タイトル:【QA】Diagnosis.マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/01/02 11:22

●オープニング本文



 救いの道など、もはや無い。
 その事は痛い程に知っていたから、眠りは決して安らぎを抱かせる事はなく、ただ苦痛のみが感じられた。

 ――貴方のエミタの適正はネガティブだった。能力者になって延命する、というのも無理ですね。

 彼方から、反響するように声が響く。
 自分の声だ。
 そう、ジョン・ブレストは追認する。
 感情を押し殺した声。老爺は、そこに籠められた物を知ってか知らずか、晴れ晴れとした声で笑い飛ばした。
 そして、こう言うのだ。

 ――この目で、もっと遠くを見たかったんじゃがのう。


「‥‥精密検査とな」
『ええ。医師達からの要請でもありますが‥‥精査加療を要する、と』
 ふーむ、と老人――ラムズデン・ブレナーは唸った。
 弟弟子でもあるブレストの、平静を装った声が受話器越しに響いている。
 先日に続いての、急な電話だった。彼なりに何か思う所があるのだろうと老人は理解しているが‥‥。
『検査と、治療を受けるべきです、博士』
 ――こりゃ、わしが頷くまでテコでも動かんのぅ‥‥。
 その声に滲んだものを感じて、老人は苦笑を浮かべた。
 嫌な気はしない。この変わらぬ頑迷さが、老人にとっては好ましくもあった。
 何より、昔を思い出す。
「ふーむ。まぁ、チョイトばかし面倒ではあるがのぅ。何せ、最近は足腰も」
『ご心配はいりませんよ、送迎の足はこちらで調達します』
「‥‥ほほう」
 至れり尽くせりじゃのぅ、と笑うが、対するブレストは硬い空気を崩さないままだ。
 ――ふーむ。
 検査を受ける事は吝かではない。ブレストの心遣いが嬉しくもあった。
 ただ、こう。
 老人の中に未だ消える事なく残る稚気が、逸る。
「‥‥行ってもいいんじゃが、のぅ、ブレスト」
『なんでしょう?』
「わしが検査を受けていた時、医師達から言われていた事があってのぅ。お前さんも、胃の検査をサボり続けているとか、なんとか」
『‥‥‥‥』
 受話器の向こう側で、仏頂面が歪む姿が易々と想像でき、ブレナーは笑みを深めて、続けた。
「お前さんも検査を受けるというなら、わしも吝かではないのぅ、ホッホッホ、どうだ?」
『‥‥仕方ない人だ。良いですよ、そこまで仰るのでしたら』
 盛大な溜息の後に、ブレストが承諾する声を聞いて、ブレナーは快活に笑い飛ばす。
「ホッホッホ! 当日が楽しみじゃのう、ブレスト。苦しいからって泣くんじゃないぞ、坊!」


 当日。
 LHは、未来科学研究所に併設された病院施設に足を踏み入れたブレナーは、弟弟子の姿を探していたのだが‥‥。
 いない。
 待ち合わせの時刻を過ぎても、現れない。
「あのぅ‥‥」
 ブレストの指示で送迎に出て来てくれた研究者が、申し訳無さそうに、口を開いた。

「ブレスト博士は、今朝から行方を眩ませていまして‥‥」
 ――今日は、いらっしゃらないかと。

「‥‥やりおったな!!」
 老人が、大笑と共に手を叩く澄んだ音が、響いた。
 ブレストの代わりにと頭をさげる歳若い研究者に対して、ブレナーは怒りを示す事はない。
 ――変わらんのう、彼奴も。
 意気が、弾む。


 同時刻。同所。
 ブレナーが柏手を打った頃、そこではエミタの定期検診が行われていた。
 エミタを人体に用いる事による影響が、どうでるか。それは未だ検証中な事柄の方が多い。
 だから、検診においては、専門家や、あるいは講習を受けた医師によるカウンセリングが行われる事も有る。
 担当する者によっては、無味乾燥な統計の為のデータ収拾であったり、自身の研究の為だったり、非番の者が他に居なかったから、と様々であるが‥‥。
 今日、UPCからやって来ている医師は、どちらかというと傾聴的な態度を崩さない医師であった。能力者相手の検診に限らず、診療時間が長くなりがちである事から、スタッフからは白い目で見られる事もあるが、当の本人は自分のペースを崩さない。
 関東にほど近い基地で軍医として勤めていた彼は、先日異動となり、LHへと訪れていた。
 彼自身も戦場から離れた所での診療は久しぶりで、それ故にどこか、澄んだものを感じていたのも事実だ。
 そこには、一人の女性、「しの」の影がある。
 大切な言葉を懸命に残した彼女。彼女に関わった事が、彼に決して小さく無い影響を与えていた。
 彼は、今日も耳を傾ける。
 彼等にとって、何が真実救いたり得るのか。その事を、考えながら。

●参加者一覧

地堂球基(ga1094
25歳・♂・ER
シーヴ・王(ga5638
19歳・♀・AA
崔 美鈴(gb3983
17歳・♀・PN
ドニー・レイド(gb4089
22歳・♂・JG
サンディ(gb4343
18歳・♀・AA
美具・ザム・ツバイ(gc0857
18歳・♀・GD
天空橋 雅(gc0864
20歳・♀・ER
不破 炬烏介(gc4206
18歳・♂・AA
追儺(gc5241
24歳・♂・PN
クローカ・ルイシコフ(gc7747
16歳・♂・ER

●リプレイ本文


 地堂球基(ga1094)は、ラムズデン・ブレナー(gz0465)が検査着姿で揚々と廊下を歩いている姿を目にした。
「‥‥爺さんも検診か?」
 ぽつと。遠くにその背を見つめながら呟く。彼自身も検診の為に此処に来ていたのだが、老人の姿に何故か胸が騒いだ。


 球基はこういった検診は嫌いではない。
 技術畑の人間の中でも彼は多くの者が見上げる程の長身の持ち主だが、その身体は華奢に過ぎると言って相違ないだろう。
 肉喰え、肉。
 そう言う者もいたが、まぁ、体質なので仕方ないだろうとも思う。
 能力者になり、無理は効くようになった。だが、その事が決して良い事ではない事を青年は知っている。
 掛り続けた負荷はいずれ、致命的な破綻として問題を生む。
「だからまぁ、欠かす事は出来ない、ってな」
 定期検診のこなれた流れ作業中のような茫とした感覚は、物思いに耽りがちになる。
 ――折角、宇宙が見える処まで来たしな。
 そこに長く在り、生のデータを得て、それらをフィードバックしていく事の価値は図りしれない。
 検診をこなす道すがら、彼は頭を掻いた。
「‥‥これぞ技術屋の本願てなとこだしな」

  ○

「よーす、爺さん。元気にしてるかー」
「おお、ホホ、ご覧の通りじゃよ」
 自分の声が廊下に響くのを感じながら、俺はすれ違いに言葉を投げた。胃の辺りを抑え、愛嬌のある顔を顰めている様子から事情を察する。
「難儀だなー」
「老いとは、そういうもんじゃよ」
 ホホ、と笑う爺さん。その知性と人格のバランスを、俺は心地よく感じた。この感情に名前をつけるのなら――尊敬だ。
「そいや、バグアの監視衛星のコードネームに『ヘラ』って名前がつけられたんだよなー」
「古今東西、その手の名称は尽きんのぅ」
 UPCらしいと爺さんは笑うが、俺はその名付けに不思議な縁のようなものを感じなくもなかった。
「結婚や母性、貞節を司りながら‥‥嫉妬が深い女神。ある意味似合い過ぎって奴だぜ」
「歳を取ると、そういう所も可愛く見えるもんじゃよ。嫉妬する女は、シットりしとると言うしのぅ!」
 ‥‥かわんねぇなぁ、爺さん。

 話は尽きないが、通りすがりの出来事だ。終わりは来る。
 だから俺は、予感を言葉にして‥‥それを聞いた。
 ショックが無かったとは言わない。ただ。
「そういう事か‥‥しょうがないよなぁ」
 そう、思う。
 俺自身も、技術屋で――科学者の一員だ。だから、こう言った。
「受け継ぐ遺志も、俺達にとっては血の繋がりみたいなもんだ。‥‥だからまぁ、変わって手を届かせてみせるよ」
 それが学問の徒としての言葉だと、通じただろうか。
「ホホ。ただ手を届かせるだけじゃ、足りぬじゃろう?」
 爺さんは、笑っていた。
 見透かされている感覚が心地良い。だから、自然と笑みが浮かんだ。
 悪く無い。まだ、別れの時というわけでもない。だから。
「じゃあ、またな」
「ウム。またの」
 そう言って、一時の別れを刻んだ。


「‥あ、と‥。どれ程、だ? 戦い、終わる頃‥‥か?」
 紡がれた言葉には、聞く者の心胆を冷やす程に感情が欠けていた。
 声の主は不破 炬烏介(gc4206)。バグア襲撃により今もその後遺症に身体を苛まれている一人の青年。
「‥‥解らない。僕に言える事は、無理は禁物だという事だけだよ」
「復元。は‥‥不可能‥か‥?」
「病状管理の面でいえば、脳そのものに著明に改善が見られる事は多分、無いよ。傷を負った部分を復元させるための治療法も、ね」
 そう言って、医師は小さく目を伏せた。
 彼の中では生きる事と戦う事は分ち難く結びついており、その戦意はバグアに連なる者にのみ向いている。その事を医師は問答の中で知っていたから、だ。
 その道行きに有るものは決して幸せな物ではない。だから、炬烏介の問いに、医師は空しさを覚えた。
「‥‥死。とは‥何だ‥‥それは‥怖い‥もの、か?」
「人によって、その意味は大きく異なるよ。‥それは多分、君自身が見つけなくちゃいけない事だ」
 ただ、医師はその空しさの影に期待の念も抱いていた。死を捉える事で生を意識する事が出来るかもしれない、と。
「そう、か」
 だが、祈りにも似たその想いは青年には届かない。だからただ、彼の生に幸あれ、と願わずにはいられなかった。

  ○

 死とは何だ。
 同じ問いにブレナーは笑みを深め、太い指をピンと立て、言った。
「なんじゃと思うかの?」
「‥ん、ムゥ」
 唐突な問いに意識が躓くが、僅かの後、青年は答えた。
「‥解らん。恐怖か‥憎悪、か‥或いは‥渇望‥と。未練‥か」
「そういう死に方ばかりを今まで目にして来たのかのぅ?」
「ム」
 老人の言葉には棘は無い。ただ、手を引くようにして、共に歩いている。
「‥そうかも。知れ‥ないが‥‥解らん」
 確証がない。何故なら、実感が出来ないからだ。それでも、老人はにこにこと問いを重ねる。
「なら、生きる事ってなんじゃろうの?」
「‥‥戦う、事」
「ホホー!」
 今度は澱み無く、零れた。
「では、ワシと話しているこれは‥死んでいるかのぅ?」
「‥死んで、ない」
「じゃあ、生きているかのぅ」
「‥ん、ム」
「お前さん、真面目じゃのぅ」
 呵々と大笑する老人を前に、炬烏介は言葉を無くした。
 この老人は、何を伝えようとしているのだろうか。
「‥‥博士。ヒト‥は、魂とは‥何だ?」
「ホホ、悩んどるのぅ。生も死も、魂も人生も、まー、複雑なもんじゃ。答えが数えきれん程にあるしのぅ」
 一杯の生を、一杯の死を、ヒトを。見れるだけ見るといい。老人はそう言って笑う。
 まるで、死ぬ事を恐れていないように。
「そうして、考えるんじゃよ。自分の答えは、自分で見つけるんじゃ」
「‥‥ん、ム」
 悩め悩めと老人は笑う。感情の無い炬烏介はその事に心を揺さぶられる事はなかったが‥‥考えに、耽った。


 そうして。悩んでいる間に、気付けば老人は次の検査に向かってしまっていたのだった。
「ム」
 呟きはただ廊下に響いて消えた。


「少し早く来過ぎたか」
 定期検診のために訪れた天空橋 雅(gc0864)の呟きが院内の廊下に響く中、彼女は手持ち無沙汰げに辺りを見渡し、そして‥‥彼を、見つけた。
「あの‥‥ラムズデン・ブレナー博士、でしょうか?」
「ホ? いかにもそうじゃが」
 老人は突然の言葉にも関わらず笑顔で応じた。その事に、雅の胸の裡の緊張が和らぐ。
 そうして、自己紹介の後。
 院内の休憩所、その一角で。科学というその一線で交わる二人の言葉が交わされた。

  ○

 いつもより言葉に熱が籠っている事が解る。
 しょうがないだろうとも思う。こうして高名な博士と言葉を交わす事が出来る機会は、望んでも得られない事の方が多い。
 特に今は戦時で。私は能力者で――傭兵だ。
 博士の身の上話の後は自然、私の番になっていた。博士の暖かい視線に引き出されるように言葉が生まれる。
「郷里には養親がいまして」
 軽く生い立ちに触れると、博士は表情を悲しげに歪めた。
「‥‥大変だったんじゃのぅ」
「私は幸せな方だと思います。養親も良くしてくれました。だから、彼らが元気なうちにと、そう思います。‥‥ただ、気になる事があるんです」
「ホ、なにかな?」
「私は、人生の大半をバグアと関わりながら過ごしてきました。バグアの居ない世を、私は実体験として持っていません」
 ただ、知っているのだ。その間に人類がどれだけの力を得て、どれだけの技術を得たのかを。
「だから‥‥私は、バグアが去った後、エミタや能力者。各種兵器が人類自身を傷つけあう、そんな世にはしたくない」
「その未来が怖いかの?」
「そうかも知れません。歴史を紐解いても、戦争は繰り返されていますから」
 博士が見抜いた通り、結局のところそういう事なんだろう。平和を知らない一科学者として私は、どうしても不安を感じる。
 でも。
「ホッホッホ!」
 博士は、そんな私の葛藤を見抜いた上で、笑ったのだった。
「ワシから言えるのはのぅ。ひとつ、平和というものを満喫してみると良いという事じゃよ」
「平和を、ですか」
「ウム。そうして、ゆっくり考えるんじゃ。何故戦争が起こり、無くならないのか。戦争と戦争の狭間の平和の中でのぅ」
「――無くなりませんか?」
「ワシらは探し求める者達じゃ。それを含めて、ワシからの宿題じゃよ、雅。答えはきっと、ある筈じゃ」
 博士は天井を見上げる。多分‥‥その先の、宇宙を見つめているのだろうと感じた。
 言葉に籠められた意味は、今の私では解らない。その事がどこか、悔しくて‥‥嬉しくて。
 ただ、予感だけがあった。私は多分、指針を得つつあるのだと。
「有意義な時間をありがとうございました。‥‥どうぞ、お大事に」
 折しも、時間だった。別れの言葉に籠った熱を博士は心地よさそうに受け止め、私は謝意と共にその場を後にした。
 学ぶべき事、やるべき事が一杯あると教えられた。到らない身だ、と。
 にも関わらず‥‥その足取りは、とても、軽かった。


「こんにちは、シーヴさん」
 僅かな間はきっと、シーヴ・王(ga5638)と同じ驚きを感じていたからだろう。
「世間は狭ぇっつーか、組織は狭ぇんですね。久しぶりでありやがるです」
「僕も驚いたよ。久しぶりだね」
「‥‥今日は宜しく頼みやがるです、先生」
 再会に、胸中に湧いたものが彼女の言葉を曇らせた事を彼は気付いただろうか。
「宜しく。さ、どうぞかけて」

  ○

 まさか、LHで先生に再会できるとは思わなかったです。
 ただ、胸の奥がじわりと滲んで‥‥どうしても”彼女”を思い出しやがります。
「先生」
「ん、どうかしたのかい」
「彼女――しのは、どうしてやがりますか?」
 先生の目がほんの僅かに見開かれ、次いで苦笑。
「‥‥気になるかな」
 守秘義務もありやがるでしょうが。でも、ずっと気になっていたコト、聞いてみてぇです。
「彼女は、もう?」
 シーヴの口調に籠められたものを、先生はどう受け取ったものか。
「――しのは、まだ存命だよ」
 ただ、と。先生は言いやがるです。
「眠っている事が、以前より多くなったと聞いている。状態が安定しているわけではないとも」
 今後の事に関しては、先生は触れねぇです。
 ただ、シーヴは‥‥最後の時まで安らかであれと。そう願わずにはいられねぇです。
「しのが命を削って残してくれやがったですから、守れたモン、取り返せたモンがありやがるです」
「うん」
「ソレを守り続けて行くのが、シーヴ達の仕事だと思ってやがるですよ」
「だからこそ、尊く、重たい仕事だ」
 ‥‥そうでありやがるですね。
「でも‥‥ふと思う事があるです。シーヴは、しのみてぇに生きられない」
「うん」
 死ぬ事になっても後悔が無いなんて、笑えねぇです。
「死ぬのは怖い。死にたくねぇです。‥‥傭兵を辞めてしまえば、穏やかな生活もあるのかもしれねぇです」
「それは、選べないんだね?」
 頷く。だって。
「支えてくれる家族は、守りたい。‥‥ただ、守りてぇモンが増えて、少し臆病になったのかも」
 心の裡に澱のように溜まっていた弱音。それが吐き出された事に少し、肩の荷が降りたように感じるです。
 ただ、先生が白衣の前で両手を合わせ、シーヴと目線を併せて笑んでるのがどこか気恥ずかしいですが。
「それが悪い事だとは僕は思わないよ。ただ、ね」
「ただ?」
「答えが出せる日まで、悩めば良いと僕は思う。君には近しい人達が居るのだから、どんな答えでも、いつか正解に至るさ」
 薬指のリングを見ながら言いやがる先生は、笑みを崩さねぇです。
「だから、それまで死なないようにだけ頑張ってくれると、僕は嬉しい」
 あんまり仕事をさせないでくれと冗談めかして言う先生に釣られて、笑ってしまいやがるです。
 だから。
「まずは自分を守れるよう、強くならねぇとですね。シーヴも、未来をのこしてぇですから」
「‥‥いつか。見舞いに行ってあげてくれ、きっと喜ぶよ」
 ただ、シーヴはそう言って‥‥先生の言葉に笑って。礼を一つ添えて、その場を後にしたです。


 定期検診が終わり、サンディ(gb4343)は茫と廊下を歩いていた。
 私服姿だ。ワンピースに重ねたパーカーのフードが、力なく揺れている。
「はー‥‥」
 暖房が効いた廊下に、溜息が零れた。
 でも、綯い交ぜになった感情は、思いもよらぬところで晴れる。思わず駆け出し、その背に声をかけた。
「ブレナーのおじいちゃんっ! こんなところで何してるの?」

 僅かの応答の後。怒声が響いた。

  ○

「だからあれほど健康には気をつけてって言ったでしょ!?」
「あれは嬉しかったのぅ」
「じゃなくて! 偏った食生活と運動不足は健康に悪いんだよ!?」
「ホッ! サンディは元気そうでグッドじゃ!」
 むぅぅ。私、結構本気で怒っているんだけどおじいちゃんはなんだか嬉しそうに頭とお腹を撫でるばかりだ。ただ、彼は沁み沁みとこう続けた。
「心配してくれて、ありがとうのぅ」
「‥‥解ったらいいんだけど。気をつけてよ?」
 大好きだから、長生きしてほしいんだ。
「ウム、ウム」
 ぷりちぃにウィンクをしながら頷くおじいちゃんを見ていると、なんだか落ち着いてくる。
 ‥‥おじいちゃんになら、相談できるかもしれない。そう思えるくらいに。
「‥‥ね。時間とか、大丈夫?」

  ○

 温泉に行った事、キスをした事、それからの不調‥‥全部、話した。
「フム、フム」
 おじいちゃんが幸せそうにしながらも真剣に話を聞いてくれるから、気恥ずかしいけど、最後まで話す事が出来た。
「おじいちゃん、私‥‥どうすればいいのかな?」
 辛いんじゃない。嬉しいんだ。でも、解らなくて。
「ホホ‥‥どれサンディ、目を閉じてごらん。一つ、クイズゲームをしようか」
 ん?
 言われた通り、目を瞑る。
「お前さんは今、あの温泉地におる。プリチーじゃのぅ。さて、その隣にはなんと! 憧れのあの人じゃ。そうしてお前さん達は、チッスをする」
 あの時の想いが蘇る。瞬間に閃いて、言葉になる前に、熱だけを残して‥‥消えたもの。
「そこじゃ!」
「え?」
「‥‥お前さん達はそれに、うっかり名前をつけ忘れてしまったみたいじゃ。その名前が、解るかの?」
「‥‥ううん」
「ホホ! 名前をつけてごらん、サンディ。学問に限らず、何もかもそこから始まるんじゃ」
 ぼふ、と。大きくて暖かい手のひらが頭を撫でたのを感じて目を開くと、検査の時間だと言ってひらひらと手を振るおじいちゃんの姿が目に飛び込んでくる。
「え、あ」
「またの、サンディ! 今日答えられなかった罰じゃ、結果がでたらワシに教えるんじゃよ」
「えっ! う、うん。ありがとう」
 おじいちゃんが背を向け、離れて行く。私は急いで、その背に言葉を投げた。

 もうすぐ、私達が世界を平和にしてみせるから、そしたら一緒に、宇宙に行こう、って。
 だから、もっと沢山長生きしてね、って。

 おじいちゃんはそれに、背中越しに親指を立てて答えてくれた。

 どうなるかは、まだ解らない。でも‥‥約束だよ。
 また、会おうね、おじいちゃん。


 平素は軍医として戦場に立つ事が多い医師だが、彼が目にする患者は軍人だけではない。
 だから、と言っても良いかもしれない。診療の中で予感を抱く事は‥‥奇妙な言い草になるが稀によく有る事だ。
「ねぇ先生、最近は彼ね、私を見ると凄い勢いで逃げちゃうの」
「逃げてしまう?」
 逃げちゃうの、って。
 開口一番、彼氏と一緒に来たかったなぁ、とぼやく少女――崔 美鈴(gb3983)を前にして、医師は職能人として対応し、相応のものになっていく。
「うん。私達も付き合い始めて長いし、職場恋愛だからこれ以上有名になっちゃまずいって解ってるんだけど‥‥ちょっと、寂しいな」
「寂しいんだね。その事が何か、自分に影響したりはしているように感じたりは?」
 医師の言葉に、美鈴は恥じらいに頬を染めた。
「‥特にないかな。今は、彼と一緒に仕事が出来ているから幸せの方が大きいの」
「――そう。それは良かった」
「だけど、幸せだから際立つっていうか。だから私、こっそり手紙送ったんだよ。‥‥でも、返事が無くて」
 来た、と。医師は感じた。それを聞き出すのも医師の仕事ではあるのだが、この瞬間は、決して専門ではない彼にとっても緊張を孕むものになる。

「きっと、私達に嫉妬した誰かが‥‥手紙をポストから抜いたのよ!」
 あの女かしらと歯を軋ませる少女を前に、『彼』の部屋のポストなのか、郵便ポストなのかは医師は敢えて聞かない。
 否定も肯定もしない。ただ、こう言うのだ。
「崔さんはそう考えているんだね」

  ○

「彼は私が守るのよ。だから、念入りに調整しなくちゃ」
「大事な事だ」
「それに‥‥守るためにはどんな時でも一緒にいないとダメなの」
「なんでそう思うのかな?」
「だって」
 脳裏を過る影が、思い出を陰らせていく。今はもういない、大事だった人達がよぎる。
 喰らい尽くされた故郷の家族。親戚。友達。
「私が知らないところで大事な人が死んじゃうのは、嫌だから」
「――そうか。大変だったんだね」
「んー」
 大変だったかな。何だかもう、昔の事はよく思い出せない事の方が多い。
 それでも良いよね。私はもう、一番大事なひとを見つけたんだから。
「私は、幸せになるの‥‥あの人と一緒に。そのためだったら私、何でもする」
 難しい事だよ、と。先生は言う。
 知っている。障害は一杯ある。バグアもそう。それ以外も、そう。
「うん‥‥ねぇ、先生、職場恋愛って難しいよね、上手くいく秘訣ってあるのかな?」
「んー‥‥僕は、病気の事は解るけど、恋愛事は不得手でね」
「あー。ぽいよねー」
「でも、君の状況に詳しい人には、心当たりがあるけどね。今度、二人で行ってみたらどうかな」
 二人で。その言葉がとても気にいった。
「‥‥うん」
 吐息を抑えきれず、言う。兵舎前に行けば、会えるかな。

 あー。幸せ。


「‥‥大きいな」
 筋肉質ではあるが、成人男性としてはやや小柄な部類に入る追儺(gc5241)にとっては、ブレナーの体躯は縦横ともに巨漢と言って差し支えないだろう。
「おかげで、このザマじゃよ」
 トホホ、と肩を落とす老人の傍らには、何やら透明な容器に包まれた多量の飲料物がある。先程から老人は、鈍い顔をしながらそれを呑み続けていた。
「追儺といったかのぉ、これ、代わりに飲んでくれんかのぅ‥‥」
「‥‥や、自分で飲むべきだと思うが」
 そうじゃのぅ、と言って消沈している老人が、世界的に高名なブレナー博士だとは思い難い事が、なんとなく青年にとってはやりきれなかった。

  ○

 少し、話しを聞いて行くか。どうせ、退屈な検診の道すがらだしな。
 いつまでも‥‥空を、宇宙を夢見続けたと言うところは、嫌いじゃない。
 俺も、空は嫌いじゃないから、な。
 だから、気になった。俺達が守っている空。取り戻そうとしている空は。
「今の空とは、やはり違うか?」
 言葉に、ブレナー博士は昔を懐かしむように、遠くを見た。
「ワシが最初に飛んでいたのは、戦時の空じゃった」
 そうして沢山の死線をくぐり、漸く人類が手にした平和の空を飛んだのだという彼の目には、哀惜に近い色が籠められている。
 無論、単純に平和だったとは言わないが、それでも、戦時に比べれば澄んだ空を飛べたのだと言う。
「まぁ、今と比べれば紙飛行機みたいな物だったがのぅ!」
 ただ、それでも。そこで見たものにブレナー博士は囚われたのだから。
「良い空だったんだろうな」
「ホホ、お前さん達も、見る事が出来るソラではあるが」
 ――そこを拓いて行く感覚があの頃はあったからのぅ。
「そうして、宇宙に届いた、か」
「‥‥ウム」
 聞きながら、その表情には先程の哀惜の色が再度浮かぶのを俺は見た。その先には別れがあり、漸く彼自身が宇宙に携われた以降には。
 ――バグアに宇宙を抑えられて、資金繰りのせいで同志が消えて。それでも研究を続けたんだったな。
 その環境は想像するに容易い。俺達が仲間達を失っていく場合と重なるものがある。孤立ではなく、喪失の痛みだ。
「まだ、宇宙へと行きたいか?」
「それは、のぅ。じゃがまぁ、ソラに上がる事が出来る艦は増え、出来る事はかつては絵空事に過ぎなかった事ばかりじゃ」
 ――この夢の入り口に、ワシはおるんじゃ、と。
 博士は本当に嬉しそうに言う。
 きっと、博士の笑みの根底には、次代に対する期待があるのだろう。だから‥‥博士を安心させるように、言った。
「‥‥空は。宇宙は、俺達が取り戻してくる。そして、その想いは俺達が継ぎ、果てを見てくるよ。だから、あんたは安心してくれていい」
 ――次は、俺達がそれを継ぎ、実現する番だ。
「ありがとのぅ‥‥じゃが」
 そう言って、空を見上げた。ただ。傍らに手にした透明な容器が、ついと揺れる。
「今は、これを飲まなくてはのぅ」
「‥それは、変われないな」
「むぅ‥‥」


 ドニー・レイド(gb4089)は、仄明るい照明が包む廊下を歩いていた。清潔感のある造りのそこに、馴染みある人影が揺れている事に気づき、青年は驚きの声をあげた。
「博士? お久しぶりです、先日はどうも!」
「おお、ドニー!」
「博士は、なぜ此処に?」
「ブレストの奴が身体を調べろとうるさくてのぅ」
 大きな目をよよ、と潤ませるようにして言うブレナーに、青年はどこか、心が透き通っていくような心地を覚えた。
 最近は心の余裕が徐々に損なわれている自覚があった。うまく笑えていないな、とも。
 でも‥‥多分、今、自分は笑っているのだ、と。彼はそう感じた。

  ○

 博士のその後を聞いたのだが、まさかバグアに攫われそうになっていたとまでは想像もしていなかった。
「‥ご無事で、何よりです」
「ホホ、傭兵の皆が助けてくれたおかげじゃのぅ」
 はち切れんばかりの検査着を叩きながら言う博士の姿が俺にはどこか不吉な予感を伴って見えるが、それを振り切って言葉を続ける。
「俺の方は、あれから実際に、上にあがる機会もありました」
「無事でなによりじゃ。宇宙も味わえた様じゃし、一石二鳥じゃのぅ!」
 宇宙にあがった事を羨むよりもまず、俺の安全を喜ぶあたりが彼らしい。
「‥‥しかし、正直、あそこを戦場にするのはいい気分はしない」
 言葉に、確かにのぅ、とブレナーは笑う。
「ワシらの本懐は、ただ上がる事だけじゃないからのぅ?」
 何気なく添えられた言葉が面映く感じながらも‥‥俺はやはり、どうしても聞いておきたかった。
 何故、あの博士が未だに宇宙にあがっていないのか。それは不吉な確信を抱かせるには、十分なもので。

  ○

 心臓と、そこに連なる血管が特に良くないそうだ、と。博士は言った。
「‥‥そんな」
「この身体で、この歳じゃしのぅ」
 理不尽に過ぎる。強くそう思った。
 だって、そうだろう。
 多くの人間が――傭兵であるだけの俺が宇宙にあがれるようになった。なのに誰よりもそれを望んだ人が一度も行けないなんて。
「俺は‥‥出来れば、貴方と共にあの場所に立ちたい。瞬かぬ星を貴方と共に見てみたいです」
「‥‥ドニー」
「敵は、俺達が引き受けます。だから‥‥だから貴方は、貴方の夢を」
「ドニー、聞くんじゃ」
 それは、博士にしては強い口調で。
「ワシら学者は、長きに渡る時間の中で生かされておる」
 でも、その表情は言葉を呑む程に優しかった。
「過去に学び、現代を紐解き、未来に託す。誰も彼も、そうやって生きて来たんじゃ」
「‥‥」
 俺自身がそのつもりでこの検診に望んでいたから、博士の言葉の意味がよく解った。
「ワシは幸せじゃよ。誇るべき次代がいる。少なくともワシは、その事を知っておる」
 のぅ、ドニー。そう言って笑った博士の声に、俺は想いが詰まり、言葉をなくした。

 ただ、それでも。
 柔らかい笑い声が響く中、継ごう、と思った。
 願わくば、この宇宙と――時代の果てまで、ずっと。


 これは、ある待合室での会話だ。
 ブレナー・ラムズデン博士と、傭兵の少女――美具・ザム・ツバイ(gc0857)の会話。
 陽気な老人と、時代がかった口調の少女は、他愛無い挨拶と雑談に始まり――次の言葉で終着する。
「‥‥失礼を承知で聞くが、博士に取って死とは何であるかや?」
「死、のぅ」
 老人は病気を抱えていると言った。少女は口調に比して若い。それでも、戦争で妹を亡くした経緯がある。
 以来、彼女だけじゃなく、他の姉妹にとっても重くのしかかっていた。だから‥‥誰かに、聞いておきたかった。
「そうじゃのぅ、ワシみたいな学者にとっては死とは、礎になる事に近しい」
「‥‥礎」
 老人は、誰かを想うような優しい表情で言う。
「歴史の中でワシらは生きておる。もっと知りたいと願う一方で、ワシらはそれを誰かに託す事が出来る」
 歳を取ると、そういった者達こそが財だと思うのだ、と。老人は言った。
 その言葉は、美具の胸にどう響いたか。ただ、こう言った。
「‥‥礼を言う」


  ○

 通された診察室には男性医師と、女性看護師が一人ずつおった。
「兎角、調子が悪い。酸っぱい物が食べたくなり、吐き気が止まぬ」
「‥‥ふむ」
「手っ取り早く治療を頼むのじゃ」
 さっさと治したい所だが、独力で治すにも迂遠に過ぎるのが見えておるしの。
「じゃあ、幾つか質問してもいいかな?」
「うむ」
 医師が質問を重ね、一つ一つ答えていく。暫くして。
「君は、今回の吐き気に関して、どのように考えているかな?」
「原因とか、かや?」
「うん」
「第一に、エミタの不調じゃな」
「ふむ‥‥確かに、覚醒の際に不調を訴えたり、故障だったりで不調を訴える人はいるね。心当たりはある?」
 うーむ‥‥重体になる事も稀じゃし、のぅ。覚醒そのものに吐き気が相関しているわけでもない。
「いや、無いのぅ。乱雑に扱っているわけでもない」
「それに関しては、後で調べようか。他にはあるかな?」
「あー」
 何となく。次に思いついていたものは、飛ばしておく。
 ――あの者の子じゃと?
 冷や汗が滲む。素直には頷きたくないのじゃ。
「‥‥ストレス、じゃな。姉妹が多くそれ故に負担も大きい。姉妹からも仕事は減らせと言われているんじゃが、こればかりはな」
「自分ではどうかな。ストレスとして意識したりは?」
「多忙ではあるが‥‥」
「なるほど。此処からは少し、込みいった事を尋ねるけど」
「‥‥何じゃ」
「最後の月経は、いつ?」
 考えたくはないが、疑う程度にはよろしくない。
 ぬぬ、と冷や汗が滲むのを感じていると、医師の言葉が続いた。
「君は戦っている身だ。妊娠の有無を確認しておけば身の振り方も定まるし、さ。――どうかな」
 ――事情は知らないけど、君にとって一番良いと思う選択をした方がいいよ。
 そう言った医師の言葉に肚を括るしか無いのじゃと悟ると、不意に心が凪いだ。
「‥‥頼む」

  ○

「ん、妊娠反応も出ていないし、エコーでも異常なし。エミタも問題なく機能しているみたいだ」
 その他検査結果からも最終的に多忙故に乱れに乱れた生活によるもの『かもしれない』、という事で一応の結論がでた。対症的な薬の処方の末、異常があれば再度来院するように言い含められたのじゃが。
「‥‥能力者と言えども、人の子なんじゃな」
「はは。これに懲りたら、少しは身体は労るんだよ」
「‥‥うむ」
 あの者の影がちらついたが、兎角、何事も無かった事を安堵し、美具は息を吐いたのじゃった。


 人類が宇宙までの道筋を刻むまでに多くの血が流れた事は、少なく無い人間が知っている。
 クローカ・ルイシコフ(gc7747)はそれを間近で見て来た者の一人だ。
 少年は、ソラの彼方に自由を見ていた。そうして、そこで沢山の血を見た。
 彼にとって同志と言える者達の失態もあった。目の前で散った命もあった。‥‥それでも、ソラへの足掛りを得る為に、誰も彼もが全力を尽くしたのだ。
 少年の目の前にいる老人も、その一人なのだと彼は知っていたから少年はそれを讃え、老人もまた、少年の尽力を労った。
 互いにとって、その道筋は決して後悔無きものとは言えないが、それでも、彼等は夫々が何を果たしたかを確りと解っていた。
 だから、だろうか。
「そう‥‥あんまり、長く無いんだね」
「ホホ、多分のぅ」
 宇宙にあがれないという老人に、少年は過度の同情を抱かなかった。
 自由の無いソラに自由の架け橋を築く事を、自由を渇望してきた少年は当然の事とは思えない。
 むしろ幸運な事だとすら、思うのだ。だって、ブレナーは今‥‥笑っているのだから。
「‥‥あなたが開いた宇宙への道を、僕達が見てこよう」
 ――見てて、きっと失望させないから。
 少年の言葉に、老人はただ、楽しげに笑った。

  ○

 ここでの検診は、かつての無機質な物とは違って丁寧なものだと感じた。
「右腕は、問題ないかい?」
「‥‥うん、不思議と、よく動いているよ」
 傷だらけでズタズタの右腕は、エミタを移植して以来滑らかに動いている。
 関節の可動性や夫々の筋力を確認しながら、医師は異常なしと言って笑った。
 その事は有り難くもあり‥‥怖くもある。
 死ぬな、と。エミタはそれを強制しているように思うからだ。
 兵を死なせない。そうして、戦場に送り出す構図は、僕は幼い時から目にして来ていた。
「何か他に、気になる事はあるかな?」
「‥‥ううん、大丈夫だよ」
「そうか、お大事に」
「ありがと」
 短く言葉を交わし、僕はそこを後にする。

 ゆっくりと歩んでいく。仄明るい廊下を抜けると、ホールにでて、最後には、玄関を抜け星空に覆われた夜天に届く。
 星空を見ながら、思うんだ。
 無理矢理に生かされた。戦場から離れたかったけど、救われた代償に僕はそこに囚われた。
 いつからだろう。苦しみの中でも、生きようと足掻くようになったのは。
 遠くにはぼんやりと遠くに瞬く光達。僕はそこに自由を見ている。
 傭兵の暮らしは危険なだけじゃない。その中で、生かされた代わりに捨てた物を、今、僕は探している。
 でも。
 捨てずに残ったものしか、今は無いんだ。そう感じる。
 兵士として、駒としての僕以外なんて‥‥今はまだ、どこにも無い。
「‥‥変わりたいよ」
 こう思えるようになった今だからこそ、余計に、過去に縛られている事が辛く感じる。
 ――変わりたい。

 博士と彼に契った、あの先に‥‥道があるだろうか。
 ぼんやりと遠くに見える光。僕はそれを‥‥探してる。