●リプレイ本文
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静寂が、そのソラを包んでいた。傭兵達はそこにある緩やかな時間の流れを一望している。
光に乗って届くのは、遥か彼の地の息吹。それを感じられる所まで、人類は辿り着くことが出来ていたのだった。
――当たり前のことですけれど‥‥忘れていましたね。
天小路桜子(
gb1928)は思った。”探し物”を求めて視線や計器へと目を凝らす中で、ふと飛び込んで来る光景が鮮烈に映っている。
何かの拍子に光の粒子となってほどけていく分裂体以外に、動くものは殆ど無かった。そこかしこに機能喪失したユダの分裂体――恐らく、カルサイトのものだろう――が揺蕩うそこを、傭兵達は静かに進んでいく。白鐘剣一郎(
ga0184)の提言もあって、ブーストを控えての移動は自然、緩やかなものになる。
エイミー・H・メイヤー(
gb5994)の提案で、大型な分裂体を遮蔽に慎重に進んでいる事も、機足が鈍る理由ではあった。だが、時折遠方から増援のために流れていく分裂体から身を隠す事に関しては十全に役立っていたし、それで戦闘を避けられたのも事実であった。
「この方向なのは間違いないが、さて」
『分裂体が紛らわしいのである‥‥鬱陶しい』
先の大規模作戦の交戦内容と、エアマーニェ側からあった連絡を総合して、剣一郎は大凡の検討をつけている。剣一郎の呟きに応じたのは、美黒・骸(
gc7794)。ランドマークに乏しい宇宙では、事物の位置関係を正確に捉えるのは難しい。目印らしい目印が大小さまざまな分裂体であることもそれに拍車を掛けているし、レーダーには分裂体の亡骸でそこかしこに反応が見られており、こちらも判然としなかった。
少女の声には微かに苛立ちが籠っている。急ぎたいのは剣一郎にとっても同じだったから、男は僅かに首肯した。有事だからこそ隠密行動は仕方ないが‥‥一つ、剣一郎は思索し、こう告げた。
「時間が惜しいのも事実だ。どうかな、手分けして探さないか」
剣一郎の提案を拒否する者はいなかった。
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『次、がこういう機会だったのは』
通信越しの地堂球基(ga1094)の声には、苦さが滲んでいる。
『期待はずれで、残念だったな。俺は』
言葉は共に探索をしている仲間、ドニー・レイド(
gb4089)へと向けられていた。
どうだろう。ドニーは自問する。
「‥‥想定は、していたよ」
『そりゃそうだが、なあ』
返って来た嘆息に相手の心情を理解したドニーは、それ以上言葉を重ねることは無かった。互いに博士に関する付き合いは長く‥‥無念も近しい。だからこそ、ドニーは見つめなくてはいけないと感じていた。
今回の一件は、星の輝きにも似ている。眩さも、儚さも。
――なら、見届けなきゃ無責任だろう。
彼は、天文学者なのだから。
サンディ(
gb4343)は、紫藤 文(ga9763)と共に捜索にあたっていた。
親交の深い二人だったが、今日は会話も少ない。時折、報告の為の言葉が宙に弾けては消えて行く。
平時は気楽げに構えていることが多い文だが、今日ばかりは少し気が張っているようにサンディは思った。
――私だけじゃ、ないんだ。
視線は、自然と外へ向く。
そこには、いつかあの老人が見せてくれたソラが広く、どこまでも広がっている。沢山の光が遥か遠くから溢れているようなそれは、どこか優しい。
そこは戦場の名残だった。それでも、あの老人を思わせる何かがそこには確かに在る。
――たった一言だけでいい。
その光景に引き出されるように、サンディは思った。
伝えたい言葉がある。それだけを伝えられたらと。
美黒・骸もまた、此処でブレナーを見つけずままに帰る訳にはいかなかった。
本来であれば、彼女の姉が望んだであろう送り路。故あって今は彼女が此処に居るが、彼女以上に、彼女の姉妹の中でブレナーの言葉を聞き遂げるのに適した者は居ないだろうという自負もある。美黒自身にも彼女の姉を変えたという老人に興味がある。
それよりもなお見つけたい、と思うのは。
きっと、彼女の姉を看取ってくれた者達が居る事を知っているからだった。
幾時。
『‥‥見つけたよ』
エイミーのそんな言葉で、傭兵達の意識は一息に流れた。
レーダーで、あるいは肉眼でエイミー機の所在を確認するのも焦らしく感じながら、急ぐ。
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発見を報告した直後から、エイミーはユダへと近づいて行った。
カルサイトのユダは炭化すらしており、かつての威容はおろか生命の余韻すらなく、虚空の中で星々に彩られたユダの姿こそが不吉そのもののようにエイミーは感じた。
近づけば近づくだけ、ユダの姿が大きくなる。進めばそれだけ、そこに刻まれた破壊の名残を、視覚に叩き込まれていく。
「‥‥グラン、パ」
エイミーの小さな身体に滲んだ不安が、彼女にそう紡がせた。
言葉がそう広くないコクピットの足下に落ちて、瞬後。
眼前の朽ち切ったユダに、赤い光が灯るのを見た。
それが意味する事を知り、それでも、ユダが自分の声に応えたとは彼女には思えなかった。
それは、あまりに仄かで。あまりに、微かな光だった。
触れたら壊れてしまうのではないか。そう思いながらも、心は急いていた。
タマモの機腕を伸ばす。コクピットがあると思しき場所に力を籠めれば、軽い圧力でぼろぼろと崩れて行った。
「‥‥っ」
息を呑んだのは、その余りの脆さに対しての事ではなく。
そこに、ラムズデン・ブレナーの姿を、見つけたからだった。
彼はユダのコクピットに融合するようにして、そこに居た。赤黒い何かがブレナーの身体を這っている。
その中で、彼は静かに笑んでいた。
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エイミーがコクピットから宇宙服のまま飛び出した頃、ほかの傭兵達が追いついて来た。
剣一郎は機体を足場に近づいて行くエイミーの姿を見て、すぐに周囲警戒へと映る。近しい者への配慮と知った桜子も、それにならう。
剣一郎の予想に反してサンディもまた、そこに残った。三機が周辺警戒に回ると見て、他の傭兵はエイミーと同じようにユダに接近し次々と機体から降りていく。
「‥‥ここまで、とはな」
剣一郎の呟きは、歴戦の猛者だからこその重さがある。視線は、ユダの惨状へと向けられていた。
『見つける事が出来て僥倖でした』
ユダの至近で揺蕩う欠片に、崩れゆく名残を見て取った桜子はそう言い――ちらと、そのコクピットを見つめる。
『間に合う事が、できましたね』
――彼女は、何にとは触れなかった。
「‥‥貴女、は」
「今、助けますから」
ユダのコクピットに飛び込んだエイミーは、彼/彼女の身体に手を添えていた。少女のエミタが、蘇生の為に駆動する。最適な対応をエミタが自動選択するまま、言葉に生存を確信しながら、何度も。‥‥何度も。そこに理が無いのは、少女とて解っていた。だからこそ、その事がカルサイトには痛ましく見えた。
「無駄ですよ、人間。私は‥‥私達は」
「‥‥っ」
それでも、蘇生術は止まらなかった。
「‥‥‥‥」
その姿にカルサイトは言葉を重ねる事は出来なかった。
だが、そのうちにエイミーの手が止まる。止まって、しまった。
彼女の身を巡る練力が、既になす術が無いと彼女に告げている。
‥‥その時初めて、彼女は――楽に、なれた。
「‥‥もう一度、会えた」
覚醒がほどけ。俯いて言う。
「カルサイト嬢、ありがとう。‥‥貴女のおかげで、グランパにもう一度、会えた」
声は、震えていた。
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「私は、何も」
「‥‥分かるか、俺の事が。覚えているか、俺の事を」
言募ろうとしたカルサイトに対してドニーが、言葉を継いだ。
――争う理由も最早無いだろう。
彼の胸の奥に在るのは、そんな観念だった。言葉には棘は無く、優しく響く。
「ええ‥‥ドニー」
「ま、与太話でもしよう」
まさか、宇宙人と与太話とは。
――だが、博士が宇宙人と俺達が争うのを喜ぶとは思えないしな。
「頭は良さそうに見えてバグアっていうのは疎いんだな」
「‥‥何の、ことでしょう」
「相手の個性を尊いと思い、それを自身にとって替え難いものと思い、そしてその相手に自分の価値観を押し付けてでも、それを救いたいと強く願い、時には自身を犠牲にしても構わない――それこそその身を滅ぼしてでも」
その結果は、ドニーの傍らに在る。老人の姿で、それでも、カルサイトは彼女であり続けていた。だからこそ、この結果は彼女自身が掴んだものだと思えた。
そうして。
こう、告げた。
「お前が持ったそういう感情の事を、俺達人間は愛情と呼ぶ」
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言葉に、静寂が満ちた。
男は。あるいは、その周りにいる傭兵達は、返答を待つ。
――待っていた、のだが。
「‥‥カルサイト?」
余りに沈黙が続く事に、ドニーは不安を覚えそう言うと。
「ほっほっほっ!」
そんな笑い声がその場にいる一同の耳を優しく撫でた。
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「ドニー‥‥お前さんときたら!」
朗らかな言葉に、ドニーは笑みで応えた。
「すみません、博士。この美人は端から見てるとその辺りがあまりにも子供染みてて‥‥それが不憫でならなかったんです」
男は、悪びれもせずにそう言うと、ブレナーは尚も笑みを深めた。
「やれやれ、カルサイトさんが引っ込んでしまったのぅ」
――譲ってくれたのかのぅ。全く、不器用な。
老人はユダに絡めとられた腕を伸ばし、ぽてぽてと胸のあたりを撫でる。
「博士。お迎えに上がったのである。さあ、帰ろうなのである」
「‥‥ほむ」
コクピットを覗き込むようにして美黒・骸が告げるが、しかし、老人は首を傾げた。
「すまんのぅ、それは、難しいかもしれん」
現状を老人は『ユダに生かされている』と言う。ユダから離れる事は出来ない、と。
「ぬぬ‥‥」
『なら、機体ごとは、どう?』
響いた通信は、サンディのものだった。老人には届かぬよう、傭兵達の間にだけ。
「いける、のであるか?」
美黒・骸の懸念。ユダは今、相当以上に脆くなっている。
「‥‥やらないよりは、やった方がマシさ」
通信さえ担保されていれば、道中でも会話は出来ると文が言い――結果、そういう運びとなった。
傭兵達が、一人一人と自機へと戻って行く。その最後に、ハンナ・ルーベンス(ga5138)はブレナーの傍らに立ちその手をとった。離された後には、一片の石が握られている。
「ほっほ! なるほどのぅ」
「あの方の、由来の品です」
去り際、小さく祈りを捧げた後、彼女はそこを後にした。
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サンディ機がそっとユダを支え、他の機体は周囲を警戒しながらゆっくりと進んで行く。
頃合いか、と。剣一郎は口を開いた。
『ご無沙汰しています、博士。覚えておいでですか?』
『おお、勿論覚えておる! 愉快な記憶は、ワシの財産じゃよ、サムライボーイ!』
『ははっ。‥‥俺にとっても、天文台でのバーベキューは良い思い出です』
――せめてもう一度、機会を設けたかったのですが。
再会は喜ばしい。だが、その機会がこういう形になった事を悲しく思わないではいられなかった。
『‥‥ほっほ、ワシは本当に沢山のものを貰っているのぅ』
『――爺さん』
球基だ。
『果てへの決意は、受け取るぜ。俺自身が、向かうとするさ』
『なんだ、お主、宇宙飛行士になるのかの?」
『おい、爺さん‥‥俺達はもう、飛んでるんだぜ?』
『おぉ‥‥失念しておったわい!』
実に、愉快な会話であった。
得難い時間。既に、失われた筈の時間。
一方でこれは、あるいは、永遠に、どこまでも存在し得た時間かもしれない。
しかし――そうは、ならなかった。
『‥‥心残りなことはございませんか? わたくしたちでよろしければ、引き継げるものはしっかりと受け継ぎます』
此処はもう、境界線の向こう側だった。
「何なりとお申し付けください」
だからこそ、桜子の言葉は、静かに紡がれた。
看取りの言葉が。
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『‥‥そうじゃのぅ』
ブレナーは少しだけ、言葉を呑んで。
『心残りは‥‥まったく、これっぽっちも無いのぅ!』
そう、言った。悔いなど無い、と。
――グランパの声、もっと、聞きたい。
終わりの予感が、エイミーを焦らす。だが‥‥言葉を、発することはできなかった。
彼の言葉は、まだ、終わっていないからだ。
『じゃが‥‥そうじゃのぅ。ワシらより後を生きる者を見届けられぬ事。ワシらが見れなかった物を、後に続く者が見つける事は‥‥果たして、心残りじゃろうかの』
――違う、と。老人は言外にそう言っていた。
永年を生きられぬ人の身だからこそ、彼にとってのだいじなものは、そこにはなかった。
『ワシらの時代には、届かぬソラがあった。しかし今、ソラを、掴む事ができた。そこから先は別の新しい地平が広がっている筈じゃよ。もちろん、ソラに限らずとものぅ。それは、お主らだけの宝物じゃよ』
楽しみじゃのぅ、とそこまで言って、老人は笑った。
美黒・骸はそれを聞いて、コクピットの中で敬礼を捧げる。
告げる言葉は――彼女の姉妹を代表してのものだ。
『‥‥そなたらは真にバグアと人類のかけ橋であった。かつて無く今も又稀なる偉業であり、一人のバグアがヨリシロとはいえ初めて人類に沿おうとしたことを、美黒らは、そして人類は忘れないのである』
『では博士。良い、旅を。‥‥カルサイトもな』
美黒・骸の言葉が溢れるのに比して、剣一郎の別れの言葉は、短い。
『ほっほ! 大げさじゃのぅ』
――じゃが、ありがとのぅ。
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ああ。
ユダが、溶けて行く。光に解けて、消えて行く。
背から支えているサンディからはそれが、良く見えていた。搭乗者を少しでも永らえるためか消失は、ユダが先。サンディは目を逸らす事が出来なかった。ただ、視界が星々に似た煌めきで埋め尽くされる中で、それでも、連れて帰ろうと機体を動かし続ける。
でも、届かない。
彼女はそれを、受け容れるしかなかった。
今しかない。そう思った。本当は、いつまでも、ずっと、言いたい事なのに。
『おじい、ちゃん』
言葉は涙とともに、溢れた。サンディの白い頬を雫が伝う。嗚咽を抜いて、届く言葉は。
『‥‥ありがとう』
溢れんばかりの感謝の想いが、そこには籠められていた。楽しいだけの思い出ではなかった。それでも、そう言えた。
『また、会おう、ね。‥‥おじい、ちゃん』
――うむっ。
末期の光は最早、閃光のようだった。小さな光が一つ、一つと弾ける中、いっとう柔らかな光がサンディの頬を撫でる。
――幸せにのぅ、サンディ! また、会おう!
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『帰ろう、か』
弾けた光は、傭兵達の機体を余さず撫でていった。柔らかなそれを、最後の一片まで見届けた後文はそう告げる。
――引き継げるのかね、俺に。
そこで感じたものに彼はごちながら、機首を巡らせた。
『カルサイト‥‥今なら、祈りの意味、理解できると信じています』
ハンナの祈りは、静かに彼等の眠りの場となったソラに沁みて。
祈りと、言葉に包まれながら。
カルサイトとラムズデン・ブレナーは永年の眠りについた。