タイトル:召しませ宇宙茶屋っ!マスター:京乃ゆらさ

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 9 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/04/13 04:21

●オープニング本文


「いいなぁ」
 リィカ・トローレ(gz0201)――ヒメは宇宙ドック内で、ふわふわと浮きそうになる身体を抑える為に手すりに掴まりながら、修復作業の進む他の艦を眺めていた。
「「それに比べて‥‥」」
 言葉を重ねて恨めしげに呟くのはアーシア・フレーニ少尉。エクスカリバー級巡洋艦カリブルヌスの艦橋で通信士を務めるうら若き乙女である。
 視線の先には、次々に外装の修繕や改修が進んでいく他艦と、作業員が3人程しかいない我が艦の姿。優先される艦があれば、放っておかれる艦もある。いじめなどではない。ただただ優先順位の問題、世は無情だという話だ。
 というのも今、隣でビカビカと改修されている艦は何やらこの後重要任務が待っているらしい。ヒメの推測ではおそらく現在みるみる計画が進みつつある火星関係の何かではないかと思う。なるほどそれは非常に大切な任務だ。それは分かる。が、分かる事がまた、やはり悔しかった。
 うちの艦もその任に着きたかった。
 別に自分が艦長という訳ではないし、所詮外部から招聘された一介のカウンセラーに過ぎないが、そう思うくらいの愛着は持っている。それに何よりうちの艦は見た目が可愛い。重装甲と居住性の為にでっぷり太ったカリブルヌスの姿は、ぬいぐるみにでもすれば良いセンいくのではないか。おっかさんという愛称もそこで重要な役割を果たすに違いない。
 ――などと現実逃避に耽るヒメである。
「「はぁ」」
 同時にため息をつき、しかし直後、アーシアは自らを鼓舞するように大音声を発した。
「ダメダメ、このままじゃダメですよっ! よりによって、この私達が、このままじゃあ!」
「よりによって?」
「はい、よりによってです! 私達こそがおっかさんにとって、貴重な頭脳なんですよっ!?」
「艦長は?」「マスコットですっ!」
「機関主任は?」「生き物係ですっ!」
「技術士官は?」「お医者さんですっ!」
「‥‥」
 開いた口が塞がらない。
 ヒメが呆然と不敵な少尉を見ていると、少尉はさらにとんでもない事を言い出した。
「そこで! 私は提案しますっ! 我がカリブルヌスは、宇宙茶屋になると!!」
「‥‥‥‥」
 意味が、全く分からなかった。

 ◆◆◆◆◆

『宇宙茶屋おっかさん、パフォーマーさん絶賛大募集中!』
 ヒメはそんな張り紙を脱力感と共に見つめ、嘆息して振り返った。
 艦内、サロンは着々と飾り付けが進み、茶屋へと変貌を遂げつつある。本格和風というよりくだけた喫茶店というイメージのサロン、もとい店内。タタミやザシキという日本の形式を取り入れた一角もありつつ、基本はソファや椅子等に座ってくつろぐスタイルだ。喫茶店というよりホームパーティに近い。
 先日の謎の提案を聞いてから少ししてヒメが軍の所有物でそんな事をしてもいいのかと問い合わせてみた。が、時既に遅くアーシア少尉が慰労だの何だのと理由をつけて許可を取っていた。そしてそれから1日で、この有様である。流石は軍人、集団作業は得意中の得意のようだった。
「‥‥まぁ、別に‥‥いいけれど」
 少尉の意図は不明――というかただ単に騒ぎたいだけのようだが、イベント自体は悪い事ではないと思う。むしろ推奨してもいい。宇宙では単調なトレーニングと任務だけの刺激のない日々というのが毒だからだ。
 ――だったら。
 ついでにこっちも色々とサプライズを用意してやろう、と思う。突拍子のないものではなく、相手に合ったものを。
 ゲイリー・ジョーンズ艦長には秘かに家族を呼んで久しぶりの団欒を。KV乗りのエリカには可愛いデコパーツを。1人寂しいクルーには親睦会という名の合コンを。アーシア少尉には驚かせる仕掛けを。
 ――じいやも、呼んでみようかな。
 半年以上前に地上の作戦で重傷を負い、入院したのを機にずっと離れていた。少し前に退院したらしく、それなら一度は宇宙に呼んでみたくはある。話したい事はたくさんあるし、それに今の職場を見せるのも悪くない。
「‥‥よし」
 そうと決まればやる事は多くなる。ヒメは各所に連絡して、
『KVパイロット急募! お仕事内容は軽作業です。詳細は面接時にお知らせします』
 という募集をかけると、サプライズの準備の為にサロンを飛び出した。

 そして1週間後。
「いらっしゃいませぇ〜っ、宇宙茶屋おっかさんへようこそぉ〜♪」「‥‥いらっしゃいませ‥‥」
 そこには、アーシア少尉とヒメ自らが給仕姿となって接客する姿があった‥‥。

●参加者一覧

/ ロッテ・ヴァステル(ga0066) / 幸臼・小鳥(ga0067) / 相沢 仁奈(ga0099) / 智久 百合歌(ga4980) / 鐘依 透(ga6282) / 植松・カルマ(ga8288) / クラリア・レスタント(gb4258) / 舞 冥華(gb4521) / 村雨 紫狼(gc7632

●リプレイ本文

「いらっしゃいませ‥‥」
 何故こんな事になったのか。ヒメは無理矢理営業スマイルを維持しながら、アーシア少尉に恨みがましい視線を送る。少尉はそれに気付いた上で、瞳を輝かせ「その調子です♪」的な身振りを返してきた。
 ――ああもう。あの人絶対出世するわ。
 いつの間にか給仕をやる事になっていて、しかもクルーも「楽しみです!」などと嬉しそうなものだから引くに引けない状況だった。少尉の根回しの良さには戦慄さえ覚える。
 が、それはともかくとして。
 ――まあ、これもいい、かな。
 開店早々ここに来て少尉の接客を受け、幸せそうにしているクルーを見るとそう思う。それが少尉の策略だとしても。
 1つ息を吐き、ヒメが気合を入れて給仕をやろうとした、その時。
「んっはああああああん!? ヒっメさんキャワイすぎィ! ちょマジ俺の為にこんな事してくれんならもっと早く言ってよ俺もうヒメさんご指名しまくりんぐNo1の惚れ直しランキング殿堂入りッスよ!! 持ってこい、俺の有り金全部持ってこ」
「煩い!」
「ギャフン!?」
 サロンの入口から突撃してきた植松・カルマ(ga8288)の頭をヒメの盆が直撃した。

●大宇宙給仕模様
「植松さんは厨房とフロアの渡し役。それに厨房の皿洗いとゴミ処理と食材整理。あ、あとフロアの掃除と混雑時の人の整理と会計と‥‥」
「え、あれ、作業多くね!?」
「‥‥できないの?」
「いやマジお茶の子朝飯前ッスわ。パシリもといオールラウンダーと呼んでくれ給え」
「そう。じゃあイベント司会もお願い」
「ヘイよろこんでェ!」
 どうにでもなれといった様子で仕事をもらって作業を始めるカルマ。ロッテ・ヴァステル(ga0066)、幸臼・小鳥(ga0067)、相沢 仁奈(ga0099)はそれを眺め、苦笑を禁じ得なかった。
「カルマさん‥‥惜しい人を‥‥亡くしましたぁー」
「見事に操られてるわね‥‥」
「やーでも楽しそやし、いいなー。ウチもええでっ、ロッテさんやったらあれっくらいの命令大歓迎や♪」
「仁奈‥‥貴女という娘は‥‥」ロッテが頭を押え、話を変えた。「それより、私達も早く準備するわよ」
「あぁん、いつもみたいにおでこぺちんしてーなー♪」「はいはい」
 3人は控え室で手早く着替えると、扉の前に立って深呼吸した。
 部屋の鏡に映るのは3人の給仕姿。ゆったりしたワンピはどことなく割烹着のようで、しかしフリル等で可愛さは忘れない。その上に短いエプロンを着け、まさに和洋折衷だ。
 が、普通に着たのはロッテだけ。小鳥は猫耳猫しっぽ肉球装着で猫メイドと化しており、仁奈は裾を上げて太腿を曝し、胸元もがっつり開いたイケないメイド状態だ。
「ふんふむ、ええ感じやなっ」
「やなっ‥‥じゃない‥‥ですぅー! そそそそそんにゃ‥‥かっこでぇー‥‥」
「とかゆーて小鳥ちゃんもヤル気満々やん♪」
「こ‥‥これはぁ‥‥いつの間にか荷物に‥‥入ってたん‥‥ですぅー」
「2人とも‥‥早く出るわよ」
 嘆息して促すロッテだが、その手は小鳥の猫耳に伸びている。小鳥が「ふぇ?」なんて上目遣いにロッテを見上げると、ロッテは腕を引き寄せ小鳥を胸に収めた。
「にゃぁっ!?」「ロッテさんご乱心!?」
 ぎゅー。ロッテが抱き締めると、小鳥も少しだけ体を預ける。ロッテは一頻り小鳥を愛でた後、照れたように扉を開けた。

 智久 百合歌(ga4980)と舞 冥華(gb4521)は自らの着物を着て座敷フロアで三つ指をつき、客を出迎えていた。
「お帰りなさいませ、旦那様♪ ささ、お食事の用意ができておりますので」
「だ、旦那様?」
「あら、ごめんなさいね。つい間違えちゃった」
 百合歌がテヘペロと微笑みつつ静々と足を引いて立ち、客の上着を脱がせる。その挙措は絵に描いた大和撫子そのもの。百合歌は客が狼狽えているのを確認すると、忍び笑いを漏らして席へ案内する。
「ん、おしぼりー。めにゅーはこれ。なぞのうらめにゅーはじょーれんさんのおたのしみ」
 冥華が卓の傍に正座したままお絞りを渡す。客が受け取った瞬間、冥華はだらりと百合歌にもたれかかった。
「冥華もーつかれた。せーざむり」
「正座じゃなくていいから。ほら、女の子は何事も我慢よ」
「うー」
 客が選んでいる間に冥華を宥めて厨房へ入り、百合歌が前以て用意していたものを持っていく。
「これ、サービスです」
「え、あ、ありがとう」
「ふふっ、でも内緒ね。私が作ったものだから数が少ないの」
「は、はい‥‥」
 こっそり耳打ちして卓に置いたのは、1枚の葉に乗った桜色の餅。客がそれを口に運ぶ。
 口に入れた瞬間の、葉の若々しい香り。咀嚼する毎にもち米の形を多少残した餅が甘い餡と溶け合っていく、独特の舌触り。
 百合歌がそんな桜餅の味を思い出しつつ客の様子を窺っていると、客は目を見開いて桜餅をまじまじと見た。
「美味い‥‥これがアンコってやつですか?」
「よくご存知ね。苦手な人もいるんだけど、貴方は好きそうでよかったわ」
 極上の微笑。
 百合歌が心の中で快哉を上げた、その時。
「な、な‥‥なんちゅー武器を!」
「え?」
「あかん、このままやったらウチら負けてまう! ロッテさん、小鳥ちゃん、ウチらも攻めてくで!」
 フロアに、謎の宣言が轟いた。

「2名様ごあんなーい」
 俄然やる気の仁奈が兵卒らしき男2人を引き連れ席へ行く。
 小鳥はボトル入りの水を慎重に運んで手渡しに成功すると、ほっと息をついて汗を拭う。ふと近くの卓の空いた皿が目に入り、そちらへ向かった。
「にゃぁ‥‥何とか‥‥なりそうですねぇー」
 なんて気を抜いて。すると当然小鳥を絡め取らんとしてくるのが自らの脚である。
 皿を持って厨房へ戻らんとする小鳥。浮遊しかけた瞬間、前につんのめった。だが小鳥とて今までとは一味違う。無理に慌てず上体を反らして腕を広げ、なんと持ち直したではないか!
 ロッテの瞳が驚愕に見開かれる。小鳥が軽くドヤ顔でロッテを見た。ロッテが何かを指差す。小鳥が目線を下げると、持っていた筈の皿がない。素早く見回す。発見。前方の壁に衝突コースだ。小鳥が一気に跳んで皿を掴まんとした――刹那。
 ここぞとばかり、脚がもつれた。
「小鳥!」「にひぃんっ!?」
 びだーん!
 小鳥が強かに顔面を打ちつける。ちなみに皿はプラ製だったおかげで無事だ。踏んだり蹴ったりである。
「おおぉ‥‥」
 客がその職人芸に感嘆の声を上げる。と、転んだ小鳥のワンピ裾がふわと捲れ、白く細い太腿が露わにな――
「やぁん、小鳥ちゃんばっか見とらんとウチも相手してや♪ あ、でもあれやで、じゅーはち禁はあかんで、ふーえーほーで営業停止や!」
 仁奈が椅子の背にしな垂れかかって言った。客の目が仁奈に向く。
「そりゃ大変だな!」
「せやろ?」
「今から許可もらい行ってくる!」
「せやせ‥‥て何でやねん、てかどこに許可もらうん!? とか言うとる間ぁに、白玉あんみつお待ちどぉ」
 ロッテから受け取り、卓に置く。客がスプーンを持とうとした時、俄かに仁奈の瞳が輝いた。
 ――向こうが和服に手作り和菓子ならこっちはコレや!
「ちょぉ待ち」「え?」
 スプーンを取った仁奈が、餡と白玉を掬って左手を添え、客の口元へ運んでいく。
「ほれ、お口拝借と‥‥あーん♪」
「なん‥‥だと‥‥!?」
「あ〜〜〜ん♪」
 ごくり。客が唾を飲む。同時に周りの男性諸氏も注目した。
 おずおずと口を開く客。その口腔へ、仁奈が白玉を放り込んだ。咀嚼し、飲み込む。瞬間、客の目尻がだらしなく下がり頬が紅潮した。
 えもいわれぬ幸福感。これぞ、あーんの力であった。
「今だけのサービスやで‥‥♪」
 伏し目がちに呟く仁奈。客が生唾を飲み、視線が胸元に向いたのを仁奈が確認する。誘われるように客が手を伸ばし――
「ロッテさん、小鳥ちゃん、こんな感じでいこか!」
 ひらりと、仁奈が立ち上がって2人の許へ。客、生殺し。小鳥、唖然である。
「え、えと‥‥で、でも私に‥‥してほしい人なんて‥‥いな」「給仕さんこっちもお願いします!」
「ふえ?」
「そこのちびっこいレディ、ぜひお願いしたい!」「ちびっ!?」
「折角だから俺はミスヴァステルを選ぶぜ!」「‥‥」
 何やら騒然とし始める店内。ロッテが小鳥の背を押し、
「観念なさい、小鳥‥‥」
 ひくひくと慣れない愛想笑いを頑張って作り、言った。

●彼と彼女達の夢
 一部が熱狂しつつある店内だが、窓際や隅ではのんびり1人を、あるいは普段あまり接する事のない人々との会話を楽しんでいる者達もいる。
 鐘依 透(ga6282)は騒ぎを横目に見やり、目を細めて独りごちた。
「いいなぁ、やっぱり。こういうの」
「お客様、何かございますかー?」
 丁度通りかかったアーシアが卓の端を掴んで急停止する。「いえ」と透が少尉を見上げた。
「‥‥素敵、ですよね。この艦」
「ありがとうございますっ、何たって私がキリモリしてますから!」
「確かに」透が苦笑して「だからきっと笑顔が溢れてるんだと思います」
「ですよねやっぱりわたえぇええ!? あ、あぅ、その、ありがとう、ございます‥‥」
 いざ面と向かって認められると弱い少尉である。
「宇宙艦だって戦争だけじゃないって、艦が主張してるみたいで僕は好きです。それにこの艦は見た目も可愛いですしね」
「で、ですよね! いつか商品化しようと私も常々‥‥」
「なら僕がぬいぐるみ作りましょうか? 材料があるなら頑張ります」
「いいんですか!? じゃあ今持ってきます!」
 予期せぬ商談成立である。少尉が慌てて出て行くのを見送り、透は正面の爺や――ヒメの老執事に視線を戻した。
「っと、すみません。じゃあそちらで合図をお願いしてもいいですか?」
「それは構いません、が‥‥うぅむ、しかし」
 どうやら爺やはまだ納得できていないようだ。花火でなく、ヒメのお相手について、だ。
 ――まだまだ大変そうだけど‥‥頑張ってほしいな。
 透が心の中でカルマを応援していると、村雨 紫狼(gc7632)が手を振ってやって来た。
「今回はよろしくな! 艦内と合せてバッチリ良い感じに打ち上げてやろうぜ!」
「はい。内部との中継はこちらのお爺さんにお願いします」
「おう。平和の艦! いいじゃねーか。この店は今回限りかもしれねーけどよ、こういう平和の為っつーか、いや地球守ったりすンのも平和の為だけどそうじゃなくて」
「解ります。宇宙艦という非日常的な物が日常生活の中にあるような、そんな未来を想像できる艦ですよね」
「んーまぁ多分そんな感じだ! とにかくよ、頑張ろうぜ。俺はちょっと知り合い探してくるわ」
 飛ぶように去っていく紫狼。透がボトルの珈琲を一口含んだ時、アーシアが胸に布やら綿やら山ほど抱えてくるのが見えた。
「お待たせしましたぁー! これで思いっきり可愛くお願いします!」
 その真剣すぎる眼差しは、透にとって充分な報酬だった。

 不思議と静謐な、何かの膜に覆われたような空間だった。
 遠くフロアを駆け回るカルマの姿。和服の冥華が何故か客を引き連れているのも見える。けれど、ここが波立つ事はない。窓際の角。卓には88の番号が振られている。
 鉛筆を紙に走らせる音が小気味よく響く。クラリア・レスタント(gb4258)は服のラインを描くと、顔を上げて対象を観た。
 対象――リィカは卓を回って水を注いでいた。不意に目が合い、給仕姿のリィカが来る。不可視の膜などなかったかのように。
「どうしたの?」
「いえ、その。夢みたい‥‥だなぁって。こうして、いられるのが」
「‥‥、そっか」
 今まで、彼女に多くを語った訳ではない。今後彼女から求められれば話すかもしれないが、でもきっとそうなる事はないと思う。
 何かがあったから以前の私がいて、何かを乗り越えたから今の私がいる。
 それだけ解っていれば、多分彼女にとってはいいのだ。少し寂しくもあるけれど、そんな彼女が羨ましいとも、思う。
 リィカが薄く笑い、
「ならほっぺたつねってあげよっか」
「それはちょっろ‥‥っれもうひっはっれるりゃ、らいれすかっ」
「ふふっ、ごめんなさい。クラリアさんが可愛くて」
「うー‥‥」
 頬を擦って水を飲んでいると、彼女が体を乗り出し絵を覗き込んできた。香水か何かの少し甘い匂いが仄かに香る。間近でまともに目が合い、やや俯――こうとしたら、彼女がそれを許さなかった。
 少女漫画の男の人がするように、くいと指で顎を持ち上げられる。彼女の唇が開かれ――
『‥‥ん、あー。あー。うちゅー茶屋のおまえらみんなたちに冥華おんすてーじをおとどけ』
 その時、突如店内に冥華の声が響いた。辺りを見回すと、適当に装飾された舞台中央に冥華がいる。
 さっき駆け回っていたのはこの為か。冥華が続ける。
『でぃなーしょー。じゃなくてらんちしょー。せつえーはうぃるごちょー他。おんきょーはちょっとしかないから百合歌ががんばる』
「えぇっ、私!?」
 座敷の方から声が上がる。アポなしのようだ。
『だめ?』
「や、いいのよ、むしろ大歓迎? ただ少し驚いただけで」
『ん、じゃよろしくー。いっきょくめは‥‥』
 問答無用で自分のペースに持ち込む冥華。凄いというか、それで嫌味に感じないのだから得な性格である。
 リィカも姿勢を直して舞台に注目する。クラリアが胸に手を当て深呼吸した。
 百合歌のヴァイオリンが伸び上がる音色を紡ぎ出す。
「‥‥あの。これからも、この艦に?」
「ん? 私? そうね‥‥」
 冥華の舌足らずな歌が始まる。


♪おはよーの 一言で おねむの時間は もうおしまい

 冥華は無重力でボックスを踏めない代りに体を揺らし、両手で持ったマイクに歌を乗せる。
 幾度となく繰り返してきた歌。様々な所で見てきた舞台からの景色。
 照明が眩しく、ぼんやりとしか人の顔は見えない。でも解る。あぁここか、と。この艦では前から4列目下手から2番目にいつもの人がいて、アフリカの舞台では中段上手寄りにいつもの人がいる。違うようで同じ景色。同じようで違う景色。気付けば今まで立ってきた舞台が自分の中にあって、歌えばそれだけで全ての舞台に行ける。
 だったら。
 だったら、この歌を本当に聴いてほしい人にも、届いているんじゃないかと思う。だって色んな舞台に行く事ができるのなら、どんな所にいても聴こえる筈ではないか。
 それなら恥ずかしい歌を聴かせる訳にいかない。頑張って、頑張って、いつかきっと会った時には褒めてもらうのだ。
 その為に、歌い続ける。それだけが「ここ」にいたまま皆を感じる事ができる方法だから。
 ――ついでに冥華のげぼくにもお歌でたのしんでもらえるし、いっせきにとり。すっごくおねだんいじょー。
 冥華のリズムに合せ、一体となった客がスイングする‥‥。


♪歩き出そう 希望抱いて この空を 私達の セカイを取り戻そう

 どこかが違う。冥華の歌を聴き、クラリアはそう感じた。
 同じ事務所所属として、少なからず冥華の歌は聴いた事がある。が、その時より何かが違った。思いの方向性と言おうか。アイドルとして耳に快い歌というだけではない、明確な意志を感じるのだ。
 ――いつからなんだろう。こんな歌を歌うようになったのは。
「‥‥伴奏」
 リィカの視線を追って百合歌を観た。流れるような旋律を楽々こなした上で踊るようなピチカートを加えていたりする。しかし何より心を奪われるのは、音色が全力で伝えてくる事だ。
 私はここに、舞台にいたいと。
 そんな伴奏に引っ張られて冥華の思いが募り、それがさらに百合歌にフィードバックする。クラリアはじっと舞台の冥華を見つめた。
「‥‥さっきの話だけれど」リィカが徐に窓の外へ目を向ける。「暫くはここで働いて、その後は‥‥」
「後は?」
「うちに帰る、かな。家の事もあるし。それにこれからは能力者も非能力者もほぼ同じ戦場で戦えるでしょう。なら、私も実家に腰を据えて戦わないとね」
「ふふ、そうですね」
「貴女は?」
 伸び上がる旋律が琴線に触れてくる。胸で揺れる青い石を握り締めた。瞼を閉じ、息を吸う。
「私は‥‥世界を、歩いてみようと思います」
「文字通り、世界中?」
「はい。今まで色んな所、行ったけど‥‥それは依頼だったから‥‥だから、自分の意思で‥‥見て回りたいんです。知らない事だらけ、だから」
「‥‥そっか。助手兼友人としてうちに欲しかったのだけれど、それはお預けね」
「お預けです。またいつか、会った時に」
 我侭な生徒に言い聞かせる口調で言うと、リィカは虚を衝かれたように目を丸くした。
「貴女、変ったわ」
「もしそうなら、半分は貴女のおかげです」
「もう半分は?」
「内緒です」冗談めかして微笑し、深呼吸した。「‥‥私、貴女に‥‥リィカさんに会えて‥‥本当によかった」

♪飛び立とう 希望抱いて この空を 私達のミライを守り抜こう ココロに 明日信じて

 歌声が響く。それに紛れるように、けれど確かな熱を持ち、リィカの声が聴こえた。
「卑怯よ、不意打ちなんて‥‥」

●男達の聖戦
 雑用、もといオールラウンダーとして八面六臂の活躍を続けていたカルマは、客が一旦落ち着いた事で漸く休憩にありつけた。
 時計を見ると既に1500時過ぎ。昼食も碌に摂れないとんだブラック店である。
「ま、イイんスけど」
 自分が手伝いたいだけだし。てかリィカちゃんの給仕姿もあらゆる角度から見れるし。
 何故カメラを持ってこなかったのか。ただそれだけを後悔しながら控え室に入り、どっかと椅子に腰を下す。賄い丼を長机に置き、荷から本を取って机に広げた。
 丼を手に持ち、淵に口をつけて勢いよく米をかき込む。米の上に乗っているのは親子丼的な何か。何かの肉を卵と出汁でとじただけの丼だが、出汁が効いているのか仄かに広がる風味が‥‥いやよく解らないが美味い。
 とにかくそれをかき込み、本を読み進める。
「アー‥‥ケインズサンが‥‥えー‥‥フローの‥‥じーえぬぴーが‥‥。‥‥俺のターン! フロー、ケインズカード! 場のストックを生贄にGDPカードを召喚!」
「‥‥」
「貴様に地獄を見せてやろう‥‥魔法カード『見えざる手』を発動! これで今貴様の場にあるカードはこのターン行動できねェ!」
 ばっ、ばばっ。
 身振りまでつけて高笑いした時、ふと気配を感じて後ろを見てみた。
 人がいた。
「‥‥な、なーんつって。ハハハいやぁ懐かしッスよねぇーHAHAHA」
「‥‥ですなぁ。私も幼少のみぎり、よくやったものです。ふ、ふろぉ? うんたら‥‥かぁど! お主のかぁど? はもはや‥‥」
「いいよもういいッス逆に惨めだろチクショウ! 無理矢理ノッてくれなくていいんスよ爺さんっ」
 何かもう居た堪れなくなった。
 カルマは深呼吸して本を閉じ、後ろの――リィカの老執事に向き直った。以前はなかった杖を持っている。
「で、何スか? 多分夕方からまた混み始めるんで、なるべく早めでオナシャス」
「‥‥その本、勉強しておるのか?」
 目を細めて睨めつけてくる爺。何となく見咎められた気分で懐に隠した。
「や、まー‥‥別に」
「何を恥ずかしがっておる気持ち悪い。隠さんでよいわ」
「う、うるせー! いいだろ別に。チンピラにも色々あるんスよ」
「‥‥そうか。勉強か」
「ま、バグア本星の最深部まで行ったこの俺にかかりゃ、こんなもん楽勝なんスけどね! 復習? 基本を忘れない俺っつーの?」
 じっとガンを飛ばしてくる爺。負けじと下から舐めるように睨みつけんとした時、爺は嘆息して視線を外した。
「全くお前という奴は‥‥意味が解らん。どこまで本気なのだ。本当に勉強する気があるのか?」
「モチ。体力だけじゃなく頭脳でも力になれねーと拙いっしょ。惚れた女の力によぉ」
「‥‥‥‥、そうか」
 爺は再び深く息を吐くと、観念したような、覚悟を決めたような、そんな表情を見せた。
 真正面から視線がぶつかる。爺の背がピンと伸び、心なしか威圧されそうな何かを感じた。
「ならば私が教えてやってもよい。政治経済から物理学、ご近所の奥方との会話術から社交界での身の振り方までのう。よいな」
 答えは、決まっていた。

「おおい、そこのダニーとジル! 聞いたか、合コンするらしいぜ合コン!」
 紫狼は冴えない顔で来店していた2人に声をかけた。軽く手を挙げた2人に近付き、ダニーの肩を叩いた。
「どうよ最近! ってまあその顔見りゃ解るけどよ、だったら合コン行こうぜ!」
「と言われてもね、ミスタ。そういった場が最も苦手なんだ」
 放っておいてくれとばかりエールを呷るダニー。ジルが肩を竦めてみせる。
「こいつはずっとこんな調子でな、ムッシュ。やはり少尉を忘れられんらしい。それならいっそ力尽くでモノにしようとして嫌われるか配置転換されちまえと思うんだが、どうやらそれも嫌だと」
「‥‥、そうか」
 紫狼はペリエを頼む。瞑目すると、一瞬間を置いて思いきり腹に力を込め、
「ッ、何やってんだ馬鹿野郎――――!!!!」
「いぃっ!?」
 仰け反りかけたダニーの胸倉を掴み、カッと目を見開いて引き寄せる。
「いいか! これからはお前達の時代だろうが! いや俺もぜってー負けんが!」
「は、はぁ?」
「とにかくお前達の時代なんだよ馬鹿野郎! 地球種を未来に残す、その為の戦士だぜ俺達はよ! 前も言ったな? 俺は嫁がいる。世界いや、宇宙一最高の嫁だ! 最も熱いカッポーと言っても過言じゃねえ!」
「おいおいムッシュ、そういうのは本人に言ってやれよ」
「勿論言ってる、そしてここでも言う! 何故なら愛が溢れて仕方ないからだ」
 茶化すジルにキッと断言し、額をくっつけてダニーを射抜く。
「なあ、ダニー。少尉の事は忘れなくていい。ただ、そのままでいいから周りに目を向けてみろよ。艦の機関だけじゃねえ。少尉だけじゃねえ。もっと色んな女や、風景や、夢を見て心を動かせよ。ハナから下を向くと決め付けてちゃ何にも感動できねえぜ」
「ミスタ‥‥」
 ダニーがおずおずと見つめてくる。
 紫狼はその双眸を見返し、掴んでいた胸倉を放して座り直す。ヒメが持ってきたペリエを受け取ると、ぐっと一口呷った。
「‥‥行けよな、合コン。別に飯食うだけでいいからよ、遊んでみようぜ。ま、俺は嫁を裏切れないから行かないんだけどな」
 にやりと笑う。ジルが誘うように笑いを合せた。
「ハ。そりゃないぜムッシュ、ここまで人を煽ってよ。今日だけだ、あんたも付き合って‥‥」
 ジルが言い差した時、傍に誰かが立ち止まった。紫狼が見上げる。透だった。
「そろそろ準備に入りましょう」
「おう!」
 ペリエを飲み干し席を立つ。嵐を見送るような目の2人に、言い放った。
「悪いな、こう見えて仕事はキチっとこなす主義でよ。またな。ダニー、後で結果聞かせろよ? 何ならあれだ、外宇宙でエイリアン美女でも探すか?」

●遊覧艦おっかさん
 1630時。艦内通信が流れると、艦は徐に動き出した。
 重々しい振動がこちらにまで伝わりそうなゲートの開口。人類の叡智の結晶とも呼ぶべき扉を抜け、大海原へ漕ぎ出した。
「はぁー‥‥やっぱり安心‥‥しますねぇー」
 加速による重力を全身で感じながら地に足をつけ、小鳥は店の卓に突っ伏して休む。ちなみに猫耳だけは外していない。
 ロッテと仁奈が同じ卓を囲んだ。
「重力があれば‥‥床に頭をぶつけるだけで済むからね」
「にぇ?」
「確かに。無重力やとどこにすっ飛ぶか解らへんちゅーのがあれやな、こっちも気が気やない、いうか」
「転ぶの前提で話すの‥‥禁止ですぅー!」
 頬を膨らませて抗議すると、2人から同時に手が伸びてきてわやくちゃにされた。小鳥が魔の手から逃れんと身を捩る。
 と、不意に腕の隙間から艦長が歩いていくのが見えた。隣に女性と子供がいる。ここ半日姿が見えなかったが、おそらくカンパネラで過ごし、周遊に合せて艦に来たのだろう。
 ――家族、水入らず‥‥かぁー‥‥。
「あら‥‥あれが例の艦長の」
「例のってなん?」
「この艦でよく自慢してるのよ‥‥熱烈にアプローチして落しただとか‥‥自分より凄い息子だとか」
 ロッテの説明に仁奈が苦笑する。小鳥は気付けば魔の手への抵抗も止め、ただぼーっと艦長達を目で追っていた。
「幸せそう‥‥ですねぇー」
「そうね」
「こっちまで‥‥あったかくなりますねぇー」
「せやな。何や元気もらえるわ」
 ロッテが頭を撫でてくる。形ばかりの抵抗を見せた後、下りてきた手を掴まえて猫がするように頬から首筋を擦りつけた。
「仁奈はこの後‥‥どうするつもりかしら」
「ウチ? ウチは日本に帰ろかな思て。傭兵になってガッコ休学しとったからね」
「そう‥‥」
「おとんも妹も煩いねん! 勉強せぇやの何やの。‥‥ま、ええねんけどな。口喧しゅう言うてもらえるうちが花、いうし」
 仁奈に目を向ける。彼女も、やはり艦長一家を追っていた。羨望に似た何かを抱いて。自分も同じような顔をしているんだろうと思うと、何だか少し面白かった。
「じゃあ‥‥会いづらくなるわね‥‥」
 ロッテが僅かに声を落すと、仁奈は殊更明るく笑う。
「ロッテさん達はスペインの方やろ? あっちの人に宜しゅうな♪」
「たまには遊びに‥‥来て下さいねぇー。歓迎‥‥しますぅー」
「勿論私達からも‥‥行かせてもらうわ。貴女がきちんと勉強してるか確認に」
「遊びにやないのん!?」仁奈が堪忍してと言うと、今度は一転していやらしい笑みを浮かべ「んー、そしたらウチは10ヶ月と10日後に遊びに行こかね♪」
「10ヶ月と‥‥ってぇー‥‥っ、な、ななな何‥‥言ってるんですかぁー!」
「あや、ウチはなぁんも言うとらんよ? 1年経たんうちに行こかて考えただけやで?」
「っ‥‥」
「なーロッテさん♪」
 顎に手を当て何やら思案していたロッテが、とんでもない事をのたまった。
「そうね‥‥その時に備えて私も料理の特訓をしておくべきかしら」
「「えっ?」」
「何、その反応‥‥。いい、2人とも。料理くらい私にもできるわ。できる筈なのよ‥‥?」
「ちょ、あかんてロッテさん。根拠のない自信は身を滅ぼすで!」
「根拠ならあるわよ‥‥私のこの体が、心がそう言ってるもの」
「何それカッコええ!」「だだだめですぅー!」
 ロッテを止めるべく、小鳥は言い放った。
「あっちでは‥‥私の料理を食べてもらうんですぅー!!」

「さ、どうぞ。お作法とかありますけど、この場は気にせず楽しんで下さいね」
 座敷。加速中を狙って百合歌は抹茶を点て、卓に茶碗を置いた。仄かに緑の匂いが立ち上る。客が碗を取り、恐る恐る口に運んでいく。
 本当は濃茶を練りたいところだったが、宇宙で新鮮且つ上質な抹茶を手に入れるのは難しい。流石に粗すぎる苦味で抹茶自体に嫌悪感を抱かれるのも困る。そこで薄茶にしたのだが――
「Oh‥‥Japanese ZEN‥‥」
 謎の感想だが、眉根を寄せて苦味に耐える表情は想像通りである。百合歌が最中や干菓子を差し出すと、客は途切れ途切れに礼を言ってそれを口にした。
 そして食べた瞬間の、甘味に救われたような顔。大の大人、しかも軍人が見せるそんな姿に、百合歌は胸が温かくなるのを感じた。
「ふふっ、本当はお菓子を食べてから飲むんですよ」
「うぅむ‥‥ならば先に出してくれればいいものを」
「堅苦しい場ではありませんし、何事も経験です♪」
 客が菓子を味わうのを見ながら、百合歌は未だ体の芯で燻る感覚に敢えて触れた。
 冥華のライブ。小さいとはいえステージに変りない。照明の熱。舞台からの景色。皆の歓声。何より舞台が好きなのだ。曲を聴いた人達が、様々な表情を見せてくれるのが。
 抹茶でも料理でも、戦闘でも接客でも、人を幸せにする事はできる。でも、だから自分は音楽がいい。沢山の選択肢の中から選び取るからこそ、その音楽は尊いものになるのだ。
 戦闘に身を投じて5年余。この日々は、自分の音楽に声を与えてくれた。最前線の人間だけが解る世界と、生きる渇望を与えてくれた。弾きたいという、どうしようもない衝動を与えてくれた。
 楽士として生きる。
 漫然と振り撒いていた何かが凝縮された。そんな気がした。
 そこに、
『――さぁ怠惰を貪るお前ら皆達、おっとMayちゃんのMCが感染っちまったぜい。だがそれがいい!』
 突如店内にMCが響いた。百合歌が目を向ける。カルマだった。
『さてお前ら、本日の夜のステージはこの後すぐ! ちなみに飛び入り参加全力応援なんでガンガン宜しくゥ!』
 百合歌が、着の身着のままヴァイオリン1本を持ち立ち上がった。

●魂の在り処
『村雨紫狼、出るッ!』
 勢いよく飛び出すタマモに続き、透はミカガミ――代鏡の出力を上げた。
 艦を離れる2機。透が爺やとの通信を繋げた時、不意にどこからか合金的な何かが重なるSEが聞こえてきた。タマモが弾丸の如く回転しながら一気に急上昇する!
『ぁ真紅の翼に希望を乗せて! 駆ける銀河の守護戦神! 地球を狙う悪魔の野望! ハッ木っ端微塵に打ち砕く!!』
 じゃらっちゃららっちゃー、なんていうBGMが何故か透の脳内に直接聞こえてくる(気がする)。遥か上でタマモが急停止するや、胸に何かを抱くように手足を縮め、
『超魔導合神ブレイブダイバード、宇宙に荒ぶる正義の炎ッ! 見・参ッ!!』
 何かを解き放つように手足を広げる!
 どがーん。透は背景に謎の爆発を幻視した。
「‥‥えっと」
『くぅ〜、決まったぜ! やっぱ前口上って大事だよな!』
「‥‥。あ、ダイバードさんこっちお願いします。司会のお姉さんが敵に捕まりますので、そこで跳びながら出る感じで」
『て何でキャラショーなんだよ! ショーは巨大ロボ出ねーよ!』
「あ、爺やさん続けて下さい。こっちの準備はほぼ完了してます」
『――こちらはダンスが始まりそうですな。まだ待った方が宜しいかと』
『おっと合コンの奴らも観察しといてくれ、いいトコで打ち上げてやんねーとだからな』
『――かしこまりました』
 とりあえず紫狼とは適当に話にノっておけば合せられそうだ。
 透は短く息をつき、計器を確認する。異常なし。機内を見回す。磨き上げられた各部が鈍く光る。新品のような光沢ではない。落ち着いた輝き。それが良い。修理の跡も微かに判る。それが、愛おしい。
 ――行こうか、代鏡。誰かの笑顔の為の、平和で大切なお仕事だ。

「こんにちは皆さんっ! 今日という日に、皆さんと会えて、私は幸せです!」
 クラリアが壇上で手を振ると、観客が返してくる。その中に、クラリアは見た事のある顔を発見した。
「あの、そこの左の‥‥はい、貴方はもしかして、以前アフリカにいませんでしたか?」
「え、自分、ですか!? 確かにおりました。そして貴女を見た事もあります」
「やっぱり! じゃあ今日は再会も祝して、ですね」
 騒然とする店内。
 久しぶりの舞台とあって妙に緊張する。けれど以前見かけた人もいた。それにリィカもいる。そう思うと、不思議と落ち着けた。胸元に目を落す。エスニック風の衣装。今ネックレスはしてないが、いつもそれが触れている位置が少し熱いような気がした。
「皆さん楽しんでいって下さいねっ」
 クラリアが肩越しに後ろを見る。百合歌が弓を僅かに叩くように引き、ヴァイオリンの音が響き始める。
 陽気な曲調。流れる旋律に乗り、腰や肩から腕を揺らしてゆったり歩く。猫のように腰から背中をくねらせれば、天の何かを仰がんと両腕を伸ばす。肢体の繋がりを意識したエスニックダンスが妖しい空気を作っていく。
 客席はあまり見えない。真っ暗な世界の中で自分だけが舞を強要されている。そんな錯覚が襲ってくる。
 舞え。舞え。舞え。お前の魂を我に捧げよ。
 ――幾らでも。森羅万象に溶ける事ができるなら。
 全ての「言葉達」が、クラリアの中に下りてくる。

 この世のものと思えぬ踊り。その形容に必要なのは技術や表現でなく、何かに魂を捧げるか否かではないかと、リィカは思う。
 そしてクラリアの舞は、確かに「この世のものと思えぬ」と言うに相応しかった。
「はー、あのクラリアちゃんがこんな、ねぇ」
 植松カルマが口をあんぐり開けて感想を漏らす。他の観客も何かに魅入られたように彼女を見つめていた。
「‥‥何だか」
 いつか消えてしまいそうな不安が付き纏う。
 そんな事ある筈がない。気分を変えようとグラスを手に取りちびっと飲み物を舐めた。
「何やってんスか。それアルコール入ってないっしょ。だってミックスj」「シンデレラ」
「ミッk」「シンデレラ」
「‥‥」
 向かいに座る彼がそういえばなどとわざとらしく話を変えた。
「あんさ、そういやリィカちゃん俺の事名前で呼んだ事なくね?」
「‥‥気のせいじゃない? それより今は踊りを見」
「やーこれ俺にとって割と大切なんで。残念ながら気のせいじゃないんスわ」
 舞台に視線を戻しかけると、彼は強引に右手を掴んで話を続けてきた。左手でその手を引き剥がさんとする。爪が肉に食い込んだ。
 彼はじっと見つめてくる。音楽は変らず陽気な調子を響かせ、窓の外には広大な宇宙が広がっている。どの辺りを進んでいるのか、地球と月の両方が見えた。
「呼んでほしいなぁ〜チラチラ」
「‥‥そ、そんな事気にしてバカでしょう。些事に拘泥する前に大きな事に目を向け‥‥」
「だから、言ってんじゃん」彼が席を立ち、ゆっくり歩いてくる。「俺にとってこれ大切だって」
 隣に立ち、見下してくる彼。精一杯不快感を込め睨み上げるが、彼は意にも介さず顔を近づけてきた。
「‥‥どいて、よ」
「呼んでくれたらいいスよ」
「‥‥やだ」
「何で」
「どうでもいいでしょ」
「そ」
 遠く音楽が耳を抜けていく。彼の瞳に自分が映っているのが見えた。香水の匂い。キツい訳でなく、何故かくらくらした。目が回る。無性に胸が苦しくなった。
「わた‥‥し、うえ‥‥か、かる‥‥」
 無意識に言葉が漏れかけた、刹那。
 外が、弾けるように明るくなった。
 花火。色とりどりの、空の花。
 音もなく、ただ振動だけが艦を通して伝ってくる。ぱらぱらと寂しかったそれが次第に量を増していき、客も気付き始めた。驚きに満ちた声があちこちで漏れる。赤や黄色や青や緑、様々な光が弾けては散り、また弾けては宇宙を照らしていく。
 青き地球と寄り添う月の間へ向けて航行する艦。その頭上に、巨大な光の花が咲く。
「‥‥、かるま、さん」
 我知らず呟いていた。
 自分で仕掛けたものでこんなになってる事や、何故か解らないけれど名を呼ばない事で自立心のような何かを守っていた事や、色々な事がどうでもよく思えた。それだけの力が、花火にあった。
 花火に目を取られていたカルマがこちらを向く。深呼吸すると、僅かばかり残っていた自意識を総動員して虚勢を張った。
「後で覚えておきなさいよ‥‥か、るま、さん」

●平和をもたらす者
「むふー。しょーげきのげんばをおさえてしまった。早くじょーえい会のじゅんびせねばー」
 てててー、とビデオ片手に駆け出す冥華。脅威のパパラッチに、カルマもヒメも気付いていない。
 百合歌は壇上からそれを見かけ「あらあら」と胸を躍らせた。
 ――また面白い事をやってくれそうね。でも、まだ私の番よ♪
「クラリアさんの踊りも終って壇上が寂しいわ。でも折角だから今日は私の国の曲ともう1曲くらい、弾かせてもらいますね」
 さくら。
 春の息吹を感じさせる音色。目を瞑って呼吸すると草の匂いまでしてきそうで、百合歌はただただ己の心と曲に身を委ね、音を紡いでいく。
 弾く。もとい、情動に弾かされている。
 心地良い束縛を百合歌は受け入れる‥‥。

 さくらの音色が通信越しに聞こえてくる。
 美しく、儚いさくら。透は瞑目し、機内の空気を存分に吸い込んで己の海に飛び込んだ。
 ――代鏡、平和なお仕事は楽しかったか? 僕は、楽しかった。
 右手を操縦桿から放し、コンソールに触れる。目を瞑っていてもどこに何があるか判る。ずっと、ずっと、ここで戦い続けてきたから。
 ――もっとこういう仕事がしたいな。お前もそう思うだろう?
 さくらが終り、数拍の間。百合歌の声が届く。
『次は、金星を』
 初めて聴く曲だった。優しく天高く伸びる孤高の音色。それが次第に地上へ下りてきて、豊かな大自然に囲まれる。そしてゆっくり、ゆっくりと時は過ぎていく。快い夢だ。
「払い下げ申請‥‥そろそろしないとな」
 目を開き、機内をまた見回す。修理跡を撫でてやると、代鏡が喜んだように感じた。

●The Next Generation
 0100時。
 ゲイリー・ジョーンズ艦長は端末に流れる映像を見て薄く笑うと、艦橋へ向かった。
「どうだね、作業は」
「ほぼ完了しています」
「そうか」艦長席に腰を下す。「君達は昨日の‥‥あの店には行ったかね」
「えぇ。楽しませてもらいました」
「少尉や、我がカウンセラー殿も随分可愛らしい事になっていたな」
 直前まで観ていた映像を思い出す。その中で彼女は頬を真っ赤にして彼氏らしき傭兵と話していた。微笑ましい隠し撮りである。本人にとっては恥ずかしすぎて眠れないだろうが。
「さて。唐突だが久しぶりの任務である」
「進路はどう致しますか」
「コース2‐1‐5、マーク0‐3‐0」
「了解」
「慎重に行こう」
 機関が唸りを上げ始める。夜間用だったコンピュータが次々目を醒まし、艦橋がパッと明るくなった。
 咳払いすると、右腕を前に突き出し徐に言った。
「――Engage」

<了>