タイトル:【彷徨】Gula - 1 -マスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: シリーズ
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 1 人
リプレイ完成日時:
2012/02/27 21:09

●オープニング本文


●nightmare.

 ――大丈夫よ、安心して。

 固く私を押さえつけているのは、大小さまざまないくつもの腕、腕、腕。
 私に群がる身体から部屋中に広がる羽根が、ただただ不快で仕方が無い。
 束縛は万力のように強固。
 逃れる事なんて、適わなかった。

 まるで、幻想の世界にいるような光景だった。
 でもそれは、悪夢のような現実だった。

 私は、声をあげる事すら出来なかった。
 世界はあまりに、私が知っているものとかけ離れていたからだ。

 幼子のようなあどけない笑い声が、私の平静を削ぐ。
 一方で陶器のような顔は、ただただ無表情に私を見つめている。

 天使達を従えた、母の声が聞こえた。
 ――大丈夫よ、安心して。

 答えは得られないままに、私は、意識を失って‥‥。
 意識が消え去る瞬前、私は何かを目にして。

「大丈夫。‥‥いっぱいいっぱい、練習したんだから」
 ――だから、お休み。



「起きたか」
 嗄れた老人の声に、アトレイア・シャノン(gz0444)は手にしていたスポーツバッグを木板の張った床に置き、手話で応じる。
 おはようございます、と。

 能力者に――傭兵になる以前から、アトレイアは老人の元で世話になっていた。
 北米において過分に異質な和風の家屋での暮らしは、アトレイアにとっては最早慣れたものだ。
 和風の顔立ちからはほど遠いアトレイアだが、その居住まいはその空間によく馴染んでいる。
 凛とした、張り詰めた冷気が和室を覆っていた。防寒の備えがあるとはいえ、二月も半ば。肌を刺すような寒さが無理矢理に意識を醒ます。
「‥‥顔色が悪いぞ」
 老人の言葉に、アトレイアはばつが悪そうにそっぽを向いた。
 なんと言うべきか。そもそも、言わざるべきか。そう逡巡しているのが。
 その判断――老人との距離感が、アトレイアは未だに掴めずにいた。
 一つには、彼女自身が人付き合いに臆病になっているのもある、が。
「そうか」
 老人は一言そう言って、台所へと消えていった。
 敢えて聞かなかった不器用な優しさとも取れるし、厳格な古兵然とした老人にとっては執着に足らないものだという意思表示とも取れる。
 ――そのあたりは、気楽なんだけど‥‥。
 割り切れぬ嘆息が、零れた。

 ――久しぶりに、あの日の夢を見た。
 彼女の独白は、言葉として生まれるには到らない。それでも、昂った気持ちを鎮める事には何とか辿り着く。
 胸の奥に残る痛みには、見ない振りをして。彼女は深く息をを吸う。凍える早朝の大気が――今だけは心地よく感じられた。


●few weeks ago.
 金髪の少年と銀髪の少女が歩くそこは、石造りの建物だった。
 そこを見る者は、多くがそこが刑務所だと解るだろう。
 ――たとえ、こびり付いた血が黴びた香りが異質ながらも生の香りを色濃く感じさせ、そこかしこに弾けた肉片や鉄片が破壊の痕を刻み付けていたとしても、だ。
 広々としたそこには、無限とも思えるほどに鉄の檻が等しく並べられている。
 揚々と歩く少年が、修道服を纏った少女の方へと楽しげな顔を向けながら口を開いた。
「此処が気になるかい、フィー」
「いいえ」
「‥‥‥‥はあ。君はそうだよね」
 少女の即答に対しての落胆は、さして長い時間ではない。
 機械めいた無表情は少年の溜息にも一切の反応を見せる事はなく、暫しの間、沈黙に響き渡る足音だけが空間を彩った。
「‥‥此処にはね、困った子がいるんだよ」
「そうですか」
「最後に人生で最高のごちそうを食べて以来、何にも食べようとしない、馬鹿な子がね」
「はい」
 言って、少年は大きく手を広げた。この惨状を最高の誉れとでもするように、きらきらと笑いながら。
「僕がこうやってわざわざ会いに来たのに、全然動こうともしないんだよ?」
 言葉が終わる頃、最後の檻へと辿り着いた。
 そこには。
「‥‥プロード様」
「なんだい、フィー」
「その彼が、何か?」
「うん‥‥面白い事をしようと思って!」
「そうですか」
「ふふ、そうだよ! 気になる?」
「お望みとあらば」
「‥‥はぁ。君は、そうだったね‥‥」
 嘆息の後、少年は眼前の檻を小さく小突いた。金属質な音が、遠くまで反響し、そして‥‥。

「ほら、起きなよ、ジャスティ・グラスコー。起床時間だよ‥‥なぁんてね!」

 少年の言葉に、暗闇よりもなおも深い色を称えた瞳が、開いた。



「よゥ、ハニー! まさかこのタイミングで会えるなんて、ハハ! まさに運命だな!!」
 LHに戻ったアトレイアが本部で依頼を物色している所に声をかけたのは、ジルベルト・マーティン(gz0426)。
 オペレーターの皮を被った自称・遊び人だ。
 彼がアトレイアに声を掛ける事は、そんなに珍しい事ではない。
 依頼を満了させる為には通りすがりの傭兵に土下座をし、ともすれば合コンを企画する事すらも辞さない男だ。
 公私混同極まりない彼がアトレイアに声を掛ける際は、九割九分は『声を掛けたかったから』、だが‥‥この日は残る一分の方だったようだった。
 ジルベルトは小器用にウィンクを一つすると、気障ったらしく眉間を人差し指で突きながら、言った。
「ハニー、探してたモンが見つかったぜ」
『‥‥本当、ですか?』
 第一声が疑り深い言葉であった事は、まぁ、仕方ない事かもしれないが。
 かねてから天使の姿をしたキメラの依頼を積極的に受けていたアトレイアに、ジルベルトが「俺も気に留めておくぜ!」と頼まれてもいないのに請け負ったのが事の発端だったから、アトレイアにはジルベルトが本当にこうして調べているとは、思いもしなかったのだ。
「オゥ、まあ聞け‥‥」

 曰く。

 ユダ分裂体の影響が各地に広がる北米で、黒髪の女性ばかりを狙った連続誘拐事件が起こっているらしい。
 僅か4日間で、十数人にも及ぶ誘拐。
 当初は往来で行われていたそれは、人通りが無くなってくると扉を文字通り『抉って』押し入ってでも誘拐を行っていた。
 手口の異常性も然りだが、事件の後、調査に現れた者達を嘲笑うかのように、彼等の目を盗んである物が置かれていく事もまた、同一犯の関与を思わせるものだった。
 ――全ての現場に、血に濡れた純白の片翼が置かれていたのだ。
 状況だけが只管に異質。
 そうして、ULTに依頼が出される事となった。

『兎角、事件の解決を』

「でな、ハニー」
『‥‥はい?』
「俺ァ思うわけだ。こういう時はな、美人の力添えが必須なんだ‥‥とな?」
『‥‥‥‥』
「危険は危険だがな、いっちょ囮とか‥‥やってみねェか?」

 アトレイアがその依頼を受ける事を決めるまで、そう長い時間は掛らなかった。


「どうだい、フィー。彼は元気にしてる?」

「‥‥そっか、そっか。順調みたいだね」

「僕? うん、快適だよ」

「フィーはもう少し様子を見ておいてよ。こっちはちょっと、他の準備があるから、さ」

「うん、面倒をかけるね。フィー」


●参加者一覧

煉条トヲイ(ga0236
21歳・♂・AA
御鑑 藍(gc1485
20歳・♀・PN
不破 炬烏介(gc4206
18歳・♂・AA
月野 現(gc7488
19歳・♂・GD
フェイル・イクス(gc7628
22歳・♀・DF
羽柴 紫(gc8613
17歳・♀・ST

●リプレイ本文


 そこには冬を彩る雪化粧はない。ただ、簡素な街が一つあるだけだ。
 なのに――そこには氷雪の如き鋭さを備えた緊迫があった。
 冬の街。そこでは、往来の誰も彼もが互いの視線、存在を意識していた。その在り方は、草食獣のそれに似ている。
 ならば、この街は。
 ――捕食される者達の街と言えるのかも知れない。

 傭兵達が車にてこの街へと到着したこの時。
 往来を眺めていたある少女の呟きで、この街に秘されていた真の物語の幕が上がる。

「目標を補足しました」

 ――傭兵諸君。『暴食』の彩る物語へ、ようこそ。


 道中を往く車両達が街の警察署へと到着した後、リズィー・ヴェクサー(gc6599)はアトレイアへと言葉をかけた。
「ちゃんと、帰ってくるのよ‥‥?」
 少女の言葉には、冗談めいた気軽さがある。打ち解けたそれは、だがしかし、先行きの不透明な現状で囮を買って出たアトレイアの心中を推し量ってのものだ。一抹の不安が胸の奥で陰っている。
『‥‥はい、ありがとうございます』
 それを知ってか知らずか、アトレイアはリズィーの言葉に笑顔で頷いた。

 警察署には傭兵達を歓迎しない者など居なかった。自らの手に負えぬ脅威に脅かされていた彼らが当然のように準備していた会議室で、傭兵達は捜査状況等に関しての説明を受ける事になる。
 ――まただ。
 羽柴 紫(gc8613)は、誰にも聞こえないように、小さく呟く。 
 傭兵になるまで。傭兵になってから。
 流れるように、流されるままに。誰も彼もが気に留める事もなく当たり前のように事が進んで行く。
 紫とて、それを否むつもりはないだろう。ただ。
 彼女にとっては、適正があっただけのこと。
 そこに目的が無かっただけなのに――こんなにも、空しくて。
 紫は再度手元の資料を茫と眺めた。犯行を繰り返す誘拐犯。そこには明確な目的があるように感じられると、湧き上がるものがあった。
 自嘲に似たそれは。
 ――これじゃ、私だけ空っぽみたいだ。
 胸中に、苦く落ちた。何処かを彷徨い歩いているような渇きを、少女は感じていた。


 煉条 トヲイ(ga0236)は現場へと赴いて回った。途中までは紫、アトレイア、フェイル・イクス(gc7628)と共に移動していたのだが、現在は警官とトヲイだけが被害者女性の自室に赴いている。
 どの現場も、同じようなものだった。赤黒く凝固した血液が広くこびり付き、翼が置かれていたのであろう位置に白線が引かれている。
「これも――」
「どうやら人間の血液じゃないらしい」
「‥‥そうか」
 血液量は推し量るしかないが、止血をしなければ失血死もあり得る程の量だったが、それなら納得がいくとばかりに頷く。
 トヲイはこれまでに、目撃者や付近の住民に対して再度聞き込みを行っていた。
 往来での事件は兎も角、室内への押し掛けに関しては付近の住民からは一様に騒音を訴えていた。
 目撃者も、その物音に気付いて件の事件を想起し、恐る恐ると見にいっただけなのだそうだ。目撃したのは偶々、か。
 騒音。実際に現場を見ると、それらの証言も頷ける事だろう。トヲイは再度、自身が通った入り口へと視線を巡らせる。
 防犯を意識した扉は、分厚い。生半な事ではへこみすら出来なさそうな扉が、強引にねじ曲げられていた。
「‥‥ふむ」
 トヲイは見渡しながら、状況を整理し、検討する。
 目新しい共通点等は見当たらなかった。ただ――奇異な点が、一つ。
 捻開けられた扉と騒音。にも関わらず目撃証言が殆ど無い。その時間的な早さだけは、特筆すべき異質な点に思えた。

「忽然と姿を消す犯人と被害者。現場には血に濡れた片翼。
 ――翼で飛んで逃げでもしたのか?」

 内側から割れた窓から空を見上げ、男はそう嘯いた。
 

 一方、ルート選定は紫の段取りで恙無く行われていた。
 予め警官に交通量や空き家、街灯などを確認しておき、夜間においても支障がないようにルートを定め、その道中で見かけた人達に対しては積極的に声をかけていく。同行していたアトレイアやフェイルもそれに倣った。
 装備類は紫が車中に置いていったことから、住民たちもいらぬ警戒を抱き少女達を忌避する事なく、彼女達の言葉に足をとめていたようだ。

 暫しの後、それぞれが集めた情報を整理すべく合流した時の事。

「‥‥過去の事件について、聞けた?」
 自身が得た情報を整理するように俯きながら、紫。大きめな帽子の下で、艶を残した茶色い髪が、揺れる。
「街の東側のスラム。‥‥あれが、過去に親バグア派がバグアを引き入れたのが原因だったという事でした」
『‥‥ですね』
 アトレイアとフェイルも同様の事を聞いたらしい。
 問われた住民達は皆苦い顔をしていた。ある者は戦火で家を灼かれ、ある者は家族を失ったのだと言う。
 だが、告げられた事実はどうにも違和感の残るものだった。
「‥‥引っ掛かる」
「そうですか? 愚図の火遊びを、鎮火しただけでは。‥‥少々、火の手が強過ぎたみたいですけどね」
 むしろその場にいられなかった事を勿体なく思っているかのように、フェイル。
『私も、気に掛るのですが‥‥』
 奇妙な形で決着が付きかけた話題を、アトレイアが慌てて掬いあげる。
 何故、バグアを引き込んだのか。

 何故‥‥『詳細を、誰も知らない』のか。

 外様である彼女達が考えても仕方がないことだが、違和感だけがしこりのようになっていた。


 街の東側は、都市部のそれと比較にならない程に凄惨な影を落としていた。
 焼け焦げた痕の残る建築物に、漂う無機質な埃の香り。
「‥‥血の付いた片翼。天使の羽根、でしょうか」
「かもしれないな。‥‥犯人こそが、誰かをおびき出そうとしているのかも知れん」
 スラムを調査している最中、ぽつ、と。御鑑 藍(gc1485)が零した言葉に、月野 現(gc7488)が応じた。同じ事を想起しての事だろう。
「‥‥あの金髪の少年も、関わっているかもしれないですね」
「そうだな。性質の悪い演出がありそうだ」
 今回の事件。強引な手法の影に、現は犯人の心情を推し量っていた。目的を達成する事に対する自信か、挑発や誘導の意図があるのか。彼は、この事件の淵に滲む悪意を感じていた。
 ふと、藍が足を止める。
「――この匂い」
「どうかしたのか」
 藍は、自らが感じたそれを辿り、スラムの奥へと小走りに駆けて行く。現は藍の背を追いながら、遅れてそれに気付いた。

 酸味のある独特の匂い。
 その答えは、藍が足を止めた先で明らかになる。



「‥‥っ」
 その光景の意味に思い至り、藍は反射的に口元を抑える。
「これは‥‥」
 冷や汗が滲むものを感じながら、現は息を呑んだ。

 透明な、殆ど混じるものの無い吐瀉の痕。

 そこには、咀嚼の痕が残る肉片と。

 ――赤く塗られた爪が、ひとひら。

 現は、この事件に籠められた執着の、その一端に現の視界が赤滅する。
「人を‥‥喰ったのか‥‥!」


 時が過ぎ、夜の帳が深く町を覆っていく、その狭間。
「アトレイア?」
『どうしました?』
「‥‥なんで、傭兵を、しているの?」
 問いにアトレイアは暫し目を丸くしたが、似た問いを過去に問われた事を思い出し、しばしの後にこう答えた。
『母を、探しているんです。‥‥母は、多分、親バグア派で』
 そこでアトレイアは言葉を呑んだ。少女に、自身の心の闇を吐露する事が憚られたためだ。
 ――母さんを、殺すため、なんて。
「‥‥そう」
 少女はそれをどう受け取ったのだろうか。去り際、「‥‥じゃ」と短く言って仲間達に合流していった。
「気休めだろうが、使ってくれ」
 その背を追うように立ち上がった現が、言葉とともにネックレスを差し出した。
 女が少し逡巡した後に受け取るのを見て、現はそれと解らぬように小さく安堵の息を吐く。不器用な自分を笑うように。
『すいません、気を使わせてしまって』
「いや。‥‥いつか、話せる時が来たら、心のうちを聞かせてくれよ」
 言葉に、女は小さく目を閉じ、俯いた。
”話せる時”
 彼女自身にすら整理がつかないこれを、どうやって、話すべき時と解れば良いのだろう。
『‥‥いつか、その時がきたら』
 その言葉を聞いて、現もまた夜の闇へと消えていった。
 残されたアトレイアは、小さく息を吐く。

 時間だった。


 静まり返った往来には驚く程人通りが少ない。
 それもその筈だ。昼間に紫やフェイル達が声をかけた成果が出ているのだろう。去り際に今晩の事を言い含めていた事が良い結果を生んでいた。
 傭兵達は囮が往くルートと、それを踏まえて決定されたA地点、B地点に別れていた。トヲイがA班、フェイルと紫がB班。藍と現はそれぞれに隠れて護衛にあたっている。
 広く、照明に照らされた路地にアトレイア一人。
 小さな足音が、反響となって木霊する中。

 それが、始まる。




 最初に知覚したのは、視界の先に立つ男の影。
 打ち合わせ通りに、私は無線機に合図を送る。
 遠方で動き出す皆の気配を感じたと、同時。

『――避けて!』

 イヤホンから紫さんの声が弾けたのを聞き。

 直後。
 衝撃に、身体が吹き飛んだ。



「‥‥っ!」
 無線から響く音に、紫は短く言葉を呑んだ。
 彼女だけが、ただ一人周辺の建物の屋上を警戒していたのだ。敵には仲間がいるかもしれないと。
 だが――見つけたと思った時には、遅かった。
 遥か遠方に現れた人影を暗視スコープで確認したとほぼ同時に、狙撃は為された。
 ――そもそも何故、今回だけ狙撃を択んだのか。
「‥‥ルートも、バレてた」
「急ぎましょう、サキ!」
 戦闘の予感に胸を弾ませたフェイルが考えに耽る紫を急かす。
 状況は動いた。起点は狙撃かもしれないが、終点は間違いなくアトレイアだとフェイルは思考。

 ならば。

「敵は、アトレイアに集まっているはずです」


 誰よりも先に駆けつけたのは、至近にいた藍。銃撃と同時、藍は迅雷で疾走。
 だが。接近はアトレイアに至る瞬前、白い影が視界に走った事で阻まれた。速度に理解が追いつかない。少女は身に沁みた本能で刀を振るった。
 蒼い光輝を曳いたそれが、白い影が伸ばした腕部を切り落とし、もう一閃。突出したソレは、アトレイアを回収する為のものだったか。刀で地に縫い付けるようにして、息の根を止めながら、視界を巡らせる。残る数――四。
 こちらへ迫るその動きは速い。その姿、動きに藍は見覚えがあった。姿形は少し異なるが、異様に手足の長い痩身。
 無貌の獣達。その背には――翼が、無い。
「ち、ぃ、ぃ‥‥!」
 再度の狙撃音は、現が掲げた盾によって阻まれる。キメラの可能性も、複数犯の可能性も考えていながら、伏撃の可能性とその規模を見誤っていた。もがれた翼は十を越える。ならば、もがれた対象がそれだけ居た筈なのだ。見通しの甘さを痛感していた。
「アトレイアさん!」
『‥‥っ、大丈夫、です。紫さんのおかげ‥‥』
 藍の声に、応答が帰る。紫の警句に辛うじて急所への直撃を避ける事が出来ていた。下腿から夥しい出血をしながらの抑揚のない言葉は、震えている。
「‥‥麻痺毒か」
 現の悔恨に、アトレイアはぎこちなく頷く。エミタが解毒のために稼働しているが‥‥出血も多く、予断を許さない。そうこうしている間に、敵が動く。
「来るぞ!」
 現の警句を。

「―――――ッ!」

 黒衣の男が突如あげた咆哮が、遮った。
 加速は力任せに。這うような、獣じみた疾駆。その背を追うようにして、キメラ達が迫る。
「しぃ、ぎィ、ル‥‥ッ」
 黒衣の男は跳躍。引き絞られた弓のように、男の背筋が撓む。雄叫びを曳いて、男が一同へと迫った。

 衝突の、瞬間。

「無事か!」
 男の両の拳を、爪武器を掲げたトヲイが衝突を受け止めていた。
 衝撃は音となり大気を震わせ、噛み合った爪からトヲイ自身を通して地を割る。構図は自然、膂力勝負へと至るが。
 ――誘拐犯は、こいつか!
 高位のAAであるトヲイをしても、力比べにおいて劣勢を強いられている事に、トヲイはそう確信する。
 しかも、敵は単体ではない。キメラ達が狙撃をなおも防ぐ現達へと到りつつあった。
「ち‥‥っ」
 トヲイは身体に掛るベクトルを逸らし、泳いだ敵の胴を凪ぐように一打。手応えは堅いが、トヲイの一撃で黒衣が裂け、血の華が咲く。
 加速された世界の中で、トヲイは逡巡。畳み掛けるか、否か。
 劣勢だ。ならば。
 意志と同時、トヲイの手甲に据えられたSESが過剰駆動。深紅の発光が武器に添う。
「バグアなら、手加減は無用。捕縛しても大した情報は引き出せん――!」
 無理を通すべき時。男はそう断じた。
 振るわれた拳は八連。そのうちの幾らかを黒衣の男は払い落としたが、一撃に捉えられると衝撃に動きが止まり、続く連打に貫かれた。
 凄まじい破壊力は、黒衣の男を彼方へと弾き飛ばし――。

「あら、今回は天使は居ないのかと思ったのですけど」
 ――重畳ですね、と。フェイルは嗤った。掲げられた二丁の銃は、衝撃に弾かれる黒衣の男へと向けられ‥‥、
「さぁ、貴方はどんな声で鳴いてくれるのかしら?」
 掃射。追い打ちの猛射は余す事なく男を貫いた。
 衝撃に蹲る男。だが、フェイルが期待した声は
「‥‥あら、残念。まだあちらの天使達の方が可愛げがありますね」
 だが。

 ――ぎィ、る、る‥‥ッ!

 直後に上がった堪えるような声はむしろ、身体中を押さえ込むようにした所から、始まった。傷ついたトヲイ、狙撃を防ぎ続ける現の治療を施している紫は、その光景を捉えながら、小さく呟いた。
「‥‥再生、してるの?」
 トヲイが割いた黒衣。そこから覗く深い深い傷痕から、凄まじい速度で肉芽が湧き上がる。まるで肉芽自体が意志あるもののように身体を修繕して行く様は、そう呼ばざるを得なかった。
 虚実空間を――紫の思考はしかし、実現には到らない。練力は既に尽きかけていたからだ。

 ――ィ、ィ、ァ、ァァァァ‥‥ッ!

 その苦鳴の、なんと痛ましい事か。
 今まで如何なる激痛にも苦悶を漏らさなかった男が、激痛に咆哮している。
 フェイルが、追撃の銃弾を見舞おうとした、その時。

「‥‥逃げますか!」

 接近と同じように、痛む身体をなおも動かし、男は這うようにして離脱していく。追走をするには、フェイルでは速力が足りない。
「藍、此処は任せろ!」
 現が藍に声を掛ける。男が撤退を開始してから、狙撃の音は止んでいた。ならば、キメラ達程度が相手であればこの陣容では遅れは取らないと判断しての事だ。
「‥‥はい!」
 藍は提案を受け、駆けた。
 距離に開きはあるが、藍の方が僅かに速い。往来で戦闘の激しさが色濃くなる中、往く。


   ○


 かくして、キメラ達との戦闘が終わった頃。二つの動きがあった。
 一つは、藍から連絡。男が入っていった建物を見張っているとの事。
 そして、もう一つが――アトレイアの、変わらぬ不調。

 状況は動いた。
 そして――第二幕が、始まる。