●リプレイ本文
新聞紙を開いた國盛(
gc4513)が、ページをめくりざま、ちらっと、カフェテラスの前の通りを行く男の姿を確認した。
「今、対象の前田がカフェテラスの前を通り過ぎて行った。順調にそちらに向かっている」
変装用にかけた銀縁眼鏡から、鋭い眼孔を差し向けながら、スーツの中に仕込まれた小型無線機に向け、彼は喋る。
「ビルの方は、どうだ?」
「こっちは、準備完了だよ」
清掃員の姿に扮した緋本 せりな(
gc5344)が、警察によって用意された、清掃会社のロゴ入りワゴンの後部座席から、返答を返した。
隣では、セシリア・D・篠畑(
ga0475)が、時折、掌サイズの双眼鏡を使用し、ビルに出入りする人影をチェックしている。
二人の乗った車は、ビルの裏手にある駐車場内に停車していた。その駐車場から少し離れた場所には、セシリアが追尾用に用意した、白い車体のインデースも停車されている。
「それにしても」
せりなは膝の上に置かれていた、今回の対象である前田の写真を手に取った。
「この前田といい、中村といい。毎度毎度、対象の男はぱっとしないな」
って何か写真を見ていたら、ふとセシリアが、前回の対象の男、中村の写真に落書きしていたことを思い出した。けれど今日の彼女は、わりと真剣にちゃんと人の出入りをチェックしていて、そんな落書きしてる暇なんて、とか思いながらも、何か地味に気になって、ちょっとその膝元に置かれた写真を盗み見た。
そしたら、いや絶対それ描き掛けですよね、描き掛けで何かもう飽きたとかでやめたんですよね、明らか、鼻毛描こうとしてたんですよね、みたいな黒い線が一本、前田の鼻から。
って顔を上げたら、びっくりするくらい表情のない、むしろ何処かちょっと機械めいたセシリアと、思いっきり、目が、合った。
「それってもしかして鼻毛‥‥」
「‥‥せりなさん」
「え、うん」
「終夜・無月(
ga3084)さんが、今、レーイン興業内に潜入されました」
「あ」
顔を上げたら確かに、白銀の髪を黒く染め、赤い瞳にも黒のカラーコンタクトをつけ変装をした終夜が、スーツ姿でビルの中に入って行くところだった。
彼は今回、絵画を購入を検討している好事家を装い、レーイン興業内の潜入する手筈となっていた。とかいうのを見つつ、やっぱり気になる写真の鼻毛めいたものを、ちらっと、見た。
「それでセシリアさん、それはあのやっぱり、鼻毛‥‥」
って全然聞いてない臭いセシリアは、「あとは」とか何か呟いて、ビルの方を見た。「警備室の方ですね」と、凄い冷静に続ける。
「ああうん。あっちから連絡が入ったら、私も乗り込むよ。大丈夫だ、ドジはしない。少しでも情報が得られるようバックアップする。‥‥で、それーは、あのやっぱり鼻毛‥‥」
そしてその頃、ロジー・ビィ(
ga1031)と天羽 圭吾(
gc0683)は、警備員が出入りに使用する裏口の前に立ち、中の動向を窺っていた。
「行きますわよ」
ビル警備の、警備員と全く同じ制服を身に付けたロジーが、覚醒状態に入り、相手の決意を試すように、言う。
のを何か、ものすごーい、アンニュイな雰囲気で受け止めた作業着姿の天羽は、覚醒すると、やたらいろんなことが煩わしくなってしまう体質も手伝って、かなり面倒臭そうな口調で、「たりぃなあ」とか何か、言った。
「こんな回りくどい事をしなくても、警備会社に警察の名前は出せなかったのか」
「仕方ありませんわ。現段階では極力、警察が動いている事を相手に知られたくありませんし、表面化した事件との関連がはっきりしている状況でもありませんのよ。一先ず今回は、多少強引に入り込むしかありませんわ」
「あ、そ」
って聞いといて何だけど、もう全然面倒臭いんでそこのくだり全然聞いてません、みたいに天羽は顔を背け頷く。
けれど、わりとマイペース突進型な所のあるロジーは、そんなちょっとした反抗はもう、全然見なかったことにします、くらいの勢いで、さっそくもうこんこん、とか、手袋をはめた手で、ドアをノックしていた。
そしてドアノブが回されるのを確認するや否や、二人は左右に別れ、ビルの陰まで一気に走った。互いに建物の影に隠れる。顔を出した警備員が、何事かと外を覗いている。
そこで天羽は、懐に忍ばせておいた拳銃「ライスナー」を地面へと落とし、物音を立てた。警備員が物音に気付き、訝しげによたよた、とそちらの方へ近づいて行く。
それを見たロジーは、また一気に走り込み、警備員の背後から、鮮やかな動きでする、と室内へ身を忍ばせた。そのまますぐさま物陰に隠れじっとしていると、そんな彼女の目の前で、戻って来た警備員が、何事もなくまた席に着いた。
その瞬間を狙い、素早く、動く。
少し、眠って頂きますわ。
警備員を失神させると、「警備室の乗っ取り、完了」無線機に向け、手短に報告をする。
「了解」
その声を聞き取ったせりなが、清掃会社のワゴンと共に警備室の前を通過して行く。「私も潜入完了だ」
「國盛だ」
一方、前田の後を尾行していた國盛はその頃、レーイン興業内へと入って行く前田の姿を確認していた。
「今、前田がビル内に入った」
無線機に向けさりげなくそう報告すると、彼はそのまま、ビルの前を通過して行く。
「了解。引き継ぐ」
ビルの裏口から、ビル管理技術者として潜入した天羽が、更にその動向を追う。梯子などのそれらしい道具を積んだ荷台と共にエレベーターを待ち、それが到着すると先に乗り込み、六階のボタンを押した。
点灯する表示階数を見た前田が、そのまま閉のボタンを押した。
その間にも、先に潜入を済ませているせりなから、内部の様子が無線機を通し報告されてくる。「大部屋が一つ。会議室三つに喫煙所、あとは給湯室と、トイレがあるね」
エレベーターが六階に到着する。
「レーイン興業到着。前田も降りた。これから、潜入する」
天羽は手短に報告すると、通路を歩きだし、エントランスですれ違った女性に、ビルメンテナンスの者です、と声をかけた。
はあ、と相手は気のない返事をする。天羽は構わず、「会議室と、喫煙所の空調設備の定期点検をさせて頂きますので、宜しくお願いします」と、続けた。
「はあ。ただ、第一会議室は、ただいま来客中の為使用中ですので」
「ああそうですか、分かりました」
恐らくそれは、客人として先に潜入した終夜の事だろう、と検討をつけながら、天羽は、このどう見ても普通の女性にしか見えない彼女は、この会社の背後に暴力団の存在があるかも知れないことを、分かって勤めているのか、とそんな事をふと、考えた。
そしてまた荷台と共に歩きだす。
せりなからの報告があった大部屋の前を通過する際、さりげなく、中を覗き込んだ。前田の姿を確認する。他には、スーツ姿の男性や、事務職員らしき女性の姿が見えるだけで、さほど、物騒な気配は見えない。
第二会議室に入ると、すぐさま、仲間へと無線に向かい報告を入れた。
「天羽だ。前田のデスクを確認した。あの男はやはり、どうやらここの社員のようだ。これから、会議室と喫煙所に盗聴器を、仕掛ける」
「やはり、社員か」
呟いた國盛が、ヘルメットを取った。
「俺は今、前田の追跡に使用するバイクを駐車場付近に止めた。これからワゴン内で待機する」
その宣言通り、程なくして掃除会社のワゴンへと乗り込むと、中では、無人になった車内のモニターに映像が映っていた。
どうやら終夜の商談の様子が、彼の身に付けた小型カメラを通し、映し出されているらしい。
けれどそれは、商談と呼ぶには、余りに滑稽な映像だった。椅子に座ったレーイン興業の社員と思しき男が、ゆらゆら、と身体を動かしながら、何事か意味不明の言葉を叫んでいる。
終夜の姿は見えない。けれど、彼の声は聞こえていた。まるで鼻歌を歌うようにぼそぼそと、その声だけが聞こえている。
「どんな様子だ?」
「今、終夜さんが、ほしくずの唄を発動して、相手を混乱させている。これから、相手のパソコンのメール履歴をチェックするところだよ」
終夜と合流していたらしいせりなの声が、聞こえた。
確かに暫くすると、画面には、パソコン画面のような物がアップで映り始めた。
受信メール、送信メールが、一つ一つ丁寧に展開されていく。
「地球環境協会宛のメールが多いみたいだ」
せりなの声に、「そんな団体、聞いたことがないぞ」と國盛が答えれば、「ええ、確かに、聞いたことのない団体名ですわね」と、警備室のロジーが答え、「何か‥‥飯田組と関係のあるようなものは出て来ないのでしょうか」と、インデースの車内で待機するセシリアが、呟く。
その瞬間だった。
「これは‥‥!」
せりなが鋭い声を発した。
「どうされましたの」
「地球環境協会御中、新見様‥‥飯田様‥‥! レーインの社員がやりとりしているメールの中に、飯田の名前があった」
「また、飯田か。どういうことだ。飯田組は暴力団だろう? 地球環境協会って、何だ」
「分かりませんけれど」
ロジーが、言う。「少なくとも、レーインと地球環境協会、そして飯田組は何らかの繋がりがあるということかも知れませんわね。飯田組‥‥あの飯田さんとの関わりがあるのかしら。だとしたら早く真相を掴みたいところですわね。相変わらず飯田さんの行方も知れないですし」
「行方が知れない、とはどういうことだ?」
詳しくは事情を知らない國盛が、小首を傾げたけれど、「飯田さん‥‥待っていて下さいませ。きっと助けていつか女装して頂きますから」とかもう何かちょっと違う方向に燃えちゃってるロジーは、あんまり聞いてないようだった。
と、思ったら、そのロジーが「あ」と声を上げる。
「どうした」
「終夜、せりな、すぐに作戦の中止を。社員が一名、通路をそちらに向かい歩いて行きますわ。トイレかもしれませんけれど‥‥いえ、通り過ぎましたわ。会議室に行くのかも知れませんわよ」
緊迫した声が状況を告げる。
「了解」
せりながまず返答を返し、「出るよ」と、会議室を去って行く。
「こちらも了解」
終夜の短い声が言ったかと思うと、途端に唄が止む。けれど、相手はまだ、微かに混乱の中にあるようだった。
「今入られると不味いですわね」
「私が時間を稼ごう」
会議室のすぐ手前の通路で、ゴミ袋を交換していたせりなが、そう言うや否や、歩いてくる社員らしき男にどん、とぶつかった。
そのまま、多少わざとらしく押し込む感じで、すぐ近くに止めてあったワゴンへとなだれ込む。ばしゃあ、と中身をぶちまけ、「おいっ何やってんだよ!」とか何か文句を言われると、「ああ、すまない」って全然すまなそうではないけれど、一応それが彼女なりの演技らしかった。
「すまないついでに手伝って貰っても、いいかな。慣れてなくて、いや本当に申し訳ないんだけど」
とか何か言って、相手をじーとか、見る。相手は、どう見てもただの若い清掃員の女性が、びっくるするくらいマイルドに図々しいので、暫く何か、呆然とした。
その頃セシリアは、前部席シートに隠れるようにして身を潜めながら、スモークガラスになった後部の窓から通りを行く車を監視していた。
その眼前を、一台の黒い車が通り過ぎて行く。
「‥‥あの車」
見覚えのある車体に、弾かれたように双眼鏡を構えた。
その間にも男は、車を駐車場に停車させ、降り立ってくる。
「今、あの中村の自宅から出て来た男が、ビルの中へと入って行きます」
「こちら警備室。エントランスにその男を確認。確かに似ていますわ、飯田さんに。何処がどうとは言えませんけれど‥‥とても。ああ、その人物が携帯電話を取り出し、話出しましたわ。通路の方では、同じく前田が携帯を持って動いていますわね。会議室に向かい歩いて行きますわ」
会議室にしかけた盗聴器の音声は、良好とは言えなかった。
前田と、そして、謎の男との間でぼそぼそと交わされる会話が、とぎれとぎれに聞こえてくる。社員から、であるとか、あと一人、であるとか、そんな言葉が時折聞こえた。
これでは全く内容が分からない、と苛立っている間に、二人の密談は終わり、今日仕入れられる情報はここまでか、と思った時だった。
喫煙所に入って行った謎の男が、携帯電話を取り出し、通話を始めたのだ。
「もしもし飯田さん? 新見です」
狭い室内で話す男の声は、会議室のとは打って変わり、随分と鮮明に聞こえた。
「情報交換は喫煙所からってな」
天羽の声が、言った。
「やるじゃないか」
せりなの声が、便乗する。「それにしてもまたも飯田さんと来たか。全く、私達の知ってるあの飯田さんに尋ねられるものなら、尋ねたいね。似ている男まで現れて、以前の救出依頼との関係が濃厚になってきてる」
「けれど新見? セシリアやロジーは、この男が飯田の身内ではないかと疑っていたんだろう」
「ええ。そうですわね。どう見ても、身内としか思えないくらい良く似ているんですけれど」
警備員が目覚める前に、ワゴンへと退散してきたロジーが、言う。
「あるいは」
セシリアが、ぼそ、と呟いた。「いとこ‥‥という可能性も考えられます」
その間にも、新見と名乗った男は、話を進めている。「例の件ですが。今回はレーインから一人。もう一人は中村を使います。ええ。前田には確認を取りました」
「新見は何を話してるんだろうな。例の件とは、何だ」
「これはもしかして、取引の話ではありませんこと?」
「取引?」
「そう。生贄の取引」
「生贄? 何だそれは?」
「以前、あたし達はとある民間人の救出依頼に関わっておりましたわ。その依頼主が、あたし達の知ってる飯田さんですの。彼は、親族がバグア派でありながらもそこを抜け出し、その組織内に居る内通者を通して、バグアに様々な意図で利用されるため提供され続ける人間達を、私達に救わせていたんです。それが‥‥」
「彼は、その内通者の救出を企てた際に浚われてしまった」
セシリアがその後を、続けた。「今は、安否が分からない状況です」
「今回の事件は、行方不明者の遺体が上がった事から始まってる。そしてその遺体には、バグアが絡んでいるような痕跡がある、か。確かに、今回の事件とリンクする部分は、あるな」
國盛が、独り言のように、呟く。
その時、モニターの中の新見が、言った。
「孝俊は大人しくしていますよ。不審な動きも見られません」
孝俊。
飯田を知る能力者達の脳裏に、その言葉が、一瞬、残った。
「孝俊って誰だろうな。まさか、私達の知ってる、飯田さん?」
せりなの声が、冗談めかして、言う。
その間にも、社内の動きを見ていたらしい天羽の声が、「新見が、レーインを出る」と、無線機を通し報告をした。
「私が、あの車の後を‥‥新見を追跡します」
セシリアが、言う。
その声には、凛とした決意が滲んでいた。