タイトル:【QA】黄昏の境界線マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/01/22 06:26

●オープニング本文



 ジョン・ブレスト(gz0025)は、老人――ラムズデン・ブレナー(gz0465)から手渡された検査結果に目を通していた。僅か一人分の検査結果だ。項目こそ多いが情報としての密度は彼にとって取るに足らないもの。
 それにも関わらず、彼の目線はゆっくりと、そして幾度も紙面上をなぞっていく。
 時間としては僅かだったが、それを確認し終えたブレストは深く息を吐いた。膿んだ感傷を吐き出すような、重い吐息。
 その様を見届けた老人は愛嬌のある顔立ちに苦笑を浮かべ、言った。
「のぅ」
「‥‥何ですか」
「ちゃんと身体を労るんじゃよ?」
 手にはデスクの上に投げ捨てられていた、医師からの催促の手紙。
「――――」
 言葉に、ブレストは感傷を呑み込んだ。老人の小気味よい口調の影に籠められた感情を感じての事だった。ブレストは硬く瞑った両の目をほぐしながら、言った。
「‥‥そうも言っていられませんよ」


 いつだってそうだった。やるべき事は山積みで、それでもバグアに届く保証はどこにもない。
 快進撃は続いているが、それがいつ潰えてもおかしくない。潰えた先にあるのは、事実上の人類の滅亡だ。
 北米戦線の中枢であるオタワを一瞬にして抑え、今なお分裂体を繰り出す事で圧力をかけ続けるユダとエアマーニェ一派の動きを見る限り、楽観視を厭う性質のブレストはその事を意識せずにはいられない。
 ブレストは現在、現地で根気強く交渉を続けるオリムの要請もあり、種別を問わずユダ分裂体の動向を初めとして多岐に渡ってバグア側の情報を収拾、解析している最中だった。それらの情報がバグアの弱みである必要は無い。ただ、交渉という名の降伏勧告を行っているバグア――エアマーニェ達の内情や実態を可能な限り知っておく事を、そのテーブルについているオリムは望んだ。
 通信の最中、言葉を武器に交わす相手としては温い部類だとバグア側の使者を鼻で笑う女傑だが、それでもブレスト達に要請を出す辺りに旗色の悪さは伺い知れ、宇宙への侵攻を前に詰み上がった種々のタスクをこなしながらもブレストは光明足り得る要素を見出すべく解析やプランニングにあたっていた。
 だが。
 ユダという、最凶の一点を突き崩す手段――その足掛りすらも、全く掴めない。砲艦外交を強いられている現状を打破する上でも、今後の戦略展開を考慮する上でも必要なプロセスだと言うのに、だ。所在が掴め、かつ移動の妨害が可能でなければ祈念によるアプローチが出来ない以上、他の手段を講じる必要があるのだが‥‥。
 あらゆるものが、壁となって立ちはだかっていた。
 そういう鬱屈と負荷が、ブレストに幾度目かの不眠の生活を強いていた。


「フム‥‥」
 ブレナーは、困憊の色を示すブレストの言葉を前に太い腕を組み、僅かに唸る。
 思索に耽っていたのは、然程長い時間ではない。ただ、ブレナーは一言、こういった。
「のぅ、ブレスト。ユダの分裂体の目撃データを持って帰ってもいいかのぅ?」
「‥‥ええ。コピーを用意させましょう」
 しかし、何を?
 訝しげに問いかけるブレストを前に、ブレナーは丸い顔に得意げな表情を浮かべた。それは、いつもと変わらず稚気に富んだ笑顔で。
 ――それは、遠くない未来に失われるものなのだと思い至ると、言い表し難い感傷が胸中に滲む。
「ホッホッホ! 少しばかり、レディーに悪戯をしてこようと思ってのぅ」
 ブレストの感傷を他所に、その老人は事も無げにそう言って、笑った。


 ブレナーが何を企んでるかを聞いた施設付きの助手は、思わず悲鳴をあげた。
「‥‥マジですか!」
『ウム! 今からぷりちぃな傭兵達と向かうから、準備をしておいてくれるかのぅ』
 まだ依頼にも出していない段階では誰が依頼を受けて同行するかは解っていない筈だが、老人は朗らかにそう言い切る。
 齢八十を越える老人にとっては、殆どの傭兵がぷりちぃと言えるのかもしれないが、今宵のブレナーは幾分以上に上機嫌だった。
 だが、その事が何の慰めになるでもないと、まだ年若い助手は思う。博士の事は尊敬しているし敬愛もしているが‥‥。
「え、や、無理ですよっ」
『ホホ、なぁに、お前さんの知っている通り、その施設は応用が利くからのぅ! お前さんなら出来る!』
「や、そうじゃなくてですねっ」
 その時はじめて、受話器を握っているブレナーは助手の声が平素より遥かに小さく発されている事に気付いた。
『‥‥まさかと思うが、の』
「ははは、そのまさかですよ、博士!」
『‥‥おぉ』
 渇いた助手の声に、ブレナーは堪えきれず溜息を零した。
 ブレナーが私財を投げ打ち建設したその天文台は、度々災難に巻き込まれていた。
 去年だけでも、幾度目かのキメラ被害に続き、ブレナーを誘拐すべくバグアが現れ‥‥。
 新年が明けて、まだ間もないというにも関わらず。
『‥‥受難は、続くのぅ』
「そうですねぇ‥‥」
 極めつけは、ユダ。分裂体である事は不幸中の幸いと言えたかもしれないが‥‥老若共に、深い溜息が響いた。

●参加者一覧

白鐘剣一郎(ga0184
24歳・♂・AA
地堂球基(ga1094
25歳・♂・ER
鷹代 由稀(ga1601
27歳・♀・JG
時雨・奏(ga4779
25歳・♂・PN
シーヴ・王(ga5638
19歳・♀・AA
時枝・悠(ga8810
19歳・♀・AA
霧島 和哉(gb1893
14歳・♂・HD
サンディ(gb4343
18歳・♀・AA

●リプレイ本文

●とある女傭兵の質問

「ブレナー博士の人気の秘密を答えなさい。
 1.頭脳
 2.腹
 3.駄洒落」

「‥‥答え、ある?」
「駄洒落はねぇですね」
「ないな」「あれはあかんわ」「おじいちゃん、面白いと思うけど‥‥」「流石に、それはな」
「‥‥まぁ、4.人格、とか。その辺じゃないか、とは」
 ――割と、本気で。


 北米は西海岸、ロサンゼルス近郊。傭兵達が車を走らせるそこは、冬とは思えない程に暖かい陽射しが注いでいる。
 それはエアマーニェ達が放ったユダ分裂体の所為で張り詰めた空気を包み込み、溶かすような優しさを含んだ、西海岸特有の気候。
 車中、窓から景色を眺めては上機嫌でいるラムズデン・ブレナー(gz0465)博士が此処に天文台を構えた理由はその気候にもあるのかもしれない。
 霧島 和哉(gb1893)はその音を背に先行しながら、そんなことを思った。
 長閑な空気は、極北の地獄とは違ってどこまでもおおらかなもの。それはブレナーの人柄に通じるものもあるように感じられていた。

 多くの傭兵がそうであるように、霧島もブレナーの容態については知っている。その上で、斯様にもぶれることのないブレナーの生き様は、霧島にとって好ましい。
 この感慨を言葉にするのは彼自身にしても難しい、が。
「‥‥楽しい事は‥‥好き、だよ」
 それで十分だ、と。少年は笑った。淡い、消え入りそうな笑みで。
 彼は今、三台からなる車群から先行している。その最中で少年が口ずさむ愉しげな音の連なりは、AU−KVの爆音に呑まれて、消えていった。

 見上げれば、ソラは青々として、果てしなく続いている。
 かつてはその彼方を見通すために足を運んだ天文台へ、今再び――往く。


 霧島以外の傭兵達は、三台のジーザリオに分乗する形で移動している。
 大きく遅れる形で、白鐘剣一郎(ga0184)、時雨 奏(ga4779)。
 次いで地堂球基(ga1094)、サンディ(gb4343)、ブレナー博士。
 そして、最後尾から、時枝・悠(ga8810)、シーヴ・王(ga5638)、鷹代 由稀(ga1601)。
 車群は、駆動音を山中に響かせながら進んでいる。
 穏やかな山中には似つかわしくない無骨なジーザリオ達は、ゆるやかに。

 その、最後尾。
『‥‥前方、ここまでは‥‥異常なし、だよ』
「了解。後方も異常なし」
 先行する霧島からの報告を聞きながら、由稀。彼女は後方の警戒を広く受け持っていた。
 ユダの分裂体がうろついているという。人型とはいえ慣性制御で空を舞う事すら出来る異形が相手だったから、全方位を警戒する必要があった。
 だが‥‥敵の気配も感じられない現状‥‥実に長閑で、絶好のキャンプ日和。
 運転する悠にとっては、幾度目かになる山道だ。
 反復する風景はかつてと比べ色合いを変じているが、最早慣れた道行きである。シーヴから車両を預かったからと運転に気を使いながら、つと、言葉を零した。
「前の車両、賑やかだね」
「‥‥そうでありやがるですね」
 シーヴが笑みに似た色を言葉にのせて応じた。
 球基の運転が乱れている訳ではないが、人一倍大きな人影が車両ごと揺らしては、笑い声が響く。遊んでいる訳ではないのだろうが、遠目には楽しげに見えた。
 どこに敵が潜んでいるか解らないにも関わらず、崩れぬ陽気。
 ――信頼してくれていやがるんですかね。
 それがシーヴ達自身が積み上げて来たものか、老人自身の性質かは解らないが、シーヴはそう思う。
「なんつーか、いつまでも少年の心を持つ大人ってのは、爺ぃみてぇな大人なんじゃねぇかと思うです」
 ――見習うべきかどうかは別にして、とシーヴが付け加えると、由稀も悠も小さく笑った。山間に小さく咲いた野花のような、穏やかな気配が車内に滲む。
「爺ぃが何をしてぇのかはよく分からねぇですが、悪戯は楽しそう?」
「‥‥まぁなぁ。なんか振り回されているだけな気もするけど」
「でも、面白そうじゃない?」
 面倒くさげに言う悠に対して、由稀は後方を見据えながら言う。
 北米のこの現状。安定も安全も無い。にも関わらず、あの老人が敢えてこの時勢に打とうとする一手だ。
「派手な事に、なりそうだしさ」
 後方を警戒し、背を向けながらの言葉だったが、伝わるものはあっただろう。
 何かにつけ振り回されたり、ままならない事が多い。平素は諦めに似た灰色な感情か、徹底した無関心を抱く事が多い彼女が今、笑っている。
「それはそうだけど」
 言葉に、悠は嘆息と共に言いながら――それを見て、アクセルを踏込んだ。

 瞬後。
 先行する霧島が、目を灼くかの如き光条に呑まれた。
 音は遅れて響く。大気を焦がす鈍い音と、発射の快音。
「来やがったみてぇですね」
「ふぅ‥‥博士、無駄に人気なんだよな」
 誰に、とは敢えて言わないが。
 小さな吐息が、彼女達にとって戦闘開始の合図だった。


 少し遡る。
「なんや、存外快適やな‥‥あ。ヤニ吸ってええ?」
「ああ、構わない」
 車の持ち主であり、ハンドルを握る白鐘と対象的に、奏はマイペースを崩さない。窓をあけ、車内に匂いがつかぬように、一服。
 片手には双眼鏡を持ち、運転する白鐘の分も警戒。言葉遣いや洒脱な雰囲気とは対称的に、やる事はこなす。
「さて‥‥天文台に大分近づいたが」
「来えへんなぁ。なんや、デマってことは無いと思うねんけど‥‥お?」
 双眼鏡越しに、奏が言葉をあげたと同時。
 白鐘の視界の中で、霧島が片手を上げ、ある一点を指差す。
 白鐘がそれを辿った刹那、それと完全に一致する軌跡に光が生まれ、少年が呑まれた。
 霧島の安否は気にしない。今は急ぎ、敵を排除するまで。
 アクセルを踏みジーザリオを加速させながら、白鐘は現状を整理する。
 十分に警戒をしていたが、発見と被弾がほぼ同時。その意味は‥‥。
「先行したか、元々いたのかは解らんが‥‥待ち伏せられていたな」
 言葉の意味に気づき、奏は天を仰いだ。
 西海岸の、長閑で心地よい陽射しが迎えるが――そこは既に、戦場で。
「‥‥あー。エンジン音、たてすぎてたかもしれへんなぁ」
 静かな山中で目立ち過ぎたか。とはいえ、今更ごちても仕方がない。
「ええい、行こか!」
「ああ。迎え撃とう」


「お、おおっ?! 始まったかの!!」
 それまでの楽しげな歓談とは一転して、ブレナーは鼻息も荒く狭い車内でベストポジションを探してモニョモニョと動く。
「落ち着けって爺さん、血圧あがるぜ?」
 運転する球基の言葉は眼前の光景に心を奪われているブレナーには届かない。
 ――まぁ、そうだよなぁ。
 それなりの付き合いとなった球基はその様子に呆れ、苦笑する。
(また天文台に‥‥やっぱり、おじいちゃんを狙っているんだ)
 サンディも敵――ユダ分裂体がいる場所を見据えながら考えに耽っていた。
 人里から離れた場所にあるあの天文台で、ブレナーは幾つもの事件に巻き込まれている。
 分裂体は色々な所へと散っている。だから、此処にいることは偶然かもしれないが、それでも。
 偶然じゃない場合が――怖い。
「大丈夫だよ、おじいちゃんは絶対に私が守るから。だから、安心して」
 だから、強くそう言って。頷いた。
 その様子に、ブレナーは感じる所があったのだろう。満面の笑みを浮かべる。
「そうじゃのぅ! では、心ゆくまで若者達のナイスファイトを」
「あ、俺達はこのまま天文台に急ぐぜ?」
 元々、そういう段取りであった。
「なん‥‥じゃと‥‥」
 老人が零した声は、瞬時に萎れていたが、速度を緩めた球基達のジーザリオの脇を追い抜く姿に、ブレナーは腕を振り上げ、再度声をあげた。
「ふぉぉ! ワシの無念を晴らしておくれー!!」
 まっすぐに敵を見据えるシーヴ。
 騒がしい声に溜息を零す悠。
 後部座席から、ウィンクと共に手を軽く振る由稀。
 見送る声は、山間に響いて、消えた。


 長距離、山中からの狙撃。傭兵達は距離を詰める必要があった。
 最前を行くのは――狙撃された筈の霧島。
 射撃と閃光にバランスは崩したが、それさえ建て直してしまいさえすれば、少年にとってはそれだけの事だ。
 痛みはある。熱もある。それでも退く理由にはならない。
 バハムートの加速に伴い、氷霧の幻影が軌跡をなぞるように後を曳く。
「‥‥敵、二体。大きさは、成人男性、くらい‥‥だね。これ以上の、伏兵は‥‥いなそう?」
 距離、方角は解っているだろうと省き、無線に告げる。
 加速するバイクに、砲音が連なる。山中にいる分裂体は、砲撃にも関わらず高速で迫る霧島を強敵と見定め、狙いを固めたようだ。
 ――上出来、だね。
 笑みと同時、旋律を口ずさむ。拙いそれは、砲声にかき消されはするが絶える事はない。
 麓まで至ると鋼の騎龍を着装。急な勾配、山中の樹々が火焔をあげる事無く焦げて行く中を、砲撃に晒されながら地を踏みしめ、往く。
 距離100。携えた銃の射程に届くと、銃撃戦の様相を呈した。
 霧島にとって力とは、滅ぼすために振るうもの。吐き出される銃弾も、己を包む装甲も、等しく。
 突出した戦場で、霧島は派手に立ち回る。どれだけ砲火を見舞われようとも、霧島のバハムートは砕けない。
 人類にとって最凶の敵、ユダの姿をした相手に知性があるかは解らないが――執拗にプロトン砲を打ち続ける現状は、目論み通りと言って良かった。
「‥‥滅ぼしてあげる、よ」
 楽しい道行きを邪魔する無粋な絶望如き、と。霧島が言葉にした刹那。
 霧島の眼前で爆音と衝撃が生まれ――分裂体が、弾かれるようにその身を傾がせた。


 銃撃は、先程の意趣返しとばかりに放たれた狙撃の一撃。地面に設置された由稀の対物ライフルの銃口が日光を返した。
 ジーザリオの荷台にはその長大な銃身を設置する事は叶わなかったが、たいして差異は無い。
 もう一射。能力者だからこそ扱える馬鹿げた火力が吐き出されると、分裂体のうち一体が由稀へと砲口を向けた。
「‥‥あなたも不幸ね」
 金銀に瞳を輝かせる由稀は怖じる事なく言う。
 由稀の傍らに止められたジーザリオ二台は、いずれも藻抜けの空。
「私達に噛みつくなんて」
 先手を打った筈の分裂体は、霧島の陽動にまんまと釣られ、固執し――そして今、狩られる側にまわっている。

 分裂体がその存在を知覚した時には既に、白鐘、悠、シーヴ、奏の四人が、和哉の立ち回りと由稀の射撃に目を奪われていた分裂体達の至近へと至っている。
 初手、横合いから悠が構えた赤色のオルタナティブMを掃射。
 吐き出された弾丸に籠められた威力は如何なるものか、分裂体の有機的な装甲が抉られ、弾ける。
 計八連射。同じ数だけ抉り散らかした結果だけが刻まれた。
 衝撃に上体が泳いだ分裂体を、なおも追撃する紅色の影がある。
 シーヴだ。
 手には戦乙女の大剣。静かな気迫と共に振るわれた軌跡をなぞるように、両の手に輝くルーンの光が続く。
 直撃。重い重量に相応しい鈍い音が山中に鳴る。
 振るわれた天地を貫く衝撃は不安定な上体を引きずるように、大地へと叩き伏せた。
 急速に流れ、大地へと到った視界に恐慌したのか、危機を感じ反撃を思ったのか、プロトン砲から砲火が舞う。
「‥‥っと」
 そのうちの一射が偶然悠の装甲を灼くが、大きな負傷は無い。ただ、不快げに顔をしかめさせるに留まる。
 関節の可動を見定め、転じたシーヴはこれを回避。ワンピースに汚れてしまうが、気にする事なくその背を踏みつけ――
「騒がしい。無駄な足掻きもほどほどにしやがれです」
 一閃。
「分裂体如きにやられるか、です」
 シーヴはこちらは終わったとばかりに大剣を地に刺し、服の汚れを払った。

 他方。白鐘、奏と分裂体との戦闘は悠達とは違い、分裂体の砲撃から始まった。
 由稀の砲撃に打たれながらも、その狙いは正確に白鐘を穿つ。
「流石はユダ、と言った所だが‥‥」
 それはこの能力、サイズで無限とも思える程に吐き出される現実を思っての言葉だ。
 流れ弾を気にしてのことだろう。敢えて砲撃を受け止め、意図して目立つように、後退しながら射撃する分裂体へとじりじりと距離を詰める白鐘。
 一方、奏は白鐘を囮に側面へ。
「‥‥だが、この程度、だな」
 大回りした奏と、白鐘の接敵はほぼ同時。双方向からの斬撃に、分裂体は対応しきれない。
 白鐘の小さな言葉に続いて、分裂体から左手、西欧の竜の如き翼を背にした時雨が神速で至る。
 枯れ葉を踏み鳴らす音が遅れる程の、瞬速縮地による踏込。
「よいせ‥‥っとぉ!」
 両の手に構えた二振りの刀が、大上段から光を曳く。狙いはプロトン砲、白鐘を狙う砲火を、強引に下へと逸らす。
 瞬後、分裂体の手からのブレードが振るわれるが、既に奏の姿はそこにはない。一撃離脱、残影を置いて距離を外し――にっと人好きのする笑みを浮かべた。
「怖い鬼さんはあちらやで?」
 奏のその言葉が届いたわけではないだろうが――分裂体の意識は、裂帛の気合と、SESがあげる高い排気音の方へと身体を向け、ブレードを身を護るようにして翳す。
 相対するのは金色を纏う現代の武人。大上段からの一振りで分裂体のブレードを断ち、次いで泳いだ身体へと渾身の斬撃を放つ。
「‥‥無へと帰るがいい」
 納刀と同時。分裂体の身が断ち切れ、果てた。
「おぉ、お見事‥‥なんや、どうしたん?」
 小さく拍手をする奏の対面で、霧島が所在なさげに茫としていた。
「‥‥や、手伝おうとは‥‥思ってたんだけど、ね」
 その前に終わってしまった、と手持ち無沙汰げに苦笑した。
「さて。博士達の後を追おうか」
 白鐘は息一つ乱す事なく、車両へと向かうと身を翻し、他の者もそれに続いた。

 発端は、ブレナーの稚気だったが――そこに集まった傭兵達の実力は、目を見張るものがあった。
 先手は取られたものの、圧勝。
 いずれも経験抱負な傭兵達にとっては当然な結果かもしれないが、迷い込んだ分裂体に哀れみを抱く程に一方的な戦闘だった。

 ――無事に送り届ける事は出来やがったですかね。
 道すがら、シーヴは胸中で言葉にした。
 あとは、守るだけ。老人の稚気を見守るだけと、これから辿る事になる山道を見据える。
 あの老人が何を為そうとしているのか。
 そうして、何を残すのか。見通せぬ先行きに、惹かれる物を感じているのも事実だ。
 ――大河だろうが、一枝差し込みゃ流れは微々たるモンだろうと変わる、ですから。



 山間での戦闘が終了していた頃、ブレナー達は無事に天文台へと至っていた。
 高台にあるそこは、見通しが良い。球基がざっと見て回ってもかつてのような大量のキメラの気配もなく、分裂体の姿も見えない。
「既に分裂体に壊されてたら面倒だったけど、無事みたいだな。敵もいなそうだぜ」
 球基をしてもこれからの悪戯とやらがどういったものかは大雑把にしか予想できてはいないが、ここでしか出来ない事情はあるのだろうから、一安心だ。
 無線で安全を告げると、車外で周囲を警戒していたサンディが頷き車内のブレナー博士へと声をかけるのが見えた。

 いつかと同じように、サンディはブレナーが車から降りるのを手伝う。
 サンディからすればとても大きい身体だ。それでも、能力者からすれば何ともない程度の重量。
「大丈夫? 急がなくていいからね」
「ホッホッ! すまんのぅ、お手をハイシャク‥‥くぅ、ワシが歯医者ならのぅ‥‥」
 惜しいと一人悔しそうなブレナーはいつも通りで、身体を壊しているとは思えない程に元気そうに見えた。
 ――けど、前よりは体重を掛けてくれるようになった。
 それが良い事か、悪い事なのか、サンディには判断がつかない。
 今回の一件も、危険な事には違いない。
 ただでさえ具合が悪いのだから、治療に専念して欲しいと思う一方で、楽しそうだし、元気そうだからそれでいいのかな、とも思ってしまう。
 車両の音が響く。
 それが戦闘をしていた傭兵達のものだと気付くと、老人は満面の笑みで彼等を迎えた。

 件の悪戯と、その準備に取りかかる段となり、傭兵達は二手に別れた。
 身体に不自由のあるブレナーの手伝いと護衛の為にサンディ、奏、球基。外の見張りと守備にシーヴ、悠、由稀、霧島、白鐘の五名が回る形だ。
「ホホッ! さてさて、お楽しみの時間じゃぞ!」
 手を鳴らして言うブレナーの笑顔が、かつての青い空と変わらないままに咲いた。


  ○


 天文台に一同が辿り着いた頃には日は傾き始める頃合いだったのだが、内部で準備が執り行われている間に空は赤みを帯びはじめていた。
 山間に沈み行く陽の大きさが増すにつれて、徐々に肌寒さを感じ始める。
「んー‥‥」
 何となくままならない感じを、悠は無線機に向けて言葉にした。
『‥‥どうしたの?』
「いや」
 霧島が尋ねたが、悠は暫く言い淀んだ後に、続けた。
「‥‥暇だなぁ」
『‥‥そう、だね』
 無線の向こうでは、霧島は薄氷のような苦笑を浮かべているのだろう。
 先程のような分裂体の一つや二つでも来ていたら、やる事はまだあったのだろうが、幸か不幸かその兆しも無い。
 面白い事言えよ、という空気でもない。得てして消費しきれない退屈とはそういう物だった。
『まぁ、この調子では暫くは大丈夫だろうが‥‥直に、来るだろう』
 いずれ敵の方から動くだろう、と白鐘。
「‥‥はぁ。待つしかないってのも、面倒だね」
 その事が解っているからこそ、解消しきれぬ今が、なんとも退屈だった。


「はぁ‥‥ていうか爺さん、痩せろ‥‥肉体労働ばかりまわさんといてや」
「ホッホッホ! おかげで捗ったわい!」
 やるべき事は単純だったが、機器を運び出したり、配線のために走り回ったりと、慣れぬ作業や慎重を要する作業も多く、肉体的な疲れよりも気疲れの方が大きい手伝いだった。
「あ、準備、終わったの?」
「ウム!」
 じゃぁぁん、と老人が一室で自慢げに手を広げるが、門外漢であるサンディには今ひとつ解らない。ただ、老人が楽しそうな姿が嬉しくて、「そっか」と笑んだ。
「簡単に言えば、指向性と有効距離が長いレーザー装置を通信用に転用したって感じだな」
 多少は理解が深い球基が解説役。
「ふーん‥‥それで、どうするん?」
「ウム、こいつでの」
 ぽちぽち、と。手元のノートに書きなぐられている座標を入力していくと、駆動音と共に大掛かりな天文台が動き出し、暫しの後、何事もなかったかのように止まる。
「こうするんじゃ」
 ぽち、と。手元のマイクのスイッチを入れると、老人はこう言った。

『もしもーし、こちらはブレナー博士。いるのは解っておるぞー、Ms.エアマーニェー!』

『え?』
 その場にいた者全員が唖然としながら、異口同音に疑問の声をあげた。
 ユダは、エアマーニェの4と名乗る個体をオタワに残した後、ステルスを使い姿を隠し、今も分裂体をばらまき続けているらしいという事は、傭兵であれば少し調べれば解る事だ。
 ならば、バグアが用いるステルス機能を、この老人は独力で暴いたのか。
 何度か同じような問いかけをしつこく繰り返した後、ブレナーは頷き、こう言った。

「む、ここじゃなかったかの」

 瞬間、広くはない室内に溜息が響いた。手元のノートにチェックをいれると、次の座標を入力し始める。
「何やこれ、借金の取り立てか何かなん?」
「う、うーん‥‥」
 老人は楽しそうに、同じような内容を繰り返している。
 二度目も、どうやら『留守』のようで。
 三度目。

『こちらはブレナー博士。いるんじゃろ、Ms.エアマーニェ?』

「‥‥なぁ、エアマーニェは返事する必要はあるのか?」
「ホホ、必要は無いかもしれんがの?」

『――何者です』

 突如、スピーカーから響いた女性的な声には、人間の物とは覚えない特異な響きがあった。その声に一同が驚く姿を見て、ブレナーはピンと太い指を立て小器用にウィンクを一つ。
「謎を秘めた良い男の誘いは断れんもんじゃよ、ホッホッホ!」
(や、博士は甲斐性無しだと思うけども)
 球基は呆れながらも、戯言には無視を決め込む。
 目の前の光景が信じ難かったというのもあるが‥‥漸く、今回の構図が朧げながらも見えて来ていた。
 ブレナーが極めて指向性の高い通信手段を用いた理由。そして、返事をせざるを得なかったエアマーニェ側の事情。
 ブレナーはそこに居るだろうと問いかけた。ならば、続く言葉は。

『お前さんが隠れている場所くらいは解るんじゃよ、のぅ、エアマーニェ。‥‥ブライトンの二の舞は嫌じゃろう?』

『――‥‥』

 沈黙が、落ちる。

 ピンポイントに所在を掴んでいる事を示す通信手段と、分裂体での動きが主軸となっているエアマーニェのその意味と、そこに付け込む語り口。
 何より凄まじいのは、それらを為すためにユダの居場所に細かく見当をつけた頭脳だ、と球基は思った。
 正直、一技術屋である彼には皆目見当もつかないが‥‥一方で、この爺さんなら、と思いもする。
 ただ。
「‥‥何ていうか」
 球基は小声で言う。

 どや顔で、大嘘こいて。
 ――詐欺師の手口だぞ、これ。

 それに尽きた。


 暫しの後、ブレナーとエアマーニェの対話は終わった。
「何か、レディーに対して伝えたい事はあるかの?」
 諸々の話を終え、終いにブレナーは傭兵達へと問うた。通信越しにも問われたが、殆どの者が辞していく。
「‥‥え? あ、私はいいよ」
 おじいちゃんを守りに来ただけだし、とサンディが辞退。
「んー‥‥俺はそんな柄じゃないしな」
 事の顛末に思う所があるのか、球基。
「わしからも格別言う事、ないんやけどなぁ‥‥あ、そだ。貸して」
「ホホ、どうぞ」
 差し出されたマイクに向かって、奏は思うがままを、真っ直ぐに告げた。
『聞こえてる? ああ、しかし、勉強になったわ、バグアに身内人事があるねんな。
 解りやすく言うと、ブライトンよりチョロいね、アンタ?』

『――それは罵倒ですか、人間?』

「‥‥通じひんか。おもんな‥‥」
 はぁ、と溜息をついて奏。
『あー‥‥』
 問答に思う所があったのか。由稀が、何かを言いかけたようだが。
『‥‥やっぱいいや。どうせ潰すんなら、話す意味なんて無いもの。それに』

 敵襲、と。高台に身を潜めていた女は告げた。
『人型サイズの分裂体。数、三。地上から来てる。方角は‥‥ああ』
 直後、銃声が響く。
『私が撃ったヤツね。――馬鹿ね。鷹の目から早々逃げられると思うんじゃないわよ』
『招かれざる客の登場か‥‥こちらも確認した。行くぞ!』
 由稀の言葉に、白鐘が応じる。
 傭兵達が走る音、砲声が響き始める中、至近の分裂体を差し向けたのであろうエアマーニェに対して、ブレナーは最後にこう言った。
「ホッホッホ、それじゃあの、Ms.エアマーニェ! 挨拶が遅れたが、ナイストゥーミートユー、そしてグッバイじゃの!」

『――ええ。ブレナー博士』

 返事を聞いてブレナーは急いで通信を切り、立ち上がる。椅子から弾かれかのような勢いに、慌ててサンディが介助に立つと、それを支えにホホッと笑いながら駆け出した。
「お。爺さん‥‥どっかいくのか?」

「決まっておるじゃろう、ナイスファイトを見届けに‥‥じゃよ!」



 畢竟、キメラ程度の知性しか持たない分裂体程度など、待ち受けていた傭兵達にとってはさしたる脅威でも無かった。
 傭兵達の守備も、装甲も堅固で。
 分裂体の攻撃はさしたる効果をあげないまま、地に叩き伏せられ、あるいは抉られ、断ち切られた。
 傭兵達の活躍ぶりを漸く目の当たりに出来たブレナーが拳を握りしめて歓声をあげていた事は、言うまでもないだろう。

 球基が夫々の面々に練成治療を施した後、博士が持ち込んできていた食材でささやかながら宴が催された。
 火をおこしてのBBQ、なのだが。

「野菜が多い‥‥どういう事なの‥‥」
 博士が「これじゃ!」と出した食材は‥‥実に彩りに溢れた、野菜達。
 や、空腹には有り難いのだけど‥‥やりきれない表情の悠。
「葉っぱばかりやと‥‥一応、持って来て正解やったわ」
 悠と同じような表情の奏は、ドン、と持参していた御節を卓上へと置いた。
 兎をあしらった御節のようだ。
「お、おぉ、失念しとった‥‥はっ。そういえば、確か倉庫に、鼠キメラに食い荒らされた後で補充し」
「俺が取ってきましょう。博士はあまりご無理をされないよう」
 二人の様子に慌てて腰掛けていた椅子から腰を上げようとした老人に対してさりげなく気を配る白鐘は、流石の好青年ぶりである。
 服薬や、体調に関する道中の配慮も然り、大凡の凡夫では適わぬ無欠。
「腕も立つ。気も利く。‥‥ドエライサムライじゃのぅ‥‥」
 白鐘の剣捌きを見よう見まねでしながらの一言に。
 沈黙。

 そうして。
 発泡酒を片手に、奏。満面の笑みで手を掲げ。
「はいというわけで、ハッピーニューイヤー!」
「ホホっ! ニューイヤー!」
 乾杯の後、食事が始まった。

 ほの暗い天文台を、炎が照らす。奏は補充された肉と御節、野菜を頬張りながら、ブレナーに言葉を投げた。
 老人の皿には野菜ばかり。体型とのミスマッチもだが、アンバランスさが目に映える。
「‥‥なんや爺さん、胃に影でも映っとったか」
「うむー、このピローポークぶりは胃に限らず余り良くないと叱られてのぅ」
 奏の問に、ぽふぽふ、と柔らかそうなお腹を揺らす。
「ふーん‥‥人生なんざ、どう長生きするかよりもどう楽しむかやろ?」
「ホホ、わしは十分長く生きたしのぅ、楽しんだし、残す事も出来とるよ。これはこれで、幸せじゃ」
「‥‥そんなもんかねぇ」
 言葉に、奏は老人の論理だ、とも思う。
 どう楽しむか。
 元より性分でもあるが‥‥今はいつ果てるとも知れぬ戦時だ。老人のように最後の時を安穏と過ごせる事の方が、稀だ。
「じゃがのぅ」
 老人はくるっと奏から和哉の方へと向き直る。霧島はぼぉ、と星空を眺めていたようだ。
「和哉はもっと肉を喰うべきじゃと思うぞ!」
「‥‥え? 僕はもう‥‥お腹いっぱい、なんだけど」
「ノォォゥ! そんな事じゃいざという時に踏ん張りが効かんゾ! 」
「うーん‥‥」
「じゃが、お腹一杯なら仕方ないのぅ‥‥どれどれ」
 こんなに美味しそうなのにのぅ、と、白鐘が焼いている食べ物達――主に肉と霧島をちらちらと交互に眺めながら、言う。
 それでも手を伸ばさない辺りに、サンディは少し、心が翳るものがあるのだが。
「ほら、おじいちゃん、これ‥‥生ハムサラダはヘルシーで美味しいよ」
「ほ、いいのかの?」
 きらきらと目を輝かせだした老人の姿に、由稀は思わず苦笑して、言う。
「バランスも大事ですよ、ブレナーさん」
「おぉ‥‥」
 由稀自身、長身でスレンダーな女性だ。老人は上から下まで見て、うむ、と頷く。
「権威の言葉を、ワシは信じるぞぃ!」

 シーヴは野菜好きである。ブレナーは、食が好きである。
 博士が肉以外に潤いを求め、今宵用意された食材は、それなりに手の込んだ野菜達であった。
 もきゅもきゅと、シーヴが食するその勢いは留まる所をしらない。
「うめぇです」
 言葉こそ短いが、籠る感慨は野菜を愛する故、だろうか。
「それはよかったのぅ!」
 博士自身が褒められたかのようにはにかみ、自身も勢いよく食し始める。こういう仕草もいちいち子供っぽいとシーヴは思う。
「‥‥悪戯心は満たされやがりましたか?」
「うむ! まだまだワシも捨てたもんじゃないのぅ‥‥エアマーニェの声も色艶があったしのぅ」
 次があればもっと宇宙の事なぞ話したいのぅと、思い返して、にへ、と紅顔をゆるませた。
「色ボケですか爺ぃ‥」
「も、もちろんそれだけじゃないぞぃ!」
 ――これでまぁ、少しはブレストも楽になるじゃろう。
 ぽつ、と言う。
「‥‥ひょっとして爺さん、そのためにわざわざこんな仕込みをしたのかよ」
 言葉に、球基が本日何度目かの呆れた声をあげる。いちいちやる事がハデすぎるだろう、と。
「んーむ‥‥まぁ、そんな所じゃのぅ、ホッホッホ!」
 老人は笑みを崩さず高笑いだった。

 ――老人が言葉を濁した意味に、果たして球基は気付いただろうか。


 陽はとっくに落ちていた。見上げるまでもなく、夜天を覆うのは月光を返す天鵞絨のような雲と星々の瞬き。
 切り取りたい。そう思わせる程の風景であると同時に、叶わぬと悟らせる全天の威風だ。
 ただ、その光景はどこか優しい。
 後片付けの途中、サンディはソラを見上げるブレナーの傍らに立ち、告げた。
「おじいちゃん、この前話した事‥‥覚えてる?」
「おぉ、勿論じゃよ‥‥見つけたんじゃろう?」
 そう言ってウィンクをする老人に、サンディは笑顔で頷いた。
「うん。‥‥見つけたよ、名前」
 息を吸って、言う。
「あの人と、いままでずっと一緒にいたから、いつの間にかそれが当たり前になってて‥‥」
 そうして、いつの間にか見失っていた。名前をつけ忘れたままに。
「私はあの人の事が大好き。‥‥心から、愛してる」
 ――ありがとう、おじいちゃん。
 サンディは言って、笑った。
「素晴らしい事じゃよ、サンディ。幸せを掴む事は、難しい事じゃからの」
 ブレナーは両手をサムズアップし、満面の笑みを浮かべ、サンディの頭を撫でた。
「‥‥孫娘がいたら、こんな感じなんじゃのぉ、ホホ」

 かつて冷遇され、時代から取り残されて来た一人の老人は――今、こうして、晩年を幸せに過ごせている。
 それはきっと、彼一人では果たせなかった事だ。だからこそ彼は、その事に深く感謝を抱き、生きている。

 シーヴは時勢を大河に喩えた。
 その大河の行く末を知る者は未だ誰一人として居ないが‥‥少しずつ、流れが変じて行く。



 なお、これは余談だが。
 奏が持参し、振る舞った御節が昨年のものだった事が、能力者達にどういう影響を与えたかは――箸をつけた者達にしか解らない。
 誰が箸をつけたかは、此処では記さないでおこう。