●リプレイ本文
紅蓮の色は、何度も見た。
破滅を告げる色、終末に近づく光景。
吐き気がするほどに馴染み深く、自らの前で何度も上演された。
全てが過ぎ去った今でも――まだ、こんなにも生々しい。
●道の重さ
布の感触が、肌を優しく包む。
覆うような安穩が、休息を促してくる。
精神に空白が出来れば、過去を振り返ってしまうのは人の性か。
記憶が光景を形作り、ありもしない『或いは』を幻覚として見せる。
ゼンラー(
gb8572)に限れば、歩いてきた道は後悔より、未練に近い。
回想は感傷を生む。嘆きは口の端に上がらぬものの、ゆるりと沁み、懸想として思考を占めていく。
得た思いが刻まれていく、それは時に息を詰まらせるけど、大切な重みがあった。
自分を形作る過去は、今も鮮明に思い出す事が出来た。
投げかけられる声、向けられる思い。
恍惚の群衆に取り巻かれて、すまないという思いだけが募る。
言い訳など、ありはしない。勇気がありふれている訳でもないから、直視するにも逡巡があった。
逃げる事はないだろう、ただ、やるせなさが付きまとう。
ゼンラーは彼らを見捨てたのだと、取り返しようのない事実を再び噛み締めた。
忘れるなと、叫びをぶつけてきた強化人間がいた。
生を求めた、余りにも純粋すぎる思いから来ていて。正悪の葛藤の中、彼我を画したのは力だった。
結論が出たわけではない。
戦いは杠葉 凛生(
gb6638)に軋みを加え、ゼンラーには残留する悲しみと、僅かな共感を残していた。
向き合い、否定を告げた。自分はそうしたくない、でも、その痛みはわかるのだと。
答えの出ない問い掛け、募るばかりの悲しみ。あれからも血は流れ続け、振り返る道は点々と赤く染まったままだ。
戦いも勝利も救いに触れる事はなくて、手にしきれないとなれば、その端から零れていってしまう。
道から外れた亡者たち、ざわつきに似た怨嗟。
重みが胸に沈む。忘れない、忘れないだろう。
だからゼンラーはこのような夢を見る、全てを忘れず、何度でも記憶するために。
●――そして。
処理しきれない思考は、行き場をなくした激情を生む。
戸惑いを孕みながら、留めきれない激しさが軋みとなって自身を責め立てる。
何も考えず、憎悪のままに生きられるならどれほどよかっただろう。嘆きは心を揺さぶって、あろう事に腕を鈍らせる。
迷いであると理解して、凛生は嫌悪と隔意を抱いていた。
考えなければ、戦闘に影響せずに済むのだ。何を顧みる必要があるのだろう、自分はただ奴らを殺し尽くせばいいのだから。
あの日、無慈悲な死が自分を壊した。
許されたなら、奪わないでくれと、そう叫んでいたかもしれない。
だから、彼らを見たときに戸惑いを覚えた。愛する人を喪い、発される怒りと嘆きは自身の傷をそのまま呼び起こしたから。
戦いを、何度も繰り返してきた。
命を奪い、血を流し、傷つけあいながら、感情の迸るままに戦ってきた。
綺麗な身であると、語れる筈もない。
顧みれないほどに亀裂は深くて、熱と血潮が引いた後には空虚しか残らなかった。
バグアは、感情を持つものとして人と呼べるのか。
ならば――それを殺める能力者たちは?
気づけぬほどに気づきたくない、遠く遠まわしな自責。
本当に許せないのは――ああ、言わなくても理解している。
「生きる事は意思する事だよぅ」
ゼンラーの言葉に、凛生は竦む思いを得ていた。
命に意思がある事を端的に表され、向きあわなかった畏れを突きつけられた気分になった。
「周りを見て、お前さんは本当に生きていると言えるのかい? ‥‥それで、死ねると思っているのかぃ?」
まるで写し身のよう。敵に向けられた言葉は、そのまま凛生に突き刺さる。
それしか出来ないのだと、否定するのは簡単だった。
「‥‥――」
言葉を出そうとすると、表情が悼みに歪む。
自分が――自分までが、道を見失っていると、認めるには憚られた。
映像のない悪夢は、墜落の形で凛生の意識を引き戻す。
強張る呼吸が漏れ、弱々しい抵抗の意思をもたげさせた。
歪んでいる事も、罪を重ねている事も当に承知済みだった。
真っ当に生を終えるなど考えてはいない、ただ、その形でしか喪失を埋めることが出来ないだけ。
何も出来なかったなんて、認めたくはない。
取り返せない罪があるから、これ以上汚れても構わないとすら思っていた。
「‥‥‥‥」
吐息が漏れる。忘れられない言葉が、心に小さなトゲを残す。
自分の意思など、意識して考えないようにした。
死の道から後戻りする事など出来ない、殺し合いに果てるのが、自分にふさわしいのだろうから。
●終末の丘
夢の始まりは、断じて気持ちのいいものではない。
知覚が形を持ち始め、御影・朔夜(
ga0240)の意識がゆっくりと沈んでいく。
夕焼け色の天空、朧な街並み。
紅蓮に荒廃した世界を目に、またか、という諦観が浮かぶ。
見ないでもわかる呻きの気配、聴覚を埋める喧騒。瓦礫に周囲を囲まれながら、タバコを口元へ運ぶ。
『――‥‥』
笑みの気配に、手を止めた。
覚えのある悪意が、まっすぐに自分へと向けられていた。
視線を上げた先には、身を揺らすピエロがいる。筆を弄ぶ道化師《トリック・スター》が、笑みを向けている。
佇む姿よりも、持っている筆《ソレ》を認識して心臓が鷲掴みにされた。
映像がノイズ混じりにブレる、姿が《彼/彼女》の笑みにすり替わる。
悪夢をまとった《道化師》。
揺れる姿が消える、現れたのは口づけしそうな程に近く、自分のそばで。
――ああ。
《誰か》の唇が動く。言葉は聞き取れず、口が三日月に歪んで哂う。
姿が消え、何かが落ちた。筆かと思えば、消えた場所には金のブレスレットが落ちていて、反射的に手首を探れば、嫌な予感が何もない腕を探り当てた。
――だから、この光景はこんなにも殺意を促す声で再生される。
『これは、貴方の悪夢だ』
グラつく意識を強い殺意で屈服させる、喉に手をかけられたような冷たさは消えない、そんな中で、過去の幻影が迫ってくる。
見えているのが《道化師》なのか、《彼/彼女》なのかは最早判然としない、手には銃の感触、意識は《落としもの》を求めていて、身体は迫る敵に向き合うべきだと苦しく告げる。
《誰か》の口元だけが薄い笑みとして向けられている。
それでいいのだと、突き放す笑み。つい最近、向けられたドロドロとした悪意。
『そう、それでいい』
――お前の差し金か。
意識が繋がれば、ひたすらに苛立ちが募った。
苛立ち、苛立ち、苛立ち。この光景は何度も見た。こいつらは何度も殺した、何度も付きまとってくる。
無念だと伸ばされる腕、奈落へ引きずりこもうとする呼び声。
一度殺した人間たち、能力者になった前も後も、力のあるなしに関わらず殺し尽くしたあらゆるもの。
指揮者のように道化師が立つ、この悪意は――お前か。
日差し、白い町並み、美術館。
見せられる映像に息が詰まる、《誰か》は笑んだままだ。
奈落が近い、殺意が身に迫る。殺す、更に殺して屍を重ねた。
『傲慢な貴方。平穏を知りながら、そこから逃げ出した』
既知の光景に混ざる異音《ノイズ》。
言葉がすり抜け、重ねるような重さになる。
はるか昔、沈んだ記憶。惹かれるように未知を求め、求めた先、全て認めるが故に、日常を壊した。
壊した後、未知は既知に変わったけど、それでも求め続けて、その先々で、あらゆるものを壊し続けた。
『逃げて、壊した。これで二回目』
安寧を求めていた、微睡みを好んでいた。
求める方法は、いつしか殺戮にすり替わっていた。
殺して、終わらない程殺して、息が詰まるほどに殺した結果、望みは手段ごと屍の中で埋没した。
望むが故に殺してしまう、鮮烈さは渇望に似て、爪牙は触れる対象を傷つける。
『貴方は、矛盾だらけだ』
何故手を伸ばしているのか分からない、道化師に手が届いて。
倒れた白い女を掴んでいた。
「――――」
目覚めは最悪だった。
思い返そうとすると息が詰まる、光景がフラッシュバックし、傷めた体が血を吐き出す。
痺れるような思考のノイズ、体の痛み、倦怠。
意識は酔ったように揺れていて、殺戮の感触が既知感を募らせていた。
「‥‥くだらない」
知っている、全て知っているのだ。
●すり抜けた
景色がぼやけて見えるのは、眩しいからかもしれない。
にじんで見えるほどの幸せ、大切な大切な――大切だった、過去。
まどろみは、楽(
gb8064)に平和を錯覚させる。過去と現在がすり変わり、楽な仕事だったと、思考に楽しさがこみ上げてくる。
つまらないと、吐き捨てるだけの余裕があった。
ただの『オシオキ』。
触れていた危うさが、身を焦がすものだと気づかなかったのが今も悔やまれる。
――大丈夫だって。
大した事ないんだって、思っていた。
かつて告げられた言葉が今は泣きそうなほどに痛い、でもそれは『今』の話だから、『過去』に伝える事は出来ないのだ。
硝子に閉じ込められた世界であるかの様。触れる感触はひたすらに冷たくて醒めていて、隔絶されているからこそ届きもしない。
薄い閉塞感、手にするアルコールが頭を酔わせる。
引き伸ばされる静寂の時間、揺らぐタバコの煙。黒服の男たちが、仕事を自分に任せた理由は‥‥あぁ。
「もう、やんちゃはしない‥‥約束、ね?」
言葉が心に突き刺さる。
息が詰まり、風が取り巻くように強く吹きつける。安請け合いの記憶による苦々しさ、傍らを走り抜ける車、意識を攫われるままに振り向いた。
驚きは思考に追いつかない、思い返すのは追われているという焦燥感。
並ぶ建物が自分を圧倒する、身長を超えて覆う影は、ただ自分の無力さを煽った。
――待て。
思いが声にならないのは夢故か、もどかしさに苦しみを覚え、走りだす。
視界が揺れる、言葉は届かない。思いだけが募り、何度も叫ぼうとしているのに形に出来ない。
銃口を向けてくる姿が見える。今と昔がひっくり返って、焦燥感の境界が曖昧になる。
追え、来るな、いや、違うんだ――。
つんざく銃声に息が詰まった。自分の必死さを思い出して、失敗した記憶に泣きそうになる。
かつての自分にすら、拒絶されていた。
ならば、この後は――。
バイクが滑走して止まる、焦りが染みるようで、しかし一向に起動しないエンジンに終焉を理解する。
追っていた自分は、もういない。
だから――墜落した。
「‥‥‥‥」
また、戻ってきた。
揺らぐタバコの煙、氷を奏でるアルコールのグラス。
心は痛む、息がひたすらに苦しい。
変わらない過去、変えられない過去。心を突き刺すほどに痛くて、忘れられず付き添ってくる悪夢。
掌が震え、力が入れられない。無力を象徴したかのようで、一人苦しみを飲み込んだ。
何も変わっていないのだと、無力感が失望に変わる。拒絶された自責が、お前もあいつらと同じだと突き立てる。
悼みは、怯えを植えつけていた。
幸福に手を伸ばす事は二度とないだろう、そこにあるのは、変わることない喪失だけなのだから。
●赤い、赤い
『‥‥202号室前到着。任務開始します』
大人に教え込まれた手順を、機械的に繰り返す。
自分の目線は今よりもかなり低くて、それは自分が成長期の訪れていない子どもであることを表していた。
見上げる天井は高くて広い、いい家だなと幼い思考で無機質に思う。
――キリル・シューキン(
gb2765)、当時12才。自意識はあって思考もするけど、規範や環境からは抜け出しきれない時期。
だからどうっていう訳じゃない、現実は人それぞれに重いのだから。
目標は民間組織と政府の癒着を嗅ぎまわる弁護士一家。
黒服の大人たちと共に家前に立ち、叩き込まれた訓練のまま、大人に追従して静かに侵入する。
合図は目線のみ、余計な事はせず、ただ任務に集中しろと教えられていた。
――それしか知らない、というのもあった。
それでも、それが全てだった以上、そこは自分を形作る記憶の多くを占めていた。
目標は、一階にいない。
二階に上がり、手分けして屋内を捜索する。
程なくして、夫婦の寝室から響く僅かな物音と閃光。初期にはあった緊張も、慣れによって薄れていた。
馬鹿だとしか、思えなかった。
知らなくていい事は世の中に山ほどある、自分ですら、近づいていけない事の分別位は分かっていた。
子供部屋は別にあると聞いていた、だから探さなきゃと思って、異変に気づいた。
開いたトイレのドア。
慣れたはずの緊張が体を支配する、まさか、という考えが真っ先に思考を埋め尽くす。
子供部屋のドアは、慌てて閉められたかのように薄く開いていた。
下は雪だ、飛び降りようとして出来ない高さではない。
逃げられたらまずい、それは『近づいちゃいけない』事の一つだった。
同志たちは待てない、だから自分がやるしかない。
部屋に侵入して気づいたのは、クローゼットに挟まれたパジャマの裾だった。
安心がある、そこならどうあっても逃げられないだろう。
弾薬が薬室に込められる、銃を手に、薄い笑みすら浮かべてクローゼットを引き開ける。
いない。
今度こそ混乱した。
そんな筈はない、『私』は、確かにここで――!!
部屋から飛び出し、夫婦の部屋に向かった。
いる筈の同志たちがいない、ひたすらに静寂で、飲み込まれそうになる。
床が赤い、血、めまいがする、私、こんなの知らな――。
「‥‥‥‥!? ハァーッ! ハァーッ!」
目覚めには混乱がつきまとっていた、焦りがある、それ以上に死を間近にした嫌な感触がこびりついていた。
それは、紛れもない自分。振り払いようもないほどに、ぴったりと合致する自分の意識。
寝室に満ちる静寂が自分を責める、周囲はひたすらに無音で、それは夢の時と同じだった。
――どうしろというのか。
がむしゃらに跳ね起きて、手を冷蔵庫にかけてそのまま引き開けた。
冷たい瓶の感触、液体が喉を詰め、濡れた臓腑を酒が焼く。
「クソッ‥‥何を今更ッ!」
苛立ちは収まらず、冷えた指先が思考を更にぐちゃぐちゃにした。
指が力を持ち、瓶に食い込む感触が硬くて痛い。
物言わず堅いだけのそれが、虚しさを強調して力を抜けさせた。
「クソ‥‥」
時計を見れば、兵舎の人間が起きてくる頃。
取り乱した姿を見られる訳にはいかない。体が命令するままに、取り繕う意識をもたげさせた。