●オープニング本文
前回のリプレイを見る●Gula - Before the bounds -
違う。
違う。
コレジャナイ。
餓えが、口渇が、痛みが、虚脱が、枯渇が、掻痒が、焦燥が心身を蹂躙している。
喰らいたい。心の底から、そう思った。
喰いたい。喰らえ。シンディを。ディジーを。
なのに、誰かが叫ぶのだ。
違う。
違う。
チガウ!
その誰かが願うままに、静かに死のうと思った。でも、死ねなかった。
死なない身体は、そこから湧きあがる飢餓は、ただ喰らえと命じる。
今日も。昨日も。その前も。ずっと。ずっと。
こんなことなら。
ずっと、あの牢獄の中で、眠っていたかった。
終わりのその時まで。
ずっと。
痛みを、餓えを身体の奥底へと閉じ込めるように、身を丸くし、疼きを抱くようにして、眠りを待つ。
眠りは消失に近しく、それこそが何物にも勝る救いだった。
シンディ。ディジー。俺の愛。愛していた。
――だからこそ俺は、お前達を喰らったんだ。
●nightmare - 2 -
「大丈夫。‥‥いっぱいいっぱい、練習したんだから」
――だから、お休み。
あの瞬間。
見えた影を。
――オモイダセナイ。
意識が閉ざされたからだ。仕方がないことだ。
そう思うし、知るのが‥‥怖い。
●
アトレイア・シャノン(gz0444)の身体を、撃ち込まれた毒は今なお蝕み続けていた。原因は明らかではない。エミタが全力で抵抗している事が解るが、それでも身体は痺れを残したままだ。
アトレイアは熱にうなされ、自由の効かない身体を引きずるようにして、進む。
理由の一つには、敵の正体がある。
傭兵達が、狙撃手の姿を確認していた。銀髪の少女。機械仕掛けの腕を持つ、美麗の権化に近しいシスター。
もう一つは‥‥彼女にとっても、良く解らないままだった。
朦朧とした意識の中で、アトレイアは悪夢を回想する。
○
本当に、久しぶりに見た夢だった。
久しく蓋をしていた記憶。仕舞い込んでいた所が、無理矢理にこじ開けられたかのような痛さが胸に残っている。
あの日見た、天使の姿をした化け物――キメラを追う事を決めてから、あの夢を見る事は減ってきていた筈だった。
当時は竦んでいた足も、前に踏み出せるようになった。
克服出来たと、思っていた。
‥‥思い込んでいた、だけだった。
そんな事を突きつけられた夢だった。
――色んなものを、見たから‥‥かな。
戦場に立つということは、そういう事だと知った。
人の死を見た。人の生を見た。意地を、本気を、歪さを、見た。
私自身、死の淵に立った事も少なくない。今だってそうだ。
それでも。
胸の奥で燻る狂奔に‥‥私は同時に思い出してもいた。
何故、武器を手にする事を択んだのかを。
だから、私は、行かなくちゃいけない。
●邂逅
東側のスラム。その一角。傭兵達が一度調べたはずのそこに、長い銀髪を後ろで纏めた少女はいた。何故と問うても、答えなど帰ってこないだろう。調べ損ねた場所があったのか、それとも、傭兵達の裏を掻くようにして移動したのか。
その瞳は紅玉の如き輝きを帯びている。白磁のような肌に載せられた作り物めいた容貌は、見るものを凍り付かせる程に美しいが――あまりに、無機質に過ぎた。
ならば。
「ようこそ。ご足労に感謝致します、ミス・アトレイア」
『‥‥なんで』
その言葉に情が通っていなかったとしても、驚く事はないだろう。ましてや、アトレイアは彼女の事を知っているのだから。
それでも、アトレイアは驚愕せざるを得なかった。北米での、一戦きりの邂逅。にも関わらず、何故、眼前の少女はアトレイアの名を知っているのか。
『‥‥なんで、私の名前を』
【‥‥あ、それには僕が答えちゃおっかなー!】
唐突に降った声にも、アトレイアは聞き覚えがあった。銀髪の少女と行動を共にしていた金髪の少年の声だ。割れた音声は、通信によるものか。
【ね、ね。アトレイア。君はさぁ、自分と、見ず知らずの人間だったらどっちが大事ぃ?】
『‥‥どういう意味?』
【アハハ! やだなぁ、怒らないでよ! 僕、どうしても君を連れて帰りたいんだよねぇ。その為に仕込んだのにあの男が失敗しちゃってさ】
「プロード様。それでは解答になっていません。適切な解答を提示すべきかと」
【フィーは優しいなぁ。でも、今良い所なんだよ、ちょっと黙っといてくれる?】
「了解しました」
『‥‥‥‥っ』
【怒らないでって! ほら、アトレイア、笑って? カワイイ顔が台無しだよ!
アリサ譲りの顔が勿体ないじゃん!】
『‥‥いま、』
プロードのその言葉が室内に響いた瞬間。アトレイアの視界から色が抜け落ちて行く。
彼女にとって、少年が何気なく発した言葉は。
【聞こえなかったぁ? アリサ譲りの、カワイイ顔が、だ・い・な・しだよ、アトレイア】
『なんで、母さんの名前を‥‥っ』
アリサ。それは。
アトレイアにとって、重要な意味を持つ名前だった。
瞬後。
爆発を錯覚するほどに、騒々しい笑い声が室内に響く。
【アハハハハハッ!! アハハハハハハハハッ!!!! 見た!? 見たよね、フィー!! サイッコーだよアトレイア! 気になるよねぇ、だって数少ない血縁だもんねぇ!!】
耳障りだった。笑い声も、そこに滲む悪意も。
でも、彼女はどうしても続きを聞かなくてはいけない。そこに籠められた悪意ごと、全て。漸く掴んだ手がかりなのだ。
【気になるでしょう、アトレイア。もう一回聞くよ。君は、自分と、見ず知らずの人間だったら、どっちが大事?】
『それが、何の関係があるの』
【大ありだよ。だって‥‥ねぇ。フィー】
銀髪の少女が、プロードの言葉に無言で頷いた、瞬間。
小さな爆発と共に、少女が背にした壁が崩れた。粉塵のその奥には――黒髪の女達の姿がある。その数は行方不明になった数と『一致していた』。
【壁の爆発を見たでしょう、アトレイア。彼女達にも同じ物が仕込んである。ねぇ、最後の問いだよ、アトレイア。
君は、自分の命と、見ず知らずの人間だったら、】
――果たして、誰が予想できていただろうか。
廃ビルが、鈍く鳴動することを。
そして。アトレイアが立っていた床が、崩れる事を。
悲鳴を上げる間もない。砕かれた床から伸びた手が、麻痺の残るアトレイアを抱え上げると、瞬く間に別の壁を割り、飛び出して行った。
【‥‥‥‥え?】
それは、プロードにとっても予想外の出来事だったに違いない。拍子抜けした声が全てを物語っていた。
「発言の許可を、プロード様」
【あ、うん、いいよ】
「ミスタ・グラスコーが、ミス・アトレイアを連れて逃亡しました」
【‥‥あ、うん、知ってる】
それでも、自失していたのは僅かな間だけだった。
プロードは言葉を継ぐ。それは、残った傭兵達に持ちかけられた‥‥新たな取引だった。
【っと、傭兵さん達は、動いちゃダメだよ? ‥‥フフ、こうなったらしょうがないよね。取引をしよっか?】
●リプレイ本文
耳に響く独特のラジオボイス。少年の軽やかな声は、悪意に似た嗜虐の色を多分に孕んでいた。その声に命じられて以来彫像のように動かなくなった銀髪の少女、フィーは傭兵達を見つめている。
女性達は、眠っているのだろう。僅かな息遣いが重なる音だけが部屋に満ちていた。言葉を交わす傭兵達の音が、やけに強く室内に響いていた。
――やはり、あの金髪の少年でしたか。
御鑑 藍(
gc1485)は僅かな後悔と、苦い感慨と共にそう思った。見下ろせばコンクリートの裂け目。その縁は、アトレイア自身の血が残っていた。
彼女の不調の原因は解らない。彼女の状態も気になる。だが。
――この状況、彼にとっても予想外の事態な筈。なら‥‥交渉が上手くいけば。
「‥‥解った」
そこに、言葉が一つ。煉条トヲイ(
ga0236)だ。
「条件を呑もう。だが‥‥こちらからも条件がある」
【へぇ、聴こうか?】
トヲイの言葉に、愉しげな笑い声がくつくつと溢れる。
「条件は三つだ。一つは、彼女達に仕掛けてある爆発物の解除。
二つ、女性の開放と、フィーの開放は此処ではない場所でおこないたい。
三つ、フィーの開放と、この女性達の安全が確保される迄の一時休戦」
【ふぅん、随分悠長なんだね】
「だからこそ、これが纏まり次第俺達のうち三名が此処に残り、四名はアトレイアの救出に向かう。それなら問題は無い筈だ」
【へぇ】
嬲るような声に、リズィー・ヴェクサー(
gc6599)は僅かに身を震わせた。動くなと言われ、従ってはいるが‥‥心の裡は焦りに満ちている。
アトレイアの事が気がかりだった。苦しみながらも足を進めていた彼女の危うさが、リズィーには護るべきものとして刻まれていたから。
だが‥‥目前の女性達。項垂れ、意識を無くしている女性達の命もまた、彼女にとって護るべきものだった。
彼女達の姿を見ていると、視界に赤く、不吉なものが過る。護れなかった者達。間接的にとはいえ、彼女自身が招いてしまった血の惨劇。
動き出したいのに、それができない。リズィーは二律背反に縛られていた。
月野 現(
gc7488)は、激情を堪えるように手を硬く握りしめながら、だが、こう言った。
「プロード‥‥お前は、アトレイアに執着があるんだろう? 今人質が死んでしまっては、彼女の心理的な負担が大きくなる。その人質を損なう事は、互いに損しかない筈だ」
――何が護るだ。こんな時に、そばにも居てやれない。
だからこそ、現は努めて、冷静に言う。
「それこそ興ざめだ。玩具は長く楽しみたいだろう?」
己の意に添わぬ事を、敢えて口にした。
【知ったような口を利くねぇ、君】
だが、少年は、愉快げに。
【じゃ、断っちゃおっかなぁ】
そう言った。
沈黙が落ちたのは僅かな間。
【その方があの娘は傷つくんでしょう? それって素敵じゃない!】
「下衆‥‥が」
息を呑む傭兵達の中。少年の声に不破 炬烏介(
gc4206)は小さく吐き捨てた。『虐殺セヨ』と、脳裏に響く声が大きくなるのを感じる。だが、今は呑み込まなくてはならない。アトレイアに感じた、翳り。その答えを手繰り寄せる為には、まだ。
つと、重い空気をそっと開くように声が紡がれた。
「でもそれじゃ‥‥アトレイアを助けられない」
羽柴 紫(
gc8613)だ。
藍とは違い紫は状況を辛く見積もっていた。だからこそ、提起する内容、条件は敵の立場に根ざしたものになる。
【はい君、セイカーイ! だから、助けに行きたい人は行ったら?】
ただね、と少年は続け、こう結んだ。
【人質の開放はもうちょっと保留。‥‥その方が愉しそうだもん】
瞬間。その言葉を最後まで聞く事もなく、リズィーは駆け出していた。
その背を追うようにして、フェイル・イクス(
gc7628)、藍が走る。
「ここは御願いします。‥‥御武運を」
去り際のフェイルの言葉に焦らされながらも、現は敢えて踏み止まり、室内を注意深く見渡して不審な点がないことを確認した。
――異常はなしか。
残る面々に合図し、部屋を去ろうとしたのだが。
【部屋をでたら左へどうぞ】
笑みを含んだ声に背を押されるように、苦い物を噛み締めながら現は走った。
●
「仕掛けは‥‥無い、ようだ。塵芥程も‥‥信用、出来んが」
ぎこちなく、炬烏介が言う。だが、その言葉と、煌々と白く光る双眸には油断の色はない。
【君は残ったんだ?】
言葉は恐らく、トヲイに向けられたものだろう。フィーが僅かに視線を動かしていた。
「ああ」
言葉に、青年はフィーを鋭く睨み返しながら、こう応じた。
「万が一、貴様がそこの女性達を殺した場合‥‥彼女――フィーを生かして帰す気は無い。
例え刺し違えてでも、息の根を止める覚悟がある」
「俺は‥‥頭が悪い、から。テメェらが‥‥少しでも傷つけば‥‥良い」
――その意味が解るか、と。
トヲイが釘を刺すように言うと、炬烏介が続いた。二人の男の言葉には、確かな殺気が籠っている。
【怒らないでよ‥‥怖いねぇ、フィー?】
「いいえ、別に」
【‥‥はぁ】
「それで‥‥人質は、どうするの? 私達は、彼女達を助けるために取引は守る。プロード、貴方は?」
重ねて問う紫の声に、小刻みな笑い声が響く。
【勿論開放するよ。外がいいなら、それで】
先程と180度異なる解答に、男達が逆に警戒を深める中、紫は小さく首を傾げた。状況は傭兵達の方が不利な筈なのに何故、と。
【フィーは返して貰わないと困るしね。さっきのは冗談だよ、皆血相変えちゃってさ!】
「ち‥‥下衆が」
吐き捨てる炬烏介に、少年は心底愉しげに笑った。
――何か、他にも狙いが有るって事‥‥?
声に、紫はふと、そう思った。
【じゃ、彼女達を外へ出してもらえる?】
●
四人は全力で駆けていた。一番足の速い藍が破壊の痕跡や粉塵を辿るようにして疾走。
フェイルは廃ビル群の屋上へと登り、屋根伝いに追走。残る二人は、藍の背を追う。
夜道を、月明かりとリズィーが手にしたライトが照らしている。
見つけたのは、藍が先だった。
「いました」
藍は無線に告げながら、なおも走る。
視界の先。
そこには、地に投げ出されたアトレイアとそれを抱え上げようとする男の姿があった。傍らには折れた小太刀が一振り。刃の部分は、男の足下に落ちていた。
――彼女も、戦っている。
感慨と同時。藍は強く大地を蹴りだした。
接敵。
僅かに黒衣の男がアトレイアを肩口に抱え上げるのが先か。だが、それ故に藍の奇襲には対応できない。
蒼色の残滓を曳きながら、藍は手にした刀を一閃。
――硬い。
だが、赤光と男の頑強さに遮られに手応えは乏しい。
「ぎ、ぁ!」
怒声と共に、女を抱えるのとは逆の手で振るわれた一撃には、尋常ならぬ力が籠められている事を藍は知っていた。
轟。
間近で唸る風を感じながら紙一重で回避。その頃には、切った傷は癒えている。
大振りの一撃を回避する事は藍には容易いが、それは綱渡りの攻防戦でもあった。
だが、均衡は長くは続かない。二人の攻防に、割って入る音がある。
フェイルと現の銃弾。そして。
「離すのよ!」
言葉と同時、リズィーの手にする超機械から電磁波が放たれる。弾幕と電磁波が幾重にも重なり、男の肉を撃ち、灼いた。
それは先程の藍の斬撃よりもなお強く、男の痛覚に響く。
「――ぐ、」
斬れる。隙と捉えた刹那、藍の身体は自然に動いていた。
染み付いた動きで腰を落とし、地を踏みしめた瞬後。二度の剣閃の軌跡は完全に同一に。
――真燕貫突。
赤光を裂くようにして振るわれた妙なる斬撃は、違わず男の腕を断ち切った。
●
――執着ばかりだ。
女性達を開けた場所へと移動させながら、紫は小さくごちる。胸の奥に小さな棘が刺さっていた。
「皆‥‥一生懸命」
言いながら、紫は先程の問答を反芻する。
アトレイアと、その母親と、声の主。その詳細はまだ解らないけれど‥‥でもそれは、アトレイアが一番探していただいじなものだった筈で。
問いたかっただろう。でも、それも出来なくて。
サイアクだ、と。そう思った。
だからだろうか。
「ねえ、プロード‥‥彼女が帰るまで、退屈凌ぎに立ち話しない?」
自己紹介の後、女性達の爆弾の解除をしながらそう言った。フィーがスピーカーを大事そうに抱えながら移動していて、対話は出来るようだったからだ。
その場にはトヲイも居る。彼がその一挙手一投足を鋭く見つめる前で、フィーは何事も感じていないようだ。そも、意識すらしていない。その事がトヲイにはどこか異質に感じられた。なお、炬烏介は罠や伏兵の類いを探りにいっている。
【ン、良いよ】
「ありがと。‥‥さっきのアリサって、アトレイアに似て可愛いんだ。でも、何故プロードがアリサを知ってるの?」
【アハハ、気になるよね? それはねぇ】
「ばぐあ、テメェ」
それを遮るように、声が降ってきた。先程までいた廃ビルから、炬烏介が見下ろしていた。
「‥‥何故、隠して、いた」
青年が胸元を掴むようにして掲げるのは、白いキメラ。特に抵抗するでもなく、為されるがままに揺れている。炬烏介は五感を駆使してそれを見つけ出していたようだ。
【何故って、翼は現場に十三枚無かった? ――気付いてなかったの?】
「‥‥手は出していない、か」
【約束通りでしょ?】
トヲイの言葉に、少年。伏兵の存在‥‥こうなると一つ、奇異に思える事があった。
「テメェ‥‥何故‥‥取引に、応じた」
瞬間。爆発するように笑い声が響いた。
●
轟くは男の怒声。
「アトにゃん!」
憤怒は、投げ出されたアトレイアを抱きとめ、安堵の滲む声で女の名を呼ぶリズィーへと向けられていた。
「‥‥!」
安堵は現にしても同じ。だが、現はその心は急いていた。走る。
「返、せ!」
ひび割れた声で憤怒を露にしながら男が向かう先は――リズィー。
「バグアめ、ェ!」
怪訝に思う間もなかった。間に入り、『不壊の盾』の発動を示す盾の紋章が現の身体へと呑み込まれた瞬間、現が掲げた盾から全身へと凄まじい圧力が掛る。男は現には目もくれず、一心に拳を振るっていた。
現の背で、癒え始めた男の傷に対してリズィーが虚実空間を使用するのを見ながら、フェイルは現状を俯瞰。
――細かな再生は止まない。加えて‥‥先程から手応えが、無いですね。
藍もフェイルも全力で攻撃してはいるが、此方側の火力では男を短期で打破するには不足していると言わざるを得ず――現の練力が尽きれば、リズィーへと魔手が届く。
「‥‥ふふ」
逼迫した状況に、しかしフェイルは笑んだ。
何故なら、彼女の前で哀れな怒号をあげる男は、彼女からみたら的に過ぎないからだ。撃てば肉が抉れ、血が溢れる。
『玩具は長く楽しみたいだろう?』
――その通りですね、ツキ。
「さあ、踊りましょう。破壊の円舞曲を、暴虐の輪舞曲を」
銃声は、スラム街に高く響く。
●
【そんなの決まってるよ! ――アトレイアに、傷ついてもらうためさ!】
可笑しくて仕方が無いように、嗤う。
【その女性達も可哀想だよねえ、彼女さえ母親に囚われてなければ幸せに暮らせてたのに】
【今こうして、彼女の頼れる仲間達は互いに託しあって、夫々の戦場に向かってる。美談だね。でもさ】
続く言葉を予想して、傭兵達は言葉を呑んだ。フィーは先程――誰を見ていた?
【これで万が一、自分のせいで誰かが傷ついちゃったりしたら、アトレイアはどれ程の後悔を抱くんだろうね。
ホントはこの人達も殺したいんだけど‥‥君達、抜け目無さ過ぎ!】
無邪気な言葉に、トヲイは踵を返して藍達の元へと向かおうとした。
向こうの戦況は解らない。無線に連絡は無い。ただ、あの手応えを身体が覚えていた。
「‥‥だめ」
遮ったのは、少女の声。
「‥‥この人達が、危なくなる」
事此処に及べば、紫にも構図が見えて来ていた。九死に一生といってもいい現状には、フィーの存在。そこへの楔が無くなれば、今度こそ少年は自由に動いてしまうだろうと。
【ハイ君、セイカーイ。動いちゃだめだよ、お兄さん? それに】
――そろそろ、結果が出る頃さ。
●
グラスコーは止まらなかった。痩身を限界まで動かし、塞がっただけの傷口すら叩き付けるようにして、現を――その奥のリズィーを狙い続ける。
「リズィー、アトレイアを連れて、逃げろ!」
限界を感じての現の言葉に、リズィーは背筋がざわつくのを覚えながらも小さく首を振った。男との速度の差も、此処で自分が離れる事の意味も少女は知っていた。
「‥‥護るのよ」
少女の後ろには、身を震わせながらも立とうとするアトレイアがいる。
――だから、少女は盾を構えた。
「ボクの、命に代えても! ‥‥通さないんだから!」
少女が全身全霊を籠めてそう言うのと、現の練力が不壊の盾を維持出来なくなるのはほぼ同時。グラスコーは膂力で現を押し飛ばし、リズィーへと駆けた。
交錯は――一瞬。
掲げた盾に喰らい付くように振るわれた拳を。
少女は――受け止めきれなかった。
少女はそれでも練成治療で耐えようとした。だが、どうして身体を貫く腕ごと治療ができようか。
苦しくて、悔しくて涙が浮かぶ。
誰もが息を呑んだ瞬間、藍だけが走った。直感かもしれない。ただ。
「‥‥護る、の」
瞬間。
爆音が響いた。藍はリズィと男との間に身をいれこむ。
余りに濃い血の華が咲くと同時――何かが崩れ落ちる音がその場に居るものの耳朶を打った。
倒れたのは――グラスコー。
男は最早声も出せずにいた。それでも執着を叶えようと伸ばした手はアトレイアへと向けられている、が。
「あっけない幕切れですね」
フェイルだけが惜しむように言う中、男の手は、銃声と斬撃によって遮られた。
「‥‥お休みなさい」
藍の介錯の一撃は夜の街に鋭く響いて、消えた。
●
無線からリズィーが重傷を負った事と、グラスコーの自爆の報せが入った事と、フィーを開放するのはほぼ同時だった。
紫は治療の為に急ぎその場を離れなければならなかったが、呼び止める声があった。
【あ、そうそう。さっきの質問の答えだけどね】
――アリサは、僕の所にいるんだよ。
くすくすと、嗤いながら続けた。
【彼女に伝えといてね? 心がまだ壊れてなかったら、だけどさ!】
「くだらね‥ぇ‥『怨念‥仇‥ヲ』‥‥何時か。ブッ殺す」
炬烏介の鈍い独白に、トヲイは深く息を吐いた。濁った澱を、吐き出すように。
「‥‥すまん」
掛けたい言葉は他にもあったのだが‥‥現は呑み込んで、言う。ただ。
「感情は、吐き出せば良い。俺が‥‥受け止めてやる」
それだけは、言っておきたかった。
アトレイアは自身と同じく荒く、小刻みに喘ぐリズィーを抱きかかえている。俯きながら‥‥囁くように、言った。
「ごめんなさい‥‥今は、見ないで‥‥」
被害者達は救う事が出来た。
だが――アトレイアの心の傷を癒すには、今は時間が必要だった。