかったが、注意を引くには十分な一撃だった。キメラは敵の存在にようやく気付く。
だが、遅かった。
「そこまでです」
キメラが振り向いた瞬間、割れた窓のほうから小夜子、割れていなかった窓ガラスを盛大に割って、拓那が突入した。二人は既に臨戦態勢。受身を取ると、その勢いのままそれぞれの得物を翻す。直視すら敵わないような一閃を防ぐ術など、虚を突かれたキメラには何もなかった。
血しぶきをあげて絶命するキメラを思い思いに見下ろしながら、二人が武器を収める。
「お待たせしました。お電話三分‥‥とまでは行きませんが、能力者です! 俺達が来たからにはもう大丈夫。気をしっかりもって」
ファビオとアニエスは呆然と、二人の能力者を見上げていた。
・休息
「大きな怪我もなくて安心しました」
希雪はほっとしたように練成治療を施しながら言った。
ファビオが足をぱっくりと裂かれているが、命に別状はなかった。
「おかげ様で助かりました」
ファビオは礼を言うと、キメラの死体を睨み付けた。
「しかしすごいですね。まさかあんなに簡単に倒してしまうとは」
手元のショットガンを見下ろし、悔しそうに言う。
「これでは、まるで役に立ちませんでした」
「ファビオさんがショットガンで応戦しなければ、私達は間に合いませんでしたよ」
ルーシーの言葉は励ますものではなく、事実だった。ファビオがキメラを撃たなければ、一瞬でカタがついていただろう。銃声から能力者の到着まで、ほんの数秒の出来事ではあるが、その数秒を持ち堪えられたのは、奇跡に等しい。
「とにかく、彼女が無事で‥‥本当によかった。ありがとうございます」
アニエスは小夜子にすがり付くようにして泣き崩れている。ヒステリーを起こし、大騒ぎをするかと思ったが、彼女は彼女で肝の据わった人間だったらしく、一安心だった。
「あとは脱出するだけです。私達が護衛しますから、安心してくださいね」
アニエスを優しく抱きとめていた小夜子が、ファビオに言った。
「紅茶でも淹れましょうか? 気持ちが落ち着きます」
ルーシーが荷物をまさぐろうとしたとき、外に残って敵を殲滅していたチームが戻ってきた。
「お二人ともご無事のようで何よりです」
戦闘の疲れなどまるで無いように、霞澄が微笑みかける。他のメンバーも同様に汗一つかいていなかった。
「一息つきたいところでしょうが、幸い外はまだ明るい。今すぐ脱出するのがいいかと」
トリストラムが紅茶を淹れる準備をしていたルーシーを見て言うと、ルーシーは「そうですね」と肯いた。
「足の傷も病院できちんと診てもらったほうがいいと思いますし」
練成治療を終えた希雪が同意する。
「しかし、彼らの‥‥」
ファビオはあの惨状を思い出したのか、遺体はどうするのか、とは続けられなかった。
「大丈夫です。放置なんて絶対にしませんから」
希雪にそう言われ、ファビオは同意した。アニエスは相変わらず泣いていたが、小夜子に促されると震える足で立ちあがった。
「さて、行こうか」
・脱出
小夜子、霞澄、拓那の三人に囲まれるようにして、ファビオとアニエスは庭を横切った。さらに取り囲むように、残る五人が配置されている。
駐車場に停めてある拓那の車までの数十メートル。取るに足らない距離だが、二人には酷く長く感じられた。能力者達が全員気を張り、敵襲に備えていることも一因だったが、それより、すぐそこに転がっている同僚の体が、二人の歩みを進ませることを困難にした。
バグアの侵攻や各地のキメラ騒ぎ。ヨーロッパにもその魔の手は広がりつつある。だがそれでも、比較的平和な場所にいたファビオ達にとって、これは異常な事態であった。
「‥‥キメラ、いるかも」
退屈そうにしていた澪が、辺りをきょろきょろと見回しながら呟く。すかさず希雪が懐の照明銃を取り出し照明弾を打ち上げ、八人は臨戦態勢を取った。
「いる。北に三匹ワンころ!」
真琴は覚醒するや、弾けるように駆けて行く。残る四人もそれに続いた。
「走りましょう」
小夜子の声を合図に、霞澄と拓那はそれぞれアニエスとファビオを引きずるようにして走り出した。
ファビオはもう一度同僚の亡骸を見た。これが彼らとの今生の別れになる。そう考えると、恐ろしくても目に焼き付けなければならないような気がした。さようならと、ファビオは口にせず呟いた。
拓那の車に五人では無理があったため、ファビオのSUVを拓那が運転し下山することになったが、その車内にはファビオの嗚咽だけが響いていた。霞澄も、拓那も、小夜子も、泣き通しだったアニエスさえも口をつぐんでいた。
ファビオの手には血まみれの包みがあった。
先の戦闘の最中に見つけたものだった。
拓那も小夜子も、殺された現場で何かパーティーのようなものが行われていたことには気付いていた。そして、霞澄が包みをファビオに渡した時に、すべてを察した。
掛ける言葉は無かった。じっと何かを噛み締めるファビオを、そっと見守るほかに、なかった。
「誕生日、おめでとう」
アニエスの呟きは、ファビオの嗚咽に掻き消された。
・圧倒
殲滅を任された五人は、車がテールランプの残光を引いて観測所を後にするのを確認すると、ほっと一息ついた。
「練成強化、お願いできますか」
トリストラムに促され、希雪が五人に練成強化を施す。それぞれ礼を言うと、低いうなり声をあげたまま動こうとしないキメラを、全員で睨みつけた。
「‥‥動けないようです」
ルーシーが弓を引き絞りながら言うと、真琴が呆れたように笑った。
「勝てないってわかる程度には頭がいいらしいね」
「でも許してあげない。かわいくないもん」
澪はハンドガンをキメラの額に向けながら言う。
「早く倒して犠牲者の方達をなんとかしてあげないと」
「その通り。ではさっさと片付けましょうか」
希雪に応じたトリストラムの言葉が合図になった。
それはおよそ戦闘と呼ぶに値しなかった。
覚醒した五人の能力者達を相手に、今回のキメラ三匹では到底敵うはずもなかった。それぞれの得物で、思い思いにキメラを殺した。完膚なきまでに、完璧に。
五人にしてみればただの仕事だったのかもしれない。だが、彼らの一撃には確かな思いがあった。それは犠牲者達への鎮魂歌。朱に染まったプレゼントへの返礼だった。