●リプレイ本文
肌に触れる風が荒んでいる。
変哲がないはずの景色は荒涼さを伴っていた。
人が消えるだけで、見目はこのように変わるのか。或いは、惨劇を知っている精神が見せる錯覚かもしれない。
傭兵たちを載せた車は、先刻壊滅の報告を受けた村の郊外で停車する。
車から降りる傭兵達の表情は黙しているか、或いは冷ややかだ。
言葉も少なく、これから赴く事だけを簡潔に示して。傭兵たちは人手を二つへと分け、今回のターゲットを探しに周辺の調査へと赴いた。
――言ってしまえば、気分が悪い。
依頼を受けてから到着するまで、黒桐白夜(
gb1936)が抱いた感想はそれがもっとも簡潔で適切だった。ホラーゲームならありがちなシナリオだが、実際に見る悪趣味さは比べものになるはずもない。武装を手に、皐月・B・マイア(
ga5514)は自らの怒りを自覚していた。
かなりの間、皐月は純粋な戦闘依頼を避け続けていた。
大事な親友の傍にいることを望み続け、彼女の手を握りかえすなら、なるべく優しい手がよかったから。
跋扈するキメラにも目を伏せ続けていたのに、人という冒涜の前に留める箍が外れてしまった。
決して許してはいけない一線、踏み出した道は先が見えずとも墜ちる一方で、光が背中に遠く感じる。
今からこの手を汚す、行き着いた先、またあの手を握り返せるかどうかはわからないけど。堕ちた先には彼女を守れる力があると信じたい。
「早く解決してしまおう。きっと、それが一番なんだ」
白夜が見る限り、周辺の地形にターゲットが行動したかのような痕跡はなかった。
木々の朽ちる痕跡が一つあったが、村の方向へと続いており、恐らくは惨劇前に出来たものだと窺わせる。
二班の面々は白夜を含み、御影・朔夜(
ga0240)、緋沼 京夜(
ga6138)、ラシード・アル・ラハル(
ga6190)、ソルナ.B.R(
gb4449)の五人で構成されている。
残りの面々――皐月、月森 花(
ga0053)、宗太郎=シルエイト(
ga4261)の三人が構成する一班にはリエル曹長が付き従っていた。
草葉が触れあう音は乾いていて、無人の荒野では一層際立って響く。
そんな物音にも気配を求めて意識を配り、花は背中を仲間へと向けて奇襲の警戒も行っていた。
敵は小柄だ、どこかの物陰に紛れ、飛び出してくる事もあるだろう。腐敗をまき散らすという能力にも嗅覚の面で警戒をし、花は口元をマフラーで覆い隠している。
廃村の周辺は静寂で、傭兵たち以外には動物の姿すら見えない。
「‥‥子供の、グール」
ラシードの思考はひたすら空白が続いていた、感覚のみが探索に向けられ、言葉を作るそれも惨劇自体に向いていない。
沈黙は拒絶にも似て、ただ、自らの記憶に引っかかるその単語が気になっただけ。
確か、まだ自分の家があった頃に聞いた食屍鬼の話。‥‥今の自分には最早ないのだと、記憶に埋没しかけた意識は再び意思によって背けられた。
ターゲットは村の周辺にはいない。遠くにいった痕跡もなく、二班ともそれは確信している。
となれば後は廃村のみ、ターゲットはまだ惨劇の舞台にいる事だろう。
「‥‥嫌な荒れ方ですね。あまり見た事はないかも」
村内を見て回る中、付近の確認を終えた宗太郎が目を伏せ、沈痛な言葉を漏らした。
村に満ちる余りにも濃厚な死の気配、危険が取り除かれていないために、死体は野ざらしがごとく現場に放置されたままだ。
空洞を示す骸骨は空虚で、弔う人がいないまま、時間と共に忘却したかのような罪悪感を錯覚させる。
‥‥手にいらぬ力が入ってしまっている事を自覚すれば、必ず戻ってくるのだと宗太郎は自身に言い聞かせ、暫くはこのままでいて貰う事を密やかに詫びた。
緊張を察知し、肌が触れる気配にも敏感になる。静寂は灰色の景色に満ち、悪い冗談のように予兆を示さない。
定期報告による無線のノイズが手元からこぼれていた。
ひた、と空気が触れるような足音。存在だけで喉を掴まれるような狂気の気配。
横際、曲がり角の先から灰色の影がおぼつかない姿を見せ、両者が姿を認め合った瞬間、泣き笑いを張り付かせた敵が疾走を開始していた。
宗太郎を前衛に、他の三人が反射的に距離と射線を取る。
迫る敵を眼前に据え、宗太郎は迎撃する体勢で慎重に矛先を向けた。今は同情も後悔も考えない、全ては戦いが終わってからだ。
狙うのは牽制主体の防御態勢、まずは全員揃うのを待つべきであり、敵が間合いに入る瞬間迫る動きを払おうとして――後衛の援護すら許さぬ圧倒的な速度で間合いが詰められ、敵が懐に飛び込んでいた。
「‥‥ッ?!」
視覚すら追い切れなかった動きに他の感覚が反応する、物理的な何かが首をつかみ、喉の呼吸が暴力的に押し出される。
首を掴まれた。そのまま絞めあげられ、首への圧迫はまるで加減を知らない。
槍の弱点は、間合いを切り替えるのにロスが生じる事。間合いから飛び込まれる事に弱く、先制するにも、敵の方が圧倒的に早かった。縫い止めるにしても接近を許しすぎていて、力が入らない上に碌に狙いもつけられない。
肺の奥から空気が絞り出され、乾いた喉を鳴らす。人ならぬ爪が肩に食い込み、肉を裂いていた。
驚愕は後を引き、弓を引き絞る花の腕は震えている。
敵の手元からは紫が滲み、宗太郎君の首元へと広がり、もう少し力を入れればきっと首からぶしゃっと血が噴き出して――。
死ぬ、宗太郎君が死んじゃう。
抑制された理性が激情とせめぎ合い、花に言いようのない混乱をもたらした。
思考は処理限界を超えている、目眩がする、攻撃はだめだ、敵との距離が近すぎて誤射の危険が高い。
宗太郎を助ける以上に、自分が彼を傷つけるかもしれない事が怖かった。感情が理性を押しのけて、攻撃の腕を留めている。
動けないのは皐月も同じ。飛び武器ではいけない事を即座に判断し、間合いを詰めて氷霧の剣を振るった。
向けた攻撃は片手で払われる。しかし首を絞める腕がゆるみ、宗太郎が敵を突き飛ばして束縛から抜け出す。
二人の距離が離れたのに反応し、花が矢を放った。手元が狂って外れる、弓を握りなおしてもう一度。
弾頭矢が敵に当たり、皮膚を焼くがあまり効いていない、素の人体は燃えづらいから。
首を押さえ、えづく事すら出来ないまま後退する宗太郎をリエルが支えた。かざした右手から傷がふさがり始めるが、治療が済む前に再び敵が動く。
接敵した皐月の腕がつかまれ、力に抗えず引き寄せられれば片手で首を掴まれる、滅多に聞くことがないだろう、嫌な音がして肩の関節がもぎ取られた。
「‥‥!!!」
これが『腕をもぎ取られるということ』。幸い関節が外れただけで本当に取れてはいないようだが、肩の肉が重みに引っ張られて嫌な感触がする。ぬめる感触は爪に裂かれた出血だが、そこまで構う余裕はなかった。
三人では勝てない。手数が余りにも少なく、動きすら抑えきれていない。
首を掴まれたまま、勢いをつけて振り投げられる。掴まれた時にどこか折れたのか、地を転がる擦り傷より、首が嫌な感じに痛かった。
戦場に対するのは花一人になってしまった。焦る宗太郎は治療が終わらず、皐月は戦闘不能。間合いを詰めた敵が爪を振り抜き、花の脇腹を裂く。
抉られた傷は深かった。噴き出した血で服が深い色に染まり、灼熱する傷に服の破片が混ざって気持ち悪い。衝撃で足元がよろけ、尻餅をつきそうになるのを踏み留まる。
「‥‥花ッ!」
理性は働いてるだろうに、宗太郎が治療を振り切って飛び出した。リエルの驚きは一瞬で、後方から力をかざして治療を完成させる。
宗太郎が花の前に割り込み、槍を振るった。
足元がおぼつかないのは仕方がないのか。傷こそ治ったが、疲労は全快にほど遠い。
「‥‥向こう!」
連絡を受けて二班が急行する中、ラシードが一早く一班の場所に気づき、薬室に銃弾を叩き込みながら駆けだした。
戦闘に突入していた一班は皐月が倒れ、花も押さえた脇腹を血に染めている。敵を射程に収めてイブリースを発砲、宗太郎達に飛びかかる敵と銃弾が交差し、血しぶきをにじませる。
攻撃を受けても敵は止まらなかった。槍の柄を盾に見立てた防御をかいくぐり、爪が鎖骨に刺さる。浅い、だが移動を挟まない分攻撃は速く激しい。
敵に浅く与えた傷は動きを鈍らせるには至らない。一方宗太郎は攻撃を受け続け、敵は止まらないのに限界が色濃く出ている。
それでも全く引く気がないのは、花が後ろにいるからか。受け捌く事にだけ槍を振るい、回避など考えてもいない。
足音が二班の到着を示すが、攻撃を止めるには遠く間に合わない。敵の爪が宗太郎の胸元に向かった瞬間、花は二人の間に体を割り込ませていた。
「‥‥、‥‥花ーッ!!」
「へ、いき‥‥急所、外してる‥‥」
爪を引き抜き、後退する花の足元は揺れている。次を耐えきれない位には二人とも怪我が重く、距離を詰め切った二班が間一髪入れ替わって戦闘を引き継ぐ。
一班は二名が重傷、一名瀕死。二人が自力で後退するのに対し、駆けつけた白夜にリエルは短く指示を出す。
「月森さんを」
皐月を介抱しながら、宗太郎を包むリエルの治癒が白夜に託された負傷者を示していた。陣形を保てる状況ではない。相手は物理系故に被害が単方向で、治療範囲を同じくするのは仕方なくもあるだろう。
銃を構え、朔夜は詰まるような息を吐き出した。狙いは淀みなく、足に照準を合わせて引き金を絞る。
経験が促す動きはひたすらに鋭すぎた、弾丸は腿をとらえ、めり込んだまま体内に収まる。少女の動きが目に見えて落ち、しかし敵は動きを止めない。
京夜を捕らえられる位には運動性が残っていた。首元を逸れた腕が肩を凪ぎ、血を噴き出させる。
踏み込みが甘い故に攻撃は浅く、しかし激しさは衰えない。戦場である村の道路に利用できるような遮蔽物はなく、逃げ回るのも陣形ゆえに憚られた。
逃げれば必ず他の前衛に攻撃が行く、相手の隙になるが決して好ましい事態ではない。
回避は数歩ずつ移動を重ねる形になっていて、意味のない事ではないが、敵の攻撃を無力化するにはほど遠い。
「っ‥‥」
そして一班を壊滅させた攻撃の激しさ。受ける動きを掴み、力任せに引き寄せれば爪を突き立てて切り裂く。
義手を身代わりにある程度のダメージは軽減していたが、それでも体力が奪われるのは速かった。
腹に腕を突き立てられ、引き抜く勢いに突き倒されれば、敵とラシードの間ががら空きになっている。
両者の視線が合い、敵が目標をラシードに移す。腹を貫通された京夜の傷は見た目より深く、失血が立つ力を与えない。
ソルナが追うが、敵は注意を向ける事はなかった。敵の背景など知ったことではないが、今までの消極的な攻撃も関係していたのだろう。
‥‥気後れだけはしないように努めてたものだが。
「姿など興味は無いよ‥‥それがあちらの存在であるかどうかだけさね」
言葉は本当、躊躇いなどない。ならば戦いへの不慣れか、理由ははっきりしないが悔やまれる。敵はソルナを引き離して間合いを詰め、伸ばされる腕にラシードが銃剣の刃を構えて合わせる。
敵の腕を剣が捕らえていた。腕に伝わる、押しつけられる腕に刃が食い込む感触。呼吸が止まり、時間が引き延ばされたかのような戦闘の錯覚、意識だけが明確で、緊張の高揚の中、暗い思考がふと首をもたげた。
もしも、これが自分へと向けられたものなら。
刃は皮を裂き、肉へと潜り込む、力を入れれば骨へと届き、体を断つかもしれない。
そうすればなくなる。腕が、なくなる。
銃剣を凪いで押し返す、思考は一瞬で、高揚した胸の動悸は止まらない。
遠い、京夜が遠い。生きる意味をくれた大切な人なのに、片目と片腕をなくしてからは置いて行かれそうに遠く感じる。
自分に触れる義手の無機質さが胸を詰まらせていた。抗うにも方法を知らなくて、自分も腕を切り落とせれば“同じ”になれるだろうかと思考がよぎる。
‥‥馬鹿な考えだと、解っているのに。
押し返すまま素早く銃を構え直し、朔夜が穿った傷に銃口を合わせた。
難易度の伴う行動だが、ここまで距離が近ければ外す筈もない、エミタから力を流し込み、それを繰り返して連射を放つ。
動きが落ちている敵をラシードの攻撃は正確に捉えた。鋭さも増している一撃が傷を与え、積み重なって命を削る。
朔夜の無意識の中、対するのはあくまで「少女」だった。感傷を抱いたと言えば、倦怠感は自嘲的に笑うかもしれない。
危険な能力ゆえに決着を急ぐのだと言葉は告げ、しかし元がなんであろうが、子供の姿をしているなら苦しむ時間を減らしたい気持ちも存在していた。
‥‥どうせ、殺す結果は変わらないのだから。
ラシードに続き、力を注ぎ込んだ三連射が放たれた。生命力は強く、元の半分も動けないだろうに少女のあがきは続く。
「――泣くな。‥‥生きたければ、私達を退ける以外の術はないのだぞ」
言葉の感覚は欺瞞にとても似ていた。朔夜の理性は揺るぎなく、一瞬で再装填を済まして再攻撃を続ける。
体を投げ出すように敵が飛びかかり、後衛に届きかけたそれを皐月がせき止めた。
負傷した体はまだ痛む、そもそもエミタの力だけで治るかも怪しい。暫く動けなくなるだろう事は自覚しつつ、皐月は見ているだけの事を許せなかった。
宗太郎と花には怪我させてしまったけど、ここに立ったのは自分の意志。
(「私が恐れていたのは『私』だった。なら‥‥『コレ』に抱く恐怖など、もう幻でしかないっ!」)
剣にエミタの力を込めて振るった。続けられる攻撃を皐月は寄せ付けず、その間に打ち倒された面々が白夜とリエルによって治癒され、前線に復帰する。
立ち上がろうとする少女を京夜が制止し、その頭を義手の掌で包んだ。
「お休み、お姫さん‥‥今度は良い夢を」
時間が止まるような微笑みは一瞬、義手から杭が打ち出され、少女の脳天を貫いていた。
戦闘は終えられた。皐月は改めてリエルたちの介抱を受け、宗太郎は葬送された村を前にして黙祷を捧げていた。
隣には、花が無言のまま手を繋いで寄り添っている。
少女の死体は朔夜の手によってスブロフをかけられ、タバコの火で荼毘に付されていた。
灰は風に吹かれて散っていく、どこともしれぬ場所よりはいいだろうと、朔夜がそれを望んだ。
たとえ既知でも、抱く感覚は重い。
元凶に殺意を覚える位には、不愉快な疲れだった。
どう見ても助けられなかった、それは宗太郎も判っている。判っても尚、救いを求める自身はきっと往生際が悪いのだろう。
「‥‥可能性はゼロ、か‥‥」
見当違いな後悔に涙しそうになる。少女の能力の名残であろう、肌には嫌な感触が薄く張り付いていた。
京夜がぽつりと言葉を漏らす。
「近付けば誰もが傅く‥‥正に姫さんだな」