タイトル:【OF】お前が言うなマスター:凪池 シリル

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/09/08 23:10

●オープニング本文


 ――太原の軍事基地内にあるミーティングルームの一室。そこに集まった孫小隊の面々は、重苦しい空気の中一様にうなだれていた。
 ‥‥こんなことがあっていいのか。
 一体、何が起きたというのか。
 いや、そもそもこれは――‥‥
「そんな、馬鹿な‥‥」
 現実なのか。誰もがそう言って目をそむけようとする中、勇気を持って声を絞り出したのは、やはりというか、小隊内の中で時に無謀と言われながらもその勇敢さを評価もされている牛伍長、その人だった。
 認めがたいことだった。
 認めてしまえば、これまで信じてきたものが、全て壊れてしまうかもしれなかった。
 それでも。
 目の前で起きたことを、牛伍長はとうとう、言葉にしようと口を開く。

 ざわり。
 一同がざわめく。
 よくぞ、と讃えるものと、待て、と非難する者が半々。
 寄せ集めのあまり物と言われながら、苦楽を共にし、様々な困難を乗り越え今や結束力なら中国軍でも有数の存在となりつつあった彼らが、ここにきて衝撃に揺れている。

「‥‥隊長が、会議に大幅遅刻‥‥だと‥‥?」

 ――悲鳴が上がった。

「‥‥いや、何なんですか貴方たち一体」
 そんなわけで、遅れてやってきた孫少尉は、そんな部下たちの様子に会議室の入り口でただ佇むのだった。



 基本的にどれほど疲れていようが目覚ましが鳴るよりも先に目が覚める体質というか性格の孫少尉は、もちろんこの日も寝坊などしていなかった。
 本日のスケジュールもきっちりと管理、予定に対して常に余裕を持って行動はしていたはずだった。
 その予定を狂わせたのは、上司でも部下でもなく。
「‥‥あんた、暇?」
 言って孫少尉の腕をつかんで止めたのは、よれたシャツ姿。太原衛星発射センター内に詰める、研究者の一人だった。
「あ‥‥いえ、あの‥‥」
 一応軍の施設でもあるここで、士官服の人間を捕まえて暇か、と聞くのはどうなのか。
 しかし、血走った目つきと疲れ切った様子がかえって醸しだす凄みに、言いかえすことのできない孫少尉である。
「‥‥プリンタトナーが切れたんだ。急いでるんで取ってきてくれ」
「え‥‥」
 そうして言い付けられたのは誰がどう聞いても雑用だった。だが孫少尉が言葉を失っている隙に、研究者はふい、と背中をそむけてそのままふらふらと研究室に戻っていく。
 ここで、知らん振りして立ちされる要領のいい人間なら、もっと楽な人生送ってるだろうに。
 まあ次の予定まで時間あるからいいや、と倉庫までとりにいってしまうのが孫 陽星という人間である。
 だがそれが甘すぎるのである。ちょっと手伝うくらいならいいか、と足を踏み出したその先が運命の濁流。一歩踏み入れればあれよあれよと流される羽目になる。これまでの人生で少し学べというのに。
「ああうん、替えておいて。そこのやつ」
 トナーを持ってくれば、言われたのがそれである。そろそろ士官にこんな口を利ける研究者より利かれる己に問題があると自覚しつつ「文句を言うより替えたほうが早そうだ」と結論して交換していれば。
「あれ? さっきの試験結果どこいった?」
「‥‥紛れたとすれば、その辺のどっかじゃね」
 背後で交わされているのはそんな会話。
「あ、交換終わりました‥‥よ」
 そう言って孫少尉が振りむいたと同時に、膨大な書類の山を睨みつけていた別の研究者と目が合う。
「‥‥ああうん、手が空いたの。ちょっとこっちも手伝ってくれるかな?」
 凄い笑顔でにじりよられた。
「ああ‥‥いえ‥‥あの‥‥」
 救いを求めて周囲を見渡せば。
「うが‥‥目ぇ疲れた‥‥肩痛ぇ‥‥」
「あれ? ちょっと―、栄養ドリンクもうないよー?」
「ううぅ‥‥お布団が恋しいよう‥‥これが‥‥これの解析が終わったらいったん寝るんだー!?」
「あー、なんか下腹部が痛いな‥‥そう言えば最後に飯食ったのいつだっけ‥‥」
 そこは、地獄の様相を呈していた。

 太原衛星発射センターのマスドライバーは、傭兵たちの活躍もあって順調に修復が進み、マスドライバー自体はいつでも稼働が可能な状態にまで完成していた。
 とはいえ迂闊に使用すればバグアの注目を受けるため、発射実験の準備は進めつつ本稼働はタイミングを待ち続けていた状態だ。
 そんな中、プチロフの失敗は当然このセンターの研究にも影響を与えた。予想が確信と変わったバグアの封鎖網。プチロフの勇み足による宇宙からの報復の可能性。それから、失敗とはいえ先を越された形になるメガ・コーポや中国政府からのプレッシャー。
 いざとなればいつでもマスドライバーを使用できるように、と、太原の宇宙研究者たちは急ピッチでの作業、厳しいスケジュールでの成果の報告を求められていた。
 だが研究者を駆りたてる力は外部からの圧力だけではない。これは、彼らにとってチャンスでもあった。ここで成果を出せば、宇宙への開発が、進出が、一気に認められるかもしれない、と。



「そんなこんなで、遅刻しました‥‥」
 まあ何にせよ遅刻は遅刻なので、一旦素直に部下たちに詫びる孫少尉である。
「しかし‥‥あれはなんとかしないといけませんね」
 溜息と共に呟く孫少尉。
「状況も、気持ちも理解は出来るのですが、明らかに無理がかかりすぎです。あれでは取り返しのつかないほど体調の悪化を招くことにもなりかねません。‥‥あれほど厳しいなら、そちらからサポートを回してくれと頼んでくれればいいのに」
 そう言ったところで。
「‥‥あれ、なんですかこの空気。貴方たち、まだ私に何か文句でもあるんですか」
 部下たちの間に、妙な沈黙が流れたのに気が付いて、孫少尉はまた顔を上げる。
「文句? 我らが隊長に不満などあるわけないでしょう」
 言葉を返したのは謝副長だった。
「ええ。問題のある我らですが隊長はそんな僕たちを最後はいつもまとめ上げてきてくれました。今も、体調が遅刻するなど予想の遥か外にあった事態に動揺した未熟な我らでしたが、そんな我々の気持ちを一つにしてくれたのはやはり隊長、貴方です。そう、今我らはまさに一体。部下を代表してこの副長たる謝 雷峰、高らかに一つになったその気持ちを伝えましょう、隊長。

 【お前が言うな】」

●参加者一覧

小鳥遊神楽(ga3319
22歳・♀・JG
リゼット・ランドルフ(ga5171
19歳・♀・FT
ヴァレス・デュノフガリオ(ga8280
17歳・♂・PN
美崎 瑠璃(gb0339
16歳・♀・ER
流叶・デュノフガリオ(gb6275
17歳・♀・PN
ヘイル(gc4085
24歳・♂・HD
J・ミュンヒハウゼン(gc7115
24歳・♂・SF
新出 早紀(gc7286
16歳・♂・HG

●リプレイ本文

●ご挨拶

「あー、孫少尉? なんか少尉の顔見たら『お前が言うな』って言わなきゃいけない気がしたんだけど?」
 基地で孫少尉の顔を見るなり、挨拶もそこそこに美崎 瑠璃(gb0339)は突然そう言った。
 但し、言った本人もなんでなのかは良く分かっていないらしく、「はて?」という顔をしているが。
「な、なんなんですか一体」
 そして言われたほうは、そういいながらもどこか図星であるかのような顔をしていた。
 そんな、良く分からない会話から始まりつつ。
 一行は、孫少尉に案内されて問題の研究室の前へとたどり着く。
 予め話を聞いていた一同は、ひとまず、そーっと中の様子を伺って。
「何かこう‥‥凄く修羅場っていうんでしょうか。鬼気迫る雰囲気が‥‥」
「‥‥うーわー。なんか目に生気ない人たちばっかりだし‥‥部屋の空気も澱んでてデスマーチな雰囲気ありありだし‥‥」
「少尉の依頼だしな‥‥予感はしていたが‥‥」
 思い思いにつぶやくのはそれぞれリゼット・ランドルフ(ga5171)、美崎 瑠璃(gb0339)、ヘイル(gc4085)である。
「すみません。私も可能な時に何か手伝わせていただきますので、よろしくお願いします‥‥」
 申し訳なさそうに、そっと頭を下げる孫少尉。
「‥‥報告書で見た通りの方ですね」
 それを見て、新出 早紀(gc7286)がポツリと言った。孫少尉が、「え?」と言って振り向く。
「真面目で尊敬できる方だなあと思っていました。お会いできて光栄です」
「は? いえ、あの、それほどでも‥‥すみません」
 丁寧に挨拶する早紀に、孫少尉は明らかに戸惑った様子で応える。
「‥‥あ、いえ。私こういうナリですけど、ちゃんと女の子が好きですからね?」
 そうして、早紀が悪戯っぽくそう言うと、孫少尉は少しフリーズしてから、「は? え、あ、あれ!?」と混乱しながらも何かに気付いた様子で、早紀をまじまじと見直す。
「男ですよ。予備知識無しの初対面で見抜いた人はいないけど」
 ポカーンとする孫少尉に、早紀は「そんなに残念でしたか?」と冗談めかして言う。
「あ、いえ!? 失礼しましたっ! けど、別に元々そういうつもりではなくてですねっ‥‥」
「‥‥なにをやっているの」
 慌てる孫少尉に、別のところから声がかかった。小鳥遊神楽(ga3319)である。
「久しぶりね、孫少尉。まさか、こういう仕事でお呼びが掛かるとは思わなかったわね。どこまで力になれるか分からないけれど、精一杯務めさせてもらうわ」
 苦笑しながら挨拶する神楽。
「あ。小鳥遊さん? あ、いえ、あの、」
「‥‥あまりうろたえると、余計に怪しいわよ?」
「い、いえ違いますよ? 本当に違いますよ!?」
 弁解する孫少尉の様子はかなり必死に見えた。

 さておき。




 傭兵達は、自分達もちゃんと休憩を取りながら作業を手伝えるように、と、暫定的に早番、遅番の2班に分かれることにしていた。
 早番を担当するのは神楽、リゼット、ヴァレス・デュノフガリオ(ga8280)、J・ミュンヒハウゼン(gc7115)の四人だ。
 彼らが研究室に入り、そういうわけで手伝いに来たのでよろしく、と挨拶を終えるか終えないかのうちに。
「じゃ、これ! 5部ずつコピーよろしく!」
「あ。このファイル郡なんだけど。ナンバリング振りなおしてくれないかな。いい加減枝番増やすのも無理がある」
「うぉーい寝るな!? どうせ寝るならしっかり寝て回復してこい! ‥‥駄目だ反応しねえ‥‥」
「この瓶の山‥‥そろそろ捨てに行かないとやばいのは‥‥わかってるんだけどねー‥‥」
 etc.etc.
 注文されることや、されなくても見るからにやるべきことは山ほどあった。
 効率化のために準備したいことも色々あったが、まずは相手の要望を一段落させねばならないようだ。
 ばたばたと駆けずりまわされる傭兵達。
 ‥‥だが、彼らも、ただ言われたとおりに走り回るだけではなかった。
 コピーをとる際には、用紙が足りているかの確認。
 倉庫から物を取ってこいとか、売店からあれを買ってきてと頼まれれば、他にその場所で必要なものがないか確認してから向かう。
 ホワイトボードや無線連絡を活用し、互いの行動を把握して無駄をなくす。
 予想される不足、需要に対して先を取ることを心がけることで、やがて徐々に余裕が生まれてくる。
 そうして、段々と要望の声が減ってくると、今度は積極的な研究者たちのケアへ。
 飲み物を配り歩いたり、食事の用意をして置いたり。
「あー‥‥うめー‥‥」
 中でも好評だったのはリゼットのスープだった。楽に食べられるようにと具材がすり潰してあるスープは、過酷な作業とそのために摂取されたカフェインで疲れ切った胃に優しく届いた。作業の合間にすぐに食べられるようにだろう、程よい温度までさましてある。忙殺されている研究員にはその心遣いまで気付いたものは少なかったが、久しぶりのまともな栄養分に、目じりに軽く涙を浮かべて感動する者もいた。
 喜んでもらえている様子に、ほっとするリゼット。彼女が別の作業に呼ばれると、その少し後のタイミングで手が空いた神楽が交代で料理の準備に入る。
「どんなに忙しくても、食べないことには疲弊するばかりだもの。これは腕の振るい甲斐があるわね」
 リゼットの成果を見て負けられないとばかりに神楽が呟いた。スープで活発になった胃は、やがてもっとちゃんとしたものを求め始めることだろう。
 ミュンヒハウゼンが作業がないか見回すと、パソコンの前で少しいらついた様子で固まっている研究員に気付く。
「演算処理待ちでございますか? ここは私が見ておりますから、少々休まれてはいかがでしょうか」
「ああ‥‥いや、しかし場所を変えて休めるほどの時間でもないしな‥‥」
 気が張っている様子の研究員に、
「ぁ、紅茶飲む? 淹れてくるよ♪」
 ちょうど近くで書類を纏め終えたヴァレスが、「ついで行動」の一環とばかりに声をかける。
 やがて運ばれてきた紅茶を手に、研究員は「10分くらいしたら声をかけてくれ」とミュンヒハウゼンに頼むと、ほぅ、と一つ息を漏らして力を抜いた。



 ヘイルはその時、夜間作業の準備として、基地内の酒保で缶飲料や栄養ドリンクなどを調達していた。
 自分も休むことを心がけねば、と思いつつも、さりげなく基地内を見回して何かを探す。
 目標の一つは、すぐに見つかった。
「やあ、謝副長」
「おやヘイルさん。僕に声をかけるとはまた何か企んでますか。また隊長の私室漁りですか」
「‥‥ひ、人聞きの悪いこと言うな。あれは‥‥いやそれはさておいて」
 そう言ってヘイルは相談を持ちかける。いい機会だから少尉にも休みを取らせられないかと。
「急ぎの仕事を無くしておいて退路を断ってだな‥‥」
 そこまで言ったところで、しかし謝副長はゆっくりと首を横に振った。
「分かってませんね‥‥前、別の傭兵にも言いましたが、あの人にはそれじゃ、駄目なんですよ‥‥」
 誰かが手伝って余裕が出来たら、出来ただけ別の仕事を探しにいく、それが孫陽星と言う人物である。そもそも、あの人は『前線指揮官』であり『情報将校』ではないのに、あれだけ調査や調整をやってる現状がおかしい。最近では、周囲でも半ば兼任扱いになってる気がするが。
「どうして‥‥そうなった‥‥」
「まあ、それで生き延びさせてもらってきた身としては何ともいい難いんですけどね」
 頼りない人材を率いて、厄介な任務を回され続けていたのだ。先見をとがらせ続けるしかなかったのだろう。
 もっとも最近では、そうした事情や北京解放戦での重責を経て、生来の性格を完全にこじらせたんじゃないかと謝副長は分析するが。
「どうして‥‥そんなになるまで放っておいたんだっ‥‥」
 悲痛に呻くヘイルに、謝副長はただ俯いて視線を逸らした。




 さて、そうこうするうちに交代の時間である。
 声を掛け合い、入れ替わる傭兵たち。
 流叶・デュノフガリオ(gb6275)も、作り置きしておいた和菓子を手に研究室へ向かう準備をする。
 と、その際ついでに孫少尉の机にも「休むのも仕事」とメモ書きを添えて和菓子を置いておいた。‥‥二つ用意しておいたのは、はたして意図どおりに行くだろうか。
 そうして、廊下を歩いて行くと、向こうからヴァレスがやってくるのが見えて、微笑を浮かべて近づいていく。
「‥‥あ、そだ、はいっ」
 挨拶がてら、彼の口に菓子を一つ、運ぶ。
「むぐむぐ‥‥んっ、ありがと♪」
 特に何も言わないのに、予測しきっていたかのように口を開けて、自然に菓子が口に放り込まれる。
 それから――
 流叶もまた、次に来る感触を予測して、目を細める。
 ぽふり。
 ほら、予想していた位置に、優しい掌が下りてくる。
「頑張ってきてね♪」
 頭を撫でる指先にとろりと意識を和ませてから、「ん、行ってくる」と一言言葉を交わして、流叶は歩きだした。




 というわけで、ローテ後発組は瑠璃、流叶、ヘイル、早紀。
 と言って、やることがそう変わるわけでもない。
「は〜い。行ってきま〜す」
 研究者から要求があれば素早く答え、
「ハーブディですっ! サンドイッチはいかがですかー」
 時間が出来れば、研究員たちの世話に回る。
 ほとんど昼夜もないような状態とはいえ、日の光の当たらない夜間と言うのはやはりどこか気が沈みがちだ。その夜間ローテに、元気系少女(一人は男の娘だが)の瑠璃と早紀が入っているのは、多少は研究員たちの心を和ませたかもしれない。
 瑠璃が用意したお茶は、コーヒーや栄養ドリンクでカフェインを大量にとっている研究員たちを気遣ってノンカフェインの種類のものだった。そうした細かい気遣いも、傭兵たちの間に多く見られた。
 流叶は、ひたすら黙々とデータ打ち込みに入っている。機械のような淡々とした、迅速な動き。それでいて確実さも忘れない。はじめは若干の不安を持って頼んだ研究員たちだったが、こうした作業は疲れていない人間に頼むのがいいだろうと気付いたのだろう、上がっていく成果に、こっちも頼めるか、との声が増えていく。最終的には瑠璃もデータ作業に加わる形になっていた。
「‥‥あれ? アイツ休んでるのか」
 ホワイトボードに書き込みをしていたヘイルに、研究員の一人が声をかける。
「ああ‥‥ついさっき、運ばれていったみたいですね」
「聞きたいことあったのに‥‥しょうがない、俺も休むかな。3時間たったら起こしてくれ。‥‥アイツと一緒に」
 了解しました、とヘイルが答える。傭兵たちの情報共有用にと用意されたホワイトボードだが、いつの間にか研究員たちも自然に目を止め、活用するようになっていた。




 夜。孫少尉の様子を見に行こうとした神楽は廊下で彼とはち合わせた。
「あれ、小鳥遊さん、休憩時間ですか?」
「ええ‥‥貴方は?」
「あ、はい。私も一度部屋に戻って一休みしようと思ってたところです」
 溜息が出た。私室に戻る道だからあるいは、と思ったのだが、『休憩』なのかと。この時間で。‥‥まあ、案の定、だが。
「そう。ならちょうど良かった。これ」
 だが神楽はあえて何も言わずに、手にした食器を差し出す。研究者たちにと作った食事の余りの差し入れだ。
「研究者の人達もそうだけど、今少尉に倒れられるわけにはいかないから。ちょっとしたお節介だと思って、好意は素直に受けておきなさい」
「‥‥ありがとうございます。いただきます」
 穏やかに受け取る彼は、そこにお節介以上の気持ちが込められていることに気付いてなどいないのだろう。これも、予想していたことではあるが。
 ‥‥今は彼が少しでも気分良く仕事が出来ればそれでいいと神楽は思う。それでも、休憩をはさむようになったのなら繰り返し休めと言っていることに少しは効果はあるのだろうか?
 そのまま二人は孫少尉の私室への道を共に歩いていく。
 ――寝る間も惜しむような彼が、今はこの時を惜しむようにゆっくりと歩いている気がするのは、考え過ぎだろうか?




 そうして、研究員が倒れたり、傭兵といさかいを起こしたりと言うこともなく。あわただしくも順調に日々が過ぎていった。
「‥‥はい。かしこまりました。ええ、間違いなくお伝えしておきます」
 電話番をしていたミュンヒハウゼンが受話器を置くと同時に、研究者の一人――座る位置と態度からして、室長だろう――が、彼に声をかける。
「‥‥熱いコーヒーが飲みたい。インスタントじゃなくて、きちんと淹れたやつだ」
 ミュンヒハウゼンも執事として、カフェインの取り過ぎは気になるところではあったが、あえてのこの注文に何か感じるものがあった。
「かしこまりました。少々、お時間いただきますがよろしいでしょうか」
「ああ‥‥頼む」
「他に、ご希望の方は。コーヒーでなくとも、お望みのものはなんなりと」
 声かけに、じゃあ‥‥と他の研究員からも要望が上がる。
「じゃあ、お茶は僕が♪」
 ヴァレスが手伝いを申し出て、やがて皆の元に希望した飲み物が配られた。
 最初に頼んだ室長の元へも、コーヒーが。
 カップを口元まで運んで、まずは香りを吸い込む。
 鼻腔に余韻が残るうちに、一口。
 最初の一口を、ゆっくり味わって流しこんで、深く息を吐く。

「――ありがとうな」

 吐息に混ざった言葉は、しかしこの場にいる全ての傭兵に届いていた。
 それは、紛れもなく傭兵たちが彼らの役に立っていることを意味していた。
 ただ礼を言われたというだけではない。その言葉は‥‥余裕がないものからは、決して生まれないからだ。
「――もったいないお言葉にございます」
 ミュンヒハウゼンが、傭兵を代表して、恭しく一礼した。
「‥‥例の予測を確定させる方向で行く。皆、あとひと踏ん張りだ、行けるぞ!」
 室長の号令に、室内の研究者が気合を入れ直すのが見えた。




「‥‥バグアの低軌道衛星は、『静止』している」
 それが、太原衛星発射センターの研究員が発見した成果だった。
 普通、低軌道の衛星と言うものはかなりの速度で地球を周回している。そうしなければ落下するはずである。
 だが、いかなる科学力なのか、バグアの低軌道衛星は地上から見てほぼ静止に近い状態で存在するというのだ。
 そして、これらの衛星には大型と小型が存在し、大型1に対して複数の小型が動いている。大型の個数はせいぜい二ケタ前半と見られるが、小型の総数はかなりあるだろう、と。
 困難の中、彼らは一つの成果を上げた。
 だが、支えてくれた者たちの協力なくしては今日発表することは不可能だったろう、と、報告書の最後に添えられている。