●オープニング本文
前回のリプレイを見る「お前の嫌いな“不特定多数”だぞ。‥‥邪魔しないんだな」
「‥‥怒りってぶつけると虚しくなりますから。勝手に死ぬか、燻ってる位で丁度いいです」
ジャックさんだってそうでしょう、とまでは口にしなかった。
言ったら喜ぶだろうがそのお礼で多分殺される。
エルにとって死ぬのはそう遠くない時間の問題だったし、最大目的は既に終わっていたけれど、その前にもう一つだけやりたいことがあったから今すぐそれを踏みに行くつもりはなかった。
――いや、ちょっと違うのかな。
言葉の途切れた観客席でエルは先ほどの感想を少し思い直す。
この人の存在は表裏一体。
力が護ってくれるかもしれない事を踏まえつつ、しかし殺す事も出来るんだって忘れるなと見せつけてくる、両面の刃だ。
だから彼はきっとぶつける事を虚しいだなんて思う事はない。
彼はきっと理想も幻想も嫌いだろう。それを否定するためなら積極的に何もかも壊しに来る。
力の行き着いた闇の末路。その在り方は、きっと英雄と真逆の位置にある。
「イヴさんは?」
「なんかユズ《クソガキ》が気になるとよ」
ならばこの場にはもういないのかもしれない。
「‥‥ところでジャックさん、一つ聞きたい事があったんですが」
「なんだ?」
「僕――いえ、僕のこの体が誘拐された時の話です。
偽物には覚えてないって風に仕込みました。僕は、記憶の損壊が酷いので余りはっきりとは見えないのですが――」
「この体を誘拐した誰かについて、ジャックさんは何か知ってるんじゃないですか?」
「――――。知りたいのか?」
「一応体の敵ですから。‥‥それも、バグアじゃなくて、人間だったと思います」
::
それが一時間ほど前、見物をしながら交わされていた話。
二人が見物を終えた今、先程まで戦場だった場所には血がぶちまけられ、澱んだ空気の中腐敗した死体が骨を晒していた。
異様な気配はエルを中心としている。
誰かが彼を引き離せと叫んで、直後爆発音と共に、土煙が広がった。
それを突き破ってエルが後ろに着地する、先ほどまで立っていた地点には、傭兵たちが放った弾頭矢によるものだと思わしき、クレーターが広がっていた。
「‥‥乱暴な手段ですね、気持ちはわからなくもないですが」
腐敗の能力は血肉を腐らせる。
傷口を持つなら腐敗は一瞬、そうでなくても範囲内の人間は徐々に侵されていく。
ならば非戦闘員の範囲に置いておきたくないのは当然だ、それが解っているから、エルも今はそれ以上近づく事をしなかった。
「お前の能力は‥‥なんだ?」
「‥‥。『アタッチメント』ですよ、他の子の能力を自分に付与する能力です。強すぎる力だから実験段階でこの体は一度死んだんですが」
一度死んだが、実験は成功したために素体は残された。
それがエルの全貌、一度殺されて、その体と記憶をバグアが操っている。
字面だけ見れば圧倒的な能力だろう、その力があれば理論上なんでも出来るのではないか、と問いかけられれば、エルは少し沈黙を挟んで「いえ」と否定を示した。
口を噤むあたり、余り口にしたくないことなのだろう。しかし後ろめたく思う様子はないから、彼にとって困るべき点ではないのかもしれない。
エルが静かに構えを取る、目線は傭兵たちではなく、その後方――非戦闘員が隠れているだろう、バリケードの方に向けられていた。
「‥‥そっちのやる気はないと思ってたが」
「気が変わらなくもないです、‥‥人間は相変わらず下衆でどうしようもなくて、どっちかといえばやっぱり嫌いなので」
::
「他の能力を使える能力、か。『腐敗』だけじゃなくて『反射』も使えるかもな」
「中尉‥‥」
「すまない、遅くなった」
余り相手の気を引きたくはなかったのだろう。
極力物音を立てずに到着したと思われるクラウディアが、後方、抑えたトーンで曹長と状況確認の言葉を交わす。
「行き着くべきところまで行き着いた、といった感じだな‥‥」
「‥‥ひと通り掃討はしましたが、取りこぼしがあるかもしれません。
中尉、あの『腐敗』の能力ですが‥‥」
「能力の有効範囲は100mくらいか?
一人目と違って自動発動ではないようだが、その分広いな‥‥『反射』があると仮定すると厄介な相手だ」
反射は傷を跳ね返す能力、腐敗は傷を腐らせる能力。
火力系の傭兵にとっては最悪の相手と言っていい。自動発動でない点に隙があるから、傷が深くなったら能力発動の前に即下がるべきだろう。
「回復抜きで戦う事は出来ないな。
護衛は私が引き継ごう、バックアップをしてこい」
「わかりました。‥‥しかしあの子、こっちに興味はなさそうだったのに、気が変わった、ですか」
「‥‥嫌な話でも聞かされたんじゃないのか」
「心当たりでも」
「いや‥‥実際嫌な話ばかりだよ。でも、悪いが証拠がない。迂闊な事は言えないんだ」
●リプレイ本文
「一つだけ『言い訳』させてくれ」
宗太郎=シルエイト(
ga4261)が進み出るのに、エルは静かに視線を向けた。
非難される事は恐れていない、前提からして最早お互いの我儘だ。
でも、それでも言うのならば、自分は救わなかったのではなく救えなかったのだと宗太郎は静かに告げた。
――シレネの思想は強烈すぎた。そして、事態の進行はあっという間だった。
「ええ、わかってます。あれはそういう人だし――僕にも出来なかった」
シレネを救えなかった事は最初から責めていない。
出来れば居場所があって欲しいと、身勝手な願いを抱いてはいたけれど、それが叶わなかった所でただ予定通りの事をするだけだった。
――どう転がっても自分は居場所を作る側になりえない、なのにそれを僕にやれというのは酷すぎたのだと苦笑する一方で、これではまるで責任の押し付け合いなのだと、エルは行き場を失ったため息をこぼした。
「シレネの手を掴めていたら、よりいい結果になったと思うか?」
「‥‥いえ。この世界は終わっている」
「そうか、俺はそう思わネェ」
思いを護ると決めた以上、思いを諦めたエルを認められる筈もない。
ゴーグルを外して、腕輪も指輪もまとめて外すと後方に投げ捨てる。
手指が髪留め紐を引きかけるが、少しの逡巡の後、もう一度結び直した。
それは託された思いの形、護ると決めた思いの象徴。ならばこれは身から離さずに置こう。
――何もかも予定通りだった、というのが気に食わない。
何も出来なかったのだと言われているようで、でも、足を止めてしまったのも事実なのだとラシード・アル・ラハル(
ga6190)は悔恨を息にして吐き出した。
いい結果にはならなかったとエルは言うけれど、それが足を止める理由になるとは思えない。
無意味でも自己満足でも、自分のしたいことを出来なかったより、よほどマシなはずだった。
「救いを求めていた訳ではありません」
「わかってる」
そんな問答が意味を成さない事も。
原風景だけがフラッシュバックしていた。
土埃を孕む閉塞した空気、あの日、痛みに抗って、瓦礫を押しのけようとすれば手は熱を帯びた。
痛みも緊張も思考を純化する。高揚を感じる質ではないけれど。
「‥‥お前が強敵そうで、良かった」
せめて、ここから先は足を止めませんように。
「‥‥最後だね、エル」
「はい、生ぬるい偽善より、敵意の方が清々しい」
立ち位置の違いが、行き着いた先がこれなのだろう。
少しだけ視線を伏せて、月森 花(
ga0053)が金色の眼を上げた。
“切り替え”を終えたボクに迷いはなかった。そう、ボクは容赦なくそれを一蹴出来る、くだらないとすら、口にして――。
――光が踊る。
それは武器の太刀筋であったり、風になびき、身体の動きによって振り回される銀髪の輝きであった。
――それは詰まらない戦いだったと、聞いたことがある。
一度も目を合わせてくれないまま、その人はその一言だけを、心底どうでもよさそうに、だからこそ許しがたいとばかりに吐き捨てた。
だから詳細なんて知らない、ただ、想像はしてもいいのだろうか。
彼らからは――確かに終末の臭いしかしない。
「はぁ―――!!」
マキナ・ベルヴェルク(
gc8468)が重く吐き出した気合の先で、武装同士が重低音を立ててぶつかり合った。
弾かれた反動は感じない、反射能力によって血を噴き、明後日の方向へ飛びそうになる腕を、強引に引き戻す。
ただ、もどかしさだけがある。真綿で首を締められるかのような焦燥感、実感を得られないが故に、ブレーキはかからない。
‥‥先がない、というのは恐ろしい事なのだろうか。
漠然と思うものの、離人感故に確信が得られない。ただ、道を貫き通せないことだけは避けたかった。
「っつ‥‥」
ダメージが反射され、身を切る痛みによって、ラスの意識が一瞬とびかける。
失血で乱された血潮が鼓動を増大させ、その分思考が急速に冷えていく。
生きている、生きている。
未だ響き続ける鼓動はそう強く主張しているかのようで、戦いによる鮮烈な実感は、それを全身に染み渡らせた。
「‥‥そう、僕は生きている」
思えばいっそ喜びすらあり、ならばいいじゃないかと、笑みすら浮かぶ。
進もう。そう意志を固めて顔を上げると、視線の先には、やはり負傷したエルが同じように笑っていた。
エルが血を流すのは肘の外側、確か内側を狙ったはずだが、流石に逸らされていた。
一瞬だけ笑みに気を取られたが、流石にその意図まで察する時間はなかった。相手はすぐにマキナとの攻防によってその姿を踊らせる。
「‥‥苦痛耐性は高いですよ、僕」
ただ一言だけ、理由までは口にすることなく。
瞬時に巡る思考の中、確かにその通りのようだと、ラスは結論付けた。
ダメージが伝わってない訳でもないのだが、それが自分の受けた反射より過剰という様子もない。
改造を受けた四人の子供の内、発狂二名、死亡一名、イヴの状態は不詳だが何もないという事はまずないだろう。
つまり、そこに行き着くまで耐えた何かがあった。明確に殺害を目的としなければ人間はそう簡単に死なない、その理由はとても皮肉的で、残酷だった。
前線が交代した瞬間、エルも戦い方を切り替えた。
花の武器から相性を察したのだろう、大きく距離を取り、自身も片手分の銃を抜く。
撃ち合いする二人を大きく迂回し、バックステップで間合いを空けたエルを宗太郎が追い詰める。
取っ組み合いのクロスレンジ、両手で挑む宗太郎に対して、エルは片手分でしか応じる事は出来ない。
組み付きは体術で避け、花の射撃は宗太郎を牽制にして避ける。追いかけっこのようなにらみ合いは、エルの腕を宗太郎が掴み、それを力技で押し返される事によって膠着した。
改造を受けているだけある、とても子供の筋力だとは思えない。
「我儘同士、子供の喧嘩だ。銃は無粋だぜ?」
「‥‥生き残るためです、感傷を挟むつもりはありませんよ」
言い訳のような返答を、宗太郎は鼻で笑い飛ばした。そんなものとっくに挟みまくってるだろうし。
「それならそもそも此処で戦っていないだろうが‥‥!」
とっくにわかっていた。我儘は譲れなくて、捨てられないものがあって‥‥そして、こいつが生きる事に関して、そんなに強く執着していない事も。
掴んだ腕を放し、同時にヘッドバッドを見舞って相手との距離を離す。
一瞬開いた間を使って槍を抜き、地を蹴って回り込んだ。
「筋合いなんて知るか! 守りたい想いがあっただけだ!」
出来なかったことくらい幾らでもある、失敗したから引けと言われて飲める筈もない。
『正義』なんて要するに我儘の代名詞なのだろう、それがぶつかり合うなら、行き着くところまで行くしかない。
重さに任せて振り下ろされる槍を、エルの腕がガードした。
衝撃分が反射されたのだろう、重く鈍い衝撃が宗太郎の肩を打ち。
腐敗が広がった。
「まずっ‥‥」
声はリエルと花が同時に上げた。
タイミングを調整された、回復を挟む隙がない。
「リエルさん、頼んだ!」
花が選択したのは、回復の手を早める事ではなく、自ら刀を抜いて宗太郎と交代することだった。
割り込もうとする花に、エルが牽制の当て身をしてくる。それを一度下がって回避し、今度はスキルを使って宗太郎とエルの間に割り込んだ。
向こうはこっちを相手するつもりはないようだが、そうは行かない。
行動力に余裕を残しつつも相手の行動を遮る事に専念し、何度かの打ち合いをしつつ、状況にも気を配る。
「‥‥あれ?」
唐突に、違和感を抱いた。
エルの顔色が悪い。
ここまでの交戦で、エルだって当然それなりの傷を受けている。
失血があり、疲労があるのは当然だろう。だが――そうじゃなくて、なんか。
ラスが考えこむのは僅か一瞬、以前戦った、この腐敗能力の持ち主とエル、何が違うのか――。
「‥‥! 腐敗はエル自身にも作用するんだ‥‥!」
傭兵たちほど進行は早くないものの、能力は確かにじわじわとエルにも効果を及ぼしている。
それは、エルがこの能力を使うための素体でないせいか。
じゃあ何故その能力をつけたのか、っという疑問の答えは簡単に出た。――だって、エルはかつての実験体だから。
そんな能力、せめて使わなければいいものを――。
「‥‥自分がいるからではないかと」
疑問には、リエルが静かに答えた。
多数対一、しかも回復つきとなれば戦いは圧倒的にエルが不利だ。ならば相打ち覚悟でも能力を使う事は選択肢に入ってくる。
それも無駄打ちではなく、確実に傭兵達の命を断ってくるタイミングで行使するだろう。
「後はまぁ‥‥」
あるだろうか、仲間の能力であるという、感傷は。
「‥‥交代します」
マキナが前に出た。
一連の話は聞き流している、興味がない訳でもないが、参入が遅かった分は深入りするべきじゃないだろう。
それに、今はまさに自分の望んでいたタイミング、だからそれを優先することにした。
血に濡れた銀髪を邪魔にならないように払い、息を沈める。
「はっ‥‥!」
飛び込んだ。
肉体の感覚はないが、理性は正常に動く。状況を正確に理解しているがために、否応なく、近づいてるだろう死の予感がした。
腐敗の領域。それは血に濡れる自分を容易く蝕むだろう。
察知した危険は限りなく正しくて、しかし戦奴たる自分はそれを黙殺した。
それが出来るのはきっと――戦いの直感、或いは理想を優先し、それを貫き通す信念による矜持。
「――――」
一瞬だけ相手が息を詰める、構えのもと、交差した視線は共に不退の覚悟を持っていた。
(確実に決める‥‥!)
腐敗の領域でいなされ続けるのは死を意味するに近い、元より此方は無理を推している。
踏み出し、体を回す。相手の側面から流し切りで迫るが、防御を固めた相手に対して、致命の一撃を決めるには弱い。
「マキナ‥‥!」
ラスの呼びかけに応える余裕はない、代わりに行われたのは声による方向の特定と、射線を空ける事による意志表示だった。
一撃、二撃。銃声が連続する中、相手の動きを止める一発が放たれる。
(読みが間違ってなければ‥‥!)
腐敗と反射、その二つは両立しない可能性が高い。
両立できないというべきか、本人に腐敗の耐性がない以上、同時に発動させるのは危険すぎるのだから。
それを証明する一撃がエルを薙いだ。
――行き着いてはいないが、終わった。
腐敗と血しぶきを撒き散らされ、荒れ果てた戦場で、荒い息と沈黙が場を満たしていた。
静かな足音が傭兵たちの反応を呼び起こす。
近づく金髪の青年に、ラスは覚醒を解かぬまま言葉を向けた。
「お前も、戦うつもりか」
「いいや?」
歌うような言葉の軽さ同様、そいつに敵意はなかった。
「あいつがセレネと相対するとき、迷うようなら代わりをしてもよかった。
舞台に立てない人間なんて邪魔なだけ、でもエルが自分で決めたんだ。
‥‥だから、今更ぶち壊すような事はしないさ」
ただ、とそいつは言葉を挟んだ。この“終わった舞台を終わらせるには”、足りないものがあると。
倒すと殺すのは違う。
――そう、エルはマキナの一撃によって倒れたが、まだ死んではいなかった。
ジャックの視線がエルに向かうのに気づいた瞬間、花は即座に引き金を引いていた。
エルに。
劈く銃声が今度こそ終末を告げた。
誰も動く事なく、音を立てるものは何一つとして存在しなかった。
「これはボクの正義」
硝煙が上り立つ銃を握ったまま、花は毅然とした口調で断言した。
ボクが殺すと決めた、ボクだけが殺すと決めた。
いい子であるために殺す、ボクの正義のために殺す。
だからその役目は誰にも譲らない、幕を引くのはボク、他の誰でもない。
「‥‥なるほど」
首を竦め、笑みを持ったそいつは場を荒らす事なく、静かに立ち去っていった。
どれほど経っただろう、花が膝をつく。
疲れと、震えと、そして覚醒によって押し込められていたあらゆる感情が、一気に溢れ出して来ていた。
悲しいのか憤っているのか、最早自分にも良く解らない。
花にも良く解らないまま、全ては終わってしまった。
「花‥‥」
「宗太郎クン‥‥ボク、泣かないよ」
震える声のまま、唇をかんで、花は精一杯のつよがりを宣言した。
泣いてやらない、エルのためにも、シレネのためにも――。