タイトル:The Willマスター:ムジカ・トラス

シナリオ形態: ショート
難易度: 不明
参加人数: 5 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/07/04 23:55

●オープニング本文



 あの日。
 あの女との面通しが叶ったのは、戦闘があらかた片付いてからの事だった。

 バルタザルが、死んで。
 バグアの陣容が崩れるただ中を、俺は傭兵に連れられて撤退していった。戦線を一気に押返し、バグアの撤退に喰らい付こうとする兵達が不思議そうに俺を見ていた。
 彼らが、傭兵がバルタザルのために捧げた酒とあいつの遺体を踏み越えていくのを、俺は苦い思いと共に見送って‥‥騒がしい筈の戦場が、一気に冷め返っているような錯覚に囚われながら、歩いた。
 歩いて、歩いて。
 色々なものがのしかかっていて、戦場の空気も慣れてなくて、酷く疲れていた。
 それでも、胸だけはしゃんと張って歩いた。
 落ち込もうものなら、あの爺さんに笑われてしまう気がしたからだ。

 ――何を腑抜けておる。此処からが本番だぞ、ウィル。

 そう。あんな戦場に放り込まれて、色んな人達を犠牲にして‥‥漸く、俺は、此処に手が届いたのだから。

 深く、息を吸った。埃っぽく、やけに喉に絡むそれを、一気に吐き出す。

 辿り着いた先は、一台の大型車両だった。




 傭兵達と別れたウィルが足を踏み入れた車両――指揮車両の内部は、外見に比して手狭な印象をウィルに与えた。暗めの車内を、種々のディスプレイが煌煌と照らしている中には理知的な風貌の軍人が多い。誰も彼もが自身の職務を優先し、突然の闖入者であるウィルにはさして気を払っていない様子である。
 その中で、ウィルを真っ先に迎え入れた人物がいた。
「お帰りなさい、ウィル。‥‥無事に帰って来れたんですね」
 過日の、女性士官だ。
「ああ‥‥あんたと、傭兵の皆のおかげでな」
「一時はどうなる事かと思いましたが‥‥よく、思い直してくれましたね。その上で、よく頑張りました。貴方は、貴方だからこそ出来た事を、十二分に果たしてくれました。バグアの中に居て色々苦労もあった事でしょうが‥‥」
 久しぶりに会う女が、ウィルにはやけに饒舌に思えた。その事が、少年の胸の裡をざわつかせている。かつてと違い背景や何か大きな流れを、彼は既に了承していたのだから。
 柔らかな女の声で紡がれる、慮るような言葉は――耳障りで。
「――あんたの、思い通りになったか?」
「‥‥今は、ゆっくり休んでください。これからの事は、それからでもいいでしょう」
 反駁するようなウィルの声色は、しかし、柔らかな言葉に包まれた。
 女の目配せで、此処まで少年を連れて来た軍人が車両の扉を開く。鈍く重厚な金属音が響く中、女はそっとウィルの肩に手を置いて戸を示し、続けた。
「また、連絡します」



 ――おい、終わりかよ、ウィル?

 そんな声が聞こえた、気がした。何故だろう、少し楽しげな老人の声が。
「‥‥パティは?」
 そんな訳無いだろう。そう心の中でだけ返して。
「――その事も含めて、後で話しましょう? 今は、戦闘の事後処理中ですから‥‥あまり時間はないんです」
 返答は、予想通りだった。
 今ははぐらかされるだろうと、そう思っていたから‥‥落胆は、最低限で済んだ。
「そうか」
 今は、騙されなくちゃいけない。
「‥‥解ったよ、ありがとう」
「ええ」
 スラム育ちで学も力もない、ただ純朴な『御し易いウィル』でいなくちゃいけない。
 ‥‥今じゃ、ない。今はまだ、確実じゃない。
 もと来た出入り口へと向かう。そうして、やけに胸板の厚い軍人の前を通りすぎる、その前に。
「あ」
「‥‥どうしました?」
 女の声に、小さな苛立ちが籠るのを感じながら、何も気付いていないフリをして、言う。
「あのさ‥‥俺、このままじゃ、あの街に帰れないと思うんだよ。それも、不安でさ」
「あの街に、戻りたいのですか? 別の道も、用意できますよ」
「ああ。あそこでまだ、やりたい事があるんだ、だから‥‥」
「何でしょう?」
「その、勲章とか、貰えたりしないかな。軍からのお墨付きとかがあれば、安心できるんだけど」
「‥‥なるほど」
 そうですね、と女は小さく口にして。


「エドガー討伐のために尽力した、その功績‥‥でしたら、十分受勲に見合うものでしょうね。調整しておきましょう」


「‥‥ああ、頼むよ」

 それだけを言って、俺は車両を後にした。
 酷く、目眩がした。





 そうして、受勲の運びとなった‥‥のは、良いのだけど。

「‥‥どうすっかな、マジで」

 事の経緯は、こうだ。

 まず、女と別れて数日。野営地で休んでいた俺の所に連絡が届いた。
 受勲が決まった事と、諸々の手続きのために暫く手が離せないとの事だった。

『これから貴方も忙しくなりますが、それさえ終われば貴方の願いを叶えてあげられると思います』

 伝言は、そう締められていた。
 明示もなく、確約も無い。それは予想出来ていた事だ。
 ただ‥‥それから先、何かを調べる時間も調整する時間もとれずに受勲のための準備に追われる事になるとは思ってなかった。

 近く、メトロポリタンXを目指してアトランタの攻略が行われるそうで。
 今回の一件はそのことを踏まえて、大きな式典の中の、一要素として、それなりに大きく取り上げられる事となってしまったのだった。

 打ち合わせ。
 用意された原稿の暗記。
 マナー教育と‥‥。

『初めまして。会えて光栄だよ、小さな英雄さん』
『‥‥あ、どうも‥‥』

 報道関係者のインタビュー。
 こちらも、質問の内容に対して受け答えの内容が用意されているものだった。
 常に軍人の見張りがついていて、少しでも軍の不利益になりそうな事を発言したらどうなるか解らない、といった状態で。

 今じゃ、ない。

 そう思いながら、噛み締めるように日々を過ごしていた‥‥のだけど。



「‥‥どうしたもんやら」

 はぁ、と。溜息が零れる。

 結局、何も出来ないままにこの日を迎える事となってしまったのだった。


 式典を前に、たった一度だけ、あの女と話す機会があった。

『パティの事、ですが』
『‥‥ああ』
『面会する事も、連れ帰る事も出来るでしょう。ただ‥‥現状では、強化人間から治療することは、難しいでしょうね』
 ――彼女には、基地を襲撃した過去がある。
『‥‥そうか』

 予想出来ていた事だ。あの女士官には、パティを救う義務も義理も、無い。
 どうしたら、確実にパティを救う事が出来るのか。
 強化人間であるパティは、ただでは救えない。様々な事が障害として立ち塞がっていることは、もう知っていた。

 ‥‥ただ。
 俺に力がないというのは、あの爺さんが言っていた通りで。
 機会は、作れたと思う。

 ――じゃあ、どうすればいいんだろう?
 どうしたら、それが果たせるのだろう。
 結局のところ、そこで躓いていた。

 ‥‥のだけど。
 そんな時、彼等がやってきた。

「あんた達、か」

 そうして初めて、気負っていたんだなぁ、と気付いた。
 困ったら、頼ればいい。たとえそれが、正念場だったとしても。

 ――手を取ってくれる人が、いるのだから。

「実はさ‥‥」

●参加者一覧

終夜・無月(ga3084
20歳・♂・AA
UNKNOWN(ga4276
35歳・♂・ER
D・D(gc0959
24歳・♀・JG
荊信(gc3542
31歳・♂・GD
ナスル・アフマド(gc5101
34歳・♂・AA

●リプレイ本文


 遠くまで木霊するのは、司会の壮年の発した声がスピーカーを通じて増幅されたもの。中低域が深く響くその声には、聞く者の耳朶を優しく撫でる職能者の妙がある。
 この時の為に整えられた会場の雰囲気は決して厳かなものではない。此度の席には聴衆がいる。彼らは彼らで、会場の彼方此方で様々なやり取りが繰り広げていた。

『――では、そろそろ』

 その喧噪を貫くように、声が落ちる。
 さわさわと交錯していた声が縮み、取材陣、軍人、一般参加者がそれぞれに会場のステージへと距離を詰めて行き、司会者はじっくりと間を明けて小さな咳払いを一つ。彼は舞台が整うのを待って、笑みと共にこう続けた。

『皆様お待ちかねの”小さな英雄”にご登場頂きましょう』



 俺は勧められるままにマイクの前に立ち、人より少しだけ高い所から、辺りを見渡した。
 一番前は報道陣の厳ついカメラ達。後ろに他の人達が立ち――傭兵達も、その辺りにいる。
 彼らの名前を、思い出す。

 終夜・無月(ga3084)。銀髪を風に流しながら、余裕ありげにこちらを見ている。俺に、可能性を教えてくれた。なんとかなるかもと。

 UNKNOWN(ga4276)。我関せずといった風にこちらを見る事はなく、酒を味わっている。それでも、俺が知らなかった真実を教えてくれた。

 D・D(gc0959)。俺を、見守ってくれた。姉のような、母のような人だった。不安げにこちらを見つめているあたりも、何となくそう感じさせた。

 荊信(gc3542)。壇上に上がる手前で止められたが、今は揚々とこちらを見据え、結果を待ち望んでいるあいつは、俺を護り、叱咤し、一人の男として見てくれていた。

 ナスル・アフマド(gc5101)。くそったれだ。姿は見えないから、こう思ってもバチはあたらないだろう。

 ちょっとだけ心に余裕が生まれる。彼等を見やりながら、胸を叩けば、そこにはお約束の言葉と段取りに則って、ちっぽけな勲章が据えられている。
 俺にはそれが、とても重く感じていた。
 ――それでも、言おう。

「今日はお集まり頂きありがとうございます。俺はウィル・パーソンズ」

 遠くまで自分の声が届くのは奇妙な感覚だ。

「あー‥‥えと、聞いて欲しい事が、あります」

 どこまで届くかは解らない。それでも。

 ――届け。

 そう祈った。




「あんた達、か」
「やあ、来たよ。こんな場所とは‥‥皆、似合わんか」
 ダリアは自嘲めいた口調でそう言った。此処は戦場ではなく、見知った顔もいるからだろう。女の表情は幾分か柔らかい。ただ、迷いの色が似合わぬ冗句に籠められていた。
「まぁ、似合わねーな」
「――餓鬼が」
 そう言って少年が指差したのはナスルだ。当の本人も自覚はあるのだろう。誤摩化すように深く、紫煙を吐き出した。その所作はいかにも平時の男そのものなのだが、着慣れぬスーツには勲章と小星章が並べられている。ただ、男にしては隙のない正装である事が、返って笑いを誘っている。
「言われてしまったな?」
 くすくすと含み笑うダリアをナスルが睨み返す中、少年は小さく笑った。見慣れない男達も居るが、やはり、この状況で誰かが自分を訪ねて来た事に少年は少なからず安堵を抱いていた。
「実はさ」
 だから、そう続くのは極々自然の事だった。


 少年の現状と事の経緯を聞きながら、UNKNOWNはそれと分からぬように息を吐いた。
 ――いや、よかった。
 気になっていたのだ。過日の戦闘から。
 だが、女士官がそうウィルに説明したと言う事は少女――パティは生きてはいるのだろう。言葉の意味まで探れば、そう悪い状況というわけでもない。
 それを確認しながら、しかし、男は言葉を続けなかった。
 男は少年の為人を知らない。言葉の意味と価値を知っているからこそ、男は静観を選んでいた。

「成る程。最近依頼を色々受けてても強化人間の問題が良く目に付いて来ます。この戦争も終わりに近づいていると言う事でしょうね‥‥」
「それで結局、お前はどうしたいんだ? 衝動も無い人形なのか? あぁ?」
 言い終えたウィルに対して無月が頷くが先か、それとも男が先か。
 ぽつぽつと述べる少年の姿を、ナスルはまず、唾棄した。そこらのチンピラなら裸足で逃げ出しそうな形相だが、ウィルはしかし真っ直ぐに見返した。
 ――ほぅ。
「無いわけじゃねーよ! ‥‥ただ、どうしたもんかってだけで」
 密かに感心するナスルを他所に、かつては銃を向けられたばかりか銃弾の衝撃で痛い目を見せられた男を相手に少年は反駁した。そも、その事は今までに何度も問われ続けているから、その点でブレは無い。尻切れ気味の言葉は反駁に見合うものを彼自身が示せないからだろう。

 だからこそ、荊信はその言葉を聞いて呵々と笑った。
「ま、上出来だ」
 根っこの部分は折れてはいない事が良く解った。

「よし聞け、ウィル。俺に一つ考えがある」
 荊信はあの戦場で、ウィルに請け負うと約していた。それが続く限り、彼は己にウィルの味方であると。それ故に此処こそが、彼にとっての約束の場所と言えた。
 すらすらと、男は案を述べる。

 曰く。
 パティの基地襲撃等はバグアに洗脳された結果であり、強制されたものだった。都合の悪い点はバグアのせいにしてしまえば、そこに在るのは、ウィルとパティの悲恋話。そこで女士官が、パティを死の運命から助けられる可能性を提示し、ウィルはその為に今回の功を為した、と。

「こんなひと芝居はどうだ?」

 多少事実とは違う部分もあるが‥‥簡潔に言えば、『ブチ撒けろ』と言う事だった。

「彼等の情に訴える事ができるのなら、という所だな」
「‥‥うへ」
 概ね荊信の案と同意見だったダリアが補足すると、少年はたちまち苦い顔をした。
 同情を引くという事。その為に嘘をつくという事が、スラム育ちの彼にとっては少しだけ、鈍く響いたのだろう。少年が難色を示す事は、ダリアにとっても予想出来る事だった。だから、女士官を利用する事に関して言い添えておく。
「あの女がお前を利用したのは事実だ。利用し返されても文句は言えんさ‥‥」
「そりゃ、そうかもしれねーけど‥‥」
「あいつが、飽くまでも善意の上で協力していた、とすればいい。批判は来るだろうが‥‥まあ、現状とそう変わらんさ」
 努めて気楽げにそう言った。
 ――そう、変わらない。
 ダリアは一人、胸中で呟く。
 どれだけ札を切っても望む結果が得られるとは、限らない。世論は好意的に見えてはいるが、彼らはあくまでも一時的な観客に過ぎず、パティの罪を購えるか保証はない。
 女は小さく首を振った。此処まで来てもなお弱気を自覚する自分に嫌気を感じながら、それを伝えるわけにはいかなかった。
「パティの事に関しても様子がおかしかった事は証言するさ」
 女の弱気を汲んでか汲まないでか、荊信はそう添えた。
 ――甘ぇ奴らだ。
 他方、ナスルはと言えば、先程の意趣返しと言った感じで煙草を吹かしながら、女の言葉を聞いて口の端を歪めるようにして笑っていた。
 にまにまと眺めながら、ナスルはどうしたものか、と思索する。
 何が一等愉快か、と。
「俺に言ってやれるのはこの程度だ。後は、どうするか‥‥ウィル、お前が考えて決めろ」
 言った通りにしろとは荊信は言わない。考えて、決めろ。その事が、バグア達との数奇な日々を思い出させて、ウィルは言葉を呑んだ。
 反感はある。
 閉塞感も、また、強く。
 そこにつと、言葉が落ちた。
「元は人間だったのに‥‥可哀相な小娘だ」
 彼を知る者は――ウィルを含めて、怪訝な表情を浮かべる。言葉の主が、あまりにその言葉に似つかわしくなかったからだ。
 少年ですら、呆気に取られている。
「助けられる技術も、約束もあるのに‥‥秘密裏に処理されるかもしれない」
 飽くまでも独り言の体裁で男は言うが、その言葉には毒が満ちていた。明らかに作り込んだだけの悲しげな表情が、余計にそう感じさせる。
「人の力は弱いが、集団の力は強い。お前も苛められてそう思っただろう?」
「‥‥」
「弱い奴なら弱いなりに固まるなり、強い味方を作るなりしてみせろ」
 前者にも、後者にも、少年には馴染みがあった。それらを全て見て来て、今彼は此処にいる。だからこそ、それしかないのだと改めて突きつけられる事はウィルにとっては痛みですらあった。
 少年が言葉に詰まる様に、ナスルは愉しげに紫煙を吐く。ウィルのこれまでを知っているからこそ、自身が含む毒がどう沁みるかを男は良く知っていた。そして――ダリアや荊信も、また。
 二人の射抜くような視線に晒されながらも、ナスルは挑発するように鼻で笑い、声に出さずに口元だけでこう告げた。
 ――弱い人間は嫌いでね。
 たちまち落ちた剣呑な雰囲気を他所に、ウィルは思索に耽っていた。
 取り戻せるのか。
 それとも、ナスルが言うように、出来ないのか。
 選ぶと言う事は、その他を捨てるという事だ。その事が重くのしかかって身動きが取れなくなっていた、その時だ。

「‥‥エドガーとパティの事だがね」

 頃合いと見たか。それとも、必要と感じたのか。
 ただ、その男には至らぬとは言え思考する少年を軽んじる理由は無かったのだろう。
 男――UNKNOWNの言葉は、空間に沁み入るように紡がれた。
 あの戦場で何があったのか。
 自身が何をしたのか。
 そして。
「彼はね、最後にこう言っていたよ。”貴様らは誰一人、何も為しえていない。他人の手の平の上で踊っているだけだ。 その貴様らがこの私と対等に口を聞こうなどと‥‥笑止千万”とね。そして私達は、彼を手にかけた」
 ――恨んでくれても構わん。
 そう言い添えて、男はウィルを静かに見つめた。
 分かるかな、と問うような視線に、少年は何も言わなかった。
 エドガーの最後も、パティがどんな目にあったかも、彼は知らなかった。知った今、どうだろうか。
 驚きながらも、真っ直ぐに男を見つめ返す彼は。
「‥‥そ、っか」
 ウィルは僅かに男から視線を切って、そう言った。
「そ、か」
 言葉は、震えていた。
 少年の小さな身体の裡でどういう感情が渦巻いていたか。全てを了解する事は、大人達にも出来はしなかった。
 ただ。
 エドガー・マコーミックが、彼の中で今、確かに死んだのだと。
 そう、感じられた。


「‥‥ワリ」
 暫くして、ウィルはぐいと上質な子供用のスーツの裾で強く顔を拭った。
 上げられた赤みがかった顔を見て、UNKNWONは小さく笑った。そこには彼を詰るような色は無く、たとえ押し込める形であったとしても受け容れようとする意志が感じられて。
「心の中でもう決めているものがあるはずだ。‥‥その声に従いたまえ。汝の信じる神からの、幸多からん事を」
「‥‥大げさだなぁ、アンタ」
「おや、そうかな?」
 今度こそ吹き出したウィルに、男は惚けて返す。もっとも、男の場合これが素なのかもしれないが。
「肚ァ、括ったか?」
 軽くなったウィルの態度に、荊信は悟ったのだろう。軽く肩を叩き、戯けるように笑いながらそう言った。
「ああ、決めたよ」
「ま、何があろうと俺はお前の味方だ。男と男の約束をしたんだ。皆遮盾の名にかけて、それだけは違えはしねぇ」
 荊信は、そう言って、堅く握った拳を掲げた。こつ、と。少年の小さな拳がそれに合わさると、軽い音がなった。
「ありがとう、世話になったよ」
「‥‥万が一駄目でも強化人間調整施設が残るルクソールへ行く事を一つの選択肢にすると良いかもしれませんね」
 話が締まった。それを待って漸く無月は口を開く。
「ルクソール、か。覚えとく」
 聞き慣れぬ地名に一瞬首を傾げたウィルだったが、上手く行かなかった時どうすべきかという指針を彼はくれたのだと知った。礼を受け取りながら、無月は続ける。
「パティは、苦しむかもしれません。犯した罪に見合うものを用意すれば終わりと言うわけでは無いでしょうから‥‥それもまた、貴方の役目だと俺は思います」
 上手く行っても、それで終わりではないと彼は言う。
 ウィルは言葉に、先を想った。
「そう、だな」
 どうなるだろう。随分と時間が掛ってしまった。傷が膿んでしまうには、十分な時間に思えた。
「‥‥でも、大丈夫な気がする」
 彼も彼なりに色んな事を見て、聞いて、知ってきた。
 そして、何より。
「もし、また会えたら‥‥そん時は、ちゃんと言葉が届くから」
 だから、大丈夫と。彼は笑った。




 ――皆さんは、何故俺が、今回”小さな英雄”なんて呼ばれるようになったのかを、ご存知でしょうか。

 壇上では、ウィル・パーソンズが打合せに無い事を喋っている。
「‥‥やられましたね」
 ただのスラムあがりの少年。あとは此方の手の上で踊るものとばかり思っていた。
 今止めたら軍と‥‥私の傷が広がるだけだ。動勢を見守る他無い。
 深く、溜息をついた――その時だ。
「‥‥できれば、難民として扱って欲しいものだね」
 傍らでそんな声がした。
「審判は軍が下すものではなく、人々が判断するようになっていくべきだ。‥‥そうでなければ軍が生殺与奪の権利を持つ組織になってしまうから、ね」
「そうなれば、いいですね」
 視線は少年の方に定めたまま、それだけを返した。
 それは、私の決める事ではないのだから。
 今、私の胸の上で真新しい勲章が揺れている。今はそれが、全てだった。




 ――パティ・フォスターという女性が、居ました。彼女は‥‥

 ウィルの言葉が続いていく。真実の中に、嘘は都合が悪い部分に、一握り。
「‥‥悪ぃな、爺ぃ。気に食わねぇやり方だが」
 戦場で刃を合わせた快い相手が他ならぬウィルによって穢されている。ウィルの手前、その嘘を提案したものの荊信の胸中は苦くならざるを得なかった。
 それは、ダリアにとっても同じで。彼女は今なお不安を拭えないでいる。
 ――所詮私には、願う事しか出来ない。
 壇上の少年は、ひたむきな面持ちで言葉を紡いでいる。
 女には彼の姿が先程までの少年ではなく、大きなものに立ち向かう、一人の男に見えた。置いていかれたような感傷に囚われながら、言う。
「お前達男が少し羨ましく思えるな‥‥」
「‥‥ハ。単純で良いだろう?」
 女の自己評価の低さに敢えて荊信は触れずに、抱く苦みを呑み込んでそう言って笑えば、ダリアも薄く笑った。
 そう言える強さこそが、眩く見えたからだ。




 ――彼女を、助けたい。

 少年のスピーチとざわめきは会場外で煙草を吹かすナスルの元にも届いていた。
「くくっ‥‥これだから、人と話して弄ぶのは楽しいもんだ」
 なんという茶番だろう。手のひらで踊らされているのは、誰だ。踊らせているのは、誰だ。
 心底、愉快で堪らなかった。
「下らん余興だったが‥‥思いのほか、楽しめたな」

 ――俺は、パティ・フォスターを、愛してます。

 ざわめきが喝采に変わるのを聞いて。男は吸い殻を足下へ投げ捨て、歩き出した。
 次の戦場へ、と。