●オープニング本文
前回のリプレイを見る 先日、荒野の決戦に快勝したバーブル師団は進軍してマリアを占領せしめたが司令部の雰囲気は決して明るい物ではなかった。
「これ以上、歩を進めるのは危険、と?」
褐色の肌と黒髪を持つ初老の師団長バーブルが仮設の司令部の卓につきつつ問いかけた。
「は、我が軍は先日、決戦に勝利しこのマリアを奪取しましたが、やや突出している嫌いがあります」
壮年の男が言った。名をバジャイという。階級は大佐、バーブル師団の参謀長を務めている。
「シンド州はおろか、ラクパトすらもまだ遠いと言うのにか?」
「はい、インドの各方面の情勢は、よくよく正確だと信頼出来る情報を集めたところ、予想よりも悪くなっているようです」
参謀が頷いて言う。
「我々が拠点としているのはヴァドーダラーであり、支えとしているのはアフマダーバードです。このマリアはヴァドーダラーより北西に位置し、アフマダーバードより西にあります」
「うむ」
「このアフマダーバードですが、しばしば攻撃を受けています。かなり劣勢な状況にあり、戦線は日に日に押されている模様です。ドランガトラは抑えてありますが、カーティヤワール半島の大半はバグア軍の占領下にありますし、ここでアフマダーバードが落ちると我々は補給線を断たれて孤立します」
「劣勢だと? アフマダーバードは優勢なのではなかったのか? 敵が戦力を増したのか?」
「‥‥いえ、現地の守備隊長が偽った報告を上げていたようで」
沈黙が司令部に降りた。
「その守備隊長は?」
「既に更迭されています」
「そうか」
バーブルはコツコツと指先で卓を叩き。
「ここで、あれこれ言っても始まらん。参謀、我々はどう動くのが最良か?」
「申し訳ありません。この地に陣を築城しつつ確保し、一連隊を派遣して敵の前線拠点となっているヒマットナガル戦陣を強襲、それを以ってアフマダーバードを助け、後方を確固とすべきかと思われます。後は進行速度は遅れますが、より後方を盤石の物とする為にも、半島の攻略にも着手した方が良いかもしれません」
「半島解放か‥‥」
「はっ、我々が与えられた命令はシンド州の攻略であり、半島の攻略ではありませんが、前進した時に後方に敵を置く状態となるは良策とは思えませぬ」
「いずれにせよまずはアフマダーバード、か‥‥シンドは遠いな」
かくてバーブル師団隷下のバドルディーン歩兵連隊がヒマットナガル攻略を目指し出撃したのだった。
●
バドルディーン歩兵連隊はアフマダーバードの守備連隊と合流すると共に北上した。ヒマットナガル守備隊は荒野での決戦を避けて後退し、ヒマットナガルの戦陣に籠っての戦いを選んだようだった。親バグアの守備隊はヒマットナガルの街の周囲に陣を築いて前線基地としていた。
ヒマットナガルは西と北を河川に囲まれており、街を取り囲むように幾重にも塹壕が掘られている。これを陥落させるのは容易な事ではないと思われた。
●橋の上の戦
バドルディーンは南東に主力を置いてヒマットナガルを半包囲するように展開させ、うち一隊を密かに川を渡らせて北方へと回した。
街の北方には巨大な橋がかけられており、ここを突破出来れば北から侵入して後方を攪乱する事が出来る。北の橋は要衝と言えた。
巨大な橋とはいえ、横幅は何百メートルとある訳ではない。故に親バグア軍はここに精鋭のキメラを配置し、後方に歩兵小隊をつけた。横幅二十四メートル程の橋の上に互い違いにバリケードを築き、十五匹の灰色の肌の鬼が長大な銃をバリケードの上に乗せ待ち構えている。射程は一〇〇メートル程のようだ。それに踏み込めば瞬く間に射抜かれる。
ロケット弾等を叩き込んで吹き飛ばせれば楽なのだが、生憎キメラ達が遮蔽とするバリケードは強力なフォースフィールドが付与されているらしく、能力者が扱うSES兵器以外の攻撃を完全に遮断していた。また、あまりに膨大な火力を叩き込んで橋自体を崩してしまっては元も子も無い。
キメラが橋に陣取り、UPC軍と親バグア軍は対岸から互いに長射程武装で激しく撃ち合った。状況は開戦から長く睨み合いの体であったが、やがて空軍のKVがHWを叩き落として制空を奪取し変化が訪れた。
旧式の攻撃ヘリが一機と何処から調達してきたのか、民間でも使われているようなこれまた古いタイプのヘリがやってきた。
旧式とはいえヘリは歩兵には強い、攻撃ヘリは対岸の親バグア兵へと対地ミサイルを連射して叩き込み、機関砲で薙ぎ払って後退させてゆく。
橋の上のキメラ達は孤立したような形となったのだった。
●リプレイ本文
インドがヒマットナガル市の攻防戦。UPC軍の無数の兵が押し寄せ、キメラと親バグア兵がそれを迎え撃つ。
バドルディーンは南東から半包囲するように寄せる一方で、市の北方へと一隊を回した。対する親バグア軍は北方の橋にバリケードを築き、キメラを配し、市の北辺に兵を配置して守備を固め――。
●橋を攻む
醜悪な人のカリカチュアの横顔を、赤い陽が照らす。予期せぬ空からの攻撃に、川辺を固めるバグア派は脆くも崩れつつあった。頼みにならぬ友軍を背に、15対の澱んだ目は動揺の素振りも見せない。非情ゆえにではなく、単に無関心ゆえにだ。この橋を守る事がキメラの単純な脳に与えられた唯一の命令なれば、例え背後が総崩れとなり、この橋を守るべき意味をなくしたとしてもそれは死守を続けるだろう。
「やれやれ、面倒なところに陣取ってるな。裏取って混乱してくれれば楽でいいか‥‥」
橋上を見上げて、ジャック・ジェリア(
gc0672)が言う。彼とナンナ・オンスロート(
gb5838)は、ジャックが即席で組んだ筏に乗って、川面を下っていた。有り合わせで作っただけあって乗り心地は最悪だったが、文句を言うような乗客はいない。味方の攻撃ヘリが繰り出すロケットと機関砲の二重奏の前では、2人が乗った筏が時折水面を叩く音など取るに足りない雑音と化している。橋上のオークどもに気付いた様子は無い。
「上の方は考えることが多くて大変ですね‥‥」
ナンナが言ったのは、物理的な高所で戦端を開く事になる友人達やキメラどもについての話ではない。頑強な抵抗を見せるこの地を、それでも落とさねばならぬ、と決断した上層部を思ってのことだ。作戦開始前の、短い相談の光景が脳裏に過ぎる。開始前に、UNKNOWN(
ga4276)が広げた広域図を見れば、この作戦が補給線の為である事は彼女にはわかった。
『なかなか難しい陣形を取ってますのね‥‥』
現場を示す地図を前に、珍しく険しい表情を見せるロジー・ビィ(
ga1031)。
『こいつは驚いた! 最近は怪物もデモ活動をするのかね!』
須佐 武流(
ga1461)は苦笑していた。バリケードまで築いて陣取ったキメラの群れが、デモ活動の群集のように思えたらしい。
この堅固な守備に対し傭兵達は上、中、下、より攻撃を仕掛ける事にした。すなわち、橋に対して、ヘリを用いた空からの攻撃であり、筏を用いた水上からの攻撃であり、正面からの歩兵の攻撃である。
鳴神 伊織(
ga0421)はヘリ及び弾薬や降下装備などを手配し、篠原 悠(
ga1826)、ルノア・アラバスター(
gb5133)、エレナ・クルック(
ga4247)は軽機関砲をそれぞれ準備した。ジャックは付近の木を切り倒して筏を組んだ。橋下から登攀しての攻撃を仕掛けるナンナも同乗する予定のものだ。向かいでは、リスト・エルヴァスティ(
gb6667)が慎重に作戦案を読み込んでいる。ありふれた、作戦前の光景だ。
『美空姉上にかわっての参戦なのである。お役にたつのである』
挨拶に回っている美紅・ラング(
gb9880)の様子は、快活な姉に比べると幾分ぎこちない。それは経験不足による緊張からだとナンナには理解できたが、解った所でかける言葉が思いつくわけではなかった。
『誰も怪我をせずに、成功させましょう』
ちらっとUNKNOWNを見て、エレナが言う。僅かに染まった頬が初々しい。
『分担は分かったかね? タイミングも? よし、行こうじゃないか』
年上の男の落ち着いた声と、ヘリの乗員も含めた参加者たちが掲げたカップを思い出した。もちろんUNKNOWNに水杯のつもりなどなく、単なる景気付けのつもりだろう。そこに別の物を重ねてしまうのは、ナンナ自身の破滅志向のせいか、あるいは自分の運の無さを気にしていたらしいムーグ・リード(
gc0402)の独り言のせいだったかもしれない。
『家ニ、帰レバ、暖かい、スープ、が、マッテ、マス』
サラダも食べなくては、などと付け足す彼に、いわゆる死亡フラグと呼ばれるジンクスの存在を教えるべきかどうかと悩むヘリパイロットの、あの時の表情は真剣だった。巻き添えを食って落とされるかもしれないとあれば当然かもしれないが。
●上、裏、正面、そして下
「‥‥よし、かかった」
ジャックの声が、彼女を物思いから引き戻した。長身の青年が2度目の投擲でロープを引っ掛ける事に成功したのだ。橋脚の裏側で死角なのもあり、敵に気付かれた様子はない。
「ここからが、重労働だけどな」
苦笑してから、青年はロープを登りだす。彼の背には、もう一本のロープで重い機関銃が固定されていた。
「しかし、敵も精鋭とはいえ‥‥鬼に、銃、ってねぃ‥‥。日本人としては複雑だよぅ」
正面やや後方、苦笑していたゼンラー(
gb8572)が不意に瞬きをした。攻撃ヘリよりも低いローター音が遠くに響くのとほぼ同時に、耳に当てた無線機から『準備よし』の声がしたのだ。作戦決行まで、あと3分。
「スナイパーとして、称号に恥じない仕事、しないとね」
敵のバリケードを正面から睨む陣地で、篠原が狙撃銃の位置を慎重に整えている。アウトレンジではあるのだが、フットワークを軽くするために彼女はあえて自前のライフルを使うつもりらしい。
「届くのかい?」
「はい。大丈夫、です」
場所を明け渡して横に退いた機関銃手に、ルノアが頷く。能力者の扱うSES内蔵兵器の有効射程が、火縄銃並という事は前線の兵の間では常識だ。ルノアも悠も、『狙撃眼』のスキルで射程を延ばす心積りだった。
「それに、しても、敵の、ライフル、凄い、です、ね‥‥」
後でちょっと見てみたい、というルノアの声へは、銃手も深く頷く。とはいえ、何か分析できるような残骸が残る事はまず無いのだが。
接近するヘリの機内で、リストは自身でも意外の念を禁じえなかった。短くは無い戦歴で、一通りの任務をこなしたつもりだったが、パラシュート降下を行った事が無かったのだ。訓練は済ませているが、実戦にイレギュラーがつき物と知るが故に不安はつきまとう。
「天使が上手く舞い降りさせてくれるだろうさ」
自分に言い聞かせるようなそんな囁きを聞きながら、鳴神は眼下に小さく見える敵情を静かに観察した。ピタリと岸のUPC軍を見据えていたキメラの何体かが、彼女たちのヘリを振り仰ぐ。混乱していた対岸のバグア派陣地でも、指揮官が大声で対空ミサイルの準備を指示していた。
「‥‥どうやら状況は良いとも言えない様ですね」
パラシュートの最低開傘高度は300m。そこよりなお高いヘリからでは、橋は細い棒切れのようだ。風に流されず、敵の有効射程外という狙いすました場所に降下するには、相応の技量と集中が必要だった。
「いくですよ!」
ヨグ=ニグラス(
gb1949)が高い声で仲間を鼓舞する。上空に遷移したヘリに目を向ける暇が無いように、正面から牽制をかけるのが彼らの役目だ。降下に勝るとも劣らぬ危険な分担である。
「や。今回は、がんばろうねぃ。今日は、そのかたーいパンツのお世話になれるか、分からないが‥‥」
のっそりと足を踏み出したゼンラーが、UNKNOWNへ笑いかける。その様子を、キメラは曇りガラスのような目で眺めていた。
「閃光手榴弾、投擲します」
無線に向かってそう告げてから、ルノアが大きく腕を振る。無線に耳を傾けていた者は、咄嗟に顔を背けた。キメラの苦しげな吼え声と、間に合わずに閃光を直視してしまった人間の声が混じる。幸い、エレナに事前に注意を受けていたヘリパイロットは、1人もその中に含まれては居なかった。
「全員でここを突破です〜」
開け放たれたヘリの側面から突き出した機関砲の後ろで、エレナが唇をきゅっと結ぶ。落下傘部隊に続く彼女達のヘリは、タイミングを幾分遅らせざるを得なかった。パラシュートを乱流に巻き込まぬためには、同時に突っ込むわけにはいかない。
「素早く、降りれるように確り準備をしておきましょう」
ロジーは時間差攻撃の利点の方を、大きく見ている。敵に混乱を生じさせるのが目的なれば、波状攻撃は理に叶っていた。
「本日は屠龍銃『滅火』の威力をバグアどもに知らしめてくれるのである」
ロジーの後ろで出番を待つ美紅は、無骨な愛銃を大事そうに抱いている。滅火、と名付けた銃は、ヘビーガンナーの為に試作された物と彼女は聞いていた。今では、彼女の為だけの銃だ。
●銃火煌き
「‥‥チッ」
正面から挑めば蜂の巣になる、という触れ文句に偽り無く。間合いに踏み込んだ武流は、精密射撃のような銃火に攻めあぐねていた。グループの5匹の、あるいはグループ同士の巧みな連携は、彼の足を以ってしても容易に突破を許さない。
「‥‥近接戦に持ち込みたい所ですが、あの銃撃では接近は困難ですね」
同じく前衛に回った浅川 聖次(
gb4658)も、首を振りながら呟いた。
「んと、でも、今がチャンスっ」
背伸びしたヨグが、そう声をあげる。中央に位置した敵が、頭上へ銃を向けるのが見えたのだ。いや、右バリケードの敵も2体ほど、つられたらしい。
「撃ってくる、のか?」
聞かされていた有効射程は100mだが、多少遠いからといって安全とは限らない。特に、狙われる物が燃え易く柔らかな物であれば。7本の光が空を裂き、回避行動を碌に取れぬ落下傘2つをざっくりと切り裂いた。しかし、敵もその攻撃の代価をすぐに支払う羽目になる。
「右!」
バリケードから不用意に身を乗り出していた敵の一体が、血煙を上げた。悠の狙撃でメットを飛ばされた所へ、ルノアの機銃弾が赤い弾痕を刻む。
「まずは、ひとつ!」
素早く排莢を済ませた悠が、視線は前に向けたままルノアに向かって親指を立てた。視界の先、キメラがバリケードの影に沈むのが見える。
バイク形態に転じたミカエルの後席に、重さを感じさせぬ動きで黒い影が飛び乗った。
「少し荒っぽい運転になるかもしれませんが、ご了承ください」
「GO!」
背中越しのUNKNOWNの声に頷き、聖次はアクセルを吹かす。正面、五本の火線が放たれた。発進したばかりのバイクで回避できる間合いでは無い。――1人であれば。
「――ふんっ」
UNKNOWNの脚が、地を蹴った。横滑りした二輪の残像を銃火が貫く。続く追撃の寸前に、紫電が迸った。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ――。
「そのまま、頭を引っ込めているといいさ」
左翼の敵、さらには頭上から注意を戻した敵の射撃を回避しつつの武流の牽制だ。その口調には、彼が弾丸の狙いを一つ所に絞られぬように、左右、時には上までも駆使して、複雑で精妙なステップを踏んでいる事など匂いもしない。そして、その間も破滅をもたらす弾丸は不注意な敵を狙っていた。
「左、4人め!」
悠の声。最初の時ほど完璧な不意打ちはできないにしろ、狙われていると言う事実はキメラの動きを制限した。それに加えて、ルノアの機関銃が吼え、敵が再びバリケードの裏へ引っ込む。
「ナンナさん、ジャックさん。出番だよぅっ」
ゼンラーの声にあわせ、橋の縁からジャックとナンナが身を乗り出した。銃による奇襲の為の条件は、目標への位置、角度、そして何よりも相手に気づかれていない事。
「行きます!」
ジャックの銃撃を援護に、ナンナはサブマシンガンの射程へ敵を捉えるべく、走った。予期しない側面からの制圧射撃に敵は混乱する。右か、頭上か、左か。一糸乱れぬ集団だったオーク兵士が違った向きに身構えた事こそ、その混乱を如実に示していた。
――しかし、その混乱は一瞬のこと。
「‥‥チッ」
ジャックが舌打ちする。裏を取られた危機感ゆえにか応射は激しく、ナンナとジャックはすぐに、数の差で劣勢に追い込まれた。しかし、それが決定的な局面に行き着く前に、新手が戦場に加わる。
「いきますよ〜」
エレナの声と共に、ロジーが。ついで美紅が、ロープを垂らしてホバリングするヘリから飛び降りた。敵の射程外とはいえ脆弱なヘリに長居は無用。そういうわけで降下はやや高めからだったが、能力者の肉体はそれをものともしなかった。そして、それはもう少し高い場所から落下した2人も同じである。
「‥‥酷い目にあいましたが、落ちる場所だけは間違えなくて幸いでした」
「川に落ちてたら、目も当てられなかったな」
あなたに天使はいたようですね、と笑いもせずに告げてから、伊織が腕を大きく振りかぶった。閃光手榴弾。視野を焼く閃光に、唸り声が7つ、舌打ちが4つ。本格的な戦闘の最中にまで合図に気を配るのは難しい。
「さぁ、四方囲まれましてよ? どうしまして?」
ころころと鈴を鳴らすように笑って、ロジーが得物を振りかぶる。開いた距離を、衝撃波が埋めた。両手に銃を抱えた美紅が、身を低くして駆ける。振り返った敵が放つ光弾は小柄な身体を撃ったが、少女の足は止まらない。
●転機、一閃
その隙に。
「んしょっ」
ドラグーンの守りの力を身体に纏い、盾を正面にかざしたヨグが一気に間合いを詰める。まだ早い、と誰かが思ったかもしれないがそれは間違っていた。
『ウグルァ』
オークが反応するよりも早く、その横面を痛烈に銃弾が叩く。フィールドが減殺しつつも、鉛の圧力が足をもつれさせた。援護の為に、橋の側方へ回ったヘリから、ムーグが軽機関銃を向けている。距離をおいたルノアの精密な射撃とは違う、荒々しい雄叫びを銃口があげていた。
「コノママ、‥‥イツの日カ、アフリカ、も」
銃火が閃き、銃声が轟き、血が飛沫いた。新たな敵からの射線を塞ぐように、キメラはバリケードの一部を回す。影に隠れるのが間に合わず、倒れた哀れなキメラの体表を、力場の赤い輝きと、それよりも鮮やかな真紅が覆った。
「バグアヲ、殲滅、シテ、母と、帰ル。かの地へ」
もはや橋のコンクリートの上でのたうつしかなくなった敵へ、ムーグは引き金を引き続ける。
「うお」
不意に、パイロットが呻いた。赤い光線が数条、射撃点を占めていたヘリに伸びる。バリケードの影で態勢を立て直したキメラからの反撃だ。それは先ほどまでの精密機械のようなものではなかったが、動きの鈍いヘリの尾翼と脚を貫いた。
「チッ、‥‥大丈夫か?」
バランスを崩して川面に向かうヘリを一瞥して、武流が言う。これだけ側背を脅かされつつも、バリケードは堅固だった。新たな脅威に向くのは半数ほどまでで、残る面々は愚直に正面へ銃口を向けている。敵までの間合い、100mほどを埋めるべく、裏からは伊織とロジー、リストが、正面からは聖次とヨグ、武流が隙をうかがっていたが、包囲され、数名を失ってなお、キメラは接近を許さぬように濃密な火線を張った
「っと、っしょ、ん!」
致命傷を避けるように歩を運んでいたヨグも、最後の障壁手前で回避しきれぬ攻撃に身を晒した。膝が揺れ、脚が止まった瞬間、自分を睨む冷たい銃口と目が合う。
「わわっ」
長いようで短い静止の後で。
「そこまでなのである」
流れる血を拭いもせず、美紅が言い放った。ヨグからはバリケードの影で見えないが、知人と良く似たその声は聞き間違えようも無い。
『ブルォ』
吼えかけたキメラの声を、少女が手にした大口径のハンドガンから響く雄叫びが掻き消した。強烈な貫通弾がばら撒かれる。西部時代のガンマンもかくやという速度で銃声が連なり、12発の薬莢が路面に飛んだ。
「今のうちに‥‥!」
SMGがナンナの細い腕の中で跳ねる。美紅の『滅火』が殲滅の為の斉射だとすれば、彼女のそれは、音と火線で注意を引く為の連射だ。
――前を抑えるべき射手までもが、背後へ意識を向ける。そのツケは、大きい。例えばブーストを行使したAU−KVにとって、その僅かな時間は十分過ぎる余裕となる。
「さぁて、パーティといこう」
ドスンと揺れたバリケードの向こうから、含み笑いが聞こえた。聖次のミカエルの荷台を蹴って、UNKNOWNはひらりと障害物を飛び越える。慌てて頭上へ銃を向けたオークの胸元に。
「私の槍、受けてもらいましょうか!」
ミカエルを装着した聖次が、片手で馬上槍を突き入れた。この距離まで詰めてしまえば、バリケードの隙間を狙う事も不可能ではない。ドスン、と衝撃と共に吹き飛んだキメラが占めていた位置に、黒衣の男がふわっと降り立った。
「おっと」
とぼけた声と共に――慌てて掴んだ帽子も一緒に――身を沈ませる。間一髪、その頭上で鋭い爪が交差した。キメラが持っていた長銃を投げ捨て、格闘戦に転じたのだ。近距離で、UNKNOWNは3体の鬼人の放つ突き、払い、薙ぎを手にした二梃の銃を頼りに踊るように捌く。その寸秒を、武流と聖次が活かさないはずが無い。
「そらっ!」
バリケードを回り込む、その勢いを利用した回し蹴りがキメラの一体の背を痛打する。武流は、脚を通じて伝わる感触に会心の笑みを浮かべた。少なくとも肋骨を2本。痛みを感じぬかのように、バックハンドの太い手が迫る。
「やるな‥‥! だが!」
その打撃を腕で受け、その勢いも利用して飛んだ。
「おっと、余所見は禁物ですよ!」
聖次の槍が、キメラの脚を払うように下段へ伸びる。
『グォ』
キメラの目がほんの一瞬、武流を見失った。その一瞬で、充分だった。
「せいっ!」
バリケードを蹴り鋭角に軌道を変える。全く見当違いの方角を向いたままの敵の顎を、蹴り抜いた。よろめいた胸元を、聖次の『ザドキエル』が一閃、貫く。
●蹂躙
「大丈夫ですかっ!?」
エレナの声と共に、美紅の傷がふさがっていく。距離を置いた相手を治癒できるのがサイエンティストの強みだ。
「無茶は禁物だよぅ」
最初に前へ出た為に、最も深手を負ったヨグを治癒しつつ、ゼンラーは敵陣を見た。いまだ射撃隊としての体裁を保っているのは右側のみ。中央は武流と聖次、UNKNOWNに蹂躙されつつある。そして、左側のバリケードは。
『ガファッ!?』
ゼンラーが目を向けた途端、バリケードの影から鮮血が噴いた。正面の陽動にタイミングを合わせて、背後の刃がついに敵へ届いたのだ。一刀、銃に添えた左腕が飛び、二刀で顎より上が飛ぶ。死語の痙攣で引き金を引きかけた右腕を、三太刀目が無情に斬り飛ばした。
「近付けば所詮はこの程度ですか。‥‥その分状況が厄介でしたが」
伊織は無感動に言いつつ、切り上げた刀身を返す。その刀身を滴る血が落ちるより早く、逆側から爪が弧を描く。そして、銃弾。
「伊織ちゃん、援護します」
「ルノアさんですか。感謝します」
再度、汚い血が撒き散らされた。既に銃の間合いではない。3体目のキメラは手にした長銃を棒のように振るう。伊織が滑るように二歩、下がった。下がった隙間を、ロジーが駆け抜け。
「‥‥はっ!」
冷えた表情のまま、手首を薙いだ。無駄口もなく、痛みに吼えるキメラへ逆手の突きを送る。必殺の小太刀を爪で受けた、その背へ。
「せいやぁ!」
大振りに振りかぶったリストが、大剣の重みに自らの体重を乗せた一撃をたたきつけた。胴の半ばまで刃が食い込み、赤黒い血を吐き散らしてキメラは沈む。
「次!」
「今度は俺が‥‥!」
まだ体勢の整わぬもう1匹に、青年は剣の平を叩き込んだ。重みでぐらついたキメラの側頭部が、弾ける。
「‥‥3つめ!」
前衛の交戦中に狙撃地点を変えていた悠の一撃だった。
「降伏など、するわけもないですよね」
弾装を変える一瞬、ナンナが誰にともなく言う。もはや大勢は決したが、キメラはなお抵抗を続けていた。いや、続けようとしていた。もはやその火線に数分前までの圧力はない。
「往生際の悪さは、大したもんだが‥‥」
「いつまでも隠れてはいられないのであります」
ジャックの援護を受けつつ、美紅が再び業火を解き放つ。
「バリケードを引っ張り倒せたりはしないかねぃ」
「丁度、やろうとしてた所さ!」
ゼンラーに頷いてから、武流は中央の既に主無きバリケードへ手をかける。しかし、彼が狙っていたのは引き倒すのではなく、叩きつける事だった。歪んだ隙間から、滑るように伊織が踏み込み、ロジーとリストが続く。橋上が制圧されたのは、その数秒後のことだった。
●川辺に沈む
「‥‥追い込まれ、怖かったろう。怖い夢は、もう終わりだよぅ。成仏してねぃ」
ゼンラーが目を瞑り、頭を垂れる。あれほど手ごわかったバリケードは脇へ片付けられ、キメラの死体もすぐ近くに乱雑に積まれていた。短いが激しい戦いを終えたUPC軍は、歓呼の声も無く粛々と橋を渡っていく。
「やっぱり、残って、ません、ね」
「仕方がありませんね」
残念そうなルノアの様子に、手伝っていた伊織が小さく息をついた。15丁もあれば、一つ位自壊していない物が無いかと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかったようだ。
「無茶を知ったら、また怒られるかな‥‥?」
苦笑交じりに言う聖次には、ペンダントの中の妹が少し困ったような表情に見えた。角度のせいかもしれない。
「ふむ、こんな所か、な」
橋の欄干に腰をかけた黒衣の男が、夕日に浮かぶ。その視線の先では、悠が何かを呟きながらロケットへ唇を落としていた。
「今回、モ、落され、マシタ‥‥おまじない、シタノニ」
「そのおまじないが‥‥いや、何でもない」
落ちたヘリの残骸に掴まって、川に浮かんでいたムーグの横で、パイロットは呆れたように溜息をついた。しかし、考えようによっては2度の撃墜で無事に生還していると言うのは運が良いのかもしれない。
ここ以外の三方でも勝利を治めたUPC軍はヒマットナガル市を解放した。守備していた親バグア兵守備隊は交戦の末に大半が討ち取られ、あるいは撤退していく。この地方を巡る戦いは一歩、人類側が歩を進める形で幕を閉じた。
(代筆 : 紀藤トキ)