●リプレイ本文
海上には、緊張と悪意が喜悦と混ざり合って薄く張り詰められていた。
ガリーニンから出撃した傭兵たちに、黒いアンジェリカたるリリスが対峙する。
リリスが一機、それを囲むようにウーフーが四機。
敵の周囲は一機ごとに八機のキューブが浮遊し、六組のロッテに分かれた傭兵達は、それぞれ簡易的に割り振った相手へと向かった。
御影・朔夜(
ga0240)、終夜・無月(
ga3084)だけはリリスの相手を。ウーフーの輪を突っ切って入り込めば、ジャミングによる重い不快感が二人を襲う。
南部 祐希(
ga4390)と共に空を駆け、慣れ親しんだ感覚が御崎緋音(
ga8646)を満たす。深い既知とのかつてに酷似した、覚えのある感覚。
僚機の機体が共通するからだろう、機体のカスタムこそ各人によって違うが、肌が機体の特性を覚えている。
黒いアンジェリカ、元は藍紗・T・ディートリヒ(
ga6141)の機体。
機体を敵に使われる背徳、緋音が望むのはそれを彼女の手で始末させてあげる事で、目的には障害を排除する事が必要だ。
祐希をロッテの前衛に。詰めた距離、視界に浮かぶキューブへと照準を合わせ、超伝導アクチュエータのトリガーを弾いた。
‥‥ここで一気に減らす。
射出した弾丸がキューブの傍を擦過する、手応えがないのを確認しながら弾を再装填して更に一発、‥‥駄目。
機体能力で運動性は引き上げられているのに、当たらないもどかしさが不調と共に目眩を募らせる。上手く動けない事に対する苛立ち、ロケットランチャーがあらぬ方向で爆発を起こし、祐希が唇を噛む。
ごく僅かな動きを示し、瑞浪 時雨(
ga5130)が放つロケット弾はキューブに回避される。
ゼラス(
ga2924)のMSIミサイルも同様に、余波が響いた様子すら奴らには見えない。
「んっ‥‥。やっぱりこっちはきつい‥‥?」
レーダーを狂わせる元来の能力に加え、速度の上がったキューブは攻撃を受け付けない。その様子を確認すると、ゼラスは武装を持ち変える。
「この頭痛キューブが! その面、蜂の巣にしてやるよ!」
手動でライフル系の照準を合わせれば、ミサイルよりは気休め程度の効果を得られよう。が、操縦者にも影響を及ぼす怪音波の不調は響く。
――捕らえ切れていない。
キューブの速度が上がったとは言え、精々その辺の機体と同等な運動性。しかし両者が重なる事で攻撃の殆どが捌かれている。
「祈りはいらない‥‥。成すべきを成すだけ‥‥」
戦いの意志は萎えていない、不吉な感覚を微かに抱いたまま、時雨は敵を見据えて新たに照準を合わせる。
「――久しいな」
かつて交わした言葉を、朔夜が回線に向けて問う。
鹵獲された事に後悔はしていない。そぐわぬ饒舌さも昏い悦楽として、惚れた女性への贈り物だと思えば、自らの機体すら安いものだと口ずさむ。
――自分の機体は、言葉通り庭に飾っているのか。
問いに挟まれるのはやや長い沈黙、思索を挟み、城を貰いに来たのだとイネースは短く告げた。
『飾る場所は、綺麗な方がいいですから』
戦いの先手は朔夜が握る。無月の行動に合わせるべくキューブに狙いを付け、その隙間をリリスが縫う。
装置が帯電を繰り返し、発生した電流が無造作に朔夜を捕らえた。電撃が機体を走り抜け、硬直に畳みかけるように電撃が三度繰り返される。
通信装置からは機体が破損するノイズ。フィードバックされたダメージが体を打ち、硬直した腕と共に息を詰まらせた。
照準をつけ、無月からK−02ホーミングミサイルが放たれれば、交戦の視界が白い煙で埋め尽くされる。
連続する爆音と、一層広がる白煙。煙が散った後には、お互い変わる事もなく飛行を続けていた。
――敵に届かぬまま、カプロイアミサイルは空中で同士討ちを引き起こして散る。
少なからず驚愕する二人に対し、リリスは攻撃の手を緩めない。朔夜が反射のままに攻撃を向け、キューブが回避するのを後目に。二機に近づくと、放たれる光条が宙を舞った。
(「駄目だ」)クラウディア・マリウス(
ga6559)は直感する。
ウーフーに対した四組は、いずれも苦闘している。突破はおろか、攻撃を当てる事すら出来ていない。
キューブ掃討の加勢に訪れたシエルと世鳴。クラウディアとロッテを組む如月・由梨(
ga1805)もまた同様に。
辻村 仁(
ga9676)が放ったカプロイアミサイルこそキューブを捕らえていたが、それも撃墜には至らず、膠着が続いていた。
慣れぬ頭痛に、八神零(
ga7992)がぼやきを漏らす。目の前の障害すら越えられない自分に、藍紗が不甲斐なさを噛みしめる。
傭兵達が、ウーフーの攻撃を受けた所で傷は掠めた程度。それも積み重なり、ゼラス&時雨ペアは満身創痍が近づきつつあった。
二人が対するのは、奇しくもゼラスのウーフー。焦り以上に苛立ちが募るも、事実どうしようも出来ていない。
「てめぇらに使われるってのはな、癪を通り越してイラつくんだよ‥‥っ!」
叫びに応える奇跡は起きない。キューブがウーフーを操っているのか、棗・健太郎(
ga1086)が推測を張り巡らせるが、その様子は見えなかった。
リリスの光条が、無月を穿つ。予想より強い衝撃が機体を揺さぶり、痛みに耐えながら無月は機体の飛行を支える。
味方が各自の敵を抜けられてない以上、自分達が離脱した所で状況の打開にはならない。
片方がリリスを引きつけ、片方がCWの殲滅に専念しようと思うも、キューブへの攻撃は周囲同様に振るわぬままだ。
由梨が気遣わしげに耳を傾ける。報告される無月の被弾を聞き、心を焦燥が満たす。
もしもまた「あのような事があれば」。心の片隅が黒く染まりかけるのを制止し、保った冷静さで戦いへと没頭した。
戦場に目を広げながら、クラウディアは次弾を装填し、狙いを付けキューブを穿つ。攻撃は届かず、キューブに回避されて海の彼方に消える。
返る手応えは『このままでは勝てない』。根拠こそないが、クラウディアは自身の感覚に突き動かされ、表示される情報と記憶を必死で改める。
仁の戦いを見る限り、カプロイアミサイルはキューブに対して有効なのだろう。しかし無月が放ったそれは届かずに散った。
‥‥ジャミングが濃いから、とか。
ジャミングは近づけば近づくほど濃度を増し、キューブを中心に発されている。敵の陣形はウーフーを四方に配した大型ファイブカード。
「‥‥あ」
――つまり、五機周辺で発されるジャミングはお互いの範囲に重なり、効果を増している。
直撃を受ける場所も、普段よりかなり広くなっているはずだ。
中心のリリス、或いはリリス周辺のキューブを射程に収めようとすれば、必然的に四十機が織りなすジャミングの中に突っ込む事になる。
この陣形の前では、長射程を誇るカプロイアミサイルすら例外ではない。故にミサイルは誘導を狂わせられ、同士討ちを引き起こして散ったのだろう。仁の攻撃が届いたのは、陣形に近づかずにいたから。
「‥‥っ!」
アンジェリカの片翼を砕かれ、時雨から呻きが漏れる。幾度も穿たれた体はダメージを積み重ね、今も痛みを残している。
痛みは脳まで達し、揺さぶられる意識が諦めろと訴えているようだった。
力が入らず、操縦桿を握る手が萎えそうになる。弱音を漏らしそうな自分を強く叱咤し、戦意を立て直した。
「辻村さん‥‥出来るだけ敵から遠ざかって、カプロイアミサイルでキューブを攻撃してみてください!」
クラウディアが無線に向かって要請を出す。出した答えに迷っている場合ではない、傭兵達の機体には綻びが出ていて、どのみち退路は細い。
ここで敗れればイタリアが壊れてしまう。光のブレスレットが浮かぶ腕は、無意識にペンダントに添えられる。
自分達はキューブの動きを捕らえ切れていない、だがこれで一角を崩すことが出来れば、陣形に綻びが出る。
このままリリスと対するのは不利であることを悟り、僅かな不本意さを孕みながら、無月と朔夜が本格的に遁走すべく機を返した。
<Start: ブースト空戦スタビライザー>
光条がリリスから放たれ、機翼を切り裂く。バックミラーが光に染まり、続いて衝撃が体を穿つ。
左翼破損、機体装甲剥離。飛行を崩し、離脱どころじゃなくなった朔夜の機体がまた一撃を受け、機体の上下が完全にひっくり返る。
痛みを通り越した完全な白、重心がおかしく回り、機体が海面に墜落する。
機体を返し、リリスは反対方向に離脱した無月に狙いを付ける。先手をリリスに取られたためか、距離は取り切れていない。
加速をつけられれば、或いは。
墜落した相方を気遣いながら、しかし確認する余裕がないことに歯噛みする。
後方から白が舞い、光に相応しい速度で追いついてきた。
「‥‥50秒間近」
イタリア軍接近の報を受け、救助班が海上への降下に備える。
ミカガミの片翼をもぎ取られる。直撃よりは遙かにましだが、損傷した機翼がバランスを維持しきれない。
幾度もの追撃を凌いだ機体はとうに限界が近く、踏みとどまる激動の中で追撃の衝撃が走る。
エンジン停止、絶望的な知らせをアラームと共に表示させ、ミカガミが海に落ちた。
敵のいなくなったリリスは、藍紗達の方へと向かう。藍紗達にとってはある意味好都合ではあったが、今は状況が悪い。
付近のキューブは二機ほど落とせている。が、落とすべき敵を前に、藍紗の感情が力及ばぬ事を訴える理性とせめぎ合う。
唇からは、悔しげに呻く息が漏れた。
万事休すか、そう思ったのも僅かな間。仁と零が戦域に割り込んで来た。
二人がウーフーを突破し、自分達の加勢に来たことが管制によって伝えられる。予定からは大幅に外れたが、仲間はまだ共に在った。
キューブ達の相手を仁達に託し、藍紗は棗と前衛を入れ替える。
手が空いたとは言え、自分達はまだキューブの範囲内、逃走の先には総崩れが見えていて、持ちこたえるしかない。
出来るか、という問いは考えないようにした。手に取った鬼の面を被り、感情を覆い隠す。
「‥‥我が魂を弄んだ罪‥‥決して許さぬ」
剣翼を翻して切り込む、キューブの影響下では光学兵装が使えない。手応えがないのを予想通りとしてすぐさま旋回し、ごく僅かに遅らせたタイミングで棗が、藍紗ももう一度機体を走らせる。
連続で行われる接近戦。リリスは機体を落として回避、目標が元の位置から大きくそれ、旋回も大きくなった二機に対し、リリスの光条が舞う。
すがりつくように攻撃が吸い込まれ、機体が揺れ動く。
ウーフー戦によって生じた綻びが、攻撃を受けて機体に響く。
‥‥まずい。
何度も持ちこたえられるものではない。攻撃を行うためのスピードは削がれ、距離を取ったところでもう一度旋回。敵と再び対し合い、瞬間光の帯が藍紗の機体を貫いた。
「‥‥粒‥子、砲」
痛みが行き場をなくし、呼吸を止める。腹を貫かれるような空白がフィードバックされる。
よもや自分の機体にトドメを刺されるとは。思考だけ動く時間の中で無念さを抱き、藍紗の機体が海面に堕ちた。
「姉様‥‥!」
救助班に対し、管制から救助要請が飛ぶ。不利さを悟った由梨が、加勢するべく機体を飛ばす。
棗のシュテルンを無視して、リリスは零への接近戦を挑んだ。警戒は強く、零がそれに応じる。
「FR程ではないにせよ、この性能‥‥厄介だな」
零が漏らす呟きはどこか冷静だった。攻撃は消極的に、回避に重点を置く動きはしかし思った以上に鈍い。
零が離れれば、リリスは目標を仁と由梨に切り替え、それを嫌った零が戦場に復帰し、リリスに攻撃を向ける。
由梨こそ無傷に近いが、仁はそれなりに怪我を刻んでいた。
敵と交差すれば、零とリリスが銃撃を交わしあう。零の頭痛はいい加減限界で、合わせる照準が正確かどうかも最早判断不能。
光条が装甲を砕き、腕が引きつる。バックミラーに写るリリスの姿。
予感が走り抜けるのは僅か一瞬。動きが追いつかぬまま、零の機体が落ちる。
「あ‥‥」
これで四機目。
由梨がリリスを抑えているが、いつ崩されるかは判らない。
祐希と緋音は足止めされている。ゼラスと時雨は撤退ラインが近く、力尽きるのは遠くないだろう。
クラウディアは決断が迫っている事を感じていた。戦う力はない、性能が届かないのもあるが。
‥‥もう、弾薬が尽きている。
抗う力は自分になかった。手の中で何かが壊れていく感覚に泣きそうになりながら、クラウディアは仲間を守るための言葉を吐く。
「――撤退を」
その言葉が決定的となり、傭兵達は戦いを放棄した。
逃走戦の中、仁が途中で力尽き、それを最後の撃墜として傭兵達はイタリア本土に逃れる。
地上までリリスが追ってくる事はなかった。そして今、リリスとイタリア軍が対峙している。
周囲を囲まれながら、回線からは笑みの気配が濃く漏らされる。対峙する緊張の中、それを物ともしない声が響き渡った。
「――準備は整いました」
それは秘めていたものを開け放つ喜悦。響く声はイネースの物ではない、甘さの欠けた少女か、幼さ抜けない少年のそれに近かった。
「イネースさん、――芸術の時間です」
宣言にはええ、と頷く言葉が返り。
「――始めましょう」
イタリア、ナポリ。
始まりは爆発によって伝えられる。混乱と怒号を余興として、炎が咲かせる赤に対し、イネースはうっとりと表情をとろかせる。
君臨したのは、またもや黒のアンジェリカ。無残に掲げられるのは熾天使の紋章。
ナポリ襲撃の報はすぐさま回線によって伝えられていた。ざわつきが漏れるイタリア軍に対し、もう一人の声の主――ユズが考える必要はないのだとたしなめる。
「イタリア軍の皆さんは、ここで僕と遊ぶんです。‥‥ブリンディシを、焼け野原にされたくないでしょう?」
臆していない声明。一人でイタリア軍を相手にするのか、そう言わんばかりの緊張が周囲に張り詰め、ユズはそれを見透かしたように笑んで。
「逆に問いますが、‥‥僕を止められる自信ってあるんですか?」
言葉の直後、地上、ブリンディシにて爆発が起きた。
――遙か海底、ヘルメットワームの内部。
床には二つの人影が横たわり、他にいるのはKVに腰掛ける一人だけ。
ユズが腰掛けているのは朔夜のシュテルン。ユズの手によって撃墜されたそれは、ユズの手によって修復されようとしていた。
手には工具を、通信用のヘッドセットを被り、意識のない床の二人に向かってユズはにっこりと笑みを作る。
「僕は優しいですから、貴方達の事はまだ捕まえないで差し上げます」
数刻後、朔夜と無月はブリンディシの海岸にて発見される事になる。
共にいたのは、復帰可能な程度には直された朔夜のシュテルン、各種システムには特に異変もなく。
ただ、パイロットの顔には海水で消えないよう、油性マジックで「返品」と書かれていた‥‥。