●リプレイ本文
ダッシュボードの上に猫のぬいぐるみがあるなあ、とか認識した時にはもう何か手にとっていた。別に深い意味もなく触っただけなのだけれど、手にした瞬間、「はひひひ」と掠れたオッサンみたいな声で猫が笑いだした。何となくちょっと何か残念な気分で、エクリプス・アルフ(
gc2636)は、運転席のドクター・ウェスト(
ga0241)を見た。
日焼けとは無縁そうな白い顔が、こっちを向いた。目が合うと彼は、「けひゃひゃ」と奇怪な笑い声を上げた。「我輩がドクター・ウェストだ〜。そしてそれは我輩の持ち物だ〜」とか、続ける。暫く何か、ぼんやりその顔を見つめて、あ、知ってました、と思った。どうして猫がそんな声で笑うのか、という説明はないみたいだったので、アルフは顔を戻す。ついでに、猫も戻した。
ウェストはもうすっかり気が済んだみたいな顔で、「あ、地図、広げてほしいんだねー」と、普通にアルフの膝元を指さす。彼の運転するジーザリオは、大量の砂煙を巻き上げながら、砂漠を横断中だった。車内は、蒸し風呂のごとく、暑い。皆、持参したミネラルウォーターや水筒内の水分で、干からびそうな体を潤していた。
「ウェストさんが車両を用意してくれて助かったよ」
後部座席の緋本 せりな(
gc5344)が言った。
「オフロードバイクがあれば、俺も、ダカール・ラリー気取りたかったんですけど」とか、格好だけはすっかり、ライダーなアルフが残念そうに、言う。
「何でもいいけど、アルフさん。それは暑くないのか。この砂漠で、ライダースジャケットを着る勇気は、凄いけど」
「見上げた、ライダー魂ですね」
本意はどうであれ、どうやっても感嘆ではなく確実に皮肉に聞こえるようなさめた口調で、未名月 璃々(
gb9751)が言う。「見てるだけで、暑いですね。こっちが蒸発しそうです」
とか、全く人間臭さのない蝋人形みたいな顔して言われても、全然説得力ないな、とせりなは思う。この状況を映像で誰かに見せたら、「暑い暑いって言ってるけど、嘘だよね。砂漠、CGだよね」と、彼女の表情一つで絶対に信じて貰えない気がした。
「まあ俺の話はいいじゃないですか」
窓の外を、憧憬の眼差しで見つめていたアルフが、それでもしっかり話は聞こえているようで、そんなことを言う。「格好の話をするなら、せりなさんだって、猫耳フードですし」
「まあ、あったから?」
せりなは猫耳フードの猫耳たる部分を無意識にもじゃもじゃ触りながら、つけて行けと言われたから、つけてみた。似合うか似合わないかは、最終的にどうでもいいです、みたいに、言う。「少なくとも日差しは、しのげる」
「それにしても、あの研究員には呆れたね〜」
風に光の加減で銀にも見える白髪をばたばたと揺らしながら、けひゃひゃとまた、ウェストが笑う。「UPCを通して依頼を出せば、ソノ前後の記録までもが残されてしまい、すぐにバレるのだから素直に怒られておけばいいのにね〜」
「でも、お蔭で、岡本人形が存在する事実は、確認できましたし」とか、さらっと言った未名月の台詞に、「え?」とせりなは顔を向ける。「なに?」
「いえ、珍しい色の硝子と言うのも、確認できましたし」
「ああ」
「しかし、暑いですねー」とか呟いたアルフが、水筒の水を口に含んだ。
「いやだから、そのジャケットを脱げばいいんじゃないかな」
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窓から入り込んでくる、砂混じりの乾燥した風とはまた違う柔らかい風が、犬坂 刀牙(
gc5243)の頬を撫でていた。
「暑い‥ですね。大丈夫‥ですか」
むしろ自分を扇いだ方がいいよ、と思わず言ってあげたくなるくらい、白い肌を紅く染めたリズレット・ベイヤール(
gc4816)が、超機械「扇嵐」を、ふわふわと上下に揺らし風を起こしてくれている。「ごめんね」と、刀牙は思わず眉根を下げた。「ありがとう、リゼ」
リズレットは控えめに微笑み、緩く、首を振る。覚醒の影響で所々が紅いラインのように変色した銀髪が、ふわふわ、と揺れた。「何とか皆で協力し合って、その‥‥砂漠を乗り越え、ましょう」
「そうだね。頑張る!」
がば、と勢い良く体を起こし、けれどすぐ、へたとなった。ふうふうと細かい息を吐き出す。「でも、とぉが、寒さには強いけど、暑さには、弱いんだー」
リズレットが分けてくれたミネラルウォーターを飲もうとして、中身が無くなっていることに気づき、悲しげな表情を浮かべる。
「クーラーボックスの中に、私が持ってきたスポーツドリンクもありますよ。良かったら、どうぞ」
助手席に座るゲンブ(
gc4315)が、地図から顔を上げ、後部座席を振り返った。クーラーボックスを指さす。早速、刀牙が飛びかかるように、クーラーボックスを開けた。
「しかしベイヤールさんが車両を用意してくれたから良かったものの、徒歩で横断なんてことになってたらと思うと、ぞっとしますね」
ゲンブは、運転席でハンドルを握るフィオナ・フレーバー(
gb0176)を振り返る。ねえと話を振ったつもりだったけれど、「何だか、見た目が思い切り犬みたいだ、とか思ったら」
彼女はルームミラー越しに、興味深そうな視線を後部座席へと向けていた。「さすが中身まで犬だね、刀牙君って」
「フィオナさん。思った事が口から出てしまってますけど、大丈夫ですか」
「っていうか、犬なんだよね、刀牙君は」
「いえ、人間ですよね」
「ジョークよ、ジョーク。相変わらず、真面目だなあ、ゲンブ君はー。思わない、リズレットさん?」
ミラー越しにまた後部座席を見る。「というか、リズレットさんこそ、大丈夫? 顔、紅いよ」
「大丈夫です‥‥リゼ、頑張ります」
「あまり、無理をしないで下さいね。とは言っても、オアシスに到着するまで、休める場所もないんですが。もう少しで到着するはずですから」
「オアシス着いたら、水浴びするんだ」ともう、何か、夢を見る人の目で刀牙が呟く。
「キメラの気配も‥今のところ‥‥感じられませんから」
探査の眼を使用し、辺りへの警戒を続けているリズレットが、呟く。「オアシスへ急ぎましょう」
ようし、と腕まくりしたフィオナが、ぐうんとアクセルを踏み込んだ。「アクセル踏み込んだら、車って、早く走るのよ。知ってた?」
「いやあのとりあえず安全運転で、お願いしますね、フィオナさん」とか助手席からゲンブが言った傍から、ががが、とタイヤから嫌な音がする。
「わわわ、ハンドルが取られるー」
勢いを増した車体が、勢いを保ったまま、あらぬ方向に突進していく。「きゃあ」とか「うわあ」とか、後部座席のリズレットと刀牙が声を上げた。
「傾いて、傾いてますよって、わ、ちょ、だから言ったじゃないですか」
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「ふむ。これが目的の植物か。確かに綺麗な色をしているね。ガラス細工に使いたいと言うのも頷けるよ」
事前に聞きだしていた情報や、写真等の資料により、目的の植物はすぐに発見出来た。せりなは、未名月から受け取った数枚の写真を、次々、と見て行く。林檎の硝子細工の写真もあり、手を止めた。その美しいような、それでいてポップで可愛いような、不思議な魅力に目を奪われる。「これ、欲しいな」
「可愛い‥ですよね」
顔を上げると、リズレットが立っていて、つい今しがたまで、探査の眼を使用し、辺りの警戒に当たってくれていたのだけれど、林檎の写真が気になったのか、警戒心の強い小動物みたいに、おどおどとせりなの方を窺っている。
林檎細工も可愛いけれど、その様子もまた可愛いな、とせりなは何か、ぼーっと見た。
「え、な、何ですか‥」
「いや。とにかくこの植物を持って帰ったら、どんな色の硝子細工が出来るのか、楽しみだね」
「はい‥」
とか微笑み合う、女子の傍らで、「植物は、根っこから採取します。はい、素早さが大事ですよー、はい、掘る。はい、はい、はい」とか物凄い覇気のない声と手ぶりで、むしろ、そんな貴方から素早くなんて言葉が出るのが驚きですよ、とでもいうような様子で、未名月が、指示を出している。
そんな指示で動く人なんて、とかアルフは何か、探査の眼とかで辺りを警戒しながら思ったけれど、「わん!」とか思わず、みたいに刀牙が返事をしていた。命令されると、どうも弱いみたいなタイプなのかも知れない。は、と我に返ったような顔をして、「ち、違うよ! 今のはなしなんだよ!」と慌てている。
「ふーん、さすが従順さが、違うわねぇ。やっぱり、犬はね、そうなのよねぇ」
とか、感心したように、フィオナが隣で呟くのが聞こえた。
生真面目さの滲む動作で、きびきびと植物を掘り起こしていたゲンブが、ハッとしたように、顔を上げる。
「いえ、フィオナさん、犬坂さんは犬ではなく人間です」
「犬みたいで可愛いなって意味じゃない」とか刀牙を振り返ったフィオナが、ぼそ、と「お手」とか呟くのを、ゲンブは聞き逃さない。
「だから、犬ではなく」とか言ってるのを聞いてるのか聞いてないのか、フィオナは、テントの下へと歩いて行く。だからといってめげないゲンブは後ろをついて「人間なんですよ」とか、まだ、言う。「聞いて」るんですか、とか続けようとしたら、「はい」とか振り返ったフィオナの手には、牛乳があった。「ゲンブ君はこれでも飲んで、落ち着いて」
「ぎゅ」
牛乳如きで誤魔化されませんよ、とか勢い良く言おうとしたけど、ごく、とか喉が鳴った時点でもう負けている。
「それにしても、暑いね。このゲンブ君の持って来てくれたテントがなかったら、私達焼きあがっちゃってるね。こんがりよ、こんがり」
「御苦労さまだね〜」
と、優雅に紅茶なんかを飲んでいる、ウェストの暢気な声が言う。
「優雅ですね、ドクター」
「全く、植物採取する気、ないみたいだし」とか二人して見たら、突然ウェストが、がば、と立ち上がった。
「我輩は、私設研究グループウェスト、異種生物対策研究所の所長にして、分子生物学を専攻し、フォースフィールドの分析、無効化を研究中のドクター・ウェストだ〜! けひゃひゃ」
「え、何、どうしよう、どうしたのこれ」
「スイッチとか、入っちゃった感じですか」と、すっかり戸惑う。
「そんなわけで」とまた、すっかり真顔に戻ったウェストは優雅に座る。「我輩は植物には興味ないね〜。キメラを飼育出来るなら、ぜひとも捕獲して様々な実験をやってみたいがね、一介の能力者がそんな施設、どうやって用意するのかね? 我輩に出来ることは、UPCから許可される量の細胞片を集め、観察することくらいだね〜、というわけで、キメラ待ちなんだね〜」
とかまさしくそんな話をしている所で、「あ、キメラ」と、リズレットの弾けるような声が響いた。続けざま、パン、と一発の銃声が響く。
「お、噂をすれば。出た出たね〜。けひゃひゃ」
「攻撃は私が受けます!」
覚醒状態に入ったゲンブが、両の爪を突き出し、攻撃態勢に入ったキメラとウェストの間に滑り込み、表面に黄金の鷲が描かれた豪華な盾エンプレスシールドを構えた。
覚醒の影響で、目をがんがんと光らせたウェストが、「援護だね〜」とフィオナの武器に練成強化を発動する。「では、いきますよ〜」淡い光を帯びたエネルギーガンを構えるフィオナが、攻撃を放った。
「FF強度測定。なるほどねえ」
怪奇な笑い声を立てながら、ウェストがキメラに近づいて行く。「細胞サンプル採取だ〜けひゃひゃけひゃひゃ」
「うわ、こっちにも出たよ〜!」
刀牙が、素っ頓狂な声を上げる。覚醒状態に入った。犬歯が目立ち、瞳が野獣のように変化する。ぴょん、と軽やかな動作で後ろに飛び跳ねた。
すかさず、未名月が、ささ、と物陰に隠れる。びっくりするようなやる気のなさというか、むしろ賞讃すべき逃げへの執着だった。「戦略的避難です、頑張って下さい」
「やはり、群がってきたか」
どちらかと言えば面倒臭そうに、せりなは、懐にさした銃を取り出す。「毒針をもったキメラなんて、恐れる程度の物でもないね」
銃を構え、キメラに狙いを定めると、引き金に指を乗せた。
「さて、終焉の時だよ。愛する人が大嫌いなんだ。忌々しい。さっさと失せろ。両断剣!」
剣とか何処にもないんだけど、そういう名前だし、とか何か、微妙に滑稽な気分になりながら、引き金を引く。
「おっと、リズレットさん、足元、来てますよ」
拳銃を構えた格好で全体の動きを見守っていたリズレットの傍に、エンジェルシールドを構えたアルフが立っていた。え、と足元を見下ろし、きゃ、と飛び退く。和槍「鬼火」をくるんと返し、アルフは、その槍先でキメラを突いた。ぶち、と堅い感触と共に、キメラが、潰れる。
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「わーい」と歓声を上げた刀牙が、どぼん、と勢い良く湖に身を投げた。
「やったー、水だー。これが楽しみだったんだよ〜」
「刀牙君、凄いね。なんであんな準備万端なの」
水着姿の刀牙を可愛いなあ、みたいに目を細めて見つめながら、フィオナが呟く。
それから、「私も入りたいけど」どうしようかな、と隣のゲンブを何となく、見やった。
「あれ、その目は何ですか」
「別に」
「いや、別にって目じゃないですよね」
「じゃあ、言うけど」
「はい」
「あのさ、今度はどんなえっちなことを、企んでるの?」
あんまりにも真正面から言われたので、もう何か、どう言っていいかも分からず、ゲンブは絶句する。
一方、物陰でこっそりと未を清めようとしていたリズレットは、近づいてくる影にはっと顔を上げた。
「私も水浴びしようかな」
「あ、せ、せりなさん」
「こんなところでこっそりと水浴び?」
「いえ、何ていうか、恥ずかしいので」
暑さの為ではなく、顔を真っ赤に染めたリズレットが「見ないで」とか細く、囁いた。危うい色気のような物が、舞う。
またこちらは、「えへへ、犬かきには自信があるんだよ」とかいよいよ刀牙が気持ち良さそうなので、「それじゃあ、私も。着替えてきます」
ゲンブは、あらぬ疑いをまた掛けられてしまわぬよう、フィオナから離れ着替えることにした。物陰に移動する。草むらで服を脱ぎ、ふんどし姿になると、さあ水だ、とか勢い良く、表に出た。とか、思ったらそこに、リズレットとせりなが立っていた。「え」
「あ」
「え、き、きゃあ!」
「あ、あの、これは、これは違うんです!」
あわあわとか、それはもう慌て過ぎて、「いやあ、俺も水浴びしようと思ってたんですよねー」とそこに凄い暢気に現れたアルフに激突する。
どしん、の衝撃の後に、ばしゃああん、と聞こえた。
「あ、す、え、アル、あ、す、すいま」
「ワイルドですねー、俺」とか、むしろ怖いんですけどみたいに、水面から顔を上げたアルフは、にこにこと微笑んでいる。「服のまま水浴びですかー」
「あの、本当に、他意はないんです、すいません!」
「いえいえー。意外と俺、根に持ったりしませんよー」と、それは、もう、強迫にしか聞こえなかった。