●リプレイ本文
●
冬の訪れが近しい。肌を撫でる寒々とした感触は荒廃した戦場によく馴染んだ。
傭兵達を包むのは、戦場の香り。
色濃い鉄錆に似た血の気配。遠方から木霊を曳いて届く硝煙。燻る火焔の黒煙。
それらが綯い交ぜとなった大気が肺を満たしていた。
そこを、切り裂くように進む影があった。
月城 紗夜(
gb6417)が駆るAUKVと、同乗するエリオット・リオ(
gc7029)。そこに並走するように、劉斗・ウィンチェスター(
gb2556)。
「紗夜ねぇちゃん、行っちゃえ行っちゃえー!」
高鳴る駆動音よりもなお大きく、少年の快活な声が戦場に響く。紗夜と劉斗はその声に応じるべく加速。
「おわっ!」
エグゾーストが、大気を叩く。
「‥‥先に行く!」
シャッター周囲に散在するキメラを蹴散らす算段だ。劉斗の駆るリンドヴルムが更に猛々しく唸り、紗夜とエリオットの視界の中、その背が急速に小さくなっていく。
「もも、もっと荒っぽくてもオッケー‥‥!」
それを見てあがった少年の引き攣った声に、紗夜は了承の意を汲んで更に加速。
「―――ッ!」
エリオットの呑み込んだ悲鳴の残滓は、聞かなかった事にした。
先行する劉斗には、廃ビルを包む黒山の如きキメラ達が見えた。
――凄い数だ。
素直に、そう思う。戦略的に考えれば切り捨てるのも選択の内。増援自体が、賭けに等しいのだから。
だが。
――まだ助けられる人を、見捨てたりしたく無い。
リリアの支配は終わった。なら、その死者に引きずられて死んでいい人なんていない。だから。
「‥‥なってやろうじゃないか。『英雄』に」
――それで人が救えるのなら、十全だ。
瞬後。劉斗の手にした拳銃が、主人の意を叶えるべく咆えた。
劉斗がキメラ達を駆逐する姿と廃ビルが加速度的に迫る。二人を迎えるべくシャッターが徐々に開きつつあった。
紗夜はスピードを殺す事無く、加速。加速。加速。幾重もの怒声と銃声の合奏をも貫く快音が増援の存在を廃ビル中へと告げる。
「‥‥えっ、はや、お、わあッ!」
少年の声は無視してバイクは飛び込むようにして裏口へ。突入と同時、巧みな姿勢制御とブレーキングで強引に慣性を潰し――今度こそ少年の悲鳴が響く中。数瞬の後、そこにはAUKVを装着した紗夜とその腕に抱かれる少年の姿があった。
僅かな沈黙の後、声が生まれた。
「ULT傭兵、月城」
「お、おお、同じくエリオット‥‥」
「増援だ。此方の指示に従え」
●
「‥‥厄介だな」
長大な刀でキメラを斬り潰しながら裏口へと至りつつある龍零鳳(
ga2816)が零す。戦士の感性だろうか。此処を死地と定めた妄念を、男は確かに感じていた。
偉丈夫だ。その視線は常人よりも遥かに高い。その視野で敵の群れを見据える男は思う。
下らん逆恨みだ、と。
理不尽さの滲むバグア達の怒りを男は太い笑みで流し、
「付き合う道理も無い。護って見せるさ」
左腕が、疼くのを感じながら‥‥言う。
――その為に我は、身を削られてなお戦場にいるのだから。
「中々の難事だがな。‥‥やってみせよう」
応じる声は黒羽 拓海(
gc7335)。その声には、滲む悔恨の色があった。それに気付いた零鳳は微かに眉を動かしたが、
「ああ」
ただ、短く言った。
虎牙 こうき(
ga8763)とエリオットが内部へと至るのを確認して、後衛のマリー・ドール(
gc1024)、月村・心(
ga8293)が篭城へと移るべくビルへと踏み入る。彼方此方で銃声とキメラの咆哮が轟いている中で、軍人達は慌ただしく動いていた。
「あ。いたっ! あたし、マリーです! 一緒に三階で守りを固めましょ〜♪」
SESを搭載した銃を携えたJGとHGに対してマリーが声を掛ける。
「あ。‥‥英雄は、貴方達よ☆ あたしはそのお手伝い、OK?」
マリーが愛らしい調子で告げた言葉に戸惑いながらも頷く軍人達を尻目に、心は歩を進めながら、
「おまえらも、何もしないで死にたくはないだろう?」
動けそうな負傷者達に叱咤の声を掛けていく。
「そのままくたばるか、生き延びて次に向かうかはお前達次第だ。解ったら出来る事をやるんだな」
強い言葉は時に反感を生むものだ。睨み返された光を心は一笑し、それでも進む。
――昔は、篭城している方を攻撃する立場ばかりだったな。
戦場の旋律に、不意に懐かしさが込み上げた。経験から、意識すべき事は手を取るように解る。
三階は広々としたホールとなっていた。脳裏に描いた地図から、正面口の方へと至る。
下界を見下ろした心は、手にした銃を掲げながら言った。
「選ばなくても撃ち放題、か!」
男の胸の裡が、逸る。
――今まで散々相手にしてきた連中も、こんな気分だったのかね!
●
増援は、僅か能力者八名。
それでも。その存在、活躍はこの状況では劇薬に等しかった。
最も負荷の掛る一階での戦闘に、能力者の多くがあたりながら、上階から無防備なキメラ達へと逐次火力が注がれて行く。
文字通りの、鉛の雨。
充実した後衛火力は爆発的な戦術的価値を生む。篭城の強みは、まさしくそこにある。
だが、全てはそれを支えるに足る前衛戦力と、それを可能にする火力があっての事だ。それだけに今回の増援の価値は重く、尊かった。
無論、敵の数も尋常ではない。次から次へと黒波が至り、戦線に終わりは見えないままだ。
それでも、足りぬ戦力を無理矢理に補うべく動いていた一般兵がある程度自由になると、出来る事が大幅に増えた。
「側壁から侵入されては堪らん、補強しておけ」
1階では月城、2階では零鳳の指示が飛ぶ。老朽化が見られる部位には予め資材を積み上げ、生半な事では突破されぬように補強しておく。即座に効果が出る類のものではないが、備えとしては有用だ。
「‥‥さて」
零鳳は一通り気にかかる所を潰すと、手にした日本酒を呷った。
窮地に余力を削がれていた時とは違い軍人達の表情には光が宿りつつある。
そこには、明らかな熱が籠っていた。
その熱ごと呑み込むようにして、一気に口中の酒を飲み下す。心地良い感触が臓腑に満ちるのを感じながら、零鳳は名刀を手に窓へと足を進めた。
異質な長大さを誇るその刀を振るうには、良い戦場だ。
「‥‥囀る前に散ってしまえ」
男はただ、怨嗟の声を切り捨てる。
遊撃的に動く紗夜と拓海には戦場の、死に取り憑かれた者が放つ異質なそれとは違う、見る者を高揚させる熱が見て取れた。
「‥‥とはいえ、な」
拓海の独白。これはいつ終わるとも知れぬ戦いでもある。ローテーションを組ませ、休むべき兵を休ませる必要があった。
移動の際に紗夜は持参したレーションと飲み物を兵達に渡す。
休め。その意図は、伝わっただろうか。
「‥‥一口でいいな? 騒がしい奴はキメラの海に放り込むぞ」
慌てて頷く軍人に颯爽と背を向けながら、次なる戦場へと紗夜と拓海は歩んでいく。
その時、だ。
澄んだ歌声と、柔らかな光が廃ビルに灯った。
●
戦場は苛烈さを極める。2階。負傷者が詰められたそこもまた、形は違えど戦場に他ならなかった。
二階、想像よりも遥かに多かった負傷者達を見て、エリオットはまず後方支援の兵士達に手伝って貰いながら、負傷者を自分の周りへと集めた。
「もっと寄せて! いい? じゃあ」
いくね。
言葉に次いで、歌声が響いた。
――――。
少年の歌声は、どこまでもまっすぐで、あたたかなもの。
一緒に歌って? という悪戯っぽい視線に喚起されるように、治療にあたっている兵士達の歌声が重なっていく。
仄かに少年を包んだ白光が伝播するように、エリオットの周りにいる負傷者が光へ包まれた。
発動は一瞬。光もまた、瞬く間に消えていく。
それでも、少年の周囲に集められた負傷者達を包んだ光は強く、廃ビルに刻まれ‥‥響く歌声もまた、兵士達の心を強く励ますものであった。
歌声は前線の深くまで響く。
その歌声の優しさは、こうきの胸中に良く馴染んだ。
――甘いよなぁ。
聞きながら、ふとそう思った。
彼は今、最も苛烈な戦線のただ中にいる。劉斗や他の能力者の背を支えるように周囲に気を払い、厚い陣形を敷く事に貢献していた。
その眼前では隘路に沿うようにキメラ達は死の行軍を続け、倒れたキメラは後続に曳き潰されていく。
――救いたい。
ただ、救いたいのだ。敵でも、人でも‥‥キメラであっても。
衝動のままに思ってしまうのを、止められないが故の想いだった。心優しき青年はそれ故に、少年の歌声に感化されてしまう自分を感じていた。
でも、今は。
「‥‥気をつけて!」
巨人型の影に隠れたキメラに注意を喚起しながら、こうきはただ皆の無事を祈る。
その意を汲んでか、劉斗の銃声は止まない。銃撃は正確にキメラ達の足を削ぎ、動きを封じる。遅滞したキメラもまた後続に呑まれるが、それでも撃つ。
その銃声が注意をひいたか、劉斗へと向かって迫る巨人型に対して、彼は真っ向から相対。
膂力。巨体。そのいずれもが、看過するわけにはいかない敵だ。だから、退く訳にはいかなかった。
『後ろには、行かせない‥‥誰も、失わせない!!』
劉斗の声に応えるように、AUKVが咆哮。全身に閃光を纏うその手には、一振りの槍。
振るわれた一撃は、重い。後方へ、キメラ達を巻き込みながら弾かれる巨人型の頭部に向け、銃声が、重なった。
『‥‥此処で朽ちるのは、お前らだけで十分だッ!』
●
戦線は長く、膠着を保っていた。だが‥‥永遠には続かない。
その事に最初に気付いたのは、三階で側面対応に回っていたマリーだった。
――英雄かぁ‥‥う〜ん。なんかかわいくないよねぇ?
ヴ、ヴ、ヴ、と目に鮮やかな小銃が奏でる銃声を感じながら、マリーは暢気にそんな事を思った。
なんというか、ぴったりハマる感じがしなくて、むずがゆかった。
「なんかかわいい表現ないかなぁ‥‥っと」
零したその時、撃ち降ろしていた側壁側で動きがあった。敵が徐々に集まりつつある。
勿論、人類側も警戒していた動きではあった。だが、キメラ達がその身を潰しながら側壁へと体当たりを敢行しだすと、均衡が崩れていく。
「1階の皆っ、気をつけて! 西側に敵が集まってるよっ」
いいながら、小銃のトリガーを引く。撃ち降ろしの制圧射撃にキメラの動きが鈍るが、すぐに付け焼き刃だと解る。
「よゆーあったら手伝って〜っ!」
「とにかく、近づかせないことだ! 手前にいる奴から狙え!」
マリーの悲鳴に、心が応じた。
「飛び出したアホはさっさと撃て!」
「うん!」
マリーの小銃から強撃弾が籠められた一撃が巨人型の頭蓋へと喰らい付くのにあわせて、心は銃弾を浴びせていく。それでも、十全な障害の無い敵の動きを完全に防ぐには至らない。
危機の予兆。
だが‥‥彼の胸中は弾んですらいた。
(英雄? ちがうなぁ!)
あの軍人は解ってない、と内心で吐き捨てる。
この緊張感。五感に迫る戦場の感覚、命をカードに振るう対価の応酬。
彼のような人間にとっては、それだけがあればいいのだ、と。
――それが無いなら、誰がやるものかよ!
英雄になりたいんじゃない。栄光が欲しいだけなら、彼はPMCの門は叩かなかった。
命は一つしかないのだから、キレイゴトだけじゃあ戦えないのだ。
「‥‥目の前の化け物共を、一匹残らず血の海に沈めてやれ!」
彼の眼下で側壁が崩されて行くが、それでも良い、とすら思う。
ヒリつくこの感覚は、嫌いじゃなかったからだ。
●
壁が、崩れた。バリケードの一部を巻き込むようにして雪崩込んだキメラ達を迎えたのは、
「弾幕を張れ」
紗夜の短い声に続き吐き出された銃弾の嵐と、
「オォ‥‥ッ!」
気勢と共に切り込んだ、拓海の大剣だった。
正面と裏口は、一応の安定を見せつつある。本格的な味方の増援がいつ至るかは解らないが、此処が正念場だという確信があった。
逆に言えば――此処が、分水嶺。突破されれば、内部から食い荒らされてしまう。
「‥‥させん!」
力づくで振るわれた薙ぎ払いの一撃は、容易くキメラ達を喰い千切り、戦線を押返していく。
噎せ返る血の匂い。背には守ろうと決めた者達。
既視感に‥‥閃光のように記憶が迫る。
――友を、見捨てた。
反吐が出る程の苦さが、滲んだ。
あの時の自分には護るための力が無かったのだと、言い訳はできる。今なら、護る事が出来るのだと知っている。
‥‥だからこそ。
失う事が――恐ろしい。
「‥‥二度目は、無い」
刃を振るいながら、掠れた声で、呟く。
もかもがあの時とは違い、本当に護りたかったものは、既に失われていた。だからこそ彼はそこに囚われており、それ故に彼自身が内包している矛盾に答えを出す事は難しい。
今は、危機を前に刃を振るうしか、無い。
「鬼剣・破刃!」
眼前へと至った巨人型を大上段の一撃で切り伏せながら、男は戦場にある筈も無い答えを、探していた。
「下らんな」
紗夜の言葉は、怨嗟の声を零しながら倒れ行く巨人型へと向けられたものだ。
「‥‥殺し、殺され。それが戦だ」
「‥‥そうかもな」
無常を淡々と言い捨てるその姿には凄惨さすら滲んでいて。どこか、拓海には痛かった。
瞬後。
『みんなっ! 増援が来るって!』
無線からエリオットの明るい言葉が響いた。
それは、終わりを告げる――解放の言葉だった。
その声を聞きながら、紗夜は言葉を紡いだ。彼女自身にしか届かぬ、声で。
「弟の為の、今の我の生だ」
――だからこそ、無駄には出来んさ。
彼女の懐で、形見の品が‥‥揺れた。
●
軍のKVがキメラを駆逐し始めると、戦線は無類の戦果と共に、急速に収束していく。
「終わるか」
その様を見て取ると、零鳳は血を払い、刃を収めると窓枠にその巨体を据える。
「うぅ〜‥‥まだ耳の中で、銃声がドカドカ鳴ってるカンジ‥‥」
「おわり? やった〜☆」
背に届いたエリオットの苦しむ声と階上でマリーがはしゃぐ声を聞きながら、零鳳は酒を呷った。
「‥‥この酒は、此処でしか味わえんな」
戦闘が終わって。廃ビルに詰めていた兵士達が、重い身体を引きずるようにして撤退する中で、こうきと劉斗は、周囲の捜索へと向かっていた。
まだ、生きてる人がいるかもしれない。
希望を無くしたら――ゼロになってしまうから。
そう言うこうきを一人にする訳にも行かず、劉斗は彼についていく事にした。そういう所が、苦労性の所以なのかもしれない。
かくして、彼等が見つける事が出来たのは――SESが搭載された無機質な武器が数品だけ。
遺体すらも、見つからず。
それが――この戦場に籠められた妄執なのだと、こうきと劉斗は知った。
「‥‥お帰りなさい」
劉斗が小さく手を合わせる。こうきも、また。
追々、これらの品が遺族の元に届けられる事だろう。せめて――浮かばれると良い、と。こうきはそう願わずには居られなかった。
遠く。
英霊と、英雄達に向け――砲声が、響いた。