●リプレイ本文
●雨多き日
「ここでありますか‥‥」
ナハトの前に一人の少女、美空・希(
gc3713)がやって来た。
「‥‥う〜、入りづらいのです」
何故か姉妹の間でナハトに入る事が通過儀礼となり半ば無理に希も来る事になったのである。
が、希の生来の真面目さと姉妹との約束を守りたいという想いで板挟みを起こし頭を抱えさせていた。
(飲む、飲まない、飲む、飲まな‥‥)
そこに酒断ちしようかと考えていた佐治 容(
gc1456)が通り掛る。一度、希の方に視線を向けそのまま後ろにある扉へと目がいく。
「‥‥よし、明日からにしよう」
とダメなパターンと知りつつもナハトへ入っていく。
「いらっしゃいませ」
白のシャツに黒のベストエプロンという格好の水無月 春奈(
gb4000)が出迎える。
アイドルとしてそれなりに名が通っているので普段はロングにしている髪も束ね伊達眼鏡まで掛けている。
「えっと‥‥ウィスキーの炭酸割りとチョコレートを」
「かしこまりました。‥‥あら?」
容の注文を春奈が確かめていると店の窓を水滴が叩く音が聞こえてくる。
「雨か‥‥」
「雨ですね」
二人が外を眺めているとすぐに雨足は強くなり窓を叩く音が強くなる。そして、その雨に誘われるように次々に人が来た。
「もう、いきなり降ってくるんだから」
と駆け込んで来たナイア・クルック(
gc0131)は肩や髪についた水滴を払う。
「タオルをどうぞ」
とナイアに春奈が優しい笑顔と共にタオルを差し出す。
「ありがとう」
ナイアは言うとタオルを受け取ってカウンターの中央の方に座る。
「雨に降られるとはついてない」
「にゃ〜、ナハトの近くでよかったわ」
続いて駆け込んで来たのはロベルト・李(
ga8898)とその腕に乗ってジャケットを被った白藤(
gb7879)の二人だった。猫の様に身を震わして体についた水滴を飛ばそうとする白藤の頭をロベルトが抑えてとめる。
「スマンがタオルを借りられるか?」
「はい、ただいま」
ロベルトに声を掛けられた春奈が裏へタオルを取りに行くと同時にマスターが出てくる。
「マスターちょいお邪魔してるで」
「おや、いらっしゃいませ」
以前に面識がある白藤は挨拶をしながらロベルトに頭をタオルで拭かれてくすぐったそうに目を細める様が本当に猫のようだった。
「ちゃんと拭け」
「にゃ〜、くすぐったいやん」
拭き終わると二人して真ん中のテーブルに座る。
「くっ、雨まで降って来たのです」
外にいた希は勢いを増す雨から逃れるようにビルの陰へと入って行く。夏に向っているとはいえ夜の雨は冷たく希の心を締め付ける。
そうすると赤毛の姉が食事が美味いと言っていたのを思い出し自然と足が店に向いそうになる。
「‥‥い、いや、よく考えるであります」
なんて事を希がしていると雨の中をいつもの店が臨時休業で行く所がなくぶらりと綿貫 衛司(
ga0056)はナハトの前まで来た所だった。
(‥‥バーで呑むのも良いかもしれませんね)
そう考えると軒先で水滴を払い店のドアをくぐった。
(‥‥ナハト? 故郷の言葉で夜かこんなお店がLHにあるなんて知りませんでした)
レーゲン・シュナイダー(
ga4458)が入ると扉につけられた鐘が店内に来客を知らせる。
「‥‥Guten Abend」
レグは少しウキウキしながらドイツ語の挨拶をマスターと春奈にしながら若草色の傘を畳んで傘立てに入れて一番手前のカウンター席へ着く。
「Guten Abend.ようこそ御越し下さいました」
マスターの方もレグに合せてドイツ語で挨拶をしてくる。
「Sehr angenehm.とても素敵なお店ですね」
恐れ入りますと礼を述べるマスターにソーセージと黒ビールを注文するとレグはしばし雨音に耳を傾けた。
その頃の希。
「姉上達は色々と言ってたでありますが」
曰く、『マスターが優しいから怖い事はない』、『マスターは人生経験が豊富』、『ごいスーな雰囲気のお店』と店や主人について聞いてたのでその情報を元にもう一度、思考を巡らせてみる。
「これは‥‥もしや、スゴク優しげな雰囲気で油断させ経験豊富なマスターさんがあんな事やこんな事をする店なおですか!?」
あれこれ考え過ぎて明後日の方向に思考が飛んでしまった希だった。
「くっ、これはシミュレートを重ねておかねば」
ちなみに『雰囲気が落着いてる』とも言われていたがキレイさっぱり忘れていた。
「お待たせしました。自家製梅酒とオツマミになります」
春奈が衛司の前に静かにグラスと皿を置く。
「これはどうも」
「ご注文は以上でお揃いですか?」
「はい‥‥ん?」
「どうかなさいまいた?」
手紙の束やアドレス帳から顔を上げて春奈の事を見た衛司が小首を傾げたのを見て春奈が訊ねる。
「失礼、友人に見せられたアイドルの方に似ていたもので」
「えっ、と‥‥人違いですよ」
未成年アイドルがバーでバイトというのは世間体が悪くバレかと思ったが、なんとかその言葉を口にした春奈だった。
「そうでしたか、私はそういうのに疎いもので」
と笑う衛司に春奈も合せて誤魔化す。
「良く似てるって言われるんですよ。名前も似てるアイドルの子がいて」
「なんと、言いましたっけ? み‥‥水無月、え〜と?」
「春奈ちゃんですね。私は神無月 春香(カナヅキ ハルカ)で苗字も名前も一文字違いなんです」
「なるほど、世界には自分に似た人が三人は居ると言いますからね」
二人して笑顔になるが実の所内心では冷や汗を流し続けている春奈であった。だが、会話を続けてボロは出さない為にも話題を変える事にした。
「なんのお手紙ですか? 恋人さん?」
「ああ、そんな物ではありませんよ」
と苦笑交じりに衛司は古巣である自衛隊の仲間へ宛てた手紙だと告げる。
「古巣とは縁を切らさないようにしてましてね」
だが何通か宛先人不明の文字と共に衛司の元へ戻って来ているという事実を目の当たりにするとやり切れない思いが胸の奥に湧き出てくる。
状況が許すなら同期会などをやりたかったのだが、第二次世界大戦以降でもっとも平和なはずだった日本も今では首都までバグアに占領されている有様で戦いは今も続いている。
「‥‥まるでヤスリで削られるが如く、ですね」
一体、何人が生き残って戦争を生き抜けるのか、その言葉を衛司は酒と一緒に喉の奥へと押しやった。
「‥‥もう一杯頂けますか?」
「はい、かしこまりました」
衛司は春奈に空になったグラスを渡すとしばし雨の音に耳を傾ける事にした。
「さて、せっかくです何曲か弾きましょうか」
容はなんとなく持って来ていたヴァイオリンを取り出して準備する。
「この店は客に芸をやらせるのか?」
「ここはやりたければ好きな様にやってええんよ。人さまに迷惑掛けなければやけどね」
容の様子を見ていたロベルトの問いに以前に店を手伝った白藤が教える。
「この前、うちも歌ったんよ」
「そうか、聞けなくて残念だったな」
二人が話している間に容の演奏が始まる。最初の曲は高く軽やかな音なのに流れはどこか懐かしさを感じられる。
「ビートルズか‥‥」
「この曲のこと?」
ポール・マッカートニーの元に亡き母が降りて来て『あるがままを、あるがままに、受け入れるのです』と囁いたのを切っ掛けに作られたらしいと煙草に火を点けながらロベルトが語る。
「あるがままを‥‥あるがままにかぁ」
白藤はロベルトの言葉を聞きながら兄の面影をロベルトに重ねている自分は何を想い、何を受け止めなければならないのか、そんな考えが脳裏をよぎる。
容が奏でる曲はいつしか違う物に替っていた。次は宮廷で小さな王女が踊るような穏かに洗練され高潔さを感じさせる中に一抹の悲哀が含まれる曲。
「「‥‥‥‥」」
お互い心の底に沈んでいた思いがあったのか無言で曲に聞き入る。
弾き終えると、次は音楽の父の『管弦楽組曲第三番』へと移って行く、旋律の中には伸びやかさと肩を並べる荘厳さが姿を現す。まるで春のという季節の中にある草原が見えるようだった。
「‥‥‥‥」
「にぃさ〜ん、うちにも一本ちょうらい」
二本目の煙草を咥えたロベルトに白藤が寝転んだ猫の様に甘えてくる。
「‥‥ほら」
ぶっきらぼうな口調でロベルトがケースから少しだけ頭を出した煙草を差し出すと白藤は手を使わずに口だけで咥える。
そして、そのままテーブルに体乗せて白藤は上目遣いでロベルトに火をねだる。
「‥‥んっ」
ロベルトがライターを差し出すが白藤はただ煙草を揺らすだけだった。
(本当に手間のかかる‥‥アイツもだが)
ここには居ない誰かの事を思いながらロベルトはもらい火を求める白藤に口元を手で覆いながら煙草を近づける。白藤の方も自分から少し顔を近づけた。
やがて曲は最後に米国南部の州の円舞曲へと替っていた。ゆっくりと流れから軽快なテンポへと変わる旋律はどこか眠りに着く前の自由なひと時を思わせる。ちょうど今のナハトの中に流れる雰囲気のように。
悪戯に成功した時の様な笑顔の白藤と目を閉じ静かに正対するロベルトの間に紫煙だけが揺らめいていたのだった。
「もし、この場所に悪があるなら何とかせねばならないのです」
そして、まだ勘違いしつつ店に入れない希が外にいた。
容の2曲目が終ろうとしていた頃。
レグはパキュリという音と共に熱い肉汁が舌の上に広がる感覚を楽しんでいた。
「たまにはゆっくりとした時間も必要ですよね」
普段は友人と飲む事が多くレグにとって今日みたいな日は珍しい。
「さて、次の曲は何にしようかな?」
パヴァーヌを弾き終えた容が次の選曲に迷っていたのでレグがリクエストしてみた。
「音楽の父の作ったアリアは弾けませんか?」
「ええ、弾けますよ」
容はそう言うと再びヴァイオリンを弾き始める。穏かな演奏が雨音と共に耳をくすぐるのを感じながらレグはビールのお代りを頼んだ。
「‥‥まるで雨の後の田畑が見えてきそうですね」
お代りを出してくれたマスターに独り言を呟く様に話しかける。
「故郷の田園の風景は長いこと目にしていませんね」
「私もなんだか懐かしいです‥‥」
それは故郷の作曲家が見て来たモノが音楽を通して表現されているかも知れない。
「でも、あの風景を見るのは雨はやまないといけないのでしょうね」
レグは雨音が好きだった。そして、雨が通った後に見える光り輝く光景も。
(今の私の心にある想いは‥‥)
自分の心に中にあるのは恵みの雨に濡れているような輝く物なのか、既に雨水が渇いたというものかを問うが答えはいつも出ない。
「冷たい雨は嫌なはずなのに乾くとどこか寂しいモノですね」
きっと自分は名前の通り『雨』なのだとレグは思う。雨は大地を求める。だが、己を降注がせると決めた大地以外に降りるのは罪なのかも知れない。
だけど、どれほど聴かせようとも大地に降注ぎたくなる気持ちは強くなる。
「ねえ? この苦しい気持ちを忘れたいと思うのは罪でしょうか?」
「それを決めるのは貴女次第かと‥‥」
マスターはそう言うとビールの代わりにドイツのスパークリングを用意してくれる。
「いじわるですね」
レグはその一言と一緒にグラスを傾ける。今晩ぐらいは雨になる前の雲のようでありたいと思いながら。
春奈が作ったカルーアミルクを口にして。
「甘くて美味しい♪」
と呟きながら、ヴァイオリンの演奏を聞き続けている。
「‥‥すぐにやむと思ったんですけどね」
ナイアには今の天気が自分の心の中を映したように思えていた。
「お楽しみですか?」
誰に声を掛けられたかと思えばナイアの前にマスターが居た。
「良いお店ですね。昔、大切な人と行った所に良く似て、る‥‥し‥‥」
笑顔で答えようとするが上手くいかなかった。
「ちょっと、お話聞いて頂けます?」
「構いませんよ」
「じゃあ‥‥」
ポツポツと語り始める。バグアに大切な人を奪われ、その仇を討ちたいと思いながら力が困惑し、戦う事で敵と同じになるのではという危機感と恐怖、それを娘達に打明けられない己の弱さ。
「私、何をやっているんでしょう‥‥」
そして、どうすれば良いのかと思い溜息をつくナイアの前にマスターが梅酒の入ったグラスを置く。
「これは?」
「どうぞ、おごりです」
「ありがとうございま‥‥!?」
そのグラスの中の液体を口にした瞬間に広がったのは酒の苦味と梅の酸味と砂糖のエグイ甘さという不快なモノだった。
「どうですか?」
「と、とても美味しいです♪」
本当は反対の感想だったが気力を振り絞り笑顔で答えるとマスターはまたグラスを置いた。
「うっ‥‥」
だが、良い雰囲気を壊したくないので意を決して口にする。
「あれ?」
だが、予想に反して三つの味が馴染み合い深いコクとまろやかさを出していた。
ナイアの驚いた顔を見てマスターはその気持ちに必要なのはその二つの梅酒の様に馴染ませる時間ではないかと告げる。
「この手口でどれだけ口説いてきたんですか?」
ナイアが聞くとマスターは数え切れない程のお客様をと答えた。意地悪だと思ったが口にするお酒が美味しくなった気がした。
●雨上がり
酔客も寝入る者が出る頃、雨が上がった。
「こんな所に居た。ゴメンね迷惑掛けて」
と言うとキョーコ・クルックは連れ帰るためにナイアを背負う。
「んっ‥‥ありが、とう」
「‥‥‥‥」
母の重みを背に感じながら心配も掛けているしと思うと同時に感謝もしていた。
「母さんが居るからあたしらは帰ってこれるんだから」
そう言うとナイアとキョーコは店を出た。
「雨上がっちゃったか‥‥」
もう少し居たかったと思うと同時に足を踏出さなければならないと思いながらレグも扉を開けて出て行く。
「私は今度はどこに降れば良いのかな?」
雨雲の行き先は風だけが知っているような気がした。
「それではまた機会があったら」
衛司は春奈とマスターに挨拶をすると空が青くなり始めた外へ出た。そして、次の目的地へ向う‥‥誇るべき戦友達と再び会うために。
白藤を背負ったロベルトが夜明けの街を歩く。
「なぁ、兄さん‥‥」
「なんだ?」
二人だけの時の呼び方で呼ばれロベルトが返事をする。
「頼りにしてるで‥‥いつも、な?」
「‥‥当たり前の事をしてるだけだ、気にするな」
色々なモノを詰め込んだ二人の言葉と姿は滑稽でもあり愛らしくもあった。
「帰っちゃいましたね」
潰れた容に毛布を掛けながら春奈が言う。マスターは何も言わないが同じく寂寥を感じている気がした。
「あっ、綺麗‥‥」
窓から差し込む朝日に春奈は目を細める。また、新しい今日が始まった事を感じながら。
そして、今日も白い光と共に夜と闇は次の場所へ旅立つ。再び舞い戻って来るために。
了
●オマケ
「よし、シミュレートは完璧なのです! いざ!」
と店に入る決心をした希が見たのは『CLOSE』の札と共に閉された扉だった。
「‥‥‥‥」
そして、両手と両膝を地面につき敗北を噛締める希の姿が白む空の下に残ったのだった。