タイトル:【DD】重たい目覚めにマスター:凪池 シリル

シナリオ形態: イベント
難易度: やや易
参加人数: 22 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/03/13 22:18

●オープニング本文


 そうして迎えた、目覚めの朝。
 夢の間際は、あまり穏やかなものではなくて。
 頭に、身体に。重さが残って、しんどい、そんな夜明け‥‥――

● 

 孫 陽星(gz0382)少尉ら、突入部隊がドゥルガーから這い出した後に広がっていた光景、それは、半ば覚悟していた地獄絵図と比べれば、大分ましと言えたのだろう。
 壊滅的なのは倒壊した壁から近かった箇所のみ、街の大半はどうにか守られている。
 そうしてUPC軍は今、悲願であったデリーの街へと足を踏み入れていた。
 孫少尉もまた、そうして与えられた区画の中で、今は負傷した部下の見舞いに回っている。
 激しい戦闘、それから、ドゥルガー内の、能力者でも参るような衝突の衝撃は一般兵には深いダメージを与えた。帰還の前に、もう少しここで心身を休ませる必要があるだろう。‥‥それでも、本作戦の規模と被害を考えれば、孫小隊の損耗率は低いと評価された方ではあったが。
 部下の様子を確認し、声をかけ終えると孫少尉は少しデリーの街を歩くことにする。
 デリーの民の一部は、すでに復興へ向けて歩み始めているようだった。だが、そうした人々に視線を向けると、彼らがUPC軍、あるいは能力者へと向ける目には、まだぎこちないものがある。
 長い間の隔離。その間に生まれたわだかまり。そして、開放に伴った痛みを考えれば、無理もないことではあった。
「‥‥何か探しものか?」
 声をかけられ、はっとする。どうも、必要以上にきょろきょろと視線を巡らせていたらしい。
 ばつ悪そうに振り向くと、そこに居たのはS・シャルベーシャ(gz0003)だった。
「ああ、いえ、失礼いたしました。‥‥何か、私に手伝えることは無いかと思いまして」
「あんだけ激戦の直後にまだ働きたいのか? 噂に聞いてた通りだな」
 孫少尉の言葉に、シャルベーシャはからかい交じりに笑いながら言った。
「い、一体何の噂ですか。別に働くのが好きというわけではなく‥‥。ただ、もう少し自分に出来ることは無いのか、と」
 前半はどこか憮然とした様子で。後半は、やや声が沈みがちになるのを自覚しながら孫少尉は言葉を返す。
 孫少尉の様子に、シャルベージャはただ、薄く笑みを浮かべていた。
 この街の、この住民の『今』について、余計に気負う必要は無い、と言いたげに見えた。それは‥‥そうなのだろう。今すぐこの街の損壊を元に戻せるわけでもなければ、いずれ去る人間にここに残る隔たりを根本的にどうにか出来るはずもなかった。それは‥‥この地に根を張る人間の仕事だ。
 だから。
「そうですね。何かできること、というのは傲慢な言い方でした。ただ‥‥己の気持ちを整理するための何かが無いかと、思いまして」
 じっとして考え込むと鬱屈したものばかりが生まれる気がした。
 無理矢理にでも顔を上げ、この街を見つめながら――最後にじっくりと、この戦いを振り返っておきたい。
 この地に残ることが許されないものだからこそ。
 自分がいま求めている何かは、多分そういうことだ。
 そうして、改めてゆっくりと周囲を見渡して。
 目を止めてしまうのは、やはり一番痛々しい傷跡だった。ドゥルガーが突っ込み、めちゃくちゃになったメトロニウム壁。砕けたメトロニウムの塊が不安定に重なり、ドゥルガーに半端に刺さった破片はふとした拍子に抜けおちてもおかしくない有様だった。
 ふむ、と、考える。
「あれ、は、我々である程度どうにかしておいた方がいいかもしれません」
 シャルベージャに、許可を求めるように孫少尉は一つ提案をする。能力者の手が必要だ、ならばまた新たに大きな作戦が動く前に、ある程度片付けたほうがいい、と。
 だから傭兵たちにも再び声をかけて良いか、と尋ねると、「片付けを手伝ってくれるなら歓迎だ、やりたい奴がいるならやってくれりゃいい」、と、そっけなく、だがどこか明るい調子でシャルベージャは答えた。

 ‥‥後悔しても、失ったものは取り戻せない。
 だが、絶望に酔い、歩みを止めている時間はない。
 痛みだけではない。手に入れたもの、残せたものだって‥‥あるはずなのだ。
 けだるい目覚め。だが、眠気を振り切って、新たな活動を開始する、そのために。
 頭をすっきりさせるよう、少し身体を動かそう。
 そうして孫少尉は改めて瓦礫を見上げて‥‥。
「しかしまあ、KV、滅多に使わないんですけどね。‥‥能力者として訓練は受けているから、平気なはずですけど‥‥」
 最後にそう、少しだけ不安そうに、呟いた。

●参加者一覧

/ ドクター・ウェスト(ga0241) / 小鳥遊神楽(ga3319) / 夏 炎西(ga4178) / キョーコ・クルック(ga4770) / アルヴァイム(ga5051) / 古河 甚五郎(ga6412) / 百地・悠季(ga8270) / ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751) / 狭間 久志(ga9021) / 赤崎羽矢子(gb2140) / 堺・清四郎(gb3564) / ソーニャ(gb5824) / 館山 西土朗(gb8573) / レインウォーカー(gc2524) / ソトース=ヨグ(gc3430) / ミリハナク(gc4008) / ヘイル(gc4085) / アザグ=トース(gc4976) / クラフト・J・アルビス(gc7360) / 藤崎 恋華(gc8723) / ニルヴァーナ(gc8733) / 空楼(gc8734

●リプレイ本文

「さて、瓦礫の撤去を行いますよ」
 現場について、最初に声を発したのは、ソトース=ヨグ(gc3430)だった。淡々とした声音、だがはっきりとやるべきことを示した言葉に、惨状に我を失いかけた傭兵たちが一斉に我に返る。
 互いに声を掛け合い、役割を確認し合いながら、パラパラと持ち場へと付きはじめた。
「‥‥すみません‥‥」
 夏 炎西(ga4178)が、作業を開始する前に一度KVから降りると、崩落現場に向けて最敬礼をした。
 崩れた壁。それに押しつぶされた民家らしき残骸。間近で見るとその光景は一層痛ましく、守り切れなかったという後悔の念がじくじくと傭兵たちを責める。
「正義のヒーローなんて、なれないのはわかってたけどさ‥‥」
 キョーコ・クルック(ga4770)も同様に、苦々しい口調で呟いていた。
「くそっ‥‥また守れなかった‥‥」
 これが初めてではない。むしろ何度もあったことだ。だが慣れることは無く‥‥むしろ、落ち込みは余計に重くのしかかる。
「僕等が辛気臭い顔してても仕方ないんだけどね。住民の前でそういう顔してる訳にもいかない。だろ?」
 そんな彼女の元へ、恋人である狭間 久志(ga9021)がそっと寄り添って、言った。そういう彼の表情にも、悔悟の色は浮かんでいる。だからこそ、キョーコは久志の言葉に、コクリと頷いて、自身のKVへと乗り込んでいく。その背中を少し見送ってから、久志もまた己の機体へと向かっていった。
(僕等にもまだやれる仕事があるってのは有難い事なのかもね)
 内心で呟いて、久志はKVを始動させる。
「終わったらちゃんと整備してやるから、もう少し頼むよ、相棒」
 コンソールを撫で、愛機に告げる。それは先の戦いでボロボロになっていたが、フレームと駆動系は無事。戦闘ではない作業であれば問題は無いだろう。



 それはそれとして。
「少尉、KV持ってたんだな」
「ものすっごく不安になる呟きが聞こえた気がするのは‥‥気のせい、だよな?」
 珍しく孫少尉がKVを動かしている光景に、思わず目をやってしまったのはヘイル(gc4085)とユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751)である。
 そのまま何となく見守ってしまう二人。比較的足場の良いところを確かめるように動く孫少尉のKVの動きを見た感想は。
「うわー、講習マニュアルのビデオ思い出すなあ、なんか」
「基本に忠実すぎるというか‥‥ある意味安定はしてるんだろうが」
 再び思わず声を漏らすユーリとヘイル。とりあえず、いきなりずっこけるということはなさそうだが、しかしあれで現場作業に対応しきれるのだろうかとも思ってしまう。
 と、そこに、フォローするように一台のKVが近付いて行った。小鳥遊神楽(ga3319)のものである。
『‥‥とりあえず、ぎこちなくても動かしてみることね。動かしているうちにエミタのAIが何とかしてくれるはずだし』
 神楽はそのまま、孫少尉のKVに向けて声をかける。彼女の操縦は、これまで経験をこなしているだけあって慣れたものだった。
『はあ‥‥。やはり皆さんのようには、いかないですね‥‥却って足手まといでしょうか』
『それなりにはなってるわよ。今後KVに乗って戦闘しなくちゃならない時が来ないという保証はないんだし、慣熟訓練くらいのつもりで動かしてみたら良いんじゃないかしら』
 神楽の言葉に孫少尉は頷いて、慎重に、手近な瓦礫を集める作業を開始する。
「あー。まあ、任せて大丈夫かな」
「むしろ任せるべきだ。俺はそう思う」
「そだね」
 そうしてその様子に、なんだか妙に納得した様子で、ユーリとヘイルもまた各々の作業へと向かうのだった。



「‥‥ふむ」
 堺・清四郎(gb3564)も、瓦礫の撤去作業を開始している。そうしてKVを動かしていると、ふと、この戦いを思いかえしてしまう。
「結局奴とはインドでは決着を付けられなかったな‥‥次に剣を交えるとしたらオーストラリアか‥‥」
 一番に思い出すのは、ここでずっと戦い続けてきた上級バグアのことだった。
 何度も命の取り合いをしてきた相手。だが‥‥不思議と嫌悪は浮かび上がってこない。
「妙な気分だな、憎い敵のはずだが馬鹿が多かった上官たちよりもよっぽど近くに感じるとは‥‥」
 戦場で交わし合った言葉。相手の立ち振る舞いをじっくりと思い出す。敵指揮官としての相手の在りよう。それは、むしろ。
「奴が俺の指揮官だったら俺は軍をやめずにすんだかもしれんな」
 そんなふうにすら、思わせる相手だった。
「今となっては詮無きことか‥‥」
 だが‥‥やがて、馬鹿馬鹿しいというふうに彼は作業に集中する。
 詮無きことだ。彼が今傭兵であることも――あのバグアが、敵であることも。もはや今更どうにもならないことなのだから。

 追想。追悼。
 戦いを振り返り想いを馳せる相手として、レインウォーカー(gc2524)が感傷を向けた先はこの上なく真っ当なものであろう。敵などではなく、戦死した仲間‥‥なのだから。
 詳しく知っているわけでも親しかったわけでもない。
 ‥‥それでも、何度も同じ戦場で戦ってきた戦友だと思っている。
 だが、この地について、真っ先にその戦友が散った地へと向かって。
 哀悼を捧げようとする己に対し、滑稽さを感じずにはいられなかった。
 ドレアドルとの、激しい戦いが行われた戦場。
 まだいくつか、生々しい戦闘の痕を様子を残しているこの地に立って。
「‥‥涙も出ない、かあ」
 漏れ出た声が胸の奥で反響するのは、そこに空洞があるからだ。何かが欠けた感触。それが悲しみに類似した感情だということは理解できていた。なのに、哀しみを証明する涙は一粒も流れない。
「欠陥品め‥‥」
 出てくるのは、無様な自分自身への皮肉と自嘲の嗤いだけ。
 空を見上げ、戦友の最後を思い浮かべる。だが、しばらくそうしていてもやはり。
「悪いな、内村。道化はお前の為に泣いてやる事は出来ないらしい」
 握りしめた拳は力を入れ過ぎて白くなり、爪が食い込むそこにはいつしか血が滲んでいた。
「だからお前の分まで戦うよ。それしかボクには出来ないからさぁ」
 涙の代わりに、決意を捧げる。散った戦友が守ろうとしたモノを守る、なんて言わない。道化に出来るのは敵を殺し、壊す事だけ。
「だから安心して眠れ。後はボクに‥‥いや“ボクたち”に任せてさぁ」
 言うべきことを言い終えて、レインウォーカーは街へと向かい、あとはただ淡々と作業に従事した。



 赤崎羽矢子(gb2140)は、まずは住宅の損壊がひどいあたり――住民が下敷きになっている可能性がある区域――の瓦礫撤去から手をつける。
 作業を開始してしばらく。一度振り向いたその時、視界の端に何か映った。
 少し離れた建物の屋上に点々と見えるのは、こちらを見つめる複数の住民たち。表情は見えないが、態度はなんとなくわかる。
(歓迎はされないか。‥‥止めれなかったもんね)
 それは決して、こちらを労い、歓迎する視線ではなかった。睨みつけてくる瞳からうかがえるのは、緊張――敵意を含んだ警戒心。
 ‥‥だが、砲撃に巻き込まれた直後の混乱を思えば、今は随分と落ち着いてきてはいるようだ。罵倒や投石は無かった。ただ、刺すような視線を送り続けてくる。
 羽矢子は一度、全てを受け止める覚悟で、KVを真っ向から住民の方へと向けた。
 気付いた住民が、一度何をされるのかとたじろいだ様子を見せて‥‥何もしないと分かると、しかし、そのまま。これまでと同じようにこちらを見つめて、何も言ってこない‥‥これには、逆に少々戸惑うものがあった。
 非難や罵倒は全て受け止めようと覚悟していた。それが軍やMaha・Karaに及ぶようであれば擁護するつもりだった。
 ‥‥――もし、感謝や赦しの言葉をもらっても、自分たちの失敗がこの惨状を招いたことは忘れるまい、とも決意していた。
 だが、どれでもない。住民たちは口を開かない。‥‥何か言ってくれれば、返す言葉も考えられるのに。
 同じように、住民に気付いたキョーコがKVを降りて、子供たちに向けて菓子を配り歩こうと近づいて行く。
 しかし、彼女が見せた菓子に、子供は物ほしげな視線を向けるが、大人が肩を抑え、「めっ」とたしなめるのが見えると、それ以上近づけなくなる。
 しかしここでも、来るな、という声が上がるわけでもなく。どちらかと言えばそれは、遠慮から来る行動にも見えてくる。
 遠慮。そう、遠慮だ。改めて近くで見ると、住民たちの視線は、恐怖や非難だけでなく、戸惑いや躊躇といったものも感じさせた。それは‥‥届くようでいて、踏み込み方を間違えれば即座に逃げられてしまう、微妙な距離だった。
 どうすればいいのか。そもそもこれは、どういうことなのか――相手の言葉がなければ会話の糸口も見えなくて、住民たちと交流を図ろうとした傭兵たちは、暫く立ちつくす。

 古河 甚五郎(ga6412)は、作業の合間を縫って街に出るようにしていた。
 閉鎖されていた街。戦争の被害を受けた町。そこから想定していた状況からすると、街の中心部は思っていた以上に穏やかだった。壊滅したのは、本当に、砲撃と衝突の被害を受けた外壁の付近、そこだけらしい。もとより、壁の中にこもるにあたり潤沢に資源が用意されていたというこの街は、自力での経済活動に関しては、思ったより余力を残しているようだった。
(‥‥しかし、だからこそ、違和感がありますか、ね)
 ざっと街を歩いて、ついで甚五郎が調査したのは情報の動きだった。閉鎖中の報道や出版、街の噂‥‥など。
 アルヴァイム(ga5051)にも協力してもらい、一通り調べた後に、甚五郎はシャルベーシャへと報告。そして、情報操作をされているのではないかという自身の懸念を伝える。
「それで。何か掴めたのか?」
「‥‥。貴方には、別の考えがあるのですか?」
 報告をしたのはむしろシャルベーシャの反応を見て推測を補強するためでもあった。そしてそれは‥‥「大したものは無かっただろう?」という響きを持っているように見てとれた。
「作戦前の無関心、壁防衛時の再評価、作戦失敗時の罵倒。失敗への非難や絶望があるにせよ、反応が極端すぎるように思えるのですが‥‥」
 甚五郎は一つ一つ、これまでの報告で上がってきた住民たちの反応を挙げて、不自然を感じる理由を説明する。
 だがその上で‥‥はっきりと情報操作と言えるほどの動きも見つからなかったのも、事実だった。
「教えてください。貴方は‥‥この街で何が起きたと考えているのですか?」
 ギブアップ、というふうに問いかけた甚五郎に、シャルベーシャは肩をすくめる。
「住民にとってあの壁は――ただの防壁じゃなかった。それが壊されちまったってことさ」



(何をやってるだろうあたしは)
 百地・悠季(ga8270)は、暗い表情でデリーの街をさまよっていた。
 ただし、彼女がいるのは、他の傭兵が多く集まる、崩壊した壁の近くではなく、そこから反対の位置となる側だった。
 手を貸したのは主に貧民街のあたり。復旧のために配給の遅れが見込まれ、明日をもしれぬ不安を抱えるものは見知らぬ彼女が差し伸べる手も、選ぶ余裕もなく受け取った。
 ‥‥暫くはそうして、気と時間を紛らわせることができた。一番人手が必要な瓦礫の撤去作業については‥‥気が進まなかったから。騒いでいる能力者たちに対し、微妙に拒否感があり‥‥そして、自分が能力者であるということから、逃げたかった。
 しかし、貧民層での作業が一段落つき、知らず移動しているうちに、この街は徐々に、彼女が逃げようとした「能力者」という事実を、逆に彼女に突き付けてくる結果となる。
 寄り添おうとする彼女に対し、少し生活に余裕のある住民は明らかに忌避し、戸惑う様子を見せ始める。ただでさえ『余所者』を警戒する様子を見せる住民に、たった一人で、話に聞いていた仕事と違う行動をとる悠季の様子は簡単に受け入れられるものではなかった。
 それでも、高速艇が出る日になるまでは帰ることもできない。悠季はそのまま、諦めずに自分が出来ることは無いかを探して‥‥――
 一つの事実を告げたのは、子供だった。その純真さゆえの残酷さで。何かしてほしいことは無いか、何でも言ってくれといった悠季に対し、少年は答えた。

「でも‥‥かべのそとにいるのは、やばんなひとだって、おとながいってたよ」



 アジア大戦で大きな被害を受けたデリーは、防衛のためにその街を三重のメトロニウム防壁で囲った。そしてそれは一度‥‥大戦時はおろか、それ以前に比べても比較にならないほどの平和を、デリーに齎していた。
 資源はまだ、当分の間持つ。
 壁を超え来る僅かな敵は、Maha・Karaが落としてくれる。
 このまま、世界と断絶されているというその一点にのみ目をつぶれば、当面は平和な暮らしを続けることができる‥‥――。
 その結果を前に、しかし閉鎖してしばらくは、「このままでいいのか」と疑問を抱く者はいた。外のことが何も分からずに暮らし続けるこの状況は本当に大丈夫なのかと。
 だがしかし、では壁を開いて表に出られるよう、UPC軍に助けを求めよう、という流れにはならなかった。アジア大戦で受けた傷はあまりに大きかったから。
 ――また、あんな戦いに晒されたいのか?
 ――冗談じゃない。
 そうして、壁の外に言及するものを「変わり者」として排斥する流れが生まれていき‥‥やがてそれは、壁の外で戦う者たちを見下す流れと変わっていった。
 ‥‥他の地も、こうして壁の中で生きれば平和になれるのに。
 ‥‥あえて戦うのは、あいつらは結局戦争が好きでやってるからさ。
 そんな風にして。引きこもり平和を享受する自分たちを正当化してきたのだ。
「この街の住民にとっては、必要な戦力ってのは俺たちMaha・Karaだけで十分でなくちゃいけなかった。そして‥‥『壁』の動向に関しては一際、敏感にならざるを得なかった」
 壊されたものは。
 粉々に打ち砕かれたのは。
 決して短くない間存在していた価値観。そして、己の正当性の根拠。
 ならば住民たちの極端な反応も、理解できないだろうか。危うかった現実が、辛くも守られたと思ったら‥‥直後に認めたくない真実を突きつけられた、ここで起きたのはそういうことだと考えれば。
「‥‥それでもまあ、長く外界から閉ざされていたこの街が、情報操作に脆くなってるのは事実だろうな」
 そうして、シャルベーシャは引き続きの捜査と対策を約束する言葉で締めた。
 敵はウォン。油断は禁物。甚五郎の言葉、特にウォンという単語が出たとき、シャルベーシャははっきりと苦々しげな表情を浮かべていた。



 ‥‥そんな真実を、この時点では悠季は知らない。
「間違って‥‥ないわよねえ‥‥」
 いや、知ったとしても、想いは変わらないかもしれない。
「――そうよ! 能力者は、『野蛮人』、よっ‥‥! 間違ってない、何一つ――!」
 激しく心を揺さぶられて、悠季は呻くように叫ぶ。そうしてそれが、単独行動をしていた彼女の発見にと繋がった。
 近寄る気配に、彼女はあわてて振り返る。
 居たのはアルヴァイム――彼女の夫だ。
 どこから見ていた? 一瞬考えて、すぐに無意味だと考えるのをやめる。今の叫びが聞かれていたのならば、自分が何を言われて、今何を考えているかなんて全て洞察できるだろう。そういう人だ。
「――発端の依頼は報告書を読んだ」
 反射的に逃げようとした悠季を、アルヴァイムの言葉が再び釘付けにする。
 そのまま彼は、滔々と語る。
 報告書を読んだ上で、『彼ら』もまた、『彼女』を救おうと必死だったと確信している、と。
「限られた選択肢の中から彼らなりに最善を、と行動し、「失敗」した」
 それは、デリーにおける自分と同様のことだ。
 だからこそ。許せとは言わない。
「失敗を責めるのは致し方ない。責められ、省みられてこそ、次の糧になる」
 だけど。
「‥‥そこに憎悪を抱くのは如何かと思う」
 話す間、悠季は視線を逸らしてただそこに立ち尽くしていた。反論の言葉は、思い浮かばない。浮かぶはずもない。彼が言うことはまごうことなき正論なのだから。
「復讐すべきは、「人」ではなく、「世情」ではないか?」
 そうして、アルヴァイムの話は、『発端の依頼』よりもさらに根本、悠季の能力者への憎悪の源へまで遡る。
「ご両親もまた、戦争という「世情」の犠牲者だと私は思う。かの軍人らもまた、我々と同様ではないか?
 戦争という「世情」によって選択肢を剥奪された中で誰もが最善を、と努力し続けている。
 その結果に対し、憎むべきはなんなのだろうか?
 そして、娘にしてやれる「最善」はなんだろうか?」
 ――自論の押し付けではなく、その上での問いかけを、アルヴァイムは悠季へと渡す。
 悠季は、すぐには返せなかった。相手の言葉が正しいのは分かる。だけど胸にこみ上げる苦しさは‥‥憎しみは、簡単には消えない。
 いや、この苦しさは、本当に『憎しみ』によるものなのか。
 本当は。
「――判ってる、そんなことは判ってるわよ!」

 同刻。
 一部の住民は、まだ作業する傭兵たちを見つめ続けている。貶すことも許すことも出来ずに。
 ずっと野蛮と信じてきた『壁の外の住民』『好きで戦争する人々』が、黙々と己の住む街を復旧しているのを見ている。
 彼ラヲ恨ムコトハ正シイノ?
 自分ガ信ジル彼ラノ本性ハ正シイノ?
 モシカシテ、彼ラハ思ッタ以上ニ頑張ッタンジャナイノ?
 ――ホラ、ネエ。少シダケ、歩ミ寄ッテミナイ?
 分かってる。
 胸を締め付けるのは、今の惨状を嘆く気持ちと、この結果を招いた者たちを恨む気持ちだけじゃなく‥‥そうしたことに対する、己自身の疑問の声。
 己の誤りを認めるのが怖くて。どうしたらいいか分からなくて。

「ぶつけてもしょうがないのも、判ってる。でもね、手が届かなかったからこそ納得できない事もあるのよ。昔と重ねるのも間違いなのも承知してる。けどね‥‥」
 そこで悠季の言葉は途切れる。上手く伝えられない。これではただイヤイヤと駄々をこねているのと大差ない。だけど‥‥。
「だから‥‥もう少し時間が欲しいの」
 ようやく、絞り出した、今の悠季にはこれが精一杯の、言葉。
 アルヴァイムは、ゆっくりと噛みしめて、受け止める。
(――‥‥今は、それが答えか。彼女も、この街も)
 彼女の答えにアルヴァイムは、余計な言葉は無く。ただ、深く静かに、彼女に向けて頷いてみせた。
「あー‥‥時雨の件は本当にごめんなさい」
 それでようやく少し冷静さを取り戻したのか。ゆっくりと距離を取りながらだが、悠季は最後に一つ、言い残す。
「多分泣き疲れてそうね、甘えん坊だし。顔だして抱きしめておかないと」
 駄目ママよねえ‥‥そう呟いて悠季が去っていくのを、アルヴァイムは無理に追うことはしなかった。確かな繋がりはまだ残されているのだから。ならばまだ、なんとか出来る。
 ‥‥ならば、この街にも一つ、軍やUTLとの繋がりを残しておくことができれば。
 ひとまず、今すべきことの為にアルヴァイムももと来た方へと戻る。
 無理に急ぐ必要はないだろう。‥‥きっと、仲間たちが。
 己の信じる仲間たちならば、今更自分が慌てて何を言わずとも。



『あー、そこ、ちょっと危ない。待って。見た目以上に大きいっぽい』
 ワイズマンで全体の状況を分析しながら作業していたユーリが、瓦礫の一つに手をかけたKVに声をかける。
『ふむ、切断したほうがいいか?』
 ヘイルの機体が、機鋸を準備しながらユーリに応える。
『いや‥‥これは、いっそ纏めて、一度に降ろしてしまった方がいいな』
 そう言ってスパークワイヤーを取り出したのは館山 西土朗(gb8573)だ。彼にとってこの依頼は、KVの作業用機械としての性能テストという意味も持っていた。
 ‥‥彼には、戦後、KVを作業用機械として使い、瓦礫やスペースデブリの撤去、地上・宇宙を問わぬ建築作業といった仕事をこなす会社設立という密かな目標がある。
 もちろん、今は、ドゥルガーを止めきれず被害を出す結果となってしまった、その償いとして、せめて撤去作業くらいは手伝わせて欲しいという気持ちの方が大きいが。気合いを入れて、慎重に作業する。
 西土朗の機体がワイヤーをかけ終えると、ヘイルのタマモが下に回り、FETマニューバでバランスを取りながら二台のKVで、慎重に瓦礫を下していく。
『ああ、はい、それはOKです。吊るしますよ。気をつけてください?』
 別の場所では、甚五郎が、荷物の吊り上げ作業のバランスと重量計算を行っていた。それだけではない、大きな瓦礫を破断する際には、周囲の安全を配慮し声を出す。元セット職のキャリアの見せどころ、というやつだろう。
 だがこうした作業において輝きを見せるのは、やはり土木作業用としての余地も設計に含まれているリッジウェイだろう。
「此れは大変ですね」
 ソトースが呟きながら、ヘッジローで足元の瓦礫を破砕し整地して、他のKVのための足場を確保していく。それでもすぐにはかき分け切れない不安定な足場の先に、急ぎの作業が必要な状況が見て取れれば。
『おう 任せておきな』
 連絡を受けて向かうのはアザグの機体。四脚の安定度でもって、不整地もものともせず進んでいく。
『‥‥こんなものかな。キョーコ、よろしく』
 かき集めたがれきがかなりの量になるのをみとめて、久志はキョーコのリッジウェイに向けて声をかける。互いに協力して、瓦礫をキョーコの機体に積み込んでいく。
 折りを見て久志はキョーコに声をかけ、ともすれば気落ちした様子を見せる彼女を支え続けていた。はっきりとした慰めの言葉は無く、ただ細かい気遣いの積み重ね、それだけではあったが。
『あ‥‥あたしが勝手にやってくれることだから、別に手伝ってくれなくてもよかったのに‥‥けど‥‥ありがと‥‥』
 それでも、やがて発せられた謝意には、恋人が手伝ってくれるという喜びが確かににじみ出ていた。

 暫くの無言のやり取りの内――傭兵たちは今、とりたてて住民と交流を図ることはせず、作業を再開していた。
 何も求めず、ただ、懸命に。



「おや、ヤンシン君か〜。どうしたのかね〜?」
 作業の合間、街中で一度、孫少尉はドクター・ウェスト(ga0241)と出会っていた。
 彼もまたこの街にとって余所者、しかもその挙動はどちらかと言えば不審ではあるのだが、しかし医療を中心に活動を行っていた彼は僅かながらに住民にも受け入れられていた。苦痛の前に意地を張り続けられるものは少ない。
「ああいえ、軽く街の様子を見て回っているだけですが‥‥いらしていたのですか」
 ドクター・ウェストが【DD】作戦に参加していたという話は聞かない。孫少尉は思わず、少し意外そうに問いかけていた。
「言ってなかったかな〜? 我々能力者は地球人類ではない、『地球が戦うための武器』だね〜。ダカラ我輩はバグアを倒す、もちろんバグアへの憎しみもあるが」
 ドクターは平素と全く変わらない口調で、殺伐としたことを告げる。バグアを倒す、それでさえあれば土地や作戦などは大した問題ではないということか。そういうことならば‥‥感情的にはともかく、目の前の相手はそういうものだと理解は出来る、が。それだけではここに居る理由にはならない。
「ソシテ我輩にはナノマシンを治療に使う術がある。ダカラ地球の生命を救う‥‥いや、能力者が『救う』とはおこがましいな、『生きようとする命の手助け』をしているだけだね〜」
「‥‥」
 ドクターの言葉に孫少尉は沈黙しか返せない。
 過酷な戦い。人類とバグアの戦争というものは本来、苛酷であるものなのだ。格上の相手と戦争をするのだから、失敗も犠牲もある意味では当然。ならば――‥‥罵倒も畏怖もものともせず、淡々と道具として従事したほうが楽だし効率的ではある‥‥の、だろうか。
 そうして割り切ってしまえば、いいのだろうか。
 どれほど戦功を積み重ねても、一度の失敗で人は非難に回る。それもまた、良くあること。
 結局、我々が報われることなど、ないのであれば‥‥――
 そう、なのだろうか?



 ソーニャ(gb5824)は皆とは少し離れたところで、一人で作業していた。
(ボクは観測した。ドゥルガーの主砲が壁を破り市街地を切り裂くのを)
 その結果を確かめなければならない。彼女はそのためにここで作業していた。
 ――世界は彼女に答えようとしたのだろうか。彼女の作業する場所で、瓦礫の下に小さな手が見えた。
 反射的に彼女はコックピットを出て、愛機の腕を駈け下りてそこへ向かう。そこからは、素手で、一人で、効率悪く時間をかけて掘り出していく。
 非戦闘だからと、AU−KVではないのはおろか、ただの白のワンピースで彼女はここに来ていた。瓦礫で汚れあちこちがほつれ、そして亡骸を抱え上げた今また、赤い汚れが増えていく。
 何故こんな服で来たのだろう、と思ってから、直後、大したことではないかと考えなおす。

 ボクのせいとは思わない
 もっとうまくやれたとも思わない
 ボクはボクでしかなく
 もしここでボクが後悔をしたのなら
 それは自らの傲慢、自惚れの重さなのだろうと思う

 遺体を抱え歩きながら、思う。同じように、遺品を、遺体を、あるいは大切そうな品を探し当てる傭兵たちはいた。彼らが用意した場所に、ソーニャも同じようにそっと遺体を横たえる。先に来ていた甚五郎が、現地の者の助言を受けて彼らの作法に従い哀悼をささげていた。
 彼女が連れてきた少女にすがっていた老婆が顔を向ける。ソーニャは身構える。罪悪感は無いが、老婆は自分に罵倒し石を投げる権利はあるのだろう。
 悲嘆に暮れる老婆がゆっくりと身体を起こす。小さな動き。そしてすぐに、背中を向ける。
 悲劇の渦中にある老婆の心ではそれが精一杯だったのだろう。謝意を表す行動であることに気がつくのに時間がかかった。
 ソーニャは何も言えなかった。何もできなかった。このまま戻って、作業を続けるしかないのだろうとしか思わない。
「こんな惨状をみても心を揺らさないなんて、ボクはひとでなしだね」
 ぽつり、呟く彼女に、横に居た甚五郎がハンカチを差し出した。そんなに汚れた顔をしていたか、と拭うと、濡れた感触があった。
(――ボクは泣いているのか?)
 戦いがあり、人が死ぬ、いつもの日常なのに。

 遺体、遺品の引き渡し。苦いものではあったが、それが傭兵と住民の始まりの接点だった。それは痛みと恨みを呼び起こすもので、顔をゆがめる者もいたが‥‥しかし、同じように死者を悼む傭兵たちの気持ちを、感じ取った者もいた。
 多くの住民は、まだ、ただ作業する傭兵たちを見ている。咎めることも許すこともせず。ただ見ている。
 ‥‥隔絶された間の溝を埋めるのは時間がかかることだろう。だがしかし、実のところ住民に余裕は無かった。この街は変わる。変わらなければならない。誰を責めようとも、『バグアが本気を出せばあっさりと壁は壊れる』という事実は覆しようがないのだから。
 だから、住民は傭兵たちを見る。
 ――そう、彼らはただ、知りたいだけなのだ。これから共に歩む者たちが、どのような存在なのかを。

 ――そして。

『ちょっと、こっち、すぐこれる人いる!? 生存者がいるかもしれない!』
 羽矢子の声が響き渡る。作業のキリが良かったものは、急ぎ、かつ慎重に、現場へ向かう。
『意識がある!? ううん、無理に声出さなくていいから!』
『気を確かに。助かるからな‥‥必ず助けるからな! 頑張れ!』
 口々に、僅かな反応が見えたがれきの向こうに呼び掛ける。
『こっちの瓦礫は任せて!』
 ヴァイナーシャベルが、大きな瓦礫を一気にどかす。
『‥‥よし。ここは支えてるから大丈夫だ。せーのっ!』
 声を掛け合い、精密に作業をこなす。
 やがて降りて行った一人が、負傷者を抱え上げ瓦礫から現れる。応急処置と治療スキルで一時的な処置を施すと。
 作業に関わった傭兵たちから。それを見ていた住民たちが。

 ――壁の中と外に居た者が、同じように、安堵と喜びの声をあげていた。



「漸く終わりが見えてきました」
 ソトースが思わず零す。数日にわたる作業は、収束の時期を迎えつつあった。
 奇跡はごく僅かだ。数日の作業は、ほとんどは単調にこなされて。
「少尉ー、この廃材ちょっともらってっていい?」
 終わり際、クラフト・J・アルビス(gc7360)そう言ってきた。手にしているのは細長い廃材が二つで、決して高価な素材でもない。
「まあ‥‥別にかまわないと思います」
 そう孫少尉が答えると、クラフトはそのまま、人気のないところに消えていく。
 そうして、人里も離れたところで地面につきたてられた廃材には「強敵の墓」とだけ刻まれていた。
「気に食わん? でも、これがうちの流儀でね‥‥認め合ったものは敵でも敬意を払えって親父がうっさかったのよ」
 お供えだ、とばかりにその前に缶コーヒーをこと、と置いて、討ち取った強敵に語りかけ‥‥その最後を想い返す。
「あれは、俺をちゃんと見てくれたってことでいいんだよね?」
 真っ直ぐに自分を見て、狙って繰り出された、命を削りながら繰り出された最後の一撃。すっかり癒えたはずの傷が、少しズキズキする気がした。
「まぁ、すぐにでも上司さん送ってあげっから。あ、俺はそっちにはいかんかんね?」
 いけない理由があるしね、ちゃーんと、と、おどけるように言って‥‥一転。表情を引き締めて、しばしの間、祈り。
「んじゃ、暇だったらまた来るかも、まったねー」
 最後にそう告げて、クラフトは何事もなく皆の元へ戻っていく。

 ミリハナク(gc4008)もまた、作業の終わり際。「バグア残党を警戒する」といって、一人街の外に出ていた。
 暫くは真面目に警戒していたが、そうして、何も起こらないと認めると、彼女はゆっくりとKVから降りた。
 一人、ポツンと座りこむ。それは、普段のにこにことした態度、あるいは戦場の生き生きした様子を知る者から見たら極めて珍しい、どこか侘しい姿だった。
 たまには彼女だって‥‥全ての感情を消してネガティブになることだって、ある。
 視線の先にあるのはドゥルガーの残骸。想いを馳せるのはその内部での戦い。
「‥‥無様な戦い」
 吐き捨てるように、言った。
 大言相互を吐いたくせに。
 十分な力があるのに、味方との信頼関係を使いこなせなかった。
 稚拙な策に甘い状況判断――全てが、後悔すべき内容。
 強敵を相手に最高の自分を出せなかった。
 納得出来るだけの敗北を与えられなかった。
 中途半端に――殺してしまった!
 もう戦えない。もうアイツには己がどれほどなのかを見せてやることはできない。
「次の敵は‥‥もっとうまく倒しますわ」
 決意を込めてミリハナクは一度目を閉じ、開く。
 これから見るのは失敗の残滓たるデリーの光景ではなく、反省を改善した次なる戦いのみ。
 ――力を持つ修羅として、最終的な勝利の為に。
 彼女は、しばらく一人でそこに居た。

「こんにちは‥‥皆さん、御具合はいかがでしょうか‥‥」
 炎西は、療養中の孫小隊を見舞いに来ていた。
「普通食は‥‥食べられますか?」
 遠慮がちに差し出された食事は、材料こそこの場で買い集められたものだが、饅頭や餃子といった中国らしい体をした料理だった。‥‥さすがに、豚肉は遠慮したが。
「お、夏殿、かたじけないであります」
 一人の兵士が、まだどこかおぼつかない様子で、それでも笑顔を浮かべて、差し出された料理を手に取ろうとする。炎西は、自分が名を呼ばれたのに相手の名を思い出せないな、と思って思わず首をかしげ。
「お、自分でありますか。自分の名は「はーいお疲れ野郎どもー。動ける奴はちょっと気合い入れて立ちあがれー」
 名を知らぬ一般兵の言葉は、途中で遮られた。
「何なんでありますか副長っ!?」
「あー。夏さんもここに居たんですかどこ行ってたんですか。まあちょうどいい。皆さん作業お疲れ様でしたってことでさすがに宴会とはいかないけど軽く慰労会でもしようってんでベースキャンプに集まってますよ。というわけでここでわりとまともな飯が食えるチャンスです。はい、動ける奴は頑張って40秒で支度するー」
 兵士を無視して続ける副長の言葉に、寝たきりで退屈していたのであろう兵士たちが色めき立つ。ドクター・ウェストが治療して回っていたのもあって、休んでいる兵士たちの血色は思ったよりも良かった。それでも回復しきっていないものは、互いに肩を支え合いながら歩いて行く。
 その姿を見て、炎西は、ふと思う。
 全てが終わったわけではない。忸怩たる悔恨も含めて思うことも多々、ある。
 こうして孫小隊の皆といると、しみじみと思うことがある。
「豚肉、食べたいですね‥‥」
 呟いてから炎西も、兵士たちから少し遅れて歩きだす。
「‥‥あれ? そういえば、あの兵士さんの名前、結局聞きそびれたな」

 炎西が兵士の為に用意した料理を持ってベースキャンプへ赴くと、すでに各々、適当に始めているところだった。
「汗を流した後はビールが上手い」
 西土朗が、まだどこか遠慮がちな空気を振りほどくように、そう言って皆を見る。
「‥‥少しは復興の役に立てれば何よりだな」
 何人かが西土朗の方を振りむいたところで、ポツリと言うと、傭兵たちは微苦笑して、互いにねぎらいの視線を送り合う。
 別の片隅では、ヘイルが謝副長に話しかけていた。
「小隊で一機、クノスペとかリッジウェイとか申請しておけば何かと役に立ちそうではあるが‥‥」
 今回の活躍を見てもあったのだろう提案に、返ってきたのは生温かい笑み。
「‥‥何となくこの展開は、既視感があるな‥‥」
「ええそうですね。便利なものがあると普通は負担は減るはずですよね。ですが僕はあの人に安易に『出来ること』を増やすのは熟考すべきであると考えます」
「ああそうだな‥‥何となくその先の話は分かった。俺が悪かった」
 意外とこの隊を持ち堪えさせているのはこの副長の存在かもしれない。彼ももう少しどうにかならないものか。思ってヘイルはきょろきょろと、話題の主を探し求めるが‥‥ぱっと見た限り、見当たらない。‥‥まあいいか、と彼はまた、孫小隊の面々との雑談に興じる。

「お疲れ様」
「‥‥お疲れ様、でした」
 孫少尉は、少し人の輪から離れたところで、神楽と居た。そうして、短い言葉を交わしながら、互いに作業を振り返る。
「‥‥結局のところ、あたし達傭兵は短期的には役立てとしても、根を張ることは出来ない存在だから、地道で息の長い活動には向いて居ないのかも。結局UPC軍や現地の人達の自助努力に任せるしかないんだし、この活動も偽善に過ぎないのかもしれないわね」
 やがて神楽が、ぽつぽつと語り始める。
「まあ、あたしとしては偽善でもやらないという選択肢はないんだけどね。例え、その行為が偽善だとしても、成したことは少なくとも誰かの為になっているんだから。
 ‥‥陽星さんもそのくらい単純に考えた方が気楽かもしれないないわよ」
 穏やかに言う彼女。作業中、隣で常に動き続けてくれた彼女の存在は、作業に迷いを抱える孫少尉にとってとてもありがたかった。
「‥‥短期的に動けるということは、デメリットばかりではないと思います。そして、短期だけでも残せるものがないわけじゃない――それは、北京の時に、私自身が感じていたことです」
 土地に縛られず、どこにでも動けるものだからこそできることがある。
 旅立つものが、残る者に残してくれるものは、ある。
 ただ、己がここで、そのように在れたかは‥‥いまだ、自信がないが。
「すみません‥‥」
 周囲の様子を確認してから、孫少尉はそっと神楽の手を取った。彼女はピクリと反応して‥‥だが、振りほどくことは無い。
 ――判っている。今こうして手を繋いでいるのは孫 陽星と小鳥遊神楽、ただの個人同士に過ぎない。それも、とても貴くて大事な想いだ、だけど‥‥
「‥‥すみません。暫く、このままで――‥‥」
 繋いだままの手を、胸元まで掲げて。孫少尉は暫く祈るようにそうしていた。



 この夜が明ければ、明日、傭兵たちは帰還する。
 【DD】作戦はこれで一度終結。明朝で――しばし、デリーの夜明けとも別れだろうか。
 傭兵たちは互いを労い終えると、順次、疲れた身体を横たえ、眠りについて‥‥。

 おはよう。どんな夢を見た?
 目覚めの気分は、いかがですか?