タイトル:【QA】人類の為に死ねマスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 25 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/02/28 00:28

●オープニング本文


 過日の一件以来、北米、オタワでエアマーニェの4と傭兵達が言葉を交わしている間もラムズデン・ブレナー(gz0465)は自身の天文台に居た。
 先日の一件から、付近からユダの分裂体の姿は影も形も無くなり、ブレナーは暢気に星を見たり、散歩に励んだり講義をしたりと気ままな生活を送っている。
 元より閑静な山間の施設だ。そこでの日々は、老人の陽気さも頭脳も一切変わっていない筈なのに、穏やかな時間が添うだけで何処か侘びのある光景になっていた。

 その日は、いつもと変わらず長閑な冬の日だった。
「‥‥ホム」
 椅子に腰掛け何事かを書き記していた老人は、あくびを一つ。静かな部屋に、老人がペンを走らせる音だけが響く。
 そうこうしている内に書き終えたそれを、ブレナーは悪戯な笑みで再度見直し、封筒に入れそれに封をすると、老人はよっこらせ、と立ち上がる。散歩の時間だった。

 ――だったのだが。

「は、は、は、博士!?」
 遠くから助手が駆けてくる音が聞こえてくると、ブレナーはふと、寂しげな表情を浮かべた。だが、助手が姿を表す頃には、快活な笑みだけある。
「ホホ! どうしたんじゃ、騒がしい。‥‥どれ、当ててやろうかの」
「エアマーニェです! エアマーニェが、通信を送って来ています!」
「‥‥‥」
 助手の言葉に、老人の掲げた人差し指が、空しく垂れ落ちた。

『交渉の結果、貴方が交渉の対価として我々の元に差し出される事になりました。ブレナー博士』
「ホホ! そうじゃろうな」
『予測していたと?』
「ホッホ! 秘密じゃよ」
 大げさなくらいのウィンクと共に、ブレナー。対するエアマーニェの2は、老人のその態度に対して不敬と感じている事は無いようだ。
『‥‥いずれ解る事ですから、今は置いておきましょう』
 畢竟、老人は過日の接触のリスクを正確に認識していたということなのだろう。
 ヨリシロとしての価値は、戦闘に限った事ではない。優秀な素体という意味では、恐らく強化技術で代用が効くのだろう。
 その上でバグアの食指が動く人材のなかで、人類にとってもっとも都合が良い人間を考えてみればいい。
 軍事知識が無く、機密情報を殆ど持たず、エミタに関する知識も殆ど持たないブレナーは――どうだろうか。
 点と点を結んだ時、結果としてブレナーが第一の候補として上がる事はある種の必然で‥‥あるいは、老人の狙い通りなのかもしれない。
『じきに軍の人間から連絡が行く事でしょう。貴方のお考えは‥‥』
「ホホ、構わんよ。」
『そうですか』
 同時。
「は、は、は、博士!!」
 遠くから聞こえた助手の声に、ブレナーは小さく笑みを浮かべた。
「‥‥来たようじゃの?」
『では。再会のそのときまで、ブレナー博士』
「ホホ! シーユー、じゃよ!」


 電話の主は、ヴェレッタ・オリム(gz0162)中将、その人だった。
 オタワでの交渉に際して間接的に関わりのある二人だったが、オリム自身の多忙も相まって纏まった会話をするのは初めてのことだった。
 自己紹介に始まり、話題はエアマーニェの言葉にあった通りの方向へと進んでいく。
『‥‥謝罪の言葉は無意味でしょう。ただ、現状ではこれが最善の結果でもあります』
「ホホ、しおらしいのぅ。ブレストから聞いていた話しではもっとこう」
『――博士』
「ホッホ! 解っておるよ。‥‥全て了解済みの事じゃ」
 だから、いいんじゃよ、と。赦しの籠った声で老人は言う。
 電話越しのオリムは、それをどう受け取っただろうか。ただ、静かな逡巡の気配だけがノイズとなって伝わる。
『‥‥そうでしょうね』
 ただ、例え誰が赦したところで本質的にこの件において赦しなど有り得ないのだとオリムは知っていた。
 そして、今回の運びが老人の独断専行が引き起こしたものだだという事も、。
 誰よりも彼女こそが今回の交渉とブレナーの道行きに責任を負っている一方で、彼女だけは、ただただ謝罪してはいけないのも一つの事実ではあった。
 ――老人は、それを斟酌しているのだろう。
「ホッホッホ!! それにの、知っておるじゃろうがワシは元々軍人じゃぞ? そりゃぁ、階級はお前さんよりもずーっと下じゃがのぅ! 国のためどころか世界の為になる事じゃ。お前さんが気にすることじゃない」
『‥‥』
 ただ、言葉が募れば募るだけ、己の無力を噛み締めざるを得ない事実が、重かった。
「フーム、辛気くさいのぅ! うーむ‥‥ホ! そうじゃ、こういうのはどうかな。ワシに一つ、命令をしてはくれないかのぅ! キリッと、ビシッと、お前さんの部下にするようにのぅ! ワシの一生の御願いじゃ!」
『‥‥悪趣味ですね、博士』
 むしろ懇願するような老人の声に、それを気配りの結果としりながらオリムはこの日初めての笑みを浮かべた。
 オリムは咳払いの後――告げる。

『ラムズデン・ブレナー大尉。命令だ』
「ホッ!」

『‥‥人類の為に、死ね』

「イエスマム、じゃ!」
 言葉の続く老人の笑い声には、微塵の後悔もなかった。



 だが、事はすっきりとは運ばなかった。

『迎えは、軍の精鋭を送ります』
 そう言ったオリムに、ブレナーは‥‥。

 全力で、ごねた。

 どうせマッチョばかりがくるんだろう、とか。
 そもそもワシは軍人は嫌いじゃ、とか。
 世話になった傭兵達とも話したいのぅ、とか。
 老人の頼みを聞いてはくれんのかのぅ、これだから軍人は、とか。

 結局、ブレナーの気遣いで軽くなった心の重荷がまたのしかかるのを感じながらオリムは傭兵達の派遣を承諾せざるを得なかった。
『‥‥オタワでお会い出来るのを楽しみにしていますよ』
 そう言って電話を切った声の苦さは、ブレナー以外の人間が聞いたら心胆を冷えさせた事だろうが、老人は快活に笑い、傭兵達の来訪を心待ちにしていた。

 しかし。
 出発の時、というのはつまり。
 ――別れの時だった。


 LAからオタワへの移送は、車両にて行われる。老人の体調も踏まえて、4、5日間をかけた長旅になる予定だ。今回の移送に関わる傭兵達と軍人達が、大量の車両と共に移送の為に天文台へと到着していた。
「‥‥博士ぇ‥‥」
 一方、残される者にとってはそれは、今までのような気楽な物にはなり得ない。
 ――これは、今生の別れなのだから。
「世話になったのぅ」
「そんな‥‥僕だって」
 助手の言葉は、嗚咽に呑まれ萎むように消えて行く。
 老人はまだ若い助手の背を小さく叩き、静かに待った。
 時間はあったのだ。別れの言葉は交わして来ていた。
 今は気持ちが溢れているだけの事。だから‥‥老人は、託す事にした。
「‥‥そうじゃ、お前さんに仕事を頼んでもいいかのぅ?」
 差し出したのは、一通の手紙。
「これを、LHのブレストに渡すんじゃ。きっと良くしてくれる筈じゃよ」
「‥‥‥‥」
 助手は膝を突き、項垂れた。それが意味する事を、彼は良く知っていたからだ。
 だから。

「‥‥さようなら、博士」

 そう言うしか、無かった。

●参加者一覧

/ 煉条トヲイ(ga0236) / 地堂球基(ga1094) / 鷹代 由稀(ga1601) / UNKNOWN(ga4276) / シーヴ・王(ga5638) / 鐘依 透(ga6282) / 時枝・悠(ga8810) / 紫藤 文(ga9763) / キア・ブロッサム(gb1240) / リヴァル・クロウ(gb2337) / ドニー・レイド(gb4089) / サンディ(gb4343) / 愛梨(gb5765) / ソーニャ(gb5824) / エイミー・H・メイヤー(gb5994) / 月城 紗夜(gb6417) / 夢守 ルキア(gb9436) / 美具・ザム・ツバイ(gc0857) / ラナ・ヴェクサー(gc1748) / ラサ・ジェネシス(gc2273) / レインウォーカー(gc2524) / ミリハナク(gc4008) / ヘイル(gc4085) / ユメ=L=ブルックリン(gc4492) / 月野 現(gc7488

●リプレイ本文

●1st day.
 空は高く、大気はどこまでも透き通っている。
 その場に集った大所帯。それを眺めて、鷹代 由稀(ga1601)はわだかまるものを感じていた。
 ――随分腕利き揃えたもんねぇ‥‥バグアとの取引なら邪魔も入らない筈なのに。
「ま、いいか」
 どうせ、突っ込んだ所で益はないだろう。
 ‥‥ただ、気に入らないだけ。
 燻った感情を紛らわすように煙草に火をつけ、由稀は車に乗り込む。
 出発の時間が、近づいていた。

 愛梨(gb5765)は由稀と同じものを眺めていた。
「車なんて使わないで‥‥飛行機に護衛のKV付けた方が、早かったんじゃないかしら」
 ――人手の無駄じゃない。
 その言葉を拾う者は無く、言葉はただ足下に落ちて行く。
 そこには鈍い反感の影が籠っていた。
 バグアの言葉のままに生贄を差し出す事をただただ容れるには、少女は様々な戦場に立ち過ぎていた。
 これまでに犠牲になった人間に、自分は何と言えばいいのだろうか。
 あの老人は死にに行くのに、どうして、顔を合わせられるだろうか。
 答えは、出ない。



 ラサ・ジェネシス(gc2273)が駆るジーザリオ内の空気は重い。
 エイミー・H・メイヤー(gb5994)は運転する少女を気遣うように、横目で様子を伺う。平素は明るい少女が、今は沈鬱に沈んでいた。
 守るべき人々を、命惜しさにバグアに差し出す。これほど屈辱的な事は無いとラサは思う。
 ――我輩の力の無さが、嫌になるな。
 膿んだものを吐き出すための嘆息が、音の少ない車内に大きく響いた。
 その心中を推し量るエイミーは、尚の事、言葉を掛ける事は、しない。妹のように大事にしているからこそだ。
(あたしが博士の立場なら)
 彼女は言葉を呑む代わりに黙考した。もし、己の命で大切な者達を守れるのなら。
 ――投げ出せる。
 強くそう思った。守りたい者の中にはラサも含まれている。
 だがそれは、彼女では無い化け物が大切な誰かを傷つけるかもしれない事と同義で‥‥逃げれば次の生贄が出るかもしれず‥‥それが護りたい者でない保証は無い。
 ――どの選択が、最善なんだ。
 未だ、彼女の中には答えは無かった。


「みんな辛気くさい顔だねぇ。まるで、葬列だ」
 車の運転をしながら、レインウォーカー(gc2524)が言った。それは、同乗するラナ・ヴェクサー(gc1748)とキア・ブロッサム(gb1240)へと向けられた言葉だ。
「‥‥そう、ですね」
 答えは、どちらのものだったか。レインの言葉を示すように、そこかしこに不安げな顔が見えた。
「――まぁ、実際の所、葬列そのものかぁ」
 道化を称する男は出来の悪い冗句とでも言うように嗤いながら、前方を往くジーザリオを捉えた。
 確かあれは――シーヴ・王(ga5638)の車だった筈だ。先導する彼女の車を捉えながら、レインは目を細める。
「さぁて‥‥どうなるかねぇ」

「‥‥大河に差し込まれたモンは、小枝じゃなくて大木だったみてぇですね」
 ぽつ、と言葉にする。車内には、ミリハナク(gc4008)が同乗していたが、彼女は走り出したそばから爆睡しだしていたから、応じる言葉はない。
 考えに耽るには、都合が良かった。
 ――解っていたのかもしれない、とシーヴは思う。
 良く知る老人だ。そんな彼が、バグアに差し出されていく事に思う事もある。
「‥‥それでも、爺ぃが選んだ道」
 呟きには迷いは無い。

 その隣。心地良い振動に揺られながらミリハナクは夢を見ていた。
 昔の夢だ。戦いを求めた、その始まり。
 最初は、死にたくなかった。手を伸べる者の無い孤独がそうさせた。
 次第に、生きる事が解らなくなっていった。
 生と、その実感を求めて武器を振るうようになったのは、いつからだったか。
 夢の中で女は戦いに耽っている。

 それは――今や、悦楽を伴うものであった。


 最初に乗り込んだのはリヴァル・クロウ(gb2337)と美具・ザム・ツバイ(gc0857)だった。

 ――献身的な自己犠牲‥‥確かにそれもあるのだろう。
 老人自身が仕向けた節すらある現状。
 それを思いながら、リヴァルは口を開いた。
「以前、博士はバグアは悪ではないと述べていたと記憶している」
 笑むブレナーに、男は言葉を継ぐ。
「だが、最前線で様々な事を見て来て、解った事がある」
 ――我々とバグアは、共存できない、と。
「生存のための行為だけでは説明の付かない事象もあった。バグアは悪ではないかもしれないが‥‥敵だ」
 この事実は変わらないだろう、と男は結ぶ。それは失った者の論理だった。故に重い響きを有している。
「今後、全面戦争になる可能性は低くない。その上で、一個人として伺いたい。博士は‥‥今の世界とこれからに、何を望み、託しているのかを」
「ホム」


「いやー、壮観だな」
「‥‥うん」
 車列を眺めて努めて陽気に発された声は、紫藤 文(ga9763)のもの。返された沈んだ声は、助手席に座るサンディ(gb4343)のもの。
 こりゃ難敵だな、と。文は頭を掻いた。
 サンディは窓の外を眺めていた。流れて行く見知らぬ風景も、無聊の慰みにはならない。
 そんな自分が、と。サンディにはあの老人の前で真っ直ぐに立てる自信がなかった。
「――あのね」
「ん?」
 沈鬱な空気を少しでも飛ばそうと。サンディは口を開いた。
 語られる内容は老人との思い出ばかりだ。危機もあった。辛い事もあった。でも、その何倍も、楽しかったのだ。
「‥‥で、ね」
 いつしか零れだした、ほろほろと伝う雫も、そのままに。サンディは言葉を重ねる。
「‥‥ん」
 男は、ただただそれを聞いていた。


 問いに、珍しいことに老人は逡巡していた。
「何かを、託す。フム‥‥答えは後でもいいかのぅ?」
「ああ」
 男はやや驚きながらも首肯した。
 他方、美具はその様子を眺めながら、感慨に耽っていた。
 ――こんなことなら、あの会談に行っておくべきじゃったな。
 何ができたかは解らないが、それでも、と。
「ときに博士」
「なにかな?」
「――もし、博士が人類に仇なす時は、美具は速やかなる死を差し出そう」
 誓約。そこには願いが籠められてもいた。
「じゃが、の。‥‥万が一にも、己の意思が保たれし時は――バグアとの架け橋になってもらいたい」
 実現可能性は解らない。だが、伝えたかった。
「古今東西、いかなる人類の歴史を紐解いても、一方が一方を殺し尽くしたという戦争は存在しないのじゃ。あるとしたら、それは」
「言葉が交わせない場合、じゃの?」
 老人の言葉に、美具は頷く。
「然り。じゃが、バグアは今回の事で、意思疎通が可能な事を証明してしまった」
 ならば。
「この戦い、政治的な手打ちが必要になるはずじゃ。こんな期待をするのはお門違いかもしれんが、心の隅に留めおいてくれると嬉しいのじゃよ」
「‥‥忘れんよ」
 それは、美具からの手向けの言葉であり、願いだった。だからこそ、老人は嬉しそうに笑ったのだった。

「最後に、もう一つだけ。‥‥関係無い話で、申し訳ないのだが」
「ホ?」
 停車の流れを感じながら、リヴァルは最後に問うた。
「‥‥もし、戦争が終わり俺の様な凡人でもまた学問を志せる、そんな世界が訪れた時‥‥どの分野が良いだろうか」
 問いに、老人は心底楽しげに笑って、言った。

「そりゃ、決まっておろう! お前さんの願いを叶えられる分野じゃよ!」



 冬の夜空は、澄んでいて高い。
「たまには天文台以外から見るソラも良いものじゃのぅ」
「‥‥そう言ってもらえると」
 ドニー・レイド(gb4089)とブレナーは停車した車両群からやや離れた場所で、ドニーが持参してきた天体望遠鏡を覗き込んでいた。老人は望遠鏡を覗き見ては、笑っていた。

「‥‥博士。宇宙に、行けますよ」
「ホホッ! ――漸く、じゃのぅ」
「後のことは任せて下さい。貴方の夢は、俺達が続きを見る」
 沁み入るような老人の声に、ドニーは頷き、笑んだ。
 別れは済んでいた。だからこれは‥‥老人の背を押すための言葉だ。
「だから貴方は安心して、未知との遭遇ってやつを楽しんでくるといい。貴方の人間らしさをあの綺麗な顔に叩き付けてやるのが、連中には一番聞くに違いない。ひょっとしたら、口説くくらいで丁度良いかもしれませんよ?」
 ドニーの冗句、老人は笑みを深めた。
「言うようになったのぅ、ドニー!」
「‥‥ええ、まあ」
 男は笑った。そうして、ソラを見上げて、言う。見慣れたソラは、恐らく、彼等にとっては最後のソラ。
「――連中と一緒に見る星空がどんな物か、次に会えたら、教えて下さい」
「ホホ! ワシが独り占めするかもしれんぞ?」
「きっと、出来ませんよ。自慢したくなるに違いない」
「‥‥それもそうじゃな」
 高笑いが夜の北米に響いた。楽しげなそれは、きっと二人にとって至上の夜だったに違いない。


●2nd day
 野営に似た二日目の朝は、早い。老人の朝が早かったから、なのだが。
 軍人を連れて散歩をしていた老人に、近づく男がいた。
「よ、博士」
「おぉ! 球基、元気じゃったか?」
「爺さんも元気そうで何よりだよ」
 陽気な老人の言葉に、出発前に各車両の整備をしていた地堂 球基(ga1094)は苦笑した。

「つぅかさあ。爺、あの悪戯からこういう流れになるのを絶対に狙ってただろ」
 ビシ、と老人を指し、球基。
 文字通り指摘をされた老人は、彼方を眺めて言った。
「さて‥‥どうじゃったかのぅ」
「ボケた振りしてもダメだぜ。‥‥まぁ、好き勝手やりながら結果を出すのは、流石年の功か」
 恍けた態度に乱雑に、球基は頭をかく。老人の行動を傍らで眺めて来た彼にとって、事の運び自体は理解しやすかった。諒解しているかというと、また別な話なのだが。
「何れは星の彼方へ、かよ」
 その時、状況はどうなっているのだろうか。現状、先行きは不透明に過ぎた。停戦か、全面戦争か。
「‥‥敵味方に、なるかもしれないぜ?」
「うーむ。まぁ、解らんがのぅ‥‥ほら、相手の居る事じゃしの?」
「もし、俺がその現場に立ち会うなら」
「解っとる」
 ――解っとるよ。
 そう言って、老人は頷いた。
「‥‥受け継いでみせるぜ。星の彼方へ行く事を、な」


 レインに見送られ、ラナとキアはブレナー博士の元へと訪れていた。
「綺麗どころじゃの!」
 キアの笑顔にはしゃぐ老人を他所に最初に口を開いたのはラナだった。

「エアマーニェの提案と中将の判断を、貴方は受け容れているんですか?
 それは個人として、大切な人を護る為? それとも、人間全てを守るという、責任感ですか」
 問いは、キアにとっても興味深い物だった。
 利用し、利用されるのが常である人類が、自らを捧げるに足るほどのものとは思えない。それ程に、キアの魂には不信が刻まれていた。
「どちらかと言うと前者じゃが‥‥ずばり、エゴかもしれんのぅ」
 指を立て、老人は続ける。
「というと?」
「無論、死んで欲しくない人間ばかりじゃよ。じゃが‥‥ワシは、宇宙もこの目で確かめたくもあるのじゃ」
「だから、例え、何かを護れど‥‥それが見れなくても、それでも良いと」
 次いだ問いは、キア。老人は笑みと共に頷いた。
 ――彼はそこにいなくても、その手前にも彼の目的はある、と。
 キアは胸中でそう呟いた。

 停車の頃合いに、視線でラナを促した。これ以上長居する事も無いだろうと。
「‥‥最後の時を、安らかに」
 それを受けてラナは立ち上がり、言葉を投げる。
「ほほ、またの」
 老人は丸っこい手を小さく降りながら、それを見送った。


 去り際。キアはラナの背を眺めていた。
 眼前に居るのはいがみ合い、蔑み合った女だった。それでも傍に居る奇縁。
 ――何時からかそれが普通になっている事を、キアは小さな驚きと共に受け容れた。
 つと、視線に気付いたラナがこちらへと振り返る。
「‥‥貴女が彼の立場でしたら、如何に答えるつもり、かな」
 問いは、キアのもの。
「‥‥私が慕う人、護りたい人の為ならば‥‥受け容れますよ」
 ならば、温度を含んだ答えはラナのものだ。
 予想外の解答に、キアはむしろ落胆に近しいものを覚えた。想いの如何には想像がついたが、それでも。
「それはラナ・ヴェクサーであり、貴女ではない何かになる事」
 だから、キアの口から紡がれるこれは‥‥彼女自身にしても予想外なものだった。
「‥‥私の、『友』は。貴女の名前ではなく、貴女自身‥‥と、覚えていて」
 キアの笑みの奥には、氷雪を溶かす温度がある。それを残したまま、キアはラナの横を通り過ぎて行く。
 他方、ラナもまたその言葉を反芻していた。
 ――死ねない理由が、できた、かな。
 浮ついた心に、それでも刻み込みながら、ラナもまた、紡ぐ。
「其方こそ、隣が消えて‥‥.私に空虚、作らないように、注意して下さいよ」
 解された想いに引き出されるように、吐息と共に。

 果てるなら、共に、同じ時を。
 それは‥‥果たして、どちらの願いだっただろうか。

「‥‥随分と仲がいいんだねぇ、お前らぁ」
 二人の様子に、彼女達を待っていたレインがそう言って迎えた。ハンドルに顎を載せながら、つまらなそうに続ける。
「ボクはねぇ、誰かの為って言葉、好きじゃないんだよねぇ。誰かの為に犠牲になったら、その誰かにとても重いものを背負わせることになる」
 ――それに哀しいだろ。大切な人が傍に居ないのは。
 その言葉に、ラナは小さくはにかんだ。想起した顔は‥‥一体誰のものだったか。


「一緒に行こっ! 先輩と後輩の仲じゃん!」
 押し黙ったまま進む月城 紗夜(gb6417)に、夢守 ルキア(gb9436)がにこやかについていく。その背を月野 現(gc7488)がついて行く形。
 ――こんな状況でなければ、天寿を全う出来たんだろうな。
 軍人が戸を固めるキャンピングカーを眺めながらの現の呟き。
 言葉には、悔恨が滲んでいた。それは、言葉通りに過去を憂いたものではないだろう。現況に対する、自らの到らなさへと向けられたものだった。
「‥‥行くぞ」
 応じた紗夜の言葉は、硬さを孕んでいた。
 その意味を知るのは――暫し、後の事となる。

「ラムズデン君! はじめに、伝言からっ!」
「ホッ?」
「先が短いどころか命の自由まで失われて。本当は運命だなんて、諦観のうちに受け入れて欲しくない。
 貴方の願いは必ず果たす。後顧の憂いは残さないよ。誰が、どんな姿で立ちはだかろうとも。
 さようなら。僕の、命の恩人。――以上っ、ふさふさの子から、伝言だよ」
「ホホ」
 差し出されたグミを摘みながら、老人は笑んだ。一つ一つの言葉を、大事に仕舞い込むように。
「身体は辛くない? マッサージならするケド」
「――それは」
 老人の歓喜の声を遮って、老人の傍らに立つ軍人の一人がルキアの提案を却下した。
「ちぇ、まあいいけど。ね、ラムズデン君。
 ヨリシロになるって‥‥どんな気持ち?」
 ――きみと言うセカイを、キロクするよ。一瞬も、永遠も超えて。
 それが、ルキアの願いだった。それが酷な問いでも、聞きたいと。
「正直、実感が湧かんのぅ」
 老人はムム、と首を捻りながら、言う。
「ワシに取っては、そりゃ、未知の物じゃ」
「それは、さ」
「そうじゃのぅ。早晩、終わりが来る事というのはある。じゃがのぅ」
 老人はそこで、にっと笑った。
「大勢の人間に見送られる事は、そう悪い気はしないのぅ」
「そっか」
 老人の答えに、頷くルキア。そこに、現が言葉を継いだ。
「俺は、貴方という偉人が居た事を、忘れはしない。
 ‥‥人類の敵として現れたら、必ず止めてみせる。それから」
 そう言って、男は頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
 不満はある。老人の夢の果てが、生贄に終わるなどと。
 だからこそ、感謝の念だけは表したかったのだろう。老人は驚きこそしたが、照れくさそうに頷いていた。


 その頃。煉条 トヲイ(ga0236)は軍人が運転する車両の中で、言葉を吐いた。
「目の前の理不尽に立ち向かう為の力が欲しかった。傭兵になった理由の1つだ。だが」
 それは、同乗する鐘依 透(ga6282)へと向けられた物であると同時、自身にも向けられたものだ。
「‥‥現実はどうだ。俺は、俺達は‥‥余りに無力だ」
 男は悔しげに顔を歪めた。間違っている事だと、トヲイも思う。だが、最良の一手とも言える事が一層の無念を掻き立てる。
 透はトヲイの声を聞きながら、往く車両の中で過日自らが言った言葉を反芻していた。
 ――例え死ぬと分かっていても、大切なモノを護る為に‥‥自分に嘘をつかなければ、後悔はしない。
「‥‥悔しい、なぁ」
 彼は、老人の選択に、自身の無力を通して見ていた。
 これが老人の狙い通りである可能性は否めない。だが、その目的と、覚悟。その意志を思った。
 ――自分の如き、若造が。水をさせる筈なんて、無い。
 遠く、視線の先には老人が乗るキャンピングカー。
 割り切れられる事ではない。納得もできない。ただ、応えたい、と透は思った。老人の想いに。
「‥‥暫し時が、必要なんだろうな」
 正しいと思える事を貫くための力を、得るために。そう、絞り出すようにしていうトヲイに。
「なら、今、せめて僕に‥‥頑張れる事は」
 透がそう呟いた、瞬後。

 キャンピングカーが大きく揺れ、窓から一人の軍人が弾き出された。


 衝撃の主は、歌っていた。
「人は往く 希望という重石を背負い」
 切々と歌い上げるは紗夜。
 その一歩は重い。行動の瞬後に始まった制圧射撃によるものだ。
 ――生贄が、一度で終わるだろうか。
 紗夜は自問する。答えは‥‥否だ。別れは繰り返される。
「空を越え 敵へと降る 唯、同朋を長らえさせる為」
 ならば尚の事、一時の安寧の為に、膝を屈する事を、少女は容れる事が出来なかった。
 ――玉砕しても誉れ。
 意志の満ちた瞳で、”敵”を見据える。
「誰に誰が、死ねと言えるのだろうか」
 歌はそう締められる。
「‥‥博士の意思をねじ曲げてどうするつもりだ!」
 誰よりも早く射撃を開始した現が叫ぶ。
「人類の一人を差し出して、言えた事か!!」
 穿たれ、言う事を効かぬ身体で紗夜はそれでも進み、叫び返した。
「この屈辱的な無様を、先に散った物に、見せられるか!」
「――やれ」
 ブレナーの傍らに立つ軍人は、少女の魂の叫びをそれでも無視した。AAの手で放たれたそれに、紗夜は容易く足下を掬われる。
 何故、と。少女の視界が怒りで赤滅する。
 ――我の‥‥私の、思想故なのか。
 無理解は、少女に孤独を感じさせた。

 ――それとも、私が、幼いというのか。

「あ、ぁ‥‥ッ!!」
 でも、と。刻み込むように、紗夜は膝を立てる。
「これが、この行動が、この命が、我の意志、我の、総てだ!」
 渾身の言葉。
 しかし、狂騒は、ルキアの言葉で幕を降ろした。
「‥‥現在の状況を変える一石だろうか。それとも空しく消えて行く、泡だろうか」
 言葉には眠りの力が付与されている。
 ――突破は、出来なかったね。
 ルキアは超機械を仕舞いながら、呟いた。
 ブレナーは眠りについた紗夜の傍らにかがみ込んで血を拭いながら、軍人に対して口を開いた。
「この事は、報告しないでおいて貰えるかの」
「しかし」
「中将にはワシが言おう。‥‥ただ、悪戯が過ぎただけじゃよ」
 結果として、軍人側に大きな被害が出ていなかった事が幸いし‥‥それが、全ての決着だった。

 ――正しいと信じる事を選択できたら、どれだけ。
 現は、運ばれて行く紗夜の姿に引き出されるように思いを抱いた。
「こんな無様な胸の内で、この先誰を護れるんだろうな」
 掻き乱された自身を自嘲するように、呟いた。


「やっぱりこうなるじゃない」
 愛梨は後方の混乱に吐き捨てた。
 今回の件は老人の我侭だと言う。ならば、この状況は彼の身勝手が生んだ惨状だ。
「‥‥あの男と、同じよ」
 家族を捨てて消えた男。残される者の気も知らずに。
 あの老人の振る舞いは、それを喚起させた。
 敵になるのに。いつか、殺し合うのに。思いを残すだけの時間なんて、残酷に過ぎる。
「別に、人類の為に生け贄になってなんて、あたしは頼んでない」
 呟く。
 彼女にとて、分かってはいる。その別れを必要としている者がいる事も。
 それでもなおそう思う自分が、その身勝手さが尚の事血の繋がりを意識させて。
「‥‥馬鹿みたい」
 呟きは弱く。掬う者は居なかった。


 その日の夜は、昼間の騒乱を呑み込むように静かなものだった。老人もまた暢気なもので、来訪してきたシーヴを伴って夜空を眺めている。

「爺ぃ、これを」
「おぉ!」
 シーヴが差し出したのは一枚のチョコレート。
「ちぃとばっか遅いですが、バレンタインデーでありやがるです。甘いモンは控えてやがったですが、これは特別っつーコトで」
「チョコだけに、チョコっとだけ、のぅ」
 ほくほくと笑っているブレナーの横顔をシーヴは覗き見、言った。
 ――後悔はねぇモンだと、思っとくです。
「バグアの下へ行くっつーことは、ヨリシロになりやがる可能性が高いです」
 だから、シーヴは迷いを斬り捨てるように。大剣を構えて‥‥言った。
「――シーヴ・王は、敵となった貴方を、躊躇う事なく斬ると誓います」
 誓いの言葉は、月夜に照らされ。
「‥‥お前さん達を傷つけるくらいならばの。それでいいんじゃよ、シーヴ」
 老人もまた、月夜に馴染む儚くも優しい笑顔でそれを受けとめた。

 月下の誓約。それを見つめる者がいた。
 由稀だ。夜風に、紫煙と艶やかな長髪を流しながら。
 昼間の騒動を思っての警戒だった、見渡せば、ミリハナクの姿もある。視線に気付き手を振る彼女の、自分に似た配慮に気づき由稀は笑みを深める。
 ――外野が騒いでいても、仕方ないしね。
 詰まる所これは、本人と本流を担う人間達の問題だと彼女は考えていた。
 傭兵達は、本質的には隔絶されている。その事は気に入らなくもあり‥‥受け容れてもいた。
 老人の達観に、由稀もまた言葉を繋ぐ。
「この先を託した、って事でいいのかな。そうだってんなら‥‥託された」


●3rd day
 早朝。空気は清々しくはあるのだが、どこか騒々しい。何かあったのだろうかと、茫と眺めていた時枝 悠(ga8810)は、面倒だし、置いておく事にした。
「しかし、なんというか」
 ――本当に、人気があるんだな。
 今回の件が老人の配慮なのか、はたまたただのゴネなのかは解らないが‥‥こういう機会を持てるってのはきっと幸いな事なのだろう。
 ふと。
 物音に視線を巡らせた。その先に。
「なにしてんの?」
「ホッ!」
 声に、遠くの騒ぎの理由に思い至った悠は深いため息を吐いた。

「内緒じゃぞ」
「‥‥はぁ」
 悠は幾度目かの溜息で返事しておく。妙に感傷的な気分が解けていった気がしていた。
 この状況は予想しなかった事じゃない。
 ――ただ、私はそれを止めなかった。
 逆説的だが、その事実が彼女自身に現状を納得させていた。
 話し過ぎたなぁ、とも思う。
 だけど、話があっさり終わると勿体ないなぁ、とも思うのだ。
「‥‥」
 口下手とは思わないが、達者でもない自分がこの日ばかりは憎かった。
「お。お前さん、それは?」
 羽根を伸ばしていたブレナーは、悠の荷物の中にある一つの笛に気付いた。
「‥‥お」
 思いつきだったが。
「そういや、殆ど暴れる様しか見せちゃいなかったし」
 悠は白塗りのフルートを構え、奏でた。
 驚いた老人が満面の笑みで拍手をするまではほんの僅かな間‥‥だったのだが。

 飛んできた軍人達に「ノォォォ」と悲鳴を上げるまで、そう長い時間はかからなかった。


「‥‥どうしたんですか?」
 平素に比べ、丁寧な口調で文。
「ぬぅ」
 零れたのは、そんな響きで。
 文は苦笑しながら口を開いた。話したい事は沢山あったし‥‥きっと老人は気に入るだろうと思ったからだ。

 頃合いかな、と。文はそれを切り出す事にした。
「実は、博士に御願いがあるんです」
「ホ、何かな?」
「もし体調に余裕があれば‥‥停戦に繋げる上手い道を基地まで一緒に考えてもらえませんか」
「フム?」
 優しげな傾聴に、続ける。
「‥‥人類の何割が和解を望むかは不明ですし、課題も山積みです。人類とバグアは大きく、違う」
 それでも、と文は続けた。
「ただ、バグアも最善を尽くしただけじゃないか、そう思うんです」
 だから。
 ――根絶やし以外の形で対等な立場で戦争を停め、再戦を避ける。
「そんな選択肢は、ないのかなって」
 それは博士の心中を煽る為の言葉だったから‥‥文の言葉には、詫びの色が籠っていた。
 だが。
「まあ、出来るんじゃないかのぅ」
「‥‥?」
「確かにやるべきは多く、面倒じゃがのぅ‥‥それだけとも言える」
 そう言って、老人は笑った。
「一人で為すには重いかの? なら、仲間を見つければ良い。その為に沢山の人間が居るんじゃよ。一人で探すよりは、きっと楽しいぞぃ?」
「‥‥なるほど」

 二人は最後に堅く握手をし、別れた。言葉に、青年が何を思ったかは彼しか知らない。



 次いで、菓子を持参して博士のもとを訪れたのは、ラサとエイミー。
「博士‥‥」
 沈んだ声は、ラサ。
 胸の奥から、今にも感情が溢れだしそうな声だった。
 老人も、エイミーも、静かに聞いていた。
「‥‥本当に、ごめんなさい」
 ぽつ、と。
「折角、特定してもらったのに、我々が弱いせいで‥‥我が輩は、結局」
 言葉が、落ちる。
「結局‥‥何も出来なかった」
 吐き出した言葉は、自らの無力を認める言葉だった。落ちる言葉に、ほたほたと雫が続く。
 嗚咽に丸くなるその背をエイミーが支えると、その熱に少女の堰が切れる。
「出来る、なら‥‥我が輩が、代わり、たい‥‥!」
 ――人一人、助けられない能力者って。
 その震えは恐怖故ではなく‥‥身を焦がす悔恨のため。
「ありがとうのぅ」
 老人が笑みと共に少女の小さな頭を撫でる姿に、エイミーは想いが固まるのを感じた。
「‥‥良ければ、親しみを込めてグランパとお呼びしても?」
「ホッホ、構わんよ」
 老人の笑顔に似ている、とエイミーは思った。彼女の、今は亡き祖父に。
「‥‥グランパ、貴方のお話を聞かせて。”今”の貴方を、できるだけ知りたい‥‥グランパの姿をした敵の前で、惑わないですむように」
「ホホ! ‥‥何から話そうかの。お嬢ちゃんも、それでいいかの?」
 頷くラサに、ブレナーは語り始めた。一人の老人の一生と‥‥今、彼がどのくらい幸せなのかを。


 その男には、夜が馴染んだ。漆黒の装いは、窓から差し込む月灯りに照らされると仄かに白い光を返す。
 UNKNOWN(ga4276) 。
「珈琲が良いかね? それとも、紅茶かな」
「ホホ! なら紅茶を」
 夜。照明を弱めた車内に二人は居た。ゆっくりと、言葉を交わす。

「忘れたくない想い出、とかはないのかね」
 男は自身が淹れた紅茶を口元へ運びながら問うた。
 眼前にいるのはヨリシロになりに行く人間だった。
 自然、男の問いは、いずれまみえた時の為の問いになる。
「‥‥そうじゃのぅ、沢山じゃ。沢山ある」
 これまでの人生を辿るように老人が一つ一つ語るのを聞きながら、男は感慨を覚えていた。
 羨ましいとすら、思う。死してなお、魂として世界を見る事ができるのならば未練など抱き得ない。
 だが、確証がないから、男は今なお人間として此処にいる。
 ――何も知ることが出来ず、意識がなくなるのなら‥‥生きる事にこそ意味がある、と。
 意識は残るのか。変化するのか‥‥消えるのか。男はそれを見届けたかった。
「じゃがのぅ、ワシにはこれで十分じゃよ。沢山の若者達が、誰も彼も真剣に考えておる」
 ホホ、と。老人が笑むのを見て、男もまた微笑した。
「‥‥私は、この身で生きるよ。新たな生になるかもしれん。汝のこれからの生に、幸あらん事を」
 そして、そう言ってカップを掲げた、その時。

「あらぁ、楽しそうな事をしていますわね?」
 暗視ゴーグルを額にかけたミリハナクが戸を開いた。置かれた紅茶と、茶菓子を見ての事だろう。
 ひと目で夜間の襲撃を意識しての事と分かる姿に、黒衣の男は小さく笑った。
「どうだい」
「あら、良いですわね。それじゃあ折角ですし、外で如何かしら?」
 ――月が、綺麗ですわよ。
 こうして、小さな宴の運びとなった。

 小さな宴席に、シーヴやUNKNOWNが料理の腕を振るう中、言葉と酒が交わされていた。これまでは遠巻きに老人を眺めるだけだったユメ=L=ブルックリン(gc4492)の姿もそこにある。
 ――人類の、為に、死ね。それは‥‥良い命令‥‥?
 ミリハナクと挟み込むようにして老人の傍らに座った彼女は、じっと老人を見つめたと思ったら腹や頬を突いたりしている。そのすぐ傍に立つ軍人はどこまでを認容すべきか思い悩むような表情をしていた。
「ホ、ホッ!?」
 為されるがままに、老人は嬌声をあげていた。その笑顔に、思う所はある、のだが‥‥彼女にはどうしたらいいかが、解らない。言葉を紡ぐには到らなかった。
「昨日は大変そうでしたわねぇ」
 微笑ましげな二人を眺めながらくすくすと楽しげに笑い飛ばしたミリハナクの言葉に、老人は笑みを深めた。そこに籠められた気遣いに気付いての事かもしれないし、単純に美女達の歓待が嬉しかっただけかもしれない。
 そこに、痩身の男が一人。
「や、博士。はじめまして‥‥といっても、コレで最後になるんだけどねぇ。楽しそうでなにより」
 自称道化、と。レインは名乗る。皮肉げな笑顔が妙にサマになっている。
「一つ、聞きたいんだけどさ‥‥アンタにとって、これは納得できる死に方なのかぁ?」
「ウム!」
 羨ましかろう? とでも言うように、老人はウィンクと共に、言う。
「そうなんだ‥‥ならボクがとやかく言う必要はないねぇ」
 ――笑って行け。ボクは笑って送る。
「さようなら、ラムズデン・ブレナー」
 立ちはだかったら、その時は斬る。そう言ってレインはその場を後にした。老人もまた、笑ってその背を見送る。
 二人の問答に引き出されるように、ユメは考えを抱いた。
 ――本人が、納得する、なら、構わない‥‥気がする。
 その判断が、自分には出来るとは思えず‥‥だから、尚の事、不思議は深まった。
「ふむ、初めて、博士、見たいな、人を、みた」
「ホホ、そうかの?」
「‥‥うん。私は、こういう、とき、どういう、言葉を、かけて、いいか、分かんない」
 ぎゅ、と。存在を確かめるようにユメが抱きつこうとするのを見て軍人が動きかけるが、ブレナーはそっとその動きを制し‥‥抱擁は成る。
「あら、簡単ですわよ。‥‥笑って見送ったらいいんですのよ。楽しく、陽気に」
 ――だって、博士は受け容れてますわ。
 そう言って妖艶に笑んだミリハナクを真似するように、ユメも真似をするが‥‥上手くいかない。自身の顔を摘みながら悩む彼女の姿に、ブレナーもまた、優しく笑みを深めたのだった。

 なお、宴会の果てで衣服を脱いだ女の活躍は、割愛しておこう。


●4th day
 ヘイル(gc4085)は思索に耽っていた。
 死を容れたブレナーの事。
 思い当たるものは一杯あるが、どれも正解足り得るとは思えず、そこに如何なる判断があったのかが、わからない。
 だが、ヘイルは覚えておかないといけないと強く思った。
 犠牲になったのは、名も知らぬ誰かではない。
 それを決断した、ラムズデン・ブレナーという一人の人間が居た事を、忘れてはいけない、と。
 だから‥‥老人と言葉を交わした時、ヘイルは感慨に囚われた。

「‥‥わからないのです。貴方であればNOと言う事も出来た筈。そしてそれに協力してくれる人も大勢いたのではないでしょうか」
「ホム」
「貴方はこれからヨリシロとなり、人を殺す。ブライトン博士のように人類の士気を挫くための演説をするかもしれない。逆に『人類の為に犠牲になった英雄』として、祭り上げられてしまうかも知れない。‥‥悔しかったり、寂しかったりはしないのですか?」
「ワシが断ったら、例えばブレストがこうなってたかも知れん。それ以外の若い可能性が潰えたかもしれんのぅ」
 だから、と老人は笑った。
「これでいいんじゃよ。老人は、これで良い」
 むしろ老人は不思議そうに言うのだ。
「ワシの数ヶ月と、おぬしらのこれからを比べるまでもないじゃろう?」


 トヲイと透は車内へと足を踏み入れた。行程も殆ど終了している。長い旅路が徐々に終わりつつ有る中、ブレナーは疲労の色を見せない。
 ――きっと、良い言葉を交わして来たんだ。
 透は、彼の最後の時を充実したものにした仲間達を誇らしく思うと同時、悔恨や悲哀。綯い交ぜになったそれらが胸中に滲んだ。言い淀む透の傍ら、トヲイが口を開く。
「博士。貴方を犠牲にして得る猶予‥‥その間に俺は、総てを捨ててでも、バグアに一矢報いてみせる」
 その時想起した女性の姿を、トヲイは呑み込んだ。
 ――全てを捨て去る覚悟が無い者に、世界を変える事は出来ない。
 そう悟った男は真っ直ぐにブレナーを見つめ。
「俺を恨んでくれても構わない。だが、最後の最後まで、バグアに屈しないでくれ」
 それが死にに行く者への言葉としては身勝手な想いである事を知りながら‥‥男は、続けた。
「人である事を、諦めないでくれ」
 強い言葉だ。だが‥‥その声はどこか、震えていた。
「‥‥未来を、約束、します」
 言葉を継げなくなったトヲイの後を、透が続ける。
 約束しか出来ぬ自分が、情けなくて。
「貴方が‥‥護りたいと思った人達が‥‥笑える世界に」
 項垂れた、二人の男。それは我が身を恥じるが悔恨故と、老人は気付いたのだろうか。
 老人はただ、笑って。男達の髪を乱雑に撫でた。
 あるいはそれは、顔を見られたくないであろう男達の胸の裡を汲んでの事だったかもしれない。


「‥‥あら」
 ミリハナクは、最後の夜の来訪者に笑む。彼女がそっと道を譲ると、少女――ソーニャ(gb5824)は小さくお辞儀をした。
 最後の講義が、始まる。

「先生、質問があります」
「何かの?」
「‥‥バグアは寄生生物で、ヨリシロは宿主?
 生きたままの寄生も、可能なの? バグアは自分の脳で考えるの? それとも、宿主の脳?」
「ストップじゃ!」
「‥‥?」
「ワシは、バグアの生態は殆ど分かっとらんぞ」
「‥‥‥‥人間のヨリシロを持てば、愛とか理解出来る?」
「ふーむ。理解できたからといって、十分なものかのぅ」
 疑問視するわけでなく、純粋な興味の色があった。
「博士は、強い。柔らかく、揺るぎない精神。それが、バグアを変えるかもしれない。一握りであっても‥‥そう、ボクは信じてる」
「ホム?」
「あ、別に共存を望んでいるわけじゃないよ」
 ――ただ、生存競争だけで終わるなんて、つまらな過ぎるだけ。
「変化が欲しいのかの?」
「そうかも。‥‥ただ、出会いに意味があって、ボクらは精一杯生きた、そう言ってあげたい」
「ホホッ! なら、大丈夫じゃよ」
 ピン、と指を立ててブレナーは笑った。
「そう思っている限り、その願いは叶うもんじゃ。よかったのぅ」
 愛嬌のある笑みに、ソーニャもまた笑った。
「次に会うときは、博士はヨリシロかもしれませんね」
「――そうじゃのぅ」
「‥‥その時はまたボクと会って、お話を聞かせて?」
 言いながら、ソーニャは老人にそっと身を寄せた。力を込めるには、軍人達が邪魔で。

 ――出会えた幸運に感謝します。博士。


●The last day
 最終日。別れの最後の一日を、ブレナーは静かに過ごしていた。
 そして――そう時間を掛けずに、一向はオタワへと辿り着く。

 車内から降り立った老人を、オリムは感慨と共に迎えた。
「お元気そうで安心しました、博士」
「ホッホッホ! 皆良くしてくれたからのぅ」
 冗談めかして笑うブレナーだが、その声は晴れやかなもので。
 平時とあまりに変わらぬ姿が、見る者に別れを、感じさせて。




 ――気付けば、走り出していた。

「‥‥ごめんなさい」
 抱きついた。軍人たちは、止めなかった。
 守っていると、思っていた。いい気になって、力になっているんだって。
 違ったんだ。
 ずっと‥‥守られていたんだ。
「いやだ、よ」
 絞り出すようにして、言った。
「いやだ‥‥行っちゃ、いやだよ」
 強い感情が、胸を占めていた。
「どうして‥‥どうして、おじいちゃんが犠牲にならなくちゃいけないの!? そんなの嫌だよ! こんなの‥‥誰かを犠牲にして得た平和なんて、まやかしだよ!」
「それは違うぞぃ‥‥サンディ」


「ワシらは、生かされて来たんじゃよ。これまでも、これからも、のぅ」
 老人は、少女の頭を撫でながら、言った。孫をあやすような、優しい手つきで。
「顔も名前も知らぬ彼等に、ワシも続くだけじゃよ。忘れてくれるなとは思わん。生きて、笑っておくれ。それだけで、十分じゃ」
 それが、リヴァルの問いに対する答えだと彼は気付いただろうか。辺りを見渡して、老人は続けた。
「すまんのぅ、苦しめてしまったのぅ。じゃが‥‥最後に持って行けるのは、ただ、想い出だけ。ワシは、な。本当に一杯の物を貰ったよ」
 この数日の中で老人が得たのは、人生で最高の宝だった。
「――有難うのぅ」

 それが、老人が長い道程の中で傭兵達に向けた、最後の言葉だった。
 去って行く老人の胸には、バラの花が添えられていた。
 涙を拭い、笑顔を見せた少女を含め、皆から最後に向けられた顔を‥‥きっと老人は、忘れることはないだろう。