●リプレイ本文
雲一つない晴天の空。
ポカポカと暖かな日差しが無人の町を照らし、草花に活力がみなぎる。
そんな春の昼下がり――ノミキメラは、とてもハラペコだった。
「み‥‥見るだけで痒いですね」
「顕微鏡写真とは比べモノにならん嫌悪感を感じるな」
家々の陰からこっそり空き地の様子を伺い、加賀 弓(
ga8749)とイーリス・クラウディア(
ga8302)の二人は、巨大化して気色悪さ激増のノミキメラについて、それぞれ初見の感想を述べる。
ノミキメラはというと、雑草生い茂る空き地の一番奥で、ブロック塀にもたれかかるような格好をして、なんだか黄昏れていた。人間でいえば、体育座りになるのかもしれない。
それもそのはず。町の人間が避難して以来、血を吸う相手がいなくて体がペラッペラなのだ。
キメラといえど、腹は減る。黄昏れたくなる時もあるだろう。
「ノミとはまた、バクアの奴ら嫌がらせとしか思えんな‥‥」
「巨大なノミ‥‥ゾッとしないねぇ」
他人を不快にするために生まれてきたような生命体を前に、薙原 尤(
ga7862)は、表情に若干呆れの色すら滲ませ、眉根を寄せた。そして、その隣で、気持ち悪そうに肩を竦めてみせたのは、ノミに苦しむ動物たちの味方、犬塚 綾音(
ga0176)である。
「でかいノミだと? ‥‥ふん。この御巫 雫が蹴散らしてくれる!」
ものすごく自信ありげに胸を張って言い放ったのは、御巫 雫(
ga8942)。実は、これが初仕事だったりするのだが。
「ノミはいけません‥・・とにかくいけません。食べても美味しくなさそうです‥‥。むぅ; バッタならセーフでしたのに‥‥って、ボク‥‥菜食主義なので虫は食べられません。困りました‥‥」
近所の家の軒先に『てんたくるすのぬいぐるみ』を座らせつつ、何か一人で深刻そうなのは、芹架・セロリ(
ga8801)であった。自身の背丈以上のぬいぐるみを常に持ち歩く、謎の10歳児だ。
「まあ、見る限り、そんな頭も良さそうにありませんなぁ。気付きもしませんし」
瞳 豹雅(
ga4592)の言う通り、今回の敵は、お世辞にも知力が高そうには見えない。離れているとはいえ、こちらの気配にも気付いていない様子であるし、現に今も、そこらの虫がよくやっているような、脚をクルクル回したり伸ばしたりといった無駄な動きをして、貴重なカロリーを順調に消費していっている。
「知能が低いのは好都合だ。目の前に餌が現れれば、深く考えずに飛びついてくるだろうしな」
両手を伸ばし、全身の筋肉をほぐしながら、威龍(
ga3859)が口を開いた。彼は今回、唯一、囮役を務めることになっている。
「では、皆の準備が整い次第、作戦を開始しよう」
一同を見回し、威龍はそう言うと、静かにディガイアを両手に嵌めた。
◆◇
全員の配置は、主に前面道路と屋根の上に分かれ、空き地の奥にいるノミキメラを立体的に包囲する形で進められた。
射程の長い薙原が空き地の左隣にある三階建て住宅の屋根に上り、その二階部分に突き出した屋根には、瞳が待機している。
さらに、右隣の二階建て住宅の上には、御巫と加賀のデヴァステイター組が陣取り、ノミキメラを狙う。
犬塚、イーリスの二人は、やや防御の弱い芹架の前に立って前面道路を守り、威龍はというと、最も早く空き地に突入し、ノミキメラに追いかけられなければならない役どころだ。
「さあ、そろそろ始めようかね」
全員が配置についたのを見計らって、犬塚が威龍に合図を送る。
それを受け、威龍は覚醒した。どす黒く染まった両腕に銀爪を光らせ、空き地の真ん中へと躍り出た。
続いて覚醒した犬塚、イーリス、芹架の三人が道路に展開して空き地の入口を塞ぎ、屋根板の上の瞳、御巫、加賀も覚醒し、銃を構える。
ノミキメラはというと、いきなりの包囲にビックリしたのか、体をビクッと震わせ、慌てて体育座りから跳躍姿勢に入った。
「さあ、目の前に餌がいるぞ!」
真正面から接近してくる威龍に、ノミキメラは、一瞬キョロキョロと頭を動かした後、大きく前方にジャンプする。そのまま威龍の頭上を飛び越え、道路を守る芹架の目の前に着地した。
そして、薄っぺらい体とギザギザの脚、長い口吻を伸ばして、芹架に迫る。
「おう、何しやがる! こちとらノミのキスなんざ願い下げだぜ!」
キス魔の酔っぱらいのように抱き付いてきたノミキメラの口吻をかわし、江戸っ子口調の芹架は、即座にイーリスの後ろに隠れた。しかし、ノミキメラの目は、完全に芹架だけを見つめている。立ち姿が変に人間っぽく見えて、余計に気持ち悪い。
誰かがわざと血を吸わせることも事前に皆で検討はしていたのだが、体長250cmのノミを目の当たりにしてしまうと、そんな気も失せた。この大きさのノミの腹を膨らませようと思ったら、まるまる人一人分ぐらいの血が必要だろうからだ。
「俺は好みじゃないか? 生意気なノミだ」
威龍は苦笑いを浮かべて呟くと、瞬天足を使用し、一瞬でノミキメラと芹架の間に割って入った。そして、芹架に熱い視線を送る敵の横腹にディガイアの一撃を喰らわせる。
腹に傷をつけられたノミキメラは、それでも芹架が気になるようで視線は外さず、大きく後方に跳んで移動した。しかし、疾風脚でスピードを強化された威龍がそれに追いすがり、家々の隙間からの逃走を許さない。
さらに、二階の屋根の上から器用に飛び降り、ノミキメラの頭上から奇襲をかけたのは、瞳であった。ロエティシアの長爪が、体を捻ってかわそうとした敵の背中を抉り、柔らかい甲殻の一部が雑草の中に落ちる。
威龍と瞳の二人に挟まれ、ノミキメラは、斜め前方へと跳んだ。
敵の姿が視界から消え、瞳は、屋根の上の薙原を仰ぐと、彼の指す方向へと瞬天足をかける。
「つれないですな」
すぐ斜め後ろに着地したノミキメラに流し目を送り、瞳は、再び長爪を振るった。小さく後退した敵の目の前の空間をロエティシアが薙ぎ、風を斬る音が瞳の耳に届く。
「小さくても厄介だけど、大きくても厄介な虫だよ全く!」
そこへ、威龍のサポートとして空き地の中に入っていた犬塚が、蛍火を手に駆けつけ、ノミキメラに攻撃を仕掛けた。淡く輝く刀を一閃させ、彼女は敵の前脚の一本を中ほどから斬り落とす。
「どうせなら愛くるしい猫を巨大化してくれたほうが‥‥コホン、何でもないよ」
そんなでかい猫がいてくれたら、ノミキメラだって食事に困ることなく万々歳なのだが、なかなか現実はうまくいかないものである。
前脚を斬られた敵は、ビヨーンと水平にジャンプし、空き地の左隣の家の壁に張り付いて逃れた。
「おうおう、喧嘩とカジノは江戸の華! 拳で語らせて貰うぜ、てやんでえ!」
両脚をほんのりと光らせ、疾風脚と瞬天足を発動させた芹架が、一挙に間合いを詰め、まだ低い位置にいたノミキメラに迫る。
「ちょいさー」
謎の掛け声とともに、芹架の黒爪がノミキメラの腹にめり込んだ。
しかし、敵は、自分の腹が裂かれたというのに、接近してきた芹架を見るなり、再び抱き付きにかかる。ひょっとすると、ノミには痛覚がないのかもしれない。
「て、てやんでえ、馬鹿野郎! 寄るんじゃねえ!」
ストーカー並の執念で迫ろうとするノミキメラを威龍が足止めした隙に、芹架は素早く逃げ出し、雑草の陰に隠れた。
さて、その頃、屋根の上では――。
「死神Thanatosの名の下に我は翼を開かん。我が内に眠る紅き鴉よ。目覚めよ。」
交戦中の仲間たちを見守りながら、少し遅れて、薙原が覚醒した。
赤黒い翼が広がり、春の風が血の匂いをのせて空き地の雑草を揺らす。
残念ながら、こっそり持ってこようと申請を上げていた輸血バッグは、看護師や医師の同伴のない今回の依頼では支給が難しいとの返答を受けてしまっていたのだが、とりあえず今の戦況を見る限りでは、そんな小道具を使わなくとも何とかなりそうに見える。
「なんだ、あのノミ? 血の匂いに興味ないのか?」
カプロイアM2007を構え、ノミキメラが芹架や威龍たちから離れる瞬間を待っていた薙原だったが、風上にいるはずの自分が発散させている血の匂いにも反応を示さない相手に、少し首を傾げた。
「‥‥まあいいか」
ノミキメラが跳躍し、やや皆から距離を取った瞬間を狙い、薙原の銃が火を吹く。
体を撃ち抜かれて逃げる敵に、彼は、さらに狙撃眼を使って正確に、銃弾を叩き込んだのであった。
「い、いやぁぁぁ! 来ないでくださいぃぃぃぃっ!?」
巨大化して何か恐い生き物になってしまったノミキメラに向けて、加賀は、半ばパニックに陥りながら、デヴァステイターを乱射した。
芹架を追いかけ回し、威龍に追いかけ回されていたノミキメラが、薙原の銃弾を受けて跳躍し、加賀のいる二階建て住宅の上に逃げてきたのだ。
3連射の銃が繰り出す銃弾がノミキメラを襲い、そのうちの一発が見事に命中する。ほとんど落下するような感じで、ノミキメラは、再び地上へと舞い戻って行った。
「さあ、そろそろ限界じゃないのか?」
地上で待ち構えていたイーリスが、着地したばかりのノミキメラの側面から、流し斬りの一撃を喰らわせる。白刃が閃き、敵の肩口から胸にかけて、甲殻にパックリと裂け目が入った。
そして、返す剣で口吻の一本を見事に斬り落としたイーリスは、もう一方の口吻が自分へと伸びる寸前、後退してそれをかわす。
「ふはははは、跳躍力はあるようだが、空中で進路は変えられまい。故に着地地点を計算し、そこを狙えばよい!!」
いつの間にか屋根から下りて来て、またも大きなことを口にしたのは、御巫であった。彼女は、やや弱っているようにも見えるノミキメラがジャンプし、着地する瞬間を狙い、菖蒲を抜いた。
しかし、
「む?」
ノミキメラが着地したのは、思いっきり彼女の後ろだった。計算違いというやつか。
御巫の背後を取ったノミキメラは、失礼なことに視線は芹架のほうをガン見しながら、目の前の御巫に抱き付き、口吻を伸ばす。ノミのクセにこの態度は、いくらなんでも腹立たしい。
「‥‥こいつはデザートだ、喰らえ、蟲野郎!!」
ムッとした様子の御巫の小太刀が赤く濡れた輝きを放ち、両断剣に強化された一撃が、至近距離でノミの腹を突く。
そして、御巫の手の中で、菖蒲はそのまま腹部を大きく滑り、ノミキメラの後脚もろともに、甲殻を切り裂いたのだった。
「ふん。虫の分際で選り好みなどするからだ!」
体のあちこちを切り裂かれ、地面に崩れ落ちて動かなくなったノミキメラを見下ろし、御巫が勝ち誇ったような声を上げる。
「バグアが間抜けで助かりますわ。大は小を兼ねるってか」
屋根の上の薙原、加賀が下りて来たのを見ながら、瞳は、肩を竦め、笑いながらそう言った。
「ノミならノミらしく、ちっこいままのキメラを作れば、太刀打ちでませんでしたわ」
「確かにねぇ。普通のノミサイズのキメラ、確かにそれは怖いかもね」
蛍火を鞘に収め、大きく伸びをしながら答える犬塚。
「ふぇ? にっ‥‥にぎゃああぁあああぁぁ!!?」
空き地の隅には、雑草にくっついた芋虫にビビり、絶叫を上げてダッシュをかける御巫の姿。でかいノミは平気だったらしいが、リアルに虫っぽい虫は、苦手なようである。
イーリスはというと、空き地の奥、地面に横たわる犠牲者の無残な遺体に、服を掛けてやっていた。
「仇は取ったぞ。安心して逝くといい」
彼女は一言、遺体に言葉を掛け、仲間の許へと戻って行く。
だが、
「芹架! 後ろだ!」
「!?」
イーリスの声に、芹架が振り返る。
地面に倒れたままのノミキメラが、すぐ側に立つ彼女に向けて、口吻を伸ばしていたのだ。
「おっと、そこまでだ!」
覚醒状態を保っていた薙原が、アーミーナイフを抜いて一閃し、伸びた口吻を叩き斬る。
そして、そのまま片足を軸に反転し、動かぬノミキメラの心臓目掛け、銃口を向けた。
「ノミの心臓とはよく言うが‥‥お前はどうなんだ? ん?」
晴れ渡った青空に、一発の銃声が木霊した――。
◆◇
「ノミはいけません‥‥そもそも虫はいけないのです。‥‥って、ノミはもういないのでした‥‥」
「それでですな! ノミってヤツは厄介で! なんせジャンプがすごいですからなぁ!!」
「‥‥大きいノミも小さいノミも、ボク食べられません‥‥困りました。ノミが野菜だったら食べられたのに‥‥」
「ご存じですかな!? ノミってのは、二酸化炭素に反応して飛びついてくるからね! あんたみたいな子どもは好かれるかもしれませんなぁ!!」
「野菜といえば‥‥そろそろ畑の野菜も育ってきました‥‥。忙しくなりそうです‥‥」
ここは、最寄のUPC支部。
迎えが来るまでここで待つようにと指示を受けた一行であったが、一時間でウンザリ状態だった。
それもこれも、いきなり登場した『一方通行おやじ』のおかげである。
「いやー、しかし、敵はノミだけではありませんぞ! この季節、ダニってヤツもいますからなぁ!」
「‥‥もうすぐキュウリの季節です‥‥ナスも美味しくなります。大変です‥‥何から採ればいいでしょうか‥‥」
避難所を抜け出してウロついていたおっさんは、パトロール中のUPC職員に見つかり、一旦ここで保護されているのだが、なかなか帰ってくれないのだという。
ここ小一時間ほどは、しきりに芹架に話し掛けているらしいのだが、どうも話が噛み合っていない。ダブル一方通行状態だ。
とはいえ、一方通行も二車線になれば、もはや普通の道路。
お互い、気にせず好きに喋り倒している。
「ほなよろしゅう頼んます」
UPCの職員にキメラの死体処理について尋ねていた瞳が、職員に軽く頭を下げ、戻ってきた。
「死体処理、UPCでしてくれはるそうですわ。迎えの車も、そろそろ着くようですけど、もう出ときますか?」
「そうだな。入口まで出ておこう」
威龍が立ち上がり、皆を促す。
が、なぜか、おっさんまでついてくる。
「あ、あの‥‥避難所に戻られた方が‥‥」
遠慮がちに声を掛けた加賀に、おっさんは、無意味に大声で笑ってみせ、一方的に話し続ける。
「しかし、あれですなぁ! ダニやらノミやら、犬も猫も気が抜けないもんです!」
「‥‥」
「おい貴様、どこまで付いてくるつもりだ?」
御巫の言葉も、どこ吹く風。
おっさんは、かまわずどこまでも付いてくる。
「巨大なノミが出たからには、次はダニが巨大化しますな! いやー、参った参った」
「ナス味噌炒め‥‥田楽も捨てがたいです‥‥困りました‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
一同は、もはやおっさんに意見する気力も失せ、押し寄せる疲れの波に、無言で歩みを進めた。
その後、おっさんは、高速移動艇のターミナルまで付いてくるという、異常な執念を見せたのだった‥‥。