タイトル:【Fall】始は崩落からマスター:音無奏

シナリオ形態: シリーズ
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/12/07 01:55

●オープニング本文


 ‥‥本当、あんな事をいう人じゃなかったのに。
 でも、彼が言ったのはものすごい正論。
 反論する言葉はいくつでも浮かぶけど、多分どれも届かないだろうから、もやもやだけが心に残ってしまった。
 残ったまま、彼は死んでしまった。

 ‥‥正義で人は守れない、って。どうしてそんなことを言うの?

 ::

「で、中尉。あれはなんなんですか」
「女の方か? それとも男の方?」

 ‥‥事の始まりはやや日時を遡る。バルカン半島にあるUPCの支部にて、バグアの襲撃と思われる戦闘で欠員が発生した。
 戦闘員の半分以上がごっそり死亡し、UPCとの間で人員調整をする間、暫定的な護衛として傭兵たちがあてがわれる手筈が整った。
 襲撃者はまだ討伐されていない。いずれ討伐へ持ち込まれるだろうが、今はUPC支部の機能を維持する事が優先とされているため、傭兵たちは支部内待機とされた。
「キメラと思われる、ね」
「人間業でないのは確かですよ、トーストにぶちまけたジャムのようになっていたって話ですから」
 続く話に、士官たちの声色が更に重くなる。

 クラウディアが「男か、女か」と聞き返した今回の任務で顔を合わせた二人。
 片方は二十代後半ほどに見える支部長である女性、名をシレネ。
 もう片方は――戦争の余波で居場所を失い、支部に保護されているという少年、名前をエルと呼ばれていた。

 士官が押し黙ったのはその少年の実物を見た時の話だ。
 灰色の髪、灰色の目。以前の依頼で討伐した、人形キメラの特徴と『とてもよく似ていた』。
「‥‥身体検査、してるんだよな。結果に改ざんの可能性は? 電子魔術師で可能か?」
「無理ですね。すり替えるのならともかく、存在しないものを作り出すのは難易度が高すぎる。
 結果上はれっきとした人間ですよ、彼」
 少し苦みを滲ませてクラウディアが言葉に間を空けた。
 先二度の依頼があるとは言え、直接関係するという証拠はない。ただ特徴が一致するという直感と先例が先んじている状況で、だが警戒心を抱かせるにはそれで十分だった。

「仮に一般人だとします。今はこんな状況ですし、‥‥せめて後方に送った方が良くないですかね」
「‥‥それなんだがな、今後方との連絡がごたついてるんだ。
 もう少し早めに状況がわかれば、来る時に必要な手配をしたんだが――」
 芳しくない口ぶりは現状の厄介さを示している。
 まず、『支部から戦力を割くのは論外』。
 後方から送り迎えを呼ぶことが出来るならそれがいいのだが、そもそも今回の事件に合わせて要請した物資系などの支援がまだ到着していない。
 問い合わせた結果は連絡の行き違い。
 それもかなり明後日の方にぶっ飛んだようで、下手したら手配が付く前にキメラの襲撃が起こって事態がひっくり返りかねない。
 今から呼びつける送り迎えとなれば更に厄介さを増すことは確実だった。此処に車を呼びつけるには護衛が必要で、あらゆる意味で時間がかかる。
 繰り返すが、支部から戦力を割くのは論外なのだ。
「そういえば、ラストホープの方からKV部隊はどうするかって聞かれてますけど」
「んー‥‥今来てもらっても仕方ないな、物資もないし。
 とりあえずラストホープで待機してもらうように‥‥ああ、私から伝えておくよ」
 苦しい話だが、手が空いてるKV部隊に対して、こっちに来て被疑者の少年を確保しろ、なんて命令は下せない。
 事態には規模に応じて動かせる手段というものがある。
 危険が明確に迫っているほどの緊急事態でもなし、賞金首が絡んでいる事件というわけでもないのに、安易にKVを呼びつける訳にはいかなかった。

 ::

「シレネ。‥‥私が送った報告書、読んでくれたと思うんだが」
「あ、うん。把握してるわ、気は‥‥引き締めてるつもり」
 現状把握。接触を試みてきたクラウディアに対し、支部長であるシレネは迷いながらも答えた。
「あいつの素性‥‥」
「‥‥クラウディアも知ってるでしょ? 『あの子に限って』」
「エルが誘拐された事は知ってた。発見はバルカン半島か」
「そう、ぼろぼろで保護されたときに、うわ言で私を呼べって」
 言葉には緊張の間がある。それはクラウディアのエルに対する認識であったり、当時の事を思い返すシレネの口ぶりだったり。
 だが確定しているのは、エルはただ保護されているというだけではなく二人の知り合いで。
 例のキメラの前例があることに対して緊張を持っている。
 『最悪の場合』は誰もが想定しているだろう。クラウディアはとっくに仕事モードだ、だから問題になるのはシレネの覚悟になる。

「仕事は仕事としてこなす。
 ‥‥でもね、一個人として漏らすなら、そうでなければいいな、って私は思ってる。
 握る手が目の前にあるなら、離したくないし、守りたい」
 シレネの答えは、希望《弱さ》を含んだ、それでも覚悟だった。
「ふふ、‥‥でも少し弱気になってるのは本当かな。
 支部長だからね、この前に死んだ人、全部知ってる人たちだったもの。
 交わした言葉とかあって、言いたいこともまだあったのに。‥‥その先を作ることが出来ない、なんてね」
 エルの事、死んだ隊員の事。支部長としての責任があり、あらゆる後悔より先にシレネは支部の現状を建てなおさなければいけない。
 任務を完遂させないと、無くすものが増える一方なのはわかりきっていた。
「護るって、私にとって大切な言葉なの。‥‥無くしたくないもの、っていう意味だから」
 だから、彼女は祈りに似た言葉を、傭兵を含む全員に告げる。
「この支部も、その一つ。後は思い出とか。
 ‥‥私がしっかりしないとね」

 ::

「‥‥今回の内容を確認しよう。
 任務内容は護衛、期間中傭兵は支部周辺から離れるのは禁止。
 支部に居る人員の安全を至上として行動しろ。
 『灰色の髪と目を持ったキメラ』の事は全員知っていて構わない、が、問い詰めてどうにかなるものじゃないから『刺激するな』」
 淡々とクラウディアは要件を読みあげていく。
「行動時間は朝の10時から、支部内ではある程度行動の自由が効く。
 キメラの襲撃も懸念内容だが、支部が全体的に落ち込み気味なのが良くない。
 支部内に適度な接触をとって、万が一の時に動けるようにしておいてくれ。
 非戦闘員もいる、今のところ戦闘員よりやや多いって位か」
 それと、と続けて。
「後方との伝達ミスで物資系は心もとないが、一週間は持つ。
 私は今からそのへんの手配に手をとられるから支部内にはいられない。
 が、気になる事があったら随時伝達して欲しい、連絡は取れるようにしておく」


 そして、どこかで。

 : ――――
 : ――Setup。

●参加者一覧

花=シルエイト(ga0053
17歳・♀・PN
エマ・フリーデン(ga3078
23歳・♀・ER
宗太郎=シルエイト(ga4261
22歳・♂・AA
ラシード・アル・ラハル(ga6190
19歳・♂・JG
御法川 沙雪華(gb5322
19歳・♀・JG
雨ヶ瀬 クレア(gc8201
21歳・♀・ST

●リプレイ本文

 最初に起こったのは、物言いたげな、しかし何も言えないという相反した空気だった。
 これがパニック寸前の非日常なら、まだ引き戻しようもあったかもしれない。
 しかし現実は表面だけでも平静を装われていて、逆に声をかけづらくなる。

「‥‥」
 そんな空気を察しながらも、ラシード・アル・ラハル(ga6190)は淡々と案内を申し出た。
 まずは支部の配置の確認。
 倉庫と訓練所がスペースを取るためか、受ける印象はそこそこの広さがある。
 戦闘員が待機する部屋は各出入り口から比較的近い場所にある。妥当な配置ではあるが、現状を考えるなら内側にも人が必要かもしれないと月森 花(ga0053)は考えを口にした。

 現場は既に片付けられているため、直に様子を見る事は出来ない。
 冬とは言え遺体を吹きさらしには出来なかったのだろう。代わりに見せてもらったのは、鑑識結果と現場写真だった。
「良く解らないんですが、これ‥‥」
「圧殺よ。‥‥『すり潰す』って言ったほうがいいかしら」
 事件の詳細を共有するためなのか、傭兵たちを集めたシレネが宗太郎=シルエイト(ga4261)に答える。
 遺体の状況を見るに、全体的に圧をかけて倒し、そのまま引きずった跡があるらしい。粘土を転がすように、といえば分かりやすいかもしれない。
「人間を潰すとなれば、凶器はそれと同じサイズである必要があるわ。
 そこまで来れば目立つ筈なんだけど、目撃者はいない」
 何らかの隠蔽手段を使ったか。或いはそういう性質の凶器。
「犯人は派手に返り血を浴びてる筈、わざと浴びた節さえある。
 足あとも残ってるんだけど‥‥子供サイズ、だってね」
 全員が沈黙した。

「該当者って、どれくらいいますか?」
「多くはないわね、競合地域近くのUPC支部だもの。民間人がいるのはもっと後ろの方よ」
「事件前に様子がおかしかった人間は?」
「様子がおかしい、とはちょっと違うけど。普段言わないような事を言い出した人なら」
「最初に見つけたのはどなたが」
「強いていうなら、うちの部員。
 帰ってこない上に連絡が取れない、探しにいったら‥‥死んでた」
「当時、エルさんのアリバイは」
「‥‥。一緒にいた人間はいないわ。
 でも、支部内のカメラに姿が映ってる。外に出た記録はないし、支部周辺の映像にも引っかかってないわ」
「事件後の様子はどうでしたか?」
「不安そうだった。‥‥全員がそんな感じだけど」
 御法川 沙雪華(gb5322)の質問にシレネは一つ一つ答えていく。
 が、流石に一息を吐きたくなったのか、暫し会話が途切れた。

 視線を伏せているあたり、精神的に消耗が加わったのだろう。
 用意していたかのように返事は淀みなかったが、下げた眉からは苦渋が見て取れる。
(或いは‥‥そう、まっさきに)
 確認を取ったのは彼女かもしれないと、雨ヶ瀬 クレア(gc8201)は内心で吐息をついた。
 エルに限って、とシレネは言っていたが、人の心はそこまで妄信的には出来ていない。
 自分を騙し続ける事だって限界があったはずだ、ならば彼女は可能な限りで確認を取って、やっとエルは違うという答えに至ったのだろう。
(声をかけたい‥‥ですが)
 それはまだ出来ない。質問は続くのだから。

 現場の痕跡は血痕と足あと以外になし。
 足あとは郊外に向かっていたが、行き先を特定する事は出来なかった。
 様子のおかしかった隊員も、当日の言動以外に怪しいところはない。無論、バグアとの関連が浮き出たりもしない。
 事件についてはこれ以上情報が出てきそうになかったので、傭兵たちは一旦解散して現地把握という話で纏まった。

 何人かが退室し、何人かが残った。
 話を続けたさそうなのが何人かいたものの、アイコンタクトで順番を譲って一人だけを残した。
 解散を待ったのは理由がある。
 全員が集っている状態では、シレネも事務的にしか答えてくれない。
 言うならば建前の色が強い状態で、最悪「クラウディアに聞いて頂戴」で逃げられる可能性もあった。

「遺体は警察が預かってるわ。バグア絡みでも、一応事件だからね」
 葬式をしたいという朧 幸乃(ga3078)に対して、シレネはそんな答えを先にくれた。
 そういう話なら、今すぐ都合をつけるのは難しいだろう。
 支部が暗くなっているのは、未だ死者を引きずっているから。
 区切りをつけさせたいという考えは変わっていなかったが、方法を変える必要がありそうだった。
「‥‥有難うございます」
 方向性を確認出来るのは、いい。
 進む道が見えているのは幸いだと幸乃は心に思った。
「エルさんは、このあとどうなるんですか?」
「‥‥基本的にはクラウディアの判断が優先されるわ。
 今はこういう状況だから仕方ない、いずれ後方に送りたいとは思ってる‥‥けど」
 歯切れの悪さは、状況を察しての事だろう。
 幾ら検査と記録に引っかかってはいないといえ、それで完全潔白が証明される訳でもない。
 信じたいのと、信じてもらえるかは別の話だった。
 最悪、そのまま預からせられるかもしれない。それで『被害が少なくなるのなら』。
 なんとなく幸乃にもわかる気がした。自分がどう思うかはともかく、他人には強要出来ない、巻き込むなんてもってのほか。
「一人にしない方がいいと‥‥思います、何かあった時のためにも」
 気遣いの色が濃いためか、監視のためだととらわれる事はなかった。
「‥‥良くなると、いいですね‥‥」
 どうなるかなんてわからない。でも、そう思うくらいは許されるだろう。

 ::

 ‥‥壁に寄りかかり、宗太郎はふとした物思いから目覚めた。
(いけませんね‥‥)
 頬をつねり、得られる感覚から意識をよりはっきりさせる。
 腕を組み直し、聴覚に集中。
 室内では幸乃が話をしているはずで、自分は外でシレネの警備だった。
 すぐ近くの方が守りやすかったが、話を聞き出すために場を空けるべきだというのは宗太郎にも感じ取れた。同じ仲間が中にいる、ならば任せるべきだろう。
 ‥‥そして一人になって、つい余計な事を考えてしまう。
 覚悟による緊張、過敏になった神経が動悸を強くする。
 考えないようにしようとする空白の中、不安が際立って、それがどうしてかという事を思い知らされる。
 目の前の誰かを守るべきだとは思えるのに。
 その誰かの大切な人を、――――なんて。
 良くない重さを感じてしまった。それを振り払いたく、何かしたくて。
(あ)
 クレアが向かってくる、警備の事は頼めるだろうか。
 歩みを動かし、体が動いた事に少し心の軽さを得て。
(‥‥脳筋)
 それはとても、自分にふさわしいように思えた。

 宗太郎から警備を引き受け、幸乃と交代してクレアはシレネの執務室に入った。
 言葉に間を空け、少し休む時間を挟ませる。きっと、今までの疲労は並大抵じゃないだろうと思えたから。
「‥‥言いたい事がまだあった、って、凄い心残りに思えたの」
 少しして、シレネはそんな話を始めた。
 相槌以外にクレアは言葉を挟まない、何もなくなるまで、全て吐き出してしまえばいい。
「喧嘩をしたり、とかね。それだけ強く関わったっていうことで――」
 それまでは本当に意識したことなんてなかったのに、とシレネは顔を伏せる。
「‥‥護りたいものが、まだあるんですね」
 抱きしめるようなクレアの言葉の色合いは、羨望から来ているのだろう。
 それはきっと大切なもの。
「――ええ」
 思いつめた言葉があり。
「二回目は、絶対に‥‥させない」

 ::

「ふむ‥‥」
 通信室。クラウディアが沙雪華に応える一言目は、苦笑を帯びていた。
「貴殿は物資の混乱が意図的なものじゃないかって疑ってる訳だ」
「‥‥はい」
 沙雪華が頷く、それを待ってから中尉は言葉を続け。
「物資を要請したのは私だ、実行は事務員だったと思うが」
 そもそも意図かミスか、検証しようがないのが彼女が苦笑する理由だった。
 言い逃れは出来る、決め手にはならないだろうと。
「内通者を追っても仕方ないな、仮にいても捨て駒の可能性が高い」
「人為的な可能性は否定しないんですか?」
「しない。私だって『どうしてそうなる』って思ったしな」
 クラウディアに備えをさせては困る何者かがいるということ。
 でもな、と彼女は首をかしげて。
「備えがないのはきついが、この程度で終わるなら『詰めが甘い』と言わざるを得ないぞ?」
 続きがまだあって、からくりと犯人の目的があるのだろう。
 準備が出来ない、備えが出来ない。クラウディアは――始まる前に何と言っていたか。

 クラウディアとエルの関係は、同じ地方の出身らしい。依頼前の口ぶりから察するに、シレネもそこに含まれているのだろう。
 質問も早々に、通信は花の方へと切り替わる。

「灰色の子供《キメラ》を処分した理由か」
 それは――
「痛かろうが憎かろうが、被害をまき散らして良い訳じゃない。そもそも私に認めてやる義理がない」
 中尉の返答は至極ドライだった。大体、と彼女は付け足して。
「殺すのに理由は必要か?」
 短い言葉は、直接花の奥深くを突き刺した。
「それは‥‥」
 今は覚醒していない。――だからもう一人の声なんて聞こえない。
 でも心がざわついて、とっさに続ける言葉を探し出せなくなる。
「可能性もないのに安易に助けようなんて思わない。
 存在からして気分が悪いのに、研究所に実験体として引き渡したくはない、とかだ」
 渡すならねずみとかの方がいい、と呟く。それは、敢えてエゴを見せているようにも思えた。

 ::

(警備か‥‥)
 考えが安易に口に出ないように、ラスは口元に指を当てて思考を巡らせはじめた。
 支部は守りやすい部類に入るだろう。
 一般人の区画は奥にあり、配置を考えても容易に敵が辿りつけるとは思えない。
 ならば、内側が死角になりやすい。花が言うように、支部の不安を差っ引いてもそこを空けるのは避けるべきだと思えた。

 ‥‥葬式の代わりに行われたのは、殉職した隊員たちの遺品整理だった。
 正直、気の重さは半端じゃない。
 でもこれを済ませてしまえば「終わった」という感覚が心に区切りを付けさせる筈だから、幸乃は支部の人たちを促して回っていた。
 自分たちに出来そうな事も、この位だ。言ってしまえば、支部内にけが人は全くといっていいほどになかった。
 残った人間は傷一つつかず、ただ隣人の生命だけがごっそりと抜け落ちている。
 綺麗な仕事だ、はっきりしすぎた白と黒。現実感のなさに不安がはびこる。
(‥‥自分もこんな風に、いつの間にかなくなってしまうんじゃないかって‥‥)

 幸乃の行動を、花は半端感心しながら見ていた。
 動こうと励ますのではなく、無理にでも動かして余計な考えを頭から追いだしてしまう。
 後は勝手にいつもの生活を取り戻していくだろう、今は見た目が普通でも、心まで戻ってきていない状態だから。
(物資‥‥届いてないんだよなぁ)
 人員も後になるに違いない、ならば自分は警備に専念した方がいいだろう。見回りをして、在庫の確認とかがいいだろうか。
 どこに人を集めて、有事にどう動けばいいのかって決めておけば楽になるかもしれない。
 ふわふわしていると人間は動けなくなってしまう、ある程度指針ははっきりさせるべきように思えた。

 エルはどこかと花が聞けば、図書室か休憩室にいるだろうとの返答が返る。
 割合自由に動けるらしく、特に人を避ける素振りもないようだ。
「僕が行ってくる」
 ラスがそう言って抜けた。警備には幸乃と花がいれば十分だろう。

 ‥‥一目見て、薄いと感じた。
 白い雪か、灰色のウールを積もらせたかのよう。
 最初こそ戸惑いを見せたが、自分の役割を告げるラスに対し、エルは微笑みを向けてくれた。
 思っていたのとちょっと違うとラスは感想を抱く。他の人達に比べて、エルはかなり落ち着いていた。

 暫くの間、他愛のない話をした。
 何を聞けばいいものかと相手が悩む場面もあったが、ここでの生活はどうなのかと話し、予想外にも、逃げてきた日の事まで話してくれた。
 といってもまともな記憶はなく、抱いていたのは、多くの子供と逃げなくてはいけないというイメージだけだった。

 宗太郎が来て、ラスは場を譲る。
 彼が持ってきたビーフシチューを前に、エルは目を丸くしながらはふはふしていた。
 内緒ですよ? と声を落とす宗太郎に、エルはおかしそうにくすくすと笑う。
 少し寂しそうな、宗太郎の横顔が印象的だった。まるで叶わないだろう願いを見つめているように。
 ‥‥その光景を最後に扉を閉じ、ラスは再び意識を切り替えた。

 ドア一枚閉めただけなのに、思い込むと遠くに感じてしまう。
 溢れる記憶は様々にあった。双子座と戦い、腐敗の少女と戦って。
 記憶を遡る最後には、失った後に取った手へたどり着いた。
 彼らとの違いはなんだろうと記憶をまた振り返る。そして行きかけた向こう側を思いそうになるのを、強く否定した。

 ラスが向かうはシレネの部屋、質問ならまだ残っていた。
 交代を告げると丁度良かったとばかりにクレアは快諾した。
 何かしたいことがあるのか、と問えば、現場に行きたいのだと少し弾んだ笑みを向けられる。

 シレネ達が同じ出自である事は、シレネからも教えてもらった。
 ただ、シレネが語る口ぶりは重く、何か思う所があるのかもしれない。
「エルの髪と目は、前から?」
「ううん‥‥薄い茶髪と青の目だった。本人も言われてから気づいたみたい」
 保護された時、エルはぼろぼろで半端追い詰められているかの様相だった。
 支部での扱いは『傷を持った子供』という所で、比較的優しく接されている。
「じゃあ、最後に。エル‥‥何歳なの?」
「‥‥クラウディアよりちょっと下。
 19になる筈‥‥なんだけど」
 ないな、とラスは短く結論した。
 あれはどう見ても10代半端、栄養不良だのそういう範囲を超えている。

 ただ、それならそれで気がかりはあった。
 エルからは血の気配なんて感じない。正真正銘、真っ白のように感じた。
 だからこそ違和感を覚える、まるで――仕組まれているかのように。

 食器を片付け、宗太郎は洗い物をする。
 類似したキメラの出現は、LHに登録された二件以外にないと中尉は通信で言っていた。
 水道から流れる水音が、意識にノイズをかける。
 敵の目標はシレネだ、その事に宗太郎は嫌な確信を持っていた。
 何故かって‥‥『エルが呼んだのだから』。

 事件が起きただろう現場にたどり着き、クレアは体を大気に委ねる。
 風を一身に受けるように、思いを腕に招くように。
 形は最早ないけど、ここは人の最期が残った場所。手に持った花を道端に添え、瞳を閉じて黙祷を捧げた。
 無念が痛ましく、愛おしい。
 死の間際は、何よりも強い思いが残る筈だとクレアには感じ取れた。
「‥‥一緒に頑張りましょう。その人達の分も」

 そして、夜になった。