●オープニング本文
前回のリプレイを見る 僕はどんな風に生まれて、どんな道を歩いてきたんだろう
心のどこかに空いた風穴が、それを見つければ埋まると思ってるのかな
忘れたいから、忘れてるかもしれないのに
「‥‥日本で‥あなたの兄さんが死んだって」
画面に表示される数値を書き留めながら、思花さんがそう口にした。
話しかけられた相手は、僕が構えた銃の先。
分厚い強化ガラスの向こうで、ベッドに固定されてる人型のキメラだ。
ゾディアック山羊座の配下。強化人間じゃなくて、キメラ化された人間。さっき見た資料に、そう書いてあった。
「といっても‥‥本人ではない、けどね‥‥」
『まあ、ヨリシロですからね。あれは兄であって、兄そのものではないですよ』
頭に何本も管を繋がれた状態で、キメラはサラリと返事をした。
普通に会話できるキメラなんて見た事なかったもんだから、僕は思わずびっくりして、会話に意識を取られてしまう。
「‥‥じゃあ、どうして従ってたの‥‥? 洗脳されてる人に訊くのも‥‥おかしいけど」
『どうしてと言われましても。僕は僕なりに、バグアに従う理由ぐらい持っていますよ。‥‥洗脳されている事は事実でしょうから、どこまで自分の意志かは、わかりませんが』
「そう‥‥」
無表情に質問する思花さんと、むしろ微笑むみたいにして答えるキメラ。
それで会話は終わり。二人とも、それ以上何も言おうとしなかった。
もっと何かを話したいんじゃないかな、って思う。何か言いたいけど抑え込んでるみたいな、緊張感と遠慮が混じった変な空気を感じる気がするから。
沈黙が重苦しくて、計器の音だけがやたらと僕の鼓膜を震わせた。
◆◇
「あの人って、昔の恋人だって聞いたけど」
昼休み。僕は外に出て、海の近くの木陰で思花さんを見つけた。
この研究所には別に仲良い人もいないし、昼休みを誰かと過ごすっていうのは、実は初めてだったりするんだけど。
「‥‥ああ、聞いたんだ」
「心配してる人がいたんだ。この前会った傭兵の中に」
僕がそう言ったら、彼女はサンドイッチを口に運びながら、「言わなくても誰かはわかる」って返してきた。
「もし、山羊座が目の前にいたら、復讐したいとか思うの?」
「‥‥思わないとでも思うの?」
興味本位で聞く事じゃないよな、とか思ったけど、何となく聞いてしまった。彼女は、僕が考えてたより速く、即答する。
「そっか‥‥」
近しい人が敵方に回るって、どんな気分なんだろう。
人外のものになって、閉じ込められて、切り刻まれてるのを見るって、どんな気分なんだろう。
僕達は、ちょっと無言になった。
僕は少し前、ロサンゼルスに帰った。
失いたくないものも、欲しいものも、僕には何も見つからない。
生温い水の中でただ浮かんでるみたいな、そんな毎日が何となく嫌だった。
ロスでは、色んな人に会った。
僕の孤児院が全壊してたことに、同情してくれた傭兵もいた。
そう言われて初めて気付いたんだ。僕は、孤児院が失くなってた事を、ちょっと寂しいって思ってる。
孤児院のごわごわしたベッドとか、玄関の前の抜けた床とか。そういうの。
別に愛着なんてないって思ってたのに、無いんだって思ったら、もう一回見たくなった。
それから、先生達とも話したんだ。
院長先生は、僕の父の名前を教えてくれた。
それから、いつでも帰ってこいって言ったんだ。家族だからって。
あともう一つ、僕のベッドに兵士募集のチラシを置いた犯人も判明した。バーバラっていう、一つ下の女の子だ。
手紙には、他の子と間違えてチラシを置いた事、僕が本気にしたから謝りにくかった事、それから、来年は自分も応募するから戦場で会おう、って書いてあった。
その手紙を読んでたら、なんか気が抜けてきたんだよね。
何だかんだ言って僕は、チラシを置かれたことに腹を立ててたんじゃないかな。孤児院の経営が苦しいからしょうがないとか、変に自分の中で理屈をつけて納得しようとしてたみたいだ。
孤児院の皆に突き放されたみたいに思ったのかもしれないな。
僕は孤児院で孤立してたと思うし、院長先生に『家族』って言ってもらっても、何だか違和感を感じた。気持ちが付いていけなかった。
それなのに、突き放されたら腹を立てるんだから、人間って不思議だと思う。
‥‥だけど、まあ、一つだけわかった気がする。
あの場所は――孤児院は、僕の『家』だったんだ。
その家で一緒に暮らした皆が死んだり、いなくなったりしたら、悲しいかな?
キメラやヨリシロになって僕の前に現れたら、バグアを恨む気持ちになるかな?
それは、今でもよくわからない。
だけど、そうなって欲しくはないなって、思うんだ。
失うかそのままかのどっちかなら、そのままそこに居てくれたほうがいいって、そんな風には。
「思花さん。ロバート・ミラー大佐の連隊から、面会許可が来たんだ」
そう言って僕は、一通の手紙を差し出した。僕の父親だっていう、ロバート・ミラー大佐からの返事を。
「どう思う?」
手紙を広げた思花さんに、訊いてみる。彼女は中身を読んでから、ちょっと眉根を寄せた。
ここの上司を通じて出した大佐への手紙には、僕が彼を父親だって知った事、面会を許可して欲しいって事、そんな事を書いてた。
ちょっと時間は掛ったけど、大佐側からの返事はOK。だから僕は、次の休みに会いに行くことに決めたんだ。
だけど、その手紙には、変な事も書いてあったんだよね。
大佐が居るのは、デトロイト。ちょっと治安が悪めだけど、まあ人類側の都市のはずだ。
「‥‥何のつもり‥なんだろうね‥‥」
思った通り、思花さんも首を傾げてる。
大佐直筆の僕への手紙。
そこには、こう書かれてたんだ。
『信頼のおける、できれば能力者の友人がいれば、何人か選んで連れて来るように』
なんでだろう。
理由がわからなくて、僕達はただ首を傾げるしかなかった。
思花さんに訊いたけど、忙しいからって遠出は拒否。‥‥まあそんなもんだよね。
だけど、他に来てくれそうな知り合いの能力者って言ったら‥‥
そして僕達は、またULTに依頼を出した。
●リプレイ本文
●ラウル・カミーユ(
ga7242)
僕には、殺したかった人がいた。
大事な人が苦しむぐらいなら、殺したいと思った人がいた。
もし僕がそう言ったら、彼女は何て言うのカナ。
依頼書に書いてあった琳 思花(gz0087)の名前。僕は高速移動艇を降りて、その人を探してた。
国内線の出発ロビーで待ってた彼女と目が合って、僕は無言で手を伸ばす。
「僕はココに居るヨ」って、「大丈夫ダヨ」って、言ってあげたいコトはあったのに、僕にできたのは、黙って背中をポンポンするコトだけ。
「‥‥どうしたの?」
「ううん。思花サン、仕事忙しいみたいだケド、無理しナイでネ」
「ありがとう‥‥大丈夫だよ」
無理しナイで。
僕の気持ち、ちゃんと伝わってるのカナ?
「また来てあげたわよ。‥‥ま、友達になってあげるって約束してあげた手前、ね」
「その約束を『受けてあげる』なんて、僕、言ってないよ」
「なによ、さっさと受けなさいよね!」
愛梨(
gb5765)とリアムが、早速ジャレてる。
仲良しサン――だよネ? アレ? 違うの?
「よ、リアム。また会ったな。覚えていてくれて嬉しいぜ」
「お久しぶりです、リアムさん。今回も頑張りましょうね」
鈍名 レイジ(
ga8428)、沢渡 深鈴(
gb8044)――ンー、何て呼ぼう?
「皆、久しぶり。‥‥レイジさん、荷物多くない?」
「ん? っと、ああ、スーツと革靴が嵩張っちまったからな。別に重くはないぜ」
‥‥え?
「私も一応、軍服だ。リアム、お前の軍服も今夜、アイロンをかけてやろう」
コレは、たまみん。井筒 珠美(
ga0090)。
‥‥え?
「私、ワンピースなんだ。大佐に失礼にならないよね?」
「大丈夫じゃない? 私なんかカンパネラの制服だし」
「制服は正装ですよ。私‥‥着物ですが、正装になりますよね‥‥?」
コレは、トリシア・トールズソン(
gb4346)、愛梨、深鈴。
ガーーーーーン!!!!
何か皆、ちゃんとしたカッコしてる!?
僕、フィールドジャケットとかなんだケド!!
か、カジュアル過ぎたーーーー!!??
「ラウル‥‥?」
「何でもナイ‥‥」
思花サンの肩にダラーンて垂れ下がるカジュアルな僕を、皆、ちょっとフシギそな顔で覗き込んだ。
うん、いいんだ‥‥今回は思花サンと会えたし。
ガンバレ僕っ! いざとなったら脱いでやるっ!
‥‥嘘デス。
「よしっ、じゃあ出発! リアム、お父さんに会いに行こうっ」
トリシアの言葉で、僕達はチェックインを済ませて歩き出した。手荷物検査の前に、たまみんが皆に言う。
「飛行機に乗る前に。デトロイト、といえば大規模作戦の前線基地‥‥今は軍都、って所だ。酔って分別が無くなった軍人ほど性質の悪いのはないし、傭兵に対して良くない感情を抱く兵もいる。散策は表通りを中心にして、裏道や酒を出す店には近づかないように」
ここで思花サンとはお別れ。心配だケド、僕は‥‥一緒に居てあげられナイ。
次はいつ会えるのカナ。
せめて僕との時間だけでも、幸せで居て欲しいカラ。
「行ってくるネ!」
僕は君に、笑って手を振るヨ。
●トリシア・トールズソン
「――トリシア?」
「っ――ああ、リアム。ううん、ちょっと乗り物酔いかも」
レイジが借りてくれたワゴンの中で、私は少しの間、黙り込んでたみたい。
「大丈夫? 薬局寄ろうか?」
リアムが心配してる。
‥‥見ないでよ。私が何考えてたか、探らないで。
「平気。下向いてたら、治ったから。ね、あの尖塔みたいな建物は何かな?」
「アレは博物館らしいぜ。自動車から家電、蒸気機関車まで展示してるって話だ。リアム、行きたい場所はあるか?」
「‥‥博物館‥‥美術館‥‥うーん‥」
レイジが渡した観光ガイドとにらめっこするリアム。後ろの座席の愛梨が、それをひったくった。
「デトロイトっていうと‥野球? バスケ? アメリカ人って何のスポーツが好きなの?」
「さあ‥‥色々」
「興味ないの?? まったくアンタって人は‥。次に会うまでの宿題! どれか1つを勉強しておくこと! そしてスタジアムへ案内しなさい。いいわね?」
「ソレって、デートの約束みたいだネ。二人で行くのカナ?」
ラウルが何気なく言ったその一言に、愛梨もリアムも一瞬黙る。それから、殆ど同時に「違う!」って言い返した。
‥‥違うのかな?
「さすがに軍人が多いな‥‥いや、街全体の雰囲気が悪いと言うべきか」
「大規模な戦闘があったのですよね‥‥表面上は、平和に見えますが」
珠美と深鈴が見てる窓の向こうを、装甲車が何台か通り過ぎて行く。
人はいる。建物も、ちゃんと建ってる。だけど‥‥物々しい雰囲気が、街から活気を奪ってる。
「私は、メトロポリタンXのことなどは良く存じませんが‥‥戦時中ですもの。きっとリアムさんのお父様も、色々考えた末に里子に出すと決断されたのでしょうね‥‥」
「そうよ。父親が生きてたなんてラッキーじゃない。色々と訳アリそうだけど‥ね。ま、大船に乗ったつもりでドーンと構えてなさい!」
歩道の軍人を見ながら深鈴が言って、愛梨がリアムの背中を叩く。
リアムはやっぱり緊張してるみたい。
ラッキーだよね。
‥‥お父さんが生きてるなんて。
良かったね。羨ましいよ。ずるいよね。神様なんて不公平だ。
LHに来て、孤独だった私にも、好きな人ができた。友達もできた。凄く暖かい世界。
窓の外、お父さんとお母さんに手を引かれて歩く子供が見える。
‥‥埋まらないよ。
「‥‥トリシア、車酔いダイジョブ? もうすぐマーケットだヨ」
「っし。駐車場探そうぜ。トリシアさん、メシ食えるか?」
「あ‥‥うん」
ラウルとレイジが言った。明るい声で。
見透かされたかな? ‥‥大丈夫かな?
私‥‥嫌な子だ。
リアムのお父さんが見つかったのに、こんな風に思うなんて。
「うん、平気だよっ! 何食べようか? リアムは何がいい?」
「えー‥‥見てから決めたい、かな‥」
「じゃあ色々見て回ろう。そうだ、孤児院の人にお土産買ったらどうかな?」
「皆に? ‥‥すごい人数だよ‥‥?」
「小さいものでいいと思うよ。私、選ぶの手伝ってあげるね」
明るくいよう。はしゃいでいたい。
嫌な子だって‥‥思われたくないから。
大丈夫。きっとリアムとお父さんは上手くいくよ。
二人はきっと、幸せになれる。そう祈りたいな‥‥。
●沢渡 深鈴
前回の依頼では色々な話を聞き、また体験しました。
日本で平和に暮らしてきた私には、全てが衝撃的で‥‥。
メトロポリタンXが陥落したと、ニュースで見た記憶はあります。あの街で、何が起こったのでしょう。
「ほら、深鈴。よそ見しているとはぐれるぞ」
「すみません‥‥。ふふ、こんな大きなマーケットは初めてですもの。目移りしてしまって」
珠美さんに、注意されてしまいましたね。
美味しいバーガーにプディング、それにフレッシュフルーツのジュースを買って、私達はマーケットを見て回ることにしました。
「うん、こゆ場所は活気があってヨイね♪ リアム、深鈴っ、パフォーマーがいるヨ!」
ラウルさんが呼んでいます。なんでしょう?
「ぅわ、コレ皮膚呼吸できてるの? 全然動かないし」
「すごいです‥‥日本ではあまり、このようなタイプのパフォーマンスは見ませんね‥‥!」
石膏像かと思ったのですが、人間でした。全身に白いものを塗って、椅子に座っています。
「あれ? レイジ、ストラップ買ったの?」
「ああ、ハンドメイドの店でな。青い石のは旅行運が上がるらしい。必要だろ?」
レイジさんの携帯電話に、ストラップが増えたようです。ああっ、トリシアさん、引っ張ってはダメですよ‥‥。
「いいなぁ。私もお土産買おうかな」
「お土産ですか? ‥‥お花は如何でしょう?」
トリシアさんと一緒にお花屋さんを見ておりましたら、私もつい、欲しくなってしまいました。
「珠美さんのそれは‥‥手袋?」
透明な袋を提げて戻って来られた珠美さんに、リアムさんが尋ねています。ベルトのついたアームカバー、でしょうか。
「依頼とはいえ、滅多に来ない街だ。自分用の土産ぐらいは買おうと思ってな。リアムは何も買わないのか?」
「うーん‥‥色々ありすぎて」
「リアム、あんた何か欲しい物ってないの? もっと何かに執着してみなさいよ。色んな物に興味を持って、人生を楽しまないと損よ!」
愛梨さんが珠美さんの後ろから、またリアムさんに発破をかけています。愛梨さんの手にも紙袋がありますね。中身は‥‥髪飾りのようです。
「リアムは暇な時、何してんだ? 読書が好きなら、古本もあるぜ。中古のゲームもある」
そうは言ってもレイジさん、肝心のゲーム本体が売り切れです‥‥! いつ気付くのでしょう。
「暇な時? 海見たりとか‥‥娯楽が少ないからね。研究所って」
「なら、DVDでも買っていくか。一昔前の作品だが、名作ってのはいつ観てもいいもんだ」
どうやら、お二人はDVDの棚に落ち着いたようですね。
「この花‥可愛い。買っていこうっと」
「スイートピーですか? では、私はカーネーションの方を」
スイートピーの造花をお買いになったトリシアさんに、「お土産ですか?」と尋ねてみましたら、何故か恥ずかしそうです。
ふふ、どなたに贈られるのでしょう?
「深鈴っ、このキーホルダー可愛いね。一緒に買おうか?」
「押花のキーホルダー‥‥素敵ですね。私でよろしければ、お揃いで‥‥」
私とトリシアさんは、記念にお揃いのキーホルダーを買うことにしました。とても可愛らしい、押花の入った透明なキーホルダーです。
「あ、コレ可愛いよネ。リアム、もうクリスマスぽいの、売ってるヨ」
ラウルさんが手に取っているのは、サンタクロースの形をしたファンシーな小物入れでした。
「‥‥‥思花さんにあげるの?」
「んー‥‥どうカナ? そだ、リアム、孤児院にお土産!」
「あ、そうだった」
「あ、待って。私も手伝うってば」
ラウルさんとトリシアさんが、張り切った様子でリアムさんを引っ張って行きます。
「待て、はぐれるぞ! 集団行動というものはだな‥‥おい!!」
ふふ、珠美さん、大変そうですけど、とても楽しそうです。
リアムさんも、少しはリラックスできたでしょうか?
●井筒 珠美
マーケットに美術館、博物館、レストラン‥‥今日は、随分多くの場所を観光して来た。
ミラー大佐の噂だが、評判は悪くないようだ。軍人として、規律・規則に厳しい‥‥という意味だろう。
しかし、能力者を連れて来い、という注文は、一体何が目的なのか。
安宿のラウンジ。私達は、明日、大佐に質問すべき事を纏める作業に入った。
何故、能力者を呼んだのか。
母親は何故死んでしまったのか。
思うように纏まらない。
殆ど憶えてもいない父親だ。簡単に質問が浮かぶ筈もないだろう。
「リアムの記憶がないコトについて、何か心当たりないか‥‥とか」
ラウルの言葉に、全員が顔を上げた。
リアムの瞳が揺れている。
自分の過去を知りたい気持ちと、知ることを恐れる気持ちが見え隠れしている。
私には、そう見えた。
私は皺一つない軍服を着て、ミラー大佐の前へ出た。
リアムと共に敬礼、名を名乗り、許可を得て椅子に掛ける。
緊迫した空気だ。この状況で、親子の対面と言えるのか?
「リアム。見違えたな。まさか軍人となって戻ってくるとは」
先に表情を崩したのは、大佐の方だった。
ただ、リアムは口を閉ざしたままだ。私は、傍らのレイジに目配せをした。
「‥親子の再会の場に、俺たち能力者を呼んだ訳を訊かせて下さい」
「私の話を聞けば、自ずとわかるだろう」
「えと、大佐がご自分を、死んだコトにしてたのは? 迎えに行かなかったですケド‥‥」
私から見てラウルの敬語は、正直、なってない。だが、大佐も大目に見ているようだった。
「‥‥妻を失い、私には、リアムを育て上げる余裕が無かった。安全な場所、幸せな家族が待っている可能性があるのなら‥‥」
「違います! 戦場だってどこだって‥‥私は‥‥!」
じっと見守っていたトリシアが、たまらず口を出した。自分の過去と重ねたのだろう‥‥私は、彼女の手を静かに握る。
「おか‥‥奥さんが亡くなったのは、どうしてですか?」
ようやく金縛りが解けたリアムの問いに、大佐は目を開けた。
「バスがキメラに襲われてな‥‥お前に会いに行った帰りだった」
「会いに‥‥?」
どういう意味だ? リアムと両親は、メトロポリタンXで同居していたのでは無かったのか?
「‥‥僕には、子どもの頃の記憶がありません。大佐は、その理由を御存知ですか」
「‥‥‥」
室内に沈黙が流れる。
ほんの2分か3分が、とても長く感じた。
「――インヴェルーノ。お前の、本当の名前だ」
「‥‥え?」
「‥私達夫婦には、子どもができんでな。お前に出会ったのは、もうその夢を諦めかけた時だった」
大佐がリアムに渡した写真を覗き込む。レンガ色の、マンションに見えなくもない写真だ。
だが――
「‥‥洗脳者更生施設‥‥」
呆けたように呟いたリアムに、私は、何も言ってやれはしなかった。
「お前の記憶障害は、洗脳の後遺症だ。お前はここで、厳しい更生プログラムに耐えて暮らしていた。私達夫婦は、お前を引き取ると決めた日から、休暇の度にお前を訪ねて‥‥新しい人生に相応しい名前を、お前に与えた」
リアムは何も話さない。‥‥話せる筈もない。
「お前は日に日に回復し、妻を見ると母と呼ぶようになった。退院の日も決まり、法的手続きも終わり、私達はその日を待っていた。――だが‥」
大佐は、そこで一度、言葉を切った。
「妻が亡くなって、私は悩んだ。お前にとって、何が幸せか。私は‥‥二度とお前をバグアに渡すまいと決めた」
ああ、そうか。
私は、閉じた大佐の両目に涙を見た気がして、目を逸らす。
バグアによって狂わされたリアムの人生。大佐の周囲には、常に戦が、バグアの影が付き纏う。
縁を切り、遠ざける事で子を護ろうとする親もいるのだろう。
それが正しいかどうか、私には‥‥わからないが。
「リアム――いや、インヴェルーノ。お前の過去は、壮絶だ。それでも知りたいと思うか?」
固まるリアムを、愛梨が後ろからゴツンと小突くのが見える。
私はリアムの目を見て、ただ頷いてやった。
それだけで十分だ。私達はここに居る。それがわかればいい。
「――はい」
「良く言った。それでこそ、私達の子だ」
長い沈黙を経て、リアムが発した返事。大佐は大きく頷くと、一枚のメモを彼に手渡した。
「ブラジルへ行きなさい。そこに、南米時代のお前を知る者が居る」
それから驚いた事に――彼は私達に、深々と頭を下げたのだ。
「南米は今、コロンビアを中心にバグアと人類との間で、大規模な戦闘が起きている。皆も知っての通り、リアムが一人で行ける場所ではない。――どうか、この子を助けてやって欲しい」