●リプレイ本文
「まさか建物の中にキメラが出たりしねぇだろ」
扉がもう扉じゃない小屋の中を覗き込んでいるアンドレアス・ラーセン(
ga6523)の背後で、空閑 ハバキ(
ga5172)は「とか言ってー、中に居たらどうする」
とか何か笑っていたのだけれど、形状からして海側の筈だろ、とか言われ、確かにそうだよね、とか思って、「アスはやっぱり良いこと言うなあ」とか何か言おうとして次見た瞬間にはもう、アンドレアスが覚醒していた。
「えー!」
「居たみたいですわね」
ロジー・ビィ(
ga1031)は、セシリア・D・篠畑(
ga0475)と顔を見合わせる。「確か、増えるん‥ですわよね。これは迅速に殲滅しなければ」
ロジーの言葉に二人して頷き合うと、一気に二人して、覚醒状態に入った。
「ワカメスープは好きだよ」
荘厳な雰囲気を放つ、両刃の大剣ウラノスを一振りしたハバキが、ステップを踏むように軽やかな足取りでキメラに近づいて行く。
一方、霊妙さすら滲ませた神秘的な瞳をロジーへと向けたアンドレアスは、練成超強化を発動していた。「殲滅速度を上げて、増殖阻止だな。頼んだぜ、ロジー」
虹色の光が飛び出し、彼女の持つ二刀小太刀「花鳥風月」を包む。蒼い闘気を羽根のように広げる彼女は、先程までの楽しげな表情が嘘のように、抑揚を落とした美貌のまま、鞘尻の小太刀を抜いた。べろんとした深い緑色のキメラが襲いかかってくるのを遮り、そのまま、くるんと回転すると、差し出すように後衛のセシリアへと投げつける。
後衛に陣取ったセシリアが、無言で超機械ブラックホールを構えた。無駄のない動きで正確に、しっかりとした手つきで照準を定めると、容赦なく引き金部分に指を乗せ、力を込める。
「ワカメは根元から、カット」
カット。とか、可愛らしい口調の割に、風のように回転し、ウラノスを振り回すハバキが、キメラの体をごりごりと刈っていく。「始末はアスのお仕事ー」
「だいたい、ワカメスープって、何だよ」
エネルギーガンを構えたアンドレアスが、銃身に埋め込まれたSESを作動させる。体の中が熱くなり、どう、と銃口から、エネルギーの弾が飛び出した。
「豆腐とワカメの味噌スープ。お袋の味ってやつだね。つまりワカメはアスで言うところのヘリングだ!」
「こんなべろんべろんした奴とへリングを一緒にしてんじゃねえよ。共通点つったらおま、魚介類ってだけじゃねえか」
背中合わせに文句を言うと、ハバキがくすくす、と笑う。
「出た、デンマーク人のニシン好き」
「へリング好きを馬鹿にすんじゃねー、っていうか俺は別に、へリング好きじゃねー」
「はいはい」
だっとまた飛び出しながら、ハバキがまた笑う。全然釈然としないけれど、何か仕方がないので、というよりむしろ、ムキになる方が大人げないぞ自分、とか何か気付いたので、んだよ、とか文句は言いながらも、戦闘に集中することにした。
●
九頭龍 剛蔵(
gb6650)の構えるM−121ガトリング砲からは、重い地響きにも似た音と共に、高速で放たれる数十発の弾丸が、飛び出していた。
「若布なんかどれもこれも味噌汁の具にしてやんよ」
普段はどちらかと言えば大きめの瞳を険しく細め、その奥に冥き炎を宿しながら、彼が小さな体で、M−121ガトリング砲を振り回す。
バチバチバチバチと、深い緑色のキメラの表面に、面白いように銃弾が食い込んでいく。「次に具にして欲しいんは誰やー」
そこから少し離れた海辺では、刀身の中央にセレスタインの埋め込まれた美しい外観の天剣、セレスタインを構えた御巫 雫(
ga8942)が、黒耀の石翼を揺らしながら、キメラに斬りかかっていた。ザックリと表面を切り裂き、より深い闇に満ちた黒い瞳でへた、となったキメラを睨みつけると、「フフン。まさに藻屑、だな」とか何か言って、言った瞬間にあれなにこれ意外と上手い事言ったんじゃないの、藻屑って上手いんじゃないの、とか何か、気付いた。
考えれば考えるほど藻屑って上手い、やばい、上手い、と自分で笑いそうになってたら、「もずくが、どうした」と、緋本 せりな(
gc5344)の声が言った。
「いや」
雫は、機械爪ラサータから飛び出す超圧縮レーザーで、キメラの表面を破ってはまた距離を取るせりなを振り返る。
「もずく、ではない。もくず、だ」
でももう既に、もずくのくだりとかどうでも良くなってるせりなは、「うっとおしいなぁ、巻きついてくるんじゃない! 食材のくせして生意気だよ!」とワカメのキメラに夢中で全然聞いてない。
「もずくではなく、もくずなのだが」
「ワカメね。ふむ、今夜はこれで味噌汁でも作ろうか」
「もずく、いや、もくず、ん? もずくいや、もくず‥まずいな、ハマった」とかいつこく言ってる雫の呟きを、立花 零次(
gc6227)の発生させた竜巻が、ごおおおと通り過ぎて行く。檜扇の形状をした超機械「扇嵐」を、優雅な仕草で操る彼からは、和に象徴されるような繊細さや美しさが滲んでいる。頭部を覆う漆黒の粒子が、彼の舞いに合わせてさらさらと流れ、まるで長い髪のようにも、見えた。
「しかし、キリがありませんね。ワカメだというのならメカブがあるはずですが」
そう言って、扇嵐をまた、さっと空に翳す。ワカメの層の厚い部位を狙い、竜巻を繰り出した。「こういうのは、元から断つのが一番ですね」
「元からね」
強弾撃を発動した剛蔵が、M−121ガトリング砲の銃口を次の標的へと向ける。腰でしっかりと銃を支え、引き金を押し込むと、凄まじい勢いで飛び出す銃弾が雨のようにキメラに降り注いだ。
●
「今回は廃漁船‥バグアも色んな場所を考えますわね」
のんびりとした口調で、ロジーが呟く。感心しているのかしら、とも思ったのだけれど、最終的には「とにもかくにも、足許注意と言った所ですわね」とか何か大雑把に纏めて、ぴこぴこぴこ! とか赤いぴこぴこハンマーを連打したので、感心してるのかしら、は、きっと勘違いだった。
その傍らで、暗視スコープの付いたヘルメットを被るセシリアが、無表情に、小屋の中を見渡している。こんなに何事も冷静かつ迅速に判断をしそうな彼女が、あんなに熱心に見つめているのだから、きっと何か、大切な事を確認しているに違いないぞ、と、佐藤は、思った。
やがて彼女がこちらを振り返る。あ、何か凄いこと言われる、絶対言われる、ほら、言うぞ、さあ、言うぞ、とか身構えた。
「‥流石廃船ですね。ぼろっぼろです‥」
抑揚なく、彼女が言う。
何かちょっと、見詰め合った。
何でもいいけど、ぼろっぼろとか、よっぽどぼろいって思ったんですね。とか何か思ってたら、「其処の」と彼女がまた、小屋に目を向け、「床板は、乗ったら割れそうですね‥」とか何か言って、「逆を言えば、誰かが乗れば割れるかどうか解る訳で」と、またこっちを見た。「誰かが乗れば」
とか最後に、駄目押しみたいに付け加えられても、途方に暮れた。しかもこのガン見されてる感じ、どうしよう、っていうか、今、凄い素早く覚醒とかされて、無表情に押し出されるとかありえそうで、そしたらそこはもう既に戦場だった。
と。
そこで、「ああっ! アンドレアス!! 床っ、床っ!」とか何かロジーのはしゃいだ声がして、え、とか振り返ると、
「ああ? ん、おわぁ!」
ベキベキゴリベキ! とか、何か、凄まじい音が鳴った。
片足を突っ込んだ長身の美形は、何だか凄い残念な眺めだった。
「あんだよこれ!」
「床板が、腐っていたのです」とか、分かりきったことを凄い真面目に、セシリアが言う。
「そうそう、腐ってたんですわ!」と、はしゃいだ声で言ったロジーが、ピコピコピコ! とまた、ハンマーの赤い部分を掌で叩いた。
「何で嬉しそうなんだよ、つか、ピコハンやめろって」
「アスが落ちた、アスが落ちたー」
細長い木の棒を振り回しながら、ハバキが駆けまわる。「愉快、愉快」
「いや、愉快言うな」
はまり込んだ足を、抜きながら、アンドレアスがため息を突く。」
「はい、お手をどうぞ、アンドレアス王子」
足場に木を付けながら戻ってこようとするアンドレアスに、ハバキが、芝居がかった仕草で手を伸ばす。
「はいはい悪ぃな、ハバキ王子、よっこらしょっと」
その様子を小屋から若干離れた場所で見つめていた雫が、むすっと言った。
「それにしても、虫が多いな。先程、民間人が置かれてあった廃漁船もそうだが。大量の虫が這っていたぞ」
黒く小さな虫が大量に蠢く光景を思い出し、眉をひそめる。「気持ちの良い光景では、なかったな」
「そうだね。うちの姉さんなら発狂してるところだ」
せりなが、腕を組みながら、言う。
「そう言えば」
辺りを見回し、一同の姿を確認すると、せりなに向き直った。「いつもの二人は居ないのか。少し寂しいな」
「でもまあ私も、今回の事件に関しては概ね把握しているつもりだよ」
それからちょっと遠い目をして、海を見る。「まぁ‥情報源に不安はないとは言い切れないけどね」
「ふむ、そうか」
それから、もう意思はおろか、ありとあらゆる力が抜けました、みたいな、べろんとした深緑の若布っぽいキメラを広げて、「加工して食べとく? 味噌汁とか佃煮とか、いろいろあったんちゃん、若布の使い道て」とか何か言ってる剛蔵を見やった。
すると向こうもちょうど顔を上げたところで、何か、目が合った。
きりっとした顔立ちの少年が、じっと何かこっちを見ている。品定めをしているようにも、顔色を窺っているようにも見え、何だこれは、こういう時、どうすれば良いのだ、と、もう子供の扱いが若干苦手気味の雫は、困った。
そしたら何か、「俺、九頭龍 剛蔵というんや、よろしゅうにな」とか、彼が言うので、今更自己紹介か、と驚いた。
「うむ、何というか」
と、ちょっと言葉を探したけれど、全然見つからなかった。「知っていた」
「ま、そうやんな」
そして少年はまた、昆布を眺める作業に戻る。
「とにかく。オードブルは終わったな。あとはメインデッシュを待つだけか」
「メインデッシュねぇ。民間人を保護しておき迎えに来た敵が手ぶらで帰るのを追跡って、やつか」
アンドレアスが、煙草に火を付け、口を挟む。
「この作戦で、事態が解決に向かってくれれば良いのですが」
双眼鏡を首から下げた立花が、考え深げな表情で呟く。「しかし、民間人や飯田さん、佐藤さんを危険に晒すわけにはいきません。出来れば、次は先手を打ちたいですね。そのためにも敵側にはいつも通りと思わせておきたいところです」
「遠くから中の状況がバレて、引き返して来られてもアウトだが」
雫が続きを浚うように、言う。「民間人を渡すのも、替え玉をするのも、リスクの方が大きい。これに賭けるほか、あるまい。運が良ければ、目的に近付けよう」
「奴らには、これまで通りの失敗と認識させるつーわけだ。俺も実際、まだ状況を大きく動かしたくねえっつのが、本音だしな。何せまだまだ、謎が、多すぎる」
そこで、ちら、と佐藤を見やり、そして一同から少し離れた場所で、ぼんやりと佇む飯田のことを、見やった。
「それは私も思うな。だいたい、この一連の事件は、バグアが生贄を欲しがり、バグア派がそれを差し出して、受け取りに来る、という構図なのだろう。ならばまず第一に、キメラは何の為に配置されている? 偶々か、監視の為か、或いはただの餌か。‥解せぬ。そもそも、民間人がキメラに襲われたら元も子もない」
「監視の為だろう、というのが、僕と飯田君の見解ですが。つまりは、敵ももしかしたら、何らかの、警戒をしていた、という事かもしれないですね。あるいは、もしかしたら、いや、これは後でお話しましょうか。とにかく、民間人についても、キメラに食われればそれはそれで、という意識だったのかもしれません。さほど、興味を抱いていない」
「さほど興味を抱いていない? こんな、大掛かりなことをしておいてか」
「他の目的があったかもしれない、ということです。ところで、先程、まず第一に、と仰いましたが、他にも何か、解せないことがありますか」
「佐藤はともかく、飯田が能力者ということも不可解だ。そのバグア派とやらにエミタの調整が出来る人間がいるか、或いは‥。どちらにせよ、芳しくは、ない」
「これは実は、僕も知らなかったのですが」
言葉を切り、飯田を見やった佐藤は、また雫を見る。「彼もまた、ULTで管理される能力者の一人だということです。実際、飯田君の過去や行動は、僕ら末端の人間が知らなかっただけで、組織の上層部は把握していた節があります」
「知っていたのに、放置、していたのか」
「あらゆる問題が、山積みになってる状態では、それも、仕方がないことなのかも知れません。把握はして、監視は続けている、というのが現状なのではないでしょうかね」
「監視とはな。フン、悠長なスタンスも言葉を変えれば聞こえがいいな」
「実際、貴方達と出会わなければ、彼の計画は頓挫し、立ち消えだったでしょうね」
「軽い気持ちで始めた事でも、始めた限りは、動き出すモンだ。しかもここで、迎えに来ている事実、拠点の場所が確認できたらデカい」
「じゃあさ、じゃあさ、この辺りに隠れて、見張るのは、どう?」
細長い、木の棒を小屋に向け振り回しながら、ハバキが言った。その後で、振り回していた木の棒をザシュ、と砂の上に突き刺した。じりじり、と動かし、海辺の砂に何かを書いている。
「この辺りって、どの辺りだよ」
「だからさー、この辺にこうやって隠れて、で、民間人が居たのが、あそこの船でしょ。だからこー、バグアを見張って」
「うんいやそれ、見えるから。隠れてねぇから」
「ぎりぎりセーフーじゃ」
「隠れてない」
「それにしても少し、寒くなってきましたわね」
のんびりと言ったロジーが、きっぱりアンドレアスに指摘され、すっかりしょんぼりしながら○とか何か書いてバグア、とか書いて、オレとか書いて、あ、でも足で消してる、みたいな、特に無意味そうな動きをしてるハバキに、もふっと、寄り掛かる。
「おっと」
まるで、飼い主に頭わしゃわしゃされてるゴールデンレトリバーみたいに、柔かそうな髪をなでられまくってるハバキは、「どれくらいの時間、ここで待たなきゃいけないんだろー」とか、もう全然、わしゃわしゃ攻撃慣れ過ぎてスルーみたいに、ちょっと真面目な事を言う。
「ここで長時間待つのは、しんどいだろー」
アンドレアスが、面倒臭そうな表情で煙草の煙を吐き出す。「しっかし寂れた海辺とか。なーんか地元思い出して暗澹としてくるな」
そこでハッ! と何かを思いつきましたあたし! みたいなロジーが、ハバキから離れ、「冬の海ですわ!」と、拳を握りしめた。
「セシリア、こっちですわー! 冬の海! 何か叫ばねば‥っ!」
すっかり勢い付いたロジーが海辺へ向かい駆けて行った。
●
双眼鏡を覗きながら、漁船付近を観察する立花の隣で、覚醒状態に入った雫が、探査の眼とGooDLuckを発動していた。
各人は、それぞれの位置に付き、受け取り手が現れるのを、息を潜め、待っていた。
せりなもまた、じっと、漁船付近を凝視する。
吐き出す白い息が、空に溶ける。
波の音すら、騒がしく、聞こえる。空気の震えにすら、敏感になる。
一方、セシリアとロジーは、小屋の中から漁船付近を監視していた。
「どっちにしろ、俺は外からの見張り役だもんね」
「おい、そわそわすんじゃねえぞ、ハバキ」
「俺だって、少なくとも、どんな奴が、どうやって来るのか見極めたいもの。だから、待ち伏せ中は、大人しく‥している!」
とか何かふざけながらも、ハバキは、隣に静かに佇む飯田のことを、ちら、と見やる。
「あのさ」
少し言葉を切ったあと、「いいのか?」と然とした問いかけを、投げた。
待ち伏せを進言したのは自分だ、という責任に、ほんの少し、戸惑いがあった。不安と言い換えてもいい。ただ、それをそのまま口に出してしまうことは、皆のやる気を否定してしまいそうで、少し、怖い。
少しだけハバキを見やった飯田が、また、前を向いた。
「大丈夫だよ」
どういう意味が込められているのかは分からなかったけれど、そっと囁かれた言葉が、すとん、と胸の中に落ちた。
「そう」
ハバキはまた、前を向く。
緊張という緊張が、じりじりと腹の底にたまって行き、体中を覆い尽くされるのではないか、という不安が、頂点に立ちそうになった頃、せりなは漁船に近づいて行く人影を見つけ、ハッとする。
「来た」
誰かが、鋭く、呟く。
●
「でも、ありゃあ、どういう様子だったんだ?」
浜の目立たない場所に放置したジーザリオの運転席のドアを開きながら、アンドレアスが眉を潜める。
漁船をくまなく調べた二人組の受け取り手達は、さして不審がる様子もなく、むしろ、しっかりと頷き合うと、車両に乗り込み、去って行った。
「追跡追跡ー!」
ハバキが助手席に乗り込みながら、言う。
後ろに乗り込んだロジーが、セシリアと挟み込むようにして中央に乗る飯田をじーっと見つめた。
「飯田の顔を相手に見られると厄介ではありませんこと? そうだわ、女装でもして頂くのは、どう?」
「凄い、わくわくした顔してるけど、大丈夫か、ロジー」
ルームミラーに、アンドレアスの呆れた目が、写り込んでいた。とかもう全然聞いてないロジーは、「用意してきたお洋服に着替えて頂いて‥髪はけもみみ帽子でお願いしますわね」
「いや、服は、いいんじゃないかな」
嫌がってるのか、嫌がってないのか、全然伝わってこない覇気のなさで、飯田が、言った。
「車は用意した。さ、乗ってくれ」
せりなが、機敏に言い運転席のドアを開く。そこで、あ、と固まった。まずい、という表情をすぐさま、浮かべる。それから慌てて回りを見た。
「しかし、あの様子は不自然だった。まるで、民間人が居ないことを確認しに来てるようだったぞ」
とか何か言いながら、自分の考えに夢中、みたいな雫が、助手席のドアを開ける。やはり、無表情に、固まった。
「ええ、本当に。大して、不審がってる様子がなかった。あれは」
後部座席のドアを開いた立花が、やはり、え、といった様子で固まり、それから、せりなを見やった。
「あの、せりなさん」
ごつごつとしたしジーザリオの車内は、ぬいぐるみやら、可愛らしい色や形をしたクッションやら、ピンクのラメ色の鏡とか、櫛とか、音楽を記憶した媒体と思しきものが詰まった、ファー付きのピンクのボックスらしき物とか、とにかく、何か凄いファンシーな物が色々と転がっていた。
「これは、何ですか」
「何って、何が」
とか今更、全然平気な振りとか装ってみたけど、立花にはすっかり、しまったまずい、の顔を見られていたようだった。
「もしかして、これ、せりなさんの」とか言う顔は、凄い真面目な好青年のままなのだけれど、明らかに良からぬ事を考えられてそうな予感がした。
例えば、あんなクールな顔して、どちらかと言えば中性的な彼女も、やっぱり女の子なんだな、可愛い物好きなんだな、下着は、もしかしたら、ピンクのフリルかな、いやむしろ、白いフリルかな、とか、冷静に考察しているのではないか、とか、そういうことだ。
「立花さん」
「何ですか」
「嫌らしいことを考えるのは、やめて欲しい」
「ええ?!」
「そうか、立花はそういう趣味があるのか。真面目な顔をして侮れん」
「いやあのそんな凄い真面目に、やめて下さい」
「何だ、違うのか」
「じゃあもう最悪何でもいいですけど」
否定しても分かって貰えなさそうな気配がしたので、立花は、反撃に出ることにした。「この車内の趣味には、負けますね」
「勘違いしないでもらいたいけど、これは私の趣味というわけでは、ない」
「ほお、そうですか」
「取りあえず走行に支障はないし、ちゃんと乗れる。問題はない。急なことで片づけてなかったんだけど‥うん」
「へー、そうですかー」
「だいたい、負けるって何だ、何の勝負なんだ」
エンジンキーを回しながら、せりなが噛みつく。ふふん、と立花は小さな笑みを浮かべ、聞き流す。「ああ、可愛い櫛だ」とか何か、芝居がかった口調で、座席に落ちているそれを拾う。
「だからそれは、私の趣味ではないと」
「喧嘩はそこまでだ」
シートベルトをきっちりと締めた雫が、前を見据え、言う。「さあ、さっさと行くぞ。奴らの、行き先を突きとめる。前の車に、続け」
一方、現地に残り、民間人の保護に当たっていたセシリアと剛蔵は、辺りを警戒しながら、ぐったりとしている民間人を見つめていた。
「話聞いてたら、何か、今までにもこういう事件、あったみたいやね」
ポツンと、剛蔵が、言う。
それをちら、と無表情に見やったセシリアは、問いには答えず、質問を返した。
「九頭龍さんは、どうして参加なさったのでしょう」
「民間人を」
言葉を探すかのように少し俯いた少年は、また、顔を上げる。「守るべきって気がするからな」
「そうですか」
その間にも、セシリアは、ごそごそと民間人の衣服を調べ始めた。
「何してんの」
「あの飯田という青年が依頼をしてくる救出事件では、これまでに、民間人の衣服からメモが見つかったりしています。ですから‥今回も、そのような物がないかを調べています」
「そう、なんや」
そこで、ウっと民間人がうめき声を上げる。意識はあるようだったが、何らかの薬物が投与されているようでもあり、まともに喋れるような状況には、見えなかった。
それでも彼女は、抑揚のない表情で民間人に歩み寄ると、「どうやって此処まで来たのですか」と、問いを投げた。
「その際、貴方はどんな人物と接触したのでしょうか」
「話、できひんの、ちゃう?」
不安げに、剛蔵がセシリアを見上げる。
「ならば、方法を変える迄です」
セシリアは、アンドレアスから借りたノートPCを起動させた。
●
「ところで、飯田さんは、能力者だったのですわね。飯田さんの傭兵としてのクラスは、どうなるのでしょう」
敵側が乗り込んだ車両を見失わないように追跡しながら、ロジーが、隣に座る飯田を見やった。
「そういえば、2人とも能力者だったんだよねぇ。あ、スナイパーとキャバルリーとみたっ」
きゅぴーん、とか何か、言いながら、ハバキが後部座席の飯田を指さす。
「ご名答。佐藤君がキャバルリーで、俺が、スナイパーになるね」
「おお、やっぱりー。そうなんだー」
「そういえば、お母様は確か、お亡くなりになられてたんでしたわよね」
佐藤の名前からそのことを思い出したのか、ロジーが、ぼんやりに呟く。
「佐藤君に、似たね」
自嘲気味に笑いながら、飯田が頷く。「そうだね」
「そういえば、お兄さんと、お父さんって、どんな人なの?」
「どんな人、って?」
「いや、ほら俺はさ、父さんの顔は知らないし、母さんは15の時に出てったきりだから」
「だから?」
「家族の絆だなんだ言える筋合いじゃないけど‥みんな、仲良くできたらいいのにって、思って」
「仕方ないね。例え、血が繋がってたとしても、考え方が違っていれば、共に生きていくことは、出来ない」
「そういう考えは、男性ならではなのかも知れませんわね。何としてでも自分の家族や家庭だけは守ろうとする女性は多いですわ。別離するより、懐柔を」
煙草に火を付け、煙を吐き出したロジーが、淡々と、言う。
「確かに、あの人が生きてたら、また、違った道を辿っていたかも知れないと思うことは、あるね」
「じゃあさ、話に行ったりとか、しないんだ?」
「しない」
「では、お父様とお兄様がバグア派へ転向されてからは、一度もお会いになってないと?」
「家を出てからは、そういうことになるね」
「それでお前は、どうやって情報を仕入れてたんだ」
アンドレアスの声が、飛んだ。「だいたい、情報提供は有難いがお前は一体、どうしたいわけよ」
「どうしたい、とは?」
「こんな嫌がらせみたいなコト続けてる理由はなんだ。本気で潰すなら方法はあるだろ、UPCに駆け込むとかさ。まだお前さん、手の内全部は明かしてないだろ。さっきも佐藤の奴が何か、意味深な事を言ってたしな」
ルームミラーの眼が、鋭く、細められる。
「隠されてると知りたくなる性分なワケよ」
「先程の話だがな」
雫が、言った。
「先程の、話? 何でしたっけ」
「勿体付けるのはよせ。後でお話しましょう、と言ったのは貴様だぞ。さっさと、隠していることを、話せ」
「隠してる、なんて、大袈裟な事ではないんですが」
佐藤は肩を竦めて、「実は、過去に行われた民間人救出作戦の内、後半の事件は、バグア側の作戦だった可能性があります」と、告げた。
「それは」
雫が、助手席から振りむき、凄んだ声を出した。「どういうことだ」
「前にも言った通り、俺は、バグア派に転向した、父や兄を許すことは出来なかったし、その組織を潰そう、とも決意をした。父や兄は組織のトップだけれど、内部の皆が皆、父や兄に追従してるわけじゃない。内部には、反対している者も居た。俺は、その中の一人と密かにコンタクトを取り、内部のことを知り得ていた」
「つまり、お前とは違う第三者がバグア側の末端からお前に情報を渡していた、ということか」
「そう言う事になる」
「その相手は、信頼出来る相手なのか」
「志は同じだと理解してる。だから、その彼の身に危険が及ぶのだけは避けたかった。俺の態度が煮え切らないように見えていたのなら、そのことが一つ、あるかもしれない。でも、君達が動こうとしてくれているのに、いつまでも俺が煮え切らないわけにはいかないと思った。後は、家を出て暫くしてから、自分がエミタの適合者である事を知ったんだけど、エミタの適合者である俺がそんな家の出の人間だと知った時の、ULTの態度に、不信感が沸いた、というのも、ある。前にも言った通り、こんな俺が何を言っても、信用して貰えないだろうな、というね」
「その内通者から、施設の場所とか聞きだしたりは、出来ないの?」
「知ってたら、そうするけど、バグア側の情報は、末端の人間では知り得ない。だからこんな回りくどい方法を取るしかない」
「そういうわけで、飯田君はその人物からの情報を頼りに、民間人を救出依頼を出していたわけですが、バグア側もどうやら、その動きに気付いたようなんですよ。キメラのくだりの時にもお話しましたけど、最初こそ監視の為に配置していたキメラも、後に違う意味を持つようになってたのではないでしょうかね。牽制というか、警戒というか、倒されれば、能力者がその場に居た事も分かるでしょうしね」
「つまり、裏切り者をあぶり出す為のバグア側の作戦だった、ということか? 我々はその作戦に乗ってしまっていたと?」
「そういうことになりますね。だから、後半に用意された民間人には、さほど、意味はなかったのかも知れません。それこそ、捨て駒のような。こちらの動きを、あるいは、内通者の動きをみる為だけの捨て駒」
「益々、人の命を何だと思ってるんだ、って感じだね」
ハンドルを操るせりなが、不愉快そうに眉を動かす。
「バグア側は、わざと事件を起こし、内通者が動くのを待ち、それが誰なのかを突き止めたかった」
「しかしそうなるとお前の身も危険にさらされることになるんじゃないか。その、内通者が口を割ったら」
「彼を信じるしかない。最後に連絡と取った時には、逃げるよう進言したし、後は彼が決める」
「お前に、自衛手段はあるのかよ」
「ない。戦って、バグアを潰すのが、唯一の、自衛手段だ」
「となると、これは、どうなる」
「どうなる、とは?」
「奴らは、もしかしたら私達が後をつけていることも、今、分かっているんじゃないのか」
「それは、分かりませんが」
と、佐藤が言ったその瞬間だった。
キュウッっと体に凄い圧迫がかかり、車内全体が前のめりになった。
「どうした!」
「前の車が」
せりなが指をさした先に、アンドレアスの運転するジーザリオが見えていた。「バッグ、してくる!」
「本当だ。後退しています」
立花が双眼鏡を覗き、頷く。その時、無線機がぴぴ、と音を立てた。「雫だ」と応答をすると、ジジジと、雑音混じりの声が、聞こえる。
「こちら、ハバキ。威嚇射撃された。どうやら相手に気付かれたみたいだ。俺達は後退する。隠れて!」
「俺達は、ここまでだ。後は、頼んだぜ」
漏れ聞こえるアンドレアスの声が、言った。
●
「そちらの追跡は、どうでしたか」
浜辺に戻ると、セシリアが言った。
「あたし達は、途中で発見されてしまいましたわ。それで、戻って来たんですの。せりな達が、バグアを追って下さったわ」
「そういえば、あの付近に、バグア側の施設があった、って事ではないのかな」
ハバキの声に、雫が答える。
「どうも、違うようだ。最初は奴ら、警戒して違う場所に向かって走って、わざと私達を追わせていたのかも知れん。バグアが内通者について逆調査を始めてたのなら、こちらの動きにも警戒してただろうしな」
「方向を変え、全く別の場所を走っていましたよ。詳しい場所は後ほどお教えますが、とにもかくにも、バグアの車両の特徴は、きちんと覚えました」
立花が同意するように、頷く。
「実はこちらも、以前に救出した民間人から、話を聞くことが出来そうです」
セシリアが、冷静な声で、言う。「きっと、有益な情報が何か見つかるはずです」
「恐らく、今回の事でこちらの動きは、完全にバグアにばれただろうね」
「だがまだ、糸が途切れたわけではない。確かに今後、民間人を救出することは、もう、ないだろう。だが、むしろ、これからが本番。あとはどう、バグアを潰すか、だ」
ハバキの声に、また、雫が、答えた。