●リプレイ本文
アグレアーブル(
ga0095)は寒いのは嫌いだった。しかし、
「冬で良かったですね」
ぽつりと呟いた。死体の山が腐る匂いに比べれば幾分か寒い方がマシだったからだ。
そう――冷静に思えるくらいには、赤髪の少女は人の死に慣れてしまっていた。
ネパール、ヒマラヤ山脈の中にあるその街は、すっかり雪化粧を整えていた。
高度がある為、寒い、一同防寒対策はしてきたが崎森 玲於奈(
ga2010)などは少し足りなかったらしく、気丈にも表情には出さないがコートの中で微かに身を震わせている。
ヒマラヤの山中に分け入り、夕日が雪を真紅に染める頃、一行はその街へとやってきた。
「猿どもめ‥‥久々に血が煮える」
ホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)が怒りを顕わにして言った。
街に辿り着いた彼等が見たものはメインストリートに転がる死体の山だった。南から北へ、転々と横たわっている。既に半ばまで雪に埋もれるその死体達は凍り付き、夕闇に照らされて真赤に染まっていた。
「惨い‥‥!」
レールズ(
ga5293)が呟いた。
「キメラ達‥‥遠慮なく叩き潰させてもらいましょう」
鋭く目を細めて緋室 神音(
ga3576)が言う。
「避難している人たちの状態が心配だわ。急ぎましょう」
リン=アスターナ(
ga4615)が帽子を目深に被り直しながら言った。
一同はそれに頷くと人々が立て篭もっているという寺院へと急いだ。
●氷雪に立つ
仏教系の物だろう、その寺院は独特の門構えでそびえ立っていた。夕闇の中に立つそれは一種の神秘性と寂寥を見るものに与えた。
ホアキン・デ・ラ・ロサは風を読んだ。匂いで察知されないよう、風下から回り込み、寺院より少し離れた場所にラジカセを最大音量でセットする。
「首尾は?」
九条・命(
ga0148)が戻ってきたホアキンに問いかけた。
「ぬかりなく」
一行は寺院から少し離れた物陰に身を潜め時を待った。
真紅の氷雪の世界は静かだった。時折寺院の方から猿の鳴き声が聞こえる程度。街からは物音は一切なく死んだように――実際死んでいる――静まりかえっていた。
「猿どもの様子はどうだ?」
崎森が双眼鏡で様子を窺うホアキンに問いかける。
「‥‥壁が邪魔で良く解らないな」
「登れ、手を貸す」
長身の九条が言う。
「オーケィ」
「気づかれないようにな」
と御山・アキラ(
ga0532)。
ホアキンは九条の手を借りて屋根の上に這い出た。気づかれないように勾配に伏せて身を隠し、双眼鏡で寺院の中の様子を窺う。
大猿が居た。数は1、2、3‥‥4、5、6、7、多い。
「雪猿を七匹確認」
無線に向かってホアキンが言う。
「七匹? 報告よりもかなり多いな」
火のついていない煙草をくわえつつリンが言う。
「大丈夫、想定の範囲内よ。作戦変更の必要はないと思うわ」
と緋室。
「そうですね、今回は皆さんベテラン揃いですし‥‥」
胸中で足を引っ張らないよう頑張ろうと思いつつレールズ。
「‥‥では、手筈通りにいきましょう」
とアグレアーブルが呟いた。
一同は時を待った。やがて静寂を裂き勇壮なクラシックの音色が鳴り始める。二―ベルングの指輪よりワルキューレの騎行、ワーグナーの不朽の名曲だ。
「‥‥動いた。二匹が音の方へ行った」
「二匹?」
「全部じゃないんですか」
「猿だけにそれなりの頭はあるようだ」
「賢しいな」
御山がふん、と鼻を鳴らした。
「しかしまぁ良い、二段目の作戦に切り替えれば良いだけだ」
「確かに、予定よりも少々多いが、この程度なら支障はないだろう。行こうか」
ホアキンが言って屋根から降りる。
戦乙女の勇ましい調べが響き渡る中、一同はそれぞれの武器を抜き放った。
氷雪の中、先陣のグラップラー達が天翔ける騎士の如く走る――と行きたかったが、実際にはもっと無骨で荒々しいものだった。深い積雪の為だ。四人は膝近くまで積もった雪を蹴散らし、煌きを巻き上げながら寺院の庭に雪崩れ込む。
そこには五匹あまりの大猿がいた。侵入者達を発見すると奇声を発して駆けてくる。
「構うな、一気に抜けるぞ!」
御山が瞬天速を発動させて駆ける。彼女を初めとしてアグレアーブルやリン=アスターナも瞬天速を発動させて加速し寺院の内部を目指す。深い積雪の為、常のそれよりもかなり速度が落ちていたし、運悪くリンが特に雪の深い場所に飛び込み一瞬バランスを崩しそうにもなったが、身軽な彼女は上手く態勢を立て直し走る。際どいタイミングだがなんとか間を突破できそうだった。
しかし問題が起こった。九条の瞬天速が発動しない。数多の死線を潜りぬけてきた男も稀にミスを起こす。瞬天速のスキルがセットされていなかった。
「九条!」
「ちっ!」
舌打ちする九条。取り残された男に向かって五匹の大猿の口から氷雪の嵐が吐き出される。煌きの刃が男を切り裂き、血の霧を巻き起こす。
(「俺とした事が‥‥ぬかった!」)
九条は半身を氷に包まれつつも気合で走り寺院の内部へと向かうが、積雪の為走りにくい。男の背に向かって五匹もの大猿が追いすがり次々に飛びかかっては爪を振るって滅多斬りに切り刻む。
猛攻を受け血飛沫をあげながらも九条は走り、倒れる事なく寺院の内部へと駆け込んだ。タフな男だ。
九条を追って飛び込んできた大猿を三人のグラップラーが迎え撃った。寺院の内部には雪はなく、石造りのタイルとなっている。ここならば足場を気にせず展開できる。
「‥‥ちょっと、失礼します」
アグレアーブルは瞬天速で加速し跳躍すると巨大な仏像の手の上に飛び乗った。高所に位置取ると振り返り、射撃に有利な地点からフリージアを連射する。
「射線に気をつけろ!」
同様に瞬天速で間合いを外し遠距離からSMGを乱射しながら御山が叫ぶ。アグレーブルとターゲットを合わせて放たれた弾丸は次々と大猿に命中し、死の舞踏を踊らせた。
「雪猿風情が‥‥分不相応にさかるからだ」
蜂の巣になって崩れ落ちる大猿を見据え御山が呟いた。
「ふっ!」
リン=アスターナが別の大猿へと向けて疾風の如く間合いを詰めていた。素早く鉄爪を振るい閃光のごとき三連撃で大猿を切り刻む。
「借りは返すぜ‥‥猿ども!」
リンの攻撃でよろめいた大猿へと九条命が破裂音を上げながら踏み込み、体重を乗せた渾身の一撃を叩き込んだ。銀色の体毛を突き破ると、爪を回転させながら捩じり込み突きあげ、振り払うようにして引き抜く。赤い線が宙へと撒き散らされた。
二人の連携攻撃を受けた大猿は断末魔の叫びをあげながら泡を吹いて倒れる。
あっという間に三匹にまで数を減らされた大猿は叫び声をあげながら後ずさった。これは敵わぬと早くも悟ったのか狡猾な猿達は即座に逃走に移る。
だが踵を返したところに後発の四人が寺院の中に飛び込んできた。
練力を開放し先頭をゆくホアキン・デ・ラ・ロサは猛然と駆けると弓を引くように剣を構え、感覚を研いで猿の咥内を狙い澄まし、解き放たれた弩矢の如く切っ先を繰り出した。
殺意を乗せて繰り出された切っ先は、大猿の歯を叩き折りその後頭部までを貫き通す。
「‥‥滅びろ」
左利きの闘牛士は激しく全身を痙攣させもがく大猿を氷のような瞳で見下ろした。刃が捩じられ、脳髄を掻きまわしながら血塗れのソードが引き抜かれる。脳漿が飛び散り、猿が地に崩れ落ちる。猿を模してる以上、脳をやられてはさすがのキメラも生きてはいられない。
生き残りの猿の一匹が機敏に反応し続いて突っ込んできた崎森へと向けて吹雪を放った。崎森は直角に近い形で横に飛び吹雪を避けた。
「――渇望の王を舐めるな申共」
弾丸のように飛び出しすれ違い様にかすめ斬る。猿の脇腹から噴水のように血飛沫が飛んだ。
(「熱くなることは少ないんですがね‥‥」)
レールズは胸中で呟きつつ、よろめく大猿へと向かって突進する。
「これは雪を溶かすつもりの一撃だッ! 食らえ、キメラ!!」
猛然と斧槍を旋回させ長柄の遠心力を乗せた三連斬を叩き込んだ。大猿が吹き飛び地面に転がって動かなくなる。
「アイテール‥‥限定解除、戦闘モードに移行‥‥抜く前に斬ると知れ!」
灼熱の輝きが巻き起こった。
真紅に輝く赤雷を宿す月詠と共に太刀が振るわれ、二刀の連斬が血の華を咲き乱れさせる。桜花幻影と名付けられた緋室の太刀は最後の大猿を一瞬で解体した。
●冬の終わりに
五体の大猿を打ち倒した傭兵達は地下への入口を探したが、簡単に見つかるものならばすぐに大猿達によって蹂躙されていた訳で、なかなか発見する事ができなかった。
しかし声を出して呼びかけを行うと、あちらの方から出てきた。
「最後の希望が到着した。これより猿退治に移る――といっても、既にあらかた倒し終えたんだが‥‥」
「あと二体は確実にいる筈ですし、他にもいるかもしれません。外はまだ危険ですので、合図するまで絶対に出ないでください」
「そういう事だな。終わったら呼びに来る。もう少し中に居てくれ」
恐らく傭兵だろう。民族衣装に身を包んだ少女にホアキンとレールズがそう説明すると彼女はこくりと頷いて、
「ああ‥‥夢のようだ。本当はもう、諦めかけていた、皆」
そう言って微笑み目頭を抑えた。
周囲を回って猿の残党を退治した傭兵達は街の人々を救助した後、傷の手当などを行いながら寺院に泊まった。
翌朝、凍土を掘り返して亡骸を埋葬する。それは、夥しい数だった。朝にはじめ、日が沈む頃にようやく一応の目処がついた。一応のというのは目につくところにある死体は、という事だ。恐らく、目の届いていないに死人は今も横たわっている。それだけの数が死んだ。
「すみません‥‥もっと早く自分達が来れればこんなに多くの犠牲者を出さずに済んだかもしれません‥‥」
積まれた墓石に向かって手を合わせていたレールズが呟いた。
「それは違う」
同じく両手を合わせていた民族衣装の女傭兵は真っ直ぐにレールズを見据えて言った。
「貴方達のせいではない」
「‥‥そうですか?」
「自明の理だ。説明をするまでもなく当然のことだ」
「‥‥そうですか」
「それを言ったら街の人々が、キメラよりも強ければこんなに犠牲が出ることもなかった。彼等は弱いから死んだのだ。彼等の死は彼等の責任だ――という事にもなる。
‥‥ある意味ではそれは事実、だが私はそういう風には思いたくない。人にはそれぞれ出来る事と出来ない事がある‥‥なるようにしかならんさ」
「‥‥そういうものでしょうか」
「そういうもんだろう。貴方達は最善を尽くした。それでも責任を感じてしまうというなら‥‥祈ってくれ」
「祈り?」
「ああ、私も祈る」
少女は言って再び手を合わせ瞳を閉じた。
レールズはそんな少女の様子を一瞥してから、彼もまた墓石に向きなおり両手を合わせた。
(「願わくは、彼らに安らかな眠りがあらんことを‥‥」)
真っ赤な夕日が生者と墓石と雪を照らし、真紅の輝きの上に長い影が伸びていた。
了。