●リプレイ本文
避難所で暮らす疲れた人々の中で、どうかクロを助けてと、融は幼い願いをひたむきに繰り返していた。
「クロ‥‥ですか‥‥」
その姿を思い出し、リリナ(
gc2236)はそっと瞳を伏せて思いを馳せる。脳裏に浮かぶのは彼女が昔飼っていた犬――同じクロという名前で可愛がっていた。
すでにリリナのクロは亡い。けれども同じ名前の犬を助けて欲しいという願いは、まるでその時の自分を見ているようで。
ぎゅっと、誓うように両手を握りしめる。
「‥‥今度は絶対に‥‥助けたいです‥‥ッ」
「そうだな。我のような兵器から見れば愚かだが‥‥好ましいと思う」
その言葉に、武器の確認をしていた月城 紗夜(
gb6417)も手を止めて頷く。もっとも、吠える犬が苦手だという秋月 九蔵(
gb1711)は、ほんの少し不満げに唇を尖らせて「どうして鳥じゃないんだ」とぶつぶつ呟いていて。
そんな九蔵を、まァまァ、とラサ・ジェネシス(
gc2273)が慰めた。
「融殿にとっては大切な家族ネ。‥‥必ズ助け出してみせル」
「ああ。ワンコは必ず無事に連れ戻すぞ」
力強く同意して、大きく頷くエイミー・H・メイヤー(
gb5994)。何はなくともワンコを助ける、必ずワンコを助けてみせる。ついでにキメラも殲滅して住人も助ける。
避難所で融から借りてきたのは、彼の匂いのついた靴やハンドタオル。あいにくクロが好きな遊び道具は持ち出していないけれど、写真は母親の携帯に保存していたものを見せてもらった。
赤い首輪をした賢そうな顔つきの、人懐こい瞳をした黒犬。その写真の姿を思い浮かべながら、レインウォーカー(
gc2524)は得物を胸にぎゅっと抱いた。
「道化は道化に出来る事をやる。邪魔する奴は斬るから、犬探しは任せたよぉ」
クロを探すため、彼が担う役割は陽動。自分ではふさわしい役割だと思っている――自分は、命を守るという行為が不得手だから。自分以外の何かを守ることなど出来ないから。
けれどもだからこそ、邪魔する者をひたすら斬る。そうして居る間に他の仲間が犬を助けてくれれば――そう、思う行為が本当は、すでに『誰かを守る事』なのだけれども。
果たして、クロはこのキメラの蹂躙する町のどこに居るだろうか。これも行方不明者を探索する経験に繋がると、真剣な顔になったラサの頭の花飾りを、くい、とエイミーが引っ張った。
「ワ、ワ!? 何をスル?」
「いや、ちょっと気になってな‥‥気負わず行こう」
わたわたして頭を押さえるラサに、小さな笑みを浮かべたエイミーがぽんと背中を叩いて言った。さては力の入りすぎた仲間を解すためか‥‥そう、周囲が感心して見守る中、エイミーはどこか満足そうに花飾りを掴んだ手をぎゅむぎゅむしていたのだった。
◆
敢えてエンジンの回転を上げて走っているにも関わらず、キメラはなかなか姿を現さなかった。それはこちらを警戒しているからか、単に亀キメラの注意を引ける場所まで音が届いていないのか。
AU−KVの背後で、振り落とされないよう紗夜にしっかり捕まっているレインウォーカーが、辺りを見回しながらのんびり言った。
「出来れば装着する時は警告してくれるかぁ? 吹き飛ばされるのはごめんだぁ」
「もちろんだ」
大きく頷きながら紗夜はゆるゆると速度を落とし、道端に停車した。荷物からメガホンを取り出す。
後ろから降りたレインウォーカーが、AU−KVを少し離れた場所からまじまじと見つめた。実際に乗った後にはまた別の感慨がある、とたっぷり眺めた後、振り返って次はどうするのかと尋ねたレインウォーカーに、尋ねられた紗夜は無言ですぅ、と大きく息を吸い込んだ。
そうしてメガホンを口元に当て「我々は傭兵だ!」と叫んだ声にも、しばし反応はない。だがやがて、怯えた表情の住人が伺うように姿を見せた。
「ほ‥‥本当に傭兵‥‥?」
「あぁ」
力強く頷いた紗夜に、ほぅ、と住人が泣きそうな顔になったのを、辺りにキメラの気配がないか気を配りながらレインウォーカーは見た。見ながら小銃を構える手に力を込めた。
安堵にへたり込んだ住人にクロを見なかったか尋ねると、少し考えて首を振る。そうか、と頷いた紗夜はそのままの表情で告げた。
「なら、我々は貴公を護衛する、貴公は手伝え‥‥と言いたい所だが」
「ぇ‥‥?」
「新人」
「危なくなったら援護してくれ。ちゃんと礼はするからさぁ」
振り返った紗夜に、レインウォーカーは小銃を腰だめに構えた。よし、と頷き刀を抜いた紗夜の瞳が深紅に染まる。
耳を澄ませば、かすかな地響きが聞こえた。紗夜は住人を庇える位置に立つ。今回が初仕事とは言えレインウォーカーは傭兵だ、せいぜい気に留める程度で良いだろう。
「せいぜい道化らしくやってくるかぁ」
その当人はのんびり言いながら冷静にタイミングを計り、亀キメラが姿を現した瞬間、小銃の引き金を思い切り握った。鼓膜が破れそうな破砕音。だが亀は素早く手足と首を甲羅の中に引っ込めて、銃撃を回避する。
ピィン! ビシッ!
予想通り、固い甲羅に弾かれた兆弾があちこちへ跳ねた。ちぇー、とレインウォーカーが唇の端を吊り上げる。
「ちっ、さすがに硬いなぁ‥‥でもこれならどうかなぁ」
「我も忘れるな」
得物を刀に持ち替えて一歩も引かないレインウォーカーに、紗夜もペイント弾を込めた銃を取り出した。AU−KVを装着し、龍の瞳に力を込めて。
少しすると、亀キメラが再び手足を出して動き始めた。その弱点と思われるところに的確に放たれたペイント弾の印目掛けて、レインウォーカーが踊りかかる。
再び足を引っ込めようとするキメラに、させじと紗夜は超機械に持ち替えて、電磁波を発動させた。それにキメラはビシリと尾を鋭くしならせ、先の鋭い爪で一撃を加えようとする。
だが。
「しっかり動け、新人!」
「よし来たぁ!」
容赦なく檄を飛ばす紗夜に、レインウォーカーは爪に掠られながら頷いた。紗夜の背後に庇われた住人が、ガチガチ歯を鳴らす音が戦闘の中でも大きく響いた。
◆
ラサの運転するジープの上で、九蔵は早くも覚醒して右目を瞑りつつ、流れてゆく景色をじっと見つめてほんの少しも見落としがないよう注意を払っていた。
「頼むから飛び出してくるなよ。吼える奴は苦手なんだ」
「頑張って避けマス」
ぐっ、とハンドルを握る手に力を込めるラサ。そうしてジープで瓦礫を乗り越えながらまずは融の自宅へと向かった彼らは、クロがそこには居ない事を確かめた。
辺りをまじまじと見て、マーキングの跡はなさそうだな、と呟く九蔵だ。クロを探す事は、クロが残している痕跡を探す事でもある。故に九蔵は一般的な犬が持つ習性と照らし合わせ、その跡を探そうとしているのだが。
無事でいるなら、食料はどこかで調達しているはずだ。逃げ遅れた人が居るといえ、住人が避難状態にある町で食料を探し出せる場所は限られてくるだろう。
その言葉にラサは頷き、再びジープを走らせ始めた。そうして時々ジープを止め、双眼鏡で辺りを見回す。
「おーイ! クロヤーイ!」
「クロー!」
腹の底からの大声で叫ぶラサの隣で、ちょっぴり嫌そうに九蔵も犬の名を呼ぶ。そうして幾らか走り、だがクロもその痕跡も、逃げ遅れた住人も見つけられないまま時間だけが過ぎて。
「そっちが先に出てくんのかよ」
「2匹ですカ‥‥ギリギリ倒せそうですネ」
ジープの前に現れたキメラを見た九蔵の言葉に、ラサが拳銃を取り出して弾を込めながら頷いた。甲羅を打ちぬくため、どちらも貫通弾を用意してきている。九蔵はお手製の投擲武器まで幾つか。
亀キメラの瞳が、ジープから飛び降りた2人を前に悩むように揺れた。だが次の瞬間、尻尾がまるで鞭のようにしなってラサの方へと鋭く伸びてくる。
「‥‥ッ」
息を呑み、とっさに転がって避けたラサが居た場所に、尻尾の先の爪が突き刺さった。チッ、と舌打ちして九蔵が肩をしならせ、弾頭矢で作った爆弾もどきを投げつける。
うまく爆発はしなかったが、キメラの注意を引き付けるには十分だったようだ。キロ、とキメラのうちの1匹の瞳が九蔵へと向いた。
手足の鋭い爪を閃かせようとする、亀にむしろ九蔵は笑った。
「ハッ! 鈍いターゲットだ、これなら百発百中も夢じゃないね」
言いながらラサを庇うように前線に飛び出し、貫通弾を込めたP38の引き金を脳天目掛けて思い切り引いた。ドゴッ、と鈍い音。
ラサもまた九蔵の背後から、貫通弾をもう1匹の亀目掛けて放った。だがこちらは完全にタイミングを外される。素早く中に引っ込んだ亀を守る甲羅は、貫通弾でも一撃で貫くのは難しいようだ。
けれども、こうなれば逆にこちらのもの。ラサは拳銃を戻しながら素早く駆け寄り、能力で腕力を増強させた細腕で亀の甲羅の端を引っつかんだ。
「ムオォ!」
気合と共に、頭上の黒いチューリップが激しく揺れた。グラリと亀の甲羅が揺れ、次の瞬間ずぅん、と亀がひっくり返る。
そのまま攻撃に移ろうとしたが、勢いが付きすぎたからなのか、亀はゴロン! と起き上がった。が、即座に攻撃行動に移る様子はない――脳震盪でも起こしたのだろうか。
チャンス、とラサは動きの鈍ったキメラの柔らかな部分目掛けて引き金を引いた。九蔵も目の前のキメラの傷にショットガンを捻じ込んでいる。
ここは一気に畳み掛けるところだ。
◆
さて、同じ様な場面は町の別の場所でも展開されていた。
「さすがキメラ、その程度は‥‥というところですか?」
起き上がった亀を前に、内心冷や汗を垂らしながらも不適に微笑むエイミー。キメラではないごく普通の亀であっても引っくり返った後に自然に起き上がる事はあるが。
地に叩き付けられる衝撃は殺せないのか、向けられた爪の一撃はそれまでより鈍かった。それを容易く避けて、紅蓮衝撃を乗せた一撃を亀の首元辺りに叩き込む。
亀キメラの喉から、苦悶の叫びが迸った。苦痛に暴れる亀の爪が僅かにエイミーの頬を掠める。だがそれを最後に、がくりと動かなくなったキメラを僅かに見下ろし、それからリリナを振り返った。
「大丈夫だったか」
「はい。亀さんはもう‥‥近くにはいないみたい‥‥です」
駆け寄ってエイミーの傷を治療しながら、こっくり頷くリリナの顔を見る。まだどこからもクロ発見の連絡が来ていないのが気になっていた。まさか、と最悪の事態も考えつつ、リリナの気持ちを思えばそれをうかつに口には出来ない。
いったいどこに居るんでしょうか、とリリナが融のハンドタオルを握り締めながら心配そうに呟いた。それにさて、と金から青へと瞳を戻しながら、エイミーが呟く。呟き、辺りを見回して、リリナを促して再び人気のない町を歩きながら、クロの名を大声で呼ぶ。
遠くから、仲間がキメラと交戦している音が聞こえた。それに次第に膨らむ不安を抱きながら、リリナも必死にクロの名を呼ぶ。それはだんだん、融のクロを呼んでいるのか、リリナのクロを呼んでいるのかわからなくなってきて。
「ぁ‥‥ッ」
小さく声を上げ、目を見開いたリリナの声に、エイミーが振り返ったのと「ウォンッ!」と力強い犬の鳴き声が聞こえたのは、同時だった。ほッ、と息を吐きかけたエイミーはすぐに気を引き締める――亀キメラが再び迫ってくる音をも捉えたからだ。
リリナの耳にもそれは届いた。届き、真っ青な顔でさらにクロの名を呼ばうリリナに「わんこは頼んだ」と短く告げて、エイミーの瞳が再び金色へと染まる。
「まったく‥‥こちらが相手ですよ」
エマージェンシーキットから取り出したラジオのボリュームを最大まで捻る。この辺りのチャンネルにあわせる余裕がなく、ラジオは耳障りなノイズしか吐かなかったけれども、この亀キメラに音楽の心得があるとは思えない。
うまく、注意をこちらに向けた亀キメラから遠ざかるように、リリナは飛びついてきたクロをぎゅっと両手で抱きしめて走った。腕の中で手足をバタバタと動かし特有の荒い息を吐く、体温の高い生き物を今度こそ絶対に守るのだ。
(ようやく‥‥久しぶりに会えたんだから‥‥ッ)
これは彼女のクロではないけれども、同じ名を持つ黒犬だけれども。解っていてもそう、決意の眼差しで泣きそうに走るリリナの背後で、エイミーが爪の攻撃を受け止める音が妙に高く、鈍く響いた。
けれどもリリナが止まる様子はない。それを目の端で確認して、エイミーは冷たく目の前の亀キメラを睨み据えた。
「逃がしませんよ、クロの為にも、町の為にも」
クロの無事が確認されたなら、後は町の人々が日常の暮らしに戻れるよう、全力で戦うのみである。
◆
無事にクロ確保の無線を受け、能力者達は再び避難場所へと戻ってきた。知らせを受け、避難所の中から出てきた融とその母を察したようにクロが激しく尻尾を振り、嬉しそうに跳ね始めたのを見て、融の顔が喜色に輝く。
「クロ‥‥ッ」
駆け寄り、ぼろぼろと涙を流しながら愛犬を抱きしめる息子の姿を、どうしたら良いのかわからないように見ている母親に紗夜はまなざしを移す。彼女にはまるで、融が彼女の弟のように――そしてどこか、母親が彼女自身に思えて。
(生き長らえた私より、私を庇って死んだ弟の方がずっと、大事)
疎まれても、生きて無事で笑っていて欲しいと願った。その為の犠牲も厭わないと思ったのに、死んでしまった弟――同じ様に母親は融のために愛犬を切り捨てることを選んだ。そうして彼女は守りきった。
「大切な存在は命に代えられん、無謀で愚か。だが、そう言う人間が戦後を作るのだろう」
「あぁ‥‥融君、お母さんとちゃんと仲直りしなきゃな。お母さんは君の安全を最優先しただけなんだ。男の子は女性を困らせちゃ駄目だ。守ってあげないとな」
事情は聞かないながら、紗夜の言葉にエイミーも頷いてクロを抱きしめる融に声をかける。泣いていた少年の顔が、一言では言い表せない複雑な表情になったのを、見る。
それでも家族は大事なものだ。わだかまりをなくして、仲良くして欲しいものだが――すぐに、は流石に難しいだろうか。先に心行くまでクロをもふもふしたエイミーは、その感触を思い返しながら考える。
そんな様子を、そっと遠くから見ているレインウォーカーに気付いてリリナは声をかけた。
「レイン。どうしたんですか‥‥?」
「道化も少しは役にたったかなぁ、って。悪くないなぁ、こういうのも」
それでも近寄る事はまだ出来ないのだけれど。自分が誰かを助けたのかもしれないという感覚は、思った以上に悪くない。だがすぐに頭を切り替えて、スピードが癖になると言いながらAU−KVへと視線を移す。
リリナはそっと微笑み、レインウォーカーの隣に立ってその光景を見つめた。嫌がっていた九蔵すら、ほっとした顔でその中に加わっている絵のような光景。
良かったと、心から少女はその光景に呟いたのだった。