●オープニング本文
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North America Strikes Back。
その最前線を担う都市の一つであるヒューストンに、転機が訪れていた。
高効率発電施設の建設。
軍が更なる防衛能の強化を図っていた、その矢先。一年の沈黙を経て、バグアはついに牙を剥いた。
それは一人の軍人の死から始まった。
籠められた毒は、滲むように波及していく。
明らかになったスパイ行為。
忽然と現れたテロリストによる、発電施設の占拠。
紛糾する司令室。
容疑者の失踪。
調査と制圧を依頼された傭兵達の機転。
確保されたテロリストの言葉。
そして――暗殺者の存在。
混沌を極めるヒューストン。だが、舞台は続く。
「面白くなってきたねぇ」
ある者が嗤う。
「面白い。‥‥脳が腐らずにすみそうだ」
黒幕が嗤う。
「さあ、支度をしなくちゃ」
毒が嗤う。
毒は、深く、深く浸透していき‥‥そして、夜の帳に包み隠されていた、さらなる幕が上がる。
――基地を取り巻く、外敵達。
長い夜はまだ、終わらない。
●Bill
長い綱渡りだった。その間、僕は情報を流し続けた。
考えなくても解る。恐ろしい事だ。恐ろしい、裏切りだ。
家族の為だと誤摩化してきた。だけど、もう。
キーボードを叩いていた手が止まる。
‥‥もう、限界だった。僕は心中で家族に詫びる。
僕の心は、解放される事を望んでいた。人類の為に。僕自身の為に。
その時。アイツがやって来た。
「また悩み事? もう。愚痴くらいなら、聞くわよ」
それが僕らの合言葉だった。
●0400
「ルイス中佐ァッ!!! 大尉ッ!!」
肥えた身体を揺らして、医務室にマーク少佐が駆け込んできた。そこでは、破片と熱風で傷を負った二人が治療を受けている。
今は、傷こそ少ないが気道に火傷を負ったルイスは挿管され、仰向けで眠っている。
その右隣のベッドではヒルデがうつぶせになり、白い背を晒して治療を受けていた。そこには沢山の赤がむき出しになっていて‥‥酷く、無惨だった。
マークが二人の様子を見て絶句するその隣で、博士と傭兵達は立ち尽くしていた。
傭兵達には、敵の狙いは読めていた。
だが――詰めが甘かった。致命的な隙間を、こじ開けられてしまった。
施設を無事に奪還する事はできた。博士も無事だった。だが、指揮系統を、その中枢を、毒に侵されてしまった。
元より露見した事象、事件は――全てが、あの時の為の布石だった。バラまかれた物事が、全て。
どれだけ痛い腹を探られても‥‥それは、過去の事象を紐解く事に過ぎず。
『今』起きようとしている事件から目を背けられたら、それで十分だったのだ。
――その意味を、基地内にいる傭兵達は、思い知る事になる。
「少佐!」
そこに、一人の兵が駆けて来た。
「‥‥なんだ、騒々しい」
未だ茫としているマークが、どこか此処ではない出来事かのような表情で応じると、兵は乱れた呼吸を全力で整えながら、告げた。
「ヒュ、ヒューストンの封鎖・検問を行っている部隊から、連絡が!」
「‥‥! 侵入者が見つかったのか!!」
良い報せかと喰いついたマークだったが――
「ヒューストン東部平野から、多数のサソリ型キメラが押し寄せてきているとの事です‥‥!」
「‥‥なん、だと」
パルスレートを示すモニターの音が響く中。彼らは暫し、立ち尽くすしか無かった。
●
左腕が、軋む。
内側から灼けるようだ。
強化の性質上、自分が酷く脆いという事は認識していたけど。
「流石に痛い、なぁ」
これまでは慎重な立ち回りをしてきたから、これほどまでの負傷は初めてだった。
できれば拠点に戻って治療を受けたかったけど、物量をもって厳重に敷かれた検問と監視の目を何事も無くやり過ごすのは不可能だった。
‥‥そして結局、応急処置をする為に『隠れ家』へと戻ってきた。
ありあわせのもので一応の処置はした。それでも、左腕はピクリとも動かない。
「さて‥‥と。どうしたものかな」
事前の取り決めの通り、作戦が開始されてからは一切の連絡を取っておらず、状況を見て動くほかない。
リスクを冒せば、突破は出来た筈だ。でもそれをしなかったのは――。
「‥‥ちょっとは痛い目にあってもらわないと、気が済みそうにないし、ね」
右足で、然程広く無い隠れ家においては無駄にかさばる『ソレ』を押しのけて、必要なスペースを確保すると、僕は作業に取りかかった。
「さぁ、支度をしなくちゃ」
●
「‥‥中佐が倒れた以上、現時点で指揮権は俺にある」
自失から回復したマークはそういうと、傭兵達と博士から事情を聞き出した。今後の指揮に差し障りが出る事を嫌ったからだ。
全てを見ていたジェーンが彼女に解る範囲で説明を行うと、彼の態度はより硬質なものとなった。
傭兵達が制圧に当たっていた事は彼も知っていたが、中佐の権限の元、調査と護衛を行っていた事を聞いたから、だ。
「傭兵には、俺の指揮下に入って貰う。‥‥文句はあるか?」
鼻息も荒く、充血した目でそう告げるマークの目には、殺気すら籠っていた。その言葉に、傭兵達は沈黙で応える。
「この基地は包囲されつつある。誰かが防戦の指揮を執らねばならんが――それは俺がやる。‥‥おい」
睨みつけられたのは、ヒルデの副官だった。マークに先んじてこちらに合流し、血塗れの上官の姿を見ていた彼は、マークよりも深い自失にあった。
それを吹き飛ばすように、マークが「少尉ィ! 聞こえんのか!」と大喝を飛ばすと、彼は怯えるように背筋を伸ばし、敬礼。
マークは「それでいい」、とでも言うように鼻を鳴らすと、以下のように続けた。
「貴様は傭兵達と共に行動しろ。俺にも、ヒューストン基地の戦力にも、中の事に目を回す余裕は無い!」
肥えた身体が、吸気で膨らむ。そして。
「その●●●野郎に回す戦力もだ! お前達は博士の護衛をしてろ! ――いいか。ヘマをしてみろ、そのときは俺がお前らを――」
そこまで言い募った、その時。
マークはジェーンの視線の冷たさに気付いた。そこに籠められた意思にも。
――だが、平素なら兎も角、今ここで、彼自身の熱が収まる事も無く。
「‥‥分かったな!」
ただ、そう言って。
彼は返事を待たずに医務室を出て行った。残された傭兵達と副官はただ、それを見送るしかない。
能力者だけでも、死者は五名。指揮官も不足している。‥‥ヒルデとルイスのリタイアは、この状況下では大きな負債であった。
だが、それでも。
ヒューストンは、欠けた歯車はそのままに、ただ動くしか無い。
●
「おや」
再度基地が慌ただしくなったのを感じた。
周囲に人の気配が無いのを確認してから、隠れ家から外に出る。
東に、軍人達が慌ただしく集って行くのを気配で感じた。
襲撃、か。
ヒューストンを狙うバグアがいるのは聞いていたけど。
「まさか、このタイミングとは、ね‥‥精々利用させて貰おうか」
●
――夜明けまで、2時間。
舞台は、加速する。
●リプレイ本文
●0400
「‥‥すいませんでした」
未だ傷も癒えぬアクセル・ランパード(
gc0052)は焦燥した様子でそう言って頭を下げた。左目に刻まれた傷痕は、経年で癒える事はないかもしれない。だが傷痕以上に、彼の心中は掻き乱されていた。
――あれは、ただの気まぐれだった。
あの状況で博士が死ななかった事だ。無力さ――慚愧の念が彼の胸を衝く。
それら全てを受け入れた上での謝罪の言葉に、応える声は無い。
――仕方が無いことです。
青年はその苦さも呑み込んだ。ケリをつける。それが彼に出来る唯一の償いである事を知っていたからだ。
それは、焦りかもしれない。嘆き、悲憤、制裁への志向かもしれない。彼に取っては初めての直面した絶望だったから、自身を駆り立てるものを、把握できてはいなかった。
今、無機質で耳障りな機械音が響く医務室の中には、ジェーンと傭兵、そしてヒルデの副官がいる。沈黙に等しい空間は、苦い感傷で満ちていた。
「ともかく、これ以上の失態は避けなくてはなりません」
ラルス・フェルセン(
ga5133)が抑揚に欠けた口調でそう告げた。沈黙を穿つように。
その言葉に残る傭兵達は頷いた。誰しもが為すべき事を理解していたから。
博士を護る。
そして暗殺者を、倒す。
マーク少佐が敷いていた検問が十全であるのなら、まだ目はあった。
ならばそれは、挽回の余地がある、という事だ。
彼らは短く言葉を交わした後、行動を開始した。
●0420
「これ以上、絶対に傷つけさせない」
先ほどまで室内に居た傭兵達の多くがいなくなり、閑散とした医務室に声が響いた。
声の主は明河 玲実(
gc6420)。柔らかな声音が、静かに消える。
アクセルと同様、傷は癒えぬままに彼は中佐達の護衛にまわっていた。入り口に立つ軍の能力者達は怪訝な――不快げな表情をしていたが、玲実の表情に気付くと、言葉を無くした。それほどまでに彼の表情は張りつめていて、不吉な影すら落ちていた。
視線の先には傷の処置を終え仰向けになって息を荒げているヒルデの姿と‥外傷こそ少ないが、より重篤なルイスの姿があった。気道をやられた彼は今、呼吸苦を除くために鎮静がかかっていて、身動き一つとっていない。
機械の力で息をしていなければ、まるで、死人のようだった。
「‥‥ッ」
想起されたのは、『どの』光景だったか。
失われた命。戦う事の意味。背負うでもなく、救う事を求めて戦っている彼にとっては、眼前のそれは余りに鈍い。
どれほどそうしていただろうか。
手にした無線機からは、芳しく無い状況が伝えられている。
だが、それはそのまま捜索範囲を狭められているという事でもある。
「‥‥護らなきゃ」
仲間達が調査をしてくれているのならば、彼自身はそれを支えるための土台であった。
これ以上の被害を出さない為には‥此処は、博士に次ぐ要衝だったから。
彼は警戒を深めながら――ヒルデが落ち着くのを待った。
●0415
「全く、やってくれますね」
嘆息するような声は、新居・やすかず(
ga1891)の物。
彼は、ケブラージャケットを着ているジェーンを連れ、星明かりと照明が照らす中を不破 霞(
gb8820)と共に慎重に進んでいた。
――彼女の心の負担を増やさない為にも。
同道するジェーンの顔色は決して良くは無い。先の失敗に挫けている場合ではなかったから、彼はそう胸中で言葉にした。向かう先には兵舎がある。軍人達の住居。そして、暗殺者の潜伏先の候補だ。
状況は不透明。それでも、彼の内面は揺らいでおらず、抗うための意思を強く保てていた。
道中の襲撃は最も恐れるべき所だったが、敵の影は一切なく。ただ有事の喧噪が彼らの集中を掻き乱す。
例えば、傍らを通り過ぎる軍人の中には、傭兵達が博士をつれて移動しているのを揶揄する者も居た。
だが。
「我々が受けている依頼は博士の護衛です」
不破は、その長身で真っ直ぐに相手の目を見据え、吐き捨てるように言った。声色は平素に増して冷たい。そこには、彼女自身ですら持て余す怒りの色があった。
「必要な手続きをすることに何か問題が?」
それに。
「他に最善手があるのなら、教えて頂きたいくらいです」
それは雇用関係を盾にした痛烈な一言だった。彼らが用いる、言動には成果や理由、実力が求められるという皮肉を彼女はそのままに言葉に添えていた。
相対する軍人は二の句も告げず、その殺気に押されるようにして、舌打ちだけを残して去る。
彼女の有り様は、触れる者を傷つけずには居られない刃のようだった。
ジェーンですらかける言葉が見当たらず、視線を逸らす。
それが彼女を護るためだとは知っていた。――それだけに、痛ましくて。
直に、彼らは兵舎の屋上へと辿り着いた。灯りは落とされ、湿った熱のみがある。
防衛には最も適した立地だ。
彼らはそこで残る時間を過ごす事にしていた。
夜が明けるまで。あるいは、暗殺者がこちらの目に届くまで。
夜天は驚く程に近い。ジェーンは屋上の中央で座り込んで空を眺め――ただ、科学者の孤独を噛み締めていた。
●0420
傭兵達の本殿が新居や玲実達ならば、彼らの目、あるいは牙が、ラルスとアクセルの二名であった。
護衛を任じられはしたが、内憂の事実は変わらない。敵に先手を打たれない為にも、事実上の攻勢を仕掛ける必要があったから、彼らは敢えて護衛から外れた。
まずは本部からの捜索となった。司令室からの血痕を辿ると、ある一カ所でそれは途絶えていた。司令室のある位置から、窓を経て外にでた場所で一応の止血を行ったのだろう。ラルスが持参した暗視ゴーグルで闇夜に目を凝らしても、付近には血痕は見当たらない。
暗殺者としての隠密か。
「傷はかなりの深さでしたから完全に止血は困難でしょうし、どこかにはその痕があるとは思うのですが‥‥」
「元より、判断の一材料に過ぎませんよ。――行きましょう、ランパード君。調べるべき所はまだ沢山あります」
悔しげに言うアクセルに対し、ラルスはそう告げた。言葉の通り、見るべき施設は多い上に、人手は足りない。それは、外患の存在も影響していたが‥‥目も眩むほどの作業量だ。
「『彼』が博士を狙う可能性は、高いでしょうね」
隠密を意識しながら気配を殺しつつ、彼らは本部近辺を洗って行く。その過程でラルスが呟いた。
置き土産を意識する必要もある。
護るべきはマークの要望に比して多い事を彼は理解していたから。
「潜んでいる場所もですが」
――何が狙いか。それが重要です。
そう、結んだ。
それは先の襲撃で学んだ事だ。彼は眼前の難局、その中核を見据えようとしていた。
「敵が今、動かない理由がありません」
「そうですね‥‥」
ラルスの断定に近い推測に、アクセルは同意。
ならば何を目的に据えるか。
医務室や本部は、敵にとっても狙いやすい場所だが――見通しは、無い。
ラルスの胸中に、不吉にざわつく物がある。
勿論、それを絞るための調査でもある。彼らは順次、それを処理していった。
●0500
新居は屋上から暗視スコープを用いて、限られた光源の中でも監視を可能にしていた。
狙撃に対する意識はあったが、敵の動向を捉える事を優先したかった。彼が担当していない方角は不破が担当し、効率化を図る。
壁。あるいは、階段。敷地内を、その『目』が届く限りで、精査していく。
「いっそ、出て来てくれたら楽なんですが」
博士の護衛を思えば不謹慎ではあるが‥‥聞き及んだ敵の性質を思えば、それは事実で。彼自身の備えも、その点で十全であった。
呟きは風に乗って不破の元にも届いた。
彼女は無言を貫くが、小さく頷いていた。長大な刀を握る手に、自然、力が籠る。
――お前は私にとって許せないことをした。
許せない罪には、罰を。それが、今の不破の胸中だった。
そうして彼女が姿を見せぬ仇敵を思っていた頃。
新居は再度下界を見下ろしていた。
視線を巡らせた瞬間。
――ッ。
歴戦の傭兵である彼をして凍り付く程の、強烈な殺気を感じた。
狙撃を警戒し一端身を隠しながら、銃器と扇型の超機械を構え、神経を研澄ます。
(‥‥どこに?)
だが、彼ですらその所在は掴めない。
「敵が?」
「解りません‥‥ただ、殺気を」
不破の問いに、冷や汗を滲ませながら彼はそう答えながら現状を冷静に俯瞰。
彼らは監視を優先するあまり、敵の目を意識せず‥‥徒に、姿を晒してしまった。それ故、こちらの目線を『盗まれた』。
だが、零れた殺気を読み取れたのは流石と言わざるを得ない。事実、不破はそれに気付く事が出来なかった。特別な工夫、意識も無ければ、彼らの中では恐らく彼か、辛うじてラルスしか気付けなかっただろう。それほどに繊細な殺気で――隠行だった。
悔恨が滲む。再度視線を下界へ巡らすが、影も形も無い。
「とにかく、伝えよう。敵はまだ基地にいる」
状況は苦い。だが、不破は敢えてそう言って笑った。獰猛な笑み。
「それだけでも重畳だ」
鍔鳴りが、一つ。
●0510
「‥っ」
ヒルデの深い呼吸が医務室に響いた。意識が戻ったのか。
玲実は彼女の元へと急いだ。状態が悪い事は知っていたが、尋ねたい事があった。
見れば、失血で彼女の白い肌は蒼白へと転じていた。今も輸液と輸血がなされているが、その事実が玲実に現実を叩き付ける。
「ヒルデ、大尉」
問う声は掠れる程に弱々しい。首にかけたネックレスに手が伸びる。
「‥‥傭兵か」
苦しげな声だが、意識の充実が見て取れた。その事に玲実は安堵を覚えながら、漸くの思いで言葉を紡いだ。
「あの‥‥大尉に、謝らないといけません」
「何?」
何処か苦笑いを含んだ言葉に、彼は答えを紡いだ。
「大尉の事、疑っていました。‥‥すいません」
そういって彼は頭を下げた。深く。桜色の髪が、揺れる。
「馬鹿者。妥当な判断だ。謝るまでも、ない」
僅かな沈黙の後に、ヒルデの言葉。弱々しいがそれは――彼に取っては赦しの言葉だった。罪は消えないが、それでも。
「はい」
そう言って安堵の溜息と共に笑む彼を、ヒルデはただ見つめていた。
弛緩とは違う空気。
だが。――長くは続かない。
●0530
空は白みつつある。
隠密下での調査は、時間がかかるが‥‥着実に行われていた。新居からの報せもその実、暗中を探る原動力となっている。
だが、空き室には何者も無く。
整備場にもガレージにも目を凝らしたが、異常はない。
弾薬庫においても同様で。
時折、道中でラルスが血痕を見つけはしたが、散発的で決定打にはなり得ない。
血痕をそのままに移動する愚を、敵は犯していなかった。
勿論、そこを敵が『通った』事実は消えないが、彼ら自身が考えていた通り、指標に過ぎない。得た事実は――彼は東に逃れたのかもしれないというもの。勿論、欺瞞の可能性も否定できないが、敵の動向に関して否定的、肯定的な情報が少しずつ満ちて来ていた。
だが。
「狙い‥‥」
それが、ラルスの胸中でどうしても気になっている。傭兵達の中で、彼が最も敵の『思考』をなぞろうとしていた。過ぎて行くだけの時間、騒ぐ胸中に押されるように、ただ思考が加速。
博士。中佐。大尉。この状況で、彼が狙うのは。
――いや。
反転。
何故あの時、博士だったのか。簡単だ。博士は重要人物だった。
そして傭兵も軍人も、その目線は積み上げられた事件に向けられていた。誘導されていた。
なら何故、誘導しなくてはならなかった。
――彼は。
彼らが弾薬庫から、駐車場を経て司令部へと向かおうとした、その時。
左手で。
炎と爆音が、目と耳を焼いた。
火勢は凄まじいが、衝撃は能力者にとっては些細なものだ。
強烈な熱源に晒されながらもラルスは思考へと没頭した。何かが、掴めそうだったからだ。
――彼は、何と。
「死ぬつもりはない」
「え?」
炎上するトラックに警戒を深めていたアクセルに、ラルスは呆然とした表情で呟いた。
「そう、言っていたのですよね?」
敵が玲実の一撃で深手を負ったという事実と、最高の獲物を見逃してまで増援と不退転のアクセルを前に身を翻した事実が、繋がる。
「博士への害意が割れて警戒が深まるであろう状況で、その彼が」
アクセルの理解がラルスに追いつく。
「まさか」
『明河です! 暗殺者が使っていた爆弾は基地の物かもしれないと大尉が!』
雑音まみれの音声が響く。
「新居さん、至急――」
玲実の声を聞きながら、アクセルは無線に叩き付けるように言った。
「発電所の警戒を!」
『確認――』
告げられた事実は、
『警備の軍人達の姿が‥‥? ――あれは!』
余りに苦く。
『発電施設の影に隠れて‥‥くそ! 敵が逃走しています!』
それを背に能力者達は駆け出していた。
『二人‥‥?』
●
ラルスと不破は発電所へと駆けた。アクセルは、怪我の影響もあって遅れている。
二人は疾風の勢いで。‥だが、その距離は余りに遠く。
発電所を抜けようとした時。
『まさか、追ってくるとはね』
隠蔽された軍人の遺体、そこに添えられていた無線機から声が届いた。
『でも』
ラルスと不破は応じない。だが、配置された遺体達から、声は響く。
偶然では無いのだとしたら、余りに洗練された悪意だった。
『残念だったね。終幕だ』
遠く、迫るHWが見える。
――それでも二人は走ったが。
その中で、悪鬼のような形相の不破は激情に呑まれ――言葉を無くしていた。
ただ噛み締める事でしか、堪える事は出来なかったから。
●
その遠景。
アクセルは痛む体を引きずり、それでもなお駆けていた。
――だが。
発電施設。その中央部が爆発、炎上するのを見て、彼は。
歩みを、止めた。
暴虐に気力が削がれ膝をつき、
――獣の如き慟哭を、あげた。
●
「ふぅ、大漁だ!」
無線を放り捨てて振り向くと、白衣の男が笑っていた。
奇妙な道具で抱えているのはマグネシウム。HWに抱かれて揺れる風景の中で、彼だけが上機嫌だった。
この奇妙なバグアとは発電所内で鉢合わせした。最初は傭兵達かと思い短剣を構えたが、彼は東側のキメラ達を餌に発電施設に忍び込み、大量のマグネシウムを持ち出すつもりだと正直に暴露した。
外患内憂。別々に機を演出して、互いに乗じていたのだから笑えない。
最も、駒に過ぎない自分が言えた義理ではないのだが。
「おかげで手早く済んだよ。礼を言う」
「や。能力者達が来たら真っ先に逃げるつもりだったし、お互い様だよ」
上機嫌にそう言う彼には、悪意は無いのだろう。
もし能力者達が発電施設に足を踏み入れていて、彼が逃げていたら僕は死んでいた。それは‥‥事実だ。
東では、数多のキメラの死骸が転がっている筈だ。
だが、そこから浮かぶ陽のなんと美しい事か。
「さようなら、ヒューストン」
遠ざかる町に僕はそう告げた。もう二度と来る事はないだろうから。