タイトル:幽囚の恋人マスター:桃谷 かな

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/03/30 00:21

●オープニング本文


 まだ間に合う。
 まだ間に合うはずなのだ。

 私の大切なあの人は、きっと、まだ生きている。

   ◆◇
 道なき道を、百合子は走り続けた。
 森を抜け、河を越え、山道をただひたすらに駆け抜ける。
 弘志を助けたい、その強い想いだけが、彼女をその場所へと向かわせていた。
 幼い頃から姉弟のように育ち、どんな時でも彼女の後をついて回っていた弘志。
 弘志は少し小柄で、喧嘩などとても出来ない、虫も殺せないような優しい性格だった。百合子は、そんな彼を弟のように可愛がり、慈しんできたのだ。

 ところが、二日前。
 突如現れたキメラの群れによって、二人は引き裂かれた。

 その日、高原の別荘で、弘志は一人、留守番をしていた。
 百合子と他の家族は、少し離れた町へ出掛けており、誰一人として弘志の危機に気付く者はいなかった。
 別荘地がキメラに襲われたと聞き、彼女たちが弘志の許へと向かった時にはもう、道路は封鎖され、人の出入りも禁止されて、とても戻る事など出来なくなっていた。
 家族は、別荘に残してきた弘志の身を案じ、その日からずっと、軍や警察に必死で救出を依頼し続けているのだが、全く取り合ってもらえない。それどころか、弘志の存在を無視して、生存者の捜索すらも終了すると言うのだ。

 誰も助けてくれないと言うのならば、自分がやるしかない。
 恐ろしいキメラたちに囲まれて、不安と恐怖の中で助けを待っているはずの弘志を、何としても救い出してやらなければならない。

 気付けば百合子は、身を寄せていた親戚の家を飛び出し、弘志の待つ別荘へと駆け出していた。

   ◆◇
 日も暮れかけた頃、百合子はようやく、別荘へと続く道を見つけた。
 小さな身体で恐怖に耐えているであろう弘志の事を想い、急ぎ足で駆け上がる。
 しかし、その瞬間。
 林の中から躍り出た赤い塊が、百合子の身体を地面へと叩き付けた。
 百合子は甲高く悲鳴を上げ、それでも反射的に身体を捻り、飛び起きる。
 グルルルル、と低い唸り声が夕闇の林道に響き、百合子は身構えて辺りを見回した。

 燃えるような赤い毛皮に、なびく鬣(たてがみ)。
 鋭く光る牙に、獲物を見据えて離さぬ瞳。

 まるでライオンのような姿のキメラが、百合子の行く手を阻んでいた。
 それも、正面と左右、三方を三頭の敵に囲まれている。
 百合子は数歩後退り、せめて恐怖を相手に気取られぬよう、強く睨み返した。
 だが、左にいたキメラが突然地面を蹴り、百合子目掛けて跳躍する。彼女はその牙から逃れようと、咄嗟に踵を返し、後方に逃れた。
 追いすがるキメラたちの爪が、百合子の背中を浅く掠め、鮮血が舞う。
 痛みと恐怖に震え、もと来た道をひた走る。それでも彼女の胸を占めるのは、諦め切れない弘志への想いだった。
 野蛮なキメラたちの血に飢えた唸りが遠ざかり、自分を狙う鋭い殺気が暗い林道の奥に消えて無くなるまで、百合子は、ひたすらに逃げ続けた。

   ◆◇
「百合子さん!」
 一体どれだけの時間、そうしていたのだろうか。
 立ち入り禁止区域の外、真っ暗闇の林道の隅でうずくまっていた百合子は、聞き慣れた声に顔を上げた。
「かわいそうに・・・・弘志を助けたかったのね・・・・」
 姿を消した百合子を探しに来たのだろう。憔悴し切った表情の母が、目の前に止めたワゴンから駆け降りて、優しい腕で彼女を抱き寄せる。
「痛かったでしょう。ごめんなさいね、お母さんがしっかりしていなかったから・・・・こんなことに」
 母は、そう言って百合子の肩に顔を埋めると、声を殺して泣き始めた。百合子は、そんな母の頭に頬を寄せ、小さく鼻を鳴らして、ただ目を伏せる。
 この胸を締め付ける心の痛みに比べれば、背中の傷の痛みなど、憂える程のこともない。
 しかし、その感情を伝える術を持たない百合子は、ただ静かに母の腕に抱かれているしかなかった。
「大丈夫よ、百合子さん。弘志は‥‥必ず生きてるわ」
 顔を上げた母は、泣き腫らした目で百合子の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ、意を決したように、続ける。
「世の中には、能力者という人がいてね‥‥キメラを倒せる、特別な人たちなの」
 百合子には、その母の言葉が何を意味しているのか、理解することができない。
 ただ、そこに込められた確固たる決意だけを感じ取り、百合子は再び鼻を鳴らした。
 

 何としても弘志を助け出したい――その想いだけが、絶望の淵に立たされた母を突き動かす。
 百合子は、自分を見つめる母の顔をじっと見つめ、
「ウォン!!」
 三日月輝く春の夜空に、一声、吠えた。


   −−−−
●依頼内容
※今回の依頼主は、百合子さんの母(飼い主)。百合子さんと弘志は、犬です。
 依頼主は、別荘に残された弘志の身を案じています。
 (当然ですが、犬の百合子さんからの依頼ではありません)

・キメラを倒し、別荘に閉じ込められている弘志(チワワ・2kg)を救出して下さい。
・別荘地は、周囲を林に囲まれた高原で、数軒のログハウスが点在しています。
・道案内役として、百合子さんが付いて行きます。仲良くして下さい。
(弘志は臆病で人見知りですが、百合子さんを見れば安心して出てくるでしょう)

●参加者一覧

セシリア・D・篠畑(ga0475
20歳・♀・ER
蒼羅 玲(ga1092
18歳・♀・FT
橘・朔耶(ga1980
13歳・♀・SN
鐘依 透(ga6282
22歳・♂・PN
ラウル・カミーユ(ga7242
25歳・♂・JG
オットー・メララ(ga7255
25歳・♂・FT
レイ・アゼル(ga7679
18歳・♀・SN
流音 紗栖(ga7742
15歳・♂・EL

●リプレイ本文

「はい、百合子さん8名様ご指名! ‥‥じゃなくて、ご案内でーす!!」
 朝から陽気に夜のニオイのする発言をしつつ、ラウル・カミーユ(ga7242)は、百合子の顔を覗き込む。地面にお座りしたまま、百合子は、クンクンと鼻を動かして、初対面の能力者たちを物珍しそうに出迎えた。
 ここは、封鎖地域のすぐ外。依頼人から指定された待ち合わせ場所である。
「百合子さん‥‥大きいですね‥‥」
「大きいで御座るな‥‥」
 お座りの状態でも、隣に立つ蒼羅 玲(ga1092)と頭の高さが変わらない百合子の巨大っぷりに、レイ・アゼル(ga7679)とオットー・メララ(ga7255)は、感慨深げな呟きを漏らす。蒼羅はというと、少々複雑な心境である。
「みなさん、遠くからご足労いただいて、本当にありがとうございます」
 百合子のリードを握る依頼人が、一同を前に頭を下げる。百合子の方は、ソワソワと落ち着かない様子で、別荘地の方向と能力者たちを交互に見ては、鼻を鳴らしていた。
「こちらが、ご依頼いただいた周辺の地図です。あまり詳しいものが見つからなくて‥‥」
 渡された地図には、別荘地内を走る主な道路や遊歩道が記載され、そして、弘志のいる別荘の場所に、赤丸が付けられている。細かい目印や細い道などは書かれていないが、別荘地内の大体の位置関係は理解できた。
「同じようなログハウスがたくさんあるんですが‥‥百合子は間違えずに行けると思います」
「‥‥別荘の中で、弘志さんがいそうな場所を教えていただけませんか?」
 セシリア・ディールス(ga0475)の問いに、依頼人は少し考え、
「大体、二階のベッドの上か、一階のハウスの中だと思います」
「あ、あとさー、弘志の餌とか貰ってイイ?」
「百合子さんの分も。あと、玩具も借りたいな」
「あ‥‥そうですね。ちょっと待って下さい」
 ラウルと橘・朔耶(ga1980)がそう言うと、依頼人は、たまごボーロの袋と野球ボール、さらに、少し犬の唾臭い小さなマスコット人形を差し出した。
「まぁ、保険だが‥‥ないよりかはマシだろう♪」
 朔耶はそれを受け取ると、百合子の鼻先に掌を広げ、自分の匂いを嗅がせる。犬を安心させ、親交を取りたいという意思表示であるのだが、百合子の方は、朔耶についた飼い犬の匂いのほうが気になったらしい。服に鼻水をつける勢いで、嗅ぎまくる。さらに、流音 紗栖(ga7742)の手首に巻かれたマタタビの袋を見つけると、興味深げに鼻を近付けた。
「百合子さん、これは犬用ではないです」
 犬がマタタビに酔うことはないが、玩具にされても困る。紗栖は、マタタビを取られる前に腕を引っ込めた。
「では、百合子さんをお預かりしますね」
 鐘依 透(ga6282)が進み出て、百合子のリードを受け取る。
「みなさん、よろしくお願いします」
「百合子さん、弘志さんを助けに行きましょう」
 透が声をかけると、『弘志』『行く』という単語と出発の雰囲気に反応したのか、百合子は即座に立ち上がった。
「絶対助ける! 大丈夫だからネ?」
 にへっ、と一見無害そうに笑い、ソワソワする百合子を撫でながら、ラウルが言う。
「百合子殿、宜しくで御座るよ」
「百合子さん、宜しくお願いします」
「百合子さん、道案内よろしくです」
「‥‥?」
 口々に言いながら、自分を撫でたり、頭を下げたりする能力者たちを見回し、百合子は、不思議そうに首を傾げた。


   ◆◇
「この様な所にまで出没しようとは・・・」
 車二台がギリギリ擦れ違える程度の狭い林道を進みながら、最前列のオットーは、ポツリと呟いた。
 所々に登山道が設けられ、木々の隙間から注ぐ木漏れ日が心地よい高原の空気は、とてもではないが、血生臭いキメラ事件の現場とは思えない。
「‥‥分かれ道ですね。左でしょうか」
 特にこれといった目印となる建物もなく、中列のセシリアは、地図を読みながら、隊の中心を進む百合子の動きに視線を遣る。百合子は、やや急ぎ足に一定のペースを保ちつつ、迷わず左の道を選んだ。
「百合子さん、弘志さんが心配なんですね」
 立ち止まることもなく、ひたすら別荘を目指して歩き続ける百合子を振り返り、蒼羅が声を掛ける。百合子は、『弘志』のワードに耳を動かしたが、歩みを止めることはなかった。
「百合子殿‥‥そなたの想い、しかと受け止めたで御座る」
 その健気な姿に心を打たれたのか、オットーは、力強く何度も頷きながら、百合子の頭をわしわしと撫でる。
「ファイアビーストだっけ? 赤いから目立つカナー?」
 緑と茶色の風景に紫色の瞳を光らせ、ラウルは後列から周囲を警戒していた。
「ライオン型だよね。ライオンは意外と木にも登れるし、注意した方がいいよ。‥‥登るのは、主にメスだけどな」
「えっと、そうですね‥‥キメラですから、雌雄関係なく登れるかもしれませんよね」
 ライオンまめ知識を披露して注意を喚起する朔耶に、レイは、後列左舷を守りながら同意する。
 あらかじめ関係各所に申請して取得しておいた情報によると、今回の相手は、一般的にファイアビーストと呼ばれている類のキメラで、オスライオンを基調としている。真っ赤な毛皮と、口から吐く炎弾が特徴で、どうやら、今回の相手は、3頭で群れて行動しているらしい。
「3頭とはいえ、炎弾を連発されたら厄介ですね」
「猛獣型でしたら、耳も鼻も利くでしょうし‥‥もう気付かれているかもしれませんね」
 紗栖と透がそう言った、その時。
 突然、彼を引っ張るようにして歩いていた百合子が、ピタリと足を止めた。
 垂れ耳を精一杯立て、鼻というよりは目を動かして、何かを探しているように見える。
「何かいるのカナ?」
「来たぜ」
 アイリッシュウルフハウンドは、優れた視覚で獲物を捜す犬種である。ラウルと朔耶は、百合子が見ている方向を指し、敵の姿を捜した。
 前に出たラウルと入れ替わりに、低く唸り始めた百合子を連れ、透とセシリアが後列へ退がる。そこで、透はリードを離し、『待て』と命令した。
 最初にキメラの姿を見たのは、中列の紗栖だった。
「‥‥キメラを確認。1時方向。数1」
 紗栖の言葉を受けて、朔耶が覚醒する。長く伸びた髪を揺らし、先手必勝を使って素早く弓を構えると、前方の木々の間に見えた赤い影に向け、矢を放った。急所突きを使用した攻撃が、見事にキメラの胸へと突き刺さり、獣の悲鳴が林道に木霊する。
 そして、1頭目の生死を確認する間もなく、2頭目のキメラが道の右側から飛び出した。
「お前らが百合子殿に傷を負わせた張本人か!」
 オットーは叫び、覚醒すると、ウォッカ入りの水風船を2頭目の顔面目掛けて思い切り投げつけた。さすがに全部とはいかないが、それでも多少の酒は口に入ったように見える。
「お前らの居場所は地球(ここ)にはない! 地獄で閻魔の裁きでも受けるがよい!」
 敵が怯んだ瞬間を狙って、彼は二振りの刀を巧みに操り、斬りつけた。
「炎弾が来ます!」
 胸に矢を刺したままで距離を詰め、襲いかかってきた1頭目を蛍火で薙ぎ払って絶命させると、蒼羅は、セシリアに向けて警戒の声を上げる。緋色に変化した彼女の眼は、オットーの攻撃から立ち上がったキメラの口の中に生まれた炎を捉えていた。
 セシリアが百合子の前に立ち塞がり、不測の事態に備えて、透が百合子の傍で身構える。
 次の瞬間、拳大の炎弾が撃ち出され、セシリアへと襲い掛かった。
「相殺を‥‥」
 一か八か、炎弾の相殺を狙って、セシリアは覚醒し、超機械を発動させる。
 しかし、皆の願いも虚しく、飛来した炎弾はその威力を弱めることなく、セシリアの脚に命中した。肉が焦げる嫌な臭いが漂い、セシリアは呻いて片膝をつく。
 炎に驚いた百合子が取り乱し、大きく後ろに跳び退った。逸走の危険を感じた透が、すかさず『待て』を連発し、いつでもリードを掴めるよう、彼女と一緒に後退する。それと同時に、前列のオットーとアイコンタクトをとり、セシリアの前に移動するよう促した。
 膝をついたセシリアを狙った2頭目の爪を、オットーが刀で受け止め、庇った。少しウォッカが効いてきたのか、敵の動きは鈍くなりつつつある。
「もう1頭確認。10時方向」
「蒼羅さん!」
 隊の左側を守る紗栖とレイが、林の中を走る3頭目を発見した。レイの声に気付いた蒼羅は、3頭目が自分を狙った炎弾を吐き出したのを確認し、素早くそれを回避する。
 炎弾を回避されたキメラは、素早く方向を転換し、林の中を走る。
「後列狙ってるよー!」
 3頭目の動きに注意し、後列に警鐘を鳴らしながら、ラウルは覚醒した。暗色に染まった瞳で、まず確実に倒せそうな手負いの2頭目に狙いを定め、射抜く。強弾撃と急所突きを併用した攻撃は、見事に敵の眉間に命中し、瞬時にその命を奪い去った。
「‥‥やはり効きませんね」
 後列へと迫る3頭目を前に、紗栖は、小さく独りごちる。
 マタタビがファイアビーストを酔わせるのであれば、もっと早い段階で彼の方へ集まって来ているはずである。生物的に酒に酔うが、猫科特有の弱点は取り去られているようだと、彼は理解した。
「百合子さんはやらせません!」
 レイが覚醒し、洋弓に矢を番える。ほぼ同時に、隣の紗栖も覚醒した。
 唸りを上げて林から躍り出た3頭目に、鋭覚狙撃と強弾撃に強化されたレイの矢が突き刺さり、悲鳴が響き渡る。
 そして、もんどり打って地面に落ちたキメラが立ち上がるより早く、素早い動きで繰り出された紗栖のパイルスピアの一撃が、真っ赤なキメラの体に深々と突き刺された。
「これで終わりかな?」
 3頭目が頭を地面に落したのを見て、朔耶は、手近なキメラの唇を足で押し上げると、倒した証拠として、その牙を切り取り始めた。
「うわ。セシー、痛そー」
「大丈夫です‥‥」
 範囲は狭いが、黒く焦げた火傷を見て歩み寄ったラウルに、セシリアは、眉一つ動かさずに答えると、練成治療を発動させる。キラキラとした光が辺りを包み、セシリアの傷を優しく癒した。


   ◆◇
「ゆ、百合子さん! 落ち着いてください!」
 後肢で立ち上がり、別荘のドアをガリガリと引っ掻いて急かす百合子に、透は、時々肩を踏みつけられながら、借りてきた鍵を鍵穴に差し込んだ。
「百合子さん、興奮してるねー」
「感動の再会‥‥といったところでしょうか」
 百合子の腰をポンポンと撫でながら笑う朔耶に、無表情のままドラマティックな単語を口にするセシリア。
 ドアが開くと、百合子はリードを持つ透を振り切り、勢い良く駆け込んで行ってしまった。
「私たちも入りましょう」
 蒼羅が百合子を追い、一同もそれに続く。
 入ってすぐ、特大と極小の犬用水入れが目に入った。極小の方の水は乾き、特大の方も、底にわずかに水分が残っているのみであった。
「百合子殿は、二階で御座るか?」
「弘志ー、怖くないカラ出ておいで〜?」
 百合子と弘志の姿を捜し、皆が二階に上がってみると、ベッドの脇で、百合子が掛け布団の中に頭を突っ込み、尻尾を振っているのが見えた。
「百合子さん、弘志さんはそこですか?」
 レイが声を掛け、そっと布団を捲ると、そこには、すっかり痩せてガリガリになってしまった弘志が、半分以上食べた骨ガムを大事そうに両手で持って、うずくまっていた。
「弘志さん、良かった。無事だったんですね」
「百合子さん、良かったですね」
 思ったより元気そうな弘志の姿に、一同は安堵の息を漏らし、透と蒼羅が犬たちの再会を喜ぶ言葉をかける。
「弘志さん、独りで辛かったと思います‥‥。取り合えず、お水、如何ですか? あと保存食ですが食料も一応‥‥」
「弘志、たまごボーロあるよ!」
 セシリアが、水とビスケットを差し出した。さらに、朔耶も、持参したたまごボーロをベッドの上に数粒置いてみる。弘志は、少し警戒していると見え、ウルウルした目で、しばらくそれをじっと見つめていた。
「あ、食べたよー。かわいー」
 百合子の姿に安心したのか、それとも食欲が勝ったか、弘志は置かれたお菓子を、物凄い勢いで食べ始めた。ラウルが撫でても、無視してモグモク食べ続けている。
 食べる姿も愛らしい弘志の姿に、皆がメロメロになってしまっていた中、ふと、紗栖が声を上げた。
「‥‥百合子さんが、何かしてますけど」

 たまごボーロに目が眩んだ百合子は、誰も命令していないにも関わらず、勝手にお座りをし、片手を必死に空中に上げては、お手の仕草を繰り返していた。


   ◆◇
「こういう場所で食べるとおいしいですね」
 BBQの網の上から、肉と野菜の刺さった串を一つ取り、レイは、実に幸せそうに言った。
 封鎖解除直後の高原は、他の観光客の姿もなく、犬連れの行楽にはもってこいである。
「大変な仕事の後に、ご褒美は必需品だよ♪」
 朔耶はそう言うと、自分にとってのご褒美である焼肉を頬張り、百合子にとってのご褒美である野球ボールを、片手で思い切り遠くへ投げた。
 百合子と朔耶の飼い犬の大型犬二頭が、我先にとボールを追いかけて走っていき、かなり遅れて、弘志がそれについて行く。
「弘志さんも元気が出てきたようで、ホッとしましたね」
「‥‥全員無事に戻れましたしね」
「ええ、みなさん、本当にありがとうございました」
 地域の特産品のハムを切り分けつつ、蒼羅と紗栖、そして依頼人は、優しい気持ちで、高原を走る3頭の犬たちを見守っていた。
「みんな、マシュマロ焼く〜?」
「美味しそうですね。いただきます」
 さっきまでリンゴを焼いていたラウルが、今度はマシュマロを串に刺して炭火で炙り始める。甘く、香ばしい匂いに誘われ、透もその作業に参加した。
「百合子殿、お疲れ様で御座ったな‥‥そなたは良く頑張ったで御座るよ」
 ボールを持って戻り、『ひとりお手』で肉をねだる百合子を労い、オットーは肉汁滴るカルビを一切れ、食べさせた。続いて、弘志と朔耶の飼い犬も、それぞれに肉を貰ってご満悦の様子である。ついでに、オットーは、ここぞとばかりに、百合子の背中をモフモフと撫で回す。
「百合子さん‥‥本当に大きいですね‥‥」
 セシリアも、無表情のまま、百合子の肩のあたりに頬を寄せてみた。柔らかい毛ではないが、触り心地はよい。
「あ、僕も触りたいです!」
「俺も〜!」
 すると、それを見ていた一同が、すかさず集まり、百合子や朔耶の犬を撫で回したり、弘志を抱っこしまくったりと、『モフモフ大会』が開幕してしまった。
「良かったわね、百合子さん、弘志。みなさんに可愛がってもらって」
「ウォン!」
「ワン!」
 依頼人が冷ました肉を皿に盛り、にこやかに差し出すと、二人は揃って尻尾を振り、幸せそうに寄り添って食べ始めたのだった――。