●リプレイ本文
背の高い森に挟まれた、学園に通じる門と道。
身じろぎすれば、水を孕んだ大地の気配が感触として肌に残る。
道に沿って、木々に縁どられる色の薄い空。先にある痛みを予感したためか、夜明け前の空気は、やけにひっそりしたものに思えた。
‥‥静けさに釣られてか、言葉は少ない。
依頼人は少しの緊張を帯びて黙りこくっているし、クレハも気を遣ってか余計な事を口にせず、ミディには視線すら向けなかった。
傭兵達が到着した時だけ、大丈夫だと示すように指を触れあわせただけで。
レーゲン・シュナイダー(
ga4458)とクレハが顔を合わせれば、互いに漏らす笑みが空気を緩める合図となった。
「お久しぶりです、クレハさん。お元気でしたか?」
「ええ、レグ様も」
夜間に気を遣ってか、距離を近め、囁く程度の声。
お互いの笑みがくすぐったくて、声を抑えながらも、口元は綻ぶ。
まずは人のいる場所から離れようと、一行は予定していた通りに搭乗する車を分けた。
もう片方、依頼人たちが座る車には意識して視線を合わせないようにして、如月・由梨(
ga1805)は人知れず、そっと吐息を漏らす。
先頭を、宿木 架(
gb7776)がAU−KVのバイク形態で走る。
蒼と緑で構成される景色の中、深紅のコートはやけに目立って見えた。
事前情報通り、道中に敵影はなく、殺気立つような痕跡はない。
それでもそれぞれが外へと注意を向けるのは、万が一を懸念してだ。
キメラが縄張りを移すのも十分あり得る、それは紛れもなく本心からの理由であり、一部にとっては沈黙を保つ、格好の口実だった。
‥‥もしも自分が依頼人の境遇になったのなら、そんな事は余り考えたくない。
或いは既にそうなっているのか、神城 姫奈(
gb4662)は気遣わしげに御影・朔夜(
ga0240)の方を向いた。
剣呑な気配は見あたらず、そもそも存在感からして薄い。
触れる寸前にまで車窓に寄り添い、空の遙か彼方を見つめている。
続ければ、或いは届くのかと、願いと諦めが混ざり合った、壊れる寸前の憧憬だった。
(‥‥えーと)
話しかけようと思う、空気が読めてないと言われようが、暗いのは良くない。
暗い要素だらけのこの環境で何を話しかけようか考え、心が緊張しかける前に、肌が触れる気温に反応した。
「あ、‥‥ヨーロッパはちょっと冷えるね。寒くない?」
此処は木々が多い分、孕む水気が冷たさとなる。
運転席ではエシック・ランカスター(
gc4778)が窓を三分の二ほど開けて外をうかがっており、真っ先に反応したのも彼で、大丈夫ですか? とバックミラーごしに伺ってきた。
「私は平気だけど‥‥」
姫奈の視線が、朔夜に返答を促す。
朔夜は気配でそれに気づき、少しだけ視線を向けると、ああ、と気のない返事をした。
「‥‥む」
顔を背ける彼に言葉を詰まらせるが、それは姫奈の気分を害する悪いものではなかった。
適切な言葉を探すのなら。
‥‥どうにかしてあげたい、って。
「寒いのは平気?」
しつこい上等、姫奈はめげない。
とはいえ、その問いかけは壮絶にスルーされ。
「‥‥なぁ、何処かで私と逢った事があったか?」
「え?!」
朔夜の問いかけは、姫奈の方が予想していなかった。
あ、うん、えーと、と。姫奈が心当たりをぐるぐるしてるうちに、興味がなくなってしまったのか、朔夜はまた視線を窓に戻す。
朔夜の内心には、倦怠に似た徒労感。
いつものことだ、と思い、いずれ失われるものだと、諦観にて思考を閉じた。
「‥‥その、クレハさん、なんですかその視線は」
「いえ、如月様が別の車なので、私が代わりを」
クレハの視線を真っ正面から受けてしまい、宗太郎=シルエイト(
ga4261)の背に浮かんだのは、逃げたくなるようないや〜な汗だった。
元を言えば、宗太郎の軽口から始まる。
「隣に人がいる事の心強さ」。気を遣ってミディの方を窺えば、その手は今クレハが握っていた。
指先はふれ合い、他人を拒絶する、閉鎖的な形ではない。
だからこの人は大丈夫だ、と宗太郎は思い。
「だから気負いすぎずに前に進めて、多少の無茶もできるというもの‥‥で‥‥」
そう言いかけた所、女性陣から集まったのは、三分の二の冷たい視線だった。
‥‥重傷を負った身体で言えば、「結果がそれか」と言われるのもやむを得ない。
助けを求めるようにレグの方を窺えば、当然の如くシカトされた、三分の二に入ってるし。
緩やかな安全運転の下、車は森を抜ける。
レグは、ひたすら運転に集中していた。
車の揺れは最小限に、揺らぐ心に優しくない、突き上げられるような震動は避けたいと思う。
暫し拓けた荒野を走り、辿り着いたのは、また別の鬱蒼とした森だった。
車は、駐車出来そうな近辺に置いてきた。
遊歩道に近しい、森の道を一行は歩いていく。
道中の安寧に反し、森の中は微妙にざわついている。これが疎開の原因かと思いながら、ネイ・ジュピター(
gc4209)は両の刀に手をかけた。
道順は、事前に依頼人が教えてくれていた。飛び出す影に反応するように、ネイは抜刀して迎え撃つ。
刀にはねのけられ、敵との距離が開く。
一応程度に依頼人を気にかければ、彼女は宗太郎に守られ、手をクレハと固く握り合ったまま、佇んでいた。
保証されているだろう少女の安全に、「よかった」或いは「いいな」とも、安堵と羨望の混ざり合った感情を覚えながら、ネイは意識を眼前の戦闘に向ける。
架も同様に、羨ましさを抱いていた。依頼人が思うだろう故郷は、架にとって知らない領域にあったのだから。
求める先は常に荒野、戦いに充足感こそ覚えるものの、終えれば消えてしまう儚きものに過ぎない。
踏み込み、刀を振るう。
大した手応えもなく、やけに堅い肉が刃に裂かれて足元に落ちる。
由梨が戦う先にあるのは愉楽、その筈だった。
だが、今回ばかりは、一刻ごとに不安を覚え、恐怖へとすり変わり、どんどんとふくれあがっていく。
向かってくる敵は、どれも大したことのない相手、だからたやすく死を与えられる。
死を見せつけられる。
行っているのは自分で、死が破裂した先にあるのは黒穴のような喪失だった。
考えてはいけない、だが開いた穴に引き寄せられるように、由梨の思考が渦巻いていく。
自分は喪失を覚えたことがないから、想像しか出来ない。
想像してはいけないのに。
戦闘後の静寂は、やけに不安を煽る。
平穏がまるで嘘みたいで。本当にこれで終わりなのか、心が信じきれずにいる。
戦いも喪失も、世界のどこにでもあった。それが理解出来るからって、それで納得出来る訳でない事を、由梨はよく知っていた。
それ以上考えることを、理性が拒絶する。思考をがんじがらめにして止めないと、由梨はきっと泥沼にはまってしまうから。
依頼人は、ひたすらにまっすぐだった。
自分を騙すこともせず、歩むために踏み出そうとしている。
それはかけがえのないものだと、最早自分には手の届かないそれを見出し、ネイは感嘆の息を漏らした。
「我は、な‥‥」
慣れ合う訳でも、貶める訳でもない。ただ、大切なものを垣間見たから、自らを分かち合う気になっただけ。
「死に囲まれ、ひたすら闘い抜いて‥‥多くの友を失った」
涙はない、痛みすら感じない。
手の届かないただ在るだけのしこり。古傷を、指で撫でるのにとても良く似ているとネイは思った。
「泣く暇も、悼む余裕もなく‥‥生きるために、戦い続けた」
上限を超えたから、感じ無くなったわけじゃない。自分で、感じることを放棄した。
それは、今も続いたままなのだろう。生きるための疾走は、多くのものを置き去りにしてしまった。
「だから‥‥貴公が羨ましい」
薄く、当惑したようなネイの笑み。ネイがなくしたものは、彼女の手元に残ったままだった。
「周囲の見張りに行ってくる」
朔夜、由梨、架、エシックが隊から離脱する。
ここから先は好きに果たせと、到着した末の意思表示だった。
確かめるように、逃げてしまわないように。
幻のように消えてしまうことを恐れるが如く、依頼人はゆっくりと目的の場所に歩みを進める。
期待と恐怖。
正直、今からでも。全て嘘だと言ってくれればいいのにと、ミディは思っていた。
依頼人から少し離れた場所で、朔夜は空を見上げる。
空は薄く、水を溶いた色合いで。いつの間にか夜が空けている事に気づけば、最早彼女はいないのだと、朔夜は再認識した。
「‥‥‥‥」
白は、彼女の色だった。
自分に最も程遠いその色は、手を伸ばしかけた瞬間に消えてしまった。
もう届くことはない。性懲りもなく思い続けるのは、諦め切れていない未練だ。
自分もそんな夢を見るのかと自嘲し、これにも既知を覚えるのだろうかと、痛む心で思った。
「さよならだけが人生でなければいいですが‥‥」
木に寄りかかりながら、エシックが車のキーを弄ぶ。
いずれの結末を迎えようと、別れはひたすらに苦々しかった。
「きっと、さ。相応に重いからこそ、美しさがあるんだ」
見上げれば、架が先客として木の上にいる。彼女が手にしたハーモニカを見て、エシックは怪訝な声を上げた。
「奏でるのですか?」
「んー、もうちょっと後でかな? せっかちなのは良くないぜぃ」
罪に怯え、涙を堪える少女がレグの前にいる。
口を噤み、喪失に向きあう彼女は、かつての自分にとてもよく似ていた。
裏切りだと自分を責め、終わりの見えないまま、ひたすら待ち続けたその日々。
泣いてしまえばいいのに、と思う一方、彼女が自分を留め続ける理由を、レグはよく解っていた。
‥‥そんな、甘えを自分に許すわけにはいかないから。
あの人を理由にして、私が泣くなんてどうして許せるだろう。
「ミディさん‥‥」
レグが肩に触れると、過剰すぎる震えが伝わった。涙が自分に伝染してしまわないように、なんとか堪えながら。
「今は‥‥泣いてもいいんです」
此処で堪えたら、彼女の心にヒビが入ってしまう。体を抱く気配が、後ろ姿からでも伝わってきた。
満ちたから溢れて、沁みたから、内側から痛くなる。
強張りそうになる指を必死に動かして、レグは、ハンカチを彼女に差し出した。
受け取り、暫しして。依頼人が墓所に歩み寄る。
ポケットの中から、レグから受け取ったのとは別の、薄く空色を伴うハンカチを手に取っていた。
(あれは‥‥)
宗太郎には見覚えがある。作り手の祈りであり、全ての原点となった絃で描く花。
枝で作られた十字架に手をかけると、空色のハンカチを結びつける。風に吹かれ、結び目を中心に広がったハンカチが花のように咲いた。
シラン‥‥花言葉は「あなたを忘れない」。
依頼人が自分を送り出す、決別のサインだった。
「私は‥‥これから、自分のために、今生きる全てのために祈ります」
悼みは、この後も暫し続いた。
日が明け方を通り過ぎて、戻るべきかと振り返る朔夜の前に、姫奈がいた。
「向こうは、もう少しかかりそうだから‥‥」
言い訳は、探しに来る途中で既に浮かんでいる。様子を窺う様子の姫奈に向けられたのは、朔夜の吐息だった。
物思いの様子で、問う。
「もしもお前が喪失を抱えたら‥‥どうする? どう乗り越える?」
朔夜の問いに、姫奈は答える事が出来ない。姫奈には朔夜の思いなんて分からなくて、経験してもいないことを勝手に想像して答える事は出来ないと、感じていた。
どういう意図で問われたのか、姫奈にはわからないから、踏み込む事が出来ない。
それに、笑顔は人を幸せに出来ると信じていたけれど、自分が喪失を抱える側になってもそうでいられるかどうか、わからなかった。
「私は‥‥」
意図だけでも理解しようと、必死に頭を回転させる。でも、今回も朔夜の方から、問いかけを引き上げられた。
「‥‥別に今じゃなくて良い。機会があれば、聞かせてくれ」
散った面々が、立て続けに戻ってくる。
元の場所には少しだけ俯いた依頼人がいて、もういいのか? と誰かが問うと、彼女はしっかりした声音で「はい」と答えた。
呼びかけを待たず、歩みを進める。
置いていったものが、大切であるがゆえに後ろ髪を引いた。
惜別を抱え、この感触も持って行こうと、更に歩みを進める。
決意は前へ促しながらも少し重くて、俯きがちの彼女に、姫奈が声をかけた。
「ほら、笑顔笑顔♪ ‥‥亡くなった彼もきっと、貴女の笑顔が一番見たかったはずだよ」
少し、息の抜ける気配がする。
まだ少し涙に濡れていたけど、彼女は「はい」と応え、確かに笑った。
「‥‥墓参りで、区切りをつける事は出来たのか?」
朔夜の問いかけに、依頼人は少し考えこむ。
伝える言葉を探し、選びながら。
「多分、何があっても、これから私に別の好きな人が出来たとしても‥‥、
私にとって彼が大切であることは、一生変わらないんだと思います」
彼女は、自分がどう在りたいのか確かめたかった。だから、その答えを口にする。
「色々、難しい事も考えたんですけど。‥‥最後にはそれでいいんだ、って」
思いは過去にあっても揺るぐことはない、自らの誓いは、自分の中にずっと存在し続けられると、今は思えた。
「彼は、私に大切な感情をいっぱいくれた人。
それは変わらず、代われず、私の中で常に唯一として‥‥ずっと生き続けます」
暫し、誰も何か言うことはなかったけれど、満ちるのはほっとしたような、安堵の空気だった。
「うんうん、楽しかったと思えるもんがあるならいいんじゃねー?」
架の言葉に、彼女が重ねて頷く。帰り道を先行するのだと架が言えば、彼女は僅か感謝の笑みを浮かべて見送った。
「そう、ですねぇ‥‥また気が沈むような事があったら、女性に優しい男性が、クレハさんのお友達にいますから‥‥」
考え込みながら、宗太郎がにやりとした笑顔を浮かべる。
話を振られたクレハは、誰なのか考える事もなく、くすりと頷いて笑った。
「そうですわね、貴女が望むのなら‥‥必ず」
たもとで口元を覆って笑う。どうせまた訪れる事はあるのだから、その時は顔を見せてくれと、クレハは気軽な約束を告げた。
「ええ、皆様に依頼をしてよかったと、そう思いますの」
帰り道にて、クレハはそんな事を言っていた。
今回は限りなく、理想的な終え方を出来たと。
「伸ばした手は私じゃ力不足ですから‥‥でも、躊躇いたくはありませんの。助けられるなら‥‥助けたい」