タイトル:紅いワンピースマスター:桃谷 かな

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/08/04 16:56

●オープニング本文


「パパ‥‥パパ‥‥」
 階段を下りると、小さな女の子の声がした。
 琳 思花は、スパークマシンを手に持ったまま、眼下の踊り場に声を掛ける。
「‥‥誰かいる?」
「あたしと‥‥パパ」

 窓から注ぐ光の中、その子は、真っ赤な血の海に立っていた。
 愛らしい薄桃色のワンピースも、薔薇色の頬も白い腕も、全てを夥しい量の鮮血に染めて。
 
 その子は、足元に横たわる血塗れの父親を指差して、思花を見上げた。

「パパ、ねんねしてるの?」
「‥‥」
 思花は何も答えず、階段を下りて女の子を抱き上げる。見たところ、彼女に傷はなかった。
 目を開けたままの父親の遺体を見つめ、その子は、血だらけの顔で首を傾げる。
「パパは?」
「‥‥一緒には、行けないんだ‥‥」
「やだ!」
 思花が歩き出すと、その腕の中で、女の子は金切り声を上げ、激しく暴れた。
 彼女は、まだ4歳くらいだろうか。死を理解するには、幼すぎる。
「パパ! パパぁ!! やだ! いっしょにいくの!! パパぁ!!」
「‥‥」
 こんなに騒いでは敵が来るな、と内心思いながらも、思花は、何と声を掛ければ良いか思いつかず、ただ女の子の体をしっかりと抱いて、階段を下りて行く。


 ――ここは、北米・ロサンゼルス市内の外れにあるオフィスビル。
 サンフランシスコ近郊のとある研究所で働くキメラ研究者の思花は、新たな研究機材導入のため、この会社を訪れていた。
 商談も無事終わり、さて帰ろうと会議室を出たその時、突然、非常ベルが鳴り響いたのだ。
 最上階にいた思花たちには状況がよくわからず、続いて起きた停電の中、階段で地上を目指すことにした。

 だが、そこに現れたのは、忌むべきキメラであった。
 階段を下から駆け上がってきた虫人型キメラは、狭い踊り場で、逃げ惑う者を追い回し、思花の周囲にいた人間数人を斬り殺した。
 能力者である思花は、残った者を守ろうと奮闘したものの、後方支援を得意とするサイエンティストが一人で戦うなど、決して容易い事ではない。傷を負いながらも何とかキメラを倒し、練成治療で動けるようになった頃には、皆、死ぬか、はぐれるかしてしまった後だった。

 その後は、死体の転がる階段を、一人で下りて来て、今に至る。


「パパ! パパぁーー!! やだー! やだぁー!!」
 大声で泣き叫ぶ女の子を抱き、思花は、4階の床に降り立った。
「‥‥シッ」
 それまで黙っていた思花が、素早く女の子の口を塞いで耳を澄ます。

 階下から聞こえるのは――足音だった。

 階段を駆け上がってくるキメラの足音に、思花は、咄嗟に覚醒して踵を返し、4階の廊下を走った。
 いくつかのドアを通り過ぎ、選んだドアは、女子ロッカールーム。
 入るなり内側から鍵をかけ、脇にあった冷蔵庫や動かせそうなロッカーを使い、ドアを塞ぐ。
 そして、女の子を手近なロッカーの中に入れ、扉を閉めてその前に立った。

 足音が近付き、ロッカールームの前で止まる。
 室内に緊張が走り、思花は息を呑んだ。

 だが、キメラはそれほど頭が良くないのか、しばらくドアの前でウロウロしていたかと思うと、やがてどこかへ走っていってしまった。
(「‥‥良かった」)
 思花がロッカーを開けると、怯えて泣きじゃくった女の子が飛び出して来て、彼女の白衣にしがみつく。
 父親がやられた時のことを、思い出したのかもしれない。
(「‥‥一人では無理。ここにいた方がいい‥‥」)
 一体キメラが何体いるのか知らないが、思花には、この子を抱えて無事に外まで辿り着ける自信がなかった。
 彼女は、肩に掛けた貴重品ポーチの中から、おもむろに無線機を取り出し、電源を入れる。
「‥‥どなたか応答願います。オフィスビル内にてキメラが出現、死傷者が出ています。‥‥こちら、幼児を保護し、建物内より身動きがとれません。救助願います」
 それほど小さな会社ではないのだから、少なくとも何人かは外に逃げ延び、然るべきところへの通報がされているはずである。ならば、無線を所持した警察官や軍関係者が近くにいる可能性が高い。
 思花は、無線機のチャンネルを小刻みに変えながら、何度か応答を呼び掛けた。
「‥‥お姉ちゃん、こわい‥‥」
「大丈夫‥‥もうすぐ助けが来るから」

 身を寄せて震える女の子の頭を撫で、思花は、白衣の袖で、彼女の頬についた父親の血を拭った。


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●依頼内容
・ロサンゼルス市内外れのオフィスビルに、カマキリ人間キメラ(虫人型)が徘徊しています。殲滅してください。
・現在、4階女子ロッカールームにて2名の生存が確認されています。早急に救出してください。
・周囲は軍によって封鎖されています。
・その他の生存者の捜索は、キメラ殲滅後、軍が行います。
 ただし、作戦行動中に生存者を発見した場合は、保護してください。

●参加者一覧

ナレイン・フェルド(ga0506
26歳・♂・GP
藤宮紅緒(ga5157
21歳・♀・EL
ネオリーフ(ga6261
20歳・♂・SN
ラウル・カミーユ(ga7242
25歳・♂・JG
御巫 雫(ga8942
19歳・♀・SN
ジェイ・ガーランド(ga9899
24歳・♂・JG
園崎 優夜(gb1887
17歳・♂・DG
伊達 凛子(gb1891
17歳・♀・DG

●リプレイ本文

「な、何としても‥‥彼女たちの救助を急がなきゃ!」
 ビル前に着けた警察車両から降り、虫が大嫌いなナレイン・フェルド(ga0506)は、色んな意味で震える拳を握り締めた。
「えっと、あの‥‥大丈夫ですか? 顔色が悪いみたいです」
 顔面蒼白のナレインを気遣い、心配そうに問うネオリーフ(ga6261)。ナレインは、誤魔化すように力なく笑い、頷いた。
「だ、大丈夫‥‥」
 彼女の台詞を掻き消して、腹に響く重低音が二人の前通り過ぎ、突風が砂埃を舞い上げる。
 ビル前の道路に半円を描いて急停車した二台のバイクから降り、園崎 優夜(gb1887)と伊達 凛子(gb1891)は、軽く頭を振って埃を払った。
「初めての、仕事。不安だけれど‥‥頑張るわ」
「そう言えば、ドラグーンのお二人は今回が初仕事で御座いますね? あまり気負いすぎず、冷静に行きましょう。そうすれば必ずや、成功を掴めましょうから」
 規則正しいエンジン音を響かせているAU‐KV『リンドヴルム』。それを興味深げに覗き込みながら、ジェイ・ガーランド(ga9899)が、伊達の緊張を察して言葉を掛ける。
「‥‥御巫雫である。無線は聞こえるか? こちらから話したいときは無線を無言で一度鳴らす。話せる状況ならば無言で無線を一度鳴らし、話せない状況ならば二度鳴らせ」
「思花ちゃん、もう少しの辛抱よ。すぐに助けに行くから、それまでジッとしていてね?」
 無線を手にした御巫 雫(ga8942)とナレインが、ビルの中にいるはずの琳 思花(gz0087)に呼び掛けた。
『‥‥ありがとう。無理はしないで‥‥』
 一拍置いて返された声に、ラウル・カミーユ(ga7242)は、太陽の照り返しに目を細めながら、ビルを見上げる。
(「これも何かの縁なのカナ」)
 彼が思花と顔を合わせるのは、これで二回目となる。もっとも前回は、彼女の兄がキメラに惨殺された事件の時で、互いに名乗りもしなければ話しもしなかったのだが。
「しかし、直接救出で御座いますか。急がねばなりませんね」
「ひ、一つでも‥‥多くの命を助けないと‥‥!」
 ジェイの言葉に対し、意気込みの中にも不安を感じさせる声音で言いながら、鍋のふたを握り直す藤宮紅緒(ga5157)。
「優夜がいてくれて、心強いわ」
 ほっとしたように笑い合い、リンドヴルムを片手で叩くと、伊達と園崎は覚醒した。
 僅かに機械的な音を立てて、リンドヴルムのライトが高い位置に上がり、車体を折って前後のタイヤが平行な位置まで移動する。人型へと変形した銀色の機体の至る所が瞬時に稼働し、伊達が着装すると同時に開口部が一気に閉塞、彼女の体を覆い隠した。
「ゼルエル、行くよ‥‥子供は守ってあげないとね」
 機体の背面を突き抜けて展開する光翼、そして髪のようにも見える光の粒子を風に揺らめかせ、園崎は、眼前のオフィスビルへと向き直った。


    ◆◇
 一切の音も存在しない空間に、八人の靴音だけが硬く木霊する。
「‥‥酷い」
 正面玄関横の受付で、カウンターに突っ伏したまま首を刈り取られた女性を見つけた園崎が、ぽつりと声を漏らした。
「‥‥こっちは駄目ですね。既に事切れていらっしゃる」
「こっちも‥‥駄目」
 床に伏した者たちの脈をとり、ジェイとナレインが低い声で呟く。
 2階へと続く階段を上り切ったところで、御巫は、無線機のボタンを一度だけ押した。ザッ、ザーッ、と、二度の雑音が返ってきたのを確認し、彼女は思花に呼び掛ける。
「異常はないか? 現在我々は2階である。4階に到達した時点で連絡を入れる」
『‥‥うん』
 思花の返事に混じって、ぐずぐずと何事かを訴えているらしい少女の泣き声が聞こえた。
「凛子君、AU‐KVはどんな按配で御座いますか?」
 AU‐KVを着たまま器用に階段を上る伊達の姿を珍しげに眺めつつ、ジェイが尋ねる。すると、彼女は、滑らかな動作で階段を一段飛ばして上って見せ、明るく笑った。
「ちょっと暑いですが‥‥あたしたちにとっては、着ているほうが動きやすいんですよ」
 そして、一行が再び階段を上り始めた、その時。
「た――助けて下さいっ!!」
「きゃっ!」
 全館に響き渡りそうなほどの声を上げ、階段脇の女子トイレから這い出した若い女性が、ナレインに縋り付いて来た。虫人型キメラを過剰警戒していたナレインは、思わず小声で悲鳴を上げる。
「大丈夫‥‥もう大丈夫ですよ‥‥」
 ガタガタと震えながら床に座り込む女性の背中を擦り、藤宮が優しく声を掛けた。中列にいたジェイが駆け寄り、彼女に目立った外傷がないことを確認する。
「大丈夫で御座いますか? すぐに脱出致しましょう」
「‥‥んーしょ‥大丈夫ですか‥‥?」
 完全に腰を抜かしている女性を背負って持ち上げ、ネオリーフは、藤宮と共に来た道を戻り始める。
 だが、その時、人間のものとは明らかに違う足音が、異様なスピードで階段を駆け下りてきた。
 それを聞いたラウルの髪と瞳が、みるみるうちにその明度を落としていく。
「あーあ、見つかっちゃったネ?」
「あ、あとはお願いします‥‥!」
 ラウルと園崎が前列に出たのを確認し、藤宮とネオリーフは、女性を連れて全速力で階段を駆け下りて行った。
「――抜けてください!」
 黄緑の甲殻に覆われたカマキリ人間キメラが踊り場に姿を現すと同時、園崎が大声を上げる。
 それを合図に、後列の四人は一斉に覚醒し、キメラの横をすり抜けるように階段を駆け上がった。
「‥何で、こんな気持ち悪いキメラがいるの」
 鎌に生えたギザギザ、窓からの光に輝く複眼など、明らかに虫っぽい部分を間近に見て、半泣きで呟くナレイン。いきなり向かってきた集団に戸惑うキメラの横を抜け、階上を目指す。
『ギギギッ!』
 最後尾の御巫に向け、鎌を振りかざすキメラ。だが、その右脚を、ラウルの放った矢が貫いた。
「追わせないヨ。絶対にね」
 即射を発動させ、目にも止まらぬ速さで次々に矢を放つラウル。側頭と両脚、そして腰のあたりを撃ち貫かれたキメラの体がぐらつき、踏み止まろうと手摺に掛けた鎌が石の壁を擦る。
 その隙を逃さず、園崎が刀を抜き放ち、一息に階段を駆け上がった。
 竜の鱗に強化されたAU‐KVが淡い光を帯び、キメラに迫る。片方の鎌を振り上げて迎え撃つキメラに、園崎は、竜の瞳によって研ぎ澄まされた視覚を生かし、蛍火を一閃した。
「不浄なるモノよ――永久に眠れ」
 そして、青く濁った血を撒き散らして崩れ落ちたキメラに、園崎の刀が容赦なく突き下ろされた。


「時間が惜しい、速攻でカタをつけさせて頂く」
 3階に上がった四人に襲い掛ったのは、給湯室から飛び出して来たもう一体のキメラであった。
 ナレインと御巫の二人をそのまま4階に向かわせ、ジェイはキメラと対峙する。
 急所突きを発動させて放った銃弾が、強弾撃の効果を帯びて敵の甲殻の隙間を貫き、その片腕を肩口から吹き飛ばした。
 恐るべき速度で向かってくるキメラに、ジェイは、休むことなくライフルを向け、さらに二発の銃弾を叩き込む。
「あの女の子に、これ以上怖い思いはさせないわっ」
 ジェイの横をキメラが突破しかけたのを見て、伊達は装輪走行で素早く後退し、手にしたパイルスピアを真横に持つと、廊下を塞いだ。
『ギギュッ!』
「ううっ‥‥!」
 受け止め損ねたキメラの大鎌が、連続してリンドヴルムの装甲を打つ。内部に伝わる激しい衝撃に、伊達は小さく呻きを漏らしたものの、何とか態勢を立て直した。
「痛いじゃない! これでも喰らえー!」
 怒りの声を上げ、伊達が突き出した槍が、キメラの甲殻を突き破る。そして、そのまま横方向に槍先を滑らせ、力任せに斬り裂いた。
「一発必中一撃必殺‥吹き飛べっ!」
 ジェイのライフルから撃ち出された貫通弾が、キメラの頭部を襲い、その小さな顎ごと顔の下半分を吹っ飛ばす。
「止めよっ!」
 苦し紛れに繰り出された鎌の一撃を受け流し、伊達のパイルスピアが、キメラの脳天を突き貫いた。


「4階だ。間もなく到着する」
『‥‥ちょっと、待って‥‥開けるから』
 四階に到着した御巫とナレインは、思花に連絡を取り、女子ロッカールームの前まで走り抜けた。そのまま、ズリズリズリ、と大きなものを引き摺る音を聞きながら、しばし待つ。
『えっと、もうすぐ‥‥4階です』
「了解よ。脱出シュートがあったら教えてね」
 1班のネオリーフから通信が入り、ナレインは短い返事を返した。
 そうこうしているうちにドアが開き、中から、ところどころ服を切り裂かれた女性が顔を覗かせる。自分の血か他人の血か、肩に掛けた白衣も長い銀髪も、赤黒く染まって硬く乾き始めていた。
「思花ちゃんね? 大丈夫? 怪我はない?」
 室内に滑り込んで一旦ドアを閉め、ナレインは、えらく冷たい思花の手を取って心配そうに問う。
「‥‥私は‥‥大丈夫。練成治療、使えたから」
 そう答える彼女の顔は、ロッカールームの薄暗さの中でも読み取れるほど、青白かった。体の傷はスキルで治せても、さすがに血液を失いすぎたのか。その上、彼女は今、覚醒すらしていなかった。
「うむ。間もなく他の仲間が来る故、もう少し待つのだ」
 思花が頷いたのを見て、御巫は、続いて例の少女の姿を捜す。ふと見ると、思花のスカートの陰に隠れるようにして、ふわふわの金髪が揺れていた。
「私は御巫雫。雫ちゃんである。‥‥お姫様のお名前は何と言うのであるかな?」
「‥‥‥‥」
 柔らかい口調で話し掛けた御巫に対し、少女は蒼い目をパチパチさせながら、やや後退する。
「怖かったであろう。‥‥よく、我慢したな。偉いぞ」
 御巫が微笑んでみせると、少女は、思花のスカートをギュッと握り締めたまましばらく沈黙し、口を開いた。
「‥‥リザ」
「リザちゃんね。偉いわ、ちゃんとお名前言えるのね」
 そっと髪を撫で、優しく言葉を掛けるナレインを、少女は、ただ静かに見つめ返していた。
「あの、1班です。入ります」
「ナ、ナレインさん‥‥脱出シュート、見つけました‥‥! 廊下の端です」
 不意にドアが開き、廊下からの光の中に、ネオリーフと藤宮が姿を現す。生存者をビル外へと運んだ後、戦闘が起きていない側の階段を使い、急いでここまで上ってきたわけである。
「よし、では脱出シュートへ向かう。思花、行くぞ」
 ネオリーフと藤宮が廊下を警戒し、御巫とナレインが先に廊下に出て、思花とリザを促した。
 リザは思花に抱かれ、窓から見える太陽を眩しそうに見てから、キョロキョロと頭を動かす。やがて、上を向いて思花の顔を見上げ、続いて、ナレインの方へと視線を遣った。
「‥‥パパは?」
「大丈夫よ‥‥お父さんはあなたの為に今頑張って戦ってるの」
 手を伸ばし、リザの手を撫でながら、ナレインが言う。
「だからあなたは、お父さんに心配かけないように安全な所で待っていようね」
「やだ!! いっしょにいくの!!」
 キーンと甲高い声が廊下に反響し、一同の鼓膜を震わせた。
 リザは、目に涙を一杯溜めて、手足をバタつかせて訴え続ける。
「パパぁーー!! パパ!! やだぁーーーっっ!!」
「リザ‥‥痛い」
 泣き叫ぶリザに蹴られ、殴られ、思花が困ったような声を漏らした。ネオリーフが、階段横の窓から脱出シュートを手際よく広げ、階下へと投げ下ろす。
「こっちです‥‥あの、早く下に‥‥!」

 ――だが、この泣き声は、キメラを呼び寄せるには十分な音量であった。

「‥‥‥‥サヨナラ」
 上階から現れたキメラに向け、ネオリーフは素早く長弓を構え、表情には出さないまま怒気の混じった声音で吐き捨て、覚醒する。
 真っ直ぐに飛んだ矢がキメラの脇腹を射抜き、青い血を撒き散らせる。
「そ、それでは‥‥行ってきます‥‥!」
 同じく覚醒した藤宮が刀を手に、キメラへと疾る。布斬逆刃の効果を得た紅が赤い光を帯び、エネルギーの塊となってキメラの甲殻を切り裂いた。
 そして、そのまま手首を返して伸び上がり、相手の胴を大きく斬り上げる。

「――‥‥パパ」
 視界を遮るように押しつけられた思花の胸で、戦闘の気配を感じたリザが、小さく呟いた。
 思花が窓際に上がり、いよいよ脱出、というその時、傍で見ていた御巫が進み出て、リザの顔を覗き込むと、
「‥‥父は、疲れて眠りについたのだ。ゆっくり休ませてあげよう。だから、リザ。一緒に落ち着ける場所へ行くのである」
 そう言って、そっと彼女の頬に流れる涙を拭いた。
「‥‥父は後で連れ帰る。必ずな」
 言葉の意味がわかっているのかいないのか、ポカンと見つめるリザに笑い掛けると、御巫は、彼女から離れて思花の肩を叩き、脱出を促す。
「私たちも降りましょう。下も安全とは言い切れないものね」
 螺旋状の脱出シュートの中に思花とリザの姿が吸い込まれ、見えなくなると、ナレインと御巫もまた、戦闘を1班に任せ、脱出シュートへと飛び込んでいった。

「こ‥‥これで終わりです!」
 彼女たちの姿が4階から消えると同時、全身を蒼く染めた藤宮の刀が、キメラの胸を刺し貫き、絶命させた。


    ◆◇
「パパ‥‥」
 リザが父と対面を果たしたのは、その日の夜、軍警察の施設でのことだった。
 簡素なベッドに横たわり、いつまでも瞼を開けない父の姿を見つめ、リザは、放心したように立ち尽くしていた。
 御巫は何も言わず、そんな彼女を後ろから抱き締め続ける。
「お父さんは、遠い所に行ってしまったけれど‥‥いつでも、あなたを見守ってるの。目を閉じて。笑顔のお父さんを思い浮かべて。『頑張れ』っていう声、聞こえないかな‥‥?」
 伊達が屈み込み、優しく言葉を掛ける。だが、リザは、視線すら動かさず、黙って父の遺体を見つめるばかりであった。
「‥‥お二人とも、ご無事で何よりで御座いましたね」
「あの‥‥リザはどうなるのかな」
「‥‥そうだね。‥‥叔母さんに引き取られるみたい」
 部屋の隅では、椅子に掛けた思花とジェイ、そしてネオリーフが言葉を交わしている。
 ラウルが近付くと、思花は立ち上がり、ほんの少しだけ、唇の端を上げたように見えた。
「‥‥あなたは、久しぶりだね」
「うん、久しぶりー。また会うとは思ってなかったケド、無事で良かったネ」
「‥‥ありがとう」
 思花はそう言うと、再び椅子に腰を下ろし、ベッドの脇のリザに視線を移す。

「‥‥パパ、いつおきるの?」

 何もわからぬままに父を失い、それを理解できない幼い少女は、物言わぬ父の手を握り、ぽつりと呟いた。

「‥‥」
 ラウルは口を閉ざしたまま、呆然と佇むリザの髪を、片手でそっと撫でてやる。
「私‥‥頑張ります‥もっともっと‥‥」
 犠牲者は、この父子だけではない。家族を、友人を、一瞬にして奪い取られた者たちの慟哭が、この場所には満ちている。
 悲惨な現実を前に、藤宮は、体を小刻みに震わせ、俯いたまま、目を閉じた――。