タイトル:お山のツノうさぎマスター:桃谷 かな

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/07/03 04:42

●オープニング本文


 ――北米・サンフランシスコ近郊、とある研究所。
 そこは、未知の生物兵器・キメラに対し、現代科学の粋を決して研究を行う機関である。

    ◆◇
「‥‥私が留守の間、変わった事、なかった?」
 研究所の一角、主に研究用のキメラや機材の供給を担当する部署の事務室で、中国から帰国したばかりの研究員・琳 思花は、同僚の女性研究員・シンシアに向けて、一言尋ねた。
 キメラの襲撃によって兄を亡くした思花は、襲撃現場である日本と、祖国の中国とを行き来していたため、ここ一ケ月ほどは仕事を休んでいたのだ。
「別に? まあ、ちょっとだけ、キメラの在庫が減っちゃったってぐらいかしら」
「そう‥‥じゃあ、これをあげる」
 シンシアの返事を聞いて思花が机の上に置いたのは、手提げタイプの急速冷凍BOX。
「何コレ? お土産?」
「‥‥‥‥」
 ガチャガチャとBOXをいじるシンシアには何も返さず、思花は、ゴシック風のワンピースの上から白衣を羽織り、自分のデスクへと向かった。
「あ、開いた‥‥って、ちょっと、何よコレ!? キメラ!?」
 勢い良く開いたBOXの中身を見るなり、シンシアは、眉根を寄せて思花を振り返る。
「キメラだよ。‥‥せっかくだから、持って帰ってきちゃった」
「‥‥‥‥」
 冷気が立ち上るBOXの中に入っていたのは、首のない、小さな鳥型のキメラの死体であった。
 シンシアは、手元の冷凍キメラと思花の顔を交互に見つめ、唸るような声を上げる。
「‥‥あんた、ちょっとおかしいよ。コレ、お兄さんを食べたキメラじゃないの!?」
「‥‥食べたと思うよ。要らない?」
「食べたと思う、って‥‥」
「‥‥ULTの傭兵が、全部殺してくれた。‥‥ほとんど原型も留めてないぐらいにね」
 淡々と語る思花に、シンシアは、若干の寒気すら覚え、無言でBOXの蓋を閉じた。
 思花のことは、前々から変わった娘だと思っていたが、まさか、自分の兄を殺したキメラを持ち帰ってくるとは。それに、何となく人が変わったというか、身に纏う空気が以前より冷たくなったような、そんな気がして、シンシアは、しばらくそのまま黙り込む。

「――ねえ、思花、出張行かない?」
 重苦しい沈黙を打ち破り、シンシアが、努めて明るい声で、そう話し掛けた。
「‥‥出張?」
「そう! 帰国したばっかで悪いんだけどね。捕まえてほしいキメラがいるのよ。ジャッカ・ロープって知ってる?」
「‥‥じゃっか・ろーぷ?」
 聞き慣れない単語を耳にして、思花は、長い銀髪を揺らし、首を傾げる。
「アメリカ中北部の、伝説のウサギよ。鹿みたいな角が生えてるの。かーわいいんだから! そいつがね、ロッキー山脈の麓で大暴れしてるんだって」
「‥‥可愛くたって、キメラはキメラ」
「そーだけどね。とにかく、それが欲しいって研究室があるのよ。傭兵は雇うけど、あんたも行ってくれない?」
 実は、思花には、元ULTの傭兵という過去がある。
 そんな彼女のことだ、研究所に閉じ込めているよりは外に出した方が、気分転換になるだろう――そう考えたシンシアは、彼女の前に『ジャッカ・ロープ』の資料を差し出した。
「‥‥いいよ。‥‥たまには、戦闘もしてみたいから」
「あー‥‥そういう理由なんだ‥‥」
 ロッカーを開け、物々しく超機械を取り出してみせる思花に、シンシアは、力なく笑って頭を掻いたのだった。


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●依頼内容
・アメリカ中北部に出現したキメラ『ジャッカ・ロープ』の群れを退治し、うち1羽を捕獲してください。
・生け捕りです。輸送途中で死なない程度の傷は容認します。
・捕獲したキメラは、同行の研究員・琳 思花に渡してください。

●参加者一覧

緑川 安則(ga0157
20歳・♂・JG
赤霧・連(ga0668
21歳・♀・SN
瓜生 巴(ga5119
20歳・♀・DG
ナオ・タカナシ(ga6440
17歳・♂・SN
飯島 修司(ga7951
36歳・♂・PN
アズメリア・カンス(ga8233
24歳・♀・AA
九条・縁(ga8248
22歳・♂・AA
ゼシュト・ユラファス(ga8555
30歳・♂・DF

●リプレイ本文

『当研究所が依頼する内容は、あくまでもキメラの殲滅と捕獲の二点のみである。輸送途中においてキメラが死亡する等の事態について、その責を負わせるべき理由は一切ない。
 また、受領したキメラが、その後の輸送に耐え得るかの判断を同行の研究員に求める行為は、依頼内容から見て至極当然の事である。
 よって、依頼成功条件に変更すべき点はない』


 研究所から届けられた文書に書かれた内容を思い出しながら、瓜生 巴(ga5119)は、大きく息をついて、窓の外を見遣った。
(「言うことは言ったわけだから。少なくとも、条件の再確認にはなったものね。あとは、与えられた仕事をするだけ」)
 今回、瓜生が依頼主へ求めたのは、『輸送途中にキメラが死亡した場合、傭兵が責を問われない』ための条件であり、『引き渡し時のキメラの状態確認の徹底』が主な内容である。
 だが、ほとんど全ての情報が伏せられている研究所との交渉は困難を極め、瓜生たちの手元に回答書が届いたのは、出発の直前であった。その結果が先程の、やや『上から目線』な文章だ。
「はっ!? ロッキー山脈といえば俺の天敵グリズリーの生息地じゃねーか!? 奴等に死んだフリは通用しないからな‥‥殺るか殺られるか‥‥」
 乾燥した大地を行くワゴンの中では、すっかり遠足気分の九条・縁(ga8248)が、先程から大声で歌ってみたり、戦々恐々としてみたりと、実に忙しそうだ。
「思花さんの好きな食べ物は何ですか?」
「‥‥春巻?‥‥」
「ふふ、お弁当にちゃんと入っているのですよ。‥‥ギャボ、スルーはなしですよ!」
 会った瞬間から質問攻めの赤霧・連(ga0668)の横で、琳 思花(gz0087)もまた、答えたり無視したり、その上ワゴンの運転もこなしたりと、結構忙しい。その様子を眺めながら、満足気な表情を浮かべるのは、ゼシュト・ユラファス(ga8555)である。
「ああ‥‥楽しい遠足になりそうだ」
 ところで、なぜ連の弁当に春巻が入っているかというと。
 研究所への事前リサーチで、『思花の好きなもの』について質問をしたが、回答を拒否された連。仕方がないので、思花の母国の中華料理を思い付く限り作成し、持参したわけである。
「未だに謎に包まれている、キメラ研究の一助となれれば幸いですね」
「今回の作戦はジャッカ・ロープの確保だ。1匹のキメラの生態を研究することで戦局に変化をもたらすかも知れない。そのためのサンプル確保だ。手加減は必要なので注意しよう」
 そんな事言いながら、緑川 安則(ga0157)も飯島 修司(ga7951)も、カレー粉だの鍋だのテントだのを持ち込んで、ちょっと楽しそうだ。
「今日の料理はジャッカ・ロープのカレーだな。後、一応エマージェンシーキットの保存食もあるぞ」
 緑川はそう言って、ポークカレー用に買ってある豚肉を、華麗にスルーする。

 ――こうして、遠足気分の一行は、伝説のウサギが巣食う山へと向かうのだった。


    ◆◇
「かわいいとは言っても、キメラである以上は倒すのに何の躊躇もないわね‥‥」
 酸素濃度と肌寒い気温に体を慣らせた後、アズメリア・カンス(ga8233)は、ぽつりと呟いた。すると、隣でそれを聞いていたゼシュトが、静かに口を開く。
「そうか‥‥流石に少しは期待していたのだが」
「期待って?」
「いや‥‥気にしなくていい」
 彼がアズメリアに対し、女性らしく可愛いものに反応するのを密かに期待していたことを、アズメリアは知らない。と、同時に、アズメリアが実は、家に帰ったらジャッカ・ロープ型の小物などを作ろうと思うほど反応してしまっていることもまた、ゼシュトには知る由もなく。
「ああ、そうだ‥‥彼女の事は頼んだぞ、妹よ」
「ほむ、了解です。兄様!」
 ゼシュトに頭を撫でられた連は、ナオ・タカナシ(ga6440)と一緒に檻とロープを準備中の思花へと、熱い視線を送った。
「キメラの行動範囲ですが、ハッキリわからないんですよね」
「‥‥そうだね。でも、あっちから寄ってくるから‥‥キャンプするなら、大丈夫」
 ナオに訊かれて、思花は、檻の蓋を引き上げつつ、答える。
「そうですね。‥‥こちらが見落としたキメラがいても、一泊している間に襲ってきそうです」
 ナオは、そう言って頷くと、ロープを置いて弓を取り、辺りを見回した。
「覚醒しておいた方がいいわね。不意打ちも怖いし」
「確かに。そろそろ気付かれているかもしれん」
「よし! いつでも来やがれウサギ汁ども!」
 覚醒し、全身に黒の模様を浮かび上がらせたアズメリアに続き、緑川、九条の二人も覚醒する。それを見て、他の能力者たちもまた、一斉に覚醒をし始めた。
「さすがに拾うのは限界がある、か‥‥これぐらいにしましょう」
 見える範囲全部の石を除けてしまいたいところではあるが、それはさすがに無理というもの。せめて零距離からの礫弾を防ぐため、ワゴンを背にして前方10mくらいの範囲で石を撤去したわけである。そして、瓜生もまた、覚醒したまま、周囲を警戒してキメラの姿を捜す。

 しばらく時間が経過した、その時。

 突然、前方から無数の礫弾が飛来した。
「来やがったか!」
 額を狙って飛んできた石をクロムブレイドの柄で防ぎ、九条が声を上げる。最前列の飯島は、素早く身を翻して礫弾をかわし、ゼシュト、瓜生、連、アズメリア、思花の四人もまた、各々手にした盾や武器を使い、正確に石を弾き返す。
「ほう? これはこれは御丁寧な御挨拶を‥‥」
 盾で頭を庇いながら、残忍な笑みを浮かべたゼシュトが言う。
 礫弾の雨が止むと、やや離れたそこかしこの岩陰から、わらわらと白い生物たちが飛び出してきた。
「ほむ、ウサギぴょんぴょん、いっぱいです」
(「か‥‥かわゆす‥‥!」)
 前脚を上げ、二本足で立ってキョロキョロと様子を窺う萌え系生物に、飯島は一瞬、うっかり我を失いかけたりした。
「左前方3羽、正面2羽、右2羽、来ます」
 後列の思花と連の斜め前に出たナオが、距離を詰めてくるキメラたちの数を数え、皆に伝える。
 後列左の緑川は、左前方の3羽に向けてドローム製SMGを構え、狙いを定めて引き金を引いた。
「本当はもっと威力あるんだが、今回は手加減した。死ぬなよ。せっかくの獲物なんだからな」
 襲い掛かる銃弾の嵐を避けきれず、さらに弾幕と土煙に追われた3羽のキメラたちは、悲鳴を上げて逃げ惑い、徐々に正面方向へと追い立てられていく。
「まずは数を減らさないとね」
 緑川の銃弾を後肢に受け、動きの鈍った1羽を、後列右から瓜生が放ったエネルギーガンの一撃が貫通した。声も上げずに倒れたキメラを横目に、彼女は、今度は右側から全速力で接近してくるキメラに向けて、引き金を引く。
『キュッ!!』
 瓜生の攻撃を受け、悲鳴を上げて飛び上がったキメラを、前列右のアズメリアが、月詠を振るって一刀のもとに斬り捨てた。
「容赦なくいかせてもらうわ」
 刀を空中で一振りし、付着した鮮血を飛ばすと、アズメリアは、再び草地を走る白いキメラたちと対峙する。
「ウサギなど、この後俺達が美味しく胃袋に収めてしまう食材でしかない事を教えてやる!」
 九条は飛び掛かってきたジャッカ・ロープの胸を、真正面からクロムブレイドで叩き切った。
 地面に落ちて悶え苦しむキメラをそのままに、九条は、両断剣を発動させ、迫り来るもう3羽のキメラに向けて、ソニックブームを放つ。不可視の衝撃波は、空を裂いて一直線に飛び、逃げそびれた先頭の1羽を吹っ飛ばすと、一撃で絶命させた。
「あと何羽残ってますかね?」
 九条に斬られ、それでもなんとか起き上がって向かってこようとするキメラに止めを刺し、飯島がナオを振り返る。
「あと3‥‥いえ、ワゴン後方に新たに2羽! 計5羽です」
「‥‥あれは、置いておく?」
 新たに現れた2羽を、確認しながら、割と今まで傍観気味だった思花が口を開き、斜め前のナオに向けて、一言尋ねた。問われてナオは、少し考え、答える。
「そうですね。あれを捕獲用にして、前方のものは倒してしまいましょう」
(「ほむ、思花さん、大丈夫そうで安心です」)
 キメラを見ても取り乱さず、落ち着いた様子でナオと言葉を交わす思花を見て、連は、ホッと胸を撫で下ろした。
「九条さん、右前方より1羽、来ます!」
「よっしゃ! どんとこいだ!」
 ナオの声に、九条は、頭を下げて飛び掛かってくるキメラの角を、器用に剣で受け流した。すると、キメラは、うまく体を捻って地面に着地し、すぐ隣のアズメリアへと攻撃を仕掛ける。
「甘いわね」
 だが、こちらにも弾き返され、キメラは、フーッと怒りの声を上げながら、着地と同時に、ナオ目掛けて地面の小石を蹴飛ばした。
「うっ‥‥」
 事前の石拾いでも無視された程度の小石だが、当たると少し痛い。ナオは、顔をしかめ、血の滲むこめかみを拭った。
 そして、次の瞬間には、別方向から飛んできた2発の礫弾が緑川を襲い、うち1発が肩に命中する。
「どんな奴かと思っていたが‥‥心おきなく斬り刻めそうだ」
 ゼシュトは、全くもって本気な目で向かってくるキメラを見据え、飛びついて来たそれを、盾で打ち据えて叩き落とした。
 そして間髪入れず、もんどり打って地面に転がったキメラを蹴り上げ、手にしたシュリケンブーメランで横薙ぎに斬りつける。そこへ、連の放った矢が飛来し、既に血塗れのキメラの背中に深々と突き刺さった。
 目を見開いたまま地面に落ちるキメラを確認すると、連は、即射によって得られた驚異的な速さで矢を番えると、鋭覚狙撃と影撃ちで強化した眼で、前方を走る1羽の太腿と狙う。
「足止めしますよッ!」
 しかし、スキルによって強化された一撃は、その勢いでキメラの下半身をまるごと引き千切り、なかなかスプラッタな状態で敵を絶命させた。
「ほむ、おかしいですね?」
 連が首を傾げて呟いた横で、思花がスパークマシンを構え、瓜生の横合いに姿を現した1羽に向けて、轟音とともに強烈な電撃を浴びせかける。
 だが、青白い電撃がキメラを灼き、毛皮を燃やし、肉が焼け焦げても、思花は、出力を弱めなかった。
「‥‥思花さん?」
 肉が焦げる嫌な臭いが辺りに漂い、連は、異様なものを感じて声を掛ける。しかし、思花の攻撃は、一向に止まない。
「――それくらいにしてくれる? 臭いから」
「‥‥」
 結局、見かねた瓜生が止めるまで、彼女は、真っ黒に焦げたキメラに電撃を浴びせ続けていた。


「あと2羽、捕獲に入ります」
 焦げ臭い空気の中、ナオの合図で、ワゴン後方より飛び出した2羽の捕獲作戦が開始された。
 アズメリア、ゼシュト、瓜生の3人がもう1羽を抑えている隙に、先手必勝を使用して素早さを、影撃ちで命中力を上げたナオの矢が、捕獲用に狙いをつけた1羽の脚に傷をつける。
 そして、緑川の横をすり抜けようとしたキメラだったが、いきなり何かで殴り飛ばされ、九条の腕の中に強制移動させられた。
「ロッタちゃんの店で貰える支給品では結構人気ないものだが、案外使えるものなんだな。キメラ鹵獲用ということでアピールできるかな?」
 今し方キメラを殴ったハリセンを手に、なんだか嬉しそうな緑川。殴られた側のキメラはというと、九条の胸で大暴れである。
「くそ! 大人しくしやがれってんだ! ――あ、痛ぇっ!!」
 指を噛まれ、九条は思わず、キメラを取り落としてしまった。
 ここぞとばかりに逃げ出すキメラ。しかし、その眼前に、瞬天速で先回りした飯島が立ち塞がる。
 それはもう驚いて飛び上がったキメラを、飯島が空中でキャッチし、素早く後脚に手錠を掛けた。とはいえ、結局、サイズが合わず、瓜生がロープで縛ったわけなのだが。
「‥‥皆さんに提案があります」
 そして、足をロープで巻かれたフカフカの生物を抱いたまま、飯島が口を開く。
「愛玩用にもう一羽だけ捕獲を‥‥」

 絶対聞こえていたに違いないアズメリアとゼシュトが、無言で最後のキメラを仕留めたのは、その直後のことであった。


    ◆◇
「キメラの中には喰えるものは多くいる。地方によっては特産品になりつつあるようだしね」
 キメラを捌いた後のアーミーナイフを拭き、緑川が言う。
 天に星が輝き出した頃、一行は、本日の夕食・ウサカレーとウサギ汁の完成を迎えていた。
「できたぜ! 俺の力作!!」
 キメラの解体から下拵え、味付けまで、ウサギ汁作りに本気を出していた九条とナオが、見事なまでにまん丸なウサ肉団子と牛蒡、葱が入った味噌汁を、いそいそと器に分けていく。
「ウサカレーは、私と赤霧さん、そして琳さんの合作です。いかがでしょうかね?」
「肉も柔らかいし、おいしいわよ」
 飯島に差し出されたウサカレーを頬張り、アズメリアは、またとない食感とスパイシーな味に舌鼓を打った。
 ワイワイと食事をするその輪の中で、瓜生が口を開き、
「最初は食べられるかどうか検査してからだったみたいだけど、最近は平気で食べてるから。毒入りの美味しそうなキメラとか、効果的かもね」
 怖い事を言ったりもする。
「‥‥」
 その横で、ゼシュトがそっと立ち上がり、無言でどこかへと立ち去って行った。
 冷静を装っていたが、彼は、ウサカレーの食材を、今の今まで知らなかったのである。



「思花さんは自分がお嫌いですか」
 食事の輪から少し離れた場所で、カレーの入った皿を持て余している思花に、連が歩み寄った。その後ろには、ナオの姿もある。
 思花は、髪を揺らして首を傾けると、逆に質問を返した。
「‥‥気、遣ってる?‥‥」
「あ、バレちゃいましたか」
 てへへ、といった感じで頭に手を遣る連に、思花は、カレーの皿を脇に置き、口を開く。
「‥‥別に、兄さんを守れなかったとか‥‥落ち込んではないから‥‥」
 彼女はそう言うと、ふっと息を吐いて、続けた。
「‥‥悲しいものは悲しい。でもこれは‥‥きっと時間が解決するんだと思うよ」
 山を渡る風が虫の音を運び、ランタンの明かりが優しく辺りを照らし出す。
 それまで黙っていたナオが、少し笑ったような、安心したような表情で、思花を見た。
「今日は、気晴らしになりましたか?」
「‥‥そうだね。ありがとう」
「悲しい時は、いつでも駆けつけます! 思花さんの笑顔、取り戻してみせますよッ♪」
 両手で握り拳を作り、ニコニコと笑顔を振り撒きつつ意気込む連。
 その姿を見つめ、思花は、静かに唇を動かした。
「――‥私を笑顔にしたいなら‥‥」
「ほむ、な、何ですか、思花さん?」
 真顔の思花に、連は、一体何を言われるのかとドキドキしながら、続きを促す。

「‥‥春巻。忘れてないで、出してくれる?‥‥」

 ――しばし、3人の間を、沈黙が流れ、

「ギャボ!! すっかり忘れてたのですよッ!?」

 星空煌く山の夜に、連の悲鳴が木霊した――。