●リプレイ本文
閑散とした住宅街に、エンジン音が鳴り響いていた。
日常を感じさせる音は、他には何一つとして聞こえてこない。
廃墟等とは別種の、不気味な静けさだった。
愛梨(
gb5765)はバイク形態のAUKVを停めると、周囲に耳を澄ませた。
気になる物音は特に感じられない。
(この辺には誰もいなさそうね‥‥)
軍が送ってきた住民の情報は、少々曖昧なものだった。
彼女が頼んだ時の対応が芳しくなかったので、矢張りと言った所か。
避難場所が複数ある為、住民の確認が間に合っていないのだ。
状況的に、しばし混乱が続くのは仕方ないだろう。
──それにしても、と愛梨は目を細める。
事件現場の近くだからか。
走っている途中、血痕や『人だった物』が目についた。
(許せないわね‥‥)
奥歯を噛み締めて、込み上げる怒りを抑える。
と、愛梨は近づいてくるエンジン音に気付いて振り返った。
鈍名 レイジ(
ga8428)のジーザリオが視界に入る。
車は彼女の側で停まり、
「首尾は‥‥聞くまでもないか」
表情で察し、レイジは軽く肩を竦めた。
「捜索を続けましょう。あたしは少し路地に入ってみるわね」
「了解。──さて、じゃあもっかい発声練習と行くか」
車を発進させ、腹の底から響く声で周囲に呼びかける。
もしキメラが寄ってくるのであれば、好都合だ。
愛梨も再びAUKVを駆り、入り組んだ住宅地の方へと進路を向けた。
彼女も同様に、呼びかけを行う。
細身ながらもよく通る声は、辺りへ響き渡っていった。
◇
能力者達は三手に別れて捜索を行なっていた。
愛梨とレイジが避難地区の中央部、朧 幸乃(
ga3078)と刃霧零奈(
gc6291)は東部、西部をエレナ・クルック(
ga4247)とエイミー・H・メイヤー(
gb5994)、といった具合だ。
幸乃と零奈の二人は、それぞれSE−445Rとサビクを駆っている。
しかし一向に住民の気配もキメラの影もなく、目に付く物と言えば事故車が精々だ。
反応のない呼びかけを繰り返す二人の元に変化が訪れたのは、捜索範囲を半分以上も消化した頃だった。
幸乃の聴覚が、微かに声を捉える。
SE−445Rを停め、エンジン音を消す。
「‥‥子供の声! 刃霧さん!」
振り返り、大きく手を振る。
零奈は幸乃の様子から事態を察し、即座にサビクから飛び出した。
「どっち!?」
「二時の方向です」
交わす言葉は最低限に、互いに超人的な速度で駆け出す。
塀を越え、屋根を走り、電柱の天辺を蹴る。
二人の視界に映ったのは、泣いている子供だった。
お母さんと繰り返しながら、無防備に道を歩いている。
二人は素早く周囲に視線を走らせるが、キメラの姿は見当たらない。
「おーい」
余計な警戒心は抱かせないように、零奈が少し離れた所から声を掛けた。
気づいた幼い女の子は、不安そうな表情で振り返った。
「お母さんとはぐれちゃった? 大丈夫、あたし達に任せて。すぐに連れてってあげるよ」
零奈は優しい声で微笑む。
しかし女の子は、迷うように視線を揺らした。
外見から、二人が能力者であることは子供でも理解できる。
だがまだ心細さの方が大きいのだろう。
(あ、そうだ)
ふと思い出した幸乃は、パーカーのフードを被った。
もっふもふのうさ耳が、ふわりと頭上で揺れる。
すると女の子の表情が、ぱっと明るくなった。
「大丈夫、怖くないから‥‥ね?」
しゃがんで視線の高さを合わせ、幸乃は柔らかく微笑む。
数秒間の逡巡はあったが、やがて女の子は小走りに寄ってきた。
幸乃が抱き留めて背中をぽんぽん、と叩いてあげ、零奈はそっと頭を撫でて上げながら、
「よし、じゃあ車に戻って、あとは軍に救助要──」
ざわり、と。
空気の震える、異様な音。
耳障りな雑音。
羽音。
「‥‥お出ましですね」
それは、視界の端から滲み出てきた。
じわり、と。
空間に広がる、異質な黒。
目障りなシミ。
荒喰──
◆
エレナがランドクラウンを停めるよりも早く、エイミーは助手席から飛び出していた。
アスファルトの路面につま先が接地すると同時に、粉塵が弾け飛ぶ。
地を走る姿は、正に【迅雷】。
彼女の直線上には、背中をこそぎ喰われて倒れかけている男性がいた。
『一口』で喰らい損ねた『黒い塊』が、再度襲いかかろうとするその寸前で、男性を掻っ攫う。
棚引いていた彼女の髪の毛先が数ミリ、数匹の羽虫に喰われた。
獲物を見失ったキメラは僅かに動きを止めたが、すぐにぞわり、と揺れ動く。
そこへ、
「あなた達の相手はこっちですっ!」
エレナが駆けつけ、天狗ノ団扇を振るった。
巻き起こる激しい旋風が、黒い群を掻き乱す。
「今の内に車へ!」
エイミーは頷く動作すら省き、車へと走った。
エレナはキメラの前に立ち塞がり、紅に染まった左目で鋭く荒喰を見据える。
散り散りになっていた黒い粒が見る間に集合し、再び群を形成する。
そして寒気を催す雑音と共に、視界を覆い尽さんばかりの勢いで襲いかかってきた。
自身を喰い荒らそうとする羽虫共を、彼女は避けようとしなかった。
小さなキメラの一匹一匹がはっきり見える程の距離。
耳元で数十数百の蚊が羽ばたいているような不快音。
広がっていた荒喰が、愛くるしい少女を無残な肉片に変えようと、殺到する。
その瞬間──少女を中心に、風が荒れ狂った。
風の刃は彼女自身も切り裂いたが、同時に、キメラの群をも引き裂く。
半分ほどが吹き散らされて、力なく地面に落ちた。
「うぅ‥‥成功、です‥‥だいぶ‥‥痛かったですけど‥‥」
相手の性質と武器の特性を考慮した咄嗟の判断だったが、少々無茶が過ぎたかもしれない。
痛みに涙を浮かべながら、僅かによろめく。
その華奢な肩を、しなやかな手が支えた。
「エレナ嬢、彼の治療を。かなりの深手です。それと、ご自分も」
エレナは頷き、痛みを堪えて車へ急ぐ。
残党が再集合した羽虫がその後を追いかけようと動くが、当然、
「行かせません」
エイミーが阻む。
言うが早いか放たれた銃弾は、群に着弾すると同時に蛍光塗料が広がった。
虫がはぐれようとも、見落とす危険性は格段に下げられる。
エイミーは続けざまに【制圧射撃】を見舞う。
面を意識した射撃ではあったが、数が減っていることもあり、効果は牽制程度か。
「全く、忌々しい蟲ですね」
金色の愛くるしい大きなつり目を細め、淡々と。
彼女は流れるような動作で、シエルクラインから『ビスクドール』へと持ち替えた。
◇
紅眼の竜が、炎の塊を噴き飛ばした。
灼熱の弾丸は羽虫の群の一部を焼け焦がし、穿つ。
しかし穴は見る間に塞がり、再び不気味に蠢き出した。
個の集合体であるが故に、奴らには『致命傷』が無い。
「ウンザリするな──つっ」
吐き捨てると同時に、レイジは首筋に微かな痛みを覚え、咄嗟に左手で首を叩いた。
彼の視界に直接は映らないが、赤い光が弾ける。
手応えでそれを察すると、逃げる羽虫を即座に見つけ出し、すかさず炎弾を放った。
「くそ、厄介な小虫だぜ‥‥」
キメラ共は個々が小さい上に素早い。
愛梨がペイント弾で着色していなければ、更に面倒だっただろう。
着実に数を削れてはいるが、如何せん焦れる相手だった。
「エイミーや幸乃たちも煩わされていそうね」
ふぅ、と一呼吸つき、愛梨は『ザフィエル』を構え直す。
他班がキメラと交戦中なことは、無線連絡で知らされていた。
気になるのは、そのタイミングが、
「殆ど同時ってのがな‥‥」
偶然かもしれないが、なんらかの意図も否定できない。
「だがまずはその耳障りな羽音‥‥止めさせてもらうぜ!」
レイジの左目が赤銅色に強く輝き、オーラが火花の如く弾けた。
二人は代わる代わるに攻撃を繰り返し、黒い群体を徐々に削っていく。
数々の戦場を共にした経験からか、レイジと愛梨の連携には無駄がない。
だが虫は、数が減るほどに狙いをつけ難くなっていく。
炎弾をするりと躱し、レイジとの距離を詰める荒喰。
(回避は──微妙だな)
瞬時に判断したレイジは、喰らいついてくる寸前に一撃を返してやろうと、剣の柄に手をかける。
コンユンクシオ全体が、彼の左目の色に呼応するように赤く輝く。
単純な速度ならば、間に合わなかっただろう。
しかし【限界突破】したレイジの行動速度は、後手に回る局面を覆した。
「潰れやがれ!」
【豪破斬撃】をのせた渾身の一振り。
剣の面は群を捉え、薙ぎ払った。
無数の赤い光が弾け、多数の手応えが伝わってくる。
逃した虫共は、残り僅か。
あとは面倒だが地道に潰していくしかない。
と思いかけた直後。
「‥‥マズい!」
羽虫がこれまでのように集合せず、散らばったまま飛び去ろうとしていた。
(どうする!?)
追いかけながら逡巡する。
その背中に、
「レイジ、退いて!」
愛梨の凛々しく透き通る声。
レイジは反射的に真横に飛び退いていた。
まるで砲弾だった。
否、小型の台風とでも言うべきか。
レイジが一瞬前までいた空間を、暴風の塊が貫く。
周囲の物をも吹き飛ばし、龍の顎(あぎと)が直線上の全てを飲み込み、噛み砕く──【騎龍突撃】。
それが例え、豆粒ほどの羽虫だろうと。
キメラだろうと。
関係ない。
全てを引き千切らんばかりの、衝撃波の渦。
拭き上げられた粉塵によって煙っていた視界が晴れた時、虫の姿はいなくなっていた。
「派手に仕留めたな」
剣を肩に担ぎ、レイジが感心半分に声をかける。
「手っ取り早く済んで良かったでしょ?」
愛梨はしれっと答えると、AUKVから降りてぐるりと周囲を見回した。
「討ち漏らしがいないか確認しましょう」
「だな」
首肯したレイジは愛梨と共に、その辺の土や小石などを拾い、勢い良くばら撒き始めた。
◇
何度目の爆発か。
零奈の戦い方は、常に爆炎と爆煙を纏っていた。
子供には幸乃がついているので心配ないが、キメラの矛先が向かないよう、零奈は群に身を晒し、突っ込み、引っかき回していた。
そして程良く集められたと見るや、手持ちの弾頭矢を軽く放り、斬りつける。
羽虫の群どころか、自身をも巻き込む爆発。
強引な方法故に爆破の威力は本来の性能通りとはいなかったが、攻撃と囮を両方兼ね備える方法としては抜群と言えた。
幸か不幸か、爆破を連発させたその派手な戦い方は、もう一つのキメラの群をもおびき寄せていた。
西と中央の班の元に、群がひとつずつ出現している報告は受けている。
事前に発見されていたキメラの群は出揃ったことになる。
「っと、さっきのが最後の一本だったみたいだね」
弾頭矢を使い果たしたことに気付き、零奈は小さく息をつく。
身を挺した攻撃は彼女自身も疲弊させいてたが、それ以上に荒喰共を削っている。
ふたついた群は、気がつけばひとつになっていた。
ひとつを壊滅させたのか、はたまた補いあうように合流したのかは定かではないが。
「もうひと踏ん張りだね‥‥」
鴉羽の柄を握り直し、零奈は呼吸を整える。
「胸糞が悪い蟲だよ、全く‥‥今回は悦に入れないね。さっさと、消えちまいな!」
黒色の太刀を手に、羽虫の群に突撃する零奈。
幸乃はやや離れた場所で警戒心を研ぎ澄ませつつ、『ミスティックT』で援護をする。
──巻き込んでも構わない。
そう告げた零奈の覚悟を受け取り、囮となって立ち回る彼女に群がるキメラに、苛烈な電磁波を浴びせかける。
線や点の攻撃では埒が明かない虫共も、広がりの有る攻撃には脆弱だ。
電磁波は的確にキメラの群を削ぎ落していった。
しかし生き残っている個体が減ると、レイジ達の時と同様に、散開して逃走に転じた。
「ちぃっ! 逃げようたってそうはいかないよ!」
追いかけながら道路脇の植え込みの土を一掴みし、思い切り投げつける。
パパパッと赤い光が散り、そこへすかさず幸乃が電磁波で追い討ちをかけた。
殺虫灯に小虫が触れる時にも似た音が、連続で弾ける。
やがて静かになり、
「逃したキメラは‥‥いないみたいですね」
幸乃はほっと、肩から力を抜いた。
◆
「あーいーりー嬢ー!!」
愛梨の姿を見るなり、エイミーは満面の笑顔で駆け寄った。
抱きついて親愛の情を伝えようとするも、
「はいはい」
と、愛梨はつれない態度だ。
そんなやり取りに、誰にともなく自然と笑いが溢れた。
陽が沈み始め、空は鮮やかな橙色に染まっていた。
彼らはキメラの殲滅後も警戒と捜索を続け、ようやく一段落ついた所だった。
逃げ遅れていた住民は各班で数人ずつ発見しており、既に軍への受け渡しも済んでいる。
他の荒喰がいる様子はなかったが、帰宅許可が出るにはもうしばらく時間がかかるだろう。
今彼らがいるのは、戦場となった住宅地と、避難区域の境界線上だ。
エレナは両方の場所を交互に見つめ、ぎゅっと手を握った。
「もっと早く来て、もっと早く見つけられていたら‥‥」
思い出されるのは、血痕や、損壊した遺体の数々。
悔しさからか、悲しさからか、彼女の頭が小刻みに揺れる。
「嘆く必要はないよ。あたし達の役目はきっちりと果たしたさ」
撫でやすい位置にある頭をくしゃりと撫で、零奈が笑った。
「そう‥‥ですね」
くりっとした大きな翡翠色の瞳で零奈を見上げ、頷く。
「とは言え、まだ安心もできねぇけどな」
厳しい顔つきのまま、レイジが零した。
「これだけ同じ所に湧いてんだ。巣があるか、でなけりゃ放ってるヤツがいるハズだ」
「同感だな。残念ながら、それらしい情報は得られなかったが‥‥」
愛梨とのじゃれ合いを中断し、エイミーも同意する。
住民の捜索がてら、プラントや強化人間等の存在にも留意していたが、目ぼしい収穫はなかった。
だからと言って、偶発的な訳がない。
──また、この悲劇が繰り返されるのか?
そんな考えが一同の脳裏をよぎる。
「‥‥どこから、なんのために来てるんでしょうね‥‥」
沈痛な面持ちで、幸乃が呟く。
空気が重苦しくなり、達成感も霧散しかけた折、彼らに近寄ってくる親子が視界に入った。
母親の方に見覚えはなかったが、手を引かれている女の子を幸乃と零奈は知っていた。
「お母さんに会えたんですね‥‥」
「良かったよほんと」
ほっとする二人の所に、母親の手を離れた女の子がとてとてと駆け寄ってきた。
なんだろう? と思った矢先、女の子は幸乃を指さしてニコっと笑い、
「うさみみヒーロー!」
と元気な大きな声で呼んだ。
「‥‥うさみみ?」
微妙な沈黙の後、誰かがぽつりと不思議そうに呟き、視線が自然と幸乃の背中に集中する。
「ぷっ‥‥確かに」
気づいた愛梨が思わず吹き出すと、皆もつられて声を上げた笑った。
女の子も楽しそうに、嬉しそうにニコニコと、彼らを見上げている。
それは疲れも痛みも吹き飛ばす、最高の笑顔だった。