●リプレイ本文
なんてことッ、とケーキ屋で真白(
gb1648)は悲痛な悲鳴を上げた。
せっかくのオフ、人気のチーズケーキを楽しみにひらりとスカートを閃かせながらやって来た、その彼女に告げられた残酷すぎる事実。チーズがキメラに奪われケーキが作れないかもしれない、だと‥‥ッ!?
ふらり、と眩暈を覚えた彼女の横で、小隊の仲間から「ここのチーズケーキお勧めだよ」と聞いて買いに来た常 雲雁(
gb3000)もパティシエに困った様子で確認したが、答えは生憎変わらない。変わるはずもない。
ふと、真剣な眼差しでケーキ屋の外を丹念に調べているカンパネラの学生が目に入った。真白と雲雁の眼差しの先を追って、パティシエがああ、と彼にも先ほど特製チーズを取り返して欲しいと泣きついた事を告げる。
つまりいわば同士、と判断した真白の行動は素早かった。下ろした髪を一つに束ね、険しい顔つきになって彼の元へ駆け寄り、がっしと両手を握って力強く誓う。
「絶対‥‥絶対チーズを取り返しましょうね!」
「勿論です、妹の為に!」
実は初対面の知らない相手だという事実は特製チーズ奪還の熱意の前に消え去り、彼ウィリアムも力強く頷く。その発言に、実は自分も日頃苦労を掛けている妹へのお土産に、とやってきた雲雁も共に戦おう(?)と名乗り上げ。
黒猫キメラの足取りを追い、場所を移しながら話し合う3人の話が聞くともなく聞こえ、思わず足を止めて顔を見合わせた恋人達が居た。
「お魚、もとい、チーズを咥えたドラ猫、なぁ」
「猫キメラ‥‥なんだか可愛いです‥‥」
キメラよりはむしろ猫に反応している石動 小夜子(
ga0121)と新条 拓那(
ga1294)。揃って猫好きである2人にとって、猫である、という事実はどうやらキメラを凌駕するようだ。
ふと視線を向ければ、ちょっと休憩をと考えていたケーキ屋のパティシエが泣き崩れて居るのが見える。どうやらあそこが現場らしいと、向かった2人はパティシエから事情を聞きだして。
「そういう事情なら協力しない手はないさ。ね、小夜ちゃん?」
「ええ、拓那さん。何とか出来れば良いのですけれど‥‥」
出来れば猫(キメラ)を捕獲だけで済ませられれば良いのに。言外にそう語り合いながら、小夜子と拓那はケーキ屋を後にした。向かったのは勿論、付近で最も逃げ込みやすいと思われる林――ではなくペットショップ。
猫ならマタタビでいちころだが、果たして猫型キメラにその弱点は備わっているのか。どうやらそこが、作戦のターニングポイントの1つになりそうだった――多分。
◆
衣食足りて礼節を知る、と言う言葉がある。簡単に言えば、人間誰しも自分が満たされて初めて他人を思いやる心が持てる、という古き良き格言だ。
(でもあの場合は『食べ物の恨みは恐ろしい』かしらね?)
スコープを双眼鏡代わりに覗きながら、無言でアンジェラ・D.S.(
gb3967)がそう思った、その視線の先にいるのはぷんぷん怒りながら黒猫キメラを探し回っているファリス(
gb9339)がいる。
『みんなが楽しみにしているチーズケーキを作るのを邪魔するなんて、断固として許せないの。そんなオイタをする黒猫さんはファリスがとっちめるの!』
そう、力強く叫んだ彼女の言葉が聞こえたわけではなかったが、聞こえずとも伝わってくるものはあるわけで。ギュッと拳を握り締め、己を奮い立たせてキョロキョロ辺りを見回す少女の姿は、微笑ましいの一言に尽きた。
とまれ、それ故にアンジェラは今現在、先回りした公園でもっともキメラを追い詰めるのに適していそうな場所を見つけて黒猫を追う仲間に連絡し、自身はそのまま留まっていつやってきても良いようにアサルトライフルを構えて居る。構え、覗いたスコープの先の世界を見つめて居る。
そんな事とは露知らず、見られているファリスは公園でお散歩している人や、まったり空を見上げている人を捕まえては、件の黒猫キメラを目撃していないか尋ね回っていた。
一目でキメラと判らないキメラは居るが、幾らなんでも1メートルもある黒猫を見て意識に残らない人は少ないだろう。色んな意味でギョッとする事間違いなしだ。
だからファリスはここに来るまでも、行き会う人々に話を聞いてきた。そして目撃証言を追って公園まで来た――のだがしかし、茂みなど案外隠れる場所の多いこの場所に来て、目撃証言がパタリと途絶えて居る。
「チーズを銜えて居るから目立つと思うんだが」
「余程おなかが空いてるんでしょうね」
雲雁も困り顔で、僅かにでも足跡が残されていないか丹念に地面を調べて居る。途中で協力を申し出て合流した拓那と小夜子も、どうやら公園に逃げ込んだらしい、と聞いてやってきたものの猫じゃらしを片手にキョロキョロ辺りを見回して。
猫の集会が開かれるという公園は、時折猫がふらりと通り過ぎたり、手頃な陽だまりを見つけてクルンと丸くなって居る。猫じゃらしに反応して、ゆらゆら尻尾を揺らしている猫も居る。
――やがて。
「‥‥あっ! あっちに黒い大きな影が!」
真白がハッと、木立の向こうを指差して叫んだ。それに捜索者の意識が集中する。ガサッ、と大きく茂みの揺れる音。その向こうに確かに、しなやかに身を翻す黒い影が見えた気がして。
その影を追うように、拓那は茂みに飛び込んだ。尖った三角の耳が、彼の視界に過ぎって緑の中に消える。
「どうやら間違いないみたいだよッ!」
「了解です!」
そのシルエットを見て、走りながら叫んだ言葉に背後から応えの声があった。ジャキン、と銃を構える音。
‥‥ぇ?
「追い込みます!」
叫ぶや、真白はぎょくんと振り返った拓那の顔も何のその、構えた銃の引き金を引いた。勿論威嚇射撃だ。アンジェラが待機しているポイントまで、強制的に追い立てるつもりである。
やがて茂みを抜けると、少し開けた広場に出た。ここでよく猫の集会が目撃されているというが、今はどうでも良い話。
スコープの射程に飛び込んできた巨大黒猫に、アンジェラの制圧射撃が容赦なく加えられる。もちろんこれも、黒猫キメラを逃がさないようにする為の威嚇射撃に近いものだが、それでもチーズを放さない度胸はたいしたものだ。
(でも私の今回の任務は、その特製チーズを取り返すことなのよね)
彼女のコールサインに掛けて、だからアンジェラは引き金を引き続ける。決してこっそり「紅茶のお供にケーキは欠かせないものだしね」と思っていたからでは、ない。
◆
黒猫キメラは追い詰められた広場で、チーズを銜えたまま追ってきた人間達を金色の目で睨みつけていた。ゆらゆらと悩ましげに揺れる猫じゃらしにも見向きもしない。
やっぱりお腹が空いているんでしょうか、と小夜子がペットショップで購入した実に美味しそうなキャットフードを出してみても同じだ。チーズの丸いフォルムが気に入ったのか、僅かにある独特の匂いが気に入ったのか。
仕方ない、と拓那がペットショップの袋から取り出した最終兵器。それは――
「そーれ、マタタビ! さぁ、チーズなんてほっぽって、酔っ払ってごろごろになってしまうがいいよ!」
「‥‥‥‥」
その場を、春先には些か涼しすぎる一陣の風が吹き抜けた、様な気がした。マタタビ粉を振りかけられた当の黒猫キメラもキョトンと、自信満々の拓那の顔を見上げて居る。ちょっとその表情が可愛いとか、そんなのはどうでも良い話だ。
どうやら黒猫姿でもキメラはキメラ、生物兵器として作成される段階であからさまな弱点は取払われている模様。むしろ掛かった粉が不快だとばかりに鼻の頭に皺を寄せ、ブルンと全身を揺すって振り落とすと振りかけた当の相手にきらりと爪の一閃をけしかける。
ハッ、と拓那が慌てて回避した。僅かに浅く、胸元が裂けて血が滲む。途端、ふらりと全身が小さく揺れて、慌てて拓那は踏み止まった――即効性で体力を奪う毒が仕込んであるのか。
反撃を仕掛けてぐっと踏み止まる――チーズを傷つけてはいけない。慎重に距離を取り、決して逃がさないよう包囲網を固めるが、だが餌もマタタビも効かないとなれば次の打つ手が俄かに思い浮かばず。
駄目元で真白が取り出したのは照明弾。制圧射撃を受けてもチーズを放さなかった黒猫キメラに、効くかどうかは不明だが。
「えいッ!」
ポムッ、と向けた先は黒猫キメラの真正面、鼻っ柱。勿論当てるつもりで狙いを定め、放たれた閃光――と言うより照明弾そのものがぶち当たった衝撃に、ギャンッ! とキメラが悲痛の鳴き声を上げる。
「今だッ!」
この時を今は遅しと待ち構えていた雲雁、全速力で黒猫キメラの口の下まで滑り込んで、地に付く寸前で見事特製チーズをキャッチした。一応包装紙で覆われているチーズは、だが鋭い牙に噛み裂かれて中身が見えてしまって居る。この部分は当然ながら、使用する際には削らなければならないだろう。
だがそれはパティシエが考える話だ。雲雁はそのまま石畳の上をごろごろ転がって距離を取り、頼む、と腕に抱きかかえて守った特製チーズをウィリアムに手渡した。
判りました、と使命を帯びた顔で力強く頷き、特製チーズを抱えてケーキ屋へと猛ダッシュを開始するウィリアム。あの様子なら見事ケーキ屋に辿り着き、チーズケーキ作成にこぎつける事が出来るだろう。
無事、市民のささやかで平和な楽しみは守られた。だがこの平和を恒久のものとする為にも、平和を脅かしたこの黒猫キメラは許しては置けない。
「許さないの。食べ物を奪った罪は万死に値するの!」
真剣な眼差しで槍を構えて宣告するファリス。せっかくの獲物を奪われ、金の瞳を怒りに閃かせる黒猫キメラを、臆するところなく睨みつける。
フーッ!
背中の毛を逆立たせ、キメラは見た目どおりのしなやかな動きで音もなく石畳を蹴った。まるでアンジェラからの狙撃を受ける事をわかっていたかのようなタイミング。キメラの消えた後の石畳に、銃弾がピシリと跳ねる。
キメラはそのまま宙でしなやかに身を翻し、まず真白に狙いを定めて鋭い毒爪を繰り出した。雲雁が回し蹴りで払い落とし、フシャーッ!! と怒りに唸るキメラの足に真白が銃弾を打ち込む。
フギャッ!!
キメラが苦痛に声を上げ、自分を傷つけようとする人間達に牙と爪を閃かせた。その様はがむしゃら、という表現に近い。さすがはキメラと言うべきだろうか、足を一本打たれた程度ではさほどの行動阻害にならないようだ。
それでも何とか――祈りを込めて、小夜子は毒の爪の1本を切り飛ばし、刀の峰をキメラの脳天に叩き込む。例えキメラであろうとも、愛する猫の姿をしたキメラに刃を向けるのは、辛い。
その気持ちは拓那も一緒だが、傷つき、凶暴化したキメラにその祈りはどうやら通じそうにない、と苦しそうに顔を歪める。その視界の中で暴れるキメラの爪を避けきれず、雲雁が一瞬体力を奪われがくりと膝を突いた。
真白がキメラの目を目掛けて銃弾を放った。視界を潰してこれ以上の被害を避けるつもりだ。我武者羅に暴れだすかもしれないが、見えていない一撃なら避けるのも容易いだろう。
「悪く思わないでくれ」
巨大黒猫といえどキメラはキメラ。やはり退治するしかない――キメラに、というよりは苦悩の表情を浮かべる恋人達に、謝り翠の瞳で雲雁はキメラを見据え、攻撃を叩き込む。
アンジェラの放つ銃弾の音が悲しく響く。ファリスの槍が唸り、拍子に柔らかな光が散っては消える。それでもなお抵抗し、敵意をむき出しにする黒猫に、白髪の少女がさらに銃弾を叩き込む。
やがて――動かなくなった黒猫を見下ろし、何とか出来なかったのかと小夜子と拓那は唇を噛み締めた。事前に打ち合わせるだけの時間があればよかったのか。それとも他に何か方法が?
そんな恋人達に、残る仲間も声を掛けられず、ただ怪我の手当てを黙々と続ける。そんな中、アサルトライフルをしまって狙撃場所から出てきたアンジェラが、ぽんと仲間達の叩いた。キメラは殲滅すべき相手なのは違いない――でもこの心優しい恋人たちが、愚かだとも思わない。
彼女は当たり前の様に上着を脱ぎ、巨大な黒猫の遺体を躊躇いなく包み込んだ。
「‥‥あとでチーズケーキは楽しみにするわよ」
じゃあねと手を振り、キメラの遺体を抱いて、アンジェラは仲間に背を向け治安関係者の詰め所に向かって歩き出す。後は、仲間自身の心の問題だ。
◆
全員を救急セットで応急処置して回り、事の顛末を報告しがてらショッピングモールのケーキ屋に戻ると、噂の人気のチーズケーキはもうあと僅かで焼き上がるところだった。戻ってきた彼らを見たパティシエは、ぱっと顔を輝かせて『ありがとうございました!』と何度も何度も頭を下げる。
テラス席の方では、別なキメラがやってこないようにと辺りを警戒していたらしいウィリアムが居て、お疲れ様でした、と微笑み彼らに紅茶を淹れて。黒猫キメラの最後を聞き、そうですか、と小さく眉を寄せる――彼も猫は嫌いではない、妹が大きな猫のぬいぐるみを大切にしているから。
と、その言葉を聞いた雲雁がありがたくテラス席に座りながら微笑んだ。
「ウィリアムも妹がいるのか。実はうちも妹が居て、そもそもお土産にここのチーズケーキを買って行ってやろうと思ったんだ」
妹の願いなら叶えてやらなくちゃな、と同士のように微笑むと、ウィリアムも同じく微笑んで、手伝ってくれてありがとうございました、と皆に改めて丁寧に頭を下げる。
良いんです、と首を振ったのは小夜子。
「黒猫の事は残念でしたけれど‥‥その、拓那さんと一緒に、噂のチーズケーキを食べられるかと楽しみにしてたのも本当です、から‥‥」
「そうだね、小夜ちゃん。せっかくだから味わって食べないとね」
相棒の手をきゅっと握り締め、微笑みかける拓那。中てられてふいと白々しく目をそむけた真白とファリスは、その拍子に目が合って苦笑った。
だがその空気も、パティシエの明るい声が途端にかき消してくれる。
「さぁ皆さん、当店自慢のチーズケーキです! これはお礼ですからたっぷり召し上がってくださいね! もちろんお代は頂きません!」
「うわぁッ、ありがとうございますッ♪」
「身体を動かした後のおやつはまた格別なの! いただきます、なの」
テラス席に少女達の歓声がこだました。店内にはこの焼き上がりに合わせて、チーズケーキを買いに来た人達が早くも列を作って居る。皆さんへのお土産の分は別に置いてますのでご安心下さい、と言い置いて店内に戻っていくパティシエ。余程感謝してくれているようだ。
温かな紅茶とおいしいチーズケーキを、だから彼らは安心して味わった。共にこの味を守った仲間たちに感謝しながら。