●リプレイ本文
●接触
朝日によって空は赤く染められた。飲み込まれそうな暗黒の海から一隻の漁船が港へ戻ってくる。漁船は古かったが、ぶつかってくる波という波を打ち砕いて、港へたどり着いた。漁船からそれと同じくらい年をとった老人が桟橋へ降りた。漁船が力強いように老人もまた力強く肩に縄をかけ、銛を持って、漁師小屋へ向かった。
この老人の歩みを遮るように4人の人影が姿を現した。老人は立ち止まる。疎開が決まって以来、港町を訪れる者はならず者や老人を居残り者を疎開させたがっている市の職員くらいのものだ。老人は網を降ろすと銛を構えた。
4人はとまどったように顔を見合わせた。4人は性別も年齢も格好も人種もばらばらだが、どこか似通った雰囲気がある。老人の孫ほどの少女がぴょこんと前へ出て見上げた。
「うちはハルトマンっていうの。おじいさんは善田じいさん?」
老人が答える前に銀髪の若い男がハルトマン(
ga6603)の頭をぱこんと叩いた。叩いた手にはミルクティーの缶がある。
「こら。初対面の人に『じいさん』なんていっちゃいけない。善田さんというんだ」
「ええ。いいじゃん」
「ほら。だだをこねないでミルクティーを飲むんだ。すぐに幸せな気持ちになって悪さなんてできない気分になるぞ」
4人のうち唯一日本人風の若い男がミルクティーの男に突っ込みを入れる。
「あらあらあら。クーヘン、ミルクティーにはそんな摩訶不思議な成分が含まれいるの?」
「リット! 誤解を招くようなことをいうな。日頃教育しているミルクティーへの愛がミルクティーを飲むことで発現するんだ。エミタが大気を吸い込んで爆発的なパワーを発揮するようなもんだ」
「え、うち、爆発するの? おもしろそう。飲んでみよう」
がやがやと騒ぎ、脱線する若者たち。老人はとりあえず銛の先を下げ、一番年上らしい男をみた。男はうんざりしたように眉間に手を当てていて、善田老人の視線に気づくと、全員の頭をモグラ叩きのように叩いた。3人が三者三様の声を上げるが、無視して年上の男は切り出した。
「お化けカジキを捕らえようとしている善田さんですね。我々はULTからやってきました。お化けカジキを捕らえるために」
「‥‥‥‥能力者か」と善田老人。網を拾い上げ「何のつもりかしらんが、帰れ。傭兵ども。あれはバグアとかキメラとかいうものじゃねえ。ただの一匹のカジキでわしの仇じゃ」
「船を沈めるほどでもキメラでないのか。信じがたい」
「これだから陸のもんはものがわかっちゃいない。まあ海のもんだってあんだけのものはみたことあるまい」
「だったらなおさら確認せねばならないな。我々自身の目で。申し遅れました。私はホアキン・デ・ラ・ロサといいます。お化けカジキをみせていただきたい」
そういって年上の男ホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は老人に手を差し出した。しかし老人は握手をしない。ホアキンは首を傾けた。
「わしを放っておいてくれ。奴をみたければ、勝手に探せばいい。そのうちにでてくるさ。まあ陸のもんなら沈めらちまうがね」
「善田さんもそのうち海の藻屑だね」とリット(
ga6815)と呼ばれた少年がいって老人から網を取り上げた。商売道具をとられて老人はリットに跳びかかったが、リットは簡単そうに避けた。
リットは気の毒そうにいった。
「左足が悪いんでしょう。たぶん踏ん張ると痛むんだ。遠くからみてもわかったよ」
「だからどうした! わしがどうなろうとわしの勝手じゃ」
「そんなことないよ!」とリット「善田さんにも家族はいるんでしょう。善田さんが死んだら悲しむよ」
「わしはその家族を、息子をあいつに奪われたんじゃ。あいつを捕らえまでは海を離れるわけにはいかん」
「だったら俺たちに手伝わしてよ。俺たちはお化けカジキがキメラでないことを確かめないといけないし、善田さんを見捨てられない」とここでリットはためらった。「それに俺、親父が漁師だからあんたみたいな爺さんを放っておけないよ。親父みたいな人が死んだらいやだもの」
老人は目を伏せて黙った。4人の能力者たちは顔を見合わせた。海からの風が4人と老人に吹きつけた。やがて老人は舌打ちをした。そして風に紛れていたが、4人は聞き取った。
「勝手にするがいい。その代わりこき使ってやる」
老人はリットの手から網を奪い取ると漁師小屋へ向かった。老人の姿が消えると銀髪の男クーヘン(
ga6808)がいった。
「やれやれ。上手くいった。一時はどうなるかとおもった。芝居が成功してよかった」
「依頼人が頑固といっていたし、見るからに頑固そうだったからな。直裁に手伝うといっても無駄だっただろう。とはいえ同感だ。それにしてもリットは迫真の演技だった」とホアキン。
「あれは半分本心だよ」とリットは小声でいった。聞き逃したハルトマンがなになにと訊き返すが、リットはハルトマンの関心をカジキに向けて漁師小屋へ向かった。
●VSお化けカジキ
翌朝、港から漁船が出た。操船するのは善田老人で、能力者たちも船上の人となっていた。全員が救命胴衣を着ている。ハルトマンは「カジキカジキ、お刺身にフライにお鍋に‥‥‥‥」と歌い、クーヘンが「寒いときはやっぱりミルクティーだ」とまんざらこじつけでもないアドバイスとともに缶を投げた。
「善田老人はなにやら元気そうだ」とホアキンは見もしないで投げられた缶を受け取ってリットに渡す。
「やっぱり寂しかったのかもしれない。良かった」
2人の背後ではクーヘンとハルトマンが善田老人に叱られていた。船上で遊んでいたのがまずかったようだ。
やがて漁船はお化けカジキの出没する海域にたどり着いた。ホアキンは善田老人と操船を交代し、善田老人は銛を手に立った。この頃には水平線から太陽が昇ってきて能力者たちにも水面の魚影が把握できるようになってきた。
「あ!」とハルトマンが海面を示す。全員の視線が集まる。「今晩のオカズはあなたよ!」
ホアキンは示された場所へ船を向ける。老人は銛を構えて動かない。クーヘンが海面を見つめながら「大きいな。最悪だ」ともらす。漁船が波にあおられる。そのときハルトマンの腕が跳ね上がった。その手にはハンドガンがある。
銃弾が海面に吸い込まれる。泡が立って辺りが白くなる。やがて白に赤が混じる。巨大なカジキが浮かび上がる。クーヘンの目がカジキの大きさに見開かれた。
しかし老人は首を横に振った。
「残念だな、小僧。そいつは別のやつじゃ。あいつはもっとでかい」
「マジですか!? あれ3メートルはありますよ。あれ以上ですか」とクーヘン。
「じゃこれくらい?」とハルトマン。
「これ?」とリット。
老人の目が見開かれている。事態に気づいたホアキンがハンドガンを手にして船上へ現れる。ハルトマンの示す先、船の下には巨大な魚影がいつのまにかあった。漁船ほどの魚影だった。
「こやつ、船をひっくり返すつもりか!」老人の叫びにホアキンが操船に戻る。漁船は距離をとろうとするが、お化けカジキは迫ってくる。
「ちょうど良い。ここで仕留めてやる!」老人は再び銛を構えた。「お前たち、やれ!」
「「応!」」
船上の能力者たちの腕が跳ね上がる。水面に向かって銃弾の雨が降り注ぐ。赤と白に泡立つ水面。しかしお化けカジキの勢いは止まらない。
「最悪だ! チクショウ! 明鏡止水の心はどこへいった!」とクーヘン。ホアキンは漁船の進行方向を固定すると船上へ出た。ホアキンも発砲に加わる。
「ホアキンさん」とリット「尾びれを狙ってください、そこでカジキはスピード出すんです!」
「わかった!」とホアキンの射撃。お化けカジキの速度が下がる。ほっとする能力者と対照的に善田老人はいよいよ緊張を高めるようだった。
漁船はお化けカジキの魚影を引き離していく。そのとき魚影が力をためるように歪み、爆発した。お化けカジキは水面から跳ね飛ぶ。能力者たちは水しぶきと驚きで船上へ転がってしまうが、善田老人だけは微動だにしない。
跳躍するお化けカジキは漁船とすれ違う。同時に善田老人の手から銛が飛ぶ。水しぶきが再び上がった。能力者たちは立ち上がり、発砲しようとするが、善田老人に制止される。
「もう終わったのじゃ」
お化けカジキのえらから一筋の血が流れていた。えらにはふかぶかと銛が刺さっている。
こうして老人の戦いは終わった。
「これからあなたの行き先は私の胃袋」とハルトマン腹黒そうな笑みを浮かべて笑った。よだれが垂れている。
「いやあ、お疲れ様でした」と船縁にもたれてクーヘン。「ミルクティーでもどう?」
「ありがとう。今回は少しばかり焦ったな」と返すホアキンはリットが操船中の善田老人を見ているのに気づいた。そばによって波で消えるような小声で訊く。
「どうした?」
「こんな奴が海にいたんだ‥‥、やっぱり海はすごいなぁ。っておもって」とこたえるも視線は善田老人に注がれたままだ。お化けカジキを倒してから善田老人は操船に集中していて、頑固さも怒りっぽさもみせなかった。
ホアキンはリットの肩を叩いた。
「大丈夫だ。あの老人には帰るところがある。帰る場所がある限り人間は大丈夫だ。生きていられる」
ホアキンは船尾をみた。牽引された巨大カジキは銀色に光る海面に浮かび、死してもなお消えない威容を放っていた。