●リプレイ本文
●メグルオモイ
自室だろうか。
遠石 一千風(
ga3970)の装いはいつもより気楽げだ。彼女を知らぬ者がその姿を見たとしたら、彼女が戦場に身を置く人間だと聞かされても了解する事はないだろう。
そんな、緩やかな日常を感じさせる光景。
たとえそれが。
「もう、切るわね」
心苦しさの滲む電話の最中だったとしても。
柔らかな腕に残る傷を隠すようにその身をかき抱き、俯きながらの言葉に、戦闘のただ中とは質の違う感情の発露が見つけられるから‥‥これは紛れも無く、日常の風景なのだ。
「おやすみ」
受話器を置いた一千風を室内灯が優しく照らしている。
零れた溜息も、光を返す艶やかな髪も、倦んだ胸中も――平等に。
●
久しぶりの電話だった。
なのに、胸の奥はこんなにも苦々しい。
――やっぱり、というべきなのかもしれないけれど。
柔らかなベッドに身を投げると、ぼふと鈍い音が壁に弾けて消えて行った。
音が消えて行った隙間に、滲むように。
『傭兵をやめて、医師になれ』
母の言葉が、回想された。
短くない年月が過ぎたはずだった。
弟が死んで‥‥私が、傭兵になって。
沢山のすれ違いを重ねて、私は自分の想いを曲げれないと示して来たつもりだったのに‥‥母の想いも変わらなかった。
変わって、くれなかった。
――親不孝もの。
脳裏に掠める声がきっと自分自身のものだと解りながらも、そう思う自分を止められないでいた。
傭兵として武器をとってから、沢山の傷を負った。それ以上に、傷つけた。
私自身も‥‥死にかけて。
『――イチカ』
アルゲディ。
ろくでもない奴とも、出会って。
でも、出会ったからこそ――戦い続けたいと思うようになった。
弟が目指して、道半ばで見る事が叶わなくなった世界を‥‥私は知る事が出来たから。
そこは本当に瑞々しくて、息を呑む程に圧倒的な‥‥現実で。
――それでも、終わりはくるかもしれない。
そんな予感が、あった。
もし、バグアに勝てば――弟が目指したものを、見つけられるだろうか。
もしも、そうなれば‥‥今後の事を、考えなくちゃいけない。
私自身のこと。
‥‥母さんとの、こと。
――ひょっとしたら、バグアとの決戦以上に難題なのかもしれないけど。
苦笑と一緒に、溜息が零れた。
そっと、胸の奥の澱ごと吐き出しながら――私は、目を瞑る。
次の戦場がある。今は‥‥休まなくちゃ。
●道は、其処に
その光景は、珍妙といってもいいだろう。青年――セージ(
ga3997)は自室で一人、鏡に向き合っていた。その表情、その呼吸、その”体”。いずれも自然体そのものでそれ故に日常の中では異質さが先に立ち、際立つ。
男の両の手が緩やかに握られ、その呼吸が小さく詰まる。
ひと呼吸ほどの時間。
臍下から力が解け、長い呼気が男の口から紡がれた。
「‥‥やっぱり、か」
吐息に乗った男の言葉もまた、至極自然に結ばれる。
●
いつから、だっただろうか。
覚醒時の変化が、はたと止んでいた。
蒼い光を宿していた双眸は、生来の黒瞳のまま。
身体を柔らかく渦巻いていた風の流れは今は影も形もない。
力は、満ちている。だからこそ、覚醒が成された事は実感してはいるが、どうにも居心地が悪い。
検査を受けにはいったのだが。
『異常なし』
その結果だけを突きつけられた。
もっとも、無変化というわけでもないらしく、身体つきは若干変化していることは確かだ。
‥‥いやまぁ、弊害があるわけでもないのだが。
そんな風に誤摩化しながらも近しい者たちに聞いた所、今の俺はかつての自分――戦場での自分に近しいとの答えが帰ってきて、俺は解を得た。
「‥‥変わったのは、自分か」
覚醒。
その際に現れる変化は、魂の形が現れたものと聞いた事がある。
”心”と、”体”。
その二つが重なりつつあるのかもしれないと。
そう考えれば、この変容も了承できない事もなかった。
変化の消失‥‥それは、俺自身が、覚醒していた時の俺に近づいた結果かと。
今、俺は胡座をかき、自室に座している。
かつて、兄に向けて杯を掲げた部屋は今もさして変わらない。
グラスを傾ける。琥珀色の液体が辛く、喉に絡み、胃に落ちる。
じわり、と。熱が解けては消えて行った。
「魂の形、か」
空いた片手で、古い写真を手繰る。そこに映る自分と、今此処にいる自分。
何が、変わったかね。
――受け継ぎ、託せ。
あの時、胸に刻みなおした言葉が想起される。
その根元は変わっていないから、まあ、いいんじゃないか。そんな気安さが、俺自身、この変容に頓着しないでいられる理由なのだろう。
「俺は、俺だってことに変わりはないし、な」
●誓いに添う
「おいおいブラザー」
ジルベルト・マーティン(gz0426)は場末のバーでそう呟いた。くさったような言葉だがその表情はむしろ楽しげだ。その視線の、先。
「男二人で、たァな」
「まぁ、そう言わないで下さいよ」
宗太郎=シルエイト(
ga4261)が片手を掲げている。そういう彼の表情も侘びるようではあるが――楽しげに。
「最近色々と慌ただしいですから。暇ができた今のうちに、飲んでおこうと思いまして」
「ハッ」
言葉に、ジルベルトは口の端をつり上げて白い歯を晒す。
そうして、グラスを掲げ。
「先に潰れンなよ、ブラザー?」
重なったグラスが、鳴る。
●
どれだけ、グラスを重ねただろうか。
「気付けば、随分戦ってきました」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。
「沢山守れた物はあれど、守れなかった物の方が多くて‥‥沢山、殺して」
「‥‥そいつァ、」
「いえ」
励ましと思しき言葉を、払う。私は、自身の業の深さを知っていたから。
「この戦争は、終わろうとしている。でも――私はそれが、寂しいんです」
力を振るう場が、無くなろうとしている事が。
グラスを呷る。身体中が、疼いていた。心が、刻まれた傷が、置いて行くなと嘆くように。
「‥‥私の心は、この戦争にすっかり侵されてしまったようです」
「そりゃ、そうだろうさ。それが戦争なンだ」
「‥‥」
「当然の事なんだ。徹頭徹尾、な、ブラザー?」
軽い言葉とは裏腹に強く濃い眼差しに自然と脱力し、溜息が零れた。
強ばり、乾いた唇を酒で湿らせる。染みる酒の余韻が、逆に頭を冴えさせた。
そう。
変わってしまったことは‥‥受け容れるしかない。
そうじゃなくて、変わらないものがある事を‥‥私は知っていて。
『想い』を、守る。
――この寂しさよりも、その想いは‥‥強いのだから。
「もしこの戦争が終わって。いい働き口があったら‥‥教えてくださいね、ブラザー」
「ブラザーは文句一つ言わずに働きそうだから、仲介しがいがあるな、ハッハ!」
バーテンダーにグラスを傾げて見せ、笑う。
「死ぬ程忙しい自称花屋とかどうだ」
「‥‥てっきり裏社会の用心棒とか言いだすのかと思ってましたよ」
「死ぬ程ブラックみてェだがな!」
「聞く相手を間違えたかもしれませんね」
帰って来た大笑に、今度こそ私は心の底から笑った。
楽しい時間には、終わりが来る。
店を出て、湿気の濃い大気に酒で火照った身をさらし――。
「ああ、そういえば」
「ン?」
「‥‥私、結婚したんですよ」
その時の彼の顔は、終戦後の肴に覚えておこうと決めた。
●時の彼方へ
能力者とそれを取り巻く人々が住まうこの島も、夜も更ければ静寂が濃くなる。
その一角に佇む教会に彼女はいた。
ハンナ・ルーベンス(
ga5138)。
タイプライタに向かう彼女の表情は、祈りを捧げる時のように穏やかなものだ。
柔らかな髪が開け放たれた窓から流れてきた夜風に流れて、揺れる。肌をくすぐる感触に、女は夜天を見上げた。
星々を、そこに揺蕩う想いの残滓を拾い上げようとするように。
●
人工島の夜は、数多の星々の光を届けていて。その輝きに私は、貴女を想う。
――カルサイト。
名を受け取った、貴女の事を。
その名は方解石に因んでいました。同じ形で割れやすい性質をもつ、一つの石。
‥‥ですが、欠片は決して同一には成り得ない。
砕けた欠片は、必ず分たれ、欠ける。
私は、それを伝えたかった。
それが出来ないままに‥‥貴女は博士と共に‥‥。
零れた息が、室内に木霊するのを聞いて‥‥私は、寂しくなった。
嗚呼。
私は貴女と言葉を交わしたかった。
それは、この世界の中で見つけた、一筋の光で。
人類の事、バグアの事。
これまでのような、憎悪と殺意に塗れた怒号の応酬ではなく、相互理解の努力としての、静かな会話。
それが出来れば――どれだけ。
もし。
どこかに、希望が残っているとしたら。
「カルサイト‥‥貴女の想いが、エアマーニェに届いているなら‥‥」
彼女は貴女を――貴女達を、見ていたはずで。
「まだ‥‥終わっていないかもしれない」
‥‥確かめられる、でしょうか。貴女への、彼女の想いを。
聞けるかどうかも、解らない。答えが返ってくる保証もありません。
――にべもない拒絶。嘲笑混じりの中傷。問答無用の、死。
貴女と違う彼女と、対話できる保証なんて無い。
「それでも私は」
――生きる事に不器用だった、貴女の事を問う事でしょう。
カルサイト。最後の時を、安らかに過ごした貴女の事を。
「‥‥執筆に、戻りましょうか」
夜風は、優しく辺りを撫でている。
途切れてしまった物語を、それでも、祝福するように。
●
タイプライタが、小気味良く音を刻む。
紡がれた言の葉の行く末は――まだ、誰も知らない。
“‥‥想いは廻る。
博士が残した、熱い想いも。
貴女が向けた、あの眼差しも。
‥‥運命は巡る。
時の彼方で再び出会う
私達の想いものせて”
〜とある修道女のバグア戦争記 第12部第2章前文〜
●同胞と、共に
夜も深い。
人工的な灯りが僅かに人の領域を拓くばかりで、薄く延びる人々の気配が隙間を埋めていた。
蝉の声すらも沈んだ、夏の夜道を往く影がある。
影の名を、堺・清四郎(
gb3564)という。
男の足取りは、困憊故か鈍い。手にした荷の中で固い音が小さく鳴り、夜の帳を拓く。
そう。
困憊も致し方ない事だろう。戻る暇もない程に、戦い続けて来たのだから。
音を曳きながら、男はそこに、辿り着く。
戦場から遠く離れた、彼の自室へと‥‥生還した。
●
本当に久々の部屋だ。
そう思いながら、荷物を玄関に置き捨てる。
疲労が深い。
足は、真っ直ぐに寝室へと向かっていた。
抗う事の出来ない、不可視の重力に曳かれるように寝台へと倒れこむ。
懐かしくも柔らかい感触。己の鼓動が大きく、心地よく響く。
気を抜けばすぐにでも眠りに落ちそうになりながら、ふと顔を上げる。
「‥‥皆。親父」
ベッドサイドテーブルに置かれた写真が、まるで俺を迎えているように感じられて。
「‥‥久しぶりだな」
そう、言った。
●
堪らなくなって、身を起こす。ベッドから立ち上がりがてら写真立てを取り、それをテーブルに据えて準備に移った。
杯を、一つ、二つ、三つと並べ。
同じ数だけ、注いで行く。
とく、と。鼓動と似た水音を感じながら、郷愁の思いが満ちるのを感じた。
「あれから、もう何年だろうな」
勿論、言葉に応じる声はない。それでもいい。これは、そういう酒だ。
「死んで行った、親父。そして、お前ら‥‥生き残った俺」
そして、生き残った俺。
「撃墜されて適性が見つかった俺が、ナイトフォーゲルに乗れたから生き残っているのか?」
切り捨てられるように彼等が死に‥‥俺が生き残ったのは、そのためだったのか。
答えの無い問いだ。
清酒の熱で、喉を潤す。
「俺よりも若い連中が、一緒に最前線にでて、俺の目の前でまた死んで行ってしまう‥‥」
それは、紛れもなく地獄だった。幾度も重ねられ、踏み固められて来た地獄。
救いがあるとしたら、それは――。
「もう少しだ。もう少しで親父‥‥皆‥‥お前らの挺身が報われる時が、来る」
終わりが来る。その予感こそが、救いだった。
だからこそ、見届けたいと強く思う。
「もう少し、生きてみようと思う。皆の挺身‥‥若い連中の死が無意味でないことを見るためにも」
その為に、俺は武器をとり続けているのだから。
「だから――それまで、見守っていてくれ」
杯を掲げ――そう、結んだ。
●誓いは、いつだって戦場で
時間と所、変わって。
教会だ。もっとも、ラストホープに在る教会ではなく、北米は某所に在る教会。
より正確を期すならば、その跡地であった。崩れさって、荒廃した瓦礫が積上がった破壊と――死の名残。
赤黒い血の後が滲む其処に、月野 現(
gc7488)はいる。
周囲には他の傭兵も居た。それぞれに、己の傷を癒す事に専心している。
彼自身もまた、それにならっていた。その眼差しには焦りと疲れが色濃いが、今は、傷を癒す必要があると解っていたのかもしれない。
「‥‥ただ一人の女性に、涙してほしくないだけなのにな」
ぽつ、と落ちた言葉を拾う者は、いなかった。
●
風に巻き上げられた砂の匂いが鼻腔をくすぐるのを感じながら、真っ直ぐに、現実を見つめる。
――アトレイアを、奪われたのだと。
あれだけ、護るなんて大口叩いて、奪われた。
最早どれだけ言葉を積み上げても言い訳にしかならない。だから、受け止めるしかない。
その事が‥‥こんなにも、苦い。
空を、見上げる。
胸を貫くほどに青々とした空。
引き出されるように追想するのは――出会ってから、これまでの事だ。
交わした言葉。そこには常に、戦場があった。
そしてそこには‥‥敵が居た。
あの時も、ここと同じように荒廃した街並で。
「‥‥喰えばずっと一緒、か‥‥」
敵の一人が、そう言っていたのを、思い出す。
護ると誓い、奪われた今となっては‥‥馬鹿げている、と笑うことはできなかった。
たとえ、どんな形であったとしても一緒に居たかったという、その一点を痛いくらいに感じて。
それが、あの男の愛なのだとしたら‥‥理解出来なくもなかった。
そう。
もし、取り戻せるのならば。
その可能性が、あるのならば――足掻き続けよう。
現実から目を背けない限り、出来る事はある筈だから。
『もう、手遅れ』
『‥‥間に合わないですよ』
罅割れた電子音声で、弱気が脳裏で響く。
最悪の結末は想定できていた。それ故に心の奥底で怯懦している自分が居るのを、殺せないでいた。
「‥‥」
深い呼気で、震えだすのを無理矢理に押し込める。
――今、折れる訳にはいかない。
無為に悩むのも、神なんかに願うのも止めだ。
「‥‥全てを失っても、救ってみせるぞ」
――幸福にしてみせる、と。誓ったのだから。
そう、呟いた時だ。
●
爆風が、瓦礫を舞い上げて高く、鈍く鳴った。
戦場へと瞬転した光景に、俺は――強く、盾を、手にした。
「‥‥諦めないぞ」