●リプレイ本文
人工のため池から漂ってくる匂いと瑞々しい緑の匂いとが混ざり合い、辺りには、垢ぬけしない荒削りな、けれど何処か優しさも感じるような、独特の匂いが漂っていた。
青い空が見える。
緋本 せりな(
gc5344)は、ゆらゆらと水面に浮かぶボートの上に寝そべり、奇妙な浮遊感を味わいながら、この公園の何処かに仕掛けられているかも知れない、蜘蛛の爆弾について考えていた。
一先ず、水中には、なさそうだ。
そして、調べてみた乗り場やボートにも、爆弾の気配はなかった。
せりなは体を起こして、辺りを見回した。ため池を取り囲むようにして造られた遊歩道。東屋。そして、売店。
閉まったままの売店なんて、人が寄りつかない格好の場所でもあるから、結構怪しい。ただ、人が寄りつかないとなると、では荻野は一体何を吹き飛ばしたいのか、という疑問も同時に沸き上がってくるような気がした。
そこに爆弾が仕掛けられている、意味は。この場所である必然性が無かった時は、それが一体何を意味するのか。
荻野は単なる愉快犯なのか。
あるいは。
「意外と狙ってやっている行動、という感じも否めないんだよな」
せりなは、小さく、呟く。
ふと、先程合流した、終夜・無月(
ga3084)が、体は明らか思いっきり重体ですよね、みたいな様子で、恐らくは体中に巻いてあるだろう包帯を首筋に覗かせ、そのくせ信じられないくらい無表情に言っていた言葉を思い出した。
「蜘蛛は確かにふざけていますが、あまり冗談では済まない気もしますね、爆弾の方は」
いや、これじゃない。ええっと、この次は。
いやそんな事より体大丈夫なんですかとか思った瞬間、「重体でも何でも仕事はキッチリこなします」とか、ええ鎮痛剤と気力で体動かしてますけど何か、くらいのフツーの表情で、もー言った。
いや、これでもない。
「荻野が犯人と言うのが濃厚の様ですが、真犯人が別に居る事及び協力者が居る場合も考え、捜査に当たった方がいいかもしれませんね」
そうだ。これだ。
彼はそう言っていた。そしてせりなもそれに近い、例えば、この事件の裏には、もっと他の真実が潜んでいる可能性があるような。
そんな予感がしていた。
その数時間前、エイミー・H・メイヤー(
gb5994)は、大森氏には覚えがなくて、荻野にはあるということは、もしかしたら、大森氏が何かを隠したがっているのではないか。と。そんな可能性について考えていた。
そんわけで今回は特に二人の関係性に重点を置き、大森の職場で聞きこみを行った。彼女は、猫のような少し釣り上がり気味のアーモンドのような瞳を、更に釣り上げてあちらこちらと話を聞いて回ったのだけれど、四人の繋がりについての収穫は、何も、なし。
全く、研究者どもの無関心にも、呆れる。
職場を後にし、爆弾を探すため池の公園へと赴きながら、ゴシック風のメイド服のひらひら、を、風にびらびらさせて、エイミーは憤慨する。
理由がないわけがないじゃないか。
本人だけではなく、大事な物まで傷つけたくなるほどの気持ちを持っている荻野と、その対象とされているはずの大森の間に、何のトラブルもなかったなんて、そんなのは、おかしい。
大事なもの。
「あたしなら、家族や友人や仲間‥‥」
エイミーはそっと、零すように、呟く。
絶対に傷つけさせたくない。あたしなら、絶対に必死で守ろうとするだろう。
「今度こそ尻尾掴んでやる」
そして硬い地面を踏み込んだ。
その頃、セシリア・D・篠畑(
ga0475)は、荻野の実家だという古ぼけた民家の縁側に座っていた。
そして岡本は、そんな縁側がびっくりするくらい似合わない彼女を、ぼーとか眺めていた。
朝のやり取りを思い出す。
「一応、大森さんに最も近い存在は岡本さんな訳ですから」
彼女は、今もそうだけれど、まさしくアンドロイドのような、作り物めいた人形のような無表情で言ったものだ。
「一応護衛させて頂きます。‥‥出張? でしたらついて行きます」
あんまり抑揚なく言われたもので、機械に否定を言わないのと同じように、彼女に否定を言う、という発想も出なかった。
それでまあ、一緒に行くことになったのだけれど。
経歴から判明した荻野の実家と、出張先のホールが近かったのは、幸運だったのか不幸だったのか。
荻野氏は優秀な社員であったから社史に載せたい。その為の取材なのだ。というような嘘八百を、荻野の親だという老夫婦はすっかり信じ込み、いろいろと喋った。
あの子は頭が良くて、思いやりのある良い子。大きな事をするような人間ではないかも知れないけれど、地道でこつこつと誠実な仕事をする子のはずだ、というような、身内にありがちな印象を聞きだし、更には婚約者の存在について、聞きだしていた。
そして最後に、学生時代から、つい数年前までの写真を収めたらしいアルバムを両親が見せてくるので、彼女はそれに、さして興味もない視線を向けて。
何枚も同じ人物が移っているのは、特に仲の良かったらしい友人の姿なのかもしれない。
そして、不意に、ページをめくっていた手が、止まった。
「‥‥この場所は?」
セシリアが、アルバムをじっと見つめる。
岡本は隣からそっと覗き込む。そういえば、依頼の申請の時に書いた店名が確か、この男の後ろに映っている「NG」だったような気もした。
「ええ」
貸与申請しておいた携帯電話を耳に当て、ロジー・ビィ(
ga1031)は、頷いた。「分かりましたわ。ええ、ミカの自宅の住所ですわね。今から向かいますわ。ありがとうセシリア。ところで岡本は何をしてらして? ええ、ええ、ふふ。それでは引き続き護衛の方はお任せしますわね、ええ、では」
パチン、と携帯を軽快に閉じて、ロジーは自慢の銀髪を揺らしながら、颯爽と歩きだす。
この事件を解決に導くためには。ミカと荻野の関係性、この辺りが重要なのではないか、と、彼女は考えていた。その為今回は、荻野の周囲でミカなる女性の素性について特に、詳しく、聞いた。
彼女はどんな人柄だったのか。――顔つきはきつそうに見えるけれど、どちらかといえばのんびりとした感じの女性で、笑うと八重歯が素敵だったのよねえ。
最後に見たのはいつ頃だったか。――そういえば最近は見ないけれど。二人が一緒に居るのを見たのは、そうだなあ、三か月前くらいだったかなあ。
荻野との関係性はどんな様子だったか。――それはもう仲が良さそうで。どちらかと言えば荻野さんは大人しそうに見えるし、見た目ではそんなに釣りあってる感じでもなかったんだけど、話しているのを見ると、やっぱり楽しそうでねえ。
そしてそこから見えてくる女性像は‥‥しかしこれが、ものの見事に分からない。あるのは普遍的な感想でしかなく、イメージしようにも、写真で見た印象以上の事は何もなかった。
ええ、けれど。と、ロジーは迷いのない足取りで、快濶に歩きながら、思う。
住所が判明したならそこへ向かうだけ。そうですわよね。
「おぎのだったか、はぎのだったか」
真鍮でできたバーのドアノブを引きながら、國盛(
gc4513)は呟いた。ついでに真顔で、「ややこしいな」と。
地下に降りる前に付近に荻野の車が停車していない事は確かめていたので、彼はそのまま、開店前の仕込みの時間を狙いバー「NG」の店内へ足を踏み込んだ。
アルコールの匂いと、煙草の匂い。昼間でも薄暗い店内には、スツールに腰掛けおしぼりをセットしている従業員らしき男の姿があり、「何だよ、まだ開店前だよ」と、ありがちな台詞を吐いて振り向いて、そして、國盛を見るなり、その二メートルは超える逞しい体躯に、緊張を浮かべた。
その間にも、店内に素早く、爆弾らしきものがないか、あの精巧な蜘蛛の姿はないか、と、探査の眼とGooDLuckを発動した能力者の眼で捜す。
やがて、それがないのが分かると、低い声で、相手を射竦めるように言った。
「荻野、という男を知っているか」
いや‥‥はぎのだったか。いや、おぎのだな。
「この男だ」懐から写真を取り出し、掲げる。
「アンタ、なんだよ」
男は写真を見ることはなく、注意深くこちらを探るかのように聞いてきた。
「あいつの知り合いだ。最後にあいつが来店したのは何時だったか聞きたい」
「‥‥三か月くらい、前」
「随分前だな。それまではちょくちょく通ってたんじゃないのか」
「‥‥アンタ、何モンなんだ」
男がまた、國盛の真意を探るように、言う。
「だからあいつの知り合いだ」
そして多少相手の緊張をほぐすように、肩を竦めた。「少し事情があってな、知りたいだけだ。何も、危害を加えようってんじゃない。お前にも、荻野にもな」
いや、はぎのだったか。いや、おぎのだな。クソ、ややこしい。
「アンタは‥‥」
と、男が何かを言いかけたその時、店のドアが開いて、人が入って来た。どうやら、店の従業員らしかった。
「とにかく今は忙しい。荻野の事が聞きたいなら、表で待っててくれ。時間は、作る」
●
「お邪魔するよ、っと」
無人と分かっていながらもついつい言ってしまいながら、せりなは、売店の中を覗いた。
ドアノブは、するり、と開いた。まるで入れ、とでも言うかのように。
そして蜘蛛は呆気ないほど簡単に、見つかった。すぐ、そこに居た。
蜘蛛だ。そしてこれは間違いなく、爆弾だ。
覚醒して飛び退きながら、せりなは無線機をひっつかんだ。
「見つけたぞ!」
終夜と、エイミーに向かい、叫ぶ。「爆弾だ!」
エイミーが待機させておいた爆弾処理を行う人員の元へ覚醒して走って行った後、終夜は相変わらず探査の眼を発動しながら、売店の周りを調べていた。
けれどそこには、不自然に周囲を監視しているような素振りの人物もいなければ、何らかの映像送信装置もなかった。
「爆破予告は、見当たりませんが‥‥」
「爆弾は公園にあったのにね。何故、この公園なんだろうね。何か、理由があるのかな」
「さあ?」
いつの間にか戻って来ていたエイミーがちょん、と肩を竦める。「けれど爆弾魔は、大森の大事な物を吹っ飛ばしたかったはずだ」
そう思った瞬間、ふと、ピン、と頭に何かを掴んだような気がした。けれど、それはすぐに思考の狭間に消えてしまって。
私は今、何を思った?
「けれどその割には、まるで関係のない場所に、余りに分かりやすく、見つけてくれと言わんばかりに置かれてあった、爆弾」
せりなが、その華奢な顎を摘みながら、続きを浚った。
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「ミカですけれど。彼女、会ってみると、想像していたような不審さはまるでありませんでしたわね。大森さんについても聞いてみましたけれど、荻野はまるで、大森さんを信頼してらっしゃったような、むしろその能力を買っていたような印象があったということですわ。人格は破綻しているけれど、きっとあいつなら困った時に、助けてくれるだろう、と」
「‥‥困った時に助けてくれる‥‥」
「ええ。それから、ミカの気持ちについても確かめてみましたの」
セシリアに電話で報告しながらも、ロジーはその時の事を思い返す。
「それで、貴女の気持ちはお変わりにならないんですの。三か月も放っておかれて、彼は現在行方不明。一体何をやっているかも、分からない。心変わりはありませんのかしら? 例えば、その美形の大森さん、なんて」
ミカは顔を伏せ、ふ、と笑った。それから、挑むようにロジーを見た。
「貴女なら変わるんですか。一度愛した人が、ちょっと姿を消したからって。貴女の気持ちは、それで、変わるの」
それは腹立たしい程真っ直ぐな問いかけだった。
確かに――変わらない。変わったりは、してくれない。その淋しさの惑乱ならば、ロジーだって知っている。
「分かって貰えないなら仕方ないんですけど、変わらないもんなんですよ」
ミカは言った。ロジーは知っていますわ、と心の中で、思った。
出張してまで聞く程でもなかったような退屈な講演を拝聴し、休憩に出て来たホールのベンチに二人で腰掛けている。
「大森さんと随分仲がよろしいようですが」
電話を切ったセシリアは、言った。「お二人の仲について聞いてあげるのも、吝かではありません」
とか何故かやたら上から言ってくる彼女の手は、荻野の顔写真への落書きにもー必死だった。
「ちなみにそれは」
「荻野は変装をしている可能性もありますから」
と、ペンを走らせるその横顔は無心に必死で、ちょっと、小動物っぽい愛らしさすら、あった。
「そうですね‥‥鼻眼鏡なども‥‥。如何でしょうか岡本さん、出来栄えは」
そう写真を見せてくる無表情は、無垢にも、見えた。
コメントに困っていると、ホールの向こうから歩いて来た上司が「あ、岡本くん、ちょっと」と、手を上げた。
「あ、はい。お疲れ様です」
立ちあがりながら、封筒? と思った時にはもう、渡されていた。
「これ、何かさっき入口で預かってね。岡本君に渡してくれって」
「あ、はー」
じゃあ、と上司は去って行き、封筒を見たセシリアは、それをそっと手を差し出すことで、渡せと示した。
かしゃかしゃ、と紙がこすれ合う、乾いた音がする。
「これは、次の。爆破‥‥予告」
やがて、彼女が呟いた。
背後から人が迫っていることは気付いていた。
國盛はすぐさま飛び退き、体を反転させ、相手にケリを喰らわせる寸前で、それがバーに居た男だということに、気付いた。
振り上げていた足を、ゆっくりと、下ろす。
「あんた、能力者なんだろ」
多少はビビりながらも男は、へらへら、と笑った。そして無言で何かを差し出してくる。携帯電話だった。
「また、爆弾を見つけたそうですね。優秀な人達で助かります」
耳に当てると男の声が聞こえた。
「お前‥‥」
「荻野です。お初にお耳にかかります。ところで貴方は大森と共に僕を捕まえようとしてらっしゃる能力者の人ですよね?」
「‥‥そうだが」
「大森は、もう何か分かったようでしたか」
「ならばとっくにお前を捕まえている。あいつはお前のことなんぞ記憶にないとさ」
「そうか‥‥あいつまだ何も分かってないのかな」
悔しいというよりも、戸惑い含んだ呟きが言う。「くそ‥‥あいつにしたのは、間違いだったかも知れない」
「間違い?」
「いえ。こちらの話です。ところで、こんな事を聞くのはあれなんですが、僕のこと腹立たしいですか」
確かに奇妙な問いかけだった。けれど國盛は正直に答えることにした。
「腹立たしい」
「ならば、追って下さい」
「追って下さい、だと?」
「大森にもそう伝えて下さい。大事な物を吹き飛ばされたくないなら、僕と爆弾を追えと」
それだけ言って電話は、一方的に切れた。
「追って下さい?」
國盛は、携帯電話を見つめながら小さく呟いた。
‥‥追ってみろでも、もう追うなでもなく――追え。
「何が、言いたいんだ」
けれど携帯電話は、もう何も、答えなかった。