●リプレイ本文
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能力者たちの頭上には空が青々と広がり、柔らかな牧草が緑々と丘を包んでいる。
吹き抜ける風は初夏を知らせる爽やかさで、草を揺らし頬を撫で髪をなびかせる。
白い雲はまるで羊の毛皮のように、晴れ渡った空にふわりふわりと浮かんでいる。
柵に囲まれた中には、雲のようにふわふわな毛並みの羊がちまちまとわらわらと。
―――普段なら和むこと必至のこの風景が、今や非日常の脅威そのものであった。
「こんな可愛いものを退治しなきゃいけないなんて、バグアのバカぁぁぁ!!」
叫ぶ智久 百合歌(
ga4980)の背中で、純白の翼がぱたぱたと羽ばたいている。
自分たちが群れる場所を確保した現状、積極的な行動を起こす個体はいない。
今、子羊キメラたちは広い場所で楽しそうに駆け回り、日当たりの良い場所にいたっては何匹かが固まって舟を漕いでいる。
これがキメラでなければ、お持ち帰りしたいくらいに可愛い。
「いくらかわいくてもこもこでも、被害が出てる以上は危険よねー」
機械剣の柄を軽く放り上げては受け止めることを繰り返し、リラックスした様子のフローラ・シュトリエ(
gb6204)の両手の甲には覚醒完了を意味する銀色の紋様が浮かび上がっていた。
帽子を目深に被った瓜生 巴(
ga5119)は、亀裂から光の漏れ出る手のひらに野球ボールを用意している。
体調は悪くないが前の任務でついた傷は完治とは行かず、今回は後ろから皆のサポートに回ることになっていた。
「これは‥‥ちょっと、辛いかもしれません」
右目は淡く空を映したような青に、左目は輝く水面のような銀に変わった浅川 聖次(
gb4658)は逆さにした靴を履きなおし、AU−KVのヘルメットを被る。
眠気対策のためとは言え、靴に小石を入れたまま戦うのは痛い上に邪魔で無理があった。
両手に釘を穿たれた傷跡のような赤光が滲んだホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は、煙草の煙を吐き出しながら視線避けのサングラスをかけた。
居眠りが得意だと言う冗談交じりの言葉の裏では、冷静にキメラの一掃を考えている。
「Einschalten‥‥」
覚醒の言葉とともにゆっくりと開かれたシエラ(
ga3258)の瞳は灰がかった銀色からバラを思わせる深い朱色に変わっており、戦いに必要のないその白い杖は静かに畜舎の床へと置かれた。
目を合わせると眠気が襲うと言う事前情報を受け、膝下の子羊キメラと目を合わせないように上を向きつつ気配を頼りに戦う作戦を立てていた能力者たちだが、雨夜月(
gb6285)はそれが目隠し鬼のようだとはしゃぐ気持ちを落ち着かせるように両の頬を軽く叩く。
『‥‥いやいや、これもお仕事お仕事。しっかりやらなきゃ』
子羊キメラたちの気紛れがいつ町に向くかは判らない。被害が出る前にここで片を付けなければならないのだ。
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畜舎内でホアキンが状況を確認したところ、子羊キメラは牧場の柵内でのんびりしている群れ以外の姿は見られず、おおよその規模も移動速度も見たままのもので隠し玉はなさそうだ。
子羊キメラは相変わらずの様子で、いまだ能力者たちに気付いていない。
双眼鏡をシグナルミラーに持ち変え、利き手にイアリスを握る。無線機もベルトに固定してある。
視線を向けると瓜生が頷く。作戦開始だ。
子羊キメラを視界に入れながらも視線を意識的に上に向け、周りの音と気配を頼りに走る。
子羊キメラの塊を衝撃波で散らし、包囲して退路を断つ。4組のペアはそれぞれに力を合わせて、少しずつ子羊キメラを蹴散らしていく。
「後ろは任せたわ。代わりに此方はお任せあれ」
シエラと背中合わせに戦う智久は畜舎で心中を叫んだためか迷いなどもう一欠片もない。
口ずさむメロディは冷静にリズムを刻み、リズムに乗せた攻撃もまた急所を突く冷静な太刀筋だった。
背中を任されたシエラは覚醒前から周囲の気配を頼りに行動する事が多くこの状況は寧ろ得手な環境であり、つま先に付いた刃は直視しているかのように子羊キメラの群れを薙ぎ払っていく。
「‥‥Es tut mir leid」
倒れるキメラに小さく謝辞を呟いた時、瓜生から次の指示が飛んだ。
群れより離れて子羊キメラたちを見渡せる位置をとった瓜生の表情が歪む。
最大の力を出せないだけで外傷は治ったなどとうそぶいてはみたが、背中から腹へと刺し貫かれた傷が簡単に癒えるわけもなく、身体が引きつるような痛みに時折呼吸が乱れた。
『あんなに可愛らしいキメラを作るなんて‥‥これも作戦なのでしょうか?』
子羊キメラを眺めながらバグアの思考に疑問を感じる浅川だが、槍の動きが止まる事はない。
目を合わさぬよう脚や尻尾を見るようにしながら、包囲網を潜り抜けてくる子羊キメラに確実なとどめを刺す。
自分が殿。負傷中の瓜生まで到達させるわけにはいかなかった。
雨夜月は上手のホアキンの動きに合わせるよう努めながら身の軽さを利点とし良く動き、更にそれをフォローするホアキン。
子羊キメラの視線避けに用意した盾は手首に固定しづらい上に動きにくくもあり置いて来るしかなかったが、かけて来たサングラスには多少の効果があったらしく合わせるべき目が見当たらない子羊キメラはおろおろする間もなく切り伏せられる。
子羊キメラたちはキメラとしては特別小さなわけでもすばしこいわけでもないため包囲自体は楽だったが、如何せん数が多くすぐに決着をつけることはできなかった。
そして戦ううちに気がついた。子羊キメラには個体として戦う能力がほとんどないのだ。
眠らせた後、ゆっくりと群がらなければ攻撃らしい攻撃にもならない。
フローラが機械剣を握る手に体当たりをするさまはもはや、愛らしいぬいぐるみがじゃれつく様子にしか見えない。
跳ね返って地に落ちる姿には『ぽいーん』とか言う効果音が聞こえそうなくらいだ。
その様子につい目をやってしまったフローラと、子羊キメラの一匹の目が合う。
‥‥じー‥‥
「‥‥めー?」
そして途端に襲う眠気。
慌てて機械剣の柄で自分の肩を叩き、戦いの緊張が解けてしまいそうな体を強制的に起こす。
「‥‥正面向いて戦えないのは厄介ねー」
「い、痛い‥‥くっ、けどグッバイ睡魔!」
地面へ突き刺した鬼蛍の柄に音がするほどの頭突きを食らわせた智久は、目の端に涙を浮かべながらも横で膝をついてしまったシエラの肩を激しく揺らし、彼女が鳴鶴で腕を刺す前にしっかり目覚めさせる。
ホアキンが他に対処している間に寝入ってしまった雨夜月の上には、気づけば子羊キメラの小山が出来上がっている。
中まで刺さないように注意しながら剣で子羊キメラを散らし、薄くなったところから手探りで雨夜月を探し出して引っ張り出す。
少し離れたところへ退避して、頬を指でぷにぷにと突付いた。
「俺も眠りたいが‥‥そろそろ朝だよ、眠り姫?」
目覚めの言葉に飛び起きた雨夜月のおでこがホアキンのあごにヒットしそうになったが軽くかわした。
「すみません!」
雨夜月の寝起きの良さは抜群で手間をかけさせたことに元気良く謝ると、すぐに群れへと戻っていき再び黒色の爪を振るう。
「こんな可愛い顔して、なんていじわるなの〜?」
お互いのフォローが上手くいっているために、ペアが両方とも寝た際に起こすようにと瓜生が持って来た野球ボールは本来の役割を果たせず、目の前へと走ってきた子羊キメラの顔面に八つ当たり気味に投げつけられた。
子羊キメラが頭を振ってうろたえている隙に浅川が瓜生と子羊キメラの間に猛ダッシュで割って入り、気合とともに子羊キメラを吹っ飛ばす。
青空に向かって飛んでいくさまは、まるでフェンスを飛び越えていく白球。
浅川も思わず額に手をかざして見送った。
「ほーむらーん‥‥」
瓜生の呟きと同時に子羊キメラはぽてりと地に落ち、なんとも間抜けなキメラの群れは全て退治された。
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脅威のなくなった牧場に戻ってきた牧場主の家族とともに子羊キメラの毛を刈り取る。
子羊キメラの毛は兵器とは思えないほどの質の良さで、被害の分を補填するには十分な量だった。
主人が鮮やかなバリカン捌きで子羊キメラを丸裸にし、子供がそれを運び、お母さんが洗って紡ぐ。
皆も慣れないながら作業を手伝うものの半日で全てを刈り取る事は出来ず、残りは家族でどうにかすると主人は笑った。
帰り際に末の女の子がフェルトで出来た羊のワッペンを差し出すと、すぐにもじもじとお母さんの後に隠れてしまった。その様子に穏やかな笑いが起きる。
薄暗くなり始めた空。
一番星が輝き始めて、月がぼんやりと光を放つ。
立ち去る能力者たちの背中に、小さな影がいつまでも手を振っていた。
羊の数など数えなくとも、今夜はゆっくりぐっすり眠れそうだ。
なにせ春の眠りは、夜明けに気づかないほど深いものなのだから‥‥‥。