●リプレイ本文
●『理想』
さざ波の音が、河端・利華(
gc7220)の耳朶に触れる。
冬を越して暫く経ったとはいえ、海風はやや肌寒い。
彼女はそこで、遠くの故郷の方角を眺めていた。青空の向こうに、確かにある風景。
不意に浮かんだのは、これまでに受けた依頼の事だ。
・―・―・
信仰者達は、理不尽な死に食いつぶされていた。
ある傭兵は、死後にその遺志を果たして、終わりの果てで、報われた。
そして、その遺志を受け取り、身勝手な夢を背負って生きて行く事になる女性‥‥。
彼らは皆、私にとっては他人だ。でも、すれ違うだけの他人では無かった。
そのおかげで、得る事ができた物は多い。それはとっても素敵な事なのだと思う。
死者は、蘇る事はない。
過去に戻る事もできやしない。それは、アタリマエの事。
なら、それはそのままに受け止めようと思った。
この世界は沢山の不幸で彩られている。
でも、その中で少しでも幸せを掬い上げられたら、って思うようになった。
‥‥たとえ理想論だと言われても、こればっかりは性分だから仕方ない。
●『杯ふたつ』
墓地は静謐に満たされていた。生者と、死者の面会場。そこには、静かに祈りを捧げる者達がいる。
だが、セージ(
ga3997)は墓前にあってなお、故人の死を悼む事が出来なかった。ただ、悲哀だけが澱のように胸中に沈む。やり場のない感傷は、此処でも解消されなかった。疎外感から自然、足は外へと向く。別れも告げず、彼は墓前を後にした。
・―・―・
兄さんが死んだ。
死因、日時、場所、全て明かされる事がないまま、一方的に死を突きつけられた。
最初に沸き上がったのは拒絶だ。
身寄りがなく孤児院で育った俺にとって、最も大事な時間を共に過ごした家族。古武術の兄弟子でもあり、血の繋がらない兄でもあった男。
そんな彼の理不尽な死の報せを、そのまま受け止めるなんて出来なかった。
だからだろう、気がつけば足掻いていた。
光の無い世界で闇雲に手を伸ばすように、彼の死について調べた。
金を使い、コネを使い、積み上げて来た全てを使い、ただ一筋の光明を求めて調べ尽くした。
――だが、いくら調べても、自分の目が届く世界全てで、兄さんはどうしようもなく、死んでいた。
あても無く歩き回り、結局自室に帰ってきた。
手には、兄さんが好きだった酒。
取り出した杯は二つ。
弔いの酒。
兄さんとの、最後の酒。
小さく杯を掲げると、渦巻く胸中を振り払うように、呷る。
「受け継ぎ、託せ‥‥か」
俺達の師匠の教え。
兄さんは、それを果たせたのだろうか。
‥‥俺は、彼から何かを受け継げたのだろうか。
飲みながら追想するのは、共に過ごした日々の事だ。
想えば想うだけ、俺の中で兄さんが息づいている事を再確認する。
――ヘコんでても、兄さんは喜ばないよな。
追憶の彼方。兄さんが俺の事を叱った気がして、苦笑した。
兄さんは決して折れる事のない鋼のような男だった。ただ前を向き進み続けた。その在り方に、俺は憧れを抱いていた筈だ。
呷る。
今の俺はどうだ。叱られて当然。悲しみに浸っているだけじゃないか。
胸の奥、満ちる物を感じた。その意味を俺は知っている。大丈夫、俺もまた、前を向ける。
――だけど、今日だけ、今晩だけは落ち込ませてくれ。明日からは、笑えるから。
呷る。痺れるように広がる酒が、初めて美味いと感じられた。
それは自己満足とは違う、別れの儀式。
「‥‥全く。逝っちまったら、一緒に美味い酒も飲めないじゃないか」
自然と、笑みが溢れた。
●『宝物』
深夜。寂しさに突き動かされるように、Letia Bar(
ga6313)は近くの公園へと足を運んだ。
辺りは寝静まっているように静かだ。でも、今の彼女にとってはその静けさが心地良かった。
見上げる先、星が瞬いているのが見える。照明の向こうに見える星はとても儚い。
「最近はこんな事も少なくなったのに、なぁ」
・―・―・
昔の事。
私はよくこうやって空を見上げ、傭兵だった兄の無事を祈っていた。
彼はそんな私を迎えに来てくれていた。肩にまわる手と、「帰ろう」という言葉の暖かさに、安らぐものを感じていた。
でもそれは、時の彼方のもの。
胸元の金色のロケットを開くと、そこには在りし日の家族が刻まれていた。
この世界にもう家族はいない。あの人も、いない。
行方不明の兄を除いて、彼らは皆、殺された。
赤色に塗りつぶされた光景の中、私を庇った彼は死んだ。
泣きながら縋り付く私に彼は微笑むと、安堵させるように撫でてくれた。
そして、私に安らぎを与えてくれていた彼の手の暖かさは、静かに消えて行き‥‥永遠に失われた。
‥‥あの日以来、私の心に刺さった棘で膿んだ傷が、時折こうして血を流す。
その冷たさが耐えきれなくて。忘れたくて。
だから私は、彼がくれた物を全て捨てた。記憶に蓋をする事が出来なかったから、目に映る物だけでも無かった事にしたかった。
風が、頬を撫でる。溢れていたものを拭い、また空を見上げた。
今なら、ゴメンって言える。あれは、彼の存在証明でもあったんだ。
それはあの頃の私では辿り着けなかった答え。
‥‥そう思えるようになったのは、きっと、ここで出会った皆のおかげ、かな。
それはとても、温かなもの。
友達。血は繋がってなくても、大事な家族。そして、恋人。
なくして、捨てたものの代わりに、ここで見つけたもの。
‥‥そう。私はあれから、色んなものを得たんだ。
誰かを守る力を得た。誰かを残す悲しみ、誰かに残される辛さから、救うための力。
守って、死なず。私の悲しみを誰かに負わせない為の誓いを得た。それは私の中に息づく、彼の存在証明。
ゆっくりと時間をかけて、私はそれらを再確認する。
寂しさは、今も共にある。でも、あの人に貰った命を含めて、今の私をなすものはかけがえの無い宝物で。
‥‥その温かさが、私を支えてくれている。
「‥‥精一杯の事をやるから、さ。見守っていてよ」
気付けば、寂しさは何処かに消えていた。
●『笑顔の理由』
雨。
椎野 のぞみ(
ga8736)は、公園の屋根の下、灰色に染まって行く世界を眺めていた。
久しぶりのオフ。買い出しにでかけた先で突然の雨に見舞われた。
――せっかく、今日は食堂を開けられると思ったのに。
困ったような笑顔から自然、溜息がこぼれる。
「通り雨かな‥‥」
・―・―・
雨を眺めていると、あの日の事を思い出す。
心に焼き付いて消える事のない記憶。
あのときの『私』が、蘇る。
私の故郷である漁村がバグアに襲われた日。あの日も雨が降っていた。
私達はなんとか逃げ出そうとした。
その最中に、お父さんとお母さんは私を逃がすために私を庇って、死んだ。
両親の悲鳴を聞きながら、私は近所の子供たちを連れて走った。
港に停留している漁船。生き延びるための、細い蜘蛛の糸に向かって。
なんとか港に辿り着くと、私は子供達を船にのせた。
放心する子。泣き声をあげる子。怪我を負った子。それらの命を背負い、ただ前をみて私は船を走らせた。
でも、一機のHWが私達を追走してきた。子供たちの悲鳴を振り切るように、私はただ船を急がせた。向かい風に、私の長い髪が揺れる。
速く。
速く。
速く。
被弾もしたけど、船は私達の想いに応えるように走り続けた。それは、奇跡のような運命の悪戯。
HWが追走を諦めると、私は安堵の余り足腰から力が抜けて、座り込んだ。
そして振り返って、子供たちを安心させようとした。
そこには。
――ただ、赤い海が。
子供達の殆どが、HWの攻撃を受けて倒れ伏していた。
悲鳴は言葉にならなかった。
赤い船上、事切れた少女を抱きかかえながら、私はただ、泣き叫んだ。
壊れてしまった心を、それでも繋ぎ止めようとするように。
‥‥いつしか雨は雪に代わり、世界を白く塗りつぶしていった。
――『私』はあの時、死んだんだ。
そして、時間をかけて『ボク』は心を取り戻した。
能力者になり、辿り着いたLHでは沢山の出会いがあった。
そこでボクは笑えるようになった。普段の笑顔が、大切だとわかったから。
気付けば雨があがり、太陽があたりを照らしている。濡れた草花が、光を返していてキレイだった。
笑みが浮かぶ。ボク達が守ろうとしている世界は、こんなにも美しい。
――ボク、できる限り、笑みは絶やさない。
――だから、お父さんも、お母さんも、そっちで、笑っていて。
そしてボクは、歩き出した。太陽が照らす、確かな道を。
●『黎明』
墓地。数多の死者が眠る地に、杠葉 凛生(
gb6638)はいる。
夜が明けようとする狭間。世界は徐々に色づきを取り戻し始めていた。
彼の眼前には石碑。そこには彼の妻の名が記されている。
彼女は二度死んだ。
一度目は人として。‥‥二度目はバグアとして。
ヨリシロとなった彼女を殺めたのは墓前の男だ。
――俺は、お前を殺した。
守る事も救う事も出来ず、ただ殺す事しか出来なかった。
その時胸中を支配していたのは衝動に近い運命に対する怨嗟だった。
だがそれは、現実を直視出来なかったが故の本能的な逃避だった事を彼はもう知っていた。
首が切り落とされた死体。
その結果に帳尻を合わせる事など、出来るわけが無かった。だから逃げた。
――生き地獄こそ自分に相応しい。
そして彼は茨の道を自らに課した。鉄の意思をもって敵を討ち、自らも傷つけた。
傷つけば傷つくだけ、彼はそこに執着するようになった。
復讐に終わりは無かったが、ただ痛みだけが開放を感じさせたからだ。
気付けば彼は死に囚われていた。
だが。そこに一筋の光が差した。
光彩の向こうに、男は命の意味を見いだす事が出来た。
過去は変えられない。故に胸中に在る痛みを無視して生きる事は不可能だ。
それでも彼はそこに生を望んだ。
光は彼方にある。
だから彼は、前に進む事を望んだ。
・―・―・
あいつの為に誂えた墓。
俺はこれまで、故人と向き合わず狭窄した世界で生きて来た。
そうして俺はあいつを亡霊として縛り付けてきた。
‥‥不甲斐ない話だ。
だが、それに気付き、前に進む事を決めた以上、全てを受容し死者の魂を解放しなければならない。
そう、決めた。
あいつの唯一の遺品を取り出す。
結婚指輪。
遺体は彼処に埋めてしまったから此処には無い。
だから、此処を真実あいつの墓標とするために、俺はそれを真新しい墓に埋めた。痛みと追想の念と共に。
自然と言葉が生まれた。
それはこれまで避けて来た言葉。
――すまなかった。
己の不義を詫びる。
――ありがとう。
こんな俺の妻でいてくれた事に。
そして。さよなら。
――安らかに、眠ってくれ。
‥‥顔を上げると、東、ビルの隙間から光明が射していた。
目映い光だ。だが俺はもう、そこから逸らす事は無い。
俺は静かに墓地を後にした。長い時を経て、ようやく眠りについた故人の魂を起こさぬように。
●『茫洋』
茫と、イェーオリ・ヘッグ(
gc6338)は歩いていた。
そこには目的はない。行くあてもない。ただ、物思いに耽って歩いているだけだった。
‥‥外にいるのは、独りでいるのが嫌だったからかもしれない。
・―・―・
初めて見た人の死。死体。
裏切られ、玩具にされたあれは、現実味がなくて僕と同じように生きていた人間だとは思えなかった。
――思いたくなかった。
僕がそうだったように。もし僕がああなったとしたら、僕がそこにいたのか、いなかったのかもわからなくなるのかな。
そう思うと不意に寂しくなった。
‥‥初めは、驚いただけだった。それから段々こわくなって。
でも、その怖さの理由がわからない。人が死んでいるのが怖かったのなら、少なくとも理由くらいはわかるはずで。
それが、自分が不出来な子みたいで悲しくなる。
――わかりたくない。
僕は、どうしたらいいんだろう。
イイ子ならこういう時、どうするんだろう。
僕は傭兵だから。ファーとモアに、頼まれたんだから。
‥‥怖がっちゃ、いけないはずなんだ。
でも、不意に、この悲しみが『正解』なら良いなと思った。
●『Session』
ぼんやり歩いていたら、海が近づいて来た。‥‥遠く、突堤のあたりに見覚えのある顔が。
「利華お姉―さんっ」
あのとき、あの場所にいた人。
僕と同じサイエンティストでも、ボクとは全く違うかっこいい人。
気付けば、駆け出していた。色を無くしていた世界が、急に色を取り戻したみたいで、嬉しかったから。
「お。イェーオリくん。やほー」
利華お姉さんは、手を軽く掲げてこたえてくれた。少し、胸が弾む。
あれ以来ずっと悩んでいて‥‥だれかに、聞いてほしかった事。
利華お姉さんなら、聞いてくれるかな。
お姉さんはなんとなく首を傾げて、僕の言葉を待っているように見えたから‥‥思い切って聞いてみた。
「あの、さ。こないだ、ね。沢山の人が、死んじゃった、よね‥‥」
赤い光景が思い出されて、つい言葉が途切れ途切れになる。
「‥‥人が死んじゃったとき、どうしたらいいか、わからないんだ」
息を吸う。
「例えば僕が死んじゃったら、モアとファーも、僕のこと、忘れちゃうのかな‥」
たとえ話だけど。つい、握りしめた手に力が篭る。
――そんなのは、ヤダ。
僕はじっと、お姉さんを見つめて答えを待った。
・―・―・
む。複雑そうな少年だとは思っていたけど、まさかこれほどとは。
うん。
‥‥この子には、まだ私の答えを教えちゃ、いけないな。
だから、私は迷える子羊の頭を撫でる事にした。
「‥‥っ?!」
柔らかい金髪が気持ちよい。
「迷ってるなー、少年。‥‥でも、その答えは、自分で見つけなきゃだめだよ」
おぉ。路頭に迷った小猿のような顔をしている。でも、悩むってそういう事だ。
「あたしは悪い子だからね。きっと、色々忘れちゃうよ。でもそれは、私の話で、イェーオリ君の父さんや母さんは、きっと私とは違う」
私の場合、たとえ忘れちゃっても。そこから生まれた思いは全部、背負ってみせる。そう決めたけど、ね。
「いっぱい、悩むといいんじゃないかな。あたし達、まだまだ子供なんだから。きっと、イェーオリくんだけの答えが見つかるよ」
ね。と笑う。安心させるように。
悩む事は間違いじゃないんだって事が伝わるように。
少年が頷くのをみて、私は最後にひと撫ですると、家路につく事にした。
少年は名残惜しそうだ。でも、私だって名残惜しい。なんてね。
また会おう、少年。
去り際。そっと、持参した花束を海に流した。これまでに関わった人に対する手向けになればいいな、なんて。
「‥‥さって。甘い物でも食べて帰ろっかぁ!」
そうして、私は突堤を後にした。人の数だけ物語がある。その事を確かに感じながら。