●リプレイ本文
●夕暮時
LHの雑居ビルの一階にある小さなバー、名前を『ナハト』、ドイツ語で夜という意味の名前の店だった。
どうにも目立たない。そして、風景に程よく溶け込んだドアの前で美空(
gb1906)はふとバイク形態のAUKVをとめた。
「ナ・ハ・ト? 何のお店でありましょう?」
興味津々で少しだけ扉に隙間を作るって中を窺う美空だった。
「あら〜?」
店の中はまだ薄暗く誰の姿もないその姿はあまりにも物寂しいものだった。だが、まるで蝶が花の蜜に吸い寄せられるように美空は店に足を踏み入れてしまう。
「ごめんくださいなのですー」
「はーい?」
自然と出た挨拶に店の奥から優しい女性の声が返って来て美空はついビクッと背筋を正してしまう。
「どなたかしら?」
姿を現したのは割烹着姿の藤田あやこ(
ga0204)だった。大きな眼鏡の奥の優しい目で可愛いお客様に笑顔を向ける。
「どうかしたのかい? おっ、これはカワイイお客さんだ」
裏へ繋がってるらしい店内のドアから一晩だけバーテンダーを務める桂木穣治(
gb5595)も姿を見せる。
「え〜と‥‥」
お邪魔だったかと感じた美空は何を言えば良いかが分らなくなってしまう。
「えと、ごめんなさい。まだ、開店前なんだけど」
「マスターなら、許してくれそうだけどな」
「私なら、大歓迎ですよ」
アヤコと穣治が相談していると後ろに人好きのする笑顔をしたおじさんが立っていた。
「だそうだよ」
「よかったわね、カワイイお嬢さん」
「わ〜いなのです☆」
喜ぶ美空を見てアヤコと穣治も自然と笑顔になる。暗い店内がいきなり暖かくなったような気がした。
「ご注文は食事かい?」
「ジュースもあるわよ」
「とにかく色々なのです!」
「学生さんですからね。お酒はダメですよ」
マスターの一言に全員が声を上げて笑った。ついでに美空は家に遅くなると電話を一本入れるようにも言われたのだった。
●夜更け
夜を迎えてナハトにもちらほらとお客が入ってくる。宵の口で客足はまだまだこれからだが、白熱灯の熱が人の熱と溶け合いやわらかいモノになってくる。
何人かの客が短い間に酒を飲みそして席を外して店を後にする頃、榊兵衛(
ga0388)もふらりと店を訪れた。
「やあ、マスター今日も寄らせて貰った。 旨い酒を飲ませて貰うな」
その粋な一言にマスターやアヤコ、穣治といった店員が笑顔で挨拶してくる。その中を歩いてカウンター席の一つに座る。
そうすると何も言わずにマスターがいつも飲む二合ぐらいの透明な日本酒とそれにあわせた肴を出してくれる。
「これが今日のオススメかい?」
そう訪ねる榊に今日のオススメメニューを作ったアヤコが答える。
「鮭のるいべ巻きと秋刀魚の紫蘇巻です。どうぞ、ご賞味下さい」
「ほう」
この店の日本酒のいくつかは日本の酒に疎いマスターに教えたもので彼自身も気に入っている物が多い。
それに合う料理という事で試してみれば、鮭とイクラ、それを取り巻くマヨネーズ、タマゴ、きゅうりが共に踊り、あるいは相手を包むように味が折り重なっていく。区切りがなく弾けて消えそう旨味、脆すぎると感じたが、次に口にした秋刀魚の紫蘇寿司がスッキリとした苦味とピリ辛の梅紫蘇のタレで全てを纏め上げていく。
「うん、美味い」
最後に来る辛味と苦味が日本酒を進ませて気が付けば最初の二合もあっという間に飲み干してしまう。
「良い酒、良い肴、夜はこれに限る」
そして、そのまま、榊は純粋に楽しみながら今日のお勧めのカクテルを頼みだした。
扉をくぐったジェーン・ドゥ(
gb8754)が最初に目にしたのはカウンターの真ん中に座っている小さなお客だった。
(あら、ああいう子も来るのね)
そう思いながら扉側の一番端の席に腰を下ろす時に奥のテーブルで客の相手をしているアヤコが屑鉄やKVについての熱く客に語っている。
たまに腰に手を伸ばそうとする客にどこからか取り出し巨大ハリセンでツッコミを入れる。そのやり取りすらどこか温かいのは店がいいのか、お客のおかげか。
「あら?」
まだ、注文もしてないのジェーンの前にルビーの様に紅いカクテルが置かれる。
「マスター、これは?」
「あちらのお客様からです」
と言われて促された方を見れば奥のテーブルに座る男の一人が笑顔を向けてくる。
(あら、そういう事をするのね)
せっかく自分がやろうと思った事をやられてしまったが、すぐにイタズラめいた考えが浮かびカクテルを涼しい笑顔でチマチマ飲んでいく。
(ほら、来たわね)
カクテルを飲み始めると笑顔の男がジェーンの横に座ってくる。音を立てた品のない座り方でだ。
男が猫なで声で口説いてくる。狙い通り。
「お酒を飲んで、少しでも現実を忘れるって言うことは、いい事よ?」
なら、二人でもっと良い夢を見ないかと底の浅い言葉をかけてくる。
「でも、まだ、ほんの入口にたったばかりよ」
と言えば、なら一緒にその先に行かないかと口説いてくる。
その言葉が出た所でマスターにチラリと目線を送る。涼しい顔をしているがいつも分ってくれるのがここのマスターだ。
「一緒に飲む? 次は私と同じものでね」
もちろん、と返してくる男、同じように見えて少し違うマスターのイタズラでいつの間にか男は潰れてしまい。仲間に連れられ出て行くのだった。
●深夜
ラスト・ホープに来て約一ヶ月、全てを忘れた星月 歩(
gb9056)もいつの間にかナハトの扉をくぐっていた。
いつしか命を落とすかも知れない戦いに身を投じる生活、だが、そこでいろんな人と出会い、さまざまな想いを育んで来た生活がいつの間にか楽しくなっていた。
「バーテンさん、私、変かな?」
「いやいや、そんな事ないと思うよ」
ジェーンからカクテルの造り方を教わり試していた穣治が問いに答える。
別にその答えを求めていたわけではないのか、そうかな。という思いが浮かぶぐらいだ。
(‥‥私、お酒飲めたっけ?)
全てを忘れた歩は自分の名前も知らない。それは時に自分の中の空虚さを露呈させる。そして、そんな時は今みたいに静かにお酒が飲みたくなった。
ほとんど、飲めなくても、ふわふわした気持ちになるお酒が飲みたかった。
「マスターさ〜ん、なにか〜」
「はい、でも、その前にこちらをどうぞ」
そう言ってマスターが人肌に暖めたミルクを出してくれる。なんだか、歩は温かい気持ちが湧き上がってきて自然と口にした。
「あった‥‥かいなぁ」
ほふぅ、息をつく。ミルクが飲み終わる頃にミルクと同じくらい白いカクテルが一杯、歩の前に置かれた。
その男、UNKNOWN(
ga4276)の印象を語るなら、誰もが黒と言うだろう。ロイヤルコート、ベスト、スラックス、鍔広の帽子に革靴、革ベルト、手袋と全てが黒く男を包み込んでいた。白いマフラーとシャツにスカーレットのタイとチーフ、瀟洒な銀カフスにタイピンもどこか彼の黒を引き立てていた。
まるで自分は物語の影に住まう者であると言わんばかりに。
いつも通り扉を開き、いつも通りカウンターの奥の片隅の席にいつも通り着く。
「マスター、私の相棒の為に‥‥私が待つあいつの為に」
そう言うとマスターはいつも通りに空いている隣の席にロックのバーボンを置いてくれる。そして、彼の前には灰皿と濃い茶色のアーモンドの入った小皿が置かれる。
「‥‥‥‥」
「どうぞ、アラウンド・ザ・ワールドです」
そして、彼がいつも通りに飲む一杯目の透き通ったエメラルドグリーンのカクテルを置いてくれる。
「少し語ろう――この1杯から、世界の旅に出かける、か。探すものが見付かる日まで」
カクテルからウィスキー、アップルジャック、ワインと移りながら語っていく。時折、塩が強めに効いた香ばしいアーモンドを口にしながら紫煙を燻らせて。
女は、猫のように気まぐれで。
男は、振向いてくれるのを待つしかない。
男は、風の様な旅人でね。
女は、歌う木の葉のように待つしかない。
互いに待つだけでは、涙しか残らない。
そんな思いが時間と共に静かに湧き出てくる。
彼はそう語った。
灰皿に吸殻を積み重ね。酔う様もなく少しずつ強い酒を飲んでいく。まるで強くなる想いのように。
シンデレラの魔法が解ける頃、一人のスーツ姿の女性がナハトに入ってきた。男性に比べても長身で切れ長の目はカッコイイと表現するのが合いそうだが、どこか愛嬌のある雰囲気を女性は漂わせていた。
「こんばんは、マスター。まだやってるかしら?」
少し、慌しく言う冴城 アスカ(
gb4188)をに微笑みながら肯定をマスターが返してくれる。
アスカは答えを受け取ると、小さな寝息を立てる可愛いお客の隣に腰を下ろす。
三ヶ月ほど前からほとんど一人で来て、酒を飲み、マスターと世間話しをする。それがアスカの習慣になっていた。
「今日はどうしましたか?」
「ふふっ、もうすぐ南米で大きな仕事があるからね。しばらくLHを離れるから、一杯引っ掛けようと思ってね」
優しく尋ねてくれるマスターにアスカは遊び盛りの女の子の様に楽しそうな口調で返す。
「そうですか、このお店も静かになってしまいますね」
マスターは遠回しに寂しくなると言ってくれていた。カウンターやテーブルで飲んだり給仕やカクテルを作る傭兵達の誰一人がしばらく出かけて来ると言っても同じ事を言ってくれるだろう。
それがなんだかくすぐったくもあり、ついつい、この店に来たくなる理由ではないかと思ってしまう。
「それじゃ…いつものをお願いできるかしら?」
「よろしいですよ」
そうニッコリと笑顔で答えてくれるとマスターがカウンターの前にグラスを置き氷を入れてそこに琥珀の液体が注がれていく。
「ふふ、いつも見てもこの琥珀の色合いは綺麗ね」
氷のぶつかる音だけを響かせてグラスがアスカの前に置かれる。
いつもなら湯水の様に酒を飲み干すアスカには珍しく、ゆっくりと飲みながら、口の中でゆっくりと香ってくるウィスキーを楽しんでいた。
「マスター‥‥」
と、他愛もない、本当にどこにでもある会話を交わすアスカだった。
●夜が落ちる眠り
「んっ、ちょっと、飲みすぎちまったかな?」
全身に酔いが回る感覚を榊は自覚する。ここにいるとついつい長く飲んでしまう。
「さて、俺も今日はお暇するかな」
そう言うと榊はいつも何も言わずとも肴を一緒に出してくれる店への感謝を込めて少し多めの代金をカウンターの上に乗せて店を出る。
「今日も星と月が綺麗に出てやがるな」
そう言いながら、赤い月の見える空の下を歩き出した。
「あらあら、寝ちゃいましたね」
店の雰囲気にやられたか寝入ってしまった歩と美空にアヤコが毛布をかけてやる。
その美空は夢を見ていた。昔の美空が養女になった時の夢だ。
「あにうえ〜」
四歳の頃に出会った兄、二人はいつも一緒に遊んでいる。いつも笑顔で昔は引っ込み思案だった自分の手を引いてくれた兄が大好きだった。異性としてではなく兄として。
だけど、能力者になって戦争に参加するようになって二人暮らしを始めると、何かが変わった‥‥。
それは目に見えないけど確実に美空の中で育っている感情だった。
兄にはなかなか会えないが恋人も居るし、美空も応援はしたかった。だが、離れてしまうのが寂しい。それで、気を引こうとしたのか夫婦ごっこもやった。余計に思考が乱れた。
いつ終わるかも分らず、生きて戦争の終わりを迎えれるかも分らないのに。
「あに‥‥う、え‥‥」
ため息の代りに美空はそう呟く、大好きなあの人の事を夢に見ながら。
「あら、こんな場所で寝ちゃっていけない子達ね」
ジェーンも微笑みながら二人の少女の寝顔をみる。起こすべきか、だがそれも可哀想な気がしてしまう。
「今日は私もそろそろ失礼しようかしら」
そう言ってジェーンも席を立ち店を後にする。ゆっくりと歩いて帰る頃には新しい太陽が昇る事を楽しみにしながら。
席を立つ客達に急き立てられたのかUNKNOWNも取り出した懐中時計をみる。
店の時計よりも5分遅れている。これもいつも通りだ。
「シンデレラにも一杯を」
そして、時間が来ていつも通り彼は店を出た。
もう一人の少女も夢を見ていた。全てを失くして迷子の彼女にも夢は隣で何かを教えてくれていた。大事な大事な自分に繋がる大切な何か。
「私の‥‥探し‥‥も‥‥の‥‥」
それは『物』か『人』かも分らない。
(‥‥それとも、『それ以外の』‥‥)
なにかなのかも知れない。だけど、それは自分の空虚を埋めてはくれない。
(‥‥だけど)
ここには、自分を知る人が居る。一緒に肩を並べて戦う誰かが。
戦う事はあんまり好きじゃないけど‥‥今はここに入る事が良かったと思う。
ああ、こんな事を思うなんてお酒、弱いのかなと思った。
「ねえ‥‥おにい、ちゃん」
目が覚めれば忘れているであろう一言を呟いて、さらに深い眠りに落ちて行く歩だった。
「あら、もうこんな時間‥‥そろそろ、帰らないと」
シンデレラに掛かる魔法はとっくに切れている時間だ。どうせなら、この一時を朝まで続けさせてくれる魔法使いは居ないものかと思う。
「そうですか、道中お気をつけて」
だけど、想いとは裏腹に無情にも魔法は解ける。
「ごちそうさま。ねぇ、マスター。今度の依頼から帰ってきたら30年もの飲ませてもらえる?」
「難しい注文ですね。少しお高いですよ?」
「ふふ、たんと稼いで帰ってくるから問題無いわ」
「なら、それに合う料理を用意してお待ちしてます」
イタズラみたいなワガママに笑顔で応えてくれるマスターについ釣られて笑顔になってしまうアスカだった。
「それじゃ、また来るわね」
「お代は結構ですよ」
「あら、なんで?」
財布をと出そうとしたアスカをマスターがとめる。
「出銭は縁起が悪いでしょ?」
「ぷっ、あはは! じゃあ、また来た時にまとめて払うわね」
「はい、お待ちしてます」
そうしてアスカも店を後にする。無事に帰って来たい理由をお土産に。
「あ〜、なんか、いっきに静かになっちまったね」
子守唄を歌うアヤコを見ながら穣治がつぶやく。
「ええ、そろそろ、このお店が眠る時間です」
「あ〜、ガキの頃以来かな。もっと、夜が長けりゃ良いのになんて思うのは、おじさん最近、夜更かしはお肌の敵なのに」
しなまで作って陽気に話す。それを見て小さくマスターとアヤコも笑う。
明け方まで数時間、今度は『ナハト』、夜が眠りに落ち始める時間だ。
「さて、朝食の仕込みをしましょうか。明日の朝は少し多めに」
「ふふっ、お手伝いしますよ」
「あっ、じゃあ、オジさんは可愛い女の子の寝顔でも見ながらグラスでも磨いてようかね」
その言葉に歩と美空が揃って『ん〜』と寝言を言う。それを見てまたくすくすと笑いが漏れる。
今日も赤い月が彼らを睨んでいた。
今日も星が彼らを守った。
太陽が誰の上にも昇った。
いつもの一日の物語。
第一夜・了