●リプレイ本文
京都界隈の一角、その名も角屋。
「ぐわははは〜!」
豪快と言うには少々可愛い笑い声を響かせるのは、かの芹沢鴨(月森 花(
ga0053))。手に持ち振るう鉄扇は大きく、その鉄扇には「盡忠報國の士、芹澤鴨」と彫ってある。
この芹沢が角屋に足を踏み入れると、一際透き通った声が響く。
「芹沢局長、御待ち致しておりました」
声を掛けて出迎えたるは土方歳三(ファレル(
ga7626))、その男だ。
その瞳は、無機質、無感情、無表情と三拍子揃えており、まったく鬼と呼ぶよりも死神と呼んだ方が正確かと思われる程だ。しかしこれがより顔の目鼻立ちを際立たせ、まるで役者の二枚目をも思わせた。
今回の策にしても、首謀者と呼ぶべきはこの土方。
早く切り殺したいと疼く己をぐっと抑え、部下を案じての策である。
「わはは〜良きに計らえ〜!」
眼の前を上機嫌で過ぎてゆく芹沢。ただじっと頭を下げたままの土方。
ところが、ぴしりと、張り詰めた空気が漂う。芹沢に付き従うこの隻眼、平山五郎(白鐘剣一郎(
ga0184))。一見すれば芹沢の子分と断じるには勿体無いほどの良い男だ。平山は右目が潰れており、常に眼帯代わりの布切れを一枚、頭からはためかせているが、残されたる眼が、ぎょろりと土方を睨んでいた。
ここで、序列上は芹沢の下に位置する、同じく局長職にある近藤勇が挨拶を述べ、宴会がゆるりと始められた。
●原田フユカイ
宴会も一刻二刻と時を刻むと、皆それぞれに酒も回り、宴会も華やぎ、上機嫌になってくる。
当の芹沢はと言えば、酒は進んでいないが、傍目に見ても十分上機嫌。愛妾お梅(UNKNOWN(
ga4276))の膝に座って隊士を捕まえては無理難題百題を吹っかけていた。
この愛妾のお梅は、芹沢が気に入るだけあって良い女。
西陣織の振袖に洒落た髪結い、化粧ののりも美しく、一方で咥えた煙管が不思議な艶かしさも感じさせる。
――が。
その背は平山と並ぶほどに高く、芹沢を膝に据わらせて蜜柑汁は与えるお菓子は与えると甘やかし放題。これではどちらが愛妾でどちらが芹沢かも定かでないほどだ。
それはともかく。
「おう原田〜何か面白い事やれ〜!」
芹沢のわがままが、とある男へ向けられた。
何をっ! と原田佐之助(櫛名 タケル(
ga7642))が芹沢を睨み返して立ち上がる。
「んだと!? 上等だ! やってやろうじゃねぇか!」
原田は、平山に比べれば多少幼げに見える顔立ちであるが、そこは百戦錬磨の新撰組幹部。見た目に何の関係があろう、恐るべき槍の遣い手。腹には切腹の痕まで残る、剣豪ならぬ槍豪にして、苛烈な激情家。
とにかくこの原田、喧嘩っ早い事で有名。
「――いや、今日は静かに飲みてぇんだ。向こう行って下さいや」
それが、芹沢の喧嘩を買いもせずに引き下がる。
芹沢はそんな小さな事は咎めぬ。しかし芹沢派にも、これは不可解と見咎める男がいた。
眼鏡を揺らし原田を見るは野口健司(佐竹 優理(
ga4607))。剣の腕はそこそこだが、とにかく臆病で気が弱く、荒事は大の苦手。物事平和に万事解決が一番とそれを信条に生きている男。
その男がおかしいと見たのは、普段は暴れん坊な原田が簡単に身を引いたから。
端整な顔立ちを、おや、としかめて原田へ近寄る。
「――チッ。面白くねぇ」
「どうしたんです、原田君。酒が進みませんね」
「何でぇ、野口か」
徳利を手に差し出し、野口が原田の様子をじぃ、っと観察。
原田は原田で虫の居所こそ悪いのに、何故こうも大人しいのかと言えば、芹沢を闇討ちにするとした土方の命が原因。
近藤の信頼厚い土方の命であれば致し方が無いものの、正々堂々の真っ向勝負でない事が気に入らない。それも、芹沢があと少しの命と思えば立った腹をぶつける場所が無いときたもので。
どうしようもなく沈鬱な気分でただただ盃をぐいと空け、嫌いではない野口との雑談に没しているしかしようがないのであった。
●恐るべき魔性
「お初にお目にかかります。明里です」
にっこりと小首をかしげるのは、素朴な可愛らしさで多少は名の知られた明里(穂波 遥(
ga8161))という女。対するは、いつも笑顔の山南敬介。
といっても、杯を受ける山南は、どこか上の空――と、それに気付いた明里。突然、俯き加減に頬を染める。
「まぁ、困りますわぁん」
どうかしたのか、と周囲の女や平隊士が問い掛ける。
一人山南だけはきょとんと明里を見詰めている。
「この方が私のこと好きだって」
明里の言うこの人、とはもちろん山南の事。周囲はワアワアと囃し立てて気楽なものだが、驚いたのは山南だ。反応も出来ず、呆然としている。
「お家も買ってくれるって」
悪女だ。
「ち、違う! 違います! 誤解です!」
「ひどい‥‥騙したのね‥‥」
恐るべき悪女だ。魔性の女と言って差し支えない。
眼の前で可愛い子が膝を崩せば、誰がどう見ても悪者は山南。
「ごめんなさい」
ぽつり、と呟く。
「私‥‥病気の父と幼い弟を食べさせていかなきゃならなくて‥‥山南さんが優しそうだったから‥‥」
解った、とでも言いたげに、山南は彼女の肩に手を置いた。
にっこりと微笑まれ、明里は安心した。
――嘘がばれてない、と!
「どうした沖田、酒が進んでないな?」
沖田総司(コレット・アネル(
ga7797))をからかい、平山が大杯を煽る。
「こうして騒げば市井に金が回る。俺達が恐れられれば、好き勝手やる奴も増えはしない。悪い事ではなかろう?」
「でも、少しやり過ぎかなぁ‥‥」
徳利を手に、沖田が恐れもせずに意見を述べる。この沖田総司、この華奢な身体からは想像も付かないが、新撰組でも1,2を争う凄腕の剣客。その腕は、この平山も認めるところだ。
しかし今は、平山の食って掛かる戯れをいなし、次から次へと酒を注ぐ。
平山だけでない、土方や原田、芹沢と、そう、関係者の殆どにとにかく酒を注いで回っていた。もちろん、それには訳がある。
(遠いところに逃げてくれれば、松平さんもきっと‥‥)
京都守護職松平公も納得するに違いない。彼女は、そう考えていた。
●八木屋
宴の中頃。
土方が席を立ち、芹沢の前に膝をつく。
「局長、そろそろ八木屋で呑みなおしと参りませんか?」
「おうおう、そう致そう!」
また何時ものように背伸びし、大きく笑う。
先導する土方の後を、平山、平間、お梅に、それから女をもう一人、山南の相手をしていた明里を引き離し、彼等一同は、夜の往来を受けて八木源之丞の家へと向った。ぞろぞろと家へと上がりこみ、では呑み直しと土方が酒を用意させた。
「あはは〜ういやつよ〜♪」
「あ〜れ〜」
悪代官ばりに、お梅の帯を回す芹沢。
盃を傾け、平山がぽつりと洩らす。
「会津藩はそろそろ芹沢さんや俺たちを疎ましく思っていそうだな。攘夷主義が気に入らないというのもありそうだが‥‥」
ひやりと、土方の背を冷汗が一筋流れる。しかし、表情は鉄面皮も同じ。ただただ、酒を注ぎ、注がれ、静かに、数名で酒を嗜むばかりだった。
既に、避けられぬのだ。
その事は、この場にいた殆どの人間が気付いている。
そのままどれほどの間、呑んでいただろうか。
何時しか、芹沢がうとうととし始めた。
眠るとマズイと思うのだが、眠いものは、眠い。
「よしよし‥‥添い寝をしてやろう」
お梅が芹沢を抱き上げ、奥の間へと、裾を引きずる。
それが契機となった。では、自分はこれで、と土方が席を立ち、残された平山は、もう暫しの間だけ、杯を傾けた。
時を同じくして、角屋では、原田、沖田、山南、それに藤堂平助の四名が席を立った。
そして少し遅れて、これを不可解に感じた野口も。
ごろり、と、蛇がとぐろを巻くように、地響きのような音が空に響き渡る。
「――一雨、降るのかな」
空を見上げて、沖田が呟く。
そんな鼻先を叩く、雨雫。
降り始めた。雨が。地を泥に変え、ざあざあと降る雨は、しかし同時に、彼等の足音を掻き消しもする。
八木の屋敷、その軒先には、土方が待っていた。
到着した四名を相手に頷き、裏口の戸をそっと開く。
――さーってと。行くとするか。
原田の呟きは、先程と少し違う。何事にせよ、長く引きずる性質ではない。何よりこんな気分では、斬られる相手に悪いとも思えるもの。彼に続き、皆するすると入るが、一人、沖田が動かない。
「沖田‥‥?」
「土方さん、私は残ります」
いぶかしむ土方に、沖田が穏やかな笑顔を返す。降る雨が、髪を、頬を伝っていた。
「逃げられた時に、そこを斬る役も必要じゃありませんか‥‥?」
つい、と顔を逸らす土方。
無言の肯定だろう。
沖田は一人、軒に隠れて雨を避けた。
砂利を踏み締める音。
雨が砂を叩く音。
他に音は無く、裏庭を奔るのは、土方、原田、藤堂、山南の四名だ。その彼等が厠に差し掛かった。
「‥‥誰?」
唐突に投げかけられた、声。
顔を上げた山南と、明里、眼が合った。
山南が一言、忘れよ、と告げる。土方は、甘いと思う。だが、本来無関係な女なのだ。それに原田や藤堂も、切りたがらないだろう。こんなところで、いちいち揉めたくは無い。
裸足のまま、足が汚れるのも構わずに、明里は廊下を降りる。
「武運長久を、お祈りしております」
そう言い、自らのロザリオを、そっと山南の首に掛けて‥‥。
「なぁ、切支丹ってご禁制じゃあ‥‥」
原田の一言で、その場の空気がピシリと凍りついた。
そうしてついつい、余計な事に気を取られていたからか。
「あっ」
廊下を回り終えた野口に、ばったりと出合ってしまったりもして。気付いた藤堂が、ダッと駆け出す。飛び跳ねんばかりに驚いて、野口は後ずさる。
「わ、わわわ!?」
後退りした野口が、障子を蹴倒し、寝所に転がり込んだ。
「来たか!」
中に控えていたのは平山だ。
大分酔いは残っている。それでも、芹沢を逃がすぐらいの時は、稼いで見せるつもりだ。血気盛んに刀に手を掛けるが、表れたのは野口。勢いが殺がれる。
「‥‥何事、だね」
青〜い顔で口元を抑えて、お梅が顔を出した。
こうなっては、予定も無い。
「掛かれ」
土方がボソリと呟く。
その土方が呟き以下、総勢四名が踊りかかった。
藤堂が振るった刀を鉄扇で払い、芹沢が後ずさる。薄着が、彼女の小柄さを余計に際立たせるが、その彼女は、気丈にも、お梅の前に立ちはだかる。
「ここは俺が! 行ってください。お梅、芹沢さんを頼むぞ」
刀を抜いた平山が、畳を蹴る。
「ふっ、鴨を泣かせる奴は許さん」
芹沢を抱きかかえたお梅は、今をチャンスと庭へと駆け抜ける。慌てて後を追い、野口が駆け出した。改めて、思わぬでもない。ちょっと女と言うには頑丈すぎるんでないか、と。
「沖田と手合わせ願いたかったが‥‥止むをえんな」
襲撃者の面々を見て、平山は呟いた。
外に待っていると聞いたら、きっと地団太踏んで悔しがったであろうが、今の平山には、そのような事、知る由も無く。ただただ四人の多勢を相手に、刀を振るい続けた。死を覚悟すると、人間は強くなる。
乾き張り付く喉で息を吸い、原田は毒づく。
「大戯けだ、俺ぁ」
彼一人、じわり、じわりと手槍を手に、歩み寄る。
その場の、空気――いや、もはや結界とでも呼ぶべきか。今から、差しで戦う場が、そこに設けられている。何人であろうとも、割り込む事は出来ない。割り込むべきでも無い。
「さぁ! この俺を斬ってみやがれぇっ!!」
「原田、来いっ!」
一直線に突き出される、原田の手槍。狙いは喉元。
弾くように、平山の刀が飛ぶ。槍は長い。しかし、一度懐に踏み込めば、今度は刀に分が有ると言われる。初激。この一撃を避けさえすれば、平山に分があった。確かにあったのだ。
槍の腹を、平山の刀は確かに捉えていた。
力負けしたのだろうか。槍は弾かれても、結果的に、平山の胸を貫いた。
「ははっ、芹沢さん、上手く逃げろ――」
どうと倒れる平山。
横薙ぎに伸びた平山の刀は、原田のこめかみを叩いていた。
槍さえ無ければ、あと一歩踏み込めたなら、相撃ちであったろう一撃だった。
「‥‥逃げた芹沢を追‥‥」
号令を出しかけた土方の真横で、重なるように倒れた原田。
「原田っ!」
「あー‥‥もう限界っす」
先に行ってくれ、と彼は手を振る。
頷いて、土方が号令以下、隊士達は走り出した。手分けすれば、どこかで補足できる筈だ。
残された原田は一人、雨に打たれて空を見上げた。
「けど――あぁ、良い気持ちだ」
●異聞、芹沢鴨粛清の段
ふいに表れた影。沖田だ。
「外にまで追っ手が‥‥!」
慌てて、野口は刀を抜く。
「ななな、仲間割れとかやめようよ〜!」
眼をつぶったような状態で振るわれる刀は、しかし、沖田に軽くいなされ、鍔迫り合いにもつれ込む。
「‥‥逃げて下さい。土方さんは私が止めます、早く」
「うぐぐ、だけど‥‥」
鉄扇を握り締め、わなわなと震える芹沢。
ここで背を見せて良いものか、と考えたのか、それとも芹沢として、お梅を守らねばと思ったからか‥‥だがそれも、大声、叱責にも似た怒声に掻き消された。
「何を言ってるですかい!」
皆がぎょっとする程の声の主は、野口だ。
「逃げろって言ってくれてるんでしょう!? 無駄にする気ですかッ!?」
普段の大人しさからは想像も付かぬ程の、声、勢い、気迫!
有無を言わさぬ、という彼の勢いが、背を押した。
見れば、沖田は赤い墨汁を辺りに撒いている。
「争いは虚しいものだ。だが、我らは新天地を目指そう‥‥更なる争いを求めて」
お梅が小さく笑い、沖田の脇を駆け抜ける。
「お、おのれ〜、覚えてろよ〜っ!」
涙眼混じり、叫ぶ芹沢。お梅共々、路地裏へと駆け抜けていった。逃げた――これでもう良い。そう思うと途端に、野口は腰が抜けた。
怖い怖い芹沢でも、逃がす為に動いてしまったのは、やはり優しさからか。
慣れない事はするものじゃないな、と、野口は思った。
立たそうとして沖田が手を貸す‥‥そこへ、土方が姿を現した。
「沖田?」
「斬りましたが、逃げられまし‥‥」
「はぁ‥‥」
土方は、諦めたように溜息を吐いた。
親しい者だけに見せる、柔らかな表情を、沖田へ向ける。まったく計画が狂ってしまった。もっと泥酔させて、切り込みの寸前には脅しで揺さぶりも掛ける予定だったのに。斬る楽しみなど、完全に逃してしまった。
沖田が手を貸して野口を立たせているのに、今更これを切れるものでもない。
「すいません、その‥‥」
人の良い笑顔をして、野口が一人、申し訳なさそうに頬を掻いた。
つられて沖田も、ごめんなさい、と頭を下げる。
雨は止まない。血糊もそのうち流れてしまうだろう。
逃げた芹沢とお梅の行方は、誰も知らない。
異聞、芹沢粛清の段。これにて閉幕とさせて頂きます。