タイトル:Alecrim−7−マスター:桃谷 かな

シナリオ形態: ショート
難易度: 不明
参加人数: 8 人
サポート人数: 2 人
リプレイ完成日時:
2011/10/05 10:32

●オープニング本文


●プリマヴェーラ・ネヴェ
 バイクを降りて川を越えて、緑を眺めながら歩いて行った。
 草に覆われた平地。そこはあたしの大切な場所。
「ただいま。また来ちゃった」
 草原を抜けた先の墓地。あたしと同じ苗字が刻まれたお墓。
 あたしはその前に座って、風で草原がゆらゆら揺れるのを見つめてた。
「ね、インヴィが生きてたんだよ。なんで教えてくんないの?」
 夢に出るとかさ、色々あるじゃん。
「最初は絶対偽物だって、思うようにしてたんだけどさ。だって」
 冷たい墓石も、その横に置かれた二つの石も、何も答えてくんなくて。
 顔がどんどん熱くなって、そこに刻まれた旦那の名前が、ぐにゃぐにゃ歪んでた。
「なんでかな。あの子も、アンタも、顔が思い出せないんだもん。無理じゃん。‥‥でも、生きてたんだよ。友達もできたみたい」
 咽の奥から息が洩れて、あたしは手で両目を擦る。
 緑のにおいの風が、懐かしい。
「――あたしね、死にそびれちゃった」
 あの時、傭兵たちが、あたしの居るコックピットを避けて攻撃してるのは、わかってた。
 機体爆発したら死ぬかなって思ったけど、気がついたら、脱出ポッドごと山の中に転がってたんだ。
「あたし、決めたんだよ? あたしはこんなになっちゃったけど」
 あたしはもう、後戻りできない道に来ちゃったけど。
 人を憎むしか、あたしが生きる道はないと思って進んできたけど。
 でも。
 神様があたしを見捨ててなくて、あの子たちの誰かでも、生きていてくれるなら。
「あたしが、守らないと」

 あたしは投降しない。
 捕まったりなんかしない。
 世界中に手配書が回るぐらい、有名になっちゃったから。
 今はまだ、あの子が『ゾディアックの息子』だと知ってる人間は多くない。
 軍とかULTとか、一部の人間だけだと思う。
 あたしが捕まったら、戦犯として裁かれることになったら、あの子は。
 TVや新聞の報道は時に残酷で、容赦がない。人の口も。
 知られない方がいいことが、色んな人に知られてしまう。

 それにあたしは、人を殺し過ぎたから。
 母親が、人に裁かれる姿なんて、母親が死刑になる姿なんて、あの子には、絶対に見せたくない。

 あの子は、昔のことをよく憶えてないのかもしれない。
 親子の情を交わしたりなんかしない。あの子の傷が、深くなるだけだから。
 過去に縁があっただけの女がバグアの手先になって死んだ、その程度のままでいたいんだ。

「‥‥だって、親だもん」
 ポケットの中から、壊れた通信機が落ちた。
 最後にソフィアと話したのは、いつだったかな。
 あたしの今の気持ちと、決めたことを話したけど、ソフィアには理解できないみたいだった。
 それでいいのかって訊かれたし、止められもしたけど。
 今みたいに、「親だもん」って。
 人間の親の気持ちがわからなくても、あたしから見れば、アンタも立派に母親だったと思うよ、って返した。

 ソフィアはどうしてるかな。
 ユウは元気にしてるかな。
「バイバイ」
 気になることは沢山あったけど。
 ずっと、ここにいたい気もしたけど。
 誰かの気配を感じて、あたしはジャングルの中に分け入った。
 

●琳 思花
「あなたは南米に行かないんですか?」
 ファームライドが撃墜されて、ゾディアック山羊座が行方不明。
 息子のリアムは、故郷に近い町のテシェラっていう女性の家に身を寄せて、母親を捜してるらしい。
 自分でも良くわからないけど、何となくそんな話をしたら、彼は私にそう問い掛けたんだ。
「‥‥行かないよ。理由もないし‥‥」
「僕をキメラに変えて、僕の兄の遺体を冒涜した彼女に、復讐しないんですか?」
 寝台に横になったまま、少し前に私が差し入れた本を読みながら、彼が言った。
「‥‥心」
 片手では読みにくいんだと思う。ページは全然進んでない。読んでないのかもしれない。
 上月 心。キメラ化された人間。
 プリマヴェーラ・ネヴェ配下の指揮官として働いた、元UPC軍の士官。
「それ‥‥自分で言う?」
「普通は言いませんね。でも、あなたの性格なら、彼女を殺しに行きかねないと思ったんですが」
 バグアの手を離れた彼は、日に日にその力を失って痩せていく。
 キメラの寿命は数カ月から数年。私はこのキメラ研究所で働く中で、それを知った。
 もう、彼は長くないんだと思う。
「‥‥バグアも‥‥彼女も、一生許す気にはなれないけど‥‥」
 強化ガラスに手を触れる。彼はただ、黙ってこっちを見てた。
「リアムのことだって‥‥知らない仲じゃないし。‥‥私が彼女を殺して復讐しても‥‥何も変わらないから‥‥。だったら‥‥リアムの母親を殺すのは、私じゃなくていいと思う‥‥」
「‥‥‥。それでいいと思います」
 そう言って背中を向けた彼を見て、私は立ち上がった。

 彼女には怒りも恨みも感じるけど、それを晴らしたところで今が変わるわけじゃない。
 私は私の仕事で、私のやり方で、私と大切な人たちの未来を守りたい。
 けど、いつか彼女が死んで、リアムが悲しむようなことがあったら。

 私はあの子の未来を守るために、力になろうと思う。


●リアム・ミラー
 その時、僕は長距離バスを降りて、テシェラさんの家に帰ろうとしてたんだ。
 僕の母親、プリマヴェーラ・ネヴェの消息はいつまでも不明のままで、LHのUPC本部にいくら通っても、それらしい依頼も情報も掴めなかった。
 だから僕は南米に来て、テシェラさんの家に泊めてもらいながら、彼女を捜したんだ。
 父さんのお墓にも何度か行ってみたし、周りの町にも行って聞き込みをした。UPC南中央軍にも問い合わせて、彼女の目撃情報がないか、調べてもらった。
 それでも見つからなくて、前に彼女が現れたっていうマナウスにも行って来たんだ。
 その、帰りの事だった。
「インヴィ!」
 街全体が、物々しい空気。血相を変えたテシェラさんが駆けてきて、僕の腕を引っ掴む。
「プリマヴェーラが! お墓に‥‥あたしたちの故郷に来たって!!」
「本当‥‥?」

 僕は、不思議と驚かなかった。
 心のどこかで、きっと彼女はあの場所に帰って来るって、そう思ってたのかも。

「ULTに依頼が出されたそうよ。だけど」
 テシェラさんは、泣きそうだった。
 自分を殺しかけた相手なのに、なんでこの人は、ここまで気にかけてあげられるんだろう。
「UPC軍は、あの子を逃がす気は無いわ。傭兵たちの討伐が失敗したら、森に火をつけて焼き殺すつもりよ。いくら強化人間だって‥‥」
 炎には耐えられても、煙を多く吸えば生きてはいられない。
「行って来る」
 僕は、ULTの出張所の方に足を向けた。
「大丈夫。どんな結果が待ってても、僕は絶望したりしないよ」

 僕は、ずっと待ってたんだ。
 彼女と、もう一度、顔を合わせて話せる時間を。
 それが長くても、短くても、後悔はしたくない。
 ただ、彼女の目を見て。

 『お母さん』

 そう、呼んであげたい。

●参加者一覧

ケイ・リヒャルト(ga0598
20歳・♀・JG
漸 王零(ga2930
20歳・♂・AA
終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
ラウル・カミーユ(ga7242
25歳・♂・JG
錦織・長郎(ga8268
35歳・♂・DF
鈍名 レイジ(ga8428
24歳・♂・AA
赤宮 リア(ga9958
22歳・♀・JG
愛梨(gb5765
16歳・♀・HD

●リプレイ本文

「しかし、ここまでの状況は言わば『母を訪ねて三千里』かね、くっくっくっ‥‥」
 重い沈黙の帳を破るは、錦織・長郎(ga8268)。
 表情も、体温すらも持たぬ蛇のように、腹の内の読めぬ男だ。
「何よ?」
 含むように零れた彼の笑みに、愛梨(gb5765)は低く、掠れた声で問い、睨んだ。
 長郎は笑んだまま軽く首を横に振り、視線を物ともせずに受け流す。
「持とうか?」
 リアム・ミラー(gz0381)は普段通りの表情で背後のトリシアを振り返った。
 彼女は、ウサギのような瞳で彼を見上げ、何度も首を横に振る。
「リアム」
 風に銀髪を揺らして、ラウル・カミーユ(ga7242)が紫煙を上げる煙草を袋状の灰皿に押し込んだ。
「ごめんネ」
「え?」
「プリマヴェーラのコトだケド、もしこのまま生き延びて欲しいとしても、ゴメン。僕は応援出来ナイよ」
 どうしてかは、わかるよね?
 仲間たちは、それぞれが抱く感情のままの視線を、二人に向けていた。
「――はい」
 数秒の沈黙の後、リアムは頷いた。
 ここに居る者達は皆、程度の違いはあれど、プリマヴェーラ・ネヴェ(gz0193)の殺害を望んでなどいない。
 捕縛を最良と思わぬ者も勿論存在するが、それでも、状況が許せば、誰かがそれを望むならと、心揺れる。
 生涯の伴侶と友人の母、その因縁に挟まれたラウルが、聡く、冷酷な判断を迫られるのは、当然だった。
(‥‥けれど)
 リアムを見詰めるケイ・リヒャルト(ga0598)。長い睫毛が緑色に暗い影を落とし、瞬かれる。
 理解と納得は同義でなく、思考と感情――心もまた、別個の存在だ。
(プリマヴェーラ‥‥貴女の望みは何? 貴女は未だに何を欲し、何を想い、何を怯えているのかしら‥‥)
 空を、仰ぎ見る。
 思考ではない。彼女の心に、触れたかった。
「――時間だな」
 時計を見、鈍名 レイジ(ga8428)が顔を上げる。
 差し込む陽の光に目を細めて振り向けば、視界の端に水色が映り込んだ。
 リアムのポケットから覗くターコイズの輝き。彼の幸運を願い渡したそれを見詰め、これまでの出来事を思い出す。
(‥‥死刑は免れない、並の囚人と同じ待遇は期待するな、か‥‥)
 プリマヴェーラの捕縛後の処遇を尋ねた相手の、苦い表情が脳裏に浮かんだ。
 そして今、彼女の捕縛について、彼女の視点から考え、最も厳しい姿勢を取っているのは漸 王零(ga2930)だっただろう。
(母の想いに子の願い‥‥それが合わぬもまた人の性か‥‥)
 例え母子であろうとも、想いを違える事はある。誰もが願いを叶えられる世など、幻想に過ぎない。
 消え行く者と未来へと歩む者、相容れぬ願いだったなら、前者の願いを優先するだろう。彼女を生かすのであれば、彼女自身が納得し、自らそう願う状況でなければならない。
「あの時の「必ず連れ帰る」という誓いを今日こそ果たします」
 逆に、彼女の捕縛を最も強く願うのは、赤宮 リア(ga9958)だ。
 耳に、心に響く彼女の叫びを、誰よりも多く聞いてきた彼女だからこそ、諦められない事がある。
 王零の考えは、妻の願いを裏切る結果になるかもしれない。
 だが、人一人の命の行く末を決める時、それは欠かせない事なのだ。
「行きましょうか‥‥」
 終夜・無月(ga3084)が、穏やかな口調で言い、剣を抜く。
 彼は、何時如何なる時も平静のままで、しかしその実、リアほどに自身の意思を固めてはいない。
 自身が良と思う選択は心にあれど、母子に――特に子に、それを強いるつもりはなかった。
「行いの‥‥言葉の‥‥責任を果す事‥‥。其れが俺の役目です‥‥」
 呟くように言葉を紡ぎ、密林へと分け入って行く無月。久志は一度だけ、リアムを顧みた。
(本当は‥‥リアム君や誰かを苦しませる決着にはしたくない)

 ただ、あの人にはあの人の意思があるはずだ。


    ◆◇
 考え付く限りの捜索手段を駆使して、傭兵達は密林を巡っていた。
 野生動物に紛れ、稀に襲い来るネコ科のキメラも、声を上げる間もなく片付けられていく。

「親子だけの会話の時間を設けたいわ‥‥」
 未発見。他班からの連絡を聞きながら、ケイは視線だけを少し上に上げて言った。
「逃げられナイ事が、大前提だケド」
「ええ。逃走経路は断つわ。その後で‥‥二人が何を望むかで、その後のことを決めたいの」
「わかった。この時が少しでもマシなモノになるように、手を貸してやろうぜ」
 それから、と。
 レイジは、ラウル、ケイ、久志の目を順に見詰め、表情を引き締めた。
「山羊座には、間違ってもリアムを手にかけさせやしない」

「‥‥強化人間とバグアの間にある境界線、か」
「何の話です‥‥?」
 王零の漏らした呟きに、無月が問うた。
「あいつに取り込まれた『彼女』は、人類側としての思考を取り戻すことができなかった。ネヴェは、それを取り戻したのだろうかとね」
 蟹座の事であろうか。遠い目で語る王零を見返し、リアは毅然と言い放った。
「わかりません。彼女の洗脳や人類への憎しみが、どこまで軽減されたのかは。ですが、子を想う心だけは、何時も彼女が持ち続けていたものの筈です」

 自ら死を願った彼女は、それを子の為だと言った。勝手な話だ。
(投降しても辛い現実が待ってる。でも簡単に死を選べる? あたしだったら、どちらを望む?)
 愛梨は自分を捨てた父を、思い出す。二度と顔も見たくない。罰してやりたいとさえ思う。
 愛されなかった自分と、愛さなかった父に憤る。
 だが、もし彼が死んだとしたら、この強い感情は何処へ遣ればいいのだろう。
「リアム、絶対にお母さんを見つけてあげようね」
 母を知らぬ少女。言葉少なな彼が、トリシアには幾度か言葉を発し、気に掛けている。
「リアム。あたしは、あんたの思いを否定しない。絶対にね」
 彼は不器用に笑って、ありがとう、と返した。それが愛梨に出来る、精一杯だった。


 長郎は若者達と一定の距離を置いていた。。
 彼は彼自身の為に、ここへ来たのだ。
 無論、人の情愛は尊重すべきもので、母子を取り巻く事情も環境も、全く知らぬという訳ではない。むしろ、彼らの邂逅の場に居合わせた回数で考えるなら、関わりは浅くない方だろう。
 それでもなお、彼には追求せねばならないものがあった。


    ◆◇
「‥‥其処に居ますね。プリマヴェーラ‥‥」
 無月が大樹を仰ぎ、静かに声を掛けた。
「赤宮リアです! ここへ降りて来てください!」
 リアの声に、木の葉が僅かに揺れた。
「そちらが危害を加えない限り、こちらにも戦闘の意思は無い。汝の話を聞きたい」
「結果が如何成るにせよ‥‥此の侭逃げて彼に選ぶ機会すら与えないのはずるいですよ‥‥」
 三人が大樹の周囲を取り囲みかけたその時、不意に、追い求めた声が頭の上から降ってきた。
「‥‥っさいなぁ。超しつこい。何なの馬鹿なの?」
 悪態をつくその声は、プリマヴェーラのそれに間違いなかった。
「貴女はあの時「あの子の為に」と言いましたよね‥‥このまま一人で死ぬ事が「あの子の為」なのですか? そんなの間違ってます!」
 リアの声が響く。リアムがここに来るまで時間を稼ぎ、そして、自らの想いを彼女に伝えておきたい。
「母親の気持ちなんて今の私には解りませんけど、子の気持ちなら解ります。親の死を望む子なんて居ません! お願いです! これ以上あの子を悲しませないで!!」
 気付けばそれは、もはや絶叫に近かった。
 はあはあと肩で息をするリア。声を荒げずには居られなかった。

 ガサッと大きな葉擦れの音が耳に届き、瞬後。

「アンタの言いたい事は、親なら誰でもわかってることなの。けどね」
「――!」
 茶髪の女が、王零とリアの背後に立っていた。薄い微笑みを、その唇に湛えた表情で。
「親はね、子供の今を見てんじゃないの。子供より先に死ぬ存在でしょ。だからさ、未来を見んの。子供の幸せな未来をね」
 後退しないリアを、王零が手で制して退がらせる。無月は側面に移動し、互いの間合いの外から言葉を掛ける。
「親は子の為と思うかもですが‥‥子は親の予想以上に強く成長し、決して守られるだけの存在ではありません。貴方の子で在るなら尚更です‥‥」
「‥‥」
 無月に視線を向け、不機嫌そうな、しかしどこか寂しげな表情を見せるプリマヴェーラ。
「もうじき、汝の息子がここへ来るだろう。我らは、汝を捕えるか、討つかの選択肢を与えられているが、汝の生き死には、母子で決めるべきことだ。息子と話し、その上で出した汝の結論を、我は支持するよ」
 王零の言葉に、彼女は僅かに眉を動かした。息子の前に姿を晒すことを、嫌ったのかもしれない。

「母子の対面だね。まずは親子の触れ合いという事で『Shall we dance?』は如何かね? 勿論はお相手は君の息子だ」

 最も早く姿を現したのは、長郎だった。
 彼なりの目的の為に気を利かせたつもりであったが、相手は怪訝な表情で見返してくるのみ。
「今、そんな気分じゃないんだけど。何のつもり?」
「おや、お気に召さなかったかね? 会話より簡単に、親子の情愛を交わす機会を与えたかったのだがね」
 引き換えに、グアヤキルで感じた違和感――バグア軍内部の情報を得るつもりであったのだが、と正直に告げた彼に、相手は意外と面白がるような素振りを見せるも、
「あのさ、あっち側にもそれなりの恩とかあるから。ダンス1曲であげられる情報なんかないし」
 キッパリと拒否した。
 或いは、その態度こそが、総司令官の人望の厚さを物語っているのか。
 ともかく、長郎はそこで黙り、傍らの少年を前に押し出した。
「リアムは貴女の息子‥‥もう知ってるハズよ」
「戦う事を躊躇っちまうよ。俺がつけるべき決着なんてのはないし、全てを都合よく回す術も知らないしな」
 続いて木々の間から現れたのは、ケイ、そしてレイジだ。
 ケイの細い右手が指し示す先には、金の両瞳で母を見詰める、リアムの姿があった。
「火傷の痕を見るのが怖い‥‥?」
 距離を離したままで、互いに視線を合わせ続ける母子。ケイは、彼女が強化人間であることを忘れたかのように、小麦色の肌に手を触れ、気遣うように尋ねる。
「‥‥ううん」
 何かを諦めたように、小さく微笑って首を振るプリマヴェーラ。
 その視線の先で、リアムは唇を引き結び、静かに上着を脱ぎ捨てた。
「僕、嘘言ってなかったっしょ」
 リアムの、左肩から背中にかけてを覆う、古い傷痕。
 それから目を離さず、遅い瞬きを繰り返す彼女に、ラウルはやや明るい口調を作って声を掛けた。
「前に覚えてナイって言ってたケド、インヴィも記憶ないんだヨ。‥‥でも不思議だネ。記憶なくてもお母サンには会いたいって感じるみたい」
「あいつはさ、最初に会った時よりずっといい顔になったんだぜ。そりゃもうパッと見、見違えるくらいにな」
 ラウルとレイジ。兵庫、南米とプリマヴェーラを追い、その一方で、運命に迷い悩み続けて来たリアムを支え、見守ってきた二人だ。
「あいつは、多くを乗り越えてココに辿り着いた。手を差し伸べる人も沢山いたさ。それでも、あんたを求めているんだ」
 二人が話して聞かせたのは、母と別れ、記憶を失って以降、リアムが辿って来た長い道程。
「親子って理屈じゃナイのカナ‥‥キミはどう?」
 振り返った先で、金の瞳が濡れていた。
 先程と寸分違わぬ姿勢のまま、我が子の証を見詰めたまま、彼女は、ポロポロと涙を流していた。
 ラウルは一瞬躊躇い、息を呑み込んで、彼女に向き直る。
「逃げれば軍は爆撃を始める。僕はキミ達の故郷を再び炎に包みたくナイ」
 ここで決着をつけたい。二通りの意味を込め、彼は言った。
「お願いです! 彼女を連れて帰らせて下さい!」
 リアが叫ぶ。彼女を仲間から護るように立ち、リアムと対峙した。
「今殺してしまったら、彼女はバグアのまま死ぬ事になります! 私達と一緒に帰り、罪を認めて裁きを受けてもらう事、それが彼女が人間に戻る唯一の方法だと私は思います」
「いいよ」
 背後から肩に手を添えられて、リアは驚いた顔で振り返る。
「‥‥あたし、あの子を普通の子供にすら、してあげられなかったから」
「プリマヴェーラ‥‥?」
「今でも人は憎いよ。人間に戻るとか、戻らないとか、そんなことはいい。けど、あたしはあたしを善人だとも思ってない。どんな罰を受けるかって、想像はできるし。怖くない。けど」
 わかってよ。
 青と金の視線が、絡み合った。
「リアムのため? 勝手に決めないでよ!」
 それまで黙っていた愛梨が、突如、感情を露わに彼女に迫る。
「理屈で心をねじ伏せて、自分自身に言い訳して、今更いい母親ぶらないでよ! 今まで離れてた分だけ、リアムを抱き締めてよ! 本当は生きたいんでしょ? 1分1秒でも多く、リアムと一緒に居たいんでしょ!!」
 愛してよ。
 その感情は、誰に向けたものだっただろう。
 愛梨の両目から、熱い何かが溢れ出た。
「‥‥」
 あまりの剣幕に、彼女は少し面喰らったような顔をして。
 手を伸ばして、愛梨の頬を拭って、歩いて行った。


「インヴィ」
 そう呼び掛けられた時、リアムの中で、何かが弾けた。

 僕は、この人を憶えてる。
 記憶は戻らない。
 だけど、きっと、知っている。

「お母さん」

 彼女は泣き出したリアムの両肩に手を置いて、涙目で笑った。
「ごめんね。何もしてあげらんなくて」
 リアムはぐっと唇を噛み、首を横に振る。
「あたしの知らない友達が増えたね。こんな大きくなったなんて、信じらんないけど」

 生きててくれて、ありがとう。
 勝手を許して。

 彼女はそう言って一度だけ、息子の体を抱き締めた。
「お母さ‥‥」
 体が離れる。
 リアが唇を噛んで、それを見守っていた。
「二人で話さなくても、いいの?」
「ありがと。でも」

 あたしには、これで十分。
 これから先も、インヴィの事、アンタ達に頼んでもいい?

 ケイに微笑みと願いを返し、彼女はもと居た大樹の陰へと歩を進めて行く。

「貴女が撃墜したフェニックスの、彼から伝言だ。「次も楽しく生きよーぜ?」だって」
 久志が掛けた言葉に、彼女はちらりと視線を動かし、明るく言った。
「そうね。いい人生だった。幸せだった。もし次があるんなら、次もそんなのがいい」

 彼女が木陰に消えて、王零は泣き出したリアをそっと抱き締める。
「‥‥いいのか?」
「後悔、しないのね?」
 棒立ちのリアムを見て、レイジが、ケイが、最後の問いを投げた。
「いいんだ‥‥」
 彼は大樹を見詰めたまま、茫然と、しかし、何処か安堵したような口調で、小さく返す。
「ずっと‥‥家族のために一人で頑張って来た人だから。‥‥自分勝手でも、お母さんがそうしたいなら」

 生きていて欲しいと、願わずには居られなくとも。
 せめて最後だけは、母の勝手を、許してあげたかった。




 小さな破裂音と、一発の銃声。
 それが、プリマヴェーラ・ネヴェの最期を告げる終幕の鐘だった。