タイトル:【崩月】そして崑崙の今マスター:凪池 シリル

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 25 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/07/09 19:33

●オープニング本文


 ――月面会戦、終了
 度重なるバグアの猛攻を耐え抜いた月面基地、崑崙に、今新たに、一隻の輸送艦が降り立とうとしている。
『着艦完了。誘導感謝する』
『航行お疲れ様でした。カンパネラからの旅はいかがでしたか?』
『ああ。快適だったさ――すこぶる、な』
 輸送艦の艦長と管制官が会話を交わす。短い中にしかし、今回は特別な想いが込められていた。
 今回の輸送艦の移動は、カンパネラから月へのルートが比較的安全になったというものを確かめながら、という意味がある。
 そうして、最短距離の航路を取った輸送艦は、予測時間とほぼ違わずに到着したのだ。

 激しい戦いを耐えたと言うだけではなく、月面基地崑崙はこの会戦の際、必要にかられて、傭兵たちの協力を得て改修を重ねていた。
 兵士たちと互いを労い合うと共に‥‥守ってきた場所、それから、築いていた場所がどのようなものなのか、ゆっくりと見てきてはどうか。
 かくして、傭兵たちは今日、この場所に招かれたのだった。

●レストランエリア

 さて。先述の通り、到着した輸送艦は、カンパネラからの輸送ルートを確かめるためのものだ。安全かつ短距離のルートとなったはずの、それ。そして、そのことを実感するために選ばれた荷物こそが。
「うおぉおおお、久しぶりに作りたての飯が食えるぞーーーー」
 輸送艦を見かけた誰かが、雄たけびに近い声を上げる。
 カンパネラの食糧プラントで作成された食材が、加工などは最小限にして運ばれてきた、というわけである。
 それは確認と同時に、激戦を耐え抜いた崑崙の人員への労いの品でもあった。
 幾度かの輸送依頼で初期よりも改善されてはいるが、崑崙にはまだ、スタッフの数はそれほど多くなく、レストランエリアも決して立派なものではない。多量の食材、それに群がる人々を一度に捌くにはキャパシティオーバーであることは明らかだった。
 そこで提案されたのが、広大な多目的ホール――ちなみにこれも、『月面では運動施設がなければ筋力が低下することを懸念して』と、傭兵の提案で造られたものである――にて、有志による屋台村を設ける、という方法であった。
 そんなわけで、希望する者は事前に申請し、食材と調理施設を借り受けてホールにて食事を供することが出来る。そうして、レストランエリアは今、準備に向かうものと、期待の目でそれを眺めるものでにぎわっていた。


●研究エリア

「咲きそう‥‥ですね」
 植物園の片隅で、研究の為に植えられていた小さな花、シロイヌナズナが蕾をのぞかせている。
 シロイヌナズナのライフサイクルは約二カ月。月面に来た時期を考えると、地上とほぼ変わらない期間で開花に至ったということになる。低重力の元、柔らかくしなやかに、地上のものよりも明らかに長く伸びている。
「『月ではじめて咲く花』ですよ! もしかしたら傭兵の滞在中に開花するかもしれませんね!」
 興奮気味に語る研究員に、室長は肩をすくめる。
「‥‥咲いたら、研究の為に引っこ抜くんだがな」
 科学とは夢と希望だけでできているわけではない。シビアな話に、研究員もそれは分かっていて、「そりゃ、そうですけど‥‥」と、肩をすくめる。
「‥‥今日、新しい花の苗も届くんですよね。それも‥‥」
「研究用だからな。余計な作用が起こらないよう、ちゃんと定点に植えるぞ」
 観賞という観点は二の次三の次である、と、淡々と言った、ふうに、見せかけて。
「‥‥半分はな」
 そう言ったところで、研究員が顔を上げる。
「一つの成果が出たんだ。研究を続けるためには、成果の主張もせにゃならん。そういうわけで、半分は入口すぐの花壇に植えるぞ」
「いいですね!」
「‥‥で、お前。綺麗な花の植え方とか分かるのか?」
 室長と研究員はそこで、顔を見合わせた。‥‥協力者が、いればいいのだが。


●KVドッグエリア

「お。ちゃんと来てるな」
 KVドッグエリアにたどりついたズウィーク・デラード(gz0011)は、すでにそこに来ていた面々を見て偉い偉い、と呟く。
「や、偉いなら何で小突くんですかデザート先輩」
 の、来ていた面々の一人である御武内 優人(gz0429)が抗議の声を上げる。額に当てられた拳は、後半、余計なことを言った瞬間更にひとひねり加えられていた。
 苦笑しながらデラードは一度御武内を離して、「ほれ」と、何かを手渡す。
「‥‥。デッキブラシ?」
 何なんですかと促す御武内に、デラードが言う。
「いや、基地で宴会って言うと、なんだか恒例になってきてるあれのことをつい、思い出してな」
 何度か、LHのKV格納庫で行われていた年末鍋大会。大掃除の季節ではないが、これから世話になるであろう宇宙基地のKVドッグを、挨拶代わりに掃除するのもいいかと、ふと思ったのだと。
 言われて、スカイフォックスチームと、その後輩チームであるリトルフォックスチームの面々は、改めて崑崙のKVドッグを見回す。
 初期は本当に申し訳程度だったここも、拡張工事が行われ、当初の倍以上のKVを格納できるようになった。‥‥前線基地としては、まだまだ頼りなくはあるが。
 そんなわけで、狭いような広いような、そんなKVドッグの掃除と打ち上げ会の告知が、傭兵にも回されたのである。


●住居エリア

「‥‥これで、大丈夫、かな」
 とんとんと書類を纏めて、孫 陽星(gz0382)は執務室で一息ついた。
 今回、傭兵たちは崑崙に一泊していくことになっている。その部屋の割り振りに不備がないかの確認を終えたところだ。
 臨時用の部屋の割り当てが間に合ってよかった、と思う。もしかして、兵士の一部をまた巡洋艦に寝泊まりさせなければならないか、などとも考えたのだが‥‥
「‥‥いつの間にか、それだけ広くなってきた、ということですよ、ね‥‥」
 さすがに、大規模作戦がピークであった時の人員と今回の動員数が比べられるわけもないが。駆け足とはいえ、拡張してきた成果は少しずつ表れ始めている、ということなのだろう。‥‥拡張の際、傭兵たちが尽力したおかげで浮いた時間に設置された風呂も、狭いながら住民には好評である。
 なにはともあれ、これでひとまず、自分がただちに片付けねばならない作業は終わっただろうか。さすがに疲れた。ここらで一休み、入れようか‥‥。
「‥‥ああ、いえ、その前に」
 休憩を入れる前に最後に。忙しさゆえに後回しにしてしまっていたが、やらねばいけない『もっとも重要なこと』の為に、彼は一度立ち上がる。

 ――向かう先。それは崑崙の住居エリア内で、一番地球が綺麗に見える場所。
 その景色を確かめながら、一通の書類を手に、孫少尉はそこに立っている。‥‥書かれているのは、この大戦での戦没者の名簿。‥‥慰霊碑がここに、立てられる予定だ。
 今の崑崙にはまだ、こんなものくらいしか捧げられるものは無いのだが‥‥深い感謝と、祈りを。
 まだ準備中のそこで孫少尉は一度、静かに黙とうを捧げた。

●参加者一覧

/ メアリー・エッセンバル(ga0194) / 小鳥遊神楽(ga3319) / 夏 炎西(ga4178) / レーゲン・シュナイダー(ga4458) / アルヴァイム(ga5051) / 鐘依 透(ga6282) / 秋月 祐介(ga6378) / 九条院つばめ(ga6530) / サヴィーネ=シュルツ(ga7445) / 百地・悠季(ga8270) / 森里・氷雨(ga8490) / ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751) / 高日 菘(ga8906) / 美崎 瑠璃(gb0339) / リヴァル・クロウ(gb2337) / ルノア・アラバスター(gb5133) / ソーニャ(gb5824) / シンディ・ユーキリス(gc0229) / 小早川 理紗(gc3661) / ミリハナク(gc4008) / ヘイル(gc4085) / 恋・サンダーソン(gc7095) / クラフト・J・アルビス(gc7360) / 村雨 紫狼(gc7632) / 入間 来栖(gc8854

●リプレイ本文

 月をめぐる大規模作戦もひとまず閉幕。
 中心の一角をなしたここ崑崙基地もお疲れ様の慰労会、とくれば、こうした催しには協力して行くようにしている彼女が参加するのは道理、というわけで。百地・悠季(ga8270)は、自分が申請していた材料に過不足がないかしっかりとチェックして、満足げに頷く。
 一息ついて落ち着けばまず食を楽しみたいことだろう。思う存分腕を振るうことにしよう。
 別の一角では、アルヴァイム(ga5051)が高日 菘(ga8906)の手伝いをしていた。
 確認をしながら、根菜に面取りや隠し包丁といった仕事を入れる。
 隠し包丁。地味を矜持とする彼は、思えば、隠し包丁のような傭兵だ。飾り切りのように派手に人目を引く成果は出ない。だがその小さな、丁寧な作業が、仕上がりに決定的なまでの差を生む。
 下ごしらえや力仕事をアルヴァイムに任せながら、菘自身も準備に励む。
「いっぺん宇宙で屋台してみたかったさかい、楽しみやー。ばっちり働くでぇー」
 うきうきと呟きながら手を動かすと、あまり広くない厨房に、忙しない、愉しげな音が響く。
 アルヴァイムは一通りの成果を示すと、短い言葉でスケジュールの確認をしてから一度厨房を離れた。



「テラフォーミング! ユニバース! ユニバース!」
 植物園ではしゃいだ声を上げるサヴィーネ=シュルツ(ga7445)。ルノア・アラバスター(gb5133)は少しきょとんとした様子でサヴィーネを見ていた。
 浮かれた様子の恋人に、一度キョトンとして、それからルノアはくすくすと笑い始める。恋人の新しい顔が見られる、というのは、少し得した気分だ。
 そんなルノアに気付いているのかいないのか、サヴィーネは興奮冷めやらぬ様子で崑崙の研究者に話しかけている。
「‥‥無重力下における生物の生殖実験においては、胚の成長に傷害が生まれる為に通常の地球の重力が必要だという実験報告があった気がするが、植物だと‥‥」
 専門的な話になると、森里・氷雨(ga8490)がそこに加わってきた。例えば園芸種以外の、農作物や地衣類。土中菌類や虫類になどついて、現時点の研究や今後の展望はどうなのか。
 会話の内容が専門性を増していく中、さすがに難しくなってきたな、と思ったところでサヴィーネは、ハッと恋人の存在を思い出す。
「‥‥って、すまない。綺麗な花の前でこの様は、少し無粋だったかな」
 こほんと咳払いして、サヴィーネは待たせていた恋人の側へと向かう。
 そこには、今日の為に備えられた花壇。
「さぁ、お披露目の時間が来たわよ? あなた達が一番素敵に咲いた姿を皆に見せる為に、庭師の名にかけて精一杯勤めさせて頂きますっ」
 メアリー・エッセンバル(ga0194)が張り切って宣言して、まだ蕾を揺らすだけのシロイヌナズナの一つに軽くキスをする。
「一応ね、崑崙って中国系だし、と思って‥‥中華料理に使われやすいって聞くハーブを‥‥って思ったんだけど」
 共に添える植物は何がいいだろう? メアリーはあらかじめ相談していた夏 炎西(ga4178)の元へと視線を向ける。
「中華料理といえばニラ・大蒜・唐辛子・香菜等ですが‥‥」
 それでは畑になってしまう、と炎西は思案する。
「ガスの火力が使えないので、煮込み料理やレトルトに添えて楽しめる物が良いかな、と」
 そう言って炎西はパセリやバジルといった幾つかの香草を提案していた。
 ふんふんと頷いて、メアリーは用意された苗を確認しにいく。足取りが軽いのは低重力だけのせいだけじゃない。恋人である炎西と、共通に深く向き合える話題。すごく楽しくて、嬉しい。
 そして、そんな様子のメアリーを見て。炎西もまたようやっと、力を抜いた笑顔を見せた。
 炎西は、ここ崑崙で行われた祈念作戦に参加していた。その失敗によってUKが失われた――決して炎西の責任ではないが――ことを考えると、手放しでは喜べない。だけど、彼女の笑顔を見ていると癒される。
「あ、それ、私が申請したやつです‥‥」
 メアリーが、並べられている苗や苗木の一つ一つに視線を巡らせていると、入間 来栖(gc8854)が声をかける。
「へえ、これがマメザクラっ!」
 来栖から説明を受けて、メアリーが興味深そうにしげしげと眺める。
 本格的に相談を始めた傭兵たちの声に時折、シャ、シャと鉛筆を走らせる音が軽やかに混ざる。‥‥植え込みの配置図となるデッサンが、少しずつ書き加えられていく。
 さあ、ここからは園芸の時間。科学の時間は一旦休憩――
「検疫上から考えて土壌の健全性には気をつけないといけませんね。蔓や茎は低重力であることを考えますと‥‥」
「これだと、しおれ係数は‥‥この植物の光周性と屈性はですね‥‥」
 ‥‥でもなかった。氷雨と来栖の会話はまだ科学的。それも庭師に必要な知識だと、メアリーは一度学習していたはずのそれを、必死に思い出そうとして。
「そのへんの算出は、オマカセ、します」
 ‥‥諦めたらしい。
 アルヴァイムが植物園へとやってきたのはこの時だった。差し入れの為に、ここに持ち込んでよいメニューの確認と、それから‥‥研究者と、それから知り合いであるメアリーに、開花の予想時期を尋ねる。告知放送をしたいのだと言う。
 室長が幾つかの予測は伝えるが、正確なところは難しいらしい。
「開花した瞬間を知るなら‥‥とりあえずあそこのあたりに通信機でも用意しておいたら、どうだ」
 指し示した先には小早川 理紗(gc3661)。開花を待つシロイヌナズナの前で、視線をそらさず地蔵のように座り込んでいた。寝袋まで準備済み。
 成程。アルヴァイムは理紗へと話しかける。‥‥返事はない。
「‥‥なあ」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥差し入れ、何か希望はあるか?」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥何か飲むか」
「‥‥‥‥‥‥ココア」
 一応、話は聞いてたらしい。それは確認出来るとアルヴァイムは、室長のアドバイスに従い理紗の側に通信機を設置すると、厨房の手伝いに戻っていった。



「やっほー、優人ー。徹ー。おっひさー」
 KVドッグエリアでは、クラフト・J・アルビス(gc7360)が一番に声をあげていた。
「お? 今日はクラフトの方なんだ。ヤッホー、おひさー」
 優人とクラフトは顔を合わせるなりハイタッチであいさつし合う。
「‥‥大規模作戦‥‥終わった、ね」
 シンディ・ユーキリス(gc0229)も、彼らにはもうすっかりおなじみの面子だ。
「‥‥ディアマントシュタオプ‥‥」
「おう! ディアマントしゅタオプっ!」
 いつものやり取り。どや顔の優人に苦笑気味のシンディ。ふと思いついて、もう一つ問題を出す。
「今回‥‥倒した幹部の名前‥‥分かってる?」
「‥‥‥‥。確か、ケバブさんとかなんとか」
 ある意味予想通りだねーと、クラフトがケラケラと笑う。
「あ、それと姉ちゃんをいつもありがとねー。これ、姉ちゃんからー」
 そう言ってクラフトは姉から渡されたという土産のおせんべいを差し出した。クラフトと優人たちが直接会うのは、結構久しぶりだ。
 ‥‥久しぶりの再会と言えばもう一組。
 レーゲン・シュナイダー(ga4458)が、デラードの姿を確認するなり駆け寄っていく。
「デラ‥‥、‥‥っ」
 明るく声をかけようと思ったのに、彼の元にたどりつく前に胸がいっぱいになって、零れた声は涙交じりになっていた。そのまま彼の胸へと飛び込んでいく。
 熱い抱擁を交わし合う二人。
「あ、ああうん、KV、ね。KVは、あっちのほう」
 優人がぎくしゃくした声をあげて、皆を別の場所に誘導していた。
 丸聞こえの声に、レーゲンは少し恥ずかしげに身を縮め‥‥でも、今は会えた嬉しさの方が大きくて。デラードは、不器用な後輩には後で親愛と教育両方の意味で〆ておくか、などと思いながらも今はただレーゲンに向き直る。
「‥‥久しぶり。元気だったか?」
「‥‥は、い‥‥そちらも、お元気、そうで」
 安心しました、と言おうとしたところで。
「元気じゃない。重大な病気だ」
 デラードの言葉にレーゲンがええっ!? と慌てて声を上げる。ど、どこが悪いんですかとわたわたと触れてくるレーゲンに、デラードは。
「‥‥レグ分欠乏症。もう、倒れる寸前だ」
 くすぐるように囁くと、ぎゅう、と更に強く抱きよせた。レーゲンは一瞬の後、意味を理解してはぅ‥‥と顔を赤らめる。そして、「私もです‥‥」と呟くと、デラ分補給、と、彼女からも腕を回し返すのだった。

「うーん俺の愛機を持ち込めないのは残念っせーっかく手当たり次第に自慢するつもりだったのにな〜〜」
 そんなこんなで、一旦整備中のKVが纏められている方のエリアに移動した一行の中で、そう声を発したのは村雨 紫狼(gc7632)だ。
「大規模で頑張った『swallow』さんも‥‥磨いてあげたかったな」
 鐘依 透(ga6282)も、少し残念そうにそう呟いて、傍に居る九条院つばめ(ga6530)を見る。
 今回のKVドッグ掃除は、デラード軍曹の呼びかけ。となれば、言われずとも年末恒例の格納庫掃除を思い出す者がいた。透とつばめもその内に含まれる。
「あの時は楽しかったね‥‥」
 ドッグに並ぶKVたちを見上げながら、ふと湧き上がる思い出話。
「そうですね、お互いのKVを磨きあいっこして、お供え物をして‥‥」
「そうそう。年越しでは鏡餅を供えたから、月ではうさぎ餅供えたりしたかったんだよね」
 くすくすと笑いながら囁きあう二人。
「しかし。闇鍋はないのか‥‥」
 ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751)もまた、年末格納庫掃除に参加した組。実のところ、闇鍋が開催されないこと自体はほっとしている。問題は、すっかりあるものだと思い込んで準備してしまった里芋のことだ。仕方なく、レストランエリアの面々に託してきたが、さて無事に食べてもらえるだろうか。
「ま、なんにせよここの掃除だなっ! 崑崙を家だとすりゃKVデッキは玄関だ、そーだろ? せっかくみんなで守り抜いたんだ、俺も手伝うぜ!」
 紫狼が呼びかけると、全員、顔を合わせて頷いてぼちぼちと作業を開始する。
「ああ、お掃除かぁ。たまにはいいね」
 ひょいっと顔をのぞかせてきたソーニャ(gb5824)にもデッキブラシが渡されて。
 ‥‥?
「あれ、いつの間にいた?」
 ブラシを渡した優人が首をかしげる。一緒に来てたっけ? と傭兵一向に視線を向けると、全員「居たっけ?」という顔をしている。
 新たに誰かが入ってきた気配はなかったはずだが‥‥。
 KVの影で、事情を知るらしい整備員の一人が忍び笑いをしていた。ソーニャはどこから来たのか? 真相は、またあとで。



 さて、あちこちで準備が進められる中で、ホールを使っての屋台村もいよいよ開始。
 菘や悠季の屋台も、流石の自信とあって、早くも賑わいを見せ始めていた。
「ん。海鮮焼きそばか。こっちとこっち、4人前ずつね?」
「はいはい団体さんね。それならこっちでお願いね」
 悠季が用意したのは海鮮素材を混ぜ込んだ焼きそばと、レタスと叉焼を刻んだ具の炒飯。
 まとめての注文には大皿を用意してもらって供するようにしていた。それは、やはり閉鎖環境ということを考えて、資源に配慮して、という配慮ではあったのだが。
「‥‥お。それうまそうじゃん、一口貰っていい?」
 それが、意外な効果も生み出していた。大皿料理は「横から手を出しやすい」のである。それは自然に人の輪を広げていって。
 料理をはさんで、会話。自然と浮かぶ笑顔。厳しい戦いに慣れない環境と、体と心を酷使してきた者達が、今本当に安らかな顔になっている。
 そうして、大勢でつつけば、当然。
「あれ? もうなくなった?」
「また取ってきてよー! 美味しかったー!」
 ちんちんと打ち鳴らされる、催促の食器の音。お代わりを要求する人々に、悠季の顔も思わずほころんでいく。
「んみ、おでん『すずな』、月出張屋台開店やでー」
 菘の屋台は、出汁の匂いに誘われた者たちからじわじわと口コミで広がって言って列をなしていった。
「‥‥繁盛しているみたいだな」
 リヴァル・クロウ(gb2337)が、昼飯にいいかと菘の元へと顔を出す。
「お。いらっしゃーい」
「いや、忙しそうだが、大丈夫か?」
 知り合いの顔に、軽く雑談を挟もうとした菘を、リヴァルが遠慮がちに制する。
「あー‥‥そやなあ。あ、レンレン手伝ってくれるん? ほな店番よろしくなぁー」
 そこで、急に声をかけられた恋・サンダーソン(gc7095)が「はぁ!?」と表情を固まらせる。
 確かに、ちょっと退屈して列の整頓などを手伝ってはいた。
 ‥‥あくまで、暇だったからちょっとだけだ、と、そう言ってやったのに。
「おい、ちょ、おま、何処行くんだよ!」
 菘は信頼し切った様子で店を離れてしまう。そうして、なんだかんだで、「ったく、やりゃーいいんだろー!?」と言ってなんだかんだで店頭に立つ恋。だが。
「不思議な食べ物ねえ。ねえ、これは一体何?」
 ただ人が多いだけではない。異国の者にとって、おでんの練りものはかなり「謎の食べ物」だ。興味津津に質問を投げかけてくるもの、多数。
 はんぺんの材料など聞かれても恋には咄嗟には答えられない。視線を向けた先で、リヴァルと軽い会話を終えた菘は、そのまま「そろそろ作り足さなあかんなー。もうちょいよろしくー」とジェスチャーで示して行ってしまった。
「‥‥マジで置いてきやがったし」
 呆然とする恋をよそに、客はどんどん流れてくる。
「ねえ、これ本当においしいのかしら」
「んなの聞くな当たりめーだろ! アイ――」
 ――ツが作ったんだから。
 忙しさに、はねっ返りの少女はつい、本音を零しそうになって。
「‥‥ぁぁもー、オマエ等さっさと並べオラァ!」
 誤魔化すように恋は叫ぶと、作業をスピードをアップさせた。
 一方。ヘイル(gc4085)もまた、ホールの一角で屋台を広げていた。
(あの企画段階から遂にここまで、か。何度か防衛戦には出たが、そういえば中に入るのは初めてだな)
 彼も今は厨房に立っている。中国系の郷土料理にいくつか挑戦してみたが、故郷を遠く離れたものたちには好評だったようだ。
 だが今ヘイルの前で煮立つ小鍋からは、刺激的な香りが漂っている。中身はといえば、大概の人間は本能的危機を感じるだろう赤さがあった。
「しかし、冗句だったがいつぞや少尉に謀られた際の意趣返しの機会がくるとはな」
 どうやら、今作っているのは屋台用のメニューではないらしい。詳しい事情が気になる人は報告書『【OMG】謀ったな少尉』を参考にしてもらうとして。
「‥‥これで完成。まさしく入魂の一作。後はいかに少尉に届けるか、だが。――そういえばいたな。こういう時に便利な、ゴホン、役に立ってくれそうな人物が」
 ヘイルが、完成した『なにか赤いソレ』を、「少尉専用宇宙食」として袋詰めして赤く塗ったりなどしていた、そのころ。
「っくしっ!」
「にゅ、にゅい? 牛伍長、大丈夫なのですか?」
 ホールで、牛伍長が軽くくしゃみをしていた。
「いや、なんか急にむずむずして。なんでもねー‥‥」
「あ、いたー! 孫小隊の皆さんっ! こんにちわっ! お疲れ様っ!」
 数名で固まって移動していた孫小隊の面々に、美崎 瑠璃(gb0339)が声をかける。
 女性隊員の後ろに隠れていた徐隊員がひょいっと顔を出した。「久々ー」と瑠璃が手を振ると、徐隊員はほんの少し緊張が解けた笑顔を見せる。
「やー、今回も終わった終わった! 祈念作戦がうまくいかなかった時はどうなるかと思ったけど、ユダも倒せたし結果は万々歳ってトコかな?」
 瑠璃が明るく声をかけると、軍人たちも今回の作戦について会話を弾ませる。
「にゅい、瑠璃さんは、これからどうするですか?」
「そうなんだよねー。正直一泊二日じゃ足りなくてさー。とりあえず、研究室の花がどうなったかは見ていきたいかなっ!」
「やあ、盛り上がってますな」
 そこに秋月 祐介(ga6378)がブラブラとやってきて混ざってくる。
「それで、皆さんの調子はどうですか? やな上官に泣かされたりなんかしてませんかね」
「その辺に関しては意外と快適なもんです。結果的にここ、決死の前線基地兼リアルタイム人体実験場と化しましたからね。逆に半端に我が身かわいいだけの人間はあんま来ないわけです」
 他数度、幾つか言葉を交わし。一見たわいのない会話からも情報を引き出して‥‥ふと祐介は、すんなりとそれを教えた相手、謝副長の様子を改めて伺いなおす。‥‥軽い態度と裏腹に、その実少尉への忠誠は侮れない事は見てきている。もしかして、あえて少し内情を漏らすことで、逆にこちらの反応をみているの、か?
「それでは自分は、もう少し内部を見物させてもらいますかね」
 少尉と会話する前に余り手の内を晒すべきではないかもしれない。祐介はそう言ってこの場を立ち去ることにする。開発に関わってきた身として様子が気になるのも本音だ。
 入れ替わるように、ヘイルがこの場にやってきたのはその時だった。
「ああ、伍長に副長、ちょうどいい。味見してもらえるか」
 そうして見せた完成品、辛さをひたすら追求した結果香りと見た目がごまかしようがなくなっているそれに、伍長は明らかに警戒する。それでも言いくるめて一口だけなめさせて、その結果に満足すると。
「というわけで伍長。例によって最重要任務を依頼したいのだが。これをもって、それから――」
 だが、そう言って計画を告げてきたヘイルに、伍長はそれまでのジト目をやめて、まともに向き直ってきた。
「あー‥‥俺、どうしてもそうしなきゃならねえ場合以外は伝言って好きじゃねえんだ」
 そして、戻ってきた返事は、拒否。
「単に隊長おちょくってこいってんなら、乗らねえでもないさ。ただ‥‥『そんなの』は部下に言われることじゃねえだろ。そもそも伝えるべきことなら自分の目線と口調で言えよ。じゃなきゃちゃんと伝わらねえだろ」
 伍長の言葉にヘイルは目を見開いて、‥‥ゆっくりと、息を吐く。
「まさか伍長にやり込められるとはなあ」
「ああ? どういう意味だよ」
「褒めてるのさ。変わったな、牛伍長」
 なおも不服気味の伍長はひとまずさておき、ヘイルはここに居ない少尉のことを考える。今彼はどうしているだろう?
「‥‥変わったな」
 もしかしたら自分がしようとしたことは余計なお世話かもしれない。ヘイルはもう一度呟いていた。



「いーち、にーい、さーん、4かーい。新記録ー!」
 クラフトが、KVデッキの床にブラシを掛けながらケラケラと歓声を上げる。低重力下で、一歩でどこまで遠くに跳べるか、端まで何歩で行けるか挑戦中、というわけだ。
 たまには遊びながら、しかしなんだかんだと、掃除は進んでいく。
 予定していた床掃除に終わりが見えてきて、ユーリはリトルフォックス隊の徹の方へと近づいていく。
「宇宙用の初期機体だから初期機体乗り同士って事で‥‥ダメかな? 初期機体大好きだから、ぴっかぴかにするから、磨いて良い? というか磨かせて? お願い!」
「い、いや、別に綺麗にしてもらって文句言う気はねーけど、なんでそこまで‥‥」
 半ば迫力に気圧されるような形でOKする徹。わーい、とユーリはとてとてと足場を登っていく。
「ちゃんと名前を言えなかったりするご主人様だけど‥‥君のことを大切にしているのは間違いない、みたいだから。これからも‥‥守ってあげて、ね?」
 シンディも優人に申し出て、彼のディアマントシュタオプを一緒に磨いていた。
「すまんねえ、こんなことまで手伝ってもらっちゃって」
 作業している整備員が、遠慮がちに傭兵たちに声をかける。
 紫狼が気にするなと笑い返した。
 ‥‥強力な力に資金力。あたかも傭兵が主役だと勘違いしそうになるが、所詮能力者などほんの一握りに過ぎない。軍人に大勢の作業員、補給スタッフに銃後の市民。それらがいなければ自分たちは、食べ物も着る物も皆、何も生み出せない愚連隊に過ぎないと。
「つか、作業員に嫌われたらKVのアレやコレが何故か故障しちまうかもだしな〜」
「まあ、威張りちらす奴なんかが来るとたまに、整備の手を抜いてやろうか、なんて思うこともあるな」
「うぇ!? やっぱり!?」
「‥‥冗談だ。まだ、な」
 悪戯っぽく笑う整備員。
「うし、じゃ、そろそろこっちも始めるか」
 そのうちに、デラードが、ぼちぼち打ち上げの宴会を始めるかと、呼びかける。レストランエリアから運んできた食料を抱えて戻ってくると、皆、ざっと身体の汚れを落としてぼつぼつと引き上げていく。
「あ、手作りパン持ってきてるよ」
 ユーリも、かぼちゃパンや黒糖ベーグル、中にはきんぴら牛蒡が乗った変わり種のパンなども取り出して並べ始めて。
「それじゃあ、皆、大規模と掃除お疲れさん」
「あと崑崙のこれからの発展を願ってー」
「「カンパーイ!」」
 簡易宴会場と化したここで、皆の声が唱和する。
「そういえば、姉ちゃんに手出したりしてないよねー?」
 宴会の中、ふざけて聞くクラフトだったが。
「‥‥‥‥」
「え!? 黙るの!? なんでそこ黙っちゃうの!?」
「あーいや、違うよ? うん。ただ。やっぱり男の子ですから。ちょっと憧れはある、よ。ああいうの見てると」
 そういう優人が視線を向ける先には。
「これさえあれば幸せです〜」
 レーゲンが、デラードの隣で、本当に幸せそうな顔でビールとフランクフルトを手にしていて、デラードも同じくビールで喉を潤しながらそんなレーゲンの隣で笑っている。



 リヴァルが施設内を散策中、すれ違いかけた兵士が、ふと何かに気がついて慌てて姿勢をただした。
「ああ、いや、そこまでかしこまらなくて構わないが」
 さりげなくつけておいた階級章に気付いてのことだろう。リヴァルは苦笑する。が、物はついでにと、「何処か変わったところは見られないだろうか」と案内を頼んでみる。
「それならば、拡張作業中の現場に行ってみますか? 宇宙服はお持ちですか?」
 申し出に、リヴァルは有難く頷く。滅多に意識しない傭兵階級だが、役に立つこともあるのだな、と思った。これはこれで、貴重な体験か。
 拡張現場と簡単な計画の説明を受けて、一通り満足すると、礼を言って兵士を解放する。帰り道、一人月の大地を踏みしめて基地の中へと戻ろうとする道で‥‥地球が見えた。
(まさか、一学生だった俺が外から地球を見る日が来るとは‥‥思いもしなかった)
 遠くに来た。いろんな意味で。そのことを、噛みしめる。



 同刻、同じように宇宙に思いをはせている人間が、崑崙の屋根の上に、一人。
「まったく、ロマンなくして科学が成り立つのかしら!? 使えない研究者たちですわね!」
 ぷりぷりと怒りを撒き散らしているのはミリハナク(gc4008)である。地球産のコーヒーを賄賂に研究者たちに提案した、
「こっそり地下を掘り進めて、秘密基地作りません? いまだ姿を見せないカグヤ姫とか月の兎を発見する為の前線基地にするのよ!」
 という計画は、ものの見事に生温かく流された。‥‥ちなみに、コーヒーの差し入れ自体は主に室長に大いに喜ばれたが。
 そうして、「バカー! 自分の力で見つけてきますわー!」と嘘泣きダッシュしながら一人ここまでやってきたわけだ。
「月の兎はどーこかしら? キメラみたいな紛い物じゃなくて、天然モノがいいですわねぇ」
 冗談めかして言う、その本心は相変わらず、不明である。
(昔は満月になるとテンションあがったり狂ったり吸血願望が芽生えたりルナティックな気分になりましたけれど、いざこうして月に来てしまうと不思議な気分ですわねぇ)
 間近で見る月は、ただ岩肌広がる大地である。
「幻想はこうして文明によって滅ぼされるのね‥‥残念なことですわ」
 描かれた完成予想図からはまだまだ未完成の崑崙の上で一人、彼女は物思いにふける。



「‥‥すみません。つい、お疲れのところを連れまわしてしまったみたいで」
 自ら淹れた烏龍茶を二つもって、陽星は小鳥遊神楽(ga3319)の隣に座る。
 レストランを始め、暫く崑崙内部を一緒に回っていた二人である。二人にとっては数少ない、貴重な、まともな逢瀬の時間だった。一通り回った後、少し休みましょう、という神楽の言葉に従って、今は二人、陽星が使う部屋に居る。
「陽星さんも、少し横になったら?」
「ああ、いえ、まだ、何が起こるか分かりませんし‥‥」
「‥‥常々言っていると思うんだけど、仕事とオフとをきちんと切り替えて集中した方が仕事の能率だって上がると思うわ」
「ですが‥‥」
 なおも何か言おうとした陽星の言葉は、非難と心配を込めた神楽の視線に黙り込まされる。降参とばかりに、陽星は深い息を吐いて、
「‥‥だって勿体無いじゃないですか。せっかく貴女といられる時間なのに」
 そうして、己が眠りたくないその理由を正直に白状した。
 神楽は更に深い溜息をつく。本音を言えば神楽だって本当はもっと一緒に過ごしたい、だけど本当はこの人はもっと休まなければ、と自戒を込めて告げたのに、この人は!
「‥‥なら、こうしたら良いでしょ」
 少しやけ気味に、神楽は陽星を引っ張った。神楽の膝の上に、陽星の頭が来るように。
「あ。あの‥‥」
「‥‥これなら、眠っても一緒にいられるでしょう?」
 膝枕。囁く神楽に、なおも遠慮気味に顔を上げた陽星の視線の先に。
 少し恥ずかしそうにして微笑む神楽の顔、が。
(‥‥可、愛い‥‥)
 へなへなと、抵抗する気力が萎えていく。力を失った身体に、気の抜けた心に、疲労が覆いかぶさってきて。
 やがて陽星は敗北を認めて、心地よく己を引きずりこむまどろみに身をゆだねた。



「‥‥この辺で、一度切り上げたほうがよくないですかね?」
 再び植物園。告げたのは氷雨だった。言われて、メアリーは、時間と、それから作業状況を確認する。
 低重力下でも根を張りやすいようにと敷き詰めたネット。全体に水が行くようにと横穴をあけたパイプの設置。途中から瑠璃も加わって皆で進めた作業は、思った以上に順調だ。
「そうだね。今日は、ここまでにしようか」
 下手に次の作業を開始するより、ここで一旦切り上げて、明日で一気に進めてしまうほうが良いだろう。やはり庭師だけあって、作業の手際は一番だったメアリーがそう言うと、皆納得する。開花の瞬間を待つために残るもの以外は、一度解散となる。
 ‥‥去り際、一度、氷雨は作業途中の花壇と、植えられるのを待っている苗、そして、それを鋭い目で見つめる研究者達を振り返った。
 ‥‥可憐に咲くことを期待された花たち。だがその一方で、望まれざる変異を起こさないか、これらは慎重に監視されることだろう。
 ――運命の仮託、というのは感傷的に過ぎるでしょうか?
 研究室を出て、氷雨は軽く身体を動かしてみる。作業による疲労以上に、低重力の、宇宙内の人工空間。そこで一日活動した結果を改めるためのものだった。いずれ、スペースノイドとして生きる未来が来るかもしれない。能力者と‥‥いや、これ以上は不穏だ。迂闊に表に出さぬよう、氷雨は思考をあえて意識の外へと追い出す。

 ‥‥それは、それとして。
 シリアスなこと考えてる裏で、住居ブロックに着くなり低重力女子風呂覗き、低重力夜這い、低重力便所喫煙を試みようとした氷雨だが、傭兵が騒ぎを起こすことを警戒していた炎西によって阻止されたのだった。‥‥傭兵はこの場では客分、まして軍事基地とあっては、発覚したタイミングと相手によっては軽い冗談ではすまされないのだが。今回は、機密性の高い場所には近づいていなかったことと、傭兵自身の手によって止められたことによって大きな騒ぎとはならなかった。本人が反省室入りした程度である。
「‥‥低重力廊下で低重力正座まで想定済みですよ?」
 とは、本人の弁である。
 繰り返すが、場所とタイミング次第では洒落になっていなかったことは、努々自覚していただきたい。

 ということで、ここから住居エリアでおやすみなさいタイム、なのである。

「お疲れさんやったなあ? 小遣い足りたー?」
 菘は部屋に戻って恋を存分になでくりまわしながら労う。
「おま、やめろ、暑苦しいってのー。っつか小遣いとかガキじゃねーし!」
「差し入れ買うてきてくれてありがとなぁー。あれで足らんようなってないか心配で」
「う、うるさっ! 余ったから持ってきたんだよ」
 じたばたと暴れる恋。だが本気で嫌がっているわけじゃない。菘も、レンレンはツンデレやからなあ、と、そこも含めて楽しんでいるようだ。暴れるうちに、低重力のせいでバランス崩して、二人もつれて転がりあう。
「そういや部屋に風呂あるんやろー」
 そう言って、立ち上がる菘。
「んぁ、風呂ー?」
 ボクは後でも先でもどっちでもいーぞー、という恋に、「一緒に入ろーなー」と菘がいう。
「いや、ナンで一緒にとか、ぜってー狭いじゃんよ」
 恋が文句を言うと、菘は「冗談やでじょーだん」といいながら風呂に向かってしまった。
 そうして、部屋に一人取り残されて、恋は。
「いやまぁ、別にイヤとは言ってねーし」
 不服そうにごにょごにょ呟いていたのだった。

 サヴィーネもまた、同室のルノアに断って先に風呂に入っているところであった。
「ふふふ」
 そして残った室内で、ほくそ笑むルノア。譲ったと見せかけて、勢いよく風呂のドアを開け放ち、奇襲!
 はじける水音。絶妙のタイミングで放たれた水鉄砲が顔面に命中し、怯んだところで引き寄せる。ばしゃばしゃとバスタブの水を跳ねさせて、取り押さえられた体勢からもがく――ルノア。
「ふふ、奇襲は見切っていたよ」
「あら、バレてました‥‥」
「さて‥‥君は負けて捕虜になったわけだ。虜囚は大人しく勝者の言うことを聞くべきだと思うのだがどうか?」
 冷酷に告げるサヴィーネの声に、ごくりと唾を飲むルノア。
「そう、さしあたっては‥‥身体の隅々まで私に洗わせるというのはどうだろう」
「‥‥ぇ、いえ、そんな、自分で洗えますから、ね?」
 わたわたと慌てるルノアにお構いなしに、サヴィーネは丁寧にルノアの全身を洗いこみ始める。
「そ、そんな、所は、自分で‥‥キャッ!?」
 狭いバスタブに、楽しげ(?)な声が、響き渡る‥‥。

「打ち上げ会…楽しかったね‥‥年越し鍋、思い出した」
 透とつばめは、布団を寄せ合って、他愛のない会話を紡いでいる。
「ああいう平和で‥‥尊い日常を守る為に‥‥きっと、その為に‥‥命は‥‥大切なんだよね」
 そうして透は今日、一番間近な距離で恋人を見た。
 最近何か、辛い事があったらしい、とは知っていた。‥‥少しでも羽休めに、なっただろうか?
「この前はひどく不安定な姿をお見せして、透さんにはご迷惑とご心配をおかけしました」
 そんな恋人の気遣いを見透かして、つばめは微笑む。
「でも‥‥もう大丈夫。完全に吹っ切れたわけじゃないけど‥‥この手を伸ばすことに、もう躊躇いはありませんから、ね?」
 無理をしていないわけではないと思うが、浮かべた笑顔は偽者ではないだろう。透は信じることが出来た。
「僕らのペースで‥‥良いと思う‥‥」
 だから、透はただ、優しくそう、言葉をかける。
 命を守る為に手を伸ばし続けると、ある人の想いを彼らは背負った。
(でも、今は‥‥きっと休んでも良い‥‥)
 気負わずに、彼女が安らいでくれれば‥‥と、心から願って。布団の中でシーツをかぶりながら、ひそひそと交わされる幸せな会話。心地よい眠気が二人を包み込むまで、それは続いた。



 翌朝――厳密には宇宙に朝も夜もないため、崑崙時間8時、というべきか。
 比較的すっきりと目覚めた孫少尉が執務室に向かう途中、祐介と遭遇していた。
「おはようございます少尉。相変らずご多忙ですかね」
 少し会話は可能かと、二人は並んで歩き出す。
「傭兵のままでは何も変えられない‥‥それをつくづく感じましたよ」
 祐介は何かを抱えている様子は見せていたが、それが何であるかははっきりとは示さない。
「で、少尉の方は‥‥何か答えが見えましたか?」
 あえて反応は待たずに、祐介は続ける。
「そして、貴方はどちら側にいることになるんですかね‥‥。まぁ気にしないで下さいな。独り言みたいなモンですよ」
 そこまでいって、言葉を切る。
 これまでの経験で、傭兵のままでは手が届かない場所があることを何度も思い知らされてきた。届かない場所にあるものに触れるにはどうすればいいのか? 一つの手段としては、届く位置にいる人間を味方につけることだ。――但しそうするならば、それが信用に値する相手であることを慎重に見極めなければならない。
「私は‥‥」
 ある意味、話題を打ち切るそぶりを見せた祐介に、しかし孫少尉は足を止め、しっかりと向き直っていた。
 ――思い浮かぶ言葉が、今の彼にはあった。
 きっと理知的な目の前の相手が満足する言葉ではないのだろう。それでも。
 答えるためでなく。生まれた言葉を、想いを、ただ形にしたいと思ったから。



 その時。

「――‥‥あ」
 小さな小さな呟きが。

 理紗のかすかな声を耳にした来栖が、徹夜の眠気を吹き飛ばして慌てて顔を上げた、その前で。
 小さな蕾が、ゆっくりと震えて。
 解けて、いく。
「わぁぁ‥‥」
 感動に涙腺を滲ませた来栖の声が響く。
 ‥‥やがてその事実は、アルヴァイムによって崑崙の全館へと周知される。



 紫狼はその放送を、慰霊碑が建設される予定地の前で聞くことになった。報告することが一つ増えたな、と笑って手を合わせる。
 死んだ者に、敵も味方も、人間もバグアもない。
(ゆっくり休んでくれ‥‥後は俺たちがケリをつけるぜ!)
 まだ何もない場所で、ただそれだけを。

「俺もここに名前が載ってたかもしんないんだよねー‥‥」
 クラフトもまた、違うタイミングで慰霊碑予定地を訪れている。
 思えば宇宙では今まで以上に無茶したものだ。
「ホントにドレアドルのおいちゃんに挑めるとは思ってなかったけんねー」
 祈りの先には、紫狼と同じように、打ち倒した敵たちも含まれるのか。
「後はー、オーストラリア位かな、うん」
 決意を込め直すように、最後にそう、呟く。

 他にも、幾人かの傭兵が、戦没者へと安らかな祈りを込めて、祈る。



 ソーニャは、格納庫の隅でもぞもぞと身体を震わせる。
 大分前の謎の、答え。何のことは無い、まだ崑崙が狭いうちから何度か依頼を受けていた彼女は、元々格納庫で寝泊まりするのが当然になっていただけだ。
 つまり彼女は、初めから、そこに居た。整備兵たちももう当たり前になっていて、軽くマスコット扱いだ。
 いつも寝床にしている自身のロビンがないのは、今日はちょっと残念だけど。
 這い出して見上げた宙は、深淵の深い黒。
 その深さに比べれば、地球からの距離さえ距離とは言えない。
(それでもボクらはここまできた。まるでバグアに手を引かれる様に)
 ――さあ、何処まで行こうか
 望むままに、何処までも。
 この身、砕け散るまで。



 ――関東陥落の時に全てを失った只の学生だった自分が今、戦場の最前線で戦っている事を。
 ――見上げるだけの空想の世界だった宇宙に今、自分が存在すると言う事を。
 地上を見つめながら、リヴァルは想う。
 失った物が無駄ではなかった事を証明する為に。自分の様な人間を作らない為に。そんな身勝手な理由で手にしたあの日な小さな勇気は、誰もが持っているであろうそれはこんなにも人を変えられる。
「未来の為に、全てが終わるその日まで、俺は戦い続ける」
 そうしてリヴァルは、小さな誓いを、その唇に乗せた。



 咲いたシロイヌナズナを、メアリーが慎重に掘り返して。そうして、整えられた舞台へと、そうっと運ぶ。
 植え替えられる株は半分まで。あとは研究用に回される。それでも、彼らが咲き誇ったことはどうか無駄とならぬよう。
 どうかこの花が切り拓いた道を他の花が受け継いで、長く崑崙の人たちを癒してくれるようにと。
 真摯に祈るメアリーの肩を、炎西がそっと、抱き寄せる。



 私たちは愚かだろうか。
 その存在は罪だろうか。

 それでも‥‥実験の為に咲いた花を、祝福し、その未来を祈る気持ちがあるならば。



「――私は、幸せになりたいです」
 祐介の問いに、陽星はそう答えていた。
「あの方と、一緒に」
 犠牲になって幸せにしたいわけじゃない。共に、幸せでありたい。
 己の幸せの為に、幸せにしたい。
 目の前の人を守りたいのも故郷を平和にしたいのも、今は全て、そのために。
 その答えは、答えた彼自身、驚きを伴うものではあったけど。
「‥‥そうですか」
 祐介の表情は読めない。ただ、それだけを返す。

 一人残されて、祐介は一人ごちる。
「現実はいつも碌でもないその現実を前にして人には三つの選択肢がある‥‥」
 碌でもない現実に慣れるか。
 碌でもない現実から逃げるか。
 それとも、 碌でもない現実を変えてしまうか――
(‥‥ああ、選ぶべきは既に決まっているんだ)



 その日咲いたのは、ただ、小さな雑草の花。
 その意味を、あなたはどう思うだろう?