●リプレイ本文
――Kyrie eleison Christe eleison Kyrie eleison‥‥
夕闇に包まれた古い教会。ロシャーデ・ルーク(
gc1391)とリック・オルコット(
gc4548)は影の深いその教会の前に立っていた。
「元司祭としては気になるのかな?」
「‥‥ここは、私の原点だから」
ロシャーデは小さく詠う。祈りの詩を。
蔓の這った煉瓦の外壁。重そうな両開きの扉。静まり返った空気。――磨き上げられた、ステンドグラス。
ぎぃ、と扉が開く。突然の事にロシャーデが息を呑んだ。果たして教会から出てきたのは、
「? どうかされましたかな」
「‥‥いえ」
見ず知らずの司祭へ、言葉を返した。
――違う人‥‥仕方ないわね、7年も前だもの。
ロシャーデが薄く自嘲し、踵を返す。
リックが大股で彼女を追い、手を取った。反射的に腕を引いた彼女を強引に引き寄せ、腕の中に彼女を収める。
「コゼット」
「‥‥オルコット君」
コツ、と額を合せる2人。リックは不意に肩を竦めておどけてみせた。
「置いていくのは勘弁してくれ。パリは初めてでね」
●ある道化の演出
「やっぱさぁ、アレッスよ。悲劇より喜劇のがよくね?」
舞台裏、開演直前の役者達を前に植松・カルマ(
ga8288)がそんな事をのたまった。
「というと、死なない?」
「いやいや。テーマは幸せな死後の世界みてーな感じでッスねぇ」
疑問符を浮かべるハムレット役にカルマが首を振るや、大げさに両手を広げて天を仰いだ。
「『ああ、俺は孤独だ! 友はおれども心は許せぬ宮廷生活。父を殺され女と別れ、裏切り裏切られの茨道』。はいピンスポどーんサスばばばーん、パパもママも勢揃いきたー!」
カルマがオフィーリア役の金髪女性(21)の目前で崩れ落ち、彼女の手を取る。手の甲に口付ける振りをして言葉を続けた。
「『オフィーリア、私のした事は間違いではなかったのだな。私は、愛されてよいのか?』『ええ、貴方は愛されておりますわ、こんなにも』」
1人2役で成りきり、役者顔負けの動きで思いを表すカルマ。
ぐっと拳を握って立ち上がると、素に戻ったように自嘲した。
「ま、ガキくせーとは解ってるんスけど。なんつーか、死が身近にある身としちゃ三流でも楽しい方が好きなんで」
こんなのが来ちまって悪ぃッスね、と自分の後頭部を叩くカルマ。そんな下っ端気質溢れる彼の手を、今度は逆にオフィーリア役が握った。
「何を言ってるの。早く指導して、舞監さん」
「‥‥ッスね。じゃ個人レッスンをホテル」
「お・こ・と・わ・り」
満面の笑みで手を振り解かれた。
オ・プランタン。
老舗として今なおパリに本店を構える百貨店の前にロッテ・ヴァステル(
ga0066)と幸臼・小鳥(
ga0067)は立っていた。
「にゃぁ‥‥強引ですぅー」
「ごめんなさい。でも1人で来るのも虚しいから、ね?」
「うー‥‥いいですけどぉ‥‥お洋服とか‥‥気になりますしぃー」
照れ隠しなのか、未だに肩というか首に腕を回してくるロッテに小鳥が苦笑する。「大丈夫ですよぉー」なんてお姉さん風を吹かせて腕を解き、小鳥がえへんと薄い胸を張って手を繋いだ。
夜の街と落ち着いた照明が建物の曲線美を浮き上がらせる。2人が意気揚々と店内へ足を踏み入れた。
その、背後。
「遅くなってしまいましたわね‥‥」
メシア・ローザリア(
gb6467)は人混みに紛れ、足早に過ぎていった。
「3人で来れなかったのは残念だな‥‥」
宮殿方面からシャンゼリゼを西に歩きつつ呟いたのは、随所にフリルがあしらわれたブラウスとミニスカに身を包んだL45・ヴィネ(
ga7285)だった。そのヴィネに腕を絡められたイレーネ・V・ノイエ(
ga4317)が、返す。
「それはまた次の機会があるだろう。今は、折角の華の都を最後までヴィネと楽しみたい、な」
「姉様‥‥♪」
ヴィネがぎぅーとイレーネの腕を胸にかき抱くと、彼女の豊かな双丘が窮屈そうに形を変えた。イレーネは咳払いしてスーツの襟元を正す。
細身の黒いスーツがイレーネの身を引き締める。深呼吸して右手の路地を指した。
「確かあれを少し入った所だったな。さ、食事にしよう、ヴィネ」
「ああ‥‥♪」
2人は小さなレストランに入っていった。
パリの夜は、様々な思いを呑み込んで更けていく‥‥。
●各々の休暇と道化の熱演
「あれと‥‥それ。後、こっちも買っていきましょうか」
「ふぇ‥‥そんなに‥‥ですかぁー?」
「折角だから‥‥」
煌びやかな店内を女2人で回るのはロッテと小鳥である。
ロッテがマネキンを指差してそれらまるまるを買い上げる一方、小鳥は慎ましく桃色ショートのファーブーツを買っていたりする。後で取りに来ると店員に告げ、2人は上のフロアへ。
冬物一色の洋服エリアを漁り、バッグや小物を見て回る。普段飾らないロッテもやはり年頃の女の子らしく、花がモチーフのネックレスなんて着けてみたりしていた。
――可愛い‥‥ですねぇー。
小鳥が慈愛の目でそれを眺めていると、
「‥‥あれ、小鳥にどうかしら‥‥?」
「あれ‥‥?」
ロッテが徐に手に取ったのは、他ならぬ薄すぎる下着だった。しかも黒。さらにレース。ついでにぱんつの方は何故か前の怪しげな所が開きそうな。
「い、いいいいいらない‥‥ですぅー!? 何で‥‥どうかしらとか‥‥思うんですかぁー!?」
「折角だから‥‥」
「折角じゃ‥‥ないですぅー!」
「そう‥‥」
妙に悲しげなロッテから無理矢理視線を外し、小鳥は別の下着に触れた。ふわふわ素材でブラに猫の刺繍があり、お洒落と可愛さが調和している。小鳥が意趣返しとばかり目を輝かせた。
「じゃあ‥‥ロッテさんにはこれを‥‥お勧めしますぅー」
「まぁ其れは置いておくとして。早く次のフロアに行くわよ」「って‥‥スルーですぅ!?」
素早く戦術的撤退を行うロッテに抗議しつつ小鳥はついていく。何とも『普通』な女学生の姿がそこにあった。
「お土産も何か探さないとね‥‥」
ロッテが小鳥の手を取り、ほんの少し微笑した。
間接照明が卓上と2人を照らす。店内に充満する木と料理の香りが心地良い。スピーカーから流れるピアノが快いリズムを刻む。
ヴィネが澄み切ったコンソメを口に含むと、途端に芳醇な野菜の風味が鼻腔へ抜けた。
「さっきの広場の大道芸、凄かった‥‥」
「あれだけ賑やかな中、1発で成功させるとは度胸があったな。エリート気質の参謀どもなど見習ってほしい程だ」
「何というか、新鮮だった」
姉の苦言に苦笑してヴィネが素直な感想を伝える。ナプキンで口元を拭くと、それに合せたようにメインディッシュが運ばれてきた。
ホロホロ肉のシチュー。スプーンで肉を崩して口に持っていく。
「生まれはフランスではなかったか?」
「パリは殆ど来た事がなかった‥‥」
「そうか。だったら‥‥まあ。お姉ちゃんも嬉しい」
「?」
「その、だな。確実にヴィネの記憶に残るだろう?」
視線を外して赤ワインをぐいっと飲むイレーネ。ヴィネは義姉のそんな様子に釣られて妙に気恥しくなり、唐突に眼鏡の位置を直した。
ペリエのグラスを手に取り、ちびと喉を潤す。
「‥‥、私が飲めればもっと姉様に付き合えたのだが」
「それは将来の楽しみに取っておこう」
義妹の想いが心に染み渡る。イレーネがグラスを目前に掲げると、ヴィネはおずおずとそれに合せてきた。
ワインとペリエ。どちらも『フランスの誇り』に違いはないのだから。
「しかし良い味だな、これは。後でシェフに話でも聞いて、自分も試してみるか」
「姉様の、フレンチ‥‥!」
早くもそれを口にする日が待ち遠しくなるヴィネである。
姉妹の夜は穏やかに更けていく。
舞台上を群衆が目まぐるしく動き回る。その中で英王の側近に引き摺られたローゼンクランツ――カルマが登場すると、群衆は水を打ったように静まり返った。中央に引っ張られたカルマが必死に抗弁するも王達は無言。
側近が剣を頭上に振り上げる。光が鈍く反射した。カルマがその刃を見つめたまま両腕を天に差し出す。
「悪人は不幸な最期を、善人は不運な最期を。それが悲劇らしい。‥‥ハムレット!」
暗転。月明りだけが舞台を照らす中、剣が振り下ろされる!
「果たして君の最後は悲劇か、喜劇か。僕は暫し観劇させてもらおう!」
舞台は進む。終幕に向けて。
●全てこの世は
「ふぅ‥‥充実した買物だったわね」
オ・プランタン前。
両腕いっぱいに紙袋を提げて店を後にしたロッテと小鳥。ロッテが立ち止まって夜空を仰いでいると、小鳥が不意に紙袋を路上に置きわたわたと懐を探し始めた。
ロッテが首を傾げて歩み寄ると、小鳥が「ありましたぁー!」と歓声を上げた。
「何?」「えへへぇー」
小鳥は何かを企むような笑顔で携帯を握り締め、辺りを見回す。と、
「ここは有名な百貨店ね。入る?」
「いや。今日はいい」
「そう」
「それより俺は、2人きりになりたいね」
自分のコートを隣の女性に掛ける男。ほんのり頬を染めた女性が男と手を繋ぎ、小鳥の傍を過ぎていった。
「小鳥? どうしたの?」
「な、何でも‥‥ないですぅー。それより」
携帯を開き、カメラモードに。自撮りの要領で目一杯腕を遠ざけた。
「ロッテさんー‥‥」
「え、えぇっ」
突然の事にそっぽを向きかけるロッテ。が、小鳥の寂しげな顔が見え、気付けば頬がくっつきそうな程密着していた。
ロッテが中腰で、レンズは下から。背景に店のアーチが入るようにして小鳥がカウントする。そしてレンズが瞬くや、カシャと機械音が鳴った。
確認画面を見る。そこにはぎこちなく微笑するロッテと、彼女に抱きついて破顔した小鳥が並んでいた。
カルマが袖から舞台の成り行きを見守る。
場面は既に終盤。王妃が中央奥で崩れ落ち、ハムレットは遺体の前で友人と決闘する。友人は妹を失った悲しみや王に翻弄された苦悩を胸に、ジリと間合いを取る。
「植松さん」
「あん? どうかしたスか、オフィーリアサン。もうすぐなんで準備オナシャス」
「そうね」
薄暗い袖。小声で話す為に女優とカルマの距離は近い。吐息が肌を撫でた。
剣戟の音が響き、ハムレット達の決闘が終る。幽鬼の如き彼が逃げ惑う王を刺殺した。
「いつも、宇宙人と戦ってるの?」
「まー俺ァ適当にこそこそしてるだけッスけどね」
「嘘」
「や、マジで。そんなんだから愛に飢えてんの。ハムレットと一緒よ俺」
「嘘ばっかり。教えてあげる。シェイクスピアの『道化』は‥‥」
女優が舞台に上がる。ピンで照らされたハムレットを抱き起こし、優しく口づけた。途端にフットが全体をぼんやりと浮かび上がらせる。そこには彼を中心として死んだ友人や父や、母がいて、誰もが微笑していた。
ハムレットが宙へ手を伸ばす。オフィーリアはその手に頬を寄せた。
「『貴方は』愛されてますわ。こんなにも」
外灯とランタンだけが墓地を照らす。
ざ、ざ、と土を踏む度に嫌な音が鳴り、彼女――メシアは眉を顰めた。触れる空気は冷たく澄んで、吸い込む毎に幽世へ近付いていくかのよう。
1歩ずつ、墓の前を過ぎていく。
――2年‥‥早いものですわね。
そして1つの墓前へ。
目を伏せ、跪く。一輪の薔薇を墓前に横たえ、瞳を上げた。
ローザリア家の紋章たる、薔薇の花。それが墓に現実的な彩りを与える。
「‥‥久しぶり、と言うべきかしら」
尤もわたくしはひと時も忘れた事はないけれど、と苦笑し、息を吐く。揺れる金糸がうざったくて、瞼を閉じた。蘇ってくるのは、たった1つの残酷な光景。
自分の気まぐれで遠出した、その道中。人類圏といえどもキメラは現れる。それを失念――いや、そんな事を考えた事すらなかった自分への罰だったのだ。彼のような執事や、護衛の命が奪われたのは。
今も耳に、目に残っている。彼らが為す術もなく肉を引き裂かれ、血の雨を降らし、それでも尚『お嬢様』を逃がさんとキメラにしがみつく姿。執事は『お嬢様』の背を押して駆け出させ、自らは敵に向かっていった。
何度、時が戻ればと夢想したか判らない。もっと危機感を持っていれば。もっと早く能力者の素質があると気付き、力を得ていれば。
そう、これは力ある者の責務を怠っていた昔の自分への罰なのだ。
――だから、だからこそわたくしは。
「この力でそれを贖えるのなら、幾らでもこの身を捧げましょう」
だからどうか、お願いします。
主よ、わたくしが歩き続ける為の力を。そして、お許し下さい。
「愛しております‥‥エイリアス」
一陣の風が墓地を抜けていく。
メシアは靡く金糸を押えると、膝をついたまま背を伸ばし、執事の墓石に口づけた‥‥。
死者への愛を確かめる者がいるならば、生者の幸せを噛み締める者もいる。
セーヌ川の畔、ロシャーデもといコゼットとリックは揺蕩う水面を眺めていた。
「パリはあなたのお気に召したかしら」
「勿論。穏やかな街並みだね」
「それはオルコット君自身が今穏やかだからじゃない?」
「バグアどもとドンパチやってんのに穏やか、ね」
純粋に笑うリック。彼のコートを羽織ったままのコゼットが、腕を絡めた上で手を握る。互いが互いを失わない為に。
点々と外灯の下だけが照らされた川辺。リックは片手を柵に乗せ、川面を見たまま彼女の感触を確かめる。
「まあ、観光なんて殆どした事なかったからなぁ」
自嘲するようなリック。その姿はなんとなく、突然消えそうな、そんな雰囲気がした。
コゼットは彼を振り向かせると、その胸に体を預ける。咄嗟に支える彼を、コゼットが間近から見上げた。
「これから沢山する事になるわ」
「だと嬉しいね」
彼女の銀糸を梳るリック。流れのままに頬を撫で、顎を少し持ち上げた。
目を瞑り、自らの髪を耳に掛けるコゼット。そんな甲斐甲斐しい彼女の唇を、リックのそれが塞いだ。
吐息が漏れる。胸が溢れる。何かを確かめるように2人はキスを続ける。リックの舌に翻弄されるコゼット。んん、と彼女が白い喉を鳴らすのが解った。
どれ程そうしていたか。リックは唇を甘噛みし、漸く彼女を解放した。
「は、ぁ‥‥」
「愛してるよ、コゼット」
「‥‥知ってるわ」
2人は導かれるようにもう一度口づけた。
セーヌ川は流れ続ける。流転する世界を表すように。
<了>
2200時。
食事を終えホテルに戻ってきたヴィネは、満足してベッドに倒れこんだ。ごろんと仰向けになると、上着を脱いでネクタイを緩めるイレーネが視界に入る。
「姉様」
「どうした?」
「いい、すごくいい」
「? それよりヴィネも服を脱いだ方がいい。皺に‥‥!?」
イレーネの言葉は最後まで続かなかった。何故ならば、
「姉様っ‥‥脱げなんて、そんな‥‥!」
跳ね起きたヴィネが思いきり抱きついてきたからである。
「姉様、今夜はずっと‥‥♪」
「お、おい‥‥」
ぎぅうぅ〜と堪えきれなくなったように全力で甘えるヴィネ。イレーネは苦笑して髪を撫でた。
華の都、パリ。
全ての愛を許容する都市である。