●リプレイ本文
●お茶会
カンパネラ学園は全天をドームで覆われており、その内部の気候は機械的な手段で調整されているのだが、今日は初秋を模していた。
爽やかな大気の下、幾人かの能力者が学生食堂のオープンテラスを借りて、お茶会の準備をしていた。
目に眩しい白のテーブルクロスをかけられたテーブルにはコーヒーミルにポット、和洋の様々なお菓子、そして蒸し器が置かれている。
「あ、きたきた」と弓亜 石榴(
ga0468)はオープンテラスから通りへ手を振った。赤い髪が揺れる。
両手に荷物を提げた新条 拓那(
ga1294)と石動 小夜子(
ga0121)がやって来るところだった。
新条は、やあお待たせと手を挙げて応答しようとしたが、両手がふさがっていて失敗する。この時の戸惑った表情に小夜子が微笑んだ。
新条は自分の荷物、コーヒーフロートのアイスクリームの入ったクーラーボックスだけでなく、小夜子の用意した食べ物も持ってあげていた。
「揃いましたね。さて始めましょう」とアルヴァイム(
ga5051)がいうと、カップを温めている保温機のふたを外した。
お茶会を言祝ぐように薄い蒸気が上がった。
●コーヒー
「‥‥これがコーヒー豆だ」
珍しく私服姿のウラキ(
gb4922)は、皆からの注目の視線のなか、大規模作戦の折りに学生が南米から持ち帰ったという出自のいまいち不明なコーヒー豆を提示した。
相澤 真夜(
gb8203)が釣り目がちの目を大きくして感嘆の声を上げる。
「おお、これがコーヒーの豆なんですね! 本で見たとおりです!」
真上銀斗(
gb8516)がしげしげとコーヒー豆を覗き込む。
「焼いたような見た目ですね。こんなものが木になっているのですか、それとも埋まっている?」
ウラキは説明する。
「コーヒーの木は人の背丈くらいの低木で、いまの状態の豆は皮や果肉を取り除いたあと、炒ったものだ」
「なるほど」とうなずく真上に対して真夜はさらに質問する。
「‥‥これをどうやってコーヒーにするんでしょう?」
「これを使う」とウラキはコーヒーミルを指で叩いた。「この器具で豆を粉状にするんだ」
ということで、ウラキは好奇心の視線を集めながらコーヒー豆を挽くことになった。
コーヒーミルのハンドルを回すと、カップに黒い粉が降って、小さな山を作り、わずかに鼻を心地良くくすぐる臭いが香った。
「ゆっくり挽くのが肝心だ。素早く動かすと摩擦熱が生じて豆の品質が劣化してしまう。要注意だな」
ウラキが解説すると、真夜と真上は感心したように息を吐いた。遠巻きにしている新条も興味深げにうなずいた。
しかし、誰も気がつかなかったが、リヴァル・クロウ(
gb2337)が一瞬だけ物憂い表情になった。
(「コーヒーを粉末でしか知らないようだな。世界は変わってしまったのだな」)
コーヒーが貴重になったのはバグアに生産地を押さえられたからなのだが、そのバグアの本格的襲来はわずか10年前、99年のことだ。
「インスタントを悪くいうつもりはないのだが、粉の状態だと酸化しやすい。すぐに味が変わってしまうから、美味しく飲むには、飲むたびに挽くのがいいかもしれない」
穏やかな空気のなか、ウラキの落ち着いた声が流れていく。
●飲み比べ
「さてここでコーヒーの飲み比べといこう。どれがどの豆を使っているかわかるかな。‥‥‥‥ちゃんとブラックで飲まないと、判らないよ」
ユーリ・ヴェルトライゼン(
ga8751)はそういってウインクした。
テーブルには無数のデミタスカップが並べられている。中身は同じ方法でいれられた謎の南米産コーヒー、参加者持参のキリマンジャロコーヒー、みんなのおなじみ地獄のお伴レーション付属コーヒーなどだ。
用意したユーリ、アルヴァイムは準備役と審査役を兼ねているので飲み比べには参加しないが、コーヒー党のウラキは準備を手伝ったけれども、ぜひとのことで特別枠で参加している。
お茶会の人々は、デミタスカップをしげしげと見詰め、臭いをかぎ、味わっている。
ユーリは片足に体重をかけた姿勢でこの光景を愉快そうに眺めている。
平和ですねとアルヴァイムがいうと、ユーリは目を細めた。
「ずいぶん野性味のある臭いと味ですね」と獅子河馬(
gb5095)がいえば、
アンジェラ・ディック(
gb3967)が「レーションの付属品はすぐ判ってしまうな」と応え、
「うん‥‥確かに。味も香りも全然違うね。不思議だなー。両方とも同じコーヒーのはずなのに。奥深い」と新条が感心する。
「‥‥う〜ん? きっとこれがキリマンジャロ??」と迷う真夜にアルヴァイムが口をすすぐためのお冷やを差し出す。
飲み比べの参加者は神経を尖らせた舌の緊張を解くためか、用意されたお菓子に手を出した。
「ちょっと舌を休憩」と石榴はフロランタンをかじって跳び上がった。「これ、すごいな。ね、誰が作ったの?」
「喜んでもらえてよかった。これでしたらコーヒーを飲みながらお砂糖代わりになるとおもって」
ストレガ(
gb4457)は色素の薄い頬を染めて、おずおずと自分だと告げた。
「歯触りが最高なのッ」
「フロランタンは多少手間が掛かりますが、焼きあがった時の香ばしさがたまらないんです」
ストレガは照れて早口で応えた。だからか、石榴が「これだけおいしいと好対照になって仕込みの効果はばっちり!」という悪戯っぽい表情を浮かべたことには気がつかなかったようだ。
そのうちに飲み比べの決着は就いた。
やはりコーヒー党のウラキ、紅茶好きのアンジェリナ(
ga6940)とアンジェラは舌と鼻が敏感だったようで、判別に成功していた。
「はい。成功者には俺からプレゼント」とユーリはチョコがけのオレンジピールやレモンピールを3人に進呈する。「俺は、これがコーヒーにベストマッチだと思うんだけどな」
アンジェリナは甘味が苦手なのか、戸惑った表情を見せた。するとアルヴァイムが、1本いいですかと、取り上げてかじった。
これをみて、他の参加者もユーリの用意したオレンジピール、レモンピールそれにパウンドケーキに舌鼓を打つ。
コーヒーが食欲を刺激したのか、お茶会は飲み比べを経て、軽食の会に移りつつあった。
●ふたり/A
オープンテラスではロシアンルーレット式あんパン(複数個のうち1つだけ中身がわさびになっているあんパン)で人々が騒然となっているころ、アルヴァイムは木陰のテラスからその様子を見ていた。
そこにアンジェリナがやってきて、アルヴァイムのそばに腰掛けた。
「静かなものだな」
「戦場ほど騒がしくはありませんね。コーヒーはいかがです?」
「だがモルグほど静かでもない。‥‥ミルクと砂糖は結構だ」
「それは良い選択です」
アンジェリナはアルヴァイムの用意したコーヒーを口にする。水出しコーヒーだ。アンジェリナは心地よさげに眉を寄せた。
水出しコーヒーを味わっていたアンジェリナは物言いたげな表情でアルヴァイムを見ると、アルヴァイムは感情の伺えない紅玉の双眸で見返した。
2人の間に沈黙が生まれる。拒絶・無理解の沈黙でなく、相手を受け止めるための寛容な沈黙だ。
やがてアンジェリナは語り始める。2人の間だけで通じる昔話だ。
「あの日‥‥目の前に居たあなたは覚えていると思うが。感情も表情もとっくの昔に捨てたと思っていた私‥‥無論、捨てたのは確実な話だ。
あの頃の、6歳からの少女の感情や表情はもう持って無い。だからこそ驚いたんだ。私が笑ってたと言われて‥‥良い笑顔だったと言われて、私は、自分が分からなくなったんだ」
アンジェリナは、すがるような、道に迷ったような目でアルヴァイムを見た。
「‥‥少なくとも、あの時の顔はきっと、今の私の顔なのだと思う。6歳の少女の顔じゃ無い。今の、LHで過ごしてきた私の、いろんな人と出会った私の‥‥私の」
2人の間で鈍い音がした。アルヴァイムが魔法瓶を指で弾いたのだ。その礼儀正しさでできた仮面に一瞬だけひびが走った。
「感情表現は世界との関わり方次第、ではないかと思う」とアルヴァイムは普段とは違う口調で応える。そして発せられたのは答えでなく問いだった。
「誰かに見せようとしなければ、誰かへの深入りを拒絶するならば、発露を避けるのではないか?
過去に何が遭ったかは知らないし、聞くつもりもない。辛い過去は私を含め、誰だって目を背け、場合によっては世界を拒絶したくなる 。
だが、あの日の出来事は世界との関わりを持とうと思ったからではないだろうか?
人の温もりを失うかもしれない恐怖を乗り越えようと足を踏み出したのではないだろうか?」
ま、感情を普段抑制している者の弁で恐縮ですがねとアルヴァイムは最後だけ普段の丁寧語に戻して語り終えた。
問いに問い返すのは予想外のはずだが、アンジェリナの表情は明るい。
その紫の目に浮かぶ表情は迷子のものではなく世界に意味を発見しようとする冒険者のそれに似ていた。
●ロシアンルーレット式あんパン
「これはいける。誰が作ったんだ?」
クロウはサンドイッチをしゃくしゃくと噛み砕いていった。
薄切りパンに薄切りキュウリとハムを挟んであるだけなのだが、バターの塩のききと食感が素晴らしい。
「そうだね」と新条はどこか嬉しそうにいう。
このサンドイッチは小夜子手製のものだ。これだけのものが身近な味であることが誇らしいのかも知れなかった。
小夜子は新条の自慢の気配を感じたのか、頬を染めてうつむいた。
さて三島玲奈(
ga3848)は中国茶を片手に豆知識を仲間に披露する。
「知っている? 日本には食事の時間でもないのにスープを飲む習慣があるんだ。その証拠にカップの自販機でポタージュやコーンスープが売ってるんや。これはお茶の時間にスープを飲む習慣があるってことやねん」
獅子河馬(
gb5095)はうんうんとうなずいた。
「見たことありますよ。ULTとか年中ありますよね。別に夏だから冷製スープが出てくるわけじゃない」
「逆にできたら怖いねん。おでんの缶とかカレーの缶とあるし」
「それはまだ確認してなかった。今度買ってみますよ。いろんな人がいるからかな、結構変な物がありますよね」
「そういえば」と玲奈は石榴に視線を投げた。「それってどこ発祥か知っている?」
石榴はワッフルを土台としたクリームの山を崩しているところだった。唇をなめて首を傾げる。ベルギー風ワッフルだ。
「名前が名前だからベルギー?」
「ニューヨークはブルックリンよ。ベルギーではそういう食べ方をしないんよ。実はベルギー風ワッフルとベルギーワッフルは別物なんや」
石榴は感嘆の声をもらす。
「知らなかった。1つ賢くなったから、このあんパンはそのお礼!」
石榴は持参したあんパンを玲奈と獅子に押しつけ、他の仲間にも与えるのだが、その表情は笑顔なのにどことなく危なげだった。
というのはあんパンの1つは激辛わさびパンというジョークアイテムだからだった。
玲奈の「カレーは飲み物!」という主張が展開されるなか、石榴は期待の表情で周囲を眺め、あんパンにパクついた。
瞬間、石榴は卒倒する。
激辛わさびパンだった。
しかも中身が変なところに入ったらしく、石榴は虫の息に‥‥‥‥。
「大丈夫ですか!? 喉に詰まらせたんですね!」
ストレガはとっさに手近にあった飲み物を取り上げた。
「それはっいかんっねん!」と玲奈の制止は遅かった。
ストレガはカレージュースを石榴の口に運んだ。
●ふたり/B
「いまのは世は事もなしってところかしら」
アンジェラは騒ぎを見てそう呟いた。
スパイスたっぷりなカレージュースによって石榴を窒息させようとした激辛わさびパンは然るべきところは納まったらしい。
真っ青なかのストレガに真っ赤な顔の石榴が死んだ目ですがりついている。
アンジェラは玲奈の卓から中国茶の茶器を受け取ると、アンジェリナのいる木陰のテラスへ向かった。
「ワタシと一緒にお茶はいかが?」
「烏龍茶も悪くない」
完全発酵が紅茶で、半分発酵が烏龍茶だ。2人は優雅な手つきで茶を入れて、香りを、味を楽しんだ。
「疲れているように見える。私の気のせいか?」
鋭い子だとアンジェラは目を細め、今回の大規模作戦で軍時代の仲間が戦死したことを告げた。
「おかしなものだ。傭兵のワタシが生き残り、軍人の彼らが死ぬなんて。普通逆だろう。どうしてもね、ワタシが不甲斐なかったのかって考えてしまう」
アンジェラはどこか自分と似たところのある少女に悔恨を語った。
「それであなたはこれからどうするのだ」
そう問う少女の目には強い光があった。身体の内側から湧いてくるような暖かくも強い光。
この光は誰から与えられたものか、アンジェラは、オープンテラスで石榴の様子を見ているアルヴァイムへ視線を向けた。
「こうして僚友が先に逝ってしまうのは何度でも慣れなくてね。‥‥辛気くさくてごめんなさいね」
大丈夫、おかげで一区切りつけたとアンジェラはいった。
●禍星のない夜は何処?
秋を模した空が朱に染まるころ、ウラキは真夜から女子のコーヒーの飲み方を教わっていた。
「‥‥そ、そんなに…砂糖とミルクを入れるのか‥‥」
「牛乳たっぷりで、砂糖でざりざりするくらいがいいんですよ」
にっこりする真夜は言い添える。
「せっかくだからウラキさんもいかがですか、そうだ、コーヒーフロートなんて」
流れに押される形でカップにアイスが落とされると、ほうとウラキは声をもらした。カップの姿をある景色に見立ててしまったからだ。
カップのコーヒーは夜空、アイスは満月、溶けるクリームは月輪。
ここにあの禍々しい赤い星はない。
カップの光景は過去の地球の空にしていずれ来る未来の空だった。
真夜は片眼をつぶった。
「こういうのもコーヒー占いっていうんでしょうか?」