タイトル:春の職業見学フェアマスター:桃谷 かな

シナリオ形態: ショート
難易度: やや易
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/04/07 18:26

●オープニング本文


「娘さんが高校を辞めた理由は?」
 朝の光が燦々と降り注ぐ白い相談室で、まだ若い女性相談員は、静かに質問する。
 相談室には、彼女と相談者以外、誰もいない。新品のカルテにペンを走らせる固い音が、明るい室内に大きく響き渡った。
 彼女は、この地域で活動している、子育て支援相談員の一人である。
 世界的に見てもバグアの攻撃が激しいアメリカでは、近年、子どもに関する相談が急増傾向にあった。不安定な世界情勢や連日のニュース報道、そして、身近な親族の死などの要因は、子どもたちの中に、現在や未来に対する漠然とした不安を抱かせることがある。
 そんな子どもを抱えた親と面談し、子育ての方針や進路、子どもとの接し方などをアドバイスするのが、相談員としての彼女の役割であった。
「それが‥‥その」
 相談員の問いに、疲れ果てたような声音で答えたのは、向かいに座る中年の女性だった。
 女性の名前は、メアリー・ヒース。去年高校を中退した17歳の娘の非行に悩んでいるという。
 連日の夜遊び、飲酒、喫煙、馬鹿騒ぎで、家に帰るのはいつも朝。警察のお世話になったことも少なくなく、近所からも煙たがられている。勉強も仕事もせず、親の財布から金を抜き取っては遊びに出てしまう娘に、ほとほと困らされているらしい。
「実は、娘にエミタ適性があることがわかって‥‥」
「エミタ適性‥‥能力者になるために、退学されたのですか?」
「いえ、そうではなくて‥‥学校に居づらくなったんだと思います」
「と、いいますと?」
 問われて、メアリーは少し間を置き、考えるような仕草を見せながら、静かに答える。
「能力者になれると言われても、正直、まだこのあたりは平和で、キメラとかバグアなんてものは、TVのニュースでしか見たことがないものですから‥‥ピンとこなかったようで。それに、やはり女の子ですし‥‥戦いを職業にするのは、怖いんじゃないかと思うんです」
「ええ、それはよくわかります」
 相談員が微笑みながら頷くと、メアリーは、暗い表情を更に翳らせ、目を伏せた。
「娘は、そのことをクラスメイトに相談したんです。そうしたら、翌日には、娘のエミタ適性のことが学校中で噂になっていて‥‥」
「特異な目で見られた‥‥ということでしょうか?」
「ええ、一部には。ですが大多数の子は、娘のエミタ適性を、歓迎すべき才能として喜んでくれたんです。でも、能力者になることにまだ抵抗があった娘には、皆の期待がプレッシャーになってしまったのかもしれません‥‥」
「‥‥なるほど。期待に応えられないことが重荷になって、学校に行きづらくなってしまったということですか‥‥」
 カルテを記入しながら、相談員は、ゆっくりとメアリーの言葉を継いだ。メアリーは、沈痛な面持ちで深く頷くと、ハンカチで目頭を押さえ、さらに話し続ける。
「それからは、すっかり荒れてしまって‥‥。何をするのも嫌だと言って、毎日遊んでばかり‥‥」
「‥‥そういうことでしたか」
 相談員は、納得して何度か軽く頭を縦に振り、ペンを持つ手を止めて、しばらくカルテに書かれた内容を頭の中で反芻した。
 そして、スッと顔を上げて、メアリーの目に視線を合わせる。
「お話を伺う限り、娘さんは、周囲の状況変化についていけず、自分を見失っている状態のようですね」
「はい‥‥もう、どうしたらいいか‥‥」
「お気持ちはお察しします」
 深く息を吐き出し、涙ながらに訴えるメアリーに、相談員は、落ち着いた口調で言葉を掛けた。
「能力者になることは、義務ではありません。ですが、現状、ほとんどのエミタ適性保有者が、能力者となる道を選んでいます。その現実が、余計に娘さんを悩ませているのでしょうね」
「‥‥そう思います」
「お母様は、娘さんにエミタ適性があるという事実を、どのように受け止めていますか?」
 相談員の問いに、メアリーは一瞬、動きを止めた。困惑したように眉根を寄せ、まとまらない考えのまま、口を開く。
「‥‥よく、わからないんです。能力者がどんなことをしているのか、実際に見たこともありませんし‥‥想像がつかなくて」
 そう言ったきり、メアリーは黙り込んでしまった。そんな彼女を安心させるように、相談員は、柔らかな声で話を続ける。
「最も重要なことは、娘さんが自分のエミタ適性を受け入れ、その意味を知ることではないでしょうか」
「意味‥‥ですか」
「能力者とは何なのか。自分にも務まるものか、そうでないのか。・・・・情報不足の状態で本人が戸惑っているにも関わらず、周囲が過度の期待を寄せているとあれば、反発心が芽生えても仕方ありません」
「‥‥そう‥‥かもしれませんね」
 口元にハンカチを押し当てたままで呟くメアリーに、相談員は、一枚のパンフレットを差し出した。
 若者が好みそうな可愛らしいキャラクターが描かれた、春らしい明るい配色のそのパンフレットは、一見、旅行会社のチラシのようにも見える。
 メアリーは、それを受け取り、ポップな字体で書かれた見出しを読み上げる。
「UPC・・・・春の職業見学フェア?」
「能力者関係のご相談には、こちらをお勧めしています。エミタ適性保有者向けの、職業見学ですよ。実際のキメラ退治の見学や、能力者との交流もできるそうです」
「でも・・・・」
 乗り気でない様子のメアリーに対し、相談員は、にっこりと微笑んで言葉を続けた。
「大丈夫です。参加したからといって、必ず能力者にならなければいけないわけではありません」
「・・・・これで、少しは変わってくれるでしょうか?」
 メアリーは、不安気に声を震わせ、すがるような目で相談員をチラリと見遣る。
「娘さんの今後を考える上で、能力者について知ることは、非常に大切なことです。自分の持つ才能がどのようなものであるか、しっかりと自覚させる必要があるでしょう。・・・・それに、過去に自分と同じ悩みを持ったことのある能力者と交流することも、いい刺激になるかもしれませんよ」
「・・・・」
 相談員の言葉に、メアリーは、ハンカチを持つ手を膝の上に下ろし、しばらくの間、沈黙して顔を俯けていた。
「そうですね・・・・わかりました」
 ややあってから、メアリーは顔を上げ、大きく頷いた。
「一度、UPCに娘を連れて行ってみます。それからのことは・・・・わかりませんけど」
「その時は、またご相談にいらしてください。良いご報告を期待していますよ」
 そう言って相談員は立ち上がり、メアリーに握手の手を差し出した。

●参加者一覧

アグレアーブル(ga0095
21歳・♀・PN
翠の肥満(ga2348
31歳・♂・JG
レーゲン・シュナイダー(ga4458
25歳・♀・ST
緑川安則(ga4773
27歳・♂・BM
アンジェリカ 楊(ga7681
22歳・♀・FT
ヴィー(ga7961
18歳・♀・ST
穂波 遥(ga8161
17歳・♀・ST
イーリス・クラウディア(ga8302
25歳・♀・DF

●リプレイ本文

 高速移動艇のシートに脚を上げて座り、アニーは早速、ご機嫌斜めであった。
 それというのも、暇つぶしにと持ってきた携帯ゲームを、ターミナルで母に没収されてしまったためである。
「そろそろ自己紹介といきたいんですけどね」
「‥‥はい。確かに」
 フォースフィールド並みに近寄り難い不貞腐れオーラ全開のアニーを眺めつつ、翠の肥満(ga2348)が発した言葉に、アグレアーブル(ga0095)は、静かに頷いた。
「私は、後でいい」
 少し年齢の離れたイーリス・クラウディア(ga8302)は、とりあえずこの場は、年下の女子集団に任せることにする。
 最初に席を立ったのは、アニーと同じアメリカ出身のアンジェリカ 楊(ga7681)であった。
「どこの州から、来たの?」
「‥‥何だよ、あんた?」
 アニーは、いきなり隣に座り、話しかけてきたアンジェリカの服装を、上から下までまじまじと観察する。
「見学者の護衛をする、アンジェリカだよ。アンジェって呼んで」
 口調に愛想が足りない割には、アンジェリカはアニーに対して、親近感に近い興味を感じているようにも見えた。アニーは、立てた膝に頬を当てたままで、答える。
「‥‥オレゴン州」
「私、メトロポリタンXに住んでたんだ。親と兄貴は死んじゃったけど」
 さらり、と言ってのけたアンジェリカに、アニーは、一瞬目を丸くして無言になった。アニーの住む州がいくら安全とはいえ、激戦地と呼ばれる北アメリカでは、アンジェリカのような境遇の者は珍しくない。しかし、初対面でそれを言われると、さすがに驚かずにはいられないのだろう。
「‥‥それってヘーキ?」
「さあ」
 少しの間、沈黙が流れ、高速移動艇のエンジン音だけがその空間を支配する。
「あの、喉、渇きませんか?」
「サンドイッチも、宜しければ」
 やがて、ヴィー(ga7961)とレーゲン・シュナイダー(ga4458)の二人が、お菓子とサンドイッチ、紅茶のセットを手に移動してきた。それに続くようにして、アグレアーブル、穂波 遥(ga8161)も席を移る。
「こんにちは。サイエンティストのレーゲンです☆ 今日はよろしくなのです。お気軽にレグって呼んでくださいね♪」
 差し出された手を、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で無意識に握り返しながら、アニーは、自分を取り囲むようにして座る能力者たちに視線を巡らせた。
「初めまして、サイエンティストのヴィーと申します」
「穂波遥です。よろしく」
 五人中三人は頭脳派のサイエンティスト、ファッション的にもタイプ的にもバラバラだ。能力者とか、傭兵だとかいう単語に、どこか体育会系のイメージを持っていたアニーは、ただ面喰った様子でポカンと口を開けているばかりであった。
「アグレアーブル、です」
「Agreable‥‥フランス人?」
 響きはフランス語だが、人名としては珍しい名前に、アニーが問う。
「西海岸出身です。‥‥ヒースさんと、同じ」
「マジで!? 家は?」
「‥‥兵舎、です」
 端的に答えたアグレアーブルの言葉に、アニーは、なんとなく、それ以上追及するのを止めた。
「アニーさん、兵舎っていうと物々しいイメージですけど、学校の寮みたいなものだと思って下さいね☆ お菓子を作って皆さんで集まったり、私はメカいじりなんかも。とっても楽しいですよ」
「学校ね‥‥」
 レーゲンがにこやかに話した中に、やや引っ掛かる単語があったらしい。アニーは、ポツリと一言呟いて、アンジェリカの方に顔を向ける。
「アンジェ、あんたら‥‥学校行ってねーの?」
「私も去年まで、学校行ってたよ。戦争が終わったら、また行きたいと思ってるんだ」
「私は、行ってます。‥‥できる限り」 
 アンジェリカが答え、アグレアーブルもまた、返事を返した。そして穂波は、少し頬を赤らめながら、控え目に口を開く。
「在籍はしているんですけど、出席日数が足りなくて。‥‥大検を受けて取り返します」
「‥‥フーン」
「意外と、自由な時間も多いんですよ♪ ちなみにこれは、お仕事で頂いた苺で手作りしたんです☆」
 にこにこと苺ジャムのサンドイッチを差し出し、レーゲンは言った。
「さあ、そろそろ、今回の作戦のおさらいをしたいのだが」
 迷彩服にアーマージャケット、いかにも元自衛隊員的な出で立ちで、のんびりムードの女子集団の横に現れたのは、数少ない男性メンバーの一人、緑川安則(ga4773)だった。
 そろそろレーゲン以外の成人メンバーも動き出したようで、緑川に続き、イーリス、翠の肥満もまた、席を移動してくる。
「イーリス・クラウディアだ。よろしく頼む」
「初めましてだな。アニー君だな? 緑川安則だ。よろしく頼む」
「‥‥」
 ぶっきらぼうな印象とはいえ同性であるイーリスはともかく、緑川のどこか武人らしい物々しさは、アニーの目から見ると際立って映るのかもしれない。彼女は、急に態度を変え、いきなり無視した。
 それを見たアンジェリカは、隣に座るアニーの肩を軽く叩き、
「こんなだけど、悪い人じゃない‥‥仲間だよ」
 と、一言フォローを入れる。
 悪い人かどうかは別として、どうも緑川のようなタイプの大人には反発心を覚えてしまうらしく、アニーは口を閉ざしたまま、斜めの上目遣いに彼を見つめていた。
 一方、アグレアーブルはというと、いつ翠の肥満をアニーに紹介するべきか、タイミングを計っていた。今紹介を入れたところで、さらにアニーの機嫌が悪くなるかもしれない。しかし、いつまでも名乗らせないのも、不自然である。
「翠の肥満。信頼する戦友の一人、です」
 考えた末、彼女はアニーに声を掛け、翠の肥満を紹介する。
「よろしく」
 翠の肥満は、拒絶を覚悟でサングラスの向こうから挨拶した。
 が、アニーは一言、
「どこが肥満?」
 と言っただけで、無反応であった。
「まあ、まさか本名ではありませんがね」
 拒絶以前のアニーの言葉に、翠の肥満は、なんとなく苦笑いを浮かべ、言う。
「‥‥そろそろ我々の作戦を聞いてくれ」
「はー、あー、はいはい。オーケーオーケー」
 イーリスに対し、アニーは、実に適当に答えた。
「よし、ではまず、今回の敵についてだ」
 緑川が仕切り、作戦の確認が始まる。
「敵戦力はキメラアントが2匹だ。過去の報告書を分析した結果だが、本来は数を使っての蹂躙戦を得意とするキメラだ。装甲に注意は必要だが、大丈夫だ」
 アニーはというと、真剣に解説する緑川の姿を見ながら、一人だけお菓子を頬張り、興味があるのかないのかわからない様子で話を聞いている。
「アリ型のキメラか‥‥もっと砂糖を持ってくるべきだったかな?」
 紅茶用に置いてあるスティックシュガーを一本手に取って弄び、翠の肥満は、そう独りごちる。
「‥‥実は私、今回が初めての仕事なんです」
 ボーッとした顔で作戦会議の声を聞き流していたアニーに、ヴィーは、不意にそんなことを打ち明けた。すると、穂波も小声で囁きかける。
「私もですよ」
「へー‥‥じゃ、能力者になったのって、最近?」
 意外そうに呟くアニーに、穂波は、少し恥ずかしそうに頷いてみせた。
「はい。ですから、まだ、不思議な感じというか‥‥こんなに簡単に、今まで出来なかったことが出来るようになるなんて、何かズルしてる気もして、これは悪魔の囁きなのではと思っちゃうこともありますよ」
 ふふふ、と微笑む穂波は、座っていても倒れるのではないかと思うほど、弱々しく見える。
「私も、アニーさんとほとんど変わらない新米ですから、今回は色々勉強して帰ろうと思っているんです」
「私たちは、異なる能力を持っているし、経験もいろいろ。だから役割分担するの。‥‥普通の仕事と、一緒かもね」
 作戦会議を邪魔しない程度の声で、ヴィーとアンジェリカは、それぞれにそう話してアニーの反応を見る。
「‥‥なんで能力者になったわけ?」
 それは、絶対に来るであろうと予測されていた問いでもあった。
 アンジェリカは、さあ、と少し首を傾げるような仕草をしてから、事も無げに答える。
「能力者になるときは、やっぱり悩んだけど‥‥復讐じゃないよ。私みたいな人が、増えて欲しくないって思っただけ。いいこともあったしね。傭兵になって良かったのは‥‥仲間ができたこと‥‥かな」
 なんだか顔が赤いアンジェリカの返事を聞き、アニーは、静かにヴィーの方へ視線を移した。
「能力者になって誰かが笑ってくれるなら、それほど嬉しいことはありませんから」
 と、ヴィーは、曖昧に笑ってみせる。
「‥‥‥‥ふーん‥‥」
 納得したのかしていないのか、アニーは、ただ小さく呟いて、再び膝に片頬を載せた。


    ◆◇
 今回、アニーが一番驚いたのは、能力者たちが覚醒するシーンであった。
 中でも、それまでフラフラだった穂波が突然身軽に走り出したり、普段はおっとりしているレーゲンが「さァ、行くとしようか」などと姐御口調になってしまったりといった、体調や性格にまで及ぶ大きな変化は、非常に彼女の興味を引いたようである。
 そして、二匹のキメラはというと、事前情報通り、あっけなく三分で発見された。
 隠れられるほど高くもない雑草の間で、なんだかボーッとしている蟻型キメラたちは、見るからに弱そうである。群れからはぐれ、途方に暮れているのかもしれない。
 先に仕掛けたのは、A班のアグレアーブルであった。
 攻撃対象を手前の一匹に絞り、
「先、行きます」
 言うや否や、姿を消した。
 彼女は、先手必勝と瞬天足の合わせ技で、瞬時にキメラの目の前へ姿を現すと、急所突きを発動し、確実にキメラの脚を片側三本全て切り落とした。
「目標確認、所定の作戦計画に基づき、敵戦力を撃破せよ! 龍の傭兵、緑川安則、参る!」
 緑川は、もう一匹のキメラが慌てて逃げ出そうとするのを見るなり、瞬速縮地を発動する。目にも止まらぬ速さでキメラのもとへ移動すると、獣の皮膚で硬化した身体を翻し、軽やかな動きで相手の胸から脇腹にかけて、流し斬りを叩き込んだ。
「初手で強力な技と得意な戦術を的確に行う。これが勝利の秘訣、先手必勝!」
 ギィィーッと悲鳴を上げ、緑川から逃れようとするキメラに、アニーを護衛していたアンジェリカとヴィーの二人が警戒を強めた、その瞬間。
 バリバリバリッ、と天を裂く轟音が轟き、翠の肥満のスパークマシンΩが電磁波を噴いた。これはかなり効いたのか、ほとんど消し炭のように焼け焦げたキメラが、悲鳴を上げる間もなく地面に転がる。
 そして、レーゲンが、同じくスパークマシンΩを構えた。当然、脚を落とされたキメラは、逃れることもできない。
 大型の超機械から吐き出された電磁波の渦が動けぬキメラを襲い、圧倒的な威力でもってその体を焼き尽くした。

「アニーさん、いかがでしたか? 今日の見学は」
 河川敷の芝生に座り、地面に転がる二つの黒焦げ死体を見つめていたアニーに、ヴィーが声を掛ける。
「‥‥別に。疲れるし、焦げ臭いし、ダルい」
「そうですね。疲れます。やりがい云々は別に、本当に疲れます、この仕事。正直、こんな汗はあまりかくべきじゃない。下手すれば血も出るし」
 そっぽを向いたアニーに、同意するかのような言葉を投げたのは、翠の肥満であった。彼は、ヘルメットを脱ぎ、さらに続ける。
「いいですか? やりたい事が見つからないのは当然ですが、でもやれる事が無いのは不幸だ。貴女がどんな道を選ぶにせよ、汗と血ばかり流れる、こんな仕事しかできないような人間にはなっちゃ駄目。僕みたいなね。‥‥悩んでください。死ぬ気でね」
「‥‥」
 いきなり核心を突かれたアニーは、翠の肥満を睨むように見つめたまま、しば対峙した。そして、
「なんであたしが死ぬ気で悩まなきゃなんねーの?」
 彼女は、苛立ちを隠せぬ低い声で、吐き捨てるように問う。
「能力者っても、いろいろだって、確かにわかったよ。でも、いつ死んでもおかしくない仕事だってこともわかってんだから。そんななのに、周りは‥‥‥‥なんでそんな簡単に、能力者になれって言えんだよ!?」
 内に溜め込んでいたものが爆発したのだろうか、アニーは、顔を真っ赤に紅潮させ、半ば怒鳴り散らすように喚き、地面を殴りつけた。
「‥‥死にたくなんかねーし、怪我だって嫌だろ。そんなの普通のことだよ。なのにさ、みんな、あたしにエミタ適性があるってだけで、そんな普通のことも忘れてやがる。あたしの気持ちなんか、まるで無視だ」
 震えるほど握り締めた拳を地面に押し付け、アニーは、片手を額に当てて、ぐっと唇を噛む。
「周りは気にしなくて、いいんじゃない。自分の人生だし」
 迷うことなく、あっさりと言い放ったのは、アンジェリカだった。アニーが顔を上げると、彼女は、そよぐ春風にツインテールをなびかせながら、じっとアニーを見下ろしていた。
「‥‥」
 そして、同じく淡々と語りかけたのは、その隣のイーリスであった。
「死ぬ事が怖いなら、戦う事は止めたほうがいいだろう。だがもし、お前に命を賭してでも護りたいモノ、戦いたい理由があるのなら、エミタはお前の願いを叶える力になってくれる。‥‥もっとも、自分の戦う理由など早々思いつかないかもしれないがな。焦って答えを出す必要はない。存分に迷って、自分の道を決めるといい」
「その通りだ。周りは関係ない。どんな人生を選ぶかは君次第だ。不良でもいい、普通に生きるのもいい。エミタを埋め込むのも否も自由だ。埋め込んでも傭兵として生きるならば依頼は好きに選べばいい。傭兵は必要以上に束縛を嫌うものだ。悩むならドンドン悩め。私だって悩んだもんさ」
 続いて緑川まで、まくしたてるように『悩め』と言ったものだからか、アニーは、何やら眉間に皺を寄せ、反発する気力もなさそうに、ぼんやりと一同を見回していた。
「アニーさん、私、能力者になった今でも、ちゃんと夢があるんですよ」
 黙り込んだアニーに、レーゲンが優しく言葉をかける。
「ゆっくり考えればいいんです。お茶にお菓子でも食べながら、ゆっくり」
「そうですよ。‥‥私だって、まだしつこく高校に在籍してるんですから。迷ったっていいと思います」
 小さく咳をしながら、穂波が言う。
「――なんか、あんたら色んな事言うから、わかんなくなってきた」
 アニーは、しばらく頭を抱えて考え込むような仕草をして、やがて、大きく息を吐き、後ろ向きに立ち上がった。
「‥‥もういーや。よくわかんねーから、帰って考える」
 彼女はその場で大きく伸びをすると、勢い良く一同を振り返る。
「考えるよ。そのうち」

 そして、アニーは、春風薫る緑の川辺で、まるで苦笑いのような笑みを浮かべ、こう付け加えたのだった。
「‥‥死ぬ気でね」